ウェイトマシンのコーナーに中嶋の姿を見つけた和彦は、さっそく歩み寄る。約束しているというほどではないが、互いに次の予定を聞いて、スポーツジムに通う曜日や時間帯を合わせるようになっていた。
そうやって顔を合わせては、情報交換を行っている――というわけではなく、まだ和彦のほうが、中嶋から一方的にあれこれと教えてもらうことが多い。
汗だくになってバーベルを持ち上げていた中嶋が、和彦に気づくなり、危うくバーベルを落としかける。照れ笑いを浮かべて無事にバーベルを置くと、汗を拭きながら和彦の側にやってきた。
「みっともないところを見られました」
「大げさだな」
笑みをこぼした和彦は、中嶋に促されるままレッグマシンに腰掛ける。
さっそくマシンを動かし始めると、中嶋に言われた。
「先週はすみませんでした。約束していたのに、仕事が抜けられなくて」
「もういいよ。気にしてないし、君が忙しいのはわかっているから。それに、秦さんが来てくれた」
「ああ、あとで一緒にメシを食ったんですけど、さんざん言われましたよ。お前なんていなくても、なんの問題もなかったって。あの人、先生の前ではものすごい紳士でしょうけど、基本的に意地悪ですからね。俺はいつもイジメられてますよ」
そう言う中嶋の口調に陰湿なものはなく、当然、冗談として話しているのだ。和彦は慎重に両足でマシンを押し上げながら、実は内心で緊張していた。
先週、待合室のインテリアについて秦に相談したとき、千尋との甘ったるいやり取りを聞かれてしまった。中嶋の言う『紳士』だからこそ、あの場ではなんでもないよう装ってくれたのだろうが、抵抗がないはずがない。
「……秦さんと会ったとき、何か言ってなかったか?」
和彦の控えめな問いかけに、中嶋は不思議そうな顔をする。
「何か、ですか?」
「いや、ちょっと現場でバタバタしたから、秦さんに不愉快な思いをさせたかもしれないと思って……」
そんなことかといった様子で、ちらりと笑った中嶋は首を横に振った。
「不愉快どころか、やけに楽しそうでしたよ、秦さん。いい店を先生に紹介しないと、と張り切ってもいましたし」
「ならいいんだ。あの人、職業柄なのか知らないけど、よく気をつかってくれるから。ぼくみたいな人間につき合って、迷惑をかけても悪いしな」
和彦が、長嶺父子のオンナであることは、すでに知られている事実だ。いまさら千尋と甘い会話とキスを交わしていたからといって、他人に喜んで報告するような悪趣味なまねを、秦がする必要もない。
和彦が心配していたのは、そんなことではなく、純粋に今言った通りのことだった。
大きく息を吐き出しながら、中島がマシンをゆっくりと下ろしていく。このとき、さりげなく言われた。
「――秦さんは、先生よりずっと、こっちの世界に染まっている人間ですよ」
マシンを押し上げていた和彦は、思わず隣の中嶋の顔をまじまじと見てしまう。中嶋は、普通の青年の顔の下から、わずかに筋者としての顔を覗かせ、食えない笑みを浮かべた。
「ヤクザの世界を知っている商売人、といったところですか。……と、これは陰口じゃないですよ。秦さん本人が、酔ったときによく言う口癖です。若いときに、店の資金のことである組とゴタゴタがあってから、いろんな組と関わりを持って、うまく立ち回るようになったそうです」
「まあ、この間の花火観賞の集まりで、あんな面子の中に平然としているぐらいだからな」
「秦さんを紹介したのは、先生も気をつかわなくて済むと思ったからです。ヤクザではないけど、この世界を理解している絶妙の位置にいる人なので、余計な説明を必要としない」
