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6月期間限定
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 猛烈に居心地が悪い――。
 頼んだコーヒーの味もわからないほど、白井秀穂の意識は目の前の光景にがっちりと固定され ていた。
 同じテーブルを囲んでいるはずなのに、そこは別世界だった。
 テーブルについているのは、秀穂を含めて男 ばかり四人。内三人はしっかりとスーツを着込んでいるため、大半が女性客というこのカフェでは、ある意味、悪目立ちするグル ープといってもいい。
 しかし実際は、店内のどのテーブルよりも華やかで強烈な存在感を放ち、嫌になるほど人目を惹いて いた。自分以外の〈彼ら〉が。
「わたしも詳しいわけではありませんが、秘書課の女の子たちから聞いた話だと、いいお店が たくさんあるそうですよ」
「ありすぎて、目移りするな」
「あっ、この店、いいブランド揃えてあるんだよ」
 開い たガイドブックに顔を寄せた三人が、口々に意見を言い合っている。巨大な商業施設だけあって、行きたい場所の見当をつけるだ けでも大変だ。もう十分ほど、三人は真剣に、だけど楽しそうにこんなやり取りを続けていた。
 秀穂は、インフォメーショ ンカウンターでもらってきたパンフレットを開き、漫然と眺める。とにかく広い。インテリアや雑貨を扱うフロアの広さにうんざ りするが、さらに、そのフロアに入っているショップの数にめまいがしてくる。
 買い物につき合うと気軽に言ってしまった が、今になって秀穂は、自分の発言に少しばかり後悔しかけていた。
 女の買い物につき合う男の野暮ったさと間の抜けっぷ りには、微笑ましさを覚える性質の秀穂だが、今まさに、秀穂自身が似た境遇に置かれようとしている。
 パンフレットを閉 じると、テーブルに片肘をつく。パンフレットを眺めるより、目の前の三人を眺めているほうが、遥かにおもしろい。
「おれ さー、朋幸さんに声かけてもらわなかったら、本気で商品券でも贈ろうかと思ってたんだ。年上の女の人に何贈ったら喜んでくれ るかなんて、わかんないよ」
 そう言って、猫みたいなしどけない仕草で赤い髪を掻き上げたのは、巽有理というモデルの青 年だ。四人の中で唯一スーツを着ていないのが彼で、細身のジーンズに、しなやかな体の線がよくわかる長袖のTシャツという格 好だ。
 仕草だけでなく、蠢惑的な顔立ちも猫を連想させ、特に、気の強そうな目が印象的だ。表情の一つ一つに挑発的な色 気が漂うが、そのくせ他愛ないことによく笑う。二十代前半というには、面食らうほど笑顔は無邪気で、まるで子供だ。
 そ の有理が、隣の青年の肩にしなだれかかる。有理の赤い髪に対して、こちらはこれ以上ない漆黒の艶やかな髪をしている。
  有理より少し年上の彼は、本澤朋幸という。出自や現在の肩書きやら、秀穂はいろいろ知っているが、そんな予備知識がなくても、 彼が放つ存在感の鮮烈さは誰の目にも明らかだった。
 顔立ちは端麗をきわめており、いかにも品がよさそうな空気をまとっ ている。あまりに端然とした佇まいに、どこか人形のような無機質さすら感じるが、ときおり見せる笑みは、匂い立つような艶や かさがある。
 こんな外見を持っていて、内面にはおそろしく冷徹な部分を持っているのだ。かつて朋幸と、仕事で関わりを 持ったことがある秀穂は、彼のその部分に触れている。
 冷徹さすら魅力に変えるのは、本澤朋幸の人間としての底の深さか もしれない。
「それを言うなら、ぼくも同じだな。部下の女性に何を贈るかなんて、こんなに真剣に悩んだのは初めてだ」
 その朋幸が笑いかけた先にいるのが、久坂和哉――秀穂の大事な恋人だ。
「本当に偶然でしたね。お二人とも、女性へ の結婚祝いで悩んでいらしたなんて。まさかわたしも、アドバイスを求めて、こんなことになるなんて思いもしませんでした」
