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低体温なカンケイ
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[2]


 エリックが再びバーでジェイミーと出会えたのは、十日後のことだった。
 毎日仕事帰りに店内を覗いてはいたのだが、タイミングが悪いのか、単にジェイミーが立ち寄っていなかったのか、この日まで会えなかったのだ。
 だからこそ、扉を開けて真っ先に金髪を見つけたとき、奇妙な安堵感がエリックの胸に広がった。
 ジェイミーは今夜はテーブル席に一人つき、やはり何か読んでいた。今日は雑誌ではなく、文庫のようだ。
 エリックが静かに歩み寄っていくと、ハッとしたように顔を上げジェイミーがこちらを見る。次の瞬間には、アイスブルーの冷たい瞳で睨みつけられた。
 エリックにすかさず敵意を向けてくるところなど、やはりあの『お坊ちゃま』を連想させられる。
 皮肉っぽく笑いかけると、乱暴に本を閉じたジェイミーが慌ただしく帰る準備を始める。
「――逃げなくてもいいだろ」
 ジェイミーの肩に手を置くと、邪険に払い退けられた。
「誰が、逃げるんだ」
 返ってきた言葉に、エリックはニヤリと笑う。
「ということは、俺が座ってもいいな」
「なっ……」
 ジェイミーの返事も聞かずイスに腰掛けたエリックは、空いているイスに自分の荷物を置く。そしてビールを注文した。
 ジェイミーの前にあるのは、頼んだ本人の瞳の色より、ずっと淡く優しい水色をしたカクテルだ。それをエリックに見られるのが嫌だとばかりに、ジェイミーは一気に飲み干してしまった。
 そして、何事もなかったように再び文庫を開いてしまう。まるで、エリックの存在などそこにないかのように。
 生意気だ、とエリックは口中で洩らす。昔から、自分の他人への無関心は棚に上げ、他人から無視されるのが何より嫌いなのだ。
 ビールが目の前に置かれると、半分ほどまで飲んで喉を潤す。
「どうしてわたしに構う」
 前触れもなく冷ややかな声が問いかけてくる。エリックは短く答えた。
「興味がある」
「なぜだ。お前とわたしは、たった一度、この店で会っただけだ」
 目に見えてジェイミーは警戒していた。開いたばかりの文庫をすでに閉じ、アイスブルーの瞳はどこまでも冴え冴えとした光を湛えている。
 エリック自身、他人に対して愛想がよくないが、ジェイミーの態度は異常なほどだった。
 拒絶、という言葉が日本語で頭に浮かぶ。同時に、十日ほど前にダグラスから聞いた話も思い出した。
 半年ほど前、一緒に飲んでいた仲間たちを急に避け始めたジェイミー――。
 本当に避けたいのは、誰だったのか。
「……が、あった……」
 唸るようにエリックが言うと、ジェイミーは眉をひそめる。
「何か言ったか?」
「一体何があった。ロベルト・ルスカという男と」
 瞬間、ジェイミーの表情に激高が走った。アイスブルーの瞳が炎を孕んでエリックを睨みつけてくる。
 核心を突いたと、手ごたえを感じた。だが、会心の笑みを浮かべられるような心境ではなかった。むしろ、苦々しくて、腹立たしい。
 ジェイミーはただエリックを睨みつけてくる。このままでは話が進まないと感じ、エリックは少しだけ自分の手の内を明かした。
「――……ダグラスと、会社は違うが同じビルで働いているんだ。この店に来たのは、奴に紹介されたからだ。……友人ができそうにもない奴には、そうやってお節介を焼いているらしい」
「そうだな。お前は、他人が避けたくなるタイプだ。傲慢で偉そうで、人を見下している。それに礼儀も知らない」
「ロベルトは違ったか?」
 炎を孕んでいたジェイミーの瞳は、瞬く間に冷えた。心底、エリックに怒りを感じているのだ。
