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NOBLEなカンケイ
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[2]


 帰りの車の中、口元をてのひらで覆った朋幸が、苦しげに咳を繰り返す。
 バックミラー越しにその様子をちらりと見た桐山は、すぐに前方を見据えながら眉をひそめる。くしゃみだけならまだよかったが、時間と共に症状は悪化しているようだ。
 今日の嶋田という記者のこともあり、あまり口うるさく言いたくないが、朋幸本人の体調を思うと気づかないふりもできない。それに朋幸には報告しておきたいことがあった。
「――明日、病院に行きましょう。出社が遅くなることは久坂に連絡しておきます」
「行かない。病院は時間がかかる。じっと待っているぐらいなら、仕事をしていたほうが、よほど体によさそうだ。それでなくても今は、総会の準備で忙しいというのに……」
 予測はしていた答えだ。
 四日後に、丹羽グループ傘下企業の取締役が集まっての総会が開かれる。丹羽商事が中心となって会場などの準備を進めており、シエナと化粧品部門の事件が片付いた朋幸も、現在その準備に奔走しているのだ。
「しかし、もし無理をされて悪化するようなことになると――」
「総会が終わったら行く。だいたい、そのときまでには放っておいても治るだろ」
 朋幸は見た目の可憐さとは裏腹に、かなり頑固な性格の持ち主だ。明日病院に連れて行くのは、どうやら無理そうだった。
 さて、どうしたものか――。
 自分でダメなら、久坂に頼んでもらおうかと考えていた桐山だが、ふとサイドミラーに視線をやる。さきほどからチラチラと、黒いバイクの姿が映って見えるのだ。
 一定の距離は取っているので、偶然同じ方向に向かっているという可能性はあるが、つい最近、朋幸が尾行されたこともあり、嫌な感覚が走る。
 朋幸に異変を感じ取られないよう、慎重に車のスピードを落とす。するとバイクは、車を抜いていくどころか、合わせるようにスピードを落とす。
 桐山は険しく目を細めてから、もう一度バックミラーに視線をやる。
 何も気づいた様子もなく、朋幸はシートにぐったりと体を預け、顔を仰向かせて目を閉じていた。そして思い出したように咳をしている。
 ただでさえ激務続きで、倒れないのが不思議なぐらいの朋幸に、また尾行がついているようだとは言えなかった。
 おそらくマスコミ関係の人間だと見当をつけた桐山は、再び車のスピードを上げながら、夕方、久坂から受けた報告の内容を思い出す。
 今日の経済誌の取材は、本来は別の記者が訪れるはずだったのだが、事情があって、急遽嶋田に代わったのだという。
 広報部を通じて、記者の代役を立てた事態を報告してこなかった出版社には抗議しておいた。当分、朋幸が取材を受けることはないだろう。
 ここで、まさか、と桐山は思う。バックミラーに映るバイクを一瞥する。
 一瞬、裏道に入ってバイクを撒こうかと考えたが、結局、いつもの道を進む。この瞬間だけ相手を撒いても、明日には同じことが繰り返される。それに、普段と違う行動は、朋幸を不安がらせる。
 車がマンション近くに差しかかる頃には、朋幸は目を開け、シートにしっかりと座り直していた。
 桐山はマンションの駐車場に車を入れる。バックミラーの中で、朋幸が戸惑ったような表情をしていた。マンション前で車を停めなかった意味を、朋幸はよく理解しているのだ。
「疲れていらっしゃるところ申し訳ありませんが、お部屋に寄らせていただいてかまいませんか?」
「……うん」