 茶色の髪をさらっと揺らして和哉が応じる。他の二人の圧倒的な存在感の前では少々控えめな印象になってしまうが、それ でも、和哉も十分に人目を惹く顔立ちをしていた。
 髪の色と同じ、茶色の瞳を持つ目は大きく、顔立ちは男とは思えないほ ど繊細だ。小動物めいた愛らしさを持っているが、これでも、有理や朋幸よりわずかとはいえ年上で、老成していると言われるこ との多い秀穂と同い年だ。
 社会的に見れば、三人は立場はそれぞれ違っており、対等とは言いがたいのだが、仕事を離れて しまえば友人同士だ。三人とも実に楽しそうで、その三人を眺めている秀穂も楽しくなってくる。
 今の秀穂の立場は、端的 にいうなら三人の〈お目付け役〉だ。この、目立つ青年たちに、トラブルなく安全に買い物をさせるのが任務だった。
 本当 は、和哉の恋人として、何食わぬ顔で付き添ってきたのだが、彼らの様子を見ていると、そんなことはいっていられない。
「まあ、とにかく、インテリアのフロアに行ってみよう」
 自然な流れで三人の中でリーダーのような立場になっている朋幸 の言葉に、他の二人が頷く。次の瞬間、三人の視線が一斉に秀穂に向いた。
 一瞬臆した秀穂も遅れて頷き、テーブル上の伝 票を取り上げようとしたが、わずかに、朋幸のほうが早かった。目が合うと、品よく笑いかけられる。
「ワリカンで」
  その言葉で、朋幸の気持ちは理解した。
 あくまで今この時間を、友人たちと対等な関係で楽しみたいと思っているのだ。朋 幸の方針を知っているらしく、すでに和哉と有理は財布を取り出しており、秀穂も倣う。このとき和哉と目が合ったが、そっと笑 いかけられた。
 数日前、眉間にシワを寄せて悩んでいたことを思えば、和哉も今は楽しそうにしているので、買い物の付き 添いぐらい、お安い御用だといわざるをえないだろう。
 内心で頷きつつ秀穂が思い返すのは、男ばかり四人で買い物に出か けることとなった理由だった。




 秀穂と和哉は、大学時代からのつき合いだ。入学式で和哉の世話を焼いたのがきっかけで親しくなった。学部どころかゼミも同 じだったこともあり、大学の四年間を、ほぼ一緒に過ごした。
 長身の秀穂と、小柄な和哉が常に連れ立って歩く姿は有名だ ったと、卒業してから同期の友人たちに聞かされたとき、秀穂の隣で和哉は顔を真っ赤にしていた。その姿を見たとき、ずっとこ の存在を大事に守っていきたいと思ったものだ。
 そして、親友から恋人へと関係が変化して、住んでいた場所も変化した。
 最初は和哉のマンションから一駅分離れていた場所に住んでいたが、秀穂が和哉と同じマンションに引っ越して、その後、 広めのマンションを借りて、二人は同居している。
 じっくり顔を合わせられるのは、夜か休みの日ぐらいだが、それでも楽 しい毎日だ。
 たまに起こるトラブルも、深刻でない分、いい刺激になっている――。
 何度目かになる和哉の小さな唸 り声を聞いて、たまらず秀穂は噴き出す。どんな小動物がこんな声で鳴くのだろうかと想像したら、聞こえないふりができなくな った。
 ソファに仰向けで転がって読んでいた文庫を閉じ、片手を伸ばして和哉の髪をくしゃくしゃと掻き乱す。
「さっ きから、何を唸ってるんだ。もしかして、深刻な悩みか?」
 床の上に座り込み、カタログを開いていた和哉が振り返る。怒 ったような顔で睨みつけられたが、まったく怖くない。むしろ、微笑ましい。
 無愛想を自認する秀穂が、思わず表情を綻ば せてしまうぐらいに。
「秀穂、ぼくに任せっきりで、安心してるだろう……」
「何が――って、ああ、もしかして、〈あ れ〉か?」
「そうだよっ」
 乱暴にカタログが押し付けられ、体を起こしてから眺める。男所帯には不似合いな、可愛い 雑貨の写真が表紙に掲載されていた。
「……わざわざ買ってきたのか」
