と束縛と


- Extra71 -


 調子っぱずれな鼻歌を歌いながら門前の掃除をしていた若い組員が、歩いてくる三田村に気づいて笑顔を浮かべる。お疲れ様ですと声をかけられ、ああ、と応じる。
 組員が、三田村が左右の手に二つずつ提げている袋に視線を向けた。
「年末年始用の買い出しですか?」
 なぜ三田村が、と言いたげだ。
「ちょうど近くに用があったから、俺が引き受けたんだ。毎年のことで、買うものはわかっているしな。――こっちの袋は菓子の詰め合わせが入っているから、欲しい奴に持って帰らせてやってくれ」
「了解っす」
 組員に袋の一つを渡した三田村は門を潜り、敷地に足を踏み入れる。
 敷石を丁寧にブラシで磨いている組員が顔を上げ、次の瞬間には慌てて立ち上がろうとする。三田村は微苦笑を浮かべた。
「かまわないから、続けてくれ。笠野は台所か?」
「ええ。お節の準備で、朝早くからこもってますよ。普段のメシ作りをやりながらですから、台所から出る暇もないみたいです」
「毎年のこととはいえ、大変だな」
「俺らは美味いものが食えるから、ありがたいですけどね」
「ちょっと労わっておかないとな」
 三田村は、小さめの袋を軽く持ち上げて見せる。笠野の好物であるせんべいを、ついでに買ってきたのだ。
 玄関に足を踏み入れて、深呼吸をする。
 年末の長嶺の本宅には、独特の空気が漂っている。組長と跡目が暮らす自宅ということもあり、日頃は緊張感で張り詰めているのだが、そこに高揚感と、浮き立ったような落ち着きのなさが加わる。この感覚は、堅気も筋者も共通したものかもしれない。
 堅苦しい行事もあるが、長嶺組の名に護られている者同士、大事なく一年を過ごせたと笑い合えるのは、やはり嬉しいものなのだ。
 去年は〈あの人〉もいたのだが――。
 ふっと強烈な寂しさが胸を過り、三田村は唇を噛む。何に対してか、誰に対してか、呪詛の言葉がこぼれ出そうになっていた。
 気を取り直し、組長である賢吾にまっさきに挨拶に向かおうとしたが、詰所で確認したところ、急用で出かけているという。普段から多忙な人ではあるが、年末ともなると会うのも難儀する。
 今日の三田村は、夕方まで体が空いているため、大掃除でも手伝おうかと考える。部屋に帰っても、やることはない。一人でいると、余計なことばかり考えてしまいそうだ。
 廊下を引き返して、ダイニングに向かう。キッチンでは、火にかけた鍋の前で、割烹着姿の笠野が腕組みをして立っていた。
 三田村に気づいて軽く目線を寄越してきたが、すぐに鍋の中を覗き込む。
「何やってるんだ?」
「黒豆を煮てる。他はともかく、これは俺が味付けをして、火加減を見ておかないとな」
「朝早くからがんばってるらしいな。――これ、小さい袋のほうは差し入れだ。休憩のときにでも食ってくれ」
 三田村は三つの袋をテーブルに置くと、邪魔をしたくないので早々にダイニングを出ようとする。今の笠野に、茶ぐらい淹れてくれとはさすがに言えない。すると、笠野がぼそぼそと話しかけてきた。
「――……今年は、顔を出せないんだってな」
 誰が、とは聞くまでもない。三田村は足を止めて振り返る。笠野は菜箸で黒豆を摘まみ上げていた。
「ああ……。大事な用事があるそうだ」
「残念だな。去年はなんでも美味そうに食ってくれてたから、今年はあれを作ろう、これも作ろうって考えてたんだが」
「年末年始は無理でも、そのあと誘えば、喜んでメシを食いに来てくれるだろ」
「そうだがなー。やっぱり、年越し蕎麦とお節は、その日に食べてこそじゃないか」
「……まあ、ここで食べられなくても、向こうで食べるんじゃないか」
 それもそうだなと、笠野が頷く。
〈あの人〉がどこに行っているのか、長嶺組内では一部の人間に知らされており、その中に笠野も含まれている。それでも互いの口調に微妙な苦さが滲み出るのは、込み入った事情を知っているせいだ。
 笠野が肩を竦める。
「組長が戻られるまで、暇だろ。倉庫の片づけ手伝ってくれよ。今、若い者にやらせてるんだ。昼メシと晩メシを出してやるから」
「悪くないな。――が、手伝う前に、ちょっと千尋さんのところに顔を出してくる」
「大広間にいらっしゃると思う」
 三田村は片手を挙げ、今後こそダイニングを出る。
 大広間には、千尋以外に、二人の組員の姿があった。年末から年始にかけて、ここでいくつかの会合が開かれる。その準備を行っているのだ。
