[3]
翌日、桐山は自宅から直接、仕事の打ち合わせのため丹羽商事の本館ビルを訪れていた。
朋幸のことは心配だったが、久坂に迎えは頼んである。無事に会社に到着すれば、連絡がくるはずだ。
イスに腰掛け、書類に目を通していた桐山は、もうそろそろかと腕時計に視線を落とす。
タイミングよく、携帯電話がジャケットのポケットの中で震える。デスクの上に書類を投げ置くと、同席していた人間に声をかけて、一度部屋の外に出る。
すぐに携帯電話を取り出した。
『――お疲れ様です。久坂です』
少し弾んだ息遣いの久坂だ。小走りしながらかけているようだ。
「朋幸さんは?」
『今、室長室に入られました。わたしはこれから、秘書課でミーティングなので、一時間ほど、お側についていることはできませんが……』
「いや、社内に入られたのなら安心だ」
桐山や久坂の慎重ぶりを、過保護だと鼻先で笑う重役がいるのは知っているが、朋幸は特別だ。替えが聞く他の重役とは、存在の重さが違う。
ふと桐山の脳裏に、昨夜の朋幸との行為が蘇る。記憶の甘さに浸る前に、桐山はまっさきに尋ねた。
「朋幸さんの体調はどんな様子だった? 顔色が悪いといったことはなかったか?」
『特に顔色が悪いとは感じませんでしたが、昨日より咳はひどくなったように感じます。総会も近いですし、やはり一度、病院で診ていただいたほうがいいと思います』
「言って、聞いてくださる方ならいいがな。人の心配はするが、ご自分の体のことになると、とんでもない無茶をなさる方だ。わたしからも言うが、お前からも言ってみてくれ。わたしには逆らっても、お前の言葉には耳を貸すだろうから」
それだけを言って電話を切ると、すぐに部屋に戻る。
打ち合わせを終え、本館ビルをあとにしたのは、それから約二時間後だった。
別館ビルが見えてくると、いつもならまっすぐ駐車場に入る桐山だが、気になることがあって別館ビルの周囲でゆっくりと車を走らせる。
桐山は自分の眼差しが鋭くなっているのを自覚しながら、不審な車両が――特に黒のバイクが停まっていないかを探していた。
まさか昨日の今日で大胆な行動は起こさないだろうとは思うが、つねに警戒は怠りたくない。油断したときが危ないのだと、身をもって桐山は知っている。
それらしいものを見つけられず、ひとまず安心して駐車場に車を入れると、桐山は足早にロビーを歩く。
カフェの存在が気になったのは、たまたまだ。エレベーターに向かうついでに立ち寄り、外からカフェの中を覗く。
体の芯が冷えていく感覚があった。
朋幸の指定席であった窓際の席に、昨日と同じように嶋田が座っていたのだ。向き合って座っているのは、広報の人間だ。おそらく取材なのだろう。
桐山は次の瞬間にはその場を離れ、足早にエレベーターに乗り込む。
表面上は無表情を保ちながら、ギリギリと拳を握り締め、てのひらに爪を食い込ませる。
不覚だ、と内心で呻いていた。
昨日、朋幸にあんな反応をされ、その翌日にまた会社に姿を現すとは、さすがに桐山も予測していなかった。
予測していなかったため、広報部には、嶋田からの取材を受けるなと指示はしなかった。
出版社に、取材する記者が急遽変更になったのを連絡してこなかったことへの抗議はしたが、嶋田の出入りそのものを止めていたわけではない。
己のミスを認め、同時に、再び嶋田が会社を訪れていたことを、絶対朋幸に知られてはいけないと強く思う。
桐山はふっと息を吐き出してから、眼鏡の中央を押し上げる。次の瞬間には、冷静に思考が働き始めていた。
昼休みに入ると、桐山はすぐに自分のデスクを離れ、室長室のドアをノックする。
数秒待ってドアを開けると、朋幸はデスクに片肘をついた姿勢で書類を読んでいた。普段の朋幸ならありえない姿勢だ。