「……お前に答える義理はない。だいたいお前とロベルト、どういう関係があるんだ」
「知人の知人、だ。その知人から、俺はこれ以上なく毛嫌いされているがな。ロベルト・ルスカという男は、直接は知らない」
 ようやく事情が呑み込めたように、ジェイミーはスッと目を細める。
「その知人の弱みを探しているのか? 勤めている会社もハイエナみたいなところだが、働いている人間も似たようなものだな」
 ジェイミーに好き勝手言われ、エリックも意趣返ししたくなった。
 今のところ、考えうる限りもっともジェイミーにとって残酷な言葉を囁いてやる。
「――……取り澄ました顔をしているが、本当はロベルト・ルスカに捨てられたんじゃないのか。そして、お前を捨てたロベルトが新たにつき合い始めたのが、雑誌に載っていた猫みたいなモデル――だとしたら、お前の反応も納得がいく」
 ジェイミーの白い頬がさらに白くなった気がした。その様子を見てエリックは、胸が空くような気持ちにはなれなかった。
 こういう感覚をなんというのだろうかと考えて、胸クソが悪い、という日本語が頭に浮かんだ。
 その感覚を、ビールの残りとともに流し込むと、エリックは話を続ける。
「俺は、ロベルトという男そのものには興味はない。用があるのは、そのロベルトの知人だ。そいつを追い込むために、いろいろと動いている。だからどんな情報でも欲しい」
 すると、顔を強張らせていたジェイミーが、ふっと笑みを見せる。投げ遣りな表情だった。
「わたしは、ロベルトについては、あまり知らない。ふわふわしている単なるイタリア男かと思っていたら、父親の会社を手伝っていると言い出して、急にビジネスマンになって……。誰かに熱を上げたと思っていたら振られて、いい気味だと思っていたら、今度はあのモデルが現れた。わたしとのつき合いは、そこまでだ。あとのことは知らない」
「モデル以外に、熱を上げていた相手というのは?」
「……さあ」
 ジェイミーは文庫を傍らの鞄に入れ、帰る準備を始める。エリックは刺々しい声を発していた。
「おい、俺の話はまだ終わってないぞ」
「わたしはもう、ロベルトに興味はないし、関わるつもりはない。ロベルトのことを知りたければ、ダグラスにでもあたれ」
「特別な関係だったのは、お前だろ」
「さあな」
 取り付くしまのないジェイミーの態度に業を煮やし、エリックは立ち上がろうとしたジェイミーの腕を乱暴に掴む。
「俺が狙っている相手にダメージを与えれば、ロベルトも無事では済まない。自分を捨てた奴に、復讐したくないか?」
 こう言った瞬間、ジェイミーのアイスブルーの瞳が苛烈な光を放ち、エリックを睨みつけてきた。エリックは睨みつけられたことよりも、瞳の色合いの壮絶な美しさに、気圧されていた。
 認めたくはないが、事実だ。
「――ゲス」
 吐き捨てるようにジェイミーが言う。エリックには、その日本語の単語の意味が理解できなかった。
 わずかに目を見開いてジェイミーを見つめると、これ以上なく皮肉っぽい、憎たらしい笑顔を向けられた。
「心がいやしくて貧しい、という意味だ。もっとわかりやすく言うなら、お前は最低の人間だということだ。わかったか?」
 エリックを襲ったのは、めまいがするような怒りと屈辱感だった。
「貴様っ……」
 ジェイミーを殴りつけたかったが、このときにはエリックの腕は振り払われ、肝心のジェイミーはテーブルを離れていた。
 エリックを振り返ることなくレジに向かい、さっさと支払いを済ませている。
 まだ訪れたばかりだが、エリックも急いで帰る準備をして、あとを追いかけていた。
「待てっ」
 通りに出て、ようやくジェイミーに追いつくと、肩を掴んで引き止める。強引に振り向かせた。
