と束縛と


- Extra34 -


 パジャマ姿でソファに腰掛け、映画を観ていた和彦は、なんとなく肌寒さを感じていた。
 エアコンを入れるほどではないと、最初はさほど気にしていなかったが、肩先が少し冷えるなと思ったところで、リモコンを手にした。
 映画を一時停止にして、コーヒーでも淹れようとキッチンに向かいかけたが、気が変わって寝室に入る。寒い時期に愛用しているカーディガンはどこに片付けただろうかと、クローゼットに頭を突っ込んだ。
 中途半端に暖かな気候が続いていたため、日頃の多忙さもあり、ついつい衣替えを後回しにしていたのだ。クローゼットの隅に置いたチェストの引き出しを、一段ずつ開けて中を確認していると、インターホンが鳴った。
 こんな時間に一体誰が、と考えるだけ無駄だ。
「……勝手に入ってくればいいのに」
 そんなことを呟きながら、寝室を出た和彦は念のためテレビモニターで相手を確認する。カメラのすぐ前に立っているらしく、モニターいっぱいに千尋の顔が映っていた。
「お前、何しに――」
 ドアを開け、目の前の存在を認識した途端、和彦は目を丸くした。千尋は確かに立っていた。ただし、黒い布を身にまとって。
 和彦が浮かべた露骨な戸惑いの表情を一切無視して、千尋が言葉を発した。
「トリック・オア・トリートっ」
 ハッと我に返った和彦は、慌てて千尋の腕を取り、玄関に引っ張り込む。いくら近所つき合いが乏しいマンション暮らしとはいえ、こんなところを見られては、後々気まずい。
 なんといっても千尋は――。
「お前もしかして、その姿は……ドラキュラか?」
「正確には、ドラキュラのマントだけ。量販店にいったら、最後の一個が残ってた」
 そう言って千尋は、羽織った黒い布をひらひらと振って見せる。化繊のいかにも薄っぺらい布は、どう見ても本格的なコスプレ衣装という感じではなく、手軽に雰囲気を楽しむためのものだろう。
 なぜコスプレなのか、なぜドラキュラのマントなのかと考えた和彦は、ここで、千尋の台詞を思い出す。
「……ああ、今日はハロウィンか」
「先生、反応薄いっ」
 和彦はやや呆れて、長嶺組の跡目である青年をじっくりと眺める。
 マントの下は、ブラックジーンズにシャツというラフな格好だが、それなりに様になっているのは、千尋自身の腰の位置が高いスタイルの良さと、野性味と子供っぽさを合わせ持つ端正な顔立ちのおかげだろう。
 千尋の今の年齢なら、同年代の友人たちとバカ騒ぎをしていても不思議ではないのに、と考えると、子供のようなことをしてと咎める気にはなれない。
「トリック・オア・トリート……。イタズラかお菓子か、か。冷蔵庫にシュークリームが入っているから、持って帰っていいぞ」
 和彦の素っ気ない言葉に、千尋がニヤリと笑う。
「先生には積極的に、イタズラのほうを選んでもらいたいんだけど」
「いい。お菓子やるから、帰れ」
 和彦がリビングに向かうと、しっかりと千尋が背後から抱きついて、ついてくる。引き剥がす労力も惜しくて、されるがままになっておく。
「先生、何してた?」
「……映画を観ていて、コーヒーを淹れようかと思ったけど、気が変わってカーディガンを探してた」
「急に肌寒くなったよね。風邪ひかないように気をつけて」
「お前もな。そんな薄着でウロウロして……」
 並んでソファに腰掛けて、和彦は改めて千尋の姿を眺める。つい、フッと笑みを洩らしていた。途端に千尋が目を輝かせる。
「何、先生?」
「いや、けっこう似合っていると思って。こういう吸血鬼がいたら、年下好きの女性は血を吸わせるかもな。――ぼくは絶対嫌だけど」
「……先生、俺に対しては受け答えに隙ないよなー」