すぐに理由に思い当たり、桐山は眉をひそめる。緩慢な動作で朋幸が頭を上げ、桐山を見た途端、露骨に顔をしかめた。
「……なんだ。人の部屋に入ってきたと思ったら、難しい顔をして」
桐山はデスクの前まで歩み寄り、朋幸の顔を間近から覗き込む。
「だるいのではないのですか? それに顔が少し赤いですね。久坂からも説得されたと思いますが、今のうちに病院に――」
朋幸が片手を上げたので、言葉を制される。
「昼休みだ」
そう言って朋幸が艶っぽい笑みを浮かべる。気だるげでしどけない笑みだ。察するものがあった桐山は片手を伸ばして朋幸の額に触れようとしたが、後ろに体を反らされて躱される。
「朋幸さんっ」
「微熱だ。放っておいても下がる。それより、昼食はどこで食べるんだ」
桐山は、ここで本題を思い出す。昼食の相談をするために室長室に入ったわけではない。
「昼食は久坂とおとりください。そしてもう一度じっくりと、病院に行くよう説得されてください」
「まずいと思ったら、病院に行く判断ぐらい自分でする。それより、何か用があるのか?」
朋幸の問いかけに、桐山は頷く。
「人には任せられない仕事がありまして、それを昼休みの間に片付けておきます」
「……なんでもかんでも自分が、と言っていると、お前のほうが病院の世話になるぞ」
「心配してくださっているのですか?」
真顔で言うと、朋幸の顔に赤みが増した気がする。桐山は思わず笑みをこぼした。
「大丈夫です。――大した仕事ではありませんから」
「人に任せられないのに、大した仕事ではない、か?」
「わたしの仕事です」
わかったようなわからないような表情で頷いた朋幸が軽く手を振る。
「行ってこい」
一礼した桐山は、久坂にあとのことを頼み、すぐにコートを掴んで会社を飛び出す。
朋幸の送り迎えに使っている車ではなく、他の社用車を運転して向かった先は、出版社だった。昨日、朋幸の取材を行おうとした経済誌を発行しているところだ。
駐車場に停めた車から降りた桐山は、まっすぐ受付に向かい、一枚の名刺を差し出す。
「この記者に会いたいので、呼んでいただけますか。丹羽商事の桐山だと伝えていただければ、わかると思います」
受付の女性が、桐山の迫力に圧されたように受話器を取り上げ、内線をかける。
短いやり取りのあと、受話器を置いた女性から、すぐに嶋田が降りてくると聞き、ロビーの一角にある打ち合わせ用のテーブルにつく。
数分ほど待っていると、エレベーターの扉が開いて、嶋田が姿を見せる。ノーネクタイのシャツの上からジャケットを羽織った格好だ。
桐山を見るなり、嶋田はニッと笑いかけてきた。しかし桐山は冷ややかな眼差しを向けただけで、イスから立ち上がりもせずに嶋田を迎える。
気にした様子もなく、嶋田は正面のイスに腰掛けた。
「どうかしたんですか? わざわざいらっしゃるなんて。本澤さんの取材の件なら――」
「金輪際、本澤室長に近づかないでいただきたい。当然、自宅を張り込むのも、やめていただこう」
あえて桐山は、高圧的に一方的に告げる。
嶋田はふてぶてしいほどの余裕たっぷりの表情となり、足を組む。
「あのお坊ちゃまのお使いで来たんですか? 数年の間に、ずいぶん立派な飼い犬を持たれるまでに出世されたんですな」
「あいにくですが、あの人の飼い犬だと言われるのは慣れています。――そう言った人間は、ことごとく失脚していますけど」
これは前哨戦だ。嶋田が本当に桐山とやる気がどうか、確認したに過ぎない。
そして、忌々しいが嶋田は、やる気だ。
桐山は冷然とした眼差しで嶋田を見つめ、本題を切り出す。
「――なぜ、朋幸さんを付け狙うようなまねをする。ここ何年か、あの人の前に姿を見せなかったんだろう」
「朋幸さん、か……。気にならない記者はいないと思いますよ。世界有数の丹羽グループ会長の唯一の孫であり、丹羽商事の社長の一人息子。親の七光りで出世街道を歩み、そのうえ今は、ちょっとしたヒーローだ。そういう人間だからこそ、何かあるんじゃないかと思うのが、記者なんですよ」