「インターネットであちこちのサイトも見たんだ けど、一応。そのカタログだったら、どの商品が、どのショップで売っているか載っているし、いいかなと思って」
 ふーん、 と声を洩らして、秀穂はパラパラとカタログをめくる。雑貨だけかと思ったら、インテリア用品やキッチン雑貨といったものから、 デザートまで掲載されている。これは確かに、眺めているだけで和哉が唸り声を洩らすはずだ。
「これだけあると、目移りす るな……」
「だろ? 秀穂もまじめに考えてよ」
「いや、俺、こういうの選ぶの苦手だ。お前秘書なんだから、贈り物を 選ぶのは慣れてるんじゃないのか」
 途端に和哉が唇を尖らせる。こんな表情をする和哉が、本当に重役秘書を勤めているの かと、いまだに秀穂は信じられなくなるときがある。
「仕事と、気心が知れた友達に贈るのとは、全然違うよ」
「まあ、 なー」
 二人が何を言い合っているかというと、今月結婚する大学時代からの女友達への結婚祝いについてだ。
 挙式が 近いため、そろそろ何を贈るか決めないといけないのだが、何しろ秀穂も和哉も忙しい。早くしないと、と言っているうちにズル ズルと日が経ち、今になって焦っている状況だ。
 社会人数年目ともなると、友人の結婚式に出席する機会も何度かあったが、 あくまで新郎側の友人という形であったため、結婚祝いを選ぶのも気楽だったのだ。しかし、数少ない女友達に何か贈るとなると、 妙に身構えてしまう。
「……お前、同僚の女の子から、いろいろ話を聞けないのか? こういうものをもらいたい、とか」
 また小さく唸った和哉が、何かを決心したようにグイッと身を乗り出してくる。
「――秀穂」
「なんだよ、急に怖 い顔して……」
「カタログで選ぶという不精はやめて、一緒に買いに行こうよ。やっぱり、実物を見て触って選ぶのがいいと 思うんだ。秘書課の女の子には、どこに行ったらいいか教えてもらってるから」
 秀穂は顔をしかめ、口元に手をやる。
「さっき言っただろう。俺、そういうの苦手なんだよ。あれこれ考えすぎて、結局何も選べなくなるっていうか」
「大丈夫、 ぼくが選ぶから」
「それなら、お前一人で行ったほうが――」
 ここまで言いかけた秀穂は、和哉に恨みがましい視線を 向けられているのに気づく。
「……すまん。お前も忙しいのに、押し付けようとした」
「最後まで言ったら、殴ってやろ うと思ったのに」
 そう言って和哉が握った拳を見せてくれる。頼りない拳だなと思いながら、秀穂は笑って和哉の拳を握り、 指を開いてやる。男のものとは思えない柔らかな和哉の手を握り締めた。
「挙式の一週間前には届けたいから、今週中に買い に行かないと間に合わないな。そうなると、仕事終わりにどこで待ち合わせないといけないってことか」
「時間、都合つく?」
 ついさっき、殴ってやるなどと勇ましいことを言っていた和哉が、今は不安そうに顔を覗き込んでくる。秀穂はそっと表情 を和らげ、和哉の頬を撫でた。
「心配するな。そうだな……、金曜はどうだ?」
 返事の代わりに和哉がパッと目を輝か せる。
 これで、話は決まりだった。
 結婚祝いを買うという理由に託けて、久しぶりに二人で街をぶらぶらと歩くのも いいと、秀穂は思った。
 そう、〈二人〉で――。




 和哉のお人好しぶりを、秀穂はすっかり失念していた。
 秀穂が聞いた話では、和哉が秘書として仕えていると同時に、大 事な友人でもある本澤朋幸も、信頼している女性の部下の結婚祝いに頭を悩ませていたのだという。放っておけなくなった和哉が、 秀穂と一緒に買い物に出かけることを話し、秘書としての義務感からというより、友情から、朋幸を合流させることにしたのだ。
 話はそこで終わらず、和哉と朋幸の他に、結婚祝いのことで頭を悩ませている人間がいた――。
 朋幸とも仲がいいと いうその人物までもが合流することになったのは、もう必然といえるだろう。