「……ヤクザではないけど、この世界にどっぷり浸かっているぼくと、話が合うかもな」
知らず知らずのうちに和彦の口調は自嘲気味なものとなる。中嶋が返答に困ったような顔をしたので、慌てて和彦は謝った。
「いい人を紹介してもらったと思っているんだ。いくつも店を経営している人だから、クリニックの経営についても、いろいろとアドバイスをもらえそうだし」
「秦さんは秦さんで、先生に美容整形のことで、いろいろアドバイスをもらいたいと言ってましたよ。若いホストにあれこれ相談を持ちかけられて、返事に困るとぼやいていたこともあるので」
「開業前なのに、すでにもう、患者に不自由しない予感がするな」
和彦の言葉に、中嶋はニヤリと笑った。
ブランケットに包まってうとうとしていた和彦は、窓を叩く雨の存在に気づいていた。朝から雨というと、普通なら憂鬱になりそうだが、ここのところの晴天続きに辟易していたところなので、雨音が妙に耳に心地いい。
ただし、湿気を含んだ暑さを堪能する気はないので、今日は部屋に閉じこもって、書類仕事を片付けてのんびりしよう――。
和彦は取り留めもなくそんなことを考えながら、雨音を聞いていた。しかし、そんな穏やかな目覚めをぶち壊すように、無遠慮に電話が鳴った。この時間、電話をかけてくる人物はわかっている。
大きく息を吐き出してサイドテーブルに片手を伸ばし、子機を取り上げる。
『――もうすぐそっちに着く。着替えてエントランスにいろ』
電話を通しても少しも損なわれることのない、忌々しいほど魅力的なバリトンに、傲慢な命令口調はよく似合う。
前髪に指を差し込んだ和彦は、寝起きのため力のこもらない声で問いかけた。
「どこに連れて行かれるんだ」
『車の中で説明する。早く着替えろ』
それだけ告げて、電話は一方的に切られた。毒づく気にもなれず、和彦はモソモソとベッドから這い出し、身支度を整える。
なんとか眠気を我慢してエントランスに降りたとき、和彦は一瞬、自分は悪夢でも見ているのではないかと思った。というより、思いたかった。
マンションの正面玄関の前に、近寄りがたさを放つ三台の高級車が縦列で停まっており、真ん中の車のウィンドーがわずかに下ろされていた。そこから覗いた指が動き、和彦を呼ぶ。
買い物か組事務所にでも連れて行かれるのだろうかと気軽に考え、和彦はチノパンツにポロシャツという格好なのだ。車三台という仰々しさから考えると、スーツにしておくべきだった。
「……着替えに戻りたいんだが……」
賢吾が乗る車に歩み寄ってそう声をかけると、後部座席のドアを開けた賢吾がニヤリと笑う。
「その格好でいいじゃねーか。これからドライブがてら、ちょっと遠出するだけだ」
「ドライブ……」
あからさまにウソ臭いが、和彦に拒否権はない。促されるまま車に乗り込むと、速やかに走り出す。
「メシは食ってないんだろ」
「ああ」
「だったら途中でどこかに寄って、モーニングを食うぞ。俺も食ってないんだ」
そんな会話を交わしながら、賢吾に片手を握られる。ドキリとして和彦が隣を見ると、賢吾が口元に薄い笑みを湛えながら、握った手を引き寄せ、唇を押し当てた。この瞬間、艶かしい感覚が胸に広がり、和彦は息を詰める。
運転席と助手席にいる組員の存在が気になるが、当然のように、賢吾は意に介していない。
何度も指先や手の甲に唇を押し当てられ、手を引き抜くわけにもいかず、だからといって素直に反応してみせるわけにもいかない。困惑していた和彦は、とうとうこの空気に耐え切れなくなり、口を開いた。
「どこに――」
「んっ?」
ようやく賢吾の動きが止まる。ここぞとばかりに和彦は言葉を続けた。
「ドライブがてらの遠出って、どこに行くんだ」
