VIVIDなカンケイ
-- 03 --



 車の後部座席にべったりともたれかかった有理はデジカメを手に、ここ何日かで撮り溜めたアビの画像に目を細めていた。
 朋幸の買ってくれたさまざまなおもちゃは一通り試してみて、アビなりにお気に入りのおもちゃというものができたようだ。
 画像の一枚には、真剣な表情で猫じゃらしを手に、飛びついてくるアビを躱すロベルトも写っている。
 この画像はさっそく、朋幸に送らなければ――。
 ここ数日の有理の日課は、アビの画像を朋幸のパソコンに送信することだ。
 そのうち、毎日は送ってこなくていいと、向こうから苦情がきそうだ。
 取材を終えて、車の中でほっと一息つく時間を、そうやって過ごしていた有理だが、ふと思い出したことがあって、デジカメの電源を切ってから姿勢を戻す。
 車を運転する澄川に声をかけた。
「――ねえ、澄川さん」
「何?」
「午後からの仕事って、あれ、だよね?」
 百瀬がいる電器メーカーのCMのための衣装合わせだ。もう、百瀬がやってくることはないだろうが、それでも、露骨な誘いを断ってから初めて、百瀬がいる会社との本格的な仕事だ。
 一週間前の出来事とはいえ、いまだに思い出すと気分はよくない。
 当然、ロベルトには百瀬との間にあったことはまったく話していないし、気取られるようなまねもしていない。
「そうよ。どこかでお昼を食べたら、会社のほうに出かけないと」
「……あー、そう」
 憂うつだが、仕事だからと割り切るしかない。
 有理はもう、前までの中途半端なモデルではない。丹羽商事という後ろ盾のある『アニョーナ』のイメージモデルを一年間務める大役を果たしている最中で、大事な時期なのだ。
 他の仕事で問題を起こせば、ロベルトだけでなく、朋幸がいる丹羽商事にまで影響を及ぼしかねない。
 大きくため息を吐き出してから、頬をピタピタと叩く。顔がどうしても強張りそうになるのだ。
 このとき、澄川の携帯電話が鳴り、澄川はすぐに車を車道脇に停めて電話に出る。
 澄川の困惑したような返事を聞き流しながら、有理はもう一度デジカメの電源を入れ、ロベルトとアビが一緒に写っている画像を出す。
 今のところ、有理にとっては何ものにも替えがたいものだ。
 ロベルトとアビとの楽しい生活のためにも、がんばらないと――。
 健気にそんなことを考えている有理の耳に、澄川の発した不穏な声音が届いた。
「それは、本当ですかっ? 本当に先方が、そんなことを……」
 何事かと運転席を見た有理は、反対に後部座席を振り返った澄川と目が合う。
 困惑している澄川の様子から、電話の話題となっているのが自分自身なのだとすぐにわかった。
「そういうことなら、仕方ありません。わたしから事情を聞いてみます。……ええ、今日はこのまま帰るということで」
 電話を切った澄川がショックを受けたように顔を伏せ、黙り込む。だが十秒も数えないうちに顔を上げ、有理を振り返った。
 このときの澄川は、有理以上に顔が強張っていた。嫌な予感を感じつつ、有理から水を向ける。
「――……何か、あった?」
「実は――」
 澄川が電話で聞いた話によると、百瀬がいる電器メーカーから事務所に連絡が入り、有理が今回のCMの仕事に乗り気ではないと指摘されたのだという。
 前回の打ち合わせでの、メーカーに対する有理の態度が悪かった、というのが理由らしいが、こちらにしてみれば、こじつけも甚だしい。
 澄川も同じらしく、首を傾げる。
「前までのユーリならともかく、先日の打ち合わせのユーリの態度に問題はなかったと思うんだけど」
「……なんでもいいんだよ。おれが気に食わないって言いたいんだから」
 有理には、相手の――百瀬の目的がよくわかっていた。これは、百瀬の誘いを容赦なく断った有理に対する嫌がらせだ。
 髪が逆立ちそうなほどの怒りに襲われ、有理は肩で息をする。
 そんな有理を、澄川が心配そうに見つめてくる。
「先方と、わたしの知らないところで何かあったの?」
「ないよ。おれにはね。向こうが一方的に突っかかってきているだけだ」
「とにかくあちらに詳しく事情を聞いて、こちらに責任があると言うなら、頭を下げないと……」
「こっちに責任なんてあるわけないだろっ」
「――……ユーリ、理不尽な要求なんて、この世界ではいくらでもあるのよ」
 それぐらいわかっているが、今回だけは別だ。仕事とはなんの関係もない、おそらく私怨なのだ。
