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NOBLEなカンケイ
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[1]


 大股でフロアを歩きながら、桐山遼二は手にした書類に目を落としていた。意識しなくても、表情は真剣なものになる。
 広報室が社外秘扱いで発行したもので、現在、丹羽商事に殺到しているマスコミに対する対応マニュアルだ。
 シエナの、丹羽商事に対する補助金の水増し請求・脱税・リベート授受という不祥事が新聞をにぎわせてから、四日が経った。それだけの日数があればマスコミは、丹羽商事内にも騒動があり、シエナの事件と関係していると嗅ぎつける。
 その結果が、丹羽商事の本館・別館ビルの周囲に張り付いているマスコミというわけだ。
 すでに織り込み済みの事態なので、丹羽商事の対応は落ち着いているというより、素っ気ない。いままでのところ広報部の対応は、完璧だといっていいだろう。
 まだあの人を、大々的にマスコミの前に晒すわけにはいかない――。
 今回の不祥事を見事な裁量で乗り越えた直属の上司の名を、桐山は口中で呟く。
 誇らしい気持ちと同時に、疼くような甘い感覚が胸の奥に広がり、鉄壁の無表情がトレードマークである桐山ですら、思わず唇を綻ばせそうになる。
 すかさず理性で抑え込み、気持ちを切り替えるときの癖で、眼鏡の中央を指で押し上げて、再び無表情を取り繕う。
 自分の職場である秘書室に入ると、同僚である久坂がデスクにつき、パソコンに向き合っていた。桐山の姿を見るなり、笑みを向けられる。
「おかえりなさい」
 桐山は広報部から受け取った書類を久坂に渡して指示する。
「この書類をコピーして、社内メールで統括室の部門の各責任者に回しておいてくれ。広報部も念には念を入れる気らしい」
「承知しました」
 受け取った書類に視線を落とした久坂が、すぐに桐山を見上げてくる。
「もしかして、広報部に指示を下したのは――」
 おおよそ二十七歳には見えないほどの童顔で、一見ふわりとした女性的な柔らかい雰囲気と性格の持ち主である久坂だが、仕事に関しては非常に有能だ。それに聡い。
 桐山は軽く頷き、いくぶん声を潜めて答える。
「おそらく会長か、社長だろうな。……わたしが依頼した以上の動きを見せて、朋幸さんを守ろうとしている。マスコミに名前が流れて、警戒されているのだ」
 朋幸の父親はこの丹羽商事の社長で、祖父は丹羽商事も抱えている丹羽グループの会長という肩書きを持っている。いわゆる名門の血筋だ。
 やっぱり、と久坂が洩らす。その言葉の意味をわかりかねた桐山はそっと眉をひそめる。
「何か心当たりがあるのか?」
 丹羽商事の最年少執行役員であり、化学品統括室室長という重い肩書きを持つ朋幸は、その存在そのものが至宝だ。
 そんな朋幸に、どんな小さな傷でもつけないよう守るのが、室長補佐兼秘書という肩書きを持つ桐山の役目であり、使命だ。この仕事に命を懸けているといっても、過言ではない。
 朋幸の秘書について約一年半しか経っておらず、すべてを知るにはまだ時間がかかり、だからこそ、朋幸のどんなことでも知っておきたかった。
 久坂はちらりと室長室に続くドアを見やる。ときどき息抜きに、室長室をふらりと抜け出す朋幸だが、今は在室しているらしい。
「――桐山さんは、海外支社にいらっしゃったので、室長が丹羽商事に入社された当時の騒動はご存じないと思いますが……」
「ひどかったのか?」
 ためらうことなく久坂は頷く。
「室長の出自が出自ですから、ご本人もある程度の覚悟はしてらしたそうですけど、想像以上だったようです。まずは血筋といったことで取り上げられて、そこで今度は室長の外見が注目を浴びて、最後には女性誌の取材までくるようになって……」