 秀穂が今日初めて顔を合わせた有理は、事務 所の女性マネージャーへの結婚祝いにずっと頭を悩ませていたそうで、和哉と朋幸の話に、喜んで同行を申し出たのだという。
 首を傾げ、不安そうに事の成り行きを話す和哉を見ていると、同行者が増えたことに不満げな顔をするなど、秀穂には到底 できなかった。
 和哉が楽しそうに、朋幸や有理と話している姿を見てしまうと、なおさらだ。
 カフェを出た和哉がガ イドブックを見て、方向を示しながら何事か話している。その和哉の手元を覗き込み、朋幸が頷いた。一方の有理は、猫のような 気まぐれさを発揮して、吹き抜けの高い天井を見上げながら歩いている。二人の話をあまり聞いていないようだ。
 そんな有 理に対して、朋幸が柔らかな声で呼びかける。
「ユーリ、上ばかり見て歩いていたら、転ぶよ」
 パッと朋幸を見た有理 が、次の瞬間には朋幸の片腕を取り、自分の腕を絡めた。
「だったら、こうして歩けばいい」
 見た目も麗しい青年同士 が腕を組んで歩くというのは、傍目にはかなり際どい光景だが、当人たちはおろか、和哉にとっても当たり前の行為らしい。平然 としている。
 秀穂としては、非常に目のやり場に困るのだが。
 マイペースの三人を見守るように、秀穂は数歩後ろか らついて歩いていると、三人の交わす会話が聞こえてきた。
「男にはピンとこない感覚だよね。六月の、梅雨で鬱陶しい時期 に、あのズルズルと長いウェディングドレスを着たがるなんて」
 有理の言葉に朋幸が応じる。
「ジューンブライドとい う響きが特別なんじゃないか。六月に結婚した花嫁は幸せになるって言い伝えがあるし」
「他の月はダメなのかな」
「… …まあ、言い伝えですから」
 苦笑交じりに答えたのは和哉だ。
「でも、ジューンブライドとか関係なく、澄川さんには 幸せになってもらいたいよ。いままでおれ、さんざん迷惑かけてきたから」
「それは、ぼくも同じだな。部下とはいっても、 彼女にはよく支えてもらっているんだ」
「わたしの場合は、大学時代からの友人なんです。ぼくは少し引っ込み事案なところ があったんですが、彼女のおかげで友人もたくさんできて。秀穂も、けっこう人間関係に無頓着で、それで誤解を受けていたと ころを、彼女が間に入って解決してくれたことがあったんです。だから秀穂、いまだに彼女には頭が上がらないんですよ」
  へえ、という声が上がったかと思うと、三人が一斉にこちらを振り返る。表情を変えないままうろたえた秀穂は、苦々しい口調で 和哉に言った。
「――……お前、余計なことまで言うなよ」
 その言葉に、三人はそれぞれの容貌を際立たせるような華 やかな笑みを浮かべた。


 一応、秀穂も結婚祝いの品を選ぶつもりではあったのだが、精力的にあちこちのショップを覗いて回る三人についていくうちに、 その気力は萎えてしまった。
 野暮ったい男がついて回ったところで、あまりに場違いな空気に圧倒され、緊張して仕方ない。 しかも、そう感じているのは秀穂だけらしく、他の三人はやたら目立っているくせに、妙に馴染んでいる。
 秀穂は、和哉に 一声かけてから、あちこちのショップの様子が見渡せる位置に置かれた休憩用のイスに腰掛けた。
 どんなものを贈ろうが、 自分のために必死に何かを選んでくれている人がいるというのは、それだけで嬉しい。三人の姿を見ていると、しみじみと秀穂は そう感じる。
 和食器を手にしていた和哉が、ふいにこちらを見る。目が合うと、はにかんだような笑みを向けられた。本当 に嬉しいときに、和哉が見せる表情だ。
 ここで笑い返せるほど器用ではない秀穂は、照れながらわずかに手をあげて応じた。
「――楽しんでいるようですね、三人とも」
 突然、傍らから、驚くような美声をかけられる。一瞬動きを止めた秀穂は、 ぎこちなく傍らを見上げた。
 いつからそこにいたのか、スーツ姿の男が立っていた。息を呑むような容貌を持つその男とは、 初対面ではない。
 眼鏡の中央を押し上げた男の視線がゆっくりと秀穂に向けられる。