飄々とした嶋田の様子から、これが本音かどうか見極めるのは難しい。
好きなやり方ではないが、取締役総会を控えており、悠長なことはできない。桐山は、おそらく嶋田が触れられたくないであろう部分に切り込んだ。
「前に、籍を置いていた週刊誌が廃刊になったそうだな」
「ああ、あれか」
大仰に眉をひそめた嶋田は、悪びれたふうもなく言った。口調はすでに敬語を忘れている。
「やり方が悪かった。あのお坊ちゃまが、あんなに簡単に弱るとは思っていなかったからな。丹羽グループの出方を見誤ったんだ。……さすがに、唯一の直系の後継者を傷つけられたっていうんで、報復は容赦なかったな。あっという間だ」
「それでもまた、朋幸さんを狙うというのは、今度は自分が、丹羽グループに報復する番だとでもいうのか?」
だったらなおさら、容赦はできない。しかし嶋田は、肩をすくめて笑った。
「俺はそんな、大それたことをする気はないね。あくまで、記者なんだ。興味のある対象を追うだけだ」
嶋田がテーブルに身を乗り出し、どこか嬉々とした様子で言う。
「丹羽商事の化粧品部門とシエナの件を聞いて、正直驚いた。まさか、あの弱々しかったお坊ちゃまが、そんな大胆なことをやるなんて考えもしなかったからな。――また、興味が湧いたというわけだ」
「それだけか?」
「それだけとは?」
嶋田が露骨にとぼける。さすがの桐山も、咄嗟に頭に浮かんだ内容を口にはできなかった。
朋幸個人に、なんらかの感情的な興味を持ったのではないか、とは――。しかし桐山のためらいを読み取ったように、臆面もなく嶋田は言ってのけた。
「個人的に興味もある。たった三、四年で、世間知らずだったお坊ちゃまが、どうして、ああも迫力と魅力のある存在になったのか、な。……立ち姿なんて、男だとわかっていても、見ていてゾクゾクする。あれは、とんでもないタマだ。その気になれば、男でも簡単に骨抜きにできる」
あんたも心酔しているんだろ、と聞かれ、桐山はためらうことなく頷く。すかさず釘を刺すことも忘れない。
「だから、あの人を煩わせる存在は、どんな些細なものであれ、見過ごすことはできない。徹底して取り除く」
「……忠告、というわけか」
「あの方を守るためなら、会長も社長も喜んで力を貸してくださるだろう」
嶋田はニヤニヤと笑ったままで、返事をしなかった。この反応は織り込み済みで、話はこれだけだと告げて桐山は立ち上がる。
「単なる興味で追う程度なら、別に朋幸さんでなくてもいいだろ」
そう言い置いて立ち去ろうとすると、素早くあとを追いかけてきた嶋田に、背後から囁かれた。
「あんたは側にいてわからないだろうが、あのお坊ちゃまの吸引力を甘くみないほうがいいな」
どういう意味だと、桐山は立ち止まって振り返る。桐山が反応したことで、嶋田は会心の笑みを浮かべた。
「誰が磨いたのか知らないが、よくも悪くも、あんたの大事なお坊ちゃまは人目を惹きすぎる。その、惹き寄せられた連中全部を、あんたはこうやって脅して回る気か?」
桐山は厳しい眼差しを嶋田に向け、断言した。
「――必要とあれば」
呆れたように肩をすくめた嶋田は、さっさと桐山に背を向けて歩き出そうとしたが、何かを思い出したように桐山を振り返った。そして意味深な言葉を投げつけられた。
「現実ってものを知ったほうがいいな、あんた」
嶋田が何を言いたいのかわからなかった。
不快さに険しい表情となった桐山は、嶋田より先に背を向け、足早に出版社をあとにした。
嶋田の不穏な動きを危惧して、桐山は即座に決断した。
