と束縛と


- 檻 -


 まったく、らしくないことをしていると、三田村は嫌というほど自覚していた。自覚はしているが、行動を起こさずにはいられ ない。
 それは、ひどく青臭い感情であるし、胸がざわつくほどの焦燥感でもある。それらに突き動かされるように、忙しい 〈仕事〉の合間を縫って、思いつきを実行に移していた。
 不動産屋で受け取ってきたばかりの鍵をポケットから取り出し、 ドアを開ける。
 まだ築一年というだけあって、外観だけでなく、ワンルームの部屋はきれいだった。ここをいい部屋だと言 い切れるほど、確たる価値観を三田村は持ち合わせていない。三田村にとって部屋とは、ときどき寝に帰るだけの、物置に近い存 在だからだ。
 自分一人が過ごすなら、古くて狭いアパートで十分なのだ。だが、わざわざもう一部屋借りることにしたのに は、大きな理由がある。だから、いつもの自分の価値観を発揮するわけにはいかなかった。ここがいい物件であることは、不動産 屋の社員に何度も念を押して確認してある。
 キッチンや洗面所、浴室を何度も行き来し、買い揃えるものをメモする。本格 的にここで暮らすわけではないので、最低限のものがあればいいだろう。ただ、エアコンが備え付けというのはありがたかった。 設置工事の手間を省けるし、この暑さの中、不快さを味わわなくて済む。
 さほど広くない室内を歩き回りながら三田村は、 やはり心の中で呟くのだ。
 らしくないことをしている、と。
 大きな窓がはめ込まれ、柔らかなクリーム色の色彩に囲 まれた部屋は、三田村のようなセンスの欠片も持ち合わせていない人間には、難敵だ。カーテンを何色にしようかと、この部屋を 最初に見せられたときから、ずっと悩んでいた。
「何やってるんだ、俺は……」
 ボールペンの尻で頭を掻いた三田村は、 苦々しく呟く。それでも、この部屋を借りたときのままの無機質な状態にはできない。
 自分にはそれで相応しいだろうが、 〈彼〉には相応しくないと、頑なに三田村は思っている。
 三田村が知るどの人間よりも、柔らかな空気と、冷ややかで鋭い 空気をきれいに併せ持ち、息苦しくなるような艶やかさを放つ彼は、本人は認めたがらないだろうが、豪奢な檻の中に閉じ込められ ているのがよく似合う。
 三田村は、その檻の中から、ほんのわずかな間だけ、彼を連れ出すことを許可された。そして閉じ 込めるのが、この部屋――簡素な檻だ。
『惚れるのはいいが、絶対に逃がすなよ。〈あれ〉は、見た目以上にしたたかな生き 物だから、お前みたいな朴念仁を、簡単に骨抜きにするぞ』
 ふいに、自分の飼い主から言われた言葉を思い出し、三田村は そっと目を細める。
 言われるまでもなく、とっくに自覚していることだった。案外、言った本人も身をもって実感している のかもしれない。
 なんにしても、この檻に閉じ込めている間は、彼は確実に、三田村のものになる。それ以上の贅沢を望む 気はなかった。
 現に三田村は、何もない部屋にこうして一人突っ立っているだけで、幸福感を味わえているのだ。




 食事を終えた和彦は、ひどく機嫌がよさそうに見えた。気まぐれに頼んだワインが気に入ったらしく、いつになく速いペースで 飲んでいたが、そのせいかもしれない。
 何度も和彦の食事につき合っているうちに、食べ物だけでなく、アルコールの好み まで三田村は把握してしまった。たとえば、ワインや洋酒は好きだが、日本酒や焼酎は飲めはするものの得意ではない。ビールは つき合い程度に飲めて、甘いカクテルは嫌い。気分がいいときによく飲むのは、ワインだ。
「――楽しそうだな、先生」