和彦がうろたえていることに気づいているのか、てのひらに唇を押し当てた賢吾の目が楽しげに細められた。
「見舞いだ。昔、俺のオヤジと兄弟盃を交わした人で、長嶺組の傘下の組を任されていた。だが、引退してからすっかり弱ってな。いよいよ入院したという連絡が入ったんで、俺がオヤジの名代として行くことになった。一つの組を背負っていた相手だ。それ相応の礼儀や形式ってものが必要なんだ」
だから、この仰々しさなのだ。
「組長自ら?」
「俺がガキの頃に遊んでもらったりして、いろいろと世話になったし、オヤジに言えないような不始末も、内緒で処理してもらった」
「……今の千尋を見ていると、あんたの若いときのやんちゃぶりが、少しは想像できる」
「千尋はもう少し、やんちゃでもいいぐらいだな。さすがに本宅を飛び出して一人暮らしを始めたときは、頭をぶん殴って連れ戻してやろうかと思ったが――」
ふいに賢吾の腕が肩に回され、引き寄せられる。耳に熱い唇が押し当てられると、和彦は小さく身震いした。
「そのおかげで、こうして先生を手に入れられたんだから、結果としてはよくやったと褒めてやらねーとな」
「ぼくの前で、よくそんなことをヌケヌケと言えるな。少しは気をつかったらどうだ」
「気ならつかってるだろ。可愛いオンナのために、この俺が、あれこれ手を尽くしてやっている」
暗に、三田村のことを仄めかされたようだった。和彦は唇を引き結び、賢吾を睨みつけるが、当の賢吾は楽しそうに口元を緩めている。
今朝、顔を合わせたときから漠然と感じていたが、これで確信した。
賢吾は機嫌がいいようだ。
和彦の肩を抱いたまま、外の景色を見遣って賢吾が独りごちた。
「この雨が上がったら、梅雨が明けるかもな……。そうしたら、肌にまとわりつくような鬱陶しさから解放される。せめて、天気ぐらいスカッとしておいてもらわないとな」
賢吾の言葉で、和彦はあることを思い出す。千尋に絡んできたり、組事務所の近くで見かけた不審な男のことだ。
「――あの男のこと、何かわかったのか?」
和彦の問いかけに、再び賢吾がこちらを向く。寸前まで機嫌がよさそうだったのに、このとき賢吾の両目には、ひんやりとした質感が宿っていた。組長としての目だ。
「先生のような人間が知る価値もない、下衆な男だ」
「ヤクザに下衆呼ばわりされるなんて、大したものだ」
「蛇蝎(だかつ)のごとく嫌うって言葉があるだろ。蛇は、俺の背中にいる。だとしたら、あの男はサソリかもな」
指で和彦の頬をくすぐりながら、賢吾が低い笑い声を洩らす。そんな賢吾を、畏怖を込めた眼差しで見つめていた和彦だが、手慰みのように頬や髪を撫でられ続けているうちに、肩から力を抜く。
すると賢吾が、もう片方の手を差し出してきた。その手と賢吾の顔を交互に見てから、和彦は大きな手の上に、自分の手を重ねる。痛いほど握り締められた。
「……忙しく日帰りするつもりだったが、気が変わった」
「えっ?」
目を丸くする和彦に向けて、賢吾がニッと笑いかけてくる。その表情は、ハッとするほど千尋と瓜二つだ。
「このまま雨が続いたら、今日は行った先で泊まるぞ。ひなびた感じの、いい温泉場が近くにある。その辺りを縄張りにしている組と長嶺組は昵懇だから、挨拶に寄ったついでに、宿を紹介してもらおう」
勝手に決めるな、と言ったところで無駄だろう。それに、楽しそうに話している男を見ていると、野暮を言うのは気が引ける。
ため息交じりに和彦は応じた。
「あんたがそうしたいなら……」
心の半分では、雨が止んでくれないだろうかと思いながら、残りの半分では、賢吾と二人きりで宿の部屋に泊まる状況とはどんなものだろうかと、想像している自分がいた。