 やましい気持ちがあるわけでも ないのに、この男に見つめられると、ひどく緊張してしまう。それはきっと、あまりに鋭い目をしているからだ。いくら眼鏡をか けていようが、これは隠しようがないのだろう。
「いらしたんですか、桐山さん……」
 秀穂が声をかけると、桐山は口 元に薄い笑みを見せる。
「あの方のことは、久坂に任せるつもりだったんですが、予定より仕事が早く終わったうえに、タイ ミングよく、携帯にメールが届いたんです」
「メール?」
「この場所にいると、朋幸さんから」
 秀穂は、反射的に 朋幸のほうに視線を向ける。相変わらず、じゃれつく猫のような有理を腕にまといつかせたまま、朋幸は漆器を眺めていた。
 仕事中、冷徹そのものである補佐の桐山とほぼ行動をともにしていて、仕事後も、その桐山に居場所を知らせる彼の律儀さはど こからくるのだろうかと、つい考えてしまう。職務だとか義務感とか、そういう堅苦しい感情からではないことだけは確かだと、 秀穂は根拠もなく確信していた。
 いや、根拠はあるかもしれない――。
 朋幸を見つめる桐山の眼差しが、ふっと優し くなる瞬間を見て、秀穂は親近感を覚える。秀穂自身が、和哉を見るとき、きっとこんな目をしていると思ったからだ。
「隣、 座りませんか?」
 秀穂が声をかけると、頷いた桐山が隣のイスに腰掛ける。
 互いに沈黙して、多少気まずい時間を過 ごすことになるかと思ったが、意外にも、すぐに桐山のほうから話しかけてくれた。
「話すのは初めてじゃないですが、こう して二人だけで話すのは初めてですね」
「……初めてお会いしたのは、あの〈事件〉以来ですか……」
 丹羽商事が巻き 込まれた脱税事件の査察に、秀穂は国税局の人間として関わり、このとき、丹羽商事側の人間である朋幸と接触したのだ。その朋 幸の隣には桐山がいて、今とは違った厳しい顔をしていた。
 そして二度目の接触が、今のこの状況だ。あのときの緊迫感と の落差に、肩から力が抜けて笑えてくる。
 桐山は、あの事件のことは話したくないらしく、すぐに話題を変えた。
「久 坂も、結婚祝いを買う用があったみたいですね。朋幸さんは、部下の女性社員に贈ると張り切っているんですよ。部下は大勢いま すから、普段はこの手のことは我々に任せきりなんですが、彼女の場合は、いろいろと仕事で尽力してくれて、朋幸さんも頼りに していますから、これぐらいの特別扱いは大目に見てくれと言ってました」
 寡黙なイメージがある桐山だが、朋幸の話題だ と意外に饒舌だ。なんとなく、自分に通じるものを感じ、秀穂もつい応じていた。
「和哉は――というより、俺たちは、大学 時代からの女友達への結婚祝いを買うつもりです。もっとも、俺はこういうことはさっぱりなんで、和哉に任せきりです」
「わたしも、久坂にはよく世話になっています」
 どういう意味かと、秀穂が隣を見ると、桐山の視線はまっすぐ朋幸に向い ていた。こういう状況でも、片時も目が離せないらしい。
「仕事のつき合いがある相手に贈り物をするとき、久坂に吟味を頼 んでいるんです。武骨なわたしが選ぶより、確実にいいものを選んでくれますから」
 どこから見ても洗練されている桐山が 言うと単なる謙遜のようでもあるが、口調からして、和哉の仕事ぶりを買ってくれていることだけは確かだ。
 和哉は職場環 境に恵まれているようだ。仕事を評価してくれる人間の元で働くのは、楽しいものだ。
 しかも側には、友人でもある朋幸が いる。
 桐山に倣って、秀穂も朋幸に視線を向ける。いつの間にか有理はいなくなり、今は朋幸と和哉が顔を寄せ合って、笑 いながら何か話している。
 スーツ姿の男同士が話しているだけなのに、なぜか表情が綻んでしまう光景だ。それは桐山も同 じらしく、酷薄そうに引き結ばれているイメージがある唇が、微かに緩んでいた。