 尖らせた千尋の唇を軽く引っ張ってから、頬を撫でてやる。
「コーヒー淹れてやるから、シュークリームを一緒に食べよう」
 そう言って和彦は立ち上がろうとしたが、千尋に腕を掴まれて阻まれた挙げ句、一気にソファに押し倒される。のしかかってきながら千尋が、喉のあたりで結んでいた紐を解き、マントを脱ぎ捨てる。
〈何か〉をやる気満々の千尋を見上げながら、和彦は軽く眉をひそめる。
「こら、お菓子はやるから、イタズラはなしだぞ」
「イタズラじゃなく、本気ならいいってことだよね」
 そんな理屈が通用するかと、千尋の下で和彦はもがき、おもしろがった千尋が、ますます体重をかけてくる。
 ソファの上で、あまり危機感のない攻防を繰り広げていると、忌々しいほど魅力的なバリトンが割って入ってきた。
「楽しそうなことをしているな、お前たち」
 覆い被さっている千尋の肩越しに、賢吾の姿を認める。助かったと素直に思えないあたりが、長嶺父子の業の深さを物語っているなと、和彦は頭の片隅で考える。
 唇を緩めている賢吾とは対照的に、千尋は思いきり顔をしかめている。和彦は遠慮なく、千尋の背を殴りつけた。
「早く退け」
「えー、いいじゃん。オヤジなんて無視して、続けようよ」
「無視したところで、素直に引き下がる男じゃないだろっ。お前の父親は」
「――……ひどい言いようだな、先生」
 こう言ったのは、賢吾だ。
 なんとか千尋の肩を押し上げ、ようやく逃げ出すことができた和彦は、床の上に座り込みながら手早く格好を整える。大丈夫かと賢吾が片手を差し出してきたので、ためらいつつも握り締め、引っ張り上げてもらう。
 和彦は恨みがましい眼差しを、賢吾と千尋に交互に向ける。
「どうしてこうもタイミングよく、父子が夜、ぼくの部屋に集まるんだ。示し合わせたのか」
 賢吾は様になる仕種で肩をすくめ、悪びれもせず言った。
「まさか。互いに出し抜こうとした結果だ」
 千尋は、床に落ちたマントを丸め、賢吾に投げつける。一緒にするな、という抗議らしい。
 受け止めたマントを広げて賢吾が首を傾げる。
「これは?」
 千尋が顔を背けたので、仕方なく和彦が簡潔に説明する。
「ドラキュラのコスプレ用のマントだそうだ。もちろん、千尋の持ち物だからな」
 賢吾が何か言いかけようとしたが、察した和彦は早口で付け加える。
「そういう趣味はないからなっ」
「……何も言ってないだろう」
「言おうとしてただろ」
 否定も肯定もしなかった賢吾だが、意味ありげにニヤリと笑う。大きく息を吐き出した和彦は、ソファに座るよう賢吾に手で示した。
「コーヒーを淹れて、シュークリームも出してやる。食べたら、二人ともおとなしく帰ってくれ……」
 キッチンに向かおうとした和彦は、背を向けて父子の会話を聞く。
「で、お前、どうしてドラキュラのマントなんてつけて、先生の部屋にいたんだ」
「ハロウィンだからな、今日」
「ああ、なんか聞いたことあるな。ドラキュラのマントをつけるのが流儀なのか。カボチャも食うんだろう」
「……オヤジには高度すぎるイベントだったみたいだな。ハロウィンは」
 気の抜けるような会話を交わしているのが、総和会で最大勢力を持つ長嶺組の組長と、その跡目だと思うと、苦笑を通り越して、声を上げて笑いたくなってくる。
 ただし、二人の目の前で笑うと、和彦が機嫌を直したと思って、調子に乗るのはわかりきっている。
 和彦は必死に笑いを噛み殺しながら、速やかにキッチンに逃げ込んだ。おそらく数十秒もしないうちに、まずは千尋が押し掛けてくるだろうが――。









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