和彦は携帯電話を閉じると、片耳を軽く押さえる。電話を通してキャンキャンと喚き続けられたせいで、鼓膜がおかしくなったようだ。
「――うちの子犬は、元気だったようだな」
ふいに背後から声をかけられ、飛び上がりそうなほど驚く。和彦が振り返ると、いつ風呂から戻ってきたのか、大柄な体を浴衣に包んだ賢吾が立っていた。
すでに敷いてある布団の一つにどかっと胡坐をかいて座り込むと、片手に持っていた缶ビールを開け、豪快に飲み始める。和彦は、さりげなく部屋の隅へと移動しながら、そんな賢吾を見つめる。
昼前に目的地に着いてから、賢吾たちは病院に向かったが、和彦だけは組員一人を運転手としてつけられ、なぜか観光地巡りをさせられた。組員ではない和彦を、組員たちが集まった病室に連れて行かないだけの配慮を、賢吾はしてくれたのだ。
用意された宿は、こじんまりとして古くはあるが部屋も風呂もきれいで、いかにも温泉地にある宿といった風情を持っていた。観光シーズンから外れているためか一般の宿泊客も少なく、宿内を長嶺組の一団がうろうろしていても、さほど気にしなくて済んでいる。
大広間での夕食のあと、和彦だけは大浴場でゆったりと入浴を楽しめたが、体に刺青を入れている賢吾たちはそういうわけにもいかず、本来なら一時間ごとの貸切になっている家族風呂を悠々と占領してきたようだ。
和彦は窓に這い寄ると、外の景色を眺める。通りに沿って宿や飲食店の明かりがぽつぽつと灯っているが、降り続く雨のせいか、外を出歩く人の姿はまばらだ。
「千尋はなんと言っていた」
賢吾に話しかけられ、微かに肩を震わせた和彦は、意識して顔を外に向けたまま答える。
「……さんざん恨み言を言われた。ぼくとあんただけでズルイと。ぼくは振り回されているだけだと言っても、聞きやしない」
「帰ってから、千尋の子守りに苦労しそうだな、先生」
窓ガラスに賢吾の姿が反射して映っているが、ニヤニヤと笑っている。だらしなく浴衣を着て、布団の上であぐらをかいて缶ビールを飲む姿は、とうていヤクザの組長には見えない。しかし、この男が一声上げるだけで、別室で待機している組員たちが一斉にこの部屋に飛び込んでくるのは間違いない。
できることなら和彦も別室で一人ゆっくりと休みたかったのだが、提案した次の瞬間に、賢吾に鼻先で笑われて却下された。
「最近、千尋の甘ったれぶりに気合いが入っているんだが、本宅でもあんな感じなのか?」
「本気で、先生を母親のように感じているのかもな。情の深い先生のことだ、母性に溢れていても不思議じゃない」
「母親相手にサカるのかっ。……冗談でも、勘弁してくれ……」
少しの間、賢吾の笑い声が聞こえていたが、ふいにまじめな声で言われた。
「――今、先生の周りにいる男の中で、平気で甘えられる立場にいるのは自分しかいないとわかってるんだ、あいつは。その立場に優越感を持っていて、堪能している。可愛い外見に騙されるなよ。なんといってもあいつは、俺の息子だ」
「……念を押されなくてもわかっている」
いまさら意外でもないが、賢吾は、千尋をよく見て、把握していた。
少し外を出歩いてこようかと考えながら、窓を叩く雨を漫然と目で追っていた和彦だが、背後に気配を感じてハッとする。窓ガラスには、和彦のすぐ側に這い寄ってきた賢吾の姿が映っていた。まるで、獲物に忍び寄る獣の所作だ。
和彦が慌てて立ち上がろうとしたときには、伸ばされた両腕の中に捕えられ、背後から賢吾にしっかりと抱きすくめられていた。
反射的に抵抗しようとしたが、首筋に歯が立てられると、それだけで全身が痺れたようになり、動けない。和彦は、浴衣を割って入ってきた賢吾の手を、おとなしく両足の間に受け入れた。