 桐山の向ける眼差しに感応したように、 ふと朋幸がこちらを見た。いままで桐山の存在に気づいていなかったらしく、涼しげな双眸が驚きに見開かれたあと、パッと花が 開くような笑みを浮かべた。
 いい表情だと思った秀穂だが、それ以上に、朋幸の笑みに応える桐山の、優しい表情が印象的 だ。
 朋幸が大事でたまらない。そんな率直な気持ちが伝わってくる表情だった。
 桐山という男のことはよくわからな いが、桐山が朋幸に向ける気持ちはわかる気がした。
 きっと多分、秀穂が和哉に向ける気持ちと、大差はないはずだ。


 一時間ほどかけて結婚祝いの品を選んだ和哉と朋幸と有理の三人は、非常に満足そうだった。一方、ただ待っているだけだった 秀穂も、それなりに満足していた。おそらく桐山も。
「何を買われたんですか?」
 エレベーターを待っていると、朋幸 の手から大きめの紙袋を受け取りながら桐山が問いかける。
 さきほどまで、秀穂と桐山は並んで腰掛けて三人の買い物が済 むのを待っていたが、いつの間にか朋幸の姿が見えなくなり、戻ってきたときには、箱の入った紙袋を抱えていたのだ。そのため 桐山も秀穂も、朋幸が何を買ったのか見ていない。
「インテリアライトだ。部屋の雰囲気もあるだろうから、あまり大きくな いものを」
「きっと喜んでくれますよ」
「だといいがな。あまり、自分のセンスには自信がない……」
「あなたのセ ンスは、わたしが保証します」
 くすぐったくなるような会話を聞きつつ、秀穂は和哉を見下ろす。こちらは、わざわざ持っ てやるほどの大きな荷物は抱えていない。
「お前は何買ったんだ」
「ペアグラス。二人とも、お酒飲むの好きだから、い くつあっても困らないかと思って」
「ああ、なるほど。そりゃいいな」
 秀穂の言葉に、和哉がほっとしたような笑みを こぼす。いつもの条件反射で、そんな和哉の頭に手を置いたとき、背後で派手なぼやき声が上がった。
「いいなあ、朋幸さん にも、久坂さんにも、付き添いがいて」
 ドキリとした秀穂は咄嗟に手を引いてしまう。しかし、うろたえたのは秀穂だけで、 他の三人は笑っていた。
「ユーリ、ロベルトにはメールしたんだろう?」
「したよ。だけど、桐山さんみたいに、風のよ うに飛んできてくれなかった」
 恨みがましげに言う有理に対して、朋幸の答えは実に大人だった。
「ロベルトが、好き でユーリを放っておくわけないだろう。きっと仕事で忙しいんだよ。いまごろロベルトも、やきもきしてるよ」
 有理の表情 が一気に輝き、片腕に荷物を抱えながら、もう片方の腕を朋幸の腕に絡めた。応じるように朋幸が、有理の赤い髪に指を絡める。
「もう、機嫌が直ったのか?」
「……どうだろう」
 本心からの言葉でないのは、照れたように赤くなる有理の顔色 が物語っている。
 秘匿の関係ではないということで、秀穂は和哉から聞かされて知っているが、有理と、今名前が出たロベ ルトという人物は、恋人関係なのだそうだ。しかも、男同士で。
 思わず和哉を見ると、ちらりと笑って返された。
「そ れで、有理は何を買ったんだ」
 朋幸の問いかけに、有理は芝居がかった動作で顔を背ける。
「おれに気をつかって、聞 いてくれなくてもいいよ……」
「なら、聞かない」
「もっと粘ってよっ」
「……ユーリこそ、拗ねたふりするなら、 もっと粘らないと」
 朋幸と有理のやり取りに、不思議なおかしさを感じ、秀穂のほうがこっそり顔を背けて笑いを堪えるこ とになる。
「おれは、有名な家具デザイナーの作品集。そういう本を集めるの好きな人だから」
「へえ。ユーリらしくて いいな、それ」
 有理が嬉しそうに笑い、ますます朋幸にしっかりとくっつく。その様子を見て、桐山は眼鏡の中央を押し上 げながら微苦笑を浮かべた。どうやら、有理の過剰なスキンシップはいつものことらしい。
 エレベーターで一階に降りてす ぐ、秀穂はある違和感を感じた。その違和感の正体を、和哉が口にした。
「傘、持っている人がいる……」
