と束縛と


- Extra40 -


 意外に喜んでくれているなと、和彦の横顔にそっと視線を送った圭輔は、唇を緩める。
 別荘で男三人、ごろごろと怠惰に過ごすのも勿体なくて、車の渋滞に巻き込まれ、人混みに揉まれるのを覚悟のうえで、和彦を外に連れ出したのだが、とりあえず行動としては間違っていなかったようだ。
 満開となり、これ以上ない見ごろの時期となっているツツジは、人を惹きつける。新緑に覆われた山の一角がピンクや白で彩られている様は、遠目にも声を洩らす鮮やかさだったが、こうして間近で見ると、花に疎い圭輔ですら、素直に感心する素晴らしさだ。
 緩やかとはいえ、山の坂道をのぼることに最初はうんざりしていたが、たまにはこういう健康的な散歩もいいかもしれない。
 汗ばんだ額に張りついた前髪を掻き上げると、こちらを見た和彦が柔らかな笑顔を向けてきた。
「さすがにこう天気がいいと、暑いな」
「ですね。先生を見習って、帽子を被ってくればよかったですよ」
 ここで和彦が足を止め、ふうっと息を吐き出す。すると、和彦の背後をついて歩いていた三田村がすかさず声をかけた。
「先生、大丈夫か?」
 強い気遣いが滲み出た声に、圭輔は薄々事情を察する。前夜、和彦の体に負担となるような行為があったのだろう。
 和彦は苦笑しつつ首を横に振る。
「日ごろ、体を動かしているつもりだが、まだ足りないみたいだな」
 そこに、坂道を下りてきた一団とすれ違い、道の端に避けた拍子に和彦の足元がふらつく。圭輔が案じるまでもなく、三田村が背後からしっかりと肩を掴んで支えた。
 和彦の側にいる間の三田村の献身ぶりは知っているつもりだが、別荘で一緒に過ごしている今は、少し様子が違う。尽くしぶりは相変わらずだが、なんというか――甘い。無表情ではあるのだが、三田村が楽しんで和彦を甘やかしているのが、圭輔には伝わってくるのだ。
 初夏めいた気温の高さよりも、和彦と三田村の間に流れる空気に暑気あたりを起こしそうだと、圭輔は密かに笑みをこぼす。
 開けた場所に出ると、そこは休憩場所となっており、出店もいくつか並んでいる。空いているベンチを見つけて和彦をまず座らせると、圭輔は三田村と手短に打ち合わせをする。
「飲み物を買ってきましょうか」
「だったら俺が行ってくるから、先生を頼む――」
「ソフトクリームがいいな」
 ふいに割って入った和彦の声に、圭輔は目を丸くする。三田村と顔を見合わせてから、ベンチに腰掛けている和彦に目を向けると、いくぶん照れたような表情で言われた。
「……暑くて、冷たいものが欲しくなったんだ」
「いいですね。そう言われると、俺も食べたくなりました」
 そう応じながら三田村を見遣ると、生まじめな顔で頷かれる。
 混み合う売店へと向かう三田村の後ろ姿を眺めつつ、遠慮なく圭輔は和彦の隣に腰を下ろす。帽子を取った和彦が目を細めて周囲のツツジを見回し、圭輔は、そんな和彦を眺める。
「――先生と花を眺めるのは、春の桜のとき以来ですね」
「そうだな。……今のような生活を送るようになってから、やたらと花を眺めている気がする」
「そうなんですか?」
「特に花が好きというわけでもないんだけど、どうしてだか、目にする機会が増えた。それに、よく贈られるようになったし」
「イメージ、ですかね。先生の上品な雰囲気には花が似合うと、みんな思うんでしょう」
 ここで和彦が複雑そうな表情を浮かべ、ちらりと圭輔を見た。
「……煽てても、何もないからな」
「そんなつもりはないですよ。俺としては、先生が楽しんでくれるなら、それでいいです」
「楽しんでは、いる……。君や三田村にずいぶん気をつかってもらっていて、心苦しくもあるんだけど」
 圭輔は声を上げて笑ってしまう。
「先生と一緒にいて、俺も楽しませてもらっているんで、気にしないでください。三田村さんにしても、先生の世話をしていて、ずいぶん嬉しそうですよ」
「三田村は……、本当はぼくのお守りなんてしていていい男じゃないんだけどな。そう言われると、少し複雑な気持ちになる」
 三田村は、現状に不服など感じていないだろうと、確信めいたものが圭輔にはある。運命の相手に出会えて、本人は満足しているのではないだろうか。
 和彦が慎重に考えるのは、複数の男たちの想いを受け入れていることへの、後ろめたさのようなものが関係あるのかもしれない。
 圭輔には、和彦の置かれた甘い地獄のような状況を、わが身に置き換えて想像することはできない。男たちから寄せられる執着や独占欲に、あっという間に窒息してしまいそうだからだ。