「……午後からの衣装合わせなくなったんだろ?」
「もしかすると、撮影も延期になるかもしれない」
「じゃ、今からオフってことだ」
 有理はデジカメをカバンに突っ込んで肩からかけるとさっさと車を降り、ガードレールを跨いで歩道に入る。
 背後から澄川に呼び止められたが、振り返らなかった。まったく悪くない澄川に八つ当たりしてしまいそうだ。




 家に帰り着いた有理はふてくされ、一階の自分の部屋の床の上に転がる。
 喜んでいるのはアビだけで、有理にじゃれついてきてはしきりに鳴き声を上げる。
「……あの、くそオヤジっ……」
 口中で毒づいてから、ネズミの形のおもちゃを目の前に投げると、すかさずアビが転がる勢いで追いかけ、前足で必死に押さえつけようと奮闘している。
 何かを期待するようにこちらを見るので、有理はズリズリと床の上を這って近づくと、
再びおもちゃを投げてやる。
 無邪気なアビの様子を見ていると、多少のことは我慢してがんばらなければ、という気にはなる。
 しかし、仕事にたいするプライドと、自分を保つということのプライドは、両立できない場合もあるのだと痛感する。
 ここで、床の上に放り出していた携帯電話が鳴る。絶対電話はかかってくると、確信めいたものがあったので手近に置いてあったのだ。
 有理はすかさず電話に出る。
「もしもしっ」
『おいおい、最初からケンカ腰だな』
 案の定、電話は楽しげな声の百瀬からだった。有理はギリギリのところで舌打ちを堪える。
 あまりの腹立たしさに、胸がむかついてくる。
「部長さんがなんか用? まだ昼前で、仕事中だろう」
『そういうお前は、暇なんじゃないか』
「誰かさんが、仕事の邪魔をしてくれるからね」
『――大人の言うことは素直に聞けということだ』
 起き上がろうとしていた有理は、ピタリと体の動きを止める。有理を取り巻く空気の変化に気づいたのか、一心におもちゃで遊んでいたアビが怯えたように有理を見上げてきた。
 アビの頭をそっと撫でながら、有理は甘えるような声を発する。
「そうだね。おれも、つまらない意地を張ったから。だけど百瀬さんが、情緒も何もない誘い方をしたから悪いんだからね」
『お前の機嫌の取り方を忘れてしまったんだ。……またつき合ってくれたら、すぐに思い出す。わがままな猫の甘やかせ方は』
 有理は笑みを浮かべる。ただし、唇を歪めた、自分でもわかるほど凶悪な笑みだ。
 それでも声だけは、甘える響きを崩さない。
「いつ、機嫌を取ってくれるわけ?」
『いつでも。明日の夜なんてどうだ』
「――いいよ」
『最初から素直にそう答えていれば、俺も妙な難癖を、部下からお前の事務所に言付けさせなくて済んだんだ』
 用は済んだと言わんばかりに、百瀬が電話を切ろうとしたので、有理は呼び止める。
「ところで百瀬さんさあ、今回のCMにおれを使うって話、百瀬さんが言い出したわけ?」
『そうだと思ったから、俺の機嫌を取る気になったんじゃないのか?』
「別に。もうどうでもいいし」
 それともう一つ、と質問を続ける。
「百瀬さん、今どこ?」
『会社だ。……もしかして、今から昼メシを食わせろなんて言うんじゃないだろうな』
「さあね」
 それだけ言って電話を切った有理は、瞬時に笑みを消して立ち上がる。
 手早く着替えを済ませると、自分のバッグにアビの餌とおもちゃを突っ込み。キャリー
バッグには肝心のアビを入れる。
 嫌がるように鳴くアビに、有理は優しい声音で語りかけた。
「窮屈だけど、少し我慢しろよ。これから――楽しい場所にお出かけだからな」
 さっき帰宅したばかりだというのに、有理はまたすぐに出かける。
 身を焼かれそうなほどの強烈な怒りが持続している間に、絶対やっておかなければならないことがあった。
 そうでなければ、自分が自分でなくなる。
 有理は歩く速度が緩みそうになる度にそう自分自身に言い聞かせ、歩き続ける。
 大通りに出ると、タクシーに乗り込む。
 行き先はもちろん、百瀬がいる会社だ。
「……おれ、今日で無職かもなあ」
 思わず声に出してぼやく。これからやることを思えば、それも仕方がない。しかし、じっとしていられないし、気が済まない。
「まだ若いんだから、いい仕事が見つかるよ」
 ハンドルを握るタクシー運転手に声をかけられ、有理は殊勝に頷く。
「そうだよね」
 キャリーバッグの中のアビを覗き込むと、話しかける。
