二人きりにしてきたが、大丈夫だろうか――。
桐山はホテル内のバーで一人テーブルにつき、さきほどから同じことを考え続けていた。
イタリア国内では、三指に入る最高級ホテルだけあって、バーのデザインも造りも洗礼されており、実に過ごしやすい。旅行者であっても、イタリアの雰囲気を堪能しながら、心身を癒せるだろう。
だが桐山にとってはバーがどんな感じであろうが、正直どうでもよかった。ようは、時間が潰せればそれでいいのだ。
年末年始の休暇を利用して、朋幸が『アニョーナ』本社の視察をしたいと言い出したとき、行き先がロベルトの実家だというのは気になったが、それでも朋幸がゆっくり休養でき、なおかつ観光を楽しめるのならと、桐山は賛成した。
ところがフタを開けてみれば、休養どころか、なかなか大所帯の、単なる『観光グループ』が出来上がっていた。
プロジェクト関係者たちが家族連れで参加していることもあり、実ににぎやかだ。
しかし、その辺りで実に大らかな朋幸は、意外に楽しそうだ。
問題なのは、ロベルトが同行してきた『可愛い恋人』のほうだ。
赤い髪と、気の強そうな瞳が印象的な有理という青年は当初、まるで毛を逆立てる猫のように朋幸を警戒していたが、そんな二人がなぜか今晩に限って話し込み、居場所をなくした桐山はこうして、すごすごとホテルのバーにやってきたというわけだ。
朋幸が宿泊している広いスイートルームには二つの寝室が備わっているが、さすがに桐山が同室に宿泊するわけにはいかない。
それでも夜ギリギリまで、朋幸と同じ空間で過ごそうと思っていただけに、桐山としては残念でならない。
「……殴り合いでも始めてないといいがな」
桐山は小さく独り言を洩らす。
有理の気の強さは、ロベルトが手を焼くぐらいだと知ってはいるが、朋幸は朋幸で、かなり芯が強い。
ほっそりとした体つきの二人で殴り合いは無理でも、引っ掻き合いぐらいは可能だ。
「――おや」
背後から、芝居がかったような驚きの声が上がった。イタリア語がなじみ始めた耳には新鮮な、日本語で。
振り返ると、実家が近くにあるというのに、わざわざ自分たちと同じホテルに部屋を取ったロベルトが立っている。その部屋には当然、有理も同宿している。
陽気で油断ならないイタリア男が、小さく笑みをこぼす。
「珍しいね。桐山が一人でいるなんて」
許可もしていないのに、ロベルトが同じテーブルについたが、そのくせ、ウエイターには注文を断った。
「……お前こそ、何をやっているんだ」
桐山の問いかけに、ロベルトは大げさに肩をすくめて首を横に振る。
「有理が出かけたまま、戻ってこないんだ。もう二時間ほど」
「彼なら二時間前に、朋幸さんの部屋にやってきたぞ。朋幸さんと話があるといって、その場にいたわたしは追い出された」
ロベルトが大仰に目を丸くする。いちいち表情に、めりはりがありすぎるほどある男だ。
「大丈夫かな、それ」
「何がだ」
「有理の気の強さ、知ってるだろ? 朋幸に掴みかかったりしてないといいけれど」
「様子は落ち着いていたが……」
さきほどからずっとくすぶっていた不安が、ロベルトの言葉によって勢いを増す。
不本意ながら桐山はロベルトを顔を見合わせると、二人はほぼ同じタイミングで立ち上がる。
「――お互い、気の強い恋人を持つと苦労するね」
慌ただしくエレベーターに乗り込んだところで、ロベルトが口元に苦笑を浮かべて言う。桐山は憮然として否定した。
「お前のところは、気が強いんじゃなくて、気が荒いんだろう」
「ああ、ズバリだね、それ」
ロベルトは本気で賛同してきた。
眼鏡の中央を押し上げてから、扉が開いたエレベーターを降りる。
朋幸の部屋のベルを鳴らすが、誰も出てこない。仕方なく、部屋を出るとき朋幸から預かった鍵でドアを開ける。
ロベルトも部屋に入ってきたが、速やかに有理を連れて帰ってもらうためには、文句は言えなかった。
「朋幸さん」