 車のライトやネオンの明かりを受けて、夜だというのにジェイミーの金髪がきらきらと輝く。同じぐらい強烈な色彩であるアイスブルーの瞳は、敵意も露わにエリックを睨みつけていた。
 同じような髪や瞳の色を持っている人間と、これまで何人も出会ってきたエリックだが、ジェイミーが相手だと、なぜこうもハッとさせられるのかと思った。
「……離せ。お前と話すことなどない」
 エリックは聞かず、ジェイミーと一緒に無理やり通りの隅へと移動する。
「――どうしてそんなにムキになる」
 抵抗してもエリックの手が外れることはないと悟ったのか、ジェイミーが挑発的な眼差しで見据えてきながら言った。エリックは軽く肩をすくめる。
「ムキになる? 俺がか? 俺は冷静だ」
「うそだな。粗野で余裕のないお前の行動は、追い詰められている人間のものだ。外見はクールを装っているが、これ以上なくムキになっている。プライドが高そうだから、自分で自分のそんな姿は認めたくないだろうがな」
 エリックのように、他人に対して簡単に手を上げられる人間ではないのだろう。ジェイミーの攻撃は、言葉だった。
 巧みな日本語を並べ立てられると、さすがのエリックもすぐには反論できない。それだけでなく、ジェイミーの言葉に神経を逆撫でられ、息苦しさと居心地の悪さを覚えていた。
 目の前の男は、そんなエリックを冷えた目で見つめている。他人に観察されるのは、心底不愉快だった。
 ようやくエリックは口を開く。
「お前は……、大学の講師をしていると教えてもらったが、心理学か何かか」
「単なる英語の講師だ」
「そのわりには、偉そうに俺の心理を語ってくれるな」
 どういう意味か、ジェイミーは薄く笑みを浮かべた。どことなく、エリックを哀れんでいるような表情にも見え、これもまた、不愉快だった。
「――お前がムキになる理由が、なんとなくわかった」
「何……?」
「お前は、誰を想っているんだ。ムキになるのは、誰かの心を奪いたいと思っているからじゃないのか。打算家の顔をして、やっていることは、思い詰めたウブな少年そのものだな」
 ギシッとエリックのプライドが軋む音を立てた。ジェイミーに徹底的に見下され、バカにされたのだとわかったからだ。
 あっという間に無表情に戻ったジェイミーが、足早に立ち去ろうとしたが、許さなかった。
 エリックは手首を掴んで引き止めると、間近で低く囁く。
「そういうお前はどうなんだ。自分を捨てた男のことが忘れられずに、その男の今の恋人の写真を、思い詰めた顔をして見ていたじゃないか。今もその男が欲しくてたまらないと、飢えた顔をしていただろ」
 次の瞬間、エリックは鋭く頬を打たれた。軽く眉をひそめたが、気分はそう最悪ではなかった。少なくとも、ジェイミーに動揺を与えたと確信できたからだ。
 二人は数分ほど、通りの隅で歯を食い縛りながら睨み合う。
 そうしながら、疑問がエリックの中で首をもたげていた。
 一緒にいて、こんなに不愉快になり、心の内を暴いてくるような相手と、どうして自分は言葉を重ねているのかと。
 気質がまったく合わないのは、初対面でわかっていた。いつものエリックなら、仕事でもないのに、こんな相手とまた会おうとは思わない。情報を引き出すためだとしても、エリックの目的はあくまで桐山と本澤朋幸であって、ロベルトという男でも、その恋人のモデルでもない。
 自分の心が揺れた気がして、エリックは苦々しく舌打ちする。心の内を吐露するように、思わず吐き出していた。
「……なんなんだ、お前はっ……」
「それを言いたいのは、わたしのほうだ」
 久しぶりにエリックは、自分の心の体温が上がった気がした。普段は凍っていることも意識しない、凍えて感覚もないような部分だ。