 車のエンジンを切った桐山は、朋幸を手で制してから、アタッシェケースを手にまず自分が先に車を降りて慎重に周囲をうかがう。近くに人がいる気配はなかった。
 後部座席のドアを開けると、朋幸が不安そうというより、怯えたように桐山の視線の先を見つめる。
「何か、あるのか?」
 桐山は、朋幸にしか見せない穏やかな笑みを浮かべる。
「大丈夫です。あなたの身は、何があってもわたしがお守りします」
 参りましょう、と促し、マンションのエントランスホールに足を踏み入れた。すっかり顔見知りとなった警備員と会釈を交わし合ってからエレベーターに乗り込む。
 再び咳を始めた朋幸の背を、できるだけ優しくてのひらでさすってやる。
 朋幸が部屋のカギを開け、二人は玄関に入る。桐山がドアを閉めてカギをかけると、目に見えて朋幸は安堵した。
 もし自分が秘書でなければ、ここでなんのためらいもなく、朋幸を抱き締めてしまえるのにと思う。しかし桐山の仕事には、朋幸の健康を気づかうというものも含まれる。自ら、朋幸に負担をかける行為を求めるわけにはいかない。
「――今日は早くお休みになられたほうがよさそうですね……」
 理性を総動員しての桐山の言葉に、朋幸がゆっくりと見上げてきて、睨みつけられた。強い非難と、それでいてどこか甘さを含んだ眼差しだ。
 口を開きかけた朋幸が、すぐに咳き込む。桐山は再び背をさするが、スーツ越しに感じる朋幸のしなやかな体の感触に、どうしようもない気持ちの高ぶりを覚える。
 少し苦しげな息の下、朋幸に言われた。
「……ぼくに聞きたいことはないのか?」
 この人は――。
 桐山は背をさすっていた手を動かし、朋幸の滑らかな頬に触れる。初めて会った時から朋幸は、桐山にきつい眼差しを向けてきながら、誘惑してきた。本人にその意識はなく、桐山の錯覚だとしても、とにかく強烈な誘惑だ。桐山に抗える術はなかった。
 鉄壁の無表情だ、機械人間だと人に言われながらも、所詮は桐山も多大な欲望を抱えた人間だということだろう。
「わたしがお聞きしたら、話していただけるのですか?」
 朋幸が固く唇を引き結び、機嫌を損ねたように桐山の手からアタッシェケースを奪い取り、部屋に上がろうとする。
 しかし桐山のほうが素早く動き、朋幸の腕を掴んで引き寄せると、有無を言わさず強引に唇を塞ぐ。
 咳き込む朋幸を苦しめると思うと、あまり深く長いキスはできない。桐山はすぐに唇を離すと、朋幸の唇の端を啄ばむ。秘め事を囁くような声で朋幸が言った。
「帰り、誰かがついてきていただろう?」
 桐山は軽く目を見開く。まさか朋幸が気づいているとは思っていなかった。
 朋幸は苦い笑みを浮かべ、反対に桐山の唇を啄ばんできた。
「お前がピリピリしていたからわかった。今日のこともあったしな。……多分、あの記者だ」
 最後の一言を朋幸が憎々しげに呟く。このときふいに、桐山は胸を突き上げてくるような激しい嫉妬を感じ、もう一度朋幸の唇を塞いでいた。
 どんな内容であれ、朋幸の口から、他の人間のことは聞きたくない。
 そんな桐山の気持ちを察したらしく、噛み付くような短いキスのあと、朋幸は艶然と笑った。
「嫉妬深い男だな。――あの男は、忌々しいだけだ。ロベルトとは違う」
 こう言われると、ロベルトにまで嫉妬したくなる。
 桐山は靴を脱ぎ捨てると、朋幸を伴ってベッドルームに入る。
 朋幸の体調や、おそらく外にいるであろう人間のことを思うと、ゆっくりはできない。だが、朋幸の温もりを味わいたい。
 普段は朋幸を、傷一つつけてはいけない存在と思っていながら、こういうときは自分の欲望を優先してしまう。利己的だと責められても、反論のしようがない。