声をかけながら、二人が話し込んでいた居間に入るが、そこに二人の姿はない。ただ、ルームサービスを頼んだらしく、テーブルにはピザの切れ端と、空になったワインのボトルがある。
寝室の一つを覗いてみるが、そこのベッドが使われた形跡もない。
再び居間に戻ったところで、別室からロベルトが飛び込んできた。
何事があったのか、顔色が変わっている。すぐに桐山は険しい眼差しを向けた。
「どうした? 朋幸さんに何か――」
「桐山っ、カメラは? デジカメでも、ビデオカメラでもいい」
声をひそめながら喚かれ、わけがわからず桐山は眉をひそめる。
居間の一角に置かれたデスクに目を向ける。桐山のものであるデジカメがそこに置いてある。ロベルトは足早に歩み寄ってデジカメを取り上げると、居間を出て行こうとする。
「おい、ロベルト、何があったんだ」
振り返ったロベルトが、唇の前に人差指を立てる。それから手招きされた。
もう一つの寝室に入った桐山は、目の前の光景に唖然として足を止める。しかしロベルトは、足音を抑えながらも興奮した様子で近づく。
寝室の大きなベッドの上に、朋幸の姿はあった。ついでに有理も、
軽いめまいを覚えながら、桐山もベッドに近づく。
現状から推測するに、居間でピザを食べながらワインを飲んだ朋幸と有理は、意気投合したのだろう。そして、バスルームを使ってから場所をベッドの上に移し、二人で再びワインを飲んで盛り上がっているうちに、こんなふうになってしまった――。
朋幸と有理はパジャマに着替え、その上からしっかりとガウンを羽織った姿で、ベッドの上で眠っていた。
人肌が気持ちよかったのか、二人は抱き締め合うように互いの体に腕を回し、身を寄せ合っている。
顔の位置も近く、互いの唇が触れるか触れないかの際どい距離だ。
不覚にも、桐山は嫉妬するより先に、なんとも艶かしい二人の姿に見入ってしまった。少なくとも朋幸は、こんなに無防備で子供のような姿は、桐山には滅多に見せてくれない。
男を受け入れているという共通点があるからこそ、有理には気を許したのだろう。
桐山と同じ感動を味わったらしいが、感動の表現の仕方が違うロベルトは、桐山のデジカメでそんな二人の姿を撮影している。
「……お前は、何をしている」
桐山が声を潜めて尋ねると、悪びれた様子もなくロベルトが笑う。
「だって、二人とも可愛いから。滅多にない姿だよ」
「だからといって、こんな場面を勝手に撮るな」
「心配しないでよ。桐山にもあとでこの画像を印刷してあげるから」
二人を起こすのが忍びなくて、桐山は黙ってロベルトの腕を掴んで部屋の外に引きずり出す。
仕方がないが、今夜、朋幸が一夜を共にする相手の座は、有理に譲るしかないようだった。
朋幸と有理を二人きりにして、一晩過ごさせたのは間違いだったかもしれない――。
『楽しい』旅行中とは思えないほど、眉間のしわが深くなっていくのを感じながら、桐山は真剣に考えていた。
そんな桐山の数メートル前を、羽織ったコートの裾をなびかせながら朋幸が歩いている。
スーツ姿でないとはいえ姿勢のよさは健在で、贔屓目抜きにしても、後ろ姿から目が離せない。
それはいい。それはいいのだが――。
桐山はピクリと肩を震わせてから、眼鏡の中央を指先で押し上げる。
そんな朋幸に、まるで猫がすり寄ってくるように有理が身を寄せ、朋幸の腕に自分の腕を絡める。
旅行中観察していて思ったが、気に入って相手に腕を絡めるのが、有理の癖らしい。
そして、有理がその癖を最大に発揮している相手が、朋幸だった。
最初は過剰ともいえるスキンシップに戸惑い気味だった朋幸も、今では慣れてしまったらしく、なんだか嬉しそうに見える。
腕を組む相手が違うだろう、と言いたいところだが、本来の有理のパートナーであるロベルトは、こんなときだというのに、急な仕事ということでどこかに行ってしまった。
間が悪い男だ。桐山は心の中で、ロベルトに対して毒づく。
だからといって、朋幸と有利を引き離すような、大人げのないことをする気はない。