 つい最近、朋幸が尾行されるという忌々しい事件があったが、そのときの様子を思い出す。マスコミに追いかけ回された過去は、深い傷を朋幸に残したようだ。
「とにかく一日中神経を張り詰め、それが何日も続きましたから、とうとう室長はストレスによる発作から、呼吸困難を起こしたんです」
 話を聞きながら桐山は、堅く拳を握り締める。どうしてそのとき朋幸の側についていられなかったのかと、いまさらしても仕方のない後悔が胸に押し寄せる。
「発作は何度かあったそうなんですが、室長の性格から、内緒にされていたんです。でも、そのときは失神されて病院に運び込まれしまったので……」
「それでようやく、社長や会長の耳に入ったのか」
「わたしが病院で付き添っていたのですが、連絡を受けてすぐに、病室に会長がお見えになったんです。事情をお知りになって、それはもう大変なお怒りようでした」
 そこからあとの展開は朋幸本人の口から聞いた。会長が出版社に圧力をかけて、朋幸を追い回すのをやめさせたのだ。
 普段は力を過信したやり方はしない会長や社長だけに、怒りの深さを推測するのは容易い。
 桐山は深く息を吐き出し、久坂と共に、広報部が出した書類を改めて覗き込む。
「わたしたちが危惧するような事態にならなければいいがな」
「そうですね。……できる限りお守りしないと」
「こんな会話が『あの人』の耳に入ったら、過保護すぎるといって機嫌を損ねるかも知れないが……」
 桐山は独り言を洩らしてから、室長室のドアをノックして声をかける。
「失礼します」
 数秒間を置いてから、ドアをゆっくりと開けた途端、くしゅんっ、という声が聞こえた。
 眉をひそめて桐山が室長室に足を踏み入れると、デスクについている朋幸が顔の下半分を両てのひらで覆って、もう一度くしゃみをした。
 ドアを閉めた桐山は足早にデスクに歩み寄る。
「お風邪ですか?」
 クスンと鼻を鳴らした朋幸は、思いきり顔をしかめて首を横に振る。
「違う。絶対、違う」
 朋幸が強く否定すればするほど、桐山は確信する。これは風邪をひかれている、と。
 シエナや化粧品部門の件の後処理のため、朋幸は毎晩遅くまで、ホテルの部屋で監査室や財務部といった人間と詳細な打ち合わせをしたり、取り寄せた財務諸表の分析を行っていた。睡眠時間は二、三時間ぐらいだっただろう。
 桐山も同じ生活を送っていたが、体力には自信がある。しかし朋幸はそうもいかない。なんといっても、繊細な方だ。
 失礼します、と声をかけて朋幸の額にてのひらを当てる。嫌がるかと思った朋幸だが、上目遣いで桐山を見上げたまま、動かない。向けられる無防備な表情が桐山には、朋幸から寄せられる信頼を物語っているように感じられる。
「――……熱はないようですね」
「だから言っただろ。風邪じゃないと。単なるくしゃみだ。きっと、誰かがぼくの噂話でもしているんだろう」
「迷信です。医務室に行かれたらどうですか」
 露骨に朋幸は嫌そうな顔をする。
「熱もないのにか? 喉も別に痛くないし。くしゃみが出ただけで駆け込んでいたら、笑われるぞ」
「しかし――」
 社内での戦いは終えた朋幸だが、一歩会社を出ると、今度は好奇心剥き出しのマスコミの視線に耐えなければならないのだ。心身共に負担がかかる。
 桐山が危惧している間にも、朋幸はまたくしゃみをする。
 厳しい桐山の視線を受けて、朋幸は頑固に鼻声気味で言い張り続ける。
「病院も医務室も嫌だからな」
 この人は――。
 内心でため息を吐いてから、桐山は再び秘書室に戻ると、久坂に告げた。
「朋幸さんが風邪気味のようだから、医務室に行って、市販の風邪薬をもらってきてくれないか」
 目を丸くした久坂はすぐに立ち上がる。
「症状はどうなんでしょうか?」
「今のところくしゃみだけだが、少し鼻声だ」
 手早く相談していると、すかさず室長室から明らかな鼻声で朋幸が声を上げた。
「ぼくは風邪じゃないぞ」