 そんな桐山を、朋幸は受け入れてくれるのだ。
 ベッドに横たえた朋幸の体に覆い被さると、軽いキスを繰り返しながら、コートとジャケットを脱がせていく。桐山自身もワイシャツ姿となっている間に、朋幸は自分でネクタイを解いて抜き取った。
 ようやく舌を絡め合いながら、朋幸のワイシャツのボタンを外す。すべてのボタンを外し終えないうちに、桐山は欲望を堪えきれずに朋幸の胸元にてのひらを滑り込ませる。
 すでに期待に硬く凝った胸の突起の感触を、てのひらでまず転がして楽しむ。朋幸の息遣いが弾み、何かを欲しがるように艶めいた唇がうっすらと開いた。舌を差し込むと、すぐに朋幸が吸い付いてくる。
 愛しい、と思う。それ以外の感情は今の桐山には必要ない。とにかく朋幸が愛しくて仕方なかった。
 さらに硬く育った胸の突起を指先で指の腹で押し潰し、爪の先で引っ掻くと、ビクビクと朋幸が胸を震わせる。
 桐山は朋幸のワイシャツをスラックスから引きずり出し、胸が露になるよう、押し上げる。背を浮かせて朋幸も協力してくれた。
 お互い忙しくて約半月ぶりの逢瀬だが、朋幸の全身に丹念に指と舌を這わせる時間がない。
 そういう思いから、桐山は胸の右の突起に唇を寄せ、片手でベルトを緩めながら、朋幸に謝罪した。
「申し訳ありません。不粋な触れ方をしてしまって」
「……いい。こうしてお前が、必死になってぼくに触れてくれるのは――けっこう好きだ」
 朋幸のこういうところで、桐山は理性を溶かされてしまう。
 朋幸によく見えるよう、舌先でちろちろと突起を舐める。喉の奥で微かに声を洩らした朋幸の両手が頬にかかり、次の瞬間には、かけたままだった眼鏡を外された。
 すぐに桐山は夢中になり、口腔に突起を含んでたっぷり吸い上げる。
「あっ、あっ……ん」
 優しく左右の突起を交互に吸いながら、朋幸のスラックスと下着をまとめて、まずは腿の中ほどまで引き下ろす。
 てのひらにそっと、熱くなりかけたものを包み込むと、朋幸が喉の奥から甘く掠れた声を洩らす。その声に誘われて、桐山は白い喉元にキスしてから、朋幸の顔を覗き込んだ。
 数十分前まで、怜悧な表情を保ち、数多くの部下を従わせていた人物とは思えないほど、切なげで清澄ながらも妖しい色香を漂わせている。
 てのひらに包み込んだ朋幸のものをゆっくりと扱くと、心地よさそうに目を閉じてのけ反る。
 桐山は緩やかな刺激を与えながら、朋幸の足からスラックスと下着を抜き取った。剥き出しの下肢に、靴下とワイシャツだけという姿は、めまいがするほど卑猥だ。
 朋幸のものが先端に透明な蜜を滴らせ始める。その蜜を思う存分舐め取り、絶頂で溢れさせた白濁とした証を飲み干したいが、朋幸が許してくれなかった。
 しっかりとしがみつかれ、桐山は顔を下ろすことができない。
「かまわないのですか?」
「いいっ……。早く中に、お前の熱いのが欲しい」
 こんな台詞を耳元で切ない声で囁かれて、冷静で理性的にいられる者がいるのだろうかと思う。少なくとも、桐山の理性は一瞬で崩壊した。
 自分の指を舐めて濡らすと、朋幸と見つめ合いながら、指先をさらに奥へと這わせる。頑なに閉じられた朋幸の秘められた場所に触れると、桐山が組み敷いているほっそりとした体がビクンと震えた。
 秘孔の硬い入り口をまさぐりながら、少しずつ指を含ませていく。引き絞るかのように指がきつく締め付けられたが、かまわず桐山は一本の指を付け根まで、まだ貞淑さを保った朋幸の秘孔に挿入する。
「んっ、くう」
 ビクビクと朋幸の秘孔がひくつく。それでも桐山の指は、熱く弾力のある感触に包み込まれる。桐山は自覚している低音の声を響かせ、淫らに朋幸に囁いた。