普段、朋幸の周囲にいる同世代の友人といえば久坂しかおらず、しかも大半は職場で顔を合わせているに過ぎない。そのことを考えれば、仕事を離れて同世代の人間と楽しむのは悪いことではない。
ここまで考えて桐山は、小さく咳をする。
なんだか、自分の中に芽生えた嫉妬心と、必死に折り合いをつけているように感じられたのだ。
ふいに朋幸が振り返り、白い顔で花開くような笑みを向けてくる。
これだけで、つまらない嫉妬心など溶けてしまうのだから、案外自分は現金な男だと、苦笑が洩れた。
手招きされて桐山は、空いている朋幸の右隣へと移動する。すると、スルリと朋幸の腕が桐山の腕に
回された。
桐山は驚いて朋幸を見る。
「朋幸さんっ……」
「ふざけているのに、そんなに目を剥くなよ。傷つくだろ」
朋幸が軽く唇を尖らせ、芝居がかったように子供っぽい表情を見せる。有理に視線を向けると、腕を
組んだうえに、朋幸の肩に頭までのせている。
男同士でここまで大胆だと、確かにふざけているようにしか見えない。それに朋幸も有理も外見が外
見なので、絵になるのだ。
「……わたしが相手だと、あまり冗談にならないと思いますが」
「お前が、そういうことをしそうに見えないから、かえって冗談に見えるんだ。社の人間は誰もいない
んだから、構わないだろ」
朋幸の言葉通り、今日は一日自由行動となっているため、社員たちとは別行動だ。
しかし、他の日本人の観光客たちの視線がどうしても気になってしまう。朋幸と有理は単独でも目立
つが、二人一緒だと華やかさに拍車がかかるのだ。
桐山は小さく息を吐き出すと、朋幸を見つめる。次はどこに行くかと、有理と楽しそうに話している
朋幸の手は、しっかりと桐山の腕を掴んでいた。その感触が愛しい。
日本では、こんなことはできないのだから、と桐山は開き直る。
常に計画性と慎重さを求める桐山には、無縁ともいえる言葉だが、朋幸の求めの前ではそうも言って
いられない。
桐山は朋幸のマフラーを直してやってからさりげなく、自分の腕にかかっている朋幸の手を、手袋の
上から握ってやる。
朋幸は咄嗟に桐山を見るようなことはしなかったが、寒さで少し色を失った唇が綻んだのを、桐山は
見逃さなかった。
ホテルのレストランで夕食をとる頃になって、ロベルトは戻ってきた。
同じテーブルについていた有理が、パッと表情を輝かせる。
そんな有理に応じるように、人目があるにもかかわらず、ロベルトが赤く染まった有理の頬にキスし
た。
他のテーブルに社員たちの姿がちらほらあったが、一様に、見てはいけないものを見たように視線を
逸らしている。ロベルトと有理がどんな種類の人間かわかってはいても、多少羞恥心に欠ける行為は容
易に慣れないらしい。
クスクスと声を洩らして笑っているのは、桐山が見た限り、朋幸ぐらいだ。
「――イタリアにいる間、お前との挨拶を『あれ』にしてみるか?」
桐山のほうに身を乗り出して、朋幸がそんなことを囁いてくる。
「……本気でおっしゃっているのですか」
「お前がいいというなら、考えてみる」
「あなたの特別な姿を、わたしは誰にも見せる気はありませんよ」
声を潜めているとはいえ、こんな会話を人目があるところで交わすということは、海外にいるという
開放感と、目の前の派手なカップルに毒されているのかもしれない。
朋幸は、クスクスどころか、くっくと声を洩らして笑っている。
「……よくお笑いになられて、結構なことです」
思わず桐山は、ため息交じりに洩らす。
にぎやかな男も加わっての夕食のあと、桐山は朋幸とホテルの近辺を散歩するつもりだったが、レス
トランを出たところで、予定は狂うことになる。
桐山が朋幸に声をかけるより先に、当の桐山に声をかけてきた人物がいたからだ。ロベルトだ。
「なんだ」
朋幸に悪影響を与える男に対して、少しばかり傍迷惑だという雰囲気を漂わせてみたが、もちろん通じない。それどころか、これ以上ないほどの甘い笑みを浮かべている。
「ちょっと話したいことがあるんだ。――桐山と二人で」