 桐山はひたと久坂の顔を見据える。さきほどの言葉を訂正した。
「風邪だ」
 異議なし、といった感じで、久坂はしっかりと頷いた。


 午後になってから、桐山が危惧していたように、朋幸の症状は軽くなるどころか、少しずつ悪化しているようだった。
 やけに鼻を鳴らし、くしゃみの回数が増えている。
 朋幸本人も、風邪だと自覚はあるらしく、くしゃみをする度に、桐山をうかがい見るのだ。そのくせ、厳しい眼差しを向けると、不自然に顔を反らす。
 声に出しては言えないが、この辺りは子供と一緒だ。
 桐山はじっと朋幸を見つめる。室長室のテーブルの上に広げた資料に真剣に視線を落としている朋幸は、桐山の視線に気づいてはいない。
 端麗すぎるほどの美貌は、今は仕事用の怜悧な雰囲気と表情をまとっている。
 この表情を見ていると、自分の腕の中で、匂い立つような色香を放たせたい衝動に駆られるときがある。しっかりと結ばれた今でも、その衝動は鎮まるどころか、ますます強くなっている。限界というものがないほど、桐山が朋幸を愛し抜いている証拠だ。
 すぐに仕事に意識を戻した桐山だったが、壁にかけられた時計を見上げて、軽く息を洩らす。
 朋幸の体調が万全でない今日に限って、経済誌の取材を入れるのを許した自分に、多少の忌々しさを覚えた。
 朋幸の体調管理すら自分の仕事だという自負が、桐山にはあるのだ。
 ちょうどそこにドアがノックされ、久坂が顔を出す。
「受付からの連絡で、取材の方が見えられたそうです」
 その言葉を受けるように、朋幸がくしゃみをする。桐山は呆れるよりも、真剣に朋幸の心配をする。もう一度朋幸の額にてのひらを押し当てて、熱がないのを確認する。桐山にしてみればごく自然な行為だが、久坂は不自然に視線を泳がせている。
 朋幸は、嫌がるように小さく首を横に振った。
「熱はないと言ってるだろ」
 しかし桐山は引き下がらない。
「体調が悪いのでしたら、取材は後日改めてということにしてもよろしいのではないでしょうか。こういう時期ですし、相手も、経済誌の記者とはいっても、どんなことを質問してくるかわかりませんから、不愉快な思いをされるかもしれませんよ?」
「――そういうときのために、お前がついていてくれるんだろ」
 くしゃみを連発していても、鼻声であっても、向けられる朋幸の挑発的な眼差しは相変わらず刺激的で、桐山の中にゾクリと甘美な疼きが駆け抜ける。
 次の瞬間には、久坂に指示していた。
「今から降りると伝えてくれ」
 久坂がドアを閉めると、さっそく桐山はテーブルの上を片付ける。
「記者には、取材を手短に済ませるよう言いましょう」
「そうだな。どうせ取材の内容は、お父様は、おじい様は――というものだろうからな」
 そう言う朋幸の口調には卑屈なものはない。本人が感じるプレッシャーは、桐山の想像も及ばない強大なものだろうが、しなやかにしたたかに朋幸は受け止めている。
 桐山は朋幸を伴って、一階にあるカフェに向かう。きちんとした応接室もあるのだが、気軽な打ち合わせなどを行うときは、ロビーの一角にあるスペースや、社内のカフェがうってつけなのだ。
 ロビーを歩きながら、朋幸が社内では滅多に見せない、ふわりとした穏やかな微笑を浮かべる。できることなら桐山が、自分のものだけにしておきたい表情の一つだ。
「どうかされましたか?」
 尋ねると、朋幸の視線は先にあるカフェに向けられる。
「最近、あそこに立ち寄らなくなったと思って」
「そうですね。よくわたしの目を誤魔化して、久坂と寛いでられましたね」
「……あのときは、お前のことがうっとうしくて仕方なかったからな。どうやってお前を困らせてやろうかと思ってたんだ」
 そう昔のことではないのに、懐かしい。今では朋幸との関係は劇的に変わった。
