額にかかる前髪をかき上げた桐山は、キッチンに入ろうとしてふと、鼻先を掠める柔らかな香り
に足を止める。桐山の自宅では異質でしかない、女性ものの香水の香りだ。
微かな香りだが、何かと敏感な『彼』の機嫌を、たかがこんな香りで損ねたくない。そう思いな
がら桐山は、周囲を見回して香りの源を探す。
最初は、会社で女子社員につけられた移り香が、スーツに残っているのかとも思ったが、それな
らもっと早くに気づいたはずだ。それにスーツはクローゼットの中だ。
ここで桐山の視線はテーブルの上に置いてある、まとめられた郵便物に向く。郵便受から取り出
して、そのまま放り出していた。
外でかけているものよりフレームの太い部屋用の眼鏡の中央を押し上げ、桐山は郵便物を確認す
る。大半は、投資や車といったものに関するダイレクトメールなのだが、その中に一通、気になる
白い封筒を見つけた。
手に取り、軽く眉をひそめると、つい室内に置かれた衝立に目を向ける。
手紙の送り主は真文だった。しかしこの封筒の体裁や厚みに、まさか、という気持ちが刺激され、
つい開く。途端に柔らかな香りがさらに立ち上った。
手紙に気に入っている香水をわずかに振りかけるのは、真文好みの趣向だ。
厚みのある二つ折りにされた紙を開くと、桐山は素早く目を通す。
女という生き物は――。思わず苦笑を洩らしてから、手紙をその場に置く。
キッチンに立ち、冷蔵庫から出したペットボトルの水をグラスに注ぐ。一気に飲み干すと、まだ
内から発しつづけている熱がわずかに下がった気がする。
もう一つのグラスにも水を注いでから、そのグラスを手に、衝立の向こうのベッドに戻る。
サイドテーブルのライトのほの明かりによって、ベッドの上の存在がやけに強調されて浮かび上
がっていた。
腰から下に毛布をまとい、うつぶせとなっている朋幸だ。
細身でしなやかな体は下肢の毛布以外は何も身につけておらず、さきほどまでの行為の激しさを
物語るように、浮かび上がる白い背は汗で濡れている。こんな魅力的なものを惜しげもなく見せつ
けられて、冷静でいられる桐山ではなかった。
鎮めたばかりだというのに、バスローブの下の肌がざわつき、筋肉が再び張り詰めていくのを感
じる。
クッションを両腕で抱え込むようにして顔を埋めていた朋幸が、ゆっくりと身じろいで上半身を
反らすようにして起こす。
気だるさと甘さと妖しさ、それでいて普段の凛然としたものもたたえた眼差しが、じっと桐山を
見つめてきた。
「……どうかしたのか?」
掠れた声を発した朋幸が、早く水が欲しいというように、優雅に片腕を差し出す。桐山は口元に
微かな笑みを刻む。
「あなたの姿に見とれていました」
「バカ」
素早くベッドに歩み寄り、朋幸の片手に慎重にグラスを持たせる。本当に喉が渇いていたらしく、
朋幸は艶めかしく喉を上下に動かし、グラスの水を飲み干した。
桐山は眼鏡を外し、空になったグラスと共にサイドテーブルに置く。
ベッドに腰掛けた桐山の片手を、ふいに朋幸に取られた。朋幸は桐山の指先に顔を寄せ、軽く鼻
を鳴らす。
「――乃村真文の匂いだな」
朋幸が上目遣いに見上げてくる。挑発的な眼差しに、桐山はゾクリとする痺れを感じる。
「おわかりになりますか?」
「今日、会社にも来ていたからな。乃村真文からの結婚招待状が。思わせぶりな香水の匂いは、彼
女特有だ」
行くのか? と真顔で尋ねられ、桐山は苦い表情で返す。
「わたしにとっては、笑えない冗談ですよ。おそらく彼女も、本気で来てほしいとは思っていない
でしょう。ちょっとした意趣返しといったところではないでしょうか」
「……意趣返し……。なんだ、恨まれるほどひどい振り方をしたのか」
桐山は意味深に笑って返す。
真文との、電話での殺伐としたやり取りなどを、朋幸にわざわざ報告するつもりはなかった。