ウィンクまで寄越され、それについては意図して視界から追い払う。
「大事な話」
「大事? お前とわたしの間で、そんな事案があったか」
「あるんだよ」
大仰に頷かれ、桐山はつい朋幸に視線を向ける。そちらはすでに、有理が朋幸の腕を取って何か話し
ている。
桐山の視線に気づいたように朋幸がこちらを見て、歩み寄ってきた。
「桐山、先に有理と、自分の部屋に戻っている。お前は、ゆっくりとロベルトと話してくれ」
ゆっくり、という単語にやけに力が込められたような気がする。
そのことを指摘したい衝動に駆られたが、さらに朋幸に言われた。
「何か甘いものが食べたい。お前の好みで買って、部屋に持ってきてくれ」
赤みがかった髪を揺らしながら、有理があっという間に朋幸の腕を取り、引っ張って行ってしまう。
桐山の隣に立ったロベルトが、嬉しそうにそんな二人にヒラヒラと手を振って見送っていた。
「……意図してやっているのか……。この男も、あの子も」
まるで悪意を持って、自分と朋幸の邪魔をしているようだ。
そう思った桐山だが、最大限の理性をもって疑問をぶつけるのはやめておく。ただし、独りごちるこ
とは止められなかった。
それから、冷めた視線を隣のイタリア男に向ける。
「――それで、大事な話というのはなんだ」
「やだなあ。あのことだよ、あのこと」
答えになっていないロベルトの答えに、桐山は眉をひそめる。
「あのこと?」
「おれは約束は守る男だよ」
ロベルトに意味深に笑いかけられ、肩を叩かれる。
半ば強引に歩かされながら、桐山は朋幸が気になって振り返ったが、すでに朋幸と有理の姿は見えな
なかった。
あっさりと見捨てられたらしい。
苦々しいものを感じながら、桐山は横目でロベルトを睨みつける。
「……お前、つまらない話だったら承知しないからな」
「俺の話を聞いたら、桐山はきっと感謝するよ」
そんなことがありうるのだろうかと思いながらも、仕方なく桐山はロベルトにつき合い、ホテルのコ
ーヒーラウンジへと入る。
コーヒーが運ばれてくるまでの間、ロベルトの世間話を適当に聞き流しながら、桐山は眼鏡を外して
レンズをハンカチで拭く。
「桐山っ」
急にロベルトが驚いたような声を発し、何事かと桐山は目を細めて正面を見る。
「なんだ、突然大きな声を出して」
「いや、眼鏡を外した桐山が――」
「わたしが、どうした」
「けっこうイイ男だと思って」
桐山は答えず、何事もなかったように眼鏡をかけてハンカチを仕舞う。
「……照れた?」
「用がないなら部屋に戻るぞ」
にんまりと笑ったロベルトが、隣のソファに置いたアタッシェケースを開き、ごそごそと何か探し始める。
落ち着きのない男だと思いながら桐山がカップに口をつけたとき、いきなりテーブルの上に何かが置
かれた。
動きを止めて見入った桐山は、次の瞬間にはロベルトを睨みつけていた。
「お前っ……」
相変わらずロベルトはニヤニヤと笑っている。
「言っただろ。桐山にも画像を印刷してあげるって」
カップを置いた桐山は改めて、ロベルトがテーブルの上に置いたものを見下ろす。指先で軽く広げて
みた。
デジカメで撮った写真だ。しかも、そこに写っているのは――。
身を寄せ合うようにして朋幸と有理が眠っているものもあれば、気を利かせたつもりなのか、朋幸の
寝顔だけがアップになっているものもある。それに、キスしそうなほど寄せられた二人の顔も。
微笑ましいとか艶かしいとか、そういった感情よりも、ロベルトがどんな顔をしてこの画像を印刷し
たのか想像してみて、心底呆れた。
「……お前は、他にやることがないのか」
「何それ。労働に対するねぎらいの言葉とかないわけ?」
あるわけないだろう、と心の中で呟いてから、桐山は写真をまとめてロベルトにつき返す。
「――燃やせ」
「えー」
「気持ち悪い声を出すな」
「でも、今ここで燃やせないよ」
「だったらシュレッダーにかけろ。ホテルで使わせてくれるだろう」