「モデルで稼げなくなっても、お前には美人のお嫁さんを見つけてきてやるからな」
 わかっているのかいないのか、アビがのんびりとした声で鳴く。
 百瀬がいる会社のビルの前でタクシーを降りると、有理は大きく息を吐き出す。
 スーツ姿の人間が多く往来するビルの前に立つ、子猫の入ったキャリーバッグを手に、ジーンズにTシャツ、シャツを羽織った格好に、赤い髪の有理はかなり目立つ。
 奇異の視線を向けられながらも、有理はまっすぐ前を見据えて足を踏み出す。
 ビルに入ってまっすぐ受付に向かうと、目を丸くする受付の女性に告げた。
「広報の、百瀬さんに用があるんだけど」
 お約束は、と問われ、有理は艶然と笑いかける。
「ないけど、モデルのユーリだと言ってくれれば、話は通じると思うよ」
 悠然とロビーに置かれたソファに腰掛けると、戸惑ったような表情ながらも電話をかける受付の女性の姿を、横目で確認する。
 隣にそっとキャリーバッグを置くと、有理は指を鳴らして準備を始める。
 受付で名乗ってから十分もしないうちに、百瀬はロビーに姿を現した。
 顔色を変えていれば、有理の怒りも多少は冷めたかもしれないが、百瀬は悠然と笑っている。
「なんだ、やっぱり昼メシを食わせてほしいというのか?」
 ソファの前に立つと、開口一番に言われる。有理は愛想よくにこにこと笑いながら立ち上がり、百瀬と向き合う。
「んー、昼メシはどうでもいいんだ。電話のあと、どうしても百瀬さんと会いたくなってさ」
「わがままなところは変わってないな」
 渋く装いながらも、百瀬の口元が綻んだのを有理は見逃さない。
 スッと笑みを消し、思いきり蔑みの表情を浮かべて、百瀬のにやけた顔に向けて有理は宣言した。
「――おれを怒らせた報いは、しっかり受けてもらわないと、気が済まないんだ」
 有理の様子がただ事でないと気づいたらしく、百瀬が苦笑しつつ首を傾げる。
「どうした。まさか、あれぐらいで怒ったんじゃないだろうな? 別に、本気でお前との契約をなかったことにしようってわけじゃないんだ。前までのお前なら、あれぐらいのトラブル、しょっちゅうだっただろう? それに今回のCMの話は、俺は何も手は回してない。お前の注目度にうちの社が目をつけて、今回の契約になった。俺の一存で、お前のCM出演の話をなかったことになんてできないんだ」
「だから?」
「俺は別にCMの仕事を盾に、お前にあんなことを言ったわけじゃない。――からかっただけだ」
「つまり、あんたにそれだけの影響力はないってことか」
「おいっ」
 百瀬の表情が険しくなり、きつい声を発する。そんな百瀬を冷めた目で一瞥した有理は、キャリーバッグの中で鳴くアビに優しい声をかける。
「もう少し待てよ。さっさと用を終わらせるから」
 再び百瀬と向き合うと、さすがに有理から不穏なものを感じ取ったらしく、警戒心を表すように眉がひそめられる。
「――……ユーリ、お前、なんのためにこんなところまで来たんだ」
「なんのため? 簡単だよ」
 にんまりと笑った有理は、軽く右手を振ってから、肉食獣のように素早くしなやかに動く。
 左手で百瀬のネクタイを掴んでから、拳を握った右手で百瀬の頬を思い切り殴りつけてやった。
 絶妙のタイミングでネクタイを離すと、百瀬がその場に腰から崩れ込む。
 騒ぎに気づいたロビー内が騒然となり、みな一様に足を止めて有理と百瀬を見ている。
が、有理は一切気にしない。人目など気にするぐらいなら、別の場所に百瀬を呼び出し、人に頼んで袋叩きにしてもらっている。
 痺れる右手を見つめながら、有理は顔をしかめる。
「指の形が悪くなるから、人は殴るなってロベルトに言われてるんだけどなあ」
 百瀬に視線を移すと、ネクタイを掴み上げて、強引に引き立たせる。ポンポンと上等なスーツを叩いて格好を整えさせようとしたが、身を引いた百瀬が慌ててネクタイを直す。
 その百瀬に小声で告げられた。
「……お前、こんなことをしてタダで済むと思っているのか? いくら俺でも、庇えんぞ」
「あんたに庇ってもらうのを期待するほど、人間落ちぶれちゃいないよ。暴力モデルは使えないっていうなら、CMの話はなかったことにしてもらってもいいし」
 有理は何事もなかったようにキャリーバッグを取り上げる。
「――……お前は何をそんなに、怒っているんだ」
 ぼそりと洩らされた百瀬の言葉に、有理は淡々と答える。
