と束縛と


- Extra27 -


「――これ、秦さんのアイデアですか?」
 受付カウンターの横に飾られた〈もの〉を見上げ、やや呆れた口調で圭輔は問いかける。すると、ホールの奥から姿を見せた秦が、楽しげな口調で説明してくれる。
「ロマンティックな七夕の話も、ホストにかかると営業トークの一つになる。わたしの織姫、あなたに恋焦がれる男の元に、ぜひ会いにきてほしい、と。この笹は、その小道具だ。お客様も、けっこうはしゃぎながら、短冊にあれこれと願い事を書いてくれるし」
「ホストのほうはこれ見よがしに、あれが欲しい、これが欲しいと短冊に書いて、足を運んでくれた織姫たちに読ませるというわけですか」
 圭輔は短冊の一枚を読んでみるが、『愛が欲しい』と大きな字で書いてあり、なんとも言えない気持ちになる。
「一瞬にして、そんな下策を考えつくとは……、お前やっぱり、ホストの才能あるな」
「人聞きの悪い。やり手の青年実業家が考えつきそうだなと思っただけですよ」
 秦は肩をすくめはしたものの、否定はしなかった。クラブ経営を主に手がける青年実業家としての顔を持つ一方で、圭輔の同業者――ヤクザたちともつき合いのある男としては、ある意味、正直な反応なのかもしれない。
「しかし、いろいろやりますね。確か、五月にも何かやってましたよね。子供の日でしたか。どこから手に入れたのか知りませんが、立派な鎧兜を飾ってあったでしょう。その前には桃の節句。あっ、そういえば、店のホストと客で、花見にも行ってましたよね」
「お客様はもちろん、店で働くホストにも、刺激は必要だからな」
 ホールを歩きながらそんな会話を交わしていると、ふいに秦が声を洩らして笑った。
「どうかしましたか?」
「いや、刺激的な毎日を送っているお前に、こういうことを語るのもどうかと思ってな」
「……あいにく、俺の毎日はそう刺激に満ちてはいませんよ。今のところ、毎日誰かの運転手をしているだけですから」
 秦に気を許している証拠として、意識しないまま圭輔の口調から不満が滲み出る。ホスト時代からさんざんみっともないところを見られているため、いまさら秦の前で見栄を張っても仕方ないのだ。
 それに、美貌や商才だけではなく、包容力を兼ね備えている秦は、元後輩の多少の愚痴ぐらい、余裕たっぷりで受け止めてくれるはずだ。
 とっくに閉店時間を過ぎているということもあり、ホールはきれいに片付けられ、スタッフの姿もすでにない。他人に聞かれたくない会話をするには、うってつけだ。
 秦がカウンターに入り、圭輔はスツールに腰掛ける。
 ワイシャツの袖を捲り上げた秦が様になる手つきで水割りを作り始め、圭輔はカウンターに頬杖をついて、作業を目で追う。
「久しぶりですよね。秦さんと、こうしてゆっくりと店で会うなんて」
「おれはいつでも時間が取れるが、お前はそういうわけにもいかないからな。声をかけるタイミングには気をつかう」
「そんなことないですよ――と言いたいところですが、今の立場だと、組にいた頃のように自分の裁量で動き回るのは、まだ難しいですね。なんといっても、〈新入り〉ですから」
「だけど、お前が自分で選んだことだろ」
 圭輔がちらりと笑みをこぼすと、目の前にグラスが置かれる。秦も、自分のグラスを手に、圭輔の隣に座った。
 このときになってようやく、店内の静けさを意識し、それ以上に、秦との距離の近さを意識する。すると、グラスに口をつけた秦に、なんの前触れもなく流し目を寄越された。胸の奥がざわついた圭輔だが、素知らぬ顔をして問いかける。
「なんですか?」
「不思議だと思ってな。おれの後輩だった生意気なホストが、どこか組を紹介してくれと言ってきて、ヤクザになって、ドツボにハマって死にそうな目に遭っていたのに、どんどんふてぶてしくなった。挙げ句、組を踏み台にして、とうとう総和会なんて得体の知れない大きな組織の一員になっちまった」
 総和会に入ったことについて、秦から言及されるのは初めてだなと思い、反射的に圭輔は背筋を伸ばす。秦は、総和会に入った圭輔が、将来、組に戻るつもりはないと察しているのだ。
 総和会の中で、自分を推薦してくれた組の庇護下にいることは、楽ではあるが、働きが制限されるし、常に組から監視される立場であるともいえる。だからこそ圭輔は、組からの制限を受けない場所に自分を置いた。
 秦に、得体の知れない組織だと言われた総和会だが、その総和会の人間に、得体が知れないと言われている、第二遊撃隊に――。
「そのうちお前が、おれにとって得体の知れない存在になるかもしれない」
 冗談めかした秦の言葉に、圭輔は笑うことができなかった。思わず本音が洩れる。
「俺にとっては秦さんが、初めて会った頃からその存在ですよ。あなたは、謎が多い」
「そうか? おれは、ただのクラブ経営者だ。元ホストのヤクザに懐かれている、な」
 力仕事とは無縁そうに見える秦の手が、眼前に迫ってくる。染み付いた習性で身構えたものの、圭輔の不粋な警戒を解くように、秦に頭を撫でられていた。ホストになったばかりの頃、よくこうやって秦にからかわれていた記憶が蘇る。
「……秦さん、ヤクザなんて怖いと思ってないでしょう」
