と束縛と


- Extra38 -


 帰りの車中は、とにかく寒かった。万が一を考えて暖房をつけなかったのだ。
 駐車場に車を停めた真也は、アタッシェケースと紙袋を下ろしてから、自宅マンションを見上げる。自分の部屋の電気がついていることを確認すると、それだけで心が蕩けそうになった。
 寒さで大きく身震いしてから、急いで部屋へと向かう。
 冷たくなった手でもどかしく部屋の鍵を開け、玄関に入る。気配に気づいたのか、すぐに部屋の奥からパタパタと足音が聞こえ、廊下に和彦が飛び出してきた。
「お帰りなさい、里見さん」
 小走りで側にやってきた和彦の興味は、真也本人ではなく、真也が提げている紙袋に向いていた。笑みをこぼしながら真也は、紙袋を和彦に差し出す。
「はい、今日の戦利品」
「お疲れさまです」
 恭しい手つきで受け取った和彦は、嬉しそうな顔で紙袋の中を覗く。入っているのは、バレンタインのチョコレートだ。
「毎年思うけど、里見さん、モテモテだね。こんなにチョコレートもらえるなんて」
 真也は、和彦の肩を抱いて部屋へと移動する。室内は暖房で程よく暖められており、すでにもう指先からじんわりと体温が戻っていく。
 仕事で疲れた体を引きずって帰宅したとき、部屋で誰かが待っているというのは、非常にありがたい。しかも、待ってくれているのが、ニコニコと機嫌のいい和彦だと、最高だ。
「モテないよ。職場の円滑な交流のために、女性陣が配っているだけだ」
「そう思ってるの、里見さんだけだったりして。だって義理で、こんなにきれいなラッピングしてくれるようなチョコ、わざわざ買ったりしないよ。しかも、何個もある」
 ぺたりとカーペットに座り込んだ和彦が、紙袋の中からチョコレートの包みを丁寧に一つ一つ取り出していく。ほっそりとした後ろ姿を目を細めて眺めながら、真也は着替えを済ませる。
 甘いものが苦手な真也は、バレンタインデーにもらったチョコレートを、すべて和彦に食べてもらっている。和彦がこの部屋を訪れるようになってからの恒例行事で、美味しそうにチョコレートをかじる和彦の姿に、バレンタインデーとは素晴らしいイベントだと、真也は幸せを噛み締めるのだ。
 冷蔵庫を覗いて、二人分の夕食を作れるだけの材料が揃っていることを確認してから、和彦のもとに戻る。大小含めて十個近いチョコレートを並べて満足そうな和彦の隣に腰を下ろし、柔らかな髪をそっと撫でる。
「君は、今日は誰かにチョコをもらわなかったの?」
「残念。うちの高校、厳しいんだよ。毎年、バレンタインの日を狙って持ち物検査するって聞かされてたから、少なくとも一年生は、おとなしかった」
「でも、要領のいい子は、こっそり隠し持ってそうだよな」
「かもね。ぼくは知らない。チョコをもらう当てがあるから、余裕だね」
 余裕か、と口中で呟いた真也は、つい笑ってしまう。振り返った和彦が、いつになく子供っぽく目を輝かせ、チョコレートの包みの一つを見せてきた。
「開けていい?」
「どうぞ。全部、君のものだ」
 和彦が丁寧な手つきでラッピングを開けて取り出したのは、きれいな器だった。中に、個別に包装された小さなチョコレートが入っているのだ。
 チョコレートを一つ摘み上げた和彦が、ふと真也を見る。
「里見さんがもらったものだから、一つぐらい味見しておく?」
「味見か……。しておこうかな」
「うんうん。くれた人への礼儀だよ」
 もっともらしい顔で言う和彦がおもしろくて、真也は必死に笑いを噛み殺す。和彦の手からチョコレートを一つ受け取り、さっそく包装を開ける。チョコレートの粒を口に放り込もうとして、寸前で気が変わった。
 和彦の口元に持っていくと、一瞬きょとんとした顔をしたが、真也の意図を察したらしい。餌を待つひな鳥のような表情で口を開ける。
 口にチョコレートを放り込むと、和彦はもごもごと頬張る。こういう仕種は子供らしいと思うが、高校に入ってからの和彦はどんどん身長が伸び、骨格も少ししっかりとしてきた。それが寂しいような気もするが、和彦が健やかに成長している証だという安堵感もある。