 本宅に戻ってくる前までの千尋は、跡目とはいえ組の行事にはほとんど無関心だったが、今は違う。賢吾の代理として、自ら仕事を取り仕切る姿を見せるようになった。本人なりにいろいろと思うところがあるのだろうが、その一つには、〈あの人〉の存在が関係しているはずだ。
 壁に白い布を掛けようとしていた組員が、三田村に気づいて会釈をする。ふっと千尋もこちらを見た。
 寛いだ表情を見せていた千尋だが、一瞬にして険しい顔つきとなる。組員に声をかけてから、廊下に出てきた。
「中庭に下りるか」
 千尋に言われ、三田村は頭を垂れる。
 サンダルに履き替えて中庭に移動すると、建物内に満ちた気忙しい空気が遮断される。千尋は、ジーンズのポケットに指を引っ掛け、ゆっくりと歩き始める。三田村も黙ってあとに従った。
 先代の守光ほどには、賢吾はこの中庭に思い入れはないようだが、それでも管理に手は抜いていない。定期的に専門業者を入れて樹木を世話させており、どの季節においても見事な眺めを保っている。組員は、ほぼ掃除のときしか立ち入らず、専ら散策するのは千尋ぐらいだった。
 それが、一年半ほど前から様子が変わった。
 千尋が立ち止まったのは椿の木の前だった。玄関横にも植えられているが、一瞬の違和感を三田村は覚え、次の瞬間にはそれがなんであるかわかる。咲いている花の色だ。
 玄関横の椿は赤い花をつけているが、中庭の椿の花は、白だ。長く本宅に出入りしている三田村だが、こんな花を見かけた記憶はない。困惑していると、千尋がニヤリと笑いかけてきた。
「オヤジが植え替えさせたんだぜ。いままで、中庭なんて見栄えがよけりゃそれでいいって言ってた男が、だ。業者の作業を眺めていたと思っていたら、白い花をつける椿がいいと急に言い出したんだ」
「組長が、ですか……」
「ロマンチストだからな。オヤジ」
 どういう意味かと問いたかったが、千尋はすぐに次の話題に移る。むしろ、本題はこちらだ。
「――〈和彦〉には会えたか?」
 三田村は短く息を吸い込む。
「会えた……というより、一目見ることはできました」
「そうか」
 和彦は今日、総和会本部から、実家の佐伯家へと向かった。
 あくまで総和会と佐伯家の間で決まった話で、長嶺組として意見できる状況ではなかったようだ。
 逢瀬のときに和彦が浮かべていた複雑な表情を思い出すたびに、三田村は胸を掻き毟りたくなる衝動に駆られる。なんの手も講じられない己の無力さが、ひたすらに口惜しい。
 そんな三田村に、里帰りする和彦を見送れるかもしれないと教えてくれたのは、千尋だ。
 朝出発するということがわかっただけでも、三田村にはありがたかった。
「あの人、気づいてたか?」
「目が合いましたから、おそらく……」
「感謝しろよ。じいちゃんから聞き出して――オヤジにも教えなかったんだからな」
 千尋の意外な言葉に、三田村は目を見開く。
「最近のオヤジは、ヤバイ。息子の俺ですら、側にいると冷や汗が出そうになる。内心、総和会に相当怒り狂ってるんだろうが、それとは別のもので、神経尖らせてる気もする」
 ここ何日か顔を合わせていない三田村にはピンとこないが、賢吾の息子として、一番間近で見ている千尋が言うのなら、確かだろう。
「……冷酷で執念深い蛇の身が、カッカと燃え上がってるみたいだ」
「だから、組長には……?」
「俺程度が案じるようなヘマを、あのオヤジがするとも思えないが、まあ念のためだ」
 この場合、礼を言っては、賢吾に失礼にあたるのかもしれない。
 三田村が逡巡している間に、千尋がてのひらで包み込むようにして椿の花に触れる。その手つきに、愛しい人の肌への愛撫を連想させられる。
 思わず三田村はぽつりと洩らしていた。
「俺で、よかったのでしょうか……」
 独り言のようなものだったが、千尋は聡い。三田村が言わんとしたことを正確に読み取ってくれた。
「見送りがないのは寂しいだろ、和彦が。――お前がよかったんだよ。こちら側で待っている男がいると、和彦に強烈に刻み付けられる」
 三田村の中には危惧がある。和彦がもう二度と、自分の手の届くところに戻ってこないのではないかということだ。千尋もおそらく、同じ危惧を抱いている。
「……戻ってきますよね」
 自分を安心させるため、あえて口に出してみる。千尋は軽く鼻を鳴らした。
「当たり前だ」
 力強い一言に、今は救われる。
 千尋に倣い、三田村は白い椿の花にそっと手を伸ばした。









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