「あなたが知る必要のないことです。わたしはもう、あなたにしか目が向けられないのですから」
桐山は、剥き出しとなっている朋幸の背にそっと唇を押し当てながら、サイドテーブルに置いた
時計に視線を向ける。
朋幸の立場上、桐山の部屋に泊めることも、その逆の行為もできない。そのため、どんなに離れ
がたくても、日付が変わる頃には朋幸を部屋に送り届けることにしている。
今日は仕事が早く終わったこともあり、まだゆっくりと過ごせそうだ。
滑らかでしっとりと汗で濡れている肌に、丹念に唇を這わせる。ほんの戯れのつもりだったが、
すぐに桐山は夢中になっていた。
自分はもっと冷めていて、何事にも熱くなれない性質だと思っていたのは、朋幸に出会う前まで
の話だ。本性は、危険なほど独占欲が強く、とんでもなく嫉妬深い男なのだと、朋幸を知るのと同
時に、桐山自身わかっててきていた。
背筋に沿って舌先でそっと舐め上げると、白い背をよじった朋幸が小さく呻き声を洩らした。
誘われていると感じた桐山は、遠慮なく再び朋幸の肉を味わうことにした。
ベッドに乗り上がり、朋幸の下肢を覆う毛布を足元へと押しのける。恥じ入るというより、媚態
を示すように朋幸が逃れようとしたが、すかさず桐山はしなやかな腰に腕を回して引き止める。
「桐山っ……」
振り返った朋幸に真顔で告げる。
「まだ、あなたを貪り足りないのです。お許しください」
朋幸の腰を引き寄せて背後からのしかかる。すかさず朋幸の双丘の間を指先でまさぐる。
熱く潤み、半ば開花しかけた肉の蕾に触れると、朋幸がビクンと下肢を震わせる。
「んっ、んあっ……」
桐山が慎重に指を秘孔に押し込み、すぐに引き抜くと、白濁とした液体がトロッと滴り出てくる。
桐山がさきほどの交歓で、朋幸の奥深くにたっぷり注ぎ込んだものだが、こうして見ると、蕾から
早熟の花弁が覗き、その中から蜜が溢れ出しているような淫靡な光景だ。
桐山は今度は二本の指を、しっかりと付け根まで挿入した。朋幸が喉を震わせて鳴く。
秘孔は蕩けそうなほど柔らかく、肉厚の花弁を思わせる感触が指に絡みつき、吸い付いてくる。
奥に残る潤みを、指をゆっくりと出し入れしながら掻き出す。
「ふっ、くうぅ……ん、あっ、あっ……、桐山ぁ」
指を出し入れする度に、クプッ、チュクッという音がこぼれ出てきて、朋幸の内腿をしとどに濡
らしていく。
「もうそろそろ、よろしいようですね。……また、わたしのものを注ぎ込んでも」
淫らに囁いた途端、朋幸の汗ばんだ背が鮮やかに紅潮していく。
明確な返事は言葉となって返ってはこないが、その反応で十分だった。
バスローブの前を開き、さきほどから熱くなる一方の己のものを握ると、先端を濡れて綻ぶ秘孔
へと押し当てる。
「入りますよ。あなたの中の奥深くに」
クッションにしがみつき、下肢をしどけなくしたまま朋幸が頷く。普段は凛然としている朋幸の
麗しい美貌が、今のこの瞬間、どんな表情に彩られているのか見たい気がするが、それより先に鎮
めるべき欲望がある。
「あんんっ」
秘孔をこじ開け、朋幸の中へと押し入る。最初に開いたときとは違い、適度な柔軟さと潤みを持
った秘孔は従順に桐山の猛ったものを呑み込み、それでいてうねるように締め付けてくる。
「……素敵ですよ、朋幸さん。あなたの中は、とても居心地がいい」
ある程度まで自分のものを含ませると、桐山は朋幸の震える腰を掴んで緩やかに腰を前後に動か
す。
「あっ、あっ、あぁっ、桐、山っ……。気持ち、いい――。そこ、擦られるの、い、ぃ……」
悩ましく朋幸が腰をくねらせる。桐山は自分のものを出し入れしながら、少しずつ秘孔への侵入
を深くしていく。
「よほど感じるのですね。中がヒクヒクと蠢いていますよ。それに――最初のときより、格段に締
まりがきつい」
「違っ……、お前のものが――」
「わたしのものが?」
思わず薄い笑みを浮かべて問い返すと、朋幸は頑是ない子供のような仕草で首を横に振る。