 うろたえたエリックは、ジェイミーの手首を掴んでいた手の力を緩める。待っていたようにジェイミーが手を振り払い、そんな態度にも腹立たしさを覚える。
 この男は、とことんまでエリックの神経を逆撫でる存在なのだと、悟るしかなかった。
 何も言わず立ち去ろうとしたジェイミーの背に、思わずエリックは英語でぶつけた。
「俺が生涯で出会った、たった一人のライバルを奪ったのは、お前と対照的な姿をしたお坊ちゃまだ。……お前と何もかも違う。なのに、睨みつけてくる目つきが、そっくりだ。人を見下した、嫌な目つきだ」
 ピタリとジェイミーの足が止まり、振り返る。取り澄ましたきれいな顔の中、アイスブルーの瞳は困惑の色を浮かべていた。
「……わたしは、絶対好きになりそうにないタイプの男を好きになったが、その男の心を奪ったのは、やはりお前とは対照的な姿形をした坊やだった。お前とは、目つきどころか、何も似ていない」
 初めて聞いたときも思ったが、ジェイミーの英語は、癖のないきれいなものだった。
「それは、よかった――……」
 なぜこんなことを言ってしまったのか、実のところエリック自身にもわからない。
 ただ、今のこの世の中で、自分ともっとも近い人間はジェイミーなのだと、本能で感じ取っのかもしれない。
 心の中に、絶対温度が上がらない部分を持ち、だからこそ、少しの熱でもいいから感じたがっていた。
 そんな心に熱を与えてくれようとしていた人間は、あっさりと誰かに奪われていき、残されてしまった自分たちは――。
 エリックはジェイミーに歩み寄ると、再びしっかりと腕を掴む。手の中の確かな手ごたえを感じながら、ふと思った。
 自分は『あの男』と、どうなりたかったのだろうかと。
「――……ジェイミー、飲み直さないか」
 エリックの言葉に、ジェイミーはじっと顔を見つめてきた。
 この男の、きれいなだけの人形のようなところは、苦手だと思う。自分の言葉が届いているのかと、イライラしてくるのだ。
 しかし、エリックはすぐに目を見開くことになる。ジェイミーが微かながら柔らかな笑みを浮かべたからだ。
「わたしは、お前みたいな瞳の色になりたかった。わたしの瞳は、冷たすぎる」
 急にこんなことを言われて、エリックはなんと答えればよいかわからず戸惑う。気にした様子もなく、ジェイミーは続けて言った。
「お前みたいな最低な男と飲むのは、嫌だ」
「……安心しろ。俺も同じ気持ちだ」
 だけど、とエリックは周囲を見回す。
「俺には、お前しかいない。お前も、俺しかいないだろ」
「――悲しいことにな」
 そう言ってジェイミーは自嘲気味に笑みを浮かべ、つられてエリックも唇だけの笑みを浮かべる。
 ジェイミーが、エリックが掴んでいないほうの手で乱れた前髪を掻き上げ、このとき白い額が露わになる。
 初めてエリックは、ジェイミーという存在に欲情という熱い感情を覚えていた。


 自分はこの男とどうなりたいのだろうかと思いながら、エリックは腕の中のジェイミーをじっと見つめる。
 ホテルの部屋で飲み直そうという、エリックのあからさまな誘い文句に、拍子抜けするほどあっさりとジェイミーは乗って、ついてきた。
 おそらく、本当の目的などわかっていたはずだ。だからこそ、飲むのもそこそこにエリックが行動を起こしても、抵抗しない。
 しなだれかかってくることもなければ、嫌そうに身じろぐことすらしない、普段であれば興を削がれるだけの、おもしろみのない相手だ。
 それでも――エリックは腕の中で、身を硬くすることもなく、ただ突っ立っているだけの男に、欲情を覚えていた。
 陶磁器でできているかのように、冷たい肌をしているかと思ったジェイミーは、エリックの腕の中で肌が熱くなっていた。ワイシャツ越しに感じ取れるぐらいだ。
「……どうして、抵抗しない」