「あんたが、軽い気持ちでおれの生活を脅かしたことだよ。モデルの仕事も大事だけど、おれにとっては、今の生活があったうえで、仕事が成り立ってるんだ」
「そんなこと……わかるわけない、ないだろ……」
「でも、これでわかっただろ。おれが、頭の悪いおっさんは、殴りたくなるほど嫌いってことも」
 言いたいことを言って有理は歩き出そうとしたが、百瀬に手首を掴まれて引き止められる。思わず睨みつけると、百瀬は怒りより何より、不思議な生き物でも見るような目を有理に向けていた。
「……お前、変わったぞ。俺が知っているお前は、手に負えないぐらいの快楽主義者で、道徳心なんて欠片もなかったはずだろうが」
 失礼な言われようだと、内心で憮然としつつも、有理は百瀬に艶やかに笑いかける。
「快楽主義者なのは変わってないよ。ただ、他の奴に目を向ける必要がないほど――ロベルトが満足させてくれているから。気持ちも体も」
 敗北感に満ちた百瀬の顔を一瞥してから、最後に有理は忠告した。
「おれを仕事から干すのもどうするのも勝手だけど、それ以上の妙なことするなよ。特に、ロベルトに迷惑をかけるようなことをしたら――」
 絶妙のタイミングで、キャリーバッグの中からアビが一声鳴く。たかが子猫の鳴き声に、百瀬がビクッと体を震わせた。
 フン、と鼻先で笑ってから、有理は悠然とロビーを歩いていく。
 ビルを出てしばらく歩き続けた有理だが、ふいに足を止めると、盛大なため息をついて顔を伏せる。
「あー、本当にやっちゃったよ。……クライアント側の人間をぶん殴るなんて、ロベルト以外にやることはないと思っていたけど」
 キャリーバッグを持ち上げて中を覗き込む。さっの鳴き声のタイミングは最高だとアビを誉めてから、有理は張り詰めていた気持ちがプツリと切れるのを感じた。
「……アビ、どっかの公園に寄って遊んで帰るか。お腹も空いたし」
 適当にファストフードで何か買おうかと思いながら再び歩き始めると、バッグに突っ込んである携帯電話が鳴り始める。
 もしかして百瀬がまた何か言ってきたのだろうかと、多少身構えつつ携帯電話を取り出す。
 表示されていたのは、朋幸のプライベート用の携帯電話の番号だった。


 朋幸の食生活にはかなり気をつかっているというクールな桐山は、有理の目から見てもわかるほど、不本意そうだった。
 有理につき合い、数年ぶりだというハンバーガーにかぶりつく朋幸を見る目は、苦渋に満ちている。
 しかし当の朋幸は、満足そうだ。
 朋幸からの電話の用件は、少し遅い昼食だが、ペット同伴可能な店を見つけたので、アビと一緒に食事はどうかというものだった。
 何か買って、アビを公園で遊ばせながら外で食べないかと提案したのは有理のほうだ。
なんとなく、人がたくさんいる空気の中にいたくなかったのだ。
 悪いことをしたと思ったが、意外に朋幸は楽しんでいる。子供の頃、学校で行った遠足のようだという感想に、有理も素直に頷いた。
 公園のベンチに朋幸と並んで腰掛けて、ハンバーガーを頬ばりつつ、緑の芝生の上をぴょんぴょんと跳ね回るアビの姿に目を細める。
 ペットの姿はアビだけでなく、犬たちもいるので、かわいそうではあるが首輪に紐をつけてある。紐を握ってくれているのは、恐れ多いが桐山だ。
 アビのあんなに可愛い姿を見て、眼鏡の向こうの目を細めもしない桐山はすごいと、変な部分で有理は感心する。
「――手は大丈夫なのか?」
 思い出したように朋幸に尋ねられ、苦い表情となった有理は右手を振ってみせる。指の付け根辺りが真っ赤になっていた。
「平気。まあ、何かあっても、名誉の負傷だよ」
「無茶するなあ」
 百瀬との間にあったことを、有理は他言無用で朋幸に話したのだ。
「……ロベルトが知ったら、嫌な気持ちになると思うんだ。前につき合ってた男と仕事が一緒になるのはともかくとして、おれが、誘ったらすぐに応じそうだと思われてるなんて。おれ自身、いつまでも尻軽だなんて思われたくないし」
「激しいな、有理は。初めてぼくと会ったときもそうだっただろう。ロベルトのことでぼくに食ってかかってきた」
 穏やかに朋幸が笑い、有理は隣で顔を熱くする。
「ダメなんだよなあ……」
「何が?」
「一度歯止めをなくすと、とことんまでいっちゃう性格なんだよ、おれ」
「ロベルトのこと、そんなに好きなんだ?」
 滅多にないことだが、単刀直入な朋幸の言葉に、有理は照れながらコクコクと頷く。