「うっ……」
無遠慮な手つきで下着を下ろされ、引き出された敏感なものを握り締められる。手荒く扱かれて、畳の上に爪先を突っ張らせながら腰を震わせる。
「先生、口を吸わせろ」
賢吾に熱っぽく囁かれた和彦は、すでにもう息を弾ませながらも振り返り、間近にある賢吾の顔を見つめる。二度、三度と互いの唇を啄ばみ合ってから、賢吾に一方的に貪られていた。
賢吾と同室ということで、こうなることはわかっていた。それどころか、体の奥の疼きも自覚していた。賢吾のオンナとして仕込まれた結果だ――という気はない。最近の和彦は、自分が抱え持った淫蕩な性質を受け入れつつあった。
三人の男と同時に関係を持っていて、そう認めざるをえないのだ。
浴衣を大きく捲られ、下着も脱がされてしまう。露わになった和彦のものはすでに赤く染まり、身を起こして賢吾の愛撫に応え始めていた。
たっぷり舌を吸われながら、先端を強く擦られる。しっとりと滲み始めた透明なしずくを確認したのか、いきなり賢吾に突き飛ばされ、和彦は呆気なく畳の上に倒れ込む。だが、文句を言う暇もなかった。
覆い被さってきた賢吾に畳の上に這わされ、腰を抱え上げられる。迷うことなく、片手が深く両足の間に差し込まれた。
「あうっ……」
声を洩らした和彦は、前に這って逃れようとしながら、首を左右に振る。
「そこは、まだっ――」
「先だろうが、後だろうが、感じまくるのは一緒だろ」
情緒の欠片もないことを言いながら賢吾は、慣れた手つきで和彦の柔らかな膨らみを揉みしだき始める。何度味わわされても、この愛撫の強烈さには慣れない。一瞬にして下肢に力が入らなくなり、愛撫を与えてくる相手に従わされてしまう。
「あっ、あっ、あうっ」
巧みに蠢く指に弱みをまさぐられ、弄られる。強弱をつけて揉み込まれると、意識しないまま和彦は腰を揺らし、畳に爪を立てて快感の波に耐えるようになる。
帯を解かれ、愛撫の合間に浴衣を脱がされてしまうと、汗ばんだ肌を賢吾の片手に撫で回されていた。それが、驚くほど和彦の感度を高める。
和彦の息遣いが妖しさを帯びてくる。それを待っていたのか、賢吾の熱く濡れた舌に背を舐め上げられた。
「ふっ……」
「反応がいいな。もう肌が真っ赤に染まってきた」
愛撫の成果を確かめるように、反り返ったものを賢吾の手に握られ、扱かれる。和彦は獣のように身をしならせて、喘いでいた。
腰を突き出した羞恥に満ちた姿勢を取らされ、唾液で湿らせた指に内奥を犯される。湯から上がって間もないせいか、容易に肉は解されていた。
「たまんねーな。先生の尻が、ねっとりと俺の指に吸い付いてくる」
くちゃくちゃと湿った音を立てて内奥から指を出し入れしながら、愉悦を含んだ声で賢吾が囁いてくる。これ以上ない羞恥を味わわされている和彦の体は、まるで媚びるように賢吾の指をきつく締め付けていた。
褒美とばかりに賢吾が、内奥に指を付け根まで挿入したまま、再び柔らかな膨らみを今度は強く揉みしだいてくる。
「あうっ、うっ、くうぅっ――……」
甘い呻き声を洩らしながら和彦は、強い快感から逃れようと本能的に賢吾の手を押し退けようとしたが、結局、大きな手の上に自分の手を重ねていた。和彦の行為の意味を察した賢吾が、残酷なほど優しい声で問いかけてきた。
「――ここを俺に弄られるのが、よくなってきたか、先生?」
返事を促すように、内奥に挿入された指に浅い部分を擦られ、あっという間に和彦の理性は陥落した。
「あ、あ……」
「ここを弄られるのが、好きか?」
柔らかく揉み込まれ、喉を鳴らして和彦は頷く。