 思わずエリックが尋ねると、バカにしたような目でジェイミーが見上げてきた。
「抵抗するぐらいなら、最初からお前みたいな男についてこない」
 やはり憎たらしい奴だと思いながら、エリックは乱暴にジェイミーの髪に指を絡める。想像していた通り、細くて柔らかな髪だった。
 髪を鷲掴むと、ジェイミーが痛そうに眉をひそめる。嫌がるように頭を振ろうとしたが、構わずエリックは無遠慮にジェイミーの唇を塞いだ。
 激しく唇を吸い、容赦なく口腔に舌を差し込む。ジェイミーは受け入れるどころか、拒絶するように舌を押し返そうとしてくるので、エリックはその舌に噛みついてやった。
 こんなに色気も情緒もないキスは初めてだった。そのくせ、厄介なほど熱い欲情だけは胸の奥で暴れているのだ。
 唇を離すと、ジェイミーの体を突き飛ばす。ベッドの端に座り込んだジェイミーが、アイスブルーの瞳に強い光を宿らせて見上げてきていた。
 こんなに冷たく見える男でも欲情することはあるのだろうかと思いながら、エリックは自分のネクタイを抜き取りながらベッドに乗り上がり、ジェイミーの体を押し倒した。
 クリーム色のシーツの上に金色の髪が散り、鮮烈な二つの青が、怯むことなくエリックを捉えてくる。
 ロベルト・ルスカという男に組み伏せられていたときは、ジェイミーはどんな様子だったのだろうかと思いながら、手荒にジェイミーのワイシャツのボタンを外していく。
 露わになった白い肌は、ほんとうに陶磁器を思わせたが、てのひらを這わせるとしっとりと汗ばみ、熱い。
 何も感じていないわけではないのだと思ったら、エリックは喉の奥から笑い声を洩らしていた。
「なんだ?」
 怪訝そうにジェイミーが尋ねてくる。エリックは自分のワイシャツのボタンを外しながら答えた。
「いや、不感症そうな顔をしているが、感じることは感じるんだと思ったら、笑えた」
 カッとしたようにジェイミーが起き上がろうとしたが、エリックは胸を突き飛ばしてベッドに叩きつけた。
 威圧するようにのしかかり、ジェイミーの両手首を掴んで押さえつけると、本格的に行為に及ぶ。
 噛みつく勢いでジェイミーの白い首筋に食らいつき、愛撫する。あっという間にジェイミーの肌は赤く染まっていき、ワイシャツを剥いていきながら、肩先に強く歯を立てた。
「はっ……」
 ジェイミーが短く息を吐く。抵抗するように、ベッドに押さえつけている手首に力が加わったので、それ以上の力で押さえ込む。
 荒い呼吸を繰り返しながら、エリックはジェイミーの唇を塞ごうとしたが、嫌がるようにジェイミーが顔を背ける。
 意識してなのか無意識なのか知らないが、この男はよく、人の欲望を煽ると思った。
 残酷な笑みを口元に刻むと、エリックは強引にジェイミーの唇を塞ぎ、片手で体をまさぐる。
 エリックの下で、ジェイミーの体がのたうつ。それを押さえつけて愛撫を加えていくのは、力仕事だった。いっそのこと殴りつけておとなしくさせられたら、どれほど楽だろうとも思う。
 こんな苦労までして、自分は何をしているのだろうかともエリックは思うが、ジェイミーのワイシャツを剥ぎ取り、下肢を半分まで剥き、白い体を露わにしてしまうと、まあいい、という気になる。
 自分もワイシャツを脱ぎ捨てて素肌同士を重ねると、一瞬の充足感を覚えた。
 ジェイミーの体温は、自分の心の凍った部分を温めてくれるのだろうかと、夢見がちなガキのようなことを思う。
 やっと素直にキスを受け入れるようになったジェイミーのものをてのひらに握り込む。するとエリックを押し退けようと、肩に手がかかった。
「……お前は、何から何まで、乱暴すぎる。わかってはいたけど、ガサツな男だな」
 ジェイミーの口から出たのは、日本語での非難だった。