「だから――ロベルトとの今の生活は守りたいんだ。小さな波風も立てたくない。仕事のせいで問題が起きるなら、モデルの仕事も辞めたほうがいいのかなって、ちょっと考えてるんだ」
 春とはいえ、昼過ぎの陽射しは少しきつい。目を細めた先では、桐山の手に抱き上げられてアビが連れてこられる。
 はしゃぎすぎて、動けなくなったのだ。その姿が少しだけ自分に重なって、有理は笑えてくる。
「君がモデルを辞めたら、ロベルトは寂しがると思うけどな」
「どうして?」
 朋幸が悪戯っぽく笑い、こちらに向かってくる桐山を見ながら有理の耳元に唇を寄せてきた。
「世の中にはけっこう、恋人の二面性を喜ぶ人間が多いかもしれない。外では見せない顔を、自分にだけ見せてくれる、って。恋人の特別な顔を誰にも見せたくない。だけど完全に自分のものだけにしておくのは惜しい。その辺りの複雑な心理は、恋人とつき合ううえでは必要だと思っているんだ。最近のぼくは」
 有理は、アビから桐山へと視線を移し、なんとなく納得する。
「……独占欲強そうだよね。桐山さんて。クールな見た目とは対象的に」
「強そう、じゃなくて、実際強いんだ。ぼくも、そうじゃないと、桐山だって認めないけど」
 楽しそうに朋幸が声を上げて笑う。
「――盛り上がってらっしゃいますね」
 ベンチの前に立った桐山に言われ、有理と朋幸は顔を見合わせ、笑みを交わし合う。
 朋幸はミネラルウォーターのペットボトルを手にすると、芝生の上に屈み込む。自分のてのひらの上に水を滴らせると、芝生の上にそっと立たされたアビが嬉々として水を舐め飲み始める。
 その様子を眺めながら、有理は言った。
「今日のことがバレたら、ロベルトに家を追い出されるかもしれないと思っているんだ」
「君にベタ惚れのロベルトが、そんなことで君を手放すはずないだろう。どう考えても」
 無心に水を飲むアビの様子に表情を綻ばせながらの朋幸の答えは、明快だ。
「それに――さっきのことは、有理とぼくの秘密だ。場合によっては、桐山も一枚噛むかもしれないけど」
 意味深に朋幸が笑う。清澄な美貌が引き立つ、なんともしたたかな笑みで、有理は思わず見入ってしまう。
 そしてすぐに、理屈抜きで、今回の件はおそらく一生、この三人の間で秘密として守られるなと有理は確信した。


 ふと上の階から微かな物音が聞こえた気がして、有理は目を覚ます。ベッドの枕元の携帯電話を取り上げて時間を確認すると、夜の十一時半を少し過ぎた頃だった。
 いつもならまだ起きている時間だが、今日はさすがにいろいろありすぎて疲れてしまい、早々にベッドに潜り込んでしまったのだ。
 そっと体を起こし、最小限に明かりを絞ったライトをつける。
 ソファの足元に置いてある猫用のベッドで、アビは体を丸くして目を閉じていた。その姿を確認して、ライトを消した有理は足音を抑えて二階へと上がる。
 ロベルトは、ワイシャツのボタンを外しているところだった。有理に気づいて笑いかけられると、急に熱い感情が込み上げてきて切なくなった。
「アビは?」
 開口一番のロベルトの問いかけに、ムッとした有理は手近にあったクッションを掴んで投げつける。笑って余裕で躱された。
「冗談だよ。ずいぶん寝るのが早いけど、気分でも悪いの?」
 手招きされ、有理はロベルトの側に歩み寄る。後頭部に手がかかって引き寄せられ、肩に顔を埋めた。
「……ううん。アビを公園に遊びにつれて行ったら、疲れた。あいつ、大型犬でも平気で近づこうとするから、油断できなくってさ」
「あー、いかにもアビらしいね」
 ロベルトの笑いが、震えとなって体を伝わってきて心地いい。
 有理は自分からロベルトに体をすり寄せる。ロベルトは両腕でしっかりと抱き締めてくれた。
「なんだか今夜の有理は、可愛いね」
「普段のおれは可愛くないって言いたいのか」
「普段はきれい。今夜は可愛い」
 口のうまいイタリア男だと思いながら、有理は口元を緩め、顔を上げる。すかさずチュッと唇を吸われた。
 ロベルトがこの世の誰よりも大好きだと、いまさらながら痛感させられる。いままで、こんなに好きになった人は他にいない。
 有理のほうからロベルトの唇を積極的に吸い、舌先を触れ合わせる。
 きつく抱き締めてられて、耳元でロベルトに困惑したように囁かれた。
「どうしよう。あんまり有理が可愛いから、今すぐ欲しくなった」