頑なに桐山が言い張ると、意味深にロベルトがこちらを見る。
「どうしても細切れにしろと言うなら、桐山がやってよ」
「なぜわたしが、そんなこと――」
「だって俺には、可愛い恋人が写っている写真をバラバラにするなんてできないよ。……桐山はできる
みたいだけど」
ヌケヌケと、と心の中で毒づいて、桐山はロベルトの手から写真を奪い返す。素早く写真の中から数
枚を取り除き、残りをロベルトに押しやった。
ロベルトは自分のところに戻ってきた写真を眺めてから、満足そうに笑う。
「朋幸のアップはくれないわけだ」
「当たり前だ」
桐山は写真をジャケットのポケットに入れて立ち上がるが、なぜかロベルトも倣った。露骨に顔をし
かめてみせると、ロベルトは肩をすくめた。
「朋幸の部屋に有理がいるんだろ。なら、迎えに行かないと。あっ、その前に桐山は、頼まれた買い物
があるんだよね。――つき合ってあげるよ」
やけに恩着せがましい言葉が気に障ったが、ロベルトの相手をすることに少々桐山は疲れていた。
「……好きにしろ」
かなり不本意だが、ロベルトと連れ立って、ホテル内にあるショップの一つに立ち寄り、朋幸が好み
そうなチョコレートの詰め合わせを頼む。
ついでなので、もう一箱同じものを買って、ロベルトに押し付けた。
「有理が喜ぶよ。チョコレート好きなんだ」
「それはよかった」
気のない返事を返して、桐山はロベルトとともにエレベーターに乗り込む。
二人で朋幸の部屋の前まで移動すると、ベルを鳴らす。顔を出したのは有理だった。
思わず桐山がほっとしたのは、有理が昨夜のようにパジャマの上からガウンを羽織った格好ではなく、
さきほど別れたときのままの服装だったことだ。
桐山と目が合うと、有理はどういう意味かにっこりと笑った。
なんとなく、今夜は朋幸を一人占めしなかったから安心して、と言われた気がした桐山は、眼鏡の中
央を押し上げて一瞬の表情を隠す。
「迎えにきたよ」
ロベルトが甘く囁き、軽く有理を抱き締める。
桐山が冷ややかな眼差しを向けると、すぐに気づいた有理が室内を指さした。
「朋幸さんなら、寝室だよ」
その言葉にわずかに眉を動かした桐山に、有理はやけに色っぽい流し目を寄越してきた。
「そんな怖い顔しなくても、変なことしてないよ」
桐山は有理の肩を掴むと、ロベルトのほうに押し出す。
「さっさと自分たちの部屋に戻れ」
このとき二人がどんな表情をしたのかも見ず、さっさとドアを閉める。
大きく息を吐き出した桐山は寝室に向かいながらジャケットの前を開き、ネクタイを緩める。
寝室のドアが開いていたので室内を覗いてみると、ベッドの上に朋幸が横になっていた。
気分が悪いのかと、桐山は慌てて寝室に入り、ベッドの上の朋幸の顔を覗き込む。
騒々しい気配に驚いたのか、朋幸がパッと目を開き、桐山を見上げてくる。ただ、いつもは凛然とし
ている瞳は、少し焦点が怪しい。
桐山はそっと微笑みかけた。
「申し訳ありません。起こしてしまいましたか」
「いや、いい……。ちょっとウトウトしただけだから」
わずかに頭を起こした朋幸は髪を掻き上げながら辺りを見回す。
「彼なら、ロベルトと一緒に部屋に戻りましたよ」
「……なんだ、そうか」
そう言って朋幸は再びベッドに転がり、桐山に笑いかけてきた。
「また一緒に飲もうかと話していたんだ」
「二人で?」
桐山のさり気ない問いかけに、朋幸は軽く首を竦めてから片手を伸ばしてきた。頬に触れられ、桐山
はその手の上から自分の手を重ねる。
「冗談だ。今夜はきちんと、お互いの部屋で寝ようと相談してた。でも……妬けたか?」
「あなたには、この手の質問は答えないようにしているんです。すぐにわたしを試しますから」
「ひどい言われようだな。……試すまでもないのに」
最初は寝ぼけてぼんやりしていた朋幸の瞳に、妖しい光が灯る。
首の後ろに手が移動して軽く頭を引き寄せられると、桐山はチョコレートの箱を枕元に置いてから朋
幸の上に覆い被さった。