 レストランを出て、エレベーターホールに向かいながら三田村が声をかけると、和彦は唇だけの笑みを浮かべる。素面のときは、 文句のつけようのない色男に見える和彦だが、こういう婀娜っぽい表情になると、途端に得体の知れない生き物となり、三田村の 目を釘付けにする。これで、少し前まで堅気の医者だったのだ。
 こんな存在を見つけ出した千尋の審美眼を賞賛するべきか、 ヤクザの世界に沈めてしまった賢吾を畏怖するべきか、それとも両方なのか――。
「あんたも、楽しそうだ。三田村」
  思いがけない和彦の言葉に、三田村は目を丸くする。自分では、いつものように無表情だと思っていたからだ。
 内心、わず かにうろたえると、和彦がニヤリと笑いかけてきた。
「ウソだ。今日も、完璧な無表情だ」
「……やっぱり今夜は楽しそ うだ」
「明日は、なんの予定もないから、ゆっくりできる。多分」
 他意はないのかもしれないが、和彦の言葉を聞いた 三田村はドキリとする。咄嗟に考えたのは、明日の空いた予定を、自分がもらってもいいのだろうかということだ。
 三田村 は、和彦と関係を持った。だからといって、恋人同士ではない。賢吾という飼い主の許可の下、ささやかな逢瀬を重ねるのがせい ぜいだろう。だからといって体だけの関係だと言い切れるほどドライではない。それどころか、ドロドロとした情熱や情欲が渦巻 いている。
 そんな関係だからこそ、和彦と一時を過ごしたいとき、どんな言葉をかければいいのか三田村は悩む。
 い い言葉が思い浮かぶまで、二人きりの時間を持つのは諦めたほうがいいだろうかとも思う。三田村は、生きてきた世界が違う和彦 を、どんなふうに扱っていいものか、いまだによくわからないのだ。そのため、武骨な自分の言動で傷つけたり、機嫌を損ねるの を恐れていた。
 三田村が淡々とした無表情を保ったまま、突然湧き起こった雄の衝動をなんとか鎮めようとしていると、ス ッと隣にやってきた和彦が小声で言った。
「誘ってくれないのか?」
 反射的に隣を見ると、睨みつけるようなきつい眼 差しを向けられる。この瞬間、三田村の無表情はあっさり崩れ、苦い表情を浮かべた。
 本当はすぐに弁解したかったが、エ レベーターホールには人の姿があり、不自然な沈黙を保ったままエレベーターに乗り込む。
 怒っているように見える和彦の 横顔をちらりと一瞥して、三田村はスラックスのポケットに片手を忍び込ませ、指先に触れる硬い感触を確かめた。
 エレベ ーターが一階に着くと、扉が開いてすぐに和彦が飛び出し、いつになく早足でロビーを歩く。三田村はそのすぐ後をついて歩きな がら、やっと声をかけた。
「――先生」
 しかし和彦は振り返らない。
「先生」
 もう一度呼びかけて、振り返 らないと確認したところで、すかさず三田村は和彦の前に回り込み、片手で握り締めていたものを突き出した。さすがに驚いたよ うな顔をした和彦が、次には怪訝そうに眉をひそめる。
「なんだ……?」
「受け取ってくれ」
 強引に和彦の手を取 って、握らせる。しかし三田村は、和彦の反応を見ないまま、半ば逃げるように駐車場に向かう。少し遅れて、背後からパタパタ と走ってくる足音が聞こえてきた。
「三田村っ」
 和彦に呼びかけられると同時に、腕を掴まれる。かまわず歩き続けな がら、前を見据えたまま三田村は説明した。
「……部屋を借りた。先生と会うための部屋だ。自分でも、どうしてこんなこと をしたのか、よくわからない。ただ、先生が住んでいる部屋は……、〈俺たち〉が使っていい場所じゃないように思えるし、ホテ ルを使うのは、俺が嫌だ。どんないいホテルを取ろうが、先生を安く扱っているように感じそうで」
 淡々とした口調ながら、 ここまで一気に話してから、三田村は大きく息を吐き出す。
「俺は、ズルイ。大事なことを、先生に言わせた。きっかけが欲 しかったはずなのに、俺から言い出す勇気が持てなかった」