和彦に惜しみない快感を与えながら、賢吾は何度も背を舐め上げてきた。
「やっぱり、先生の体に刺青を彫らせてみたいな。絶対に蛇の刺青だ。ゾクゾクするほど艶やかになるぞ。男に抱かれるたびに、先生の体と、彫られた蛇が身をくねらせるんだ。想像するだけで興奮する……」
「絶対、嫌だっ……」
畳に顔を突っ伏しながらも、和彦はこれだけは言い切る。想像だけなら確かに興奮する。しかし迂闊なことを言えば、今和彦を抱いているヤクザは、翌日には彫師を連れてくるぐらい、平気でやりそうだ。拒絶を貫くしかない。
「……強情だな。体は簡単に開いてくれるくせに」
「うるさい」
低く笑い声を洩らした賢吾が愛撫をやめ、仰向けにされた和彦は抱きかかえられるようにして布団の上へと移動させられる。
浴衣を脱ぎ捨てた賢吾の熱く逞しい体が覆い被さってきたとき、和彦は目も眩むような高揚感を覚えながら、自ら両腕を伸ばして賢吾にしがみついた。
「本当に、こんなに素直なのに、刺青だけは頑として拒むんだな」
「当たり前だ。人の体をなんだと思ってる」
「――俺のものだろ」
顔を覗き込んできた賢吾にヌケヌケと言われ、さすがの和彦も言葉が出なかった。その隙に賢吾に唇を塞がれ、二人は濃厚な口づけを交わす。
片足を抱えられ、高ぶった欲望が喘ぐ内奥の入り口へと擦りつけられる。和彦が微かに呻き声を洩らして身じろいだときには、侵入を開始されていた。
声を上げたかったが、すべて賢吾の唇に吸い取られ、律動を刻まれる頃には舌を絡め合っていた。
ゆっくりと腰を動かしながら、賢吾が髪を撫でてくれる。そっと唇を吸われた和彦は、深く息を吐き出してから、両てのひらで賢吾の背を撫でる。欲望を煽られたように、賢吾に内奥深くを強く突き上げられ、和彦は喉を反らした。
「んあっ、あっ、あっ……ん」
もう一度突き上げられて、絶頂に達する。迸らせた精で下腹部を濡らすと、このときの内奥の締まりを堪能するように賢吾が激しく腰を使い、和彦は絶頂の余韻を味わう間もなく、布団の上でよがり狂わされる。
硬く凝ったまま、意図したようにずっと触れられなかった胸の突起を、ようやく賢吾が口腔に含んでくれたとき、和彦は自分でも驚くような嬌声を上げて乱れていた。その最中に、追い討ちをかけるように賢吾の熱い精が内奥深くにたっぷり注ぎ込まれる。
「……具合がよすぎだ、先生」
そう言って、汗を滴らせた顔で賢吾が苦笑を浮かべる。和彦は呼吸を乱しながら顔を背けようとしたが、傲慢に賢吾にあごを掴まれ、唇を吸われた。
「――先生がクリニックを開業する前に、今度は三人で旅行に行くか?」
思いがけない賢吾の言葉に、和彦は目を丸くする。
「三人?」
「俺と千尋と先生。……護衛には、三田村も連れて行くか。今日はあいつの仕事の都合がつかなかったから、来られなかったしな」
何を考えているのだろうかと、賢吾の顔をまじまじと見つめていた和彦だが、そっとため息をつく。
「悪趣味じゃないか、それ」
「そうか? なかなか楽しいかもしれないぞ。俺の場合、警察からのお達しが回っているせいで、海外には出られないから、国内旅行限定になるがな」
「……楽しいわけないだろ。少なくとも、三田村は」
こんな会話を交わしながらも、二人はまだしっかりと繋がったままだった。精を放ったばかりだというのに、内奥で力強く脈打つ賢吾のものの感触が生々しい。すでにもう、和彦は新たな官能を刺激されつつあった。
「さすがに三人の相手をするとなると、身がもたないか?」
意地悪く賢吾に笑いかけられ、和彦は睨み返す。戯れのように唇に軽いキスが落とされた。
「大変だな、先生。自分が骨抜きにした男の相手をしなきゃいけねーんだから。だがまあ、自業自得――」