 落ち着いた雰囲気のカフェに入った桐山は、店内を見回す。かつて朋幸が指定席のように座っていた窓際の席に、見知った広報部の社員と、もう一人、向き合う形で座った男の姿があった。向こうも朋幸と桐山に気づいたらしく、ゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げてくる。
「お待たせしました」
 テーブルの側まで歩み寄り、まっさきに桐山が口を開く。隣に立つ朋幸は怜悧な表情という仮面をつけてしまい、にこりともしない。
 朋幸なりの処世術だ。さんざん甘やかされて過保護に育てられ、親のコネで丹羽商事に入社、挙げ句に若くして高いポストを手に入れた、高慢で高飛車な青年と、誰もが色眼鏡で朋幸を見る。朋幸も最初は、そのイメージを崩さないよう振舞う。
 だが朋幸を甘くみたツケは、仕事上できっちり払わされる。シエナや化粧品部門がいい例だ。
 ここで朋幸が、せっかく冷然とした雰囲気をまとっているというのに、拍子抜けするようなくしゃみをする。
 過剰なぐらい頭を下げ続けていた記者がようやく顔を上げる。瞬間、桐山はすっと目を細める。
 三十代前半から半ばぐらいに見える男だった。つまり桐山と同世代だ。がっしりとした体つきで、よく日に焼けている。一見して経済誌の記者という印象はなかった。
 物騒な目をした男だと桐山は思う。桐山自身、自分の眼差しの鋭さは自覚しているが、この記者の眼差しはまるで、獲物を狙う獣のそれだ。
 男はにこやかな表情で名刺を取り出して桐山と朋幸に差し出し、出版社名と誌名を告げてから、自分の名を名乗った。
「初めまして、嶋田といいます」
 桐山は名刺を受け取るが、朋幸は手を出さない。不審に感じて朋幸のほうを見た桐山は眉をひそめる。
 朋幸の顔色が変わっていた。真っ青になり、引き結ばれた唇は血の気をなくして微かに震えている。尋常な反応ではなかった。
「どうかされましたか?」
 桐山が問いかけるより先に、嶋田が薄い笑みを浮かべたまま口を開く。感じのいい笑みではなかった。
 ハッとしたように朋幸の表情が一変する。どこか呆然としたようなものから、激しい怒りと嫌悪を含んだ表情へと。
 嶋田から差し出されたままの名刺を、取り付くしまもないほど鋭く払いのけると、朋幸は低く抑えた声で言った。
「取材は中止だ。……気分が悪い、部屋に戻る」
 高慢で高飛車な態度を装いながらも、朋幸自身は礼儀正しい人間で、節度も普通の青年以上に心得ている。その朋幸とは思えない態度だった。
 足早にカフェを出ていった朋幸を追いかけたかったが、この場を収拾するのが桐山の仕事だ。広報部の社員は、突然の事態に呆気に取られている。
 ギリギリのところで無表情を保って嶋田と向き合ったとき、嶋田はニヤニヤと笑って、朋幸が去っていった方向を見ていた。桐山は、嶋田に対して危険なものを感じ取る。
「――失礼しました。室長は、今朝から体調を崩されているものですから」
「……あの様子なら、完っ璧に俺のことを覚えてるな。あのときは徹底的にやったから」
 聞こえよがしの嶋田の独り言に、思わず桐山は鋭い視線を向ける。目が合うと、澄ました表情で返された。
「えっと、でしたら取材は後日改めて、ということにしていただいてもいいですかね。なんといっても、経済界では今、ちょっとした旬の人ですから、そちらの化学品統括室室長は」
 物言いにすら神経を逆撫でられたが、ここで表情を露わにするほど、桐山は甘くはない。わざと感情的な部分を引き出そうとする嶋田の意図は見抜いていた。
 眼鏡の中央を押し上げてから、桐山は必要以上に淡々と応じる。
「改めての取材に関しては、検討させていただきます。室長は現在多忙の身ですから、必ずしも時間をお取りできるとは答えかねますので」
「いやあ、それは困るんですよね。こちらはすでに誌面を空けているんで」
「万が一、取材をお受けできないときは、そちらの編集長にお詫びの連絡を入れさせていただきます。ひとまず、そちらの都合のよい時間を、広報部にお伝えください」