「欲しいって言わなかったら、ひっぱたいてやるつもりだった」
 くっくとロベルトが苦しげに笑い、有理は憮然とした表情を作りながら、大胆にもロベルトをベッドに引っ張っていこうとしたが、あっさりとロベルトに抱き上げられ、ベッドとは反対方向に歩いていく。
「ロベルト?」
「今夜の有理は可愛いから、すごく恥ずかしいことをしてあげたい気分なんだ」
 連れて行かれたのはダイニングスペースで、有理が横たえられたのは、ロベルトがわざわざイタリアから運ばせた大きなテーブルの上だった。
 両足はテーブルの下に垂らしているので、不安定で落ち着かない。しかしテーブルそのものは立派な作りなので、大人が上に乗りあがって飛び跳ねても、びくともしないものだ。
 まさか、いつかこんなことをするために運ばせたのだろうかと有理が考えているうちに、ロベルトは嬉々とした様子で有理が着ているパジャマの上着を脱がせてしまった。
 明るい照明の下、有理は胸元の肌をさらし、てのひらを押し当てながら、ロベルトがそんな有理の肌を目を細めて検分してくる。
 さすがの有理も、羞恥から肌が熱くなってくる。
 ワイシャツの前を開いたロベルトと胸と胸を重ね合わせる。
 のしかかってきたロベルトにしがみつきながら、濃厚に舌を絡ませ合う。
 耳元から首筋にかけて狂おしく愛撫されながら、有理は何度もロベルトを呼ぶ。
「ロベルトっ……、ロベルト」
「有理、跡、つけていい? 思い切り卑猥なキスマーク。ここのところ有理を、アビに取られっぱなしだから、しっかりマーキングしておかないと」
「バカぁ。……でも、いいよ。全身に、ロベルトの跡つけて。見た人が赤面するぐらい、エッチなの」
 ロベルトはすぐに実行に移し始め、有理の肌をきつく吸い始め、ときには噛み付かれもする。
 いつもフワフワと笑っているロベルトの目が、怖いほど真剣だ。だから有理の心と体は疼く。こんなロベルトを独占しているのは、今は有理しかいないのだ。
 舌先でくすぐるように胸の突起を弄られ、息を詰めて有理はテーブルの上で背を反らす。
「可愛いよ、有理。ここも、とても可愛い。もうこんなに尖って、硬くなってる」
 唇で優しく左右の突起を挟まれて軽く引っ張られ、これ以上なく硬く凝らされると、待ちかねていたように荒々しく口腔に含まれ、激しく濡れた音を立てながら貪られる。もう一方の突起は、指先で捉えられて強く押し潰される。
「んっ、く……。ロベ、ルト、きつく、してっ……」
 テーブルに後頭部を擦りつけるようにして、有理は頭を振る。
 ロベルトの激しい愛撫は腕の内側にも施され、そのまま腋から脇腹へと唇が這わされる。
 パジャマのズボンと下着も引き下ろされて、あっという間に床の上に落とされる。有理は何も身につけていない体をテーブルの上でロベルトに晒す。
 自分の何もかもを所有してほしいと、激しい飢えが有理を身悶えさせる。
 片足を抱え上げられ、足の付け根から腿、膝から爪先へと唇と舌を這わされる。
 無意識に体を波打たせ、腰を引きそうになるが、すかさずそんな有理の動きを封じるように、すでに震えて身を起こしている有理のものはロベルトの片手に包み込まれた。
「あんっ」
「すごいね。触れてなかったのに、有理の男の子はもうぐっしょりだ」
 内腿の感じやすい肌を吸われ、包み込まれたものにふっと熱い息を吹きかけられる。それだけで有理は腰を跳ねさせるほど感じてしまう。
 ゆっくりと敏感なものを上下に扱かれながら、もう片方の足にも同じような愛撫が施される。
 テーブルの端にかけた両足がガクガクと震え、今にも力が抜けてしまいそうだ。
 両足を抱えられて腰をテーブルの端ギリギリまで引き寄せられる。さらに両足を抱えられて腰の位置を上げられる。有理はひっそりと息づいた秘孔をロベルトに見つめられ、指先でくすぐられる。
 身をよじろうとしたが、そのときには体を屈めたロベルトに、秘孔に舌を這わされていた。
「あっ、あっ、いやぁっ、ロベルト、それ、やだっ」
 恥ずかしいと訴えるが、ロベルトの淫らな愛撫が止まることはなく、丹念に情熱的に秘孔を唇と舌で愛される。
「うっ、うっ、んくうぅ――ん」
 秘孔の浅い部分を淫らに蠢く舌で舐め回される。唾液を施されながら指が挿入されてきて、痛みも苦しみもなく有理はいきなり二本の指を従順に呑み込む。
「すごいよ、有理。有理の中、とても熱くて、ぴったり吸い付いてくるよ。……ああ、指に襞が当たるね。擦るよ」