「あんたが、自業自得なんて立派な言葉を使うな」
「俺にそんな口が叩けるのは、先生だけだ。……だから、可愛い」
唇を重ね、口腔に賢吾の舌を受け入れて吸い上げる。そうしながら和彦は、両てのひらで賢吾の背を撫で続けていた。再び暴れようとしている大蛇を宥めるように。しかし逆効果だったらしく、内奥深くに収まった賢吾のものは、力を漲らせ始めていた。
「憎まれ口を叩いても、こうしてしっかり甘やかしてくれるしな」
ひそっと賢吾に囁かれ、和彦は顔を背ける。
「……うるさい」
「俺の知らないところで、別の男も骨抜きにしてるんじゃねーか? 先生は、無自覚に男を惹きつけるからな」
賢吾の口調から、本気か冗談なのか推し量ることはできない。また和彦も、それを確かめるために賢吾の目を覗き込む度胸はない。こうして体を重ねていても、大蛇は怖い。
「無自覚なら、ぼくに聞いても仕方ないだろ。本人に自覚はないんだから」
「なるほど。聞くなら、街灯に寄ってくる虫のような男のほう、だな」
ヒヤリとするような例えは聞こえなかったふりをして、和彦は小さく喘ぎ声を洩らしてから、賢吾の逞しい肩にそっと噛みついた。
別に、やましいことはしていないのだ。
誰に対してなのか、和彦は心の中で言い訳する。やましいことはしていないはずなのに、どうしてこう、悪いことをしているような妙な罪悪感を覚えるのか――。
ガラス張りのショールームをぐるりと見回した和彦は、落ち着かない気分で髪を掻き上げる。自意識過剰のつもりはないが、この店に着いたときから、誰かに見られているような気がして仕方ない。
原因はわかっている。和彦についている、長嶺組の護衛のせいだ。
「――どうかしましたか?」
秦に声をかけられ、和彦はハッとする。今日は、護衛だけでなく、秦も一緒なのだ。むしろ同行者としては、秦がメインだ。
「いえ……。クリニックのインテリアを見にきたのに、つい、自分の部屋に置けるものを探してしまって……」
苦し紛れではなく、本音も入っている和彦の言葉に、秦は柔らかな微笑を浮かべる。
「だったら、ここにお連れした甲斐はあったということですね」
「十分。オシャレなのに値段も手ごろで、おかげで買うのに臆しなくて済みます」
家具店というより、インテリアに関するものをトータルで置いてあるインテリアショップと呼ぶほうが相応しいこの店は、秦が気に入ってよく通っているのだという。和彦も、外からよく見えるショールームを覗いたときから、買い物好きの血が騒いでいた。
お気に入りの店に案内するという約束を、忘れず実行してくれた秦に感謝すべきだろう。おかげで、クリニックの待合室だけでなく、賢吾の趣味で統一されている和彦の自宅も、多少は模様替えができそうだ。
それを思えば、護衛つきの外出であることも、我慢できるというものだ。
秦に促されてソファーのコーナーに移動しようとして、和彦はもう一度辺りを見回す。
見られている感じはするのに、肝心の護衛たちの姿が見えないのだ。こんなオシャレな場所では、スーツ姿の自分たちがうろついていては目立ってしまうだろうから、車で待機していると言っていたが――。
ああは言っていたが、やはり物陰から見守っているのだろうかと、さきほどから姿を確認しようとしているのに、一向に見つけられない。
自分が気にしすぎなのだろうかとも思い、和彦は首を傾げる。
「先生?」
「あっ、いえ、ぼくについてきた護衛のことが気になって……」
この店にやってきた和彦が、護衛を二人連れているのを見ても、秦は怯えた様子を見せるどころか、大変ですねと、笑いながら言葉をかけてくれた。さすがに、和彦が出歩くときはこんなものなのだと、納得したようだ。この後、護衛同伴で夕食をともにすることも決まっていた。