朋幸の父親である社長直通の携帯電話に連絡を入れ、今回の件を報告したのだ。社長秘書と連絡を取り合い、対策を取ることになったが、前回のように大胆な手段は取らないでほしいと念は押した。嶋田が逆上するおそれがある。
回りくどいやり方だが、徹底して朋幸の身辺をガードすることにした。そうやって、嶋田にプレッシャーをかけるのだ。
朋幸にこのことを告げると、眉をひそめはしたが、嫌だとは言わなかった。自分だけではなく、丹羽グループそのものの体面もかかっていると理解してくれたのだろう。
あっという間に、再び慌しくなった朋幸の身辺だが、桐山も多忙さを増す。
常に社長秘書と連絡を取り合って対策を練り、同時に嶋田の動きにも気を配らないといけない。それに、朋幸を狙うのマスコミの人間は、何も嶋田だけではない。
ホテルの大広間を歩きながら、携帯電話で手短に用件を交わした桐山は、絨毯敷きの廊下へと出る。
丹羽商事が中心となって会場作りを進めているため、こうして様子を見に来たのだ。
会場に入りきらない人たちのために別室の広間も用意され、総会の光景を映すカメラやモニター機材も運び込まれている。
当日は桐山は、別室で総会を――朋幸の様子を見守ることになる。
別室を覗いた桐山は、朋幸の姿がないのを訝しむ。準備の進行状況を、自分の目で確認したいと言ったので、今日はホテルに伴ってきたのだ。
さきほどまで他の執行役員たちと一緒にいたはずだが、と思いながら、桐山はもう一度大広間を覗いて、朋幸の姿を探す。
やはり姿が見えないと思ったときには、大股で歩きながら大広間を出る。
朋幸の身に何かあったのだろうかと、差し迫った危機感が桐山を襲っていた。フロアを貸しきっているので、関係者以外は侵入してこないと安心しきっていたのだ。
広間前の休憩スペースの前を慌しく通り過ぎようとしたとき、桐山の視界の隅に何かが飛び込む。
ハッとして振り返ると、大きな観葉植物の陰に隠れるようにして、朋幸がソファにぐったりと座り込んでいた。
「朋幸さんっ」
桐山が歩み寄ると、背もたれに頭を預けて半ば閉じていた朋幸の目が見上げてくる。深い黒の瞳が濡れたような艶を帯び、普段よりも赤みが強い唇がうっすらと開かれ、小さく喘ぎをこぼしている。
まさかと思った桐山は、朋幸の額にてのひらを当てる。信じられないほど熱くなっていた。
昨日、今日と咳が治まっていたので、口うるさくは言わなかったのだが、体調はよくなっていたわけではないのだ。
騒ぎを大きくしたくなかったので、桐山は素早く絨毯に片膝をついて朋幸の顔を覗き込み、抑えた声で話しかける。
「いつから熱が……?」
朋幸はさほどつらそうな表情は見せず、むしろ小さく笑みをこぼす。
「さあ。気がついたら、なんだかふわふわして気持ちよくなってたんだ。このまま眠りたいぐらいだ」
冗談ではない。熱があると認識できないぐらい、思考が熱に冒されてきているのだ。下手をしたら肺炎にかかる。
「体を起こしてください。ご自分の足で歩けますか? ご無理でしたら、わたしが背負っていきます。これからすぐ、病院に向かいましょう」
面倒だ、という言葉が返ってきて、桐山は一瞬、本気で朋幸を怒鳴りつけたくなる。朋幸のどんな傲慢さもわがままも意地っ張りな面も、すべて桐山にとっては愛すべきものだが、自分の体調に無頓着なのだけは、許せない。
「ダメです。――抱きかかえて連れて行きますよ」
ここで朋幸がはっきりと目を開く。頬が見事に紅潮していた。
「……背負っていくって言ったじゃないか」
「なら、どちらがいいか、お選びください」
子供のように唇を尖らせた朋幸は結局、緩慢にな動作で半身を起こし、桐山が手を貸すと、ふらふらとしながらも自分の足で立ち上がる。
できるなら朋幸を抱きかかえてしまいたいが、人目があるこんな場所で、もちろんそんな行為ができるはずがなかった。
「――申し訳ありません」
桐山が低く声をかけると、熱っぽい吐息を洩らした朋幸が唇に笑みを浮かべる。