 いきなり指を使われて、秘孔を小刻みに擦り立てられる。痺れるような法悦が腰から這い登ってきて、有理は自らの意思で胸に押し当てた両足の爪先をピクピクと震わせる。
「くうん、くうん、あっ、いっ……」
 指がゆっくりと引き抜かれ、自分の秘孔がトロリとクリームのように柔らかく蕩けているのがわかる。
「……柔らかいね、有理」
 笑みを浮かべたロベルトの指の腹で秘孔の入り口を擦られる。それだけでロベルトの指を秘孔に飲み込んでしまいそうなほど、有理の秘孔は綻んで、慎みを失っている。
 もう一度秘孔に舌を差し込まれ、入り口をはしたない音を立てて吸われると、有理は甘い啜り泣きをこぼして煩悶するしかない。
 体を引き寄せられ、うつぶせにされて上半身だけをテーブルに預けさせられる。
 うなじや背に何度もキスされながら、再び秘孔に指を挿入される。
「んんっ」
「今日、何かあった?」
 ふいにロベルトに問いかけられる。有理は体を強張らせ、同時に秘孔をきつく収縮させる。すかさず指が蠢かされて、解された。
「あった、って有理の体が言ってる」
 背後からロベルトの笑い声がする。
「今日の有理は、本当に可愛すぎるよ。もっとエッチなことしてって、体中が言ってる気がする」
 有理はゆっくりと息を吐き出してから、腰をくねらせる。
「……今日のアビの散歩、朋幸さんと一緒だったんだ」
「そういうときは、俺も呼んでよ」
 わずかに振り返ってロベルトを睨みつけようとしたが、秘孔を掻き回されて、テーブルにしがみつく。
「それで?」
「桐山さんも一緒だった」
「……朋幸のいるところ、桐山の姿あり、か」
「あの二人を見ていると、なんか、いいなって。お互いのことが絶対の存在って思ってるのが、近くにいると感じられて……」
「――俺は、有理のことをそう思っているけど。有理は?」
 朋幸と桐山のことは、うそはついていない。肝心な部分を言ってないだけだ。
 有理は心の中で繰り返してから、熱い吐息をこぼす。
「当たり前のこと、聞くな。おれに、ロベルト以外の奴なんて、いるはず、ないだろ」
「安心した」
 秘孔から指が引き抜かれて、興奮しきったロベルトのものが擦りつけられる。
「はっ、ああっ」
 秘孔にロベルトのものが満ちてくる。
 背全体でロベルトの重みを感じながら、腰を掴まれ揺すられて、熱く逞しいものを受け入れさせられる。有理はテーブルに片頬を押し当てて、堪えきれない悦びの声を上げる。
 ロベルトの存在が爪先から髪の先にまで行き渡り、これ以上ないぐらい感じてしまう。
「ひ、ぃ……。くぅ、い、いぃ――。ロベルトっ」
「素敵だよ。有理。とても、気持ちいい。俺を欲しがっているのが、よくわかるよ」
 ゆっくりと一度秘孔を突き上げられて、有理はテーブルに肘をついて上体を起こし、背をしならせる。
 ここで惜しみなくロベルトのものが秘孔から引き抜かれ、焦らすように浅く先端だけを含まされる。
「やっ、だぁ……。ロベルトの、奥まで、ちょうだい」
「いいよ。俺ももう、我慢できない」
 テーブルを掻く手を握られて、再びロベルトが押し入ってきて、有理は吐息を洩らして受け入れる。
 一定のリズムをもって背後から突き上げられながら、ロベルトに強く手を握られる。
「痛……」
 有理は小さく声を洩らす。動き続けながらロベルトに言われた。
「ごめん、乱暴だった?」
「んっ、ん。違う、痛いの、手のほう……」
 握られている手をそっと退けられる。今日百瀬を殴った有理の右手はまだ少し赤い。
「どうかしたの、これ」
「……ぶつけた」
 そう、と答えたロベルトに手首を掴み直されて、動かれる。何か感づかれたかな、とも思ったが、ロベルトはそれ以上は尋ねてこなかった。
 次第にロベルトの動きが速くなり、二人の乱れた息遣いが重なる。
 有理はとっくに触れられないまま達し、二度目の絶頂は、ロベルトとほぼ同時だった。
「あっ、あっ、あっ、ロベルト、また、イクぅっ」
「いいよ、有理、俺も」
 熱い迸りが秘孔深くに叩きつけられ、喉元を反らした有理は甲高い悲鳴を上げて恍惚となる。
 背後からきつくロベルトに抱き締められ、有理は腕に頬擦りする。
 このとき確かに、ロベルトの声を聞いた。
『愛しているよ、有理』
 という言葉を。




 有理は相変わらず、モデルの仕事を続けている。無事に、なんとか。