「駐車場で待ってもらっているんじゃないんですか?」
「そうなんですけど、なんだかさっきから、誰かに見られているような……」
「先生に何かあったら大変だと思って、こっそりついてきているのかもしれませんね。わたしみたいな男が一緒にいても、腕っ節は頼りにならないと思われているのかも」
秦の冗談に、つい和彦は笑ってしまう。本人はこう言っているが、長身というだけでなく、きちんと鍛えているとわかる体つきは、荒事もある程度は平気そうに見えた。少なくとも、そういう印象を他人に与える。
決して小柄ではないが、痛みが何より苦手な和彦などより、いざとなるとよほど頼りになりそうだ。
「まあ、ぼくに何かあるはずもないので、護衛の彼らも暇なんじゃないかと――」
ふいに、ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴った。取り出して見てみると、長嶺組が、和彦の護衛に就く組員に渡している携帯電話からだ。
何事かと思いながら電話に出た和彦は、すぐに緊迫した空気を感じ取った。
「何かあったのか?」
『先生、今、トラブルが起きているんで、絶対、駐車場には来ないでください』
「トラブルって……」
『警官の職質です。駐車場に停めた車で待機していたら、突然パトカーがやってきたんです。通報があったと。いえ、車にはマズイものは置いていないので、職質されても問題はないんですが……、何かおかしい』
この瞬間、ゾワッと鳥肌が立つような感覚が背筋を駆け抜け、和彦は身震いする。こちらの異変に気づき、和彦の肩を抱くようにして秦が顔を覗き込んできた。
『我々が迎えに行くまで、店から出ないでください。もし、警察署に連行されるような事態になったときは、組に連絡をして、別の人間を迎えにやります』
「わかった。……気をつけて」
電話を切ったとき、和彦の顔色は真っ青になっていただろう。秦はまっさきにこう声をかけてきた。
「少し座りますか?」
「えっ……」
「この店の地下が、カフェになっているんです。ここで売っている家具や雑貨を、実際に使ってみることができますよ」
返事をする前に秦に促されるまま、歩き出す。そのくせ、動揺のせいか、まるで自分の足で歩いている気がしない。
店内に留まるよう言われはしたが、駐車場の様子が気になった。通報されてパトカーが駆けつけ、護衛の組員たちが職質されるなど、異常事態だ。護衛という仕事がどういったものか、和彦よりよほど知り尽くしている組員が、通報されるような言動を取るはずもなく、だったら、誰が通報したのかということになる。
「何かありましたか?」
小声で秦に問われ、和彦は顔を強張らせたまま答える。
「護衛の人間が、駐車場でトラブルに遭ったみたいです。警官に職質を受けているらしくて」
「厄介ですね」
「ええ……。駐車場でぼくを待っていただけなのに、どうして警官を呼ばれたのか……」
「――俺が呼んだ」
突然、聞き覚えのある声が割って入る。声質そのものは悪くはないのに、和彦の鼓膜にざらつくような不快さを与えてくる、そんな声だった。
全身の毛が逆立つような感覚に襲われながら、ぎこちなく声がしたほうを見る。すると秦が、そんな和彦を守るように腕で庇ってくれる。
「先生、わたしの後ろにいてください」
そう言われたが、和彦は動けなかった。意外な人物が目の前に立っていたからだ。
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