 鼻先で笑ったエリックはわざと手荒に、握ったジェイミーのものを上下に扱く。
「あうっ」
 声を洩らしたジェイミーの指が肩に食い込む。エリックは両足を大きく開かせ、自分の腰を割り込ませると、しっかりとジェイミーの無防備な姿を見下ろしてやる。
 プライドが高く冷たい男を組み伏せているという実感を味わうためだ。
 ジェイミーが片手で、エリックの手の動きを制止しようとするが、意地悪く邪険に払いのける。睨みつけられたが、薄い笑みで返してやった。
 顔を背けたジェイミーの首筋から胸元にかけて、さらに肌が紅潮してくる。
 さすがにそそられるものがあると思いながら、エリックは誘われるように顔を伏せ、ジェイミーの首筋に濃厚な愛撫を与える。
 てのひらの中で、ようやくジェイミーのものが震え、しなり始める。
 エリックは粗野な愛撫で滑らかな肌に派手な痕をつけていきながら、自分もスラックスの前を寛げ、欲望を外に引き出す。
 最後までイかせてやるほど、自分は優しくない。
 心の中で呟くと、上体を起こしたエリックはジェイミーの体をひっくり返してうつ伏せにして、腰を抱え上げる。
「エリックっ」
 さすがにジェイミーが驚いたような声を上げると、エリックは皮肉っぽい口調で応じた。
「ロベルトは優しくしてくれたみたいだが、あいにく俺は、そこまで優しい男じゃないんだ。その様子なら、ロベルトはお前に優しくしていたみたいだな。お前としては、前の男と俺と、重なる部分があったら嫌なんじゃないか」
 エリックを睨みつけてこようと横顔を見せていたジェイミーが唇を噛む。その唇にキスしてみたいと思った自分自身に、エリックは戸惑った。
 わざと乱暴にジェイミーの頭をクッションに押さえつけてから、指を簡単に唾液で湿らせる。
 冷たい男の、思いがけず熱くなっている場所に、一息に指の付け根まで挿入した。
「あううっ」
 堪えきれないようにジェイミーが苦痛の声を洩らす。腰を捩って逃れようとしたが、エリックはすかさず指を曲げて、強く挫いてやった。
 ジェイミーの腰が震え、中がきつく収縮する。
「いい締まりだな」
 わざと下卑た言い方をすると、クッションに頬をすり寄せながら、ジェイミーに睨みつけられる。ただアイスブルーの瞳は濡れたような艶を帯びており、冷たい言葉しか吐き出さない唇は、赤く色づいていた。乱れた金髪が頬に張り付いている様は、扇情的としかいいようがない。
 なるほど、とエリックは思った。ジェイミーは男を受け入れ慣れている。
「ロベルト一人、というわけではなさそうだな。お前の体の具合からして」
 まとわりついてくる熱い粘膜と襞の感触がよくわかり、ゆっくりと中を撫で回してやる。いくら指でこじ開けてやろうが、次の瞬間にはジェイミーのそこは絞り上げてくるように締まる。
「余計なことを、言うなっ……。わたしが誰と寝ていようが、貴様に関係ない……」
「一人の夜が寂しい、という感傷が、お前にもあるんだな」
「――……お前はないのか」
「俺は仕事が忙しい」
「言い訳としては、便利だな」
 冷めた声でジェイミーが言い、怒りに駆られたエリックは乱暴に中を指で突き上げる。ジェイミーが必死にシーツを握り締め、その姿を見てわずかに胸の溜飲が下がった。
 だがすぐに、エリックの胸には燃えるような欲情が湧き起こる。今夜の自分はどうにかなったのではないかと思えるほど、本能に抑制が利かない。
 ジェイミーの中から指を出し入れしながら、その度にしなる紅潮しかかった白い背を眺める。気がついたときには、唇を押し当てていた。
「あっ、う……」
 初めてジェイミーが切羽詰ったような声を上げる。指を深くしっかりと埋め込んだまま動きを止め、獣のように忙しく舌を使って背骨のラインを舐め上げてやると、舌の動きに応えるようにジェイミーの中が蠕動した。