 相槌も打たず黙って聞いてくれていた和彦が、三田村の腕を掴 む手に力を込めてきて、静かな口調で言った。
「言い出す勇気はなかったけど、行動を起こす勇気はあった。……それで十分 だ」
 三田村がぎこちなく振り返ると、和彦は手にした鍵を弄んでいた。唇に柔らかな笑みを刻んで。
 車のロックを解 除し、助手席のドアを開けてやる。後部座席のドアではない意味がわかったのか、小さく頷いて和彦は乗り込んだ。


 部屋に入った三田村は、こもった熱気に顔をしかめてからエアコンをつける。一方の和彦は、カーテンをつけはしたものの、ま だ殺風景な印象が強い部屋を見回していた。
「……何もない」
 和彦がぽつりと洩らした言葉に、思わず三田村は苦笑す る。
「すまない。最低限、すぐに使いそうなものだけは買ってきたんだが、あとは、先生がいるものを買ってきたほうが具合 がいいと思ったんだ。俺は無神経な性質だから、なければないで、さほど不便は感じない」
「ベッドも布団もない」
 こ ちらを見た和彦の眼差しに、三田村は魅了される。いつもは、柔らかいくせに、どこか底冷えするような静けさを湛えている目が、 熱を帯びて濡れているようだ。
 ふらりと和彦の側に歩み寄った三田村は、頬に手をかけた。
「ベッドは、明後日配達さ れることになっている。今夜ここに寄るのは、予定外だった」
「――ぼくもけっこう、無神経な性質なんだ。なければないで、 そんなに不便は感じない」
 本当は笑いたかったが、その前に感情は、激しい欲情に支配されていた。
 三田村は和彦の 頭を引き寄せると、荒々しく唇を塞ぐ。すぐに和彦も応えてくれ、二人は互いの唇と舌を必死に貪り合っていた。
 ジャケッ トを脱いでフローリングの床の上に落とすと、二人はぎこちなく座り込む。三田村は自分のジャケットを丸めると、それを枕代わ りにして和彦を慎重に押し倒した。
 また、この存在に触れることができたのだと、和彦が身につけているものを脱がしてい きながら、三田村は興奮と感動を同時に味わっていた。
 露わになった和彦の胸元に恭しく唇を押し当てながら、スラックス と下着を引き下ろし、すでに高ぶり始めている欲望をてのひらに包み込む。和彦が大きく息を吸い込んだため、顔を上げた三田村 は唇に優しいキスを落とす。
 緩やかに舌を絡め合うと、和彦の手にネクタイを解かれ、ワイシャツのボタンを外されていく。 それだけのことなのに三田村の欲望はさらに高まり、ワイシャツを脱がされて、和彦のひんやりとして柔らかな手が背に這わされ ると、一層煽られる。
 三田村は、自分の衝動のままに和彦を求めることにした。
 全裸にした和彦の両足の間に、顔を 埋めたのだ。
「あうっ」
 一声鳴いた和彦が、床の上で大きく仰け反る。その反応をうかがいながら、三田村は和彦のも のの先端に舌を這わせ、吸い付く。あっという間に透明なしずくが滲み出て、それを待ってから、括れまでを口腔に含んで吸引す る。
「んあっ、あっ、あぁっ」
 間欠的に声を上げる和彦をさらに煽るため、唾液で濡らした指で内奥の入り口をこじ開 け、挿入した。途端に、堪えきれないような呻き声を洩らした和彦が、きつく指を締め付けてきた。
 求められているという 安堵感が、三田村の欲望を増幅させる。
 しゃぶりつくように和彦の欲望を愛撫し、溢れるしずくを啜りながら、内奥に付け 根まで収めた指を蠢かせる。
「あっ、う。うぅ……」
 三田村が指を出し入れするたびに、内奥が淫らな蠕動を繰り返す。 口腔では、張り詰めた和彦のものが震えていた。唇で括れをきつく締め付けてやると、浅ましく和彦の腰が揺れたが、三田村が内 奥のある部分を強く指で押し上げると、今度は小刻みに震える。