「なんでお前が謝るんだ」
「あなたが高熱を出されるまで、異変に気づきませんでした」
「仕方ないな。ぼくも気づかなかったんだから。頭も痛くなかったんだ。ただ、ぼーっとしてるなと思って」
静かに安堵の息を吐いた桐山の鼻腔を、消毒薬の微かな匂いが掠めていく。
一階の外来受付のざわついた空気がうそのように、この個室は静かだった。
本澤家とはずっとつき合いがある病院側の配慮で、こうして、空いている個室を使わせてもらっているのだ。
朋幸の診断結果はやはり風邪で、肺にも少し影が出ていた。肺炎の一歩手前だ。一気に熱が出たのもそのせいらしい。
今朋幸は、ワイシャツ姿でベッドに横になり、点滴を受けているところだ。
入院をする必要はないが、熱が下がるまでは安静とのことだ。ベッドの傍らに置いたイスに腰掛けた桐山は、じっと朋幸を見つめ続けていた。
点滴が終わり次第、会社にも寄らずに朋幸を、両親がいる実家に送り届けるつもりだ。自分では何もできないと痛感したらしい朋幸は、この決定に黙って頷いてくれた。
さきほど朋幸の実家に電話を入れ、朋幸の母親に事情を説明した。心配しながらも、どこか嬉しそうだった朋幸の母親の声の様子は、桐山の聞き間違いではない。
朋幸はよほどの用がない限り、面倒くさがって実家になかなか帰らないので、事情はどうあれ、息子である朋幸が帰ってきてくれるのが嬉しいのだろう。
この成り行きに、桐山は心の半分で安心している。実家にいる限り、誰も朋幸に危害を加えられないはずだ。
朋幸が、点滴の針を刺していないほうの手を伸ばしてくる。体温の高くなったてのひらが頬に触れ、桐山はその手をぎゅっと握り締める。
「なかなかいいもんだな。昼間からこんなにのんびりできるなんて。たまには風邪もひいてみるもんだ」
「……冗談ではありません。ソファでぐったりしているあなたを見て、わたしの心臓がどうにかなりそうでした」
花が綻ぶように朋幸が微笑む。
「大変だな。ぼくの秘書も。総会の準備でバタバタしているのに、うろつくマスコミの人間にまで注意しないといけないんだから」
桐山はじっと朋幸の顔を見つめる。
「あなたのことを思えば、大したことではありません」
「あの記者のせいで、ちょっとした騒動だ。お前も、父さんも。……過保護だ、という気はない。あの記者がぼくにつきまとえば、結果としてお前に負担がかかるんだ。だったら、父さんの力を借りてでも、すっぱりと処理したほうがいい」
橘の件があってから、朋幸は自分の甘さと厳しさを使い分ける手段を身につけたかもしれない。ふと桐山はそう思う。
挑発的な朋幸の眼差しがじっと桐山を見上げてくる。
「汚い仕事をすべて自分一人で片付けようとするな。ぼくだってこの先、庇護されるだけのお坊ちゃまでいようとは思わない。――汚れるなら、お前と一緒だ」
静かながらも熱い気持ちの高ぶりに、桐山の胸が詰まる。
「朋幸さん……」
「そうでないと、お前の眉間のシワが増えるしな。渋いのはいいが、過ぎると怖いだけだぞ」
頬に触れていた手が動き、首にかかる。そっと引き寄せられたので、桐山のほうからさらに朋幸に顔を寄せる。
「……責任を感じているんなら、言う通りにしろ」
「なんでもいたします」
まじめな顔で答えると、朋幸は熱で赤くなった顔を目元まで染める。
「――キス、したい。今、お前と」
「わたしには風邪は移らないと思いますよ。あなたを守るために鍛えていますから」
言った途端に、潤んだ目で睨みつけられる。誘われるように桐山は、朋幸の乾いた唇をそっと塞ぐ。
甘美なほど、朋幸の口腔は熱い。つい我をなくした桐山は、やはり熱い朋幸の舌を夢中貪っていた。
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