と束縛と


- Extra63 -


 和彦が以前住んでいたマンション宛てに届いた郵便物は、民間の私設私書箱へと転送されるようになっている。もちろん、和彦自身が引き取りに行くことはなく、長嶺組の組員によって回収され、速やかに和彦の元へと届けられるのだ。
 それとは別に、住民票を置いてある住所にも郵便物が届くこともあるが、こちらはダイレクトメールが大半で、やはり長嶺組の組員によって回収され、さらに開封されて中身をチェックされたあと、和彦の手元に渡る。
 どちらに届いた郵便物でも、和彦宛ての私的な手紙だけは開封しないというルールはあるのだが、あいにく、その私的な手紙というものが届いたことは一度もなかった。これまでは。
 学会誌や会報などはクリニックに直接届けられているとはいっても、大半の郵便物が他人にチェックされている現状だが、和彦はプライバシーが侵害されているといって不満を洩らしたことはなかった。見られて困るものはないということらしい。
 神経が細やかな一方で、意外な大雑把さも併せ持った性格に、長嶺家と長嶺組の人間は非常に感謝していた。
 この郵便物回収・配送システムは、和彦が機嫌を損ねることもなく、少々煩雑だが上手く機能していると、誰もが思っていたのだが――。
 恭しい手つきで組員が差し出してきた封筒を、千尋は胡乱な目つきで眺める。封筒の表には和彦の名が記されている。住所は、和彦の前住所のままなので、つまり転送されてきたものだ。
 意味がわからなくて千尋は首を傾げる。これを自分に見せて、一体何が言いたいのかと思った。
 和彦に対する執着心の強さはよく自覚している千尋だが、ストーカー気質は持っていても、ストーカーではない。わざわざ郵便物をすべてチェックするなど、したことはなかった。まったく気にならないわけではないが、そんなことをしていると和彦に知られたとき、軽蔑の眼差しを向けられるのが何より怖い。だから、しない。
「……先生が前に住んでたマンションから転送されてきたものなら、俺じゃなく、直接先生に渡せよ」
「先生宛てに届いた、私的な手紙ですよ、これ」
 組員が声を潜めて話すが、やはり意味がわからなかった。千尋はくしゃくしゃと前髪を掻き上げる。
「そりゃ、先生にも、手紙を寄越す友達ぐらいいるだろ。ほら、前のクリニックで先生と働いていた澤村先生だって――」
「でも、手紙が届いたのは初めてです」
 気になりませんかと問われ、千尋はぐっと返事に詰まる。そう、気にならないはずがないのだ。愛情深くて優しい反面、人間関係に希薄さや淡白さも感じさせる和彦に、わざわざ手紙を寄越す人間がいるのだ。
 千尋はわざとらしく咳払いをすると、封筒を受け取る。差出人を確認すると、『石原(いしはら)瑛』と名だけが書かれていた。けっこうな悪筆だが、書き殴ったというより、丁寧に書きすぎて字のバランスが崩れてしまったような印象を受ける。
「なあ……、この字、なんて読むんだ?」
 千尋は〈瑛〉という字を指さす。
「瑛……、あきら、じゃないですかね」
「石原瑛――。先生の身辺調査をしたときは、出てこなかった名前だな。どこの誰だか。そもそも、人に手紙を出すのに、住所を書いてないって、怪しくないか?」
 これは組員に問いかけたというより、ほぼ独り言だ。
 千尋は封筒を、蛍光灯の明かりで透かしてみる。もしかすると中身がうっすらとでも見えるのではないかと期待したが、どうやら厚手の紙でしっかりと保護しているらしく、中身が手紙だけなのかどうかすら、わからない。
 ますます怪しいと思いつつも、和彦宛ての郵便物を開けるわけにはいかない。これをダイレクトメールだと言い張るのは、さすがに無理がある。
 しかし、あっさり組員に返して、知らん顔もできない。
 一声唸ったあと、千尋はこう告げていた。
「この手紙、俺が先生に持っていく」
 千尋がこう言い出すのはわかっていたという顔で組員は頷いたが、すかさず釘を刺してきた。
「手紙、汚さないでくださいね。感情に任せて、握り潰したりもダメです」
「……俺は癇癪持ちのガキかよ」
 苦々しい口調で応じた千尋だが、丁寧に持ち運ぶと約束して、ようやく納得してもらえた。