 穏やかで優しげな和彦が、ある意味苛烈ともいえる境遇を、しなやかに、したたかに受け入れているのだから、人は見かけによらないと、いまさらなことに感心する。
 和彦と並んでツツジに見入っていると、三田村がソフトクリームを二つ持って戻ってくる。スーツ姿の渋い面構えの男とソフトクリームという組み合わせに、申し訳ないが圭輔は、笑いたくて仕方なかった。
 和彦の反対隣に腰掛けた三田村は、ポケットから缶コーヒーを取り出して飲み始める。すると和彦が、悪戯っぽくソフトクリームを三田村に差し出す。
「三田村、一口食べてみるか?」
 今度こそ圭輔は耐えられず、顔を背けて笑う。一方の和彦と三田村は、微笑ましいやり取りを交わしていた。
「俺は……。全部先生が食べたらいい」
「人目は気にしなくて大丈夫だぞ。さすがにこう暑いと、誰がソフトクリームを食べていたって、妙な目で見られたりしない」
「……先生、早く食べないと、溶けて落ちそうだ」
「だったら、少し舐めるぐらいでも――」
 耳がくすぐったくなりそうだと思いながら圭輔は、ソフトクリームにかぶりついた。
 昼を過ぎ、坂を上がってくる人の数がますます増えてきたこともあって、三人は車へと戻る。三田村が当然のように運転席に回り込もうとしたので、圭輔が制する。
「ここからは、俺が運転をしますよ。三田村さんは、先生と一緒に後ろに乗っていてください」
「いや、それは……」
「護衛というなら、先生の隣にいたほうがいいでしょう。先生も移動の間中、なんだか話しづらそうでしたよ。俺と三田村さんが前に乗っていたから」
 圭輔が強く勧めるより、和彦が嬉しそうに目を輝かせたことのほうが、よほど効果的だ。ようやく三田村は後部座席に乗り込む。
「――……他人が運転する車の後ろに乗るのは、変な感じで、落ち着かない」
 車を発進させてすぐ、三田村がぼそぼそと感想を洩らすと、からかうように和彦が言った。
「去年の今頃、自分で運転したいと訴えていたぼくの気持ちが、少しはわかっただろ。今だって、本当は自分で運転してあちこち行きたいんだ」
「思うだけにしてくれ。先生に何かあったら大変だ」
「言っておくけど、ぼくは運転は上手いんだからな」
「知っている。俺たちが心配しているのは、事故どうこうということじゃないんだ」
 のんびりとした連休だと、背後で交わされる二人の会話を音楽に、圭輔はそんなことを考えていた。
 しかし、二人が他愛ない会話を交わしていたのは始めの頃だけで、いつの間にか和彦は黙り込んでいた。基本的に三田村は、自分から積極的に話しかけるということはなく、つまり車中に沈黙が訪れたのだ。
 和彦はウトウトしているのだろうかと、さりげなくバックミラーに視線を向けた圭輔は、慌てて正面に向き直る。適度に距離を開けてシートに座っていたはずの二人が、いつの間にか肩を寄せ合っている光景を見てしまったからだ。
 一度、後部座席の様子が気になってしまうと、ほんのわずかな気配の揺らぎにすら、神経を尖らせる。こういうのも〈出歯亀〉に入るのだろうかと、くだらないことを考えてしまうのも、意識を逸らすためだ。
 きっと肩を触れ合わせているだけではないだろう。バックミラーに映らないところで、指を絡め合っているかもしれない。
 何事もない顔で車を走らせ続けながらも、暴走したように妄想が頭の中で広がっていく。車中に満ちていく濃密で甘美な空気に、すっかり圭輔はあてられていた。
 これはちょっとした拷問だなと、心の中でひっそりと苦笑を洩らす。
 背後から、さきほどまでの微笑ましい会話とはまったく異質の、聞く者をゾクリとさせるような低い囁き声が届く。独特のハスキーボイスが短く応じ、また沈黙が訪れる。もう一度バックミラーを見ると、三田村が和彦の肩を抱き寄せていた。
 三田村は、いとしげに――まるで宝物にでも触れるように、和彦に触れる。独り占めしたいところを、ぐっと抑え込んでいるかのような手つきにも見える。だがきっと、和彦はそんな三田村がもどかしくて仕方ないだろう。それぐらいの激しさを、和彦は持っている。
 和彦と体の関係にある圭輔の、これは勘だ。
 もっと先生を求めればいいのにと、お節介だと自覚しつつも、圭輔は心の中で三田村にアドバイスをする。
 そんな心の声が聞こえたわけではないだろうが、二人が身じろぐ気配がしたあと、和彦が微かに吐息を洩らしたのが聞こえる。
 車中の空気が、甘美さを増しただけではなく、淫靡さを帯び始めた。









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