ようやく朋幸の奥深くへと到達し、自分のものを根元まで埋め込んでしまう。全体にきつく締め
付けられ、桐山は大きく吐息を洩らす。
すぐには動かず、朋幸の体に丹念にてのひらを這わせていく。極上の敏感な体は、それだけでも
十分に感じ、反応してくれる。
背筋に沿って指先を這わせると、桐山のものを秘孔に咥え込んだまま、腰を左右に振る。このと
きの秘孔の収縮感が桐山の激しい欲望をいっそう駆り立ててくれる。
「んっ、ふ……、桐山ぁ」
甘い声で名を呼ばれ、桐山は唇に淡い笑みを浮かべる。
この声を聞きたいがために、自分は朋幸に命じられればなんでもするだろうと、よく想像する。
それは、ひどく甘美な悦びを桐山にもたらしてくれる。
うなじを指先でくすぐってから、その指を、顔を横に向けて喘いでいる朋幸の口元に持っていく。
まるで桐山に見せつけるように鮮やかなピンク色の舌が差し出され、指先をペロペロと舐められ
る。触覚的にも視覚的にも、興奮する光景だ。
桐山は、グッと朋幸の秘孔奥深くを、ゆっくりと突き上げる。
甲高い声を上げて鳴いた朋幸の口腔に、半ば強引に二本の指を含ませる。すぐにしっとりとした
柔らかく濡れた口腔の粘膜に指が吸い付く。
興奮しきったものだけでなく、指まで朋幸の敏感な場所に包み込まれ、桐山は感動にも似た悦び
を感じる。
指を吸われる度に、手荒な動きで秘孔を突き上げ、朋幸の腰が奔放に弾む。たまらず、両手で腰
を掴んで動く。
口寂しそうに、朋幸は自分の指を口腔に含む。なんとも淫らがましい姿だと、桐山は思う。
この人は際限なく、自分の欲望を駆り立てる。
桐山は心の中で呟き、思わず苦い笑みを浮かべる。そこまで底のない欲望を抱えた自分を、なん
とも動物的な人間だと感じたのだ。
その動物を御するのは、やはり朋幸しかいない。
気を失うように眠った朋幸をベッドの中に残し、桐山は簡単な仕事を片付けるため離れる。
テーブルの上に置いたままだった真文からの結婚式の案内状を手に取ると、コンロの前に立つ。
火をつけると、案内状をすぐにかざす。
くすぶった煙を立てたかと思うと、すぐに火がついて燃え上がる。ある程度まで燃えてから、シ
ンクに放り出す。
紹介状はあっという間にただの燃えカスとなり、元がなんであったかすら、わからなくなる。焦
げた臭いのおかげで、微かに残っていた真文の香水の香りもなくなっていた。
前髪を掻き上げ、桐山はキッチンにもたれかかる。ふと、真文から電話で言われた言葉を思い出
していた。
『可愛い御曹司を、あなたのエゴで愛し殺す気?』
そんなことをする気はない。電話で桐山はそう言って鼻先で笑ったが、今の自分の姿を冷静に分
析すると、案外大げさな忠告ではないかもしれない。
頭の中は常に、朋幸のことで支配されている。
あの人にとってどうすることが最善で、利益となるか。将来的に敵となりうるのは誰なのか。そ
んな計算ばかりをしている。
もっとも有益なのは、自分という『動物』を遠ざけることかもしれない。もう一人の自分がいれ
ば、必ず朋幸にそう忠告するだろう。
自虐的な考えだが、なんだかおかしくて小さく笑う。
そこに、衝立の向こうから掠れた艶かしい声が上がった。
「――……桐山?」
桐山はすぐにベッドに戻る。
焦点の怪しい目で朋幸が見上げてきて、両腕が伸ばされる。桐山はすぐに抱擁で受け止めた。
「ぼくと二人きりでいるときは、ぼくの許可なく離れるな。どんなときでも」
朋幸から向けられる傲慢ですらある台詞が、桐山にはどんな誉め言葉をかけられるよりも嬉しい。
「――申し訳ありません。まだ少し時間がありますから、お休みください。わたしの腕の中で」
目を細めて朋幸が微笑む。桐山も静かに微笑み返した。
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