「いやいや。ヤクザは怖いね。――ただ、お前は怖くない」
 これは一つの殺し文句だなと、圭輔はひっそりと苦い笑みをこぼす。
 そんな会話を交わしながら水割りを飲んでいた圭輔だが、ここでやっと、今夜この店を訪れた理由を思い出した。秦から、相談したいことがあると言われたのだ。
 圭輔が本題を切り出すと、ああ、と声を洩らした秦が、大きな窓に視線を向ける。外には見事な夜景が広がり――と言いたいところだが、隣り合ったビルの壁がそこにはあった。普段はこの窓は、店の内装に合わせた真紅のロールカーテンで、殺風景な景色は隠されているのだ。
「今年の花火大会、お前も来るだろう?」
「花火……、ああ、そういえば、もうすぐでしたね」
 ホスト時代からの恒例行事で、秦や仲間たちと一緒に花火大会を観覧しているのだ。毎年、参加している顔ぶれは変化しており、変わらないのは、圭輔と秦の二人だけだ。
「今年は、お前の〈栄転〉を祝って、ちょっと派手にやりたいと考えているんだ。主催はお前という形で。そのためには何より先に、お前の予定を押さえておかないとな」
「ちょっと、照れくさいですね。……わざわざいいですよ。いつも通りで」
「今のうちにお前に恩を売っておこうとしているんだ。遠慮しなくていいぞ」
 秦の場合、冗談半分本音半分といったところだろう。圭輔は水割りを飲み干すと、自分でも意外なほど真剣な声で応じていた。
「――……恩を返せるまで、秦さんとの縁は切れないというわけですね」
「なんだ、不満か?」
 逆ですよ、という一言を寸前のところで呑み込み、圭輔は曖昧な表情で返す。そもそも秦とのつき合いが、ここまで続いていることが不思議なのだ。
 知り合ってから約十年になるが、圭輔はまだ、秦という人間を掴みかねている。数えきれないほど何度も部屋を訪ねて、泊まってもいるのだが、それでいて私生活がうかがい知れない。仕事にしても、三十代前半にして何軒もの店を経営しているやり手実業家ではあるが、圭輔の知らない〈仕事〉も手がけているのではないかと、ふと感じることがある。
 この感覚は、最近になってより強くなっている。秦のことをもっと知りたい。暴きたい、と。突き詰めると、これは欲望に近い衝動なのかもしれない。
「招待したい人間がいるなら、今のうちに考えておけよ」
 二杯目の水割りを作りながらの秦の言葉に、ハッと我に返る。
「えっ……?」
「会場は、上のフロアの店を貸し切りにすることにしたんだが、あまり大人数は入らない。ただ、花火はよく見える。だから、お前が一番縁を深めておきたい人間を連れてこい。この先、お前が総和会で出世するには、人脈はこれまで以上に大事になってくる」
 露骨ともいえる秦の提案に、即座に圭輔の頭に、ある人物の顔が浮かんだ。秦がニヤリと笑いかけてくる。
「誰か心当たりがあるようだな」
「……ええ。俺が仕事で、ときどき送り迎えをしている人です。ある意味、〈大物〉ですよ」
「気になる言い方だな」
 珍しく好奇心を露わにした秦に、つい圭輔の気分はよくなる。さりげなく置かれたグラスを手に説明した。
「長嶺組の関係者――ですね。俺と同業者ではないんですが、いろいろあって、長嶺組長が面倒を見ている人です。秦さんとは少しタイプが違うけど、かなりのハンサムですよ。物腰が柔らかで、いかにも上品で」
「べた褒めだな」
「比べちゃ気を悪くするかもしれませんが、俺と同じ変わり種ですよ。……もっともあちらは、つい最近まで堅気の人で、好きでこの世界に入ったわけではないようですけど」
 長嶺組長のオンナであると説明するのは容易いが、そういう先入観抜きで圭輔は、『あの人』を秦に紹介してみたかった。
 この物騒な世界で変わり種というなら、秦もまた同じ存在だ。三人が顔を合わせたとき、何か思いがけない変化が起こるのではないかと、圭輔はそんな妄想を抱いてしまう。
「……なんとなく俺は、この世界での運命の人に出会った気がするんですよ。この先、総和会の肩書きを持っただけの使えない三下(さんした)で終わるか、それとも、今よりずっと上に行けるか。『あの人』が鍵を握る気がする――」
 独り言めいた言葉を洩らすと、いきなり秦が、ぐいっと顔を近づけてくる。危うく唇同士が触れそうになり、反射的に圭輔は息を詰めた。
「七夕の話をしたあとに、お前にそんなことを言われると、けっこう妬けるな」
 秦なりの冗談だとわかっていながら、自分でも意外なほど圭輔は動揺する。
「何、言ってるんですか……。あくまで仕事の話ですよ」
「遠慮なく、おれから乗り換えてもらっていいぞ」
 一度は笑った圭輔だが、すぐに笑みを消し、秦の目を覗き込む。
「しませんよ。俺のこれから先の人生プランには、まだまだ秦さんは必要なんです。あなたの妙な人脈も、かなり魅力的ですから」
「――……やっぱり、お前は怖いな」
 楽しげな表情でそう言った秦に、スッと頬を撫でられる。この瞬間、強烈な疼きが圭輔の背筋を駆け抜ける。
 そして、強く確信するのだ。自分などよりよほど、秦のほうが怖い人間であるはずだ、と。









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