サプライズ [Extra 04] Clap  





 自分の腕の中で誰かが眠りにつく瞬間を、こうもリアルに感じたのは初めてかもしれない。
 大橋はゆっくり深く息を吐き出し、腕の中の感触に全意識を集中し続けていた。
 最初は強張っていた藍田の体から次第に体の力が抜けていき、腰に回されている腕が落ちそうになるたびに、すがりつくようにまた回され直す。そのたびに大橋の背筋にはゾクゾクするような疼きが駆け抜けていた。
 さすがに、自分の体を支えている腕が痺れてきたが、藍田の腰と頭にかけた手をまだ外す気にはならない。一度外してしまうと、再びこの男に触れる機会が訪れないような危機感を抱いてしまうのだ。
 非常に、奇妙な構図だった。そんなことは、嫌というほど大橋は自覚している。今の自分たちの姿は、誰がどう見ても奇妙だ。
 夜のホテルの一室、わざわざツインの部屋を取ったというのに、三十を過ぎた男二人が、なぜか狭いベッドの上で抱き合っている。
 普段の大橋であれば、仮に誰かに求められたとすれば、断固として拒否しているだろう。なんといっても大橋には、男を抱き締める趣味はない。
 なのに相手が藍田だと、状況は一変する。
 胸を掻き毟りたくなるような、狂おしく悩ましい感情に、逆らえない。逆らえないまま、藍田をずっと抱き締め続けていた。
 どれぐらいそうしていたか――もしかすると十分も経っていないのかもしれないが、腰に回されていた藍田の腕から力が抜け、解ける。それきり、腰に腕が回されなくなった。どうやら本格的に眠る体勢に入ったらしい。
「藍田……?」
 囁くような声で呼びかけてみたが、藍田はピクリともしない。
 ほっと息を吐き出した大橋は、抱えていた藍田の頭を静かに枕に下ろす。このとき、指に絡みついていた柔らかく艶のある髪を一度だけ梳いてみたが、やはり藍田は反応しない。
 大橋はやや緊張しながら、藍田の寝顔をじっくりと見下ろす。穏やかとはいえないが、静かな寝顔にいくぶん安堵する。
 藍田なら、でかい男に覆い被さられて迷惑だと考えていたとしても不思議ではない。その感情が寝顔に出ていたとしても。だが、少なくとも苦しげではない。
 いまさらながら、密着している部分が熱かった。どうしようもない反応なのか、大橋の精神は高ぶっていた。その反応に体が引きずられている。
 藍田にしてみれば、暑苦しい肉布団だろうなと思うと、知らず知らずのうちに大橋は口元に笑みを浮かべてしまう。それでも藍田は、こうして大橋の下で眠っているのだ。
「……見た目によらず図太い神経してるよな、こいつ」
 藍田の耳にはもう届かないのをいいことに、独りごちる。
 そろそろ藍田の上から退こうと思い、体を起こしかけたところで、大橋は動きを止める。深い寝息を洩らした藍田が顔を横に向けたのだが、このとき、薄ぼんやりとしたライトの明かりに照らされるように、白い首筋が露わになる。
 ほっそりとして華奢な女の首とは違うのだが、それでも大橋は目が離せなくなった。
 藍田は自分と同じ男なのだと、細かい部分で認識するたびに、かえって大橋は、藍田を生々しく意識してしまう気がする。たとえば手だ。いくら長くて細い指をしていたところで、見た目はやはり男の手なのだ。なのに、その手の動きから目が離せなくなる。
 たった今まで強く感じていた体の感触だって、痩せてはいるが華奢さとはまったく別物の、硬い男の体だ。なのに――。
 浴衣の襟元が乱れ、わずかに覗き見える藍田の胸元に視線を移す。なんの変哲もない男の体を見下ろしているだけなのに、体中が熱くなってきて、心臓の鼓動が速くなってくるのだ。
 大橋は、離しかけた体を慎重に藍田の体に重ねる。ただし、体重はかけないよう、細心の注意を払う。
 思う存分、藍田の体を強く抱き締めたいと感じる自分の衝動には、多少の耐性はできた。
 よく眠っている藍田の顔を覗き込み、大橋は冗談交じりで呟く。
「……あんまり熟睡していると、日ごろ俺を苛めてくれた仕返しで、悪戯するぞ、お前」
 確かに藍田は熟睡している。まだ意識があれば、大橋のこんな言葉を聞いたら、すかさず拳か蹴りが飛んでくるだろう。もっとも、そうなっても今なら、大橋の勝ちは目に見えている。
 なんといっても、ツンドラのような男を組み敷いているのだ。形だけは。