 真也は、和彦の頬にそっとてのひらを押し当てる。
「君もそのうち、大人の男ぶって、甘いチョコは苦手だとか言うようになるのかな」
 チョコレートを食べている和彦がまだ話せないのをいいことに、唇にも指先を這わせる。
「おれからもらわなくても、可愛い女の子たちがこぞって、君にチョコを渡すようになるのかな」
 片手で和彦の肩を抱くと、素直に身を寄せてくる。成長したとはいっても、まだまだ頼りない体を両腕で慎重に抱き締め、真也は吐息を洩らす。
 和彦のあごを軽く持ち上げ、唇を重ねる。チョコレートの香りに誘われるように口腔に舌を差し込むと、濃厚な甘さに包まれる。
「甘い……」
 甘いものは苦手だと言いながら、不思議なもので、和彦が味わっているのかと思うと、なんの抵抗もなく受け入れられる。
 まだ溶けきっていないチョコレートを舌先でまさぐると、和彦が喉の奥から小さく声を洩らす。苦しかったのだろうかと思って慌てて唇を離すと、和彦は笑っていた。
「ごめんなさい。くすぐったくて」
「……こっちこそ、悪かった。君が食べているチョコを奪い取るところだった」
「いいよ。――里見さんが買ったチョコなんだし」
 一拍置いて、真也は目を丸くする。
「えっ」
「チョコ、職場でもらったんじゃなくて、里見さんが買ってきたんだよね」
 人懐こい猫のように、和彦が頬ずりをしてくる。そんな和彦の頭を撫でながら、言われた言葉を頭の中で繰り返す。そして理解した。
 バレていたのだ。
「――……いつから気づいていた?」
「んー、三年前のバレンタインから」
「つまり、最初からバレていたということか」
 耳元で和彦が軽やかな笑い声を洩らす。
「だって、初めてバレンタインのチョコをお裾分けしてくれたとき、いかにも大人の男の人向けの、苦いチョコとか、洋酒たっぷりのチョコだったのに、次の年のバレンタインは、子供っぽいパッケージの甘いチョコばかりだったから。あー、里見さん、わざわざぼくのために買ってきてくれたんだなって」
「……君が気をつかって黙っている中、おれは毎年バレンタインに一人浮かれていたということか……」
「嬉しかったよ。ぼくがチョコを食べているのを見て、里見さんがニコニコしてくれて」
 盛大なため息をついた真也は、落ち込んでいいのか、和彦の気遣いを喜んでいいのか、なんとも複雑な心境となる。そんな真也を慰めているのか、和彦に頭を撫でられる。
 もう一度ため息をついてから、真也は声を洩らして笑っていた。
「おかしいよな、おれは」
「そんなことないよ」
「本当に?」
「うん」
 そんな会話を交わしながら、再び顔を近づけ、軽く唇同士を触れ合わせる。和彦のほうから柔らかく唇を吸ってきて、ぎこちなく歯列に舌先が擦りつけられる。真也は口腔に舌を招き入れた。
「んっ」
 甘い舌をそっと吸い上げただけで、和彦が鼻にかかった声を洩らす。戯れのように唇を触れ合わせ、舌先を擦りつける口づけから、さらに一歩進んだのは、ついこの間だ。自惚れではなく、真也が与える口づけを、和彦は気に入っていた。
 緩やかに舌を絡め合っているうちに、和彦の息遣いが妖しさを帯び、体から力が抜けてくる。肉づきの薄い背を優しい手つきでさすってやると、素直に真也の胸元に身を委ねてくる。この瞬間が、たまらなく好きだった。和彦の信頼を得られていると確信できるからだ。
 唇を離した真也は、和彦に囁きかける。
「――来年は、一緒に買いに行こうか」
 熱を帯びた眼差しで和彦が頷く。
「うん」
「約束だ」
 和彦と交わす約束も好きだった。一つ増えていくごとに、彼の未来を少しだけ自分のものにできているような満足感を得られる。
 本当に和彦の未来を自分のものにできるとは思っていない。だが、チョコレートよりも甘いこの錯覚に、まだもう少し浸っていたかった。









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