 その言葉を 受けたのは桐山だ。
「こちらに来る途中、小雨が降っていたんですが、本降りになったようですね」
「だったら、おれは タクシーで帰らないと」
 朋幸の腕から離れた有理が、くるりと振り返って一同を見回す。意味をわかりかねたように朋幸が 首を傾げた。
「どうしてだ? ぼくと一緒に、桐山の車に乗っていけばいいだろう。送るから」
「いいよ。帰りが遅くな るし」
「ぼくはかまわない。それに、ユーリと一緒に食事しようと思ってたんだ」
 朋幸の言葉に、有理は多少心が動い た素振りを見せたが、ちらりと桐山に視線を向けると、すぐに首を横に振った。
 傍若無人のマイペースのように見えて、有 理はしっかり空気が読めるようだ。秀穂の目には有理が、朋幸に対してというより、桐山に対して気をつかったように見えた。
 朋幸はまだ何か言いたそうにしていたが、桐山に促されると、後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら帰っていった。
「――朋幸さんて、意外に鈍いよねー」
 ぽつりと呟いた有理が、にんまり笑いながらこちらを見る。和哉は穏やかに微 笑んだ。
「それだけ、ユーリくんと一緒にいて楽しいということですよ」
「それはそれで、桐山さんに恨まれそうで怖い んだけどね」
「大丈夫。桐山さんは、分別ある方ですから」
「いやいや。仕事ではそうでも、プライベートともなると、 あの手の人って――」
 和哉と有理が盛り上がっている中、秀穂はやや遠慮しながら割って入る。
「頼むから、俺にもわ かるように話してくれ」
 途端に、二人が顔を見合わせてから噴き出す。
「……なんなんだ」
「なんでもないよ、秀 穂。――それじゃあ、行こうか。ユーリくんも」
 和哉が当然のように声をかけると、有理が驚いたように目を丸くする。
「えっ?」
「送っていきますよ。さっきの室長じゃないですけど、三人でご飯を食べて帰りましょうか」
 このとき 有理が何を考えたのか、秀穂には容易に想像がついた。
 朋幸だけでなく、和哉も鈍い、と――。
 有理は慌てた様子で 手を振り、首も横に振る。
「いいからっ。おれ、タクシーで帰るし。現地解散。ねっ?」
 有理から必死の眼差しを向け られ、反射的に秀穂は頷いてしまう。一方の和哉は、心底残念そうな顔をした。
「でも……」
「本当にいいから。ほら、 タクシー乗り場なんて、すぐそこだし」
 有理が指さした先には、確かにタクシー乗り場が見える。ただし、雨が降っている せいか、けっこうな人が並んでいる。
 和哉はまだ引きとめようとしていたが、あまりに有理に気をつかわせるのも気の毒に 思え、秀穂は和哉の肩にそっと手をかけた。
「あまり無理強いするな。彼が困っているだろう」
 ようやく納得した和哉 が、せめてタクシー乗り場で見送ると言い、三人は移動する。
 有理がタクシー待ちの長い列に加わろうとしたとき、秀穂は ある光景に目を奪われ、思わず足を止めた。
 スーツ姿の男が傘を差してこちらに向かってくるのだが、その姿がひどく目立 っていたのだ。そう感じるのは秀穂だけではないらしく、すでに何人かの人間がちらちらと視線を向けている。
 様になるも のだと、秀穂は内心で感嘆する。
 ものは良さそうだが、比較的地味な色合いのスーツを着ている男だが、さもありなん。男 自身の存在感が華やかすぎる。
 見るからに外国人である、彫りが深く端正な、派手ともいえる顔立ちで、髪は少しくすんだ 感じの金髪だ。長身で、長い手足の堂々とした体躯をしており、どこにいても目立つ外見だ。
「あれっ……」
 ふいに声 を上げたのは和哉だった。秀穂と同じ方向を見ており、派手な外国人の男に気づいたらしい。つられたように有理も二人と同じ方 向を見て、加わったばかりの列から飛び出した。
「ロベルトっ」
 驚いたように声を上げた有理が、次の瞬間にはパッと 駆け出す。すると、外国人の男も長い足で小走りとなりながら傘を畳み、エントランスに入ってきた。