 それ以上の言葉を許さず軽く頭を下げた桐山は、広報部の社員にあとを頼むと言い置いてから、嶋田を一顧だにせずカフェをあとにする。
 ロビーを歩く社員たちが思わず道を空けるほどの勢いで、桐山はエレベーターへと向かう。
 無表情を保ったまま内心では、歯噛みしたい心境だった。明らかに、朋幸と嶋田は面識があるようだが、朋幸の反応からして、嶋田は会いたくない部類に入る人間だったのだろう。そうとも知らず、取材を許可した自分自身が、桐山には許せない。
 ひとまず、何があったのか朋幸に尋ねるのが先決だ。あとの対処は、どうとでもできる。
 化学品統括室が入るフロアに戻り、乱暴に秘書室のドアを開けると、久坂がおろおろとした様子で室長室のドアの前に立っていた。
「どうした?」
 普通の人間なら怯えて何も言えなくなるほどのきつい声を発するが、さすがに久坂はすぐに言葉を返してきた。
「それが……、室長が真っ青な顔をして戻ってこられて、室長室に閉じこもってしまわれたのです。体調を悪くされたのかと思ってドアをノックするのですが、入ってくるなと言われるだけで」
 やはり、と桐山は思う。朋幸がこんな態度を取るのは、かなり取り乱しているということだ。
 桐山は容赦なく乱暴に、室長室のドアをノックする。
「朋幸さん、入ります」
 ドアを開けて一気に室長室に踏み込むと、朋幸はデスクの傍らに立ち、肩を大きく上下させていた。
「朋幸さんっ」
 慌てて桐山は朋幸の元に駆け寄り、肩に手をかけようとする。すかさず朋幸の深い黒の瞳にきつく睨みつけられた。
「……なんで、取材に来る人間の記者の身元を、きちんと調べておかなかった」
 取材に訪れる記者が確かに出版社の人間であるか、という意味での確認なら、当然した。しかし、記者の身元までわざわざ調べることはしない。それが普通だ。朋幸は無茶を言っている。
 無茶を言い出すぐらい、朋幸はあの嶋田という記者を警戒しているということだ。
「朋幸さん……」
 本人も取り乱しているという自覚があるらしく、やけに頼りない表情を一瞬見せる。
 本能的に、か弱い生き物をきつく抱き締めたい衝動に駆られた桐山だが、身じろぎしかけたときに、うつむいた朋幸にドアを指で示されて言われた。
「――……出ていってくれ。今は、誰とも話したくない」
 いつもの桐山なら、有無を言わさず事情を聞きだしたかもしれないが、朋幸の声がわずかに震えを帯びているのに気づいてしまった。
 痛ましい思いで朋幸をそっと見つめてから、桐山は一礼して室長室を出る。
 静かにドアを閉めると、傍らに心配そうな表情をした久坂が立っていた。
「室長は、どうでした?」
 桐山は眉をひそめたまま首を横に振る。
「何があったんですか? 取材で何か、失礼ことを言われたのですか?」
「いや……。記者と顔を合わせた途端、顔色を変えられたんだ」
 もしかして、という考えが桐山の中で芽生える。それは久坂も同じらしく、顔を見合わせる。
「朋幸さんは、入社当時にマスコミに手ひどい目に遭わされているんだな」
「ええ、そうです」
 ジャケットのポケットに突っ込んでおいた嶋田の名刺を取り出し、久坂に手渡す。
「――広報部に行って、この男について聞いてきてくれないか。取材に訪れたのは、今日が初めてなのかどうかといったことが、まず知りたい」
「わかりました」
 久坂はすぐに秘書室を飛び出していく。
 一人秘書室に残った桐山は、もどかしい思いで室長室のドアの前に立ち尽くす。
 今すぐにでも再び室長室に飛び込み、朋幸の口を強引にでも開かせたかった。そして、同じ思いを背負いたい。
 だが、桐山にそうされることを拒むように、ドアはしばらく、頑なに閉ざされたままだった。









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