「寂しかったのですか? 指だけで、こんなにヒクヒクされて……。いつも以上に欲しがりですね。でも、久しぶりですから、中が緊張して狭くなっています。すぐに指で、柔らかくして差し上げますよ」
 官能的な言葉で責めると、朋幸は高ぶるのが早い。その証拠に呼吸が速くなり、目が潤んできていた。
 秘孔で指を蠢かし、まずはゆっくりと出し入れする。朋幸の反応は素晴らしく、腰を震わせながら、喘ぎをこぼす。
 頑なだった入り口が少しずつ解れ、唾液で湿った秘孔での動きがスムーズになってきていた。
 桐山は一度指を引き抜き、唾液をたっぷり絡めてから、再び挿入する。秘孔が貪欲に蠢き、誘われるようにもう一本の指も呑み込ませると、すぐに中を掻き回すように動かす。ぐちゅぐちゅというくぐもった淫靡な音がこぼれ出る。
「んっ、んっ、んふっ、あっ、いっ……」
「素晴らしいですね。あっという間に柔らかくなりましたよ」
 指で秘孔を広げながら、桐山はスラックスの前を寛げ、己のものを引き出す。朋幸の反応を見て、指で秘孔の感触を感じるだけで、すでに熱く高ぶっていた。
 朋幸の胸の突起を再び口腔に含み、歯を立ててそっと引っ張る。
「あっ……ん」
 朋幸が甘い声を上げ、指を呑み込んでいる秘孔がギュッと収縮する。桐山はすかさず秘孔に挿入したままの指を激しく出し入れして、襞と粘膜を擦り上げる。
「中が熱くなってきましたね。……わたししか知らない、あなたの本当の熱さですよ」
 愛しい、と口中で呟き、桐山はゆっくりと指を引き抜く。物欲しげに秘孔が蠢き、桐山の指が出ていくのを惜しむように引き絞られた。
 すがるように朋幸の両腕が背に回され、桐山は間近に、朋幸の目を覗き込む。深い黒の瞳がまっすぐ桐山を見つめ返しており、誘われるように瞼に唇を押し当てた。
 喘ぐように綻んだ朋幸の秘孔に、自分のものの先端を擦りつける。それだけで桐山は、ゾクゾクとするような悦びを感じる。
「桐山……」
 切なく呼ぶ朋幸の唇と舌を優しく吸いながら、ぐっと秘孔に桐山は自分の欲望を押し込む。
「あっ、あっ、入って、くるぅ――」
「ええ。入っていきますよ、あなたの中に、深く」
 先端を含ませると、きつく締め付けられた。桐山はゆっくりと慎重に朋幸の秘孔に押し入りながら、力を抜かせるために指先で胸の突起を弄り、唇を耳に這わせる。
 挿入が深くなっていくに従い、桐山の下でしどけなく朋幸が乱れ始める。抱えた両足の爪先を突っ張らせ、両手を頭上に投げ出してシーツを掻き、頑是ない子供のように緩やかに顔を左右に振る。
 桐山が繋がった腰を揺すると、朋幸は小さな嬌声を上げる。思わず息を詰めるほど、秘孔が淫らな蠕動を始める。
「んあっ、あっ、くうんっ。桐山、乱暴に、しないで、くれ……」
 果敢に腰を使う桐山に、朋幸がすぐに根を上げる。桐山はうっすらと笑みを浮かべる。
「お許しください。あなたの中が、あまりに魅力的ですから。――あなたに、溶かされてしまいそうです」
「――……ぼくもだ。お前に溶かされて、このまま蒸発しそうだ」
 朋幸の言葉に気持ちをくすぐられ、桐山は欲望のままに腰を突き上げる。持て余す高ぶりを、朋幸の秘孔は素直にすべて呑み込んでくれ、襞に舐められ包み込まれていた。
 朋幸の両足を抱え直し、最奥での律動を繰り返す。
 途中、思い出したように朋幸が咳き込み出したので動きを止め、片手で頭を引き寄せて収まるのを待つ。次第に咳が艶かしい喘ぎに変わり、朋幸が再び背にしがみついてくれる。桐山は、律動を再開した。
「やぁっ、あんっ、あんっ、あんんっ」
 突き上げるだけでなく、円を描くように動いて秘孔を掻き回す。