 快感に対して従順で貪欲な体だと、改めて感嘆させられる。 決して巧みとはいえない三田村の愛撫にも、鮮やかに反応してくれるのだ。だから、和彦の体に溺れてしまう。
 三田村はス ラックスの前をくつろげると、とっくに高ぶっていた欲望を、和彦の内奥にやや強引に含ませていく。
 三田村が枕代わりに 敷いてやったジャケットを、頭上に両腕を伸ばして和彦は握り締めていた。挿入を深くしていくたびに、和彦が緩く頭を左右に振 って静かに乱れる。
「あっ、あっ、三田、村っ……。三田村――」
 和彦に呼ばれるたびに、三田村は熱い吐息をこぼし ながら、すでに汗で濡れている紅潮した肌に唇を押し当てる。そのうち和彦の片手が頭にかかり、せがまれるまま、硬く凝ってい る胸の突起を貪っていた。
「うあっ、あっ、はあぁ……」
 腰を揺すると、呆気なく和彦の体は溶けた。触れてもいない のに、達したのだ。三田村は身震いするほどの歓喜を覚え、片腕で和彦の頭を抱き寄せた。


 内奥深くを突き上げるたびに、堪えきれない悦びを知らせるように、汗で濡れた和彦の艶かしい背がしなる。そのしなやかな動 きに、すっかり三田村は魅入られていた。
 背後から和彦を貫くたびに、やはり賢吾や千尋も、同じような感覚を味わってい るのだろうかと、頭の片隅で考える。決して三田村は、二人に嫉妬しているわけではない。ただ、和彦という人間の底知れない価 値を、自分たちは認識しているのだという、妙な連帯感はあった。もちろんこれは、三田村一人がそう感じているだけだ。
  しかし、嫉妬はしていないが、意識しているのは間違いない。こうして和彦の体を愛しながら、賢吾や千尋はどんなふうに和彦に 触れているのだろうかと想像するのだ。
「はあっ、あっ、ああっ」
 和彦の腰を抱え込み、これ以上なくしっ かりと繋がる。ひくつく和彦の内奥が、引き絞るように三田村のものを締め付け、吸い付いてくる。絡みついてくるような襞と粘 膜の感触に眩暈すら覚え、三田村は小さく呼びかけた。
「先生……」
 三田村の声に含まれた切実な響きに気づいたのか、 相変わらず三田村のジャケットを握り締めながら、ゾクリとするような掠れた声で和彦が応じた。
「三田村、中に……、欲しい。 好きなんだ……」
「わかってる。最初のときも、先生は悦んでいた。俺が中に出すと、ビクビクと震えて、いい声で鳴いてく れた」
 和彦の腰を掴み、乱暴に内奥を突き上げる。すでに限界を迎えていた三田村は、快感をコントロールすることもでき ず、奥歯を噛み締めながら熱い精を迸らせていた。
 まるでしなやかな獣のように和彦が背を反らし、床に爪を立てる。奔放 に快感を味わっている姿に、また三田村は魅入られる。痺れるような快楽も魅力的だが、それ以上に、和彦の快感を支配している というのは、麻薬じみた陶酔感があり、一度味わうと手放せない。
 三田村の裸の体を汗が伝い落ちていく。荒く息を吐き出 しながら、やはり息を喘がせている和彦の濡れた後ろ髪をそっと撫でた。すると、床に顔を伏せていた和彦がわずかに頭を上げ、 肩越しに振り返る。濡れた目は、意外なほど冷静に見えたが、それは和彦の貪欲さの表われのようにも思えた。
 これだけの 快感では、自分はまだ満足できないと――。
 自分勝手な解釈をした三田村は、床に投げ出された和彦の片手に、自分の手を 重ねる。
「……すまない、先生。これだと、足が痛いだろう」
「それより、あんたの顔が見えない」
 和彦の言葉に、 三田村は返事に詰まる。こういうとき、なんと答えたらいいのかわからなかった。
 考えあぐねた挙げ句、和彦の背に唇を押 し当ててから、一度繋がりを解く。和彦の体を仰向けにすると、頭の下に丸めたジャケットを入れてやる。すると和彦が笑みをこ ぼした。通じ合うものがあり、何も言わず抱き合う。