「いやらしい体だな。誘っていやがる」
 中から指を引き抜き、エリックは余裕なく自分の高ぶりを押し当て、慣らす手間も惜しんで強引に押し入る。
「うああっ」
 ジェイミーが高い声を上げたが、エリックはためらうことなく、ジェイミーの狭い場所の奥深くまで一気に貫いた。
 強烈な締め付けに、エリックは小さく呻く。それでも乱暴に腰を揺すり、ジェイミーを攻め立てる。
 獣のような交わりだと思った。それが今の自分たちにはお似合いだとも。
 目に見えてジェイミーの背が汗で濡れてくる。エリックは手慰みにてのひらを這わせ、吸い付くような感触を堪能する。
 吸い付くといえば、ジェイミーの中の感触もそうだった。軋むほど狭いくせに、気がつけば従順にエリックの欲望を呑み込み、物欲しげに締め付けてくるのだ。どう動こうが、まとわりつき、吸い付いてくる。
 壊してやりたい、とエリックは強く願った。
 自分でもよくわからない衝動だ。ただ、熱く柔らかなジェイミーの感触が、忌々しい。他の男も味わったのだと思えば、なおさらだ。
 ジェイミーが何度も悲鳴を上げるほど、乱暴な律動を繰り返し、最後には汗に濡れた金髪の後ろ髪を片手で掴んで、大きく腰を突き上げる。
 エリックは、ジェイミーの快感に一切構うことなく、自分勝手に上り詰め、果てた。
 欲望の飛沫を容赦なくジェイミーの中に注ぎ込んでいきながら、震える腰を掴み、もう一度突き上げる。
「あっ……ん」
 予想外に、ジェイミーが初めて艶かしい声を上げた。驚いたエリックは、ジェイミーの前方に手を回す。
「触る、なっ……」
 ジェイミーが抵抗しようとしたが、その前にジェイミーのものに触れる。力を失い、内腿がぐっしょりと濡れていた。
「あれで、イッたのか?」
 エリックの問いかけに、答えはなかった。ただジェイミーはクッションに顔を伏せ、全身を小刻みに震わせている。
 その姿に、エリックはまた高ぶりを覚えた。
 中から自分のものを引き抜くと、再びジェイミーに悲鳴を上げさせる。
 ジェイミーの体を仰向けにすると、足に絡みついたスラックスと下着を剥ぎ取り、全裸にする。自分も同じ格好となると、エリックはもう一度、ジェイミーに挑みかかった。
「エリックっ……」
 強引に中に押し入ると、ジェイミーが両手を振り上げてエリックを押し退けようとしたが、ベッドの上に押さえつけて、唇を塞ぐ。
 濡れそぼったジェイミーの中が、柔らかくエリックのものを締め付けてくる。緩慢に突き上げてやると、ジェイミーの体が溶けた。
 力が抜けたのを確かめて、捉えていた手首を解放する。おずおずとエリックの肩に両手をかけてきた。
 乱暴なキスから、柔らかく唇を啄んでやる。すると、濡れたアイスブルーの瞳が睨みつけてきた。
「……あいつみたいな、キスをするな」
 目を見開いたエリックだが、すぐに皮肉っぽく笑いかけてやる。
「そうだな。俺らしくないな」
 そう言って、力でねじ伏せるようなキスを与えてやる。初めてジェイミーもキスに応え、激しく舌を絡め合っていた。
 ジェイミーの両手がエリックの背に回され、両足も腰に絡みついてくる。
 ようやく、ジェイミーの心の凍っていた部分にも、なんらかの熱が灯ったらしい。それをさらに煽ってやるため、エリックはジェイミーの中を深く抉ってやる。
 ジェイミーの爪が背に立てられ、エリックは思わず身震いしていた。


 汗で湿ったジェイミーの髪の感触が心地よかった。何度も指で梳いてやりながら、もう片方の手で煙草を吸う。
「猫でも撫でるみたいに、触れるな」
 ふいにジェイミーの声が上がり、視線を向ける。眠ってばかりいると思っていたジェイミーが、うつ伏せの姿勢のまま、目だけでエリックを見上げてきていた。
 エリックはニヤリと笑いかける。