 クリニックが休みの土曜日、しかも何も予定が入っていないらしく、いかにも寛いでいるといった様子の和彦は、突然訪ねてきた千尋を見て少しだけ迷惑げな顔をしたが、買ってきたコーヒーゼリーを手渡すと、現金なほど表情を和らげた。
 正直、和彦のその表情の変化が見たくて、連絡なしでたびたび押し掛けるのだ。
 和彦はさっそくコーヒーゼリーを味わおうとしていたが、千尋がバッグから取り出した小箱に興味を示す。もったいぶるように、恭しく差し出した。
「どうぞ、先生」
「……開けていいのか?」
「先生のものだからね」
 訝しげに首を傾げた和彦だが、スプーンを置くと、おそるおそるといった手つきで小箱を開ける。中を覗き込むと、拍子抜けしたように肩を落とした。
「封筒……」
「私書箱に届いていた、先生宛ての手紙。今日は俺が持ってきた」
「どうして――」
 封筒を取り上げた和彦が差出人を確認する。その様子を千尋は息を潜めて観察していた。
 和彦はわずかに目を見開いたあと、口元を緩めた。表情から読み取れる感情は、喜び、といったところだろうか。
 堪らず千尋はテーブルから身を乗り出して問いかけた。
「誰? 石原瑛って」
「若い頃の知り合い。ときどき思い出したように、こうして送ってくるんだ」
「何を?」
 封筒を開けてみるまでもなく、和彦には中身がわかっているらしい。指先で軽く封筒を弾いて教えてくれた。
「――コンサートのチケット。一枚」
 誰の、どんなコンサートで、〈知り合い〉がどうして和彦にそんなものを送ってくるのか。千尋は矢継ぎ早に質問をするが、和彦は笑って教えてくれない。
「チケット一枚っていうのが、怪しいよなー。会場に行ったら、隣の席にはその知り合いの男が、ってことじゃねーの?」
 不貞腐れて唇を尖らせた千尋は、自分が持ってきたコーヒーゼリーにスプーンを突き立てる。和彦は、あからさまに示す千尋の嫉妬に気を悪くした素振りもなく、妙に余裕たっぷりだ。
「どうだろうな」
「でも、そうでしょ?」
 ふふっ、と和彦は笑う。露骨に誤魔化された。
 千尋はコーヒーゼリーを食べつつ、隙を見ては、テーブルの上に置かれた封筒を自分のほうに引き寄せようとするが、そのたびに和彦にペシッと手の甲を叩かれる。千尋は恨みがましい視線を向けた。
「……行かない、よね?」
「まあな。これまでに何回か送られてきたけど、実は一度も行ったことがない」
「どうして?」
 和彦は少しだけ困ったような表情となり、苦笑交じりで教えてくれた。
「ぼくは、ロックは聴かないんだ。唄っている人間の声はいいんだけど、正直、音楽自体は……、うーん、どうなんだろうな」
 千尋は、和彦が本棚の一角にわずかに並べているCDを思い出す。ジャズと、自分ならまず観たいとも思わない小難しげな映画のサントラぐらいしかなかったはずだ。そもそも和彦は、音楽を聴くより静かに本を読み耽るか、音が欲しいならテレビをつけていれば事足りるという人間だ。
「あくまでぼくに合わないというだけで、人気はあるバンドのようだぞ。最近、音楽番組によく出ているみたいだし、CMにも使われているし」
 聴かないわりに、チェックはしているらしい。そして和彦の口振りから、どうやら送られてくるのは同じバンドのコンサートチケットだと推測できる。
 ますます謎が深まり、唇を尖らせたまま首を傾げていた千尋だが、頭の中でチカチカと点滅するものがあった。今、和彦から聞いた話と、過去に和彦から聞いた話から、情報の断片を掬い上げていた。そして、辻褄が合っていく。
「あっ」
 千尋が声を上げると、和彦は唇だけの笑みを浮かべる。妙に婀娜っぽくて、ドキリとするような表情だ。
「なんだ?」
「チケットの送り主って、もしかして先生の二番目の――」
 ここまで言ったところで、和彦が人さし指を唇の前に立てた。
「ネットで調べたらすぐにわかるだろうが、石原瑛というチケットの送り主と、あるバンドのボーカルは〈たまたま〉同姓同名だ。そして、送ってきたチケットも、〈たまたま〉そのボーカルがいるバンドのコンサートのものだ。だが、それだけだ。ぼくが知っている石原瑛は、ピザ屋の宅配のバイトをしていて、バンドを組んだばかりのお人好しの世話焼き男で、今は何をしているかは知らない」
「……その理屈で押し通したいわけ?」
「本当に、何もないからな。昔……、学生のときに別れたんだ。向こうがたまに心配して連絡してくるから、仕方なく引っ越しのたびに連絡先は知らせていたけど、ずっと会うこともなかったんだ」
「お人好しの世話焼き男、ねー」
 話を聞く限り、和彦に対する未練がましさのようなものを感じるのは、気のせいではないだろう。ただ、和彦のほうは本当にあっさりというか、素っ気ないというか――。
 この無関心ぶりが、いつかは自分に向けられるのではないかと考えて、千尋はブルッと身震いをする。愛情深くて優しい和彦だが、一度切り捨てたものに対しては、一瞥すらくれない薄情さを持っているのかもしれない。
 本当は、石原瑛についてもっと探りを入れたいところだが、今は和彦と遠い位置にいるということで、危険はないと判断していた。里見という男に比べれば、ある意味、安全といえる。
 それに組員によって、石原瑛の存在はすでに賢吾の耳に入っているはずで、千尋がやきもきしている間に、すでに手を打っているかもしれない。
 和彦に近づかない限り放置されるだろうが、そうでないならどうなるか。
「――先生って、罪な人だよねー」
 千尋が悪気なく洩らした言葉に、呆れたように和彦が応じた。
「お前が言うな、お前が。ぼくの話を聞きながら、物騒なことを考えていただろ、お前。目の輝きを見ていたらわかるんだ」
「えー、そんなに俺のことを見つめてくれてるんだ」
 露骨に和彦が嫌そうな顔をして、黙々とコーヒーゼリーを口に運ぶ。千尋は頬杖をつきながら、そんな和彦を機嫌よく見つめ続けた。









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