 秀穂は、目の前で起 こった出来事にあ然とする。なんと、有理と外国人の男が、人目も気にせず抱き合ったのだ。
 ただ、状況は理解したつもり だ。
「――……彼はもしかして……」
 傍らに立っている和哉に話しかけると、苦笑しながら頷かれた。
「うん」
 どうやら、有理の恋人であるロベルトで間違いないようだ。
 和哉からは、とにかく派手で奔放で、おもしろいカップ ルだと聞かされていたが、一目見て納得した。
「ああ。確かに派手で、奔放だな。……俺たちには、逆立ちしてもできない」
 ぼそりと秀穂が洩らすと、何を想像したのか、和哉の顔がわずかに赤くなる。急に秀穂も照れくさくなり、和哉の髪をくし ゃくしゃと掻き乱した。
 さんざん抱き合って満足したのか、有理がロベルトを伴って歩み寄ってくる。少し照れた素振りで 和哉が話しかけた。
「よかったですね。迎えに来てもらて」
「うん。なんか、間に合ったみたい」
 和哉以上に照れ た様子で話す有理が、秀穂には微笑ましい。それ以上にロベルトは、赤い髪の恋人を愛しげに見つめ、微笑んでいた。
「もう 帰ったかと思ったけど、念のため来てみたんだ。やっぱり、俺と有理は赤い糸で結ばれているみたいだね。これ以上ない劇的なタ イミングのよさだ」
 秀穂と目が合ったロベルトが、甘い笑みを浮かべて片手を差し出してくる。握手に応じると、ウィンク とともに言われた。
「初めまして。一度会いたいと思っていたんだ。久坂の〈大事な人〉に」
「……はあ」
「今度時 間があるときに、みんなで食事でも。今夜は、この王子様のわがままを聞いてあげるのが先なんで」
 笑みだけでなく、言葉 まで甘い。そんなロベルトの隣で、有理は蕩けそうな表情となっている。不意打ちで恋人が登場したことに喜んでいるのだ。
 挨拶もそこそこに、ロベルトと有理は同じ傘に入り、寄り添うようにして行ってしまう。すっかり甘い空気にあてられた秀穂は、 ただ立ち尽くして見送るだけだ。
「なんというか、ゴージャスって言葉がぴったりの二人だな……」
 隣に立っている和 哉に思わず話しかける。
「そうだね。圧倒されるよね」
「あれだけ目立っているのに、自分たちのことを隠そうとしてな いのは――すごいな」
「……うん」
 今日は、ただ結婚祝いの品を買いに来ただけなのに、非常に貴重な体験をさせても らった気がする。濃い人物たちに会ったというか――。
 くんっとジャケットの裾を引っ張られ、和哉に視線を向ける。
「どうした?」
「用も済んだから、帰ろうか。引っ張り回したから、秀穂、疲れただろう?」
 秀穂はすぐには返事をせ ず、少し勢いの増した雨と、ビルの中を交互に見てから、ぶっきらぼうな口調で提案した。
「どうせだから、この中でメシ食 って帰るか」
「えっ、ぼく、帰ってからすぐに作るけど……」
 バカ、と口中で呟き、照れ隠しに和哉の髪を再びくしゃ くしゃと掻き乱す。
「――せっかくだから、デートして帰るかって言ってるんだ」
「あっ……」
 和哉が小さく声を 洩らしてから、瞬く間に顔を真っ赤にする。その姿に、秀穂は言葉にできない愛しさを感じながら、そっと目を細めた。
「い いか?」
「……うん」
 コクリと頷いた和哉の髪を、秀穂は今度は優しく梳く。
 鬱陶しくてたまらない梅雨時だが、 だからこそ、たまにはこんな時間を持つのもいい。雨音すら優しく心地よく聞こえる。
 秀穂はふと、いまごろ朋幸と桐山、 有理とロベルトも、これからの時間の過ごし方を相談しているのだろうかと思った。
 なんだか幸せではしゃぎたい気持ちに なり、つい表情を綻ばせる。
 そんな秀穂を、和哉は不思議そうな顔で見上げてきてから、砂糖菓子のように甘い笑顔をこぼ した。









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