 大橋はゆっくりと目を細め、ようやく藍田の上から退き、壁側に体を横たえる。狭いうえに、枕まで藍田に提供しているので、非常に寝にくい環境だ。それでも、藍田の体に布団をかけ、少しだけ自分の体も潜り込ませると、案外悪くないと思えてくるのだ。
 自分の腕を枕代わりにして、隣で眠っている藍田の顔をじっと見つめる。
 ようやく、胸の奥で蠢いていた熱い塊が落ち着いてきたと思った瞬間、布団の下で何げなく藍田の手に触れてしまう。慌てて手を引こうとした大橋だが、身震いしたくなるような興奮が蘇り、動けなくなった。
「お前、本当に、悪戯するぞ……」
「……枕」
 ふいに藍田が声を洩らす。飛び上がるほど驚いた大橋は、目を閉じたままの藍田の顔を凝視した。
「藍田……?」
 たっぷりの冷や汗をかきながら恐る恐る声をかけると、数回目を瞬いた藍田は、結局目を閉じたまま、消え入るような声で言った。
「あんたの枕、取ったままだ。あんたが、眠れない――……」
 ほとんど眠ったような状態でも、律儀な男だ。思わず苦笑を洩らしながら大橋は、囁くような声で応じる。
「気にせず寝ろよ。」
 本当に必要なら、藍田が使っていたベッドの枕を持ってくればいい。そもそも、一緒のベッドで寝る必要がないわけだが。
「……そういう、わけにも、いかない」
 もぞもぞと身じろいだ藍田が体をずらそうとしたが、大橋は慌てて抱き寄せる。ベッドの狭さを忘れているのか、藍田がベッドの端から落ちそうになったのだ。
「あっ……、危ねーな、お前。ほとんど意識ないだろ」
 ここで大橋は我に返り、腕の中の藍田に視線を落とす。結局、一度は体を離したというのに、藍田は再び腕の中に戻ってきたということになる。
 聞いているのかいらないのかわからないが、大橋は冗談めかして言ってみた。
「俺が、お前の肉枕になるというのはどうだ?」
 藍田からの返事はなく、非常に大橋は恥ずかしい思いをすることになる。意識のない奴を相手に、何を必死になっているのかと思ったのだ。
 だが――、自分の提案は実行することにする。
 枕を引き寄せて自分の頭を預けると、藍田には自分の腕を提供する。正直、腕が痺れるだけで、腕枕にいい思い出はない。しかも、提供する先が藍田だ。
「――……何やってるんだ、俺は……」
 ぼやきは、照れ隠しのようなものだ。それに、誰に対するものか、言い訳のように聞こえなくもない。この行為は本意ではない、という言い訳だ。
 だが実際は――。
 すぐ間近にある藍田の顔を眺め、白い額にかかる髪を掻き上げてやる。その手で髪を撫で、そのまま背へと移動させる。薄い浴衣を通して、藍田の背の感触が体温がはっきりと伝わってくる。
 大橋はぐっと手に力を入れ、さらに藍田の体を自分のほうに引き寄せていた。言い訳ができないほどしっかりと片腕で抱き締める。
 体そのものが心臓になったかのように、全身でドクッ、ドクッという鼓動が響き渡っている。ひどく興奮していながら、腕の中の感触が心地いい。
 決して、欲情しているわけではない。
 自分にそう言い聞かせながら大橋は、藍田の髪に顔を埋める。
 他人の体温に――藍田の温かさに、気持ちが柔らかくなっていく。仕事で疲れきり、嫌な話もさんざんして荒んでいた気持ちが潤っていくのが、わかる。
 三十を過ぎた男同士、なんで狭いベッドで抱き合って寝ているのかと、冷静に考えてはいけない。
 藍田だけでなく、大橋も眠気でまともではないのだ。
 言い訳としては、これで今は十分だ。実際、大橋は眠い。
 あくびを洩らしてから、しっかりと藍田の体を抱き締め直す。無意識なのか、藍田の片手が大橋の腰にかかった。
 きっと朝、とんでもないことになると思いながらも、この感触は手放せない。
 ツンドラのような男の感触はあまりに温かくて、胸に甘苦しさが広がっていくのだ。下手な睡眠薬を飲むより効き目がある。
 もう一度あくびをしてから、大橋は低い声で告げた。
「――おやすみ、藍田」
 まだ何か言い足りないが、『いい夢を』と付け加えるのは、さすがにキザすぎる。
 まあいいかと呟き、大橋は藍田の髪に顔を寄せて目を閉じた。










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