 上半身を起こして、身悶える朋幸の様子を目で楽しむ。乱れたワイシャツの合間から、発情したままの胸の突起が見え、思わずてのひらで乱暴に揉みしだく。
 一方で、秘孔を突き上げる度に、反り返った朋幸のものの先端から透明な蜜がこぼれ落ちる。限界が近いことを察し、もう片方の手で包み込んで手早く扱いた。
「桐山っ、も、イクっ……。お前のワイシャツ、汚す、から――」
「大丈夫ですよ。手で受け止めますから。一番いいときの表情を、わたしに見せてください」
 小刻みに秘孔を突き上げながら、ビクビクと震えて高ぶっている朋幸のものの先端を集中的に擦り上げてやる。
 ゆっくりと大きく朋幸がのけ反り、絶頂に達する。
「いっ、い……。気持ち、いいっ」
 先端から迸り出た白濁とした蜜を、桐山はてのひらで受け止める。同時に秘孔が激しく痙攣する。襲いかかる強烈な快感を、奥歯を噛み締めてなんとかやり過ごすと、緩慢に最奥を突いてやった。
「ふあっ、待、て。桐山、もう少し、待って……」
「待っていますよ。イかれた直後のあなたは、こうやってゆっくりと動かれるのが、お好きですよね。中も大変素直で、悦ばれていますよ」
 荒い呼吸を繰り返す朋幸が再び咳き込む。あまり激しい行為を朋幸に強いることはできない。
 桐山は秘孔をしっかりと突き上げ、自分の欲望を果たすことにする。申し訳ないが、この願いは聞いてもらいたかった。
「――わたしのすべてを、受け止めていただけますか?」
 意味を理解した朋幸が、うっとりとした笑みを浮かべ、背に回された両腕に力が込められる。
「……それ以外の方法なんて、許さない」
 桐山は思う存分、自分の欲望の名残りを朋幸の秘孔奥深くに注ぎ込む。
「ふっ、あうっ、うっ、熱、い……」
 秘孔全体がうねるように桐山のものを締め付けて、淫らに蠢く。すべてを搾り取ろうとするかのような秘孔の締め付けを堪能しながら、最奥を突き続けた。
 大きく息を吐き出し、片腕できつく朋幸の体を抱き締めると、朋幸もギュッとしがみついてくれる。
 愛しさのあまり気が狂いそうだという感覚は、朋幸と出会わない限り、知ることはなかっただろう。いつも桐山はそう思う。
 数分ほどしっかりと抱き合って短く激しい行為の余韻を味わってから、桐山は慎重に朋幸の秘孔から自分のものを引き抜くと、ハンカチで丁寧に朋幸の後始末をした。
「――いつ、お前とゆっくり過ごせるんだろうな」
 ベッドに体を投げ出したまま、朋幸がぽつりと洩らす。桐山はもう一度朋幸に覆い被さり、見つめ合ってから唇と舌を吸い合う。
 触れれば触れただけまた朋幸が欲しくなり、朋幸の中に再び溶け込みたい衝動に駆られてしまう。だがそれは、理性で抑え込んだ。
「総会が終わればきっと、日常に戻れます」
 言った途端に朋幸に睨みつけられ、唇に軽く噛み付かれる。
「その日常そのものが、忙しいんだろ。十二月は、また行事がいろいろ入っているし、年末年始なんて、お前と離れ離れだ」
 桐山は苦笑を洩らし、朋幸の額にキスを落とす。
「でしたら、年末年始に仕事をお入れしますか?」
「……お前は意地悪だ」
 朋幸が咳を始めたので、体を起こした桐山は朋幸の格好を整えようと、イスの背もたれにかけられたパジャマを持ってくる。
 ワイシャツのボタンをすべて外して脱がせる。滑らかな胸元に視線が吸い寄せられそうになるが、なるべく見ないように気をつけながらパジャマの上着に腕を通させた。
 パジャマを着込んだ朋幸は、ぐったりとしてすぐにまたベッドに横になる。しどけないが、疲労しきったその様子に、桐山の中で罪悪感が疼かされる。
 枕元に腰掛けた桐山は、汗で湿った朋幸の髪を優しく撫でた。
「汗をかいたままはよくありません。熱いタオルを持ってきましょうか?」
