と束縛と


- Extra52 -


 笠野は首に引っかけたタオルでときおり汗を拭いながら、棚に並ぶ段ボールの一つ一つを見て歩く。倉庫の中は整理してあるとはいえ、とにかく物が多い。この中から目的の物を探し出すとなると、なかなか骨が折れる。
 陽射しが凶器となっている猛暑日に、熱気がこもっている倉庫内はほとんどサウナといっていい。足を踏み入れて数分もしないうちに汗が滴り落ちてきた。
 もう一度汗を拭って顔を上げると、段ボールに殴り書きした笠野自身の字が目に入る。
「おっ、これだ」
 段ボールを引っ張り出して床に置くと、さっそく開けて中を確認する。丈夫な箱に収まっているのは、業務用のある調理器具だ。
 数年前、どうしても欲しくなり、本宅の会計係に購入費用を申請したところ、あっさり却下されたのだ。それでも諦めきれなかった笠野は、長嶺組長に直訴して、なんとか購入にこぎつけた。
 最初の頃は、物珍しさもあって頻繁に使っていたのだが、ここ一年ほどは普段の雑事に追われ、倉庫に仕舞ったままになっていた。
「あとは、スーパーへの買い出しだな……」
 箱を抱えて立ち上がった笠野は、頭の中でざっと、今晩本宅で夕食を取る組員の数を計算する。そこに、組長と跡目を加えることは忘れない。そしてもう一人――。
 お中元として山のように送られてきているビールも、今から冷やしておこうと考えていると、倉庫に誰かが入ってきた気配がした。
「うおっ、なんだこの暑さっ」
 聞こえてきた声に、笠野はハアッとため息をつく。
「なんの用だ、久保」
「いえ、昼メシの材料を切り終わったので、他に何かやることはないかと思いまして……」
 棚を回り込んできた久保が、顔を手で扇ぎながら側へとやってくる。ちょうどいいと、笠野は抱えていた箱を久保に押し付けた。久保は、箱に印刷された写真をしげしげと眺める。
「これって、もしかして――」
「ソーセージを作る機械だ。週末に作ってみようかと思ってな。自家製は美味いぞ。好みでスパイスを効かせるんだ。それがまた、ビールに合う」
「笠野さんが作るんですか?」
「俺以外、誰がいる」
 久保が物言いたげな顔をした理由は、なんとなく想像がついた。買えば楽なのにと言いたいのだろう。
「まあ、趣味みたいなものだからな。いつかはお前も作れとは言わねーよ。ただ、たまには、あえて手間をかけてみるのもいいものだ。普段、時間に追われるようにメシを作ってるからな」
 笠野は段ボールを棚に仕舞い、久保を促して一刻も早く灼熱の倉庫から出ようとする。しかし、先を歩く久保が急に立ち止まり、棚を見上げたまま動かなくなった。
「おい、どうした?」
「笠野さん、これ、なんですか?」
 箱を抱えて両手が塞がっている久保が、あごをしゃくるようにして棚の上のほうを示す。笠野が視線を上げた先には段ボールが整然と並んでいる。それらの中に、『氷』という一文字だけが書かれた段ボールがあった。笠野はつい顔を綻ばせる。
「ああ、それか」
 両腕を伸ばして段ボールを棚から下ろすと、中を開けて見せる。覗き込んだ久保がパッと顔を輝かせた。
「かき氷器ですかっ」
「……去年だったか、クジの景品で当たった。小さい子供がいる組員にやろうと思ってたら、そのまま忘れて時季外れになったんだ。台所に置いとくと邪魔だから、一旦ここに仕舞って、うっかりしてた」
 こう説明したところで、やけに期待がこもった眼差しで久保がこちらを見る。察しがいいほうである笠野は、露骨に顔をしかめた。
「まさか、これでかき氷を作りたいとか考えているんじゃないだろうな、お前」
「今日、すごく暑いっすよ」
「んなことはわかってる。かき氷ぐらい、食いたいならコンビニで買ってこいよ。わざわざ、手間がかかる方法を取らなくても……」
 わかってないですねー、とでも言いたげに、久保が首を横に振る。大事な調理器具を持たせていなければ、頭に拳骨の一発でも落としたいところだ。
「俺、ガキの頃、こういうの欲しかったんですよ。好きなときにかき氷が食えるって、考えるだけで幸せな気分になれたというか。まあ、親にねだったところで、相手にもされなかったんですけど」
 笠野はガシガシと頭を掻くと、かき氷器の入った箱を、久保が抱え持った箱の上に置いた。
「落とすなよ」
 久保が、まるでガキのような笑顔を浮かべて頷いた。