「気絶して、そのまま寝込んでいるのかと思っていたぞ」
「……好きに言え」
 ジェイミーにしては珍しく、髪に触れ続けるエリックの手を払いのけようとはしなかった。そんな体力も残っていないのかもしれない。
 ゆっくりと煙草の煙を吐き出したエリックは、ジェイミーを抱きながら考えていたことを口にした。
「――お前、本当にロベルト・ルスカという男が好きだったんだな」
「らしくないことを言うんだな。お前みたいな情も解さないような男が」
「解したくもないな。恋愛感情は……人間を変える」
「変わるのが怖いんだな、お前は」
「そうかもな……」
 欲情のくすぶりが、二人の会話を穏やかなものにしていた。もっとも他人には、これまでの会話との違いなどわからないだろうが。
 互いにさえわかれば、いいのだ。この会話のやり取りの本当の意味など。
「……わたしも変わった。ロベルトと出会って。あとには、変わり果てたわたしだけが残された」
 エリックの胸に、苦い感傷が広がる。この感傷はなんだろうと思った。忌々しくて仕方ないのに、手放しがたい切なさを帯びている。
 何より、切ないという感情を覚えている自分自身に驚いた。
「俺は、変わる前のお前なんて知らないがな」
「そういえば、そうだな……」
 ジェイミーは口元に微かな笑みを浮かべた。
「もう変わることはないだろうな。わたしはもう――誰も好きにならないから」
 最後の台詞は日本語だった。英語だろうが日本語だろうが、ジェイミーの言葉の痛さは、エリックの心にも響く。
 俺らしくない――。エリックは口中で呟く。
「何か言ったか?」
 ジェイミーが頭を起こそうとしたので、頭に手を置いてクッションに軽く押し付ける。ついでに手荒く金髪を掻き乱してやった。
 胸を掻き毟りたくなるような、この不可解な感情はなんだろうかと思った。こんなにイライラとさせられるぐらいなら、いっそのこと心のすべてが凍りついてしまえばいいとすら、思う。
 反面、ジェイミーの髪の感触が心地いいと、感じる心がなくなるのは、嫌なのだ。
「俺も、パートナーはいらない。馴れ合って弱くなるようなら、一人がいい」
「互いに心を残さないというなら、わたしたちはお似合いかもな。絶対に、相手を恋愛のパートナーとは見ないし、仕事も重ならない」
「……友人でもない」
「それどころか、お互いが嫌い合っている」
 二人は同じタイミングで笑い声を洩らした。
 日本に来てから荒む一方だったエリックの気持ちが、ふっと安らぐ。こんな生温い感触など求めてはいなかったが、悪くはない。
 ジェイミーと、割り切った体の関係を結ぶのも。
「――……わたしに二度と、ロベルトやその恋人のことは聞くな」
 ジェイミーの出した条件に、エリックはあっさりと返事をする。
「ああ」
「わたしも、お前が誰に執着しているのかは、聞かない」
「ああ……」
 エリックは煙草を咥えたまま天井を見上げる。
 自分は桐山とどうなりたかったのか考える。同時に、ジェイミーとどうなりたいのかも。
 何もかも、エリックに答えが出せないことばかりだ。
「……俺はけっこう、頭が悪いのかもな」
 エリックの洩らした言葉に、ジェイミーが怪訝そうな表情をする。しかしすぐに、小さく笑みをこぼした。
「それがわかっただけでも、頭はいいのかもな」
 ジェイミーのその答えに、エリックは素直な気持ちで声を上げて笑っていた。
 このとき、ジェイミーがぽつりと洩らした。
「――わたしは、今度はうまくやる」
 その言葉の意味など、エリックにはわからなかったが、意味は尋ねなかった。
 尋ねては、いけない気がした。









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