 しかも驚いたことに、百瀬がいる電器メーカーのCM出演の話も立ち消えになることなく、無事に撮影は終了してしまった。
 このとき、メーカー側の人間からちらりと百瀬の話を聞いたが、近々、別会社に専務として出向になるのだという。
 一見、出世したのかと思うような話だが、よくよく聞いてみれば、閑職に飛ばされたのだそうだ。
 最初はよく事情が理解できなかった有理だが、ある日、ロベルトが取っている経済新聞を読んでいたところ、こんな記事が載っていた。
 丹羽商事の系列である研究所が、百瀬が『いた』電器メーカーと共同で、新技術の開発に乗り出すことになったと。
 この開発には、丹羽商事もかなりの額の出資をすることになり、開発の指揮を取るのも丹羽商事なのだそうだ。
 力関係が見えるような話だと、新聞を読みつつ思った有理だが、ふと、公園での朋幸の意味深な笑みを思いだす。
 あのときもしかして、朋幸の脳裏にはこの話が浮かんでいたのかもしれない。
 丹羽商事の人間が、百瀬に関して不快感を持っているとでも囁けば、事態はどう転がる か――。
 洗濯するためシーツを抱えた有理は、足元にちょろちょろとまとわりついてくるアビに笑ってしまう。
「こら、おとなしくしてないと踏みつけるぞ。お前のファンは多いから、ケガさせて恨まれるなんて嫌だからな」
 恐ろしいことに、このアビは朋幸の心を奪っただけではなく、桐山のクールな心も熱くしてしまったらしい。
 電話で朋幸からそのことを聞かされたときは、思わずイスからひっくり返ってしまった。
 洗濯機にシーツを放り込んでスイッチを押すと、他に洗濯するものはないかと、アビを抱き上げて家中を歩き回る。
 日曜日である今日は、ロベルトが手の込んだ料理を作ると張り切っており、今は食材の買い出しに出かけている。
 二階のロベルトのデスクの周辺を見ていると、イスにジャケットを引っ掛けたままにしてあるのが目に入る。
 昨日までロベルトが羽織っていたジャケットだ。
「クリーニングに出すのかな……」
 アビを肩に這い登らせてから、有理はジャケットを取り上げてポケットをまさぐる。
 薄くて硬さのあるものに触れたので引っ張り出すと、カードケースだった。
 こんなものを持っていたのだと思いながら、有理は何気なくカードケースを開く。
 そして、硬直してしまった。
「なっ、なっ、なんでこんなものが――」
 カードケースに入っていたのは、写真だった。ただし、普通の写真ではない。
 こういう場合、普通なら恋人である有理の写真を入れてあるものだが、ロベルトは確かに有理が写った写真を入れてある。しかし、一緒に朋幸も写っている。
 有理と朋幸が唇が触れ合いそうな距離で顔を寄せ合って、ベッドで眠っている写真だった。見方によっては、かなりいかがわしいというか、妖しい。
 写真に写っている当人である有理ですら、どこで撮られた写真なのか、一瞬わからなかったぐらいだ。
 が、思い出した。
 場所は、昨年末にみんなで出かけたイタリアの、高級ホテルのスイートルームだ。
 朋幸と広いベッドの上で飲みながら話し込んでいるうちに眠くなり、一緒に転がって眠ってしまったのだ。
 ただし、写真を撮る許可などした覚えはない。
 恋人の写真をいつも持ち歩きたいというなら、よりによってこの写真でなくてもいいではないかと、有理は思う。
 なのにわざわざ、朋幸の寝顔も一緒に映っている写真を持ち歩いているということは―。
 そこに、タイミングよくというべきか、悪くというべきか、ロベルトが戻ってきた。
「ただいま。さっそく準備に入ろうか――」
 にこやかだったロベルトの表情が、有理の手にあるカードケースを見た途端、凍りつく。
 対照的に有理は、艶然と笑いかける。
「ロベルト、これ、いい写真だね」
「そ、そうだろ? 有理が可愛く写っているから気に入っているんだ。恋人の写真を持ち歩くのは、たしなみのようなものだから」
「あー、そう」
 有理の怒気を感じたらしく、アビが肩からぎこちなく飛び降りてロベルトの元に駆け寄る。
 ロベルトはアビを足元にまとわりつかせたままキッチンに逃げ込もうとしたが、もちろん、有理はそんなことは許さなかった。
 まだ日曜日の午前中だ。じっくりと話を聞くことは可能だった。







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