「――……何度も言うが、やっぱり買ってきたほうが早いうえに、安上がりだ」
 ダイニングのテーブルの上にいそいそとかき氷器を置いた久保は、笠野の言葉が聞こえていないのか、軽い足取りでキッチンへと向かう。
 本宅に詰めている組員たちの夕食がひとまず終わり、片付けも済んだダイニングには、今のところ笠野と久保の姿しかない。これがもう数時間すると、今度は夜食をとる組員たちが集まり、また慌ただしくなるのだ。
 いつもであれば、人気のなくなったダイニングで明日の献立などを考えるのだが、今はとりあえず、久保の作業を見守ることを優先している。
 久保は氷を持ってくると、かき氷器にセットする。笠野はてっきり、冷蔵庫の製氷皿の氷でいいのかと思っていたが、かき氷器には専用の製氷カップがついており、それで作った氷を使わないといけないのだそうだ。おかげで、氷ができるのを待っていて、この時間になってしまった。
 わざわざシロップも買ってきたし、本当に時間も手間もかかりすぎる。
 これはきっと、二、三度かき氷を作ったところで、さすがの久保も飽きてしまうだろうなと、笠野はひっそりと苦笑を洩らす。
「――回します」
 バカバカしいほど生まじめな顔で宣言した久保が、かき氷器のハンドルをゆっくりと回し始める。笠野は半ば呆れながら忠告した。
「お前、もっと早く回さないと、せっかく削った氷が器の中で溶けるんじゃないか」
「意外に固いんですよ、これ」
「子供でも回せるように作ってるんだろうから、お前のやり方が悪いんだろ。代われ、俺がやってやる」
「いやいや。俺が作ったのを、笠野さんに食べてもらうんですから、座っててください」
「そんな大層なものじゃねーだろ」
 かき氷器の前で、でかい図体の男二人が押し合っていたが、ふと笠野は自分たち以外の人の気配を感じる。廊下のほうに目を向けると、開いたままの戸の傍らから、和彦がひょっこりと顔だけ出して、不審そうにこちらを見ていた。
「……楽しそうだな、二人とも」
「そう見えましたか、先生……」
 笠野は苦笑交じりに応じると、いかつい顔にできるだけ柔らかな表情を浮かべて和彦に問いかけた。
「起きて大丈夫なんですか。もう少ししたら、様子をうかがいに行こうと思ってたんですが」
 さりげなくイスを引いて手で示すと、和彦は頷いてダイニングに入ってくる。なんとなく足取りが覚束ないように見えるのは、夕方の様子を知っているせいだ。
 外出から戻ってきた和彦は夕食もとらずに客間に直行したため、笠野がこっそりと部屋を覗くと、自分で敷いた布団にぐったりと横になっていた。連日の猛暑ですっかりバテたのだという。
 食欲も湧かないということで、ひとまず休んでもらっていたのだが、だからといっても腹に何も入れない事態は見過ごせない。
 夏バテでも食べやすいものを準備しようと思っていたが、こうしてダイニングまで来てくれたことに、いくらか笠野は安堵していた。
「夕飯の準備をしましょうか? なるべく胃の負担にならないものがいいですかね」
「うーん、そうだな……」
 気のない返事をしながら腰掛けた和彦の視線は、久保がまだ奮闘しているかき氷器に向いている。
「倉庫に仕舞っていた、かき氷器ですよ。久保の奴が、作って食べてみたいと言い出して、一応準備はしたんですけどね」
「先生も食べませんか?」
 久保の言葉に、少し考える素振りを見せた和彦だが、意外なことに頷いた。
「冷たいものを食べて胃がびっくりしたら、食欲が湧くかもしれないな」
 医者が口にする理屈として、そんなことはありうるのだろうかと一瞬笠野は思ったが、なんにしても、和彦が食べたいと言うのなら、喜んで従うだけだ。笠野は厳しい視線を久保に向ける。
「おい、さっさと作れ。氷はきれいに、器に盛るんだぞ。……あっ、そういや、冷蔵庫に練乳があったな」
 男二人、それぞれ慌ただしく動き始めると、どこか気だるそうではあるものの、和彦は楽しそうに口元を緩めて久保の作業を見守り始めた。









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