 互いの体をまさぐっているうちにすぐにまた高ぶりを覚え、三田村は 和彦の蕩けた内奥に、自分のものを再び挿入する。蕩けている場所は、貪欲に蠢きながら三田村の欲望に絡みつき、収縮していた。
 ゆっくりと内奥を突き上げた三田村は、和彦の体を抱き起こし、座って向き合う形となる。これで、動くたびに和彦の後頭 部や背を痛めているのではないかと心配しなくて済む。
 深い吐息を洩らした和彦が、両腕を背に回してしがみついてきたの で、三田村も思いきり抱き締める。和彦の手が頬にかかり、軽く唇を吸われた。
「これで、顔がよく見える」
 眼前で和 彦に微笑まれ、三田村はのぼせそうになる。
 賢吾に言われたことを思い出していた。骨抜きになる、という言葉はもう正確 ではないだろう。三田村はもうとっくに、和彦に骨抜きになっていた。
 あごの傷跡を和彦の舌になぞられ、そのまま濃厚な 口づけを交わす。自然に二人の腰は動き、繋がった部分をもどかしく擦りつけ合っていた。
 和彦が緩やかに腰を上下に動か し、今度は三田村の快感が支配される。絡みついてくる腕の感触にすら強烈な心地よさを覚えながら、和彦と何度となく唇を重 ね、舌を絡める。
 結局、三田村はまた、和彦を床の上に押し倒して、獣のようにのしかかっていた。
 会える時間が限 られているというのは、もしかするとよかったのかもしれない。
 和彦を組み敷きながら、三田村はこう感じずにはいられな かった。制限がなければ、いつまででも、この存在を抱き締め、快楽を貪り続けそうな危惧がある。
 互いに鎖に繋がれてい るからこそ、獣のように体を重ねながらも理性的でいられるというのは、皮肉な状況だった。
「――難しいことを考えている だろ」
 唐突に和彦に指摘され、三田村は目を見開く。
「いや……、そんなことは……」
「ぼくは考えている。ここ であんたを油断させたら、ぼくは逃げ出すことはできるだろうかって」
 そんなことを言った和彦にキスを与えられ、つい笑 ってしまう。
「逃げ出そうと思えば、別に今じゃなくても、いつでもできたはずだ。先生は監視されているわけじゃない。――逃 げ出すことと、逃げ切れることとは、まったく別の話だが」
「ヤクザの、そういう物言いが嫌いなんだ」
 和彦の口 調は柔らかで、見上げてくる眼差しも甘く熱っぽい。さらに、三田村の欲望を包み込んでくれる場所は、淫らに蠢きながら、物欲 しげにずっと締まっている。
 三田村は、もっと和彦の感触を堪能することにした。
 両足を抱え上げ、大きくゆっくり と内奥を突き上げる。床の上で和彦の体がしなり、嬌声が上がる。その姿を目に焼きつけながら、三田村はただ欲望のままに動い ていた。
 和彦のものが反り返り、また透明なしずくを滴らせている。あとでまた、たっぷり口腔で愛して、味わってやろう と思った。そして、和彦の体のどこかにくっきりと、愛撫の痕跡も一つだけ残しておきたいとも。
「三田村……」
 そう 呼びかけてきた和彦が両腕を伸ばしたので、三田村は覆い被さってしっかりと抱き合う。胸を満たす狂おしいほどの愛しさを、じ っくりと味わっていた。
 和彦が、逃がしてくれと懇願してきたところで、絶対に三田村は逃がさないだろう。だがもし、一 緒に逃げてくれと言われたら、断れる自信はなかった。二人で逃げ出したら、と想像するのは、胸が高鳴るものがある。
 し かしそれ以上に、三田村が手に入れた何もないこの檻に、ほんの一時だけ和彦を閉じ込めて味わう時間は、何ものにも変えがたい ほど甘美だ。
 たまには、らしくないことをしてみるものだと、三田村はひっそりと笑みを洩らした。









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