「んー、いい。熱もないし、お風呂に入る」
「なら、湯を溜めておきます」
 朋幸がコクリと頷く仕草に目を細めてから、桐山は部屋を出ようとしたが、背後から朋幸に声をかけられた。
「――今日、取材に来た記者のこと、調べたんだろ?」
 振り返った桐山が見たのは、ベッドに仰向けとなり、寸前までの様子とは一変して、冴えた表情となっている朋幸だった。
「嶋田という記者のことですね。……前に、彼と?」
 朋幸が険しく目を細める。心底、嶋田という記者が嫌でたまらないという様子だ。
 朋幸のその様子に、桐山は心のどこかで安堵を覚える。間違っても、ロベルトのときのように嫉妬で狂いそうな思いはしなくて済むのだ。
 少なくとも朋幸は、嶋田という記者に対して心を許すどころか、激しい警戒心を抱いている。朋幸自ら、嶋田に近づくことはないはずだ。
「前はあの男、違う出版社で、週刊誌の記者をしていたんだ。でもその雑誌が廃刊になったと知って、安心した。……じいさまか父さんが手を回したかどうかは知らない」
 朋幸はそう言うが、社長か会長が報復手段に出たと薄々察しているはずだ。
「久坂から、少しお聞きしました。あなたが丹羽商事に入社された当時のご様子は」
「いろんな人間に追いかけ回されたけど、嶋田という記者が一番しつこかった。ストレスで体調が悪くなって行った病院にまで、追いかけてきたんだ」
「そこまで?」
「はっきり言われた。なんの苦労もしないで、普通の人間には手の入らない暮らしをしているんだから、マスコミに追い回されて中傷されるぐらい、苦しみに入らないだろうって」
 朋幸の声は淡々としている。しかしそこに、激しい怒りと傷つけられた痛みが込められているのを、桐山は感じた。
 朋幸の話を聞きながら、朋幸の怒りや痛みを自分のものとして感じ、桐山はきつく拳を握り締める。できることなら、もっと早くに朋幸の側についていたかったと思う瞬間だ。
 桐山は低く力を込めて、朋幸に話して聞かせた。
「あなたが入社されたばかりの頃とは、今は状況が違います。あなたは強くなられたし、何より、わたしがあなたのお側にいます。誰が相手でも、あなたをお守りいたします」
 花が開くように朋幸が笑みを浮かべ、ベッドの上で見動いで桐山をまっすぐ見つめてくる。
「――そうだ。ぼくはあの頃とは違う、もう、あの男は怖くない。誰よりも怖くて激しいお前が、ぼくを守ってくれるんだからな」
 誰からどんな賛辞を送られようが、朋幸のこの言葉には敵わない。
 朋幸に微笑みかけて、桐山は部屋を出ると、まっすぐバスルームに入る。
 バスタブに湯を溜めている間にキッチンに移動し、冷蔵庫の中を確認する。温めればすぐに食べられるものが揃っていることを確認して、ひとまず安心する。
 こうして桐山が朋幸の世話を焼いてからマンションを出たときには、帰宅してから一時間以上が経っていた。
 腕時計に視線を落として駐車場に向かい、周囲を見回す。人の姿がないのを確認して桐山は車に乗り込んだ。
 駐車場から車を出し、ゆっくりとマンションの前を走らせる。少し離れた場所には予測した通り、闇に紛れるように黒いバイクが止まっていた。
 黒のライダースーツを着た、体格からして大柄の男は、やはり黒のヘルメットを被っており、バイクに跨って桐山の車を目で追っているようだ。頭が車に合わせてゆっくりと動いている。
 黒のライダーが嶋田だと確信はできないが、それでも桐山は内心で呟く。
 必ず、どんな手段を使ってでも、朋幸の側から排除すると。









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