啄むように朋幸の唇にキスすると、クスクスとくすぐったそうな笑い声が上がる。
「――明日は、年越しをみんなで祝うんだ。一晩中騒ぐと有理と約束した」
「もちろんわたしも、おつき合いしますよ」
「だから今夜は、お前と二人で過ごすんだ」
桐山は唇を離し、白く小さな朋幸の顔を見下ろす。両手を伸ばした朋幸に眼鏡を取り上げられ、サイ
ドテーブルに置かれる。
「……で、わたしを待ちながら、気持ちよさそうに居眠りされていたんですか?」
「お前が起こしてくれるとわかっていたからな」
可愛い傲慢さに、桐山は唇を綻ばせる。
もう一度朋幸の唇を塞ごうとした桐山だが、あることを思い出して体を起こす。朋幸が微かに首を傾
げた。
「どうした?」
「いえ……」
桐山はジャケットのポケットから、さきほどロベルトから奪い取った写真を取り出して、朋幸に手渡
す。ライトをつけてやると、朋幸は横になったまま写真を眺めた。
「ぼくの写真?」
「ロベルトが昨夜撮ったものですよ。あなたと有理が、このベッドで一緒に眠っているのを見て、おも
しろがって」
「お前も?」
意味深に笑いかけられ、桐山は少し居心地の悪い思いをする。
「……わたしは、止めましたよ。まさかデジカメの画像を印刷してくるとは思いませんでしたけど」
「で、ロベルトから巻き上げてきたのか」
「人聞きが悪いですよ。取り戻してきただけです。あなたの姿は、あなたのものですから。ロベルトは
シュレッダーにかければいいと言いましたけど、それはわたしにはできかねますし」
ふーん、と洩らした朋幸が体を起こし、桐山の肩にしなだれかかってきた。
「でも、お前にしてはツメが甘い対応だな」
「どういう意味です?」
「画像が残っていたら、いくらでもまた印刷できる。お前がムキになって写真を取り上げようが」
このとき自分がどんな顔をしたのかわからないが、朋幸は腹を抱えてベッドの上で笑い転げる。
あまりに楽しげに笑うので、実はもうアルコールが入っているのではないかと、一瞬桐山は疑ったぐ
らいだ。
心配になって薄い肩に手をかけたところで、ベッドの上に座り直した朋幸が写真を差し出してきた。
「ぼくの写真なんて、持っていたくないか?」
「そういうわけではっ……。ただ――」
「ただ?」
自分たちの関係で、朋幸が主導権を握っていると感じるのは、こういうときだ。
目の前のほっそりとして品のいい青年に問われると、どんなに自分にとって都合が悪いことであって
も、答えてしまうのだ。
「あなたの写真を密かにわたしが持っていると知って、あなたが想像するのではないかと思ったのです」
「……どんなことをだ?」
そう囁いてから、朋幸が甘えるように肩にすり寄ってくる。数秒後には、前を開いていたジャケット
が肩から落とされ、ワイシャツ越しに朋幸の体温を感じる。
ゾクゾクとするような興奮を覚え、桐山は朋幸の腰に片腕を回した。
「あなたの写真を見て、わたしが不埒な欲望を抱いている場面を」
「実際のところはどうだ?」
無邪気な顔で、どういう質問をしてくれるのかと、桐山は思わず苦笑を洩らす。
「あー、笑って誤魔化そうとしているな」
桐山は朋幸のあごをそっと持ち上げると、唇を塞ぐ。
キスが熱を帯びてきて、朋幸の手から写真が落ちる。シーツの合間に紛れ込んだのか、ベッドの下へ
と落ちたのか、そこまでは桐山も確認しなかった。
朋幸をベッドの上に押し倒し、しなやかな体を自分の下に敷き込む。
「写真は、わたしが預かっておきます」
朋幸の着ているセーターを脱がしながら囁くと、艶然と微笑まれた。
「お前がぼくの写真を持っていて、ぼくがお前の写真を持ってないというのも、公平じゃないな」
「旅行中、一緒に写真を取る機会ぐらい、いくらでもありますよ」
それもそうだな、と安堵したように朋幸が洩らし、甘い吐息に誘われるように、桐山はもう一度唇に
キスした。
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