バディシステム


−13−


 店が定休日の水曜日、滋之は自分の部屋でパソコンと向き合っていた。ダイブワールドが運営しているホームページで、ダイビングに関することなら、ほとんど網羅してある。
 インストラクターたちが掲示板の質問などに答えることになっているが、書き込みの頻度は滋之が一番高いだろう。
 階下から微かな物音が聞こえてくる。母親が昼食の準備を始めたらしい。定休日にはいつもダイビングに出かける父親も、今日は珍しく家でじっとしているようだ。
 キーボードを叩く手をとめ、デスクに頬杖をついた滋之はぼんやりと国府のことを考える。今頃どこかで写真を撮っているのだろうと、カメラを構える国府の姿を想像してみる。だが、なかなかうまく思い浮かばない。
 一度、国府が仕事をしているところを見てみたかった。
 国府のことばかり考えながら滋之は、Tシャツから剥き出しになっている自分の腕をてのひらでそっと撫でる。二日前のボートダイビングの余韻として、日に当たった腕が赤みを帯びてまだ少しピリピリしている。
 国府がせっかく貸してくれたパーカーをもってしても、船上に降り注いだ夏の陽射しは完全には防げなかったのだが、滋之はそう嫌な思いを味わってはいない。
「おいっ、滋之っ」
 階下から父親に大声で呼ばれる。顔をしかめた滋之は立ち上がり、部屋から顔を出して応じる。
「何っ?」
「目黒が来てるぞ」
 二階に上がってもらうよう言うと、すぐに階段を駆け上がってくる足音がして、目黒が姿を見せた。手にはコンビニの袋と、丸めた雑誌がある。
 よお、と片手を上げて寄越され、滋之はニッと笑い返す。
「珍しー。目黒さんがうち来るのに、手土産持ってきてるなんて」
「昼メシ食わせてもらうのに比べたら、お前へのアイスの土産ぐらい、安いもんだな」
 飄々と返され、背を押されて部屋に入る。勝手知ったるといった感じで、目黒は開けておいた窓をさっさと閉め、エアコンのスイッチを入れる。
 コンビニの袋を投げ渡され、咄嗟に受け止める。袋の中には百円のアイスクリームが二つだけ入っていた。
「……ケチだ。せめて、もっといい値段のアイス買ってきてよ」
「味の区別つかねーだろ」
 失礼なことを言って床に座り込んだ目黒に、滋之も倣う。さっそく袋の中からアイスクリームを取り出し、一つをスプーンと一緒に目黒に手渡す。
 アイスクリームを食べながら、滋之は首を傾げる。
「それでこの暑い中、ぼくにはアイスを奢ってくれて、自分は昼メシ食べに、うちに来たわけ?」
「おいおい、そこに社長のご機嫌うかがいっていうのも付け足せ」
「――御曹司の機嫌取りっていうのも加えてよ」
「足にキスしてやろうか?」
 アホくさ、と洩らした滋之はアイスクリームを口に運ぶ。声を洩らして笑った目黒が、持っていた雑誌のあるページを開いて滋之の前に置いた。
 何かと思って覗き込むと、ここ数日、テレビで頻繁に取り上げられているある殺人事件について、仰々しい見出し付きで載っていた。犯人は逮捕されたのだが、被害者の身近な人間だったということで衝撃的だった。
 雑誌には、道を歩いている逮捕前の犯人が隠し撮りされていた。
 最初は、どうしてこの写真を見せられたのか意味がわからなかった滋之だが、写真の隅に小さく記されたカメラマンの名を見て、思わず目黒を見上げる。にんまりと目黒は笑った。
「気がついたみたいだな」
 滋之は頷き、カメラマンの名を指先でなぞる。
「……国府さんが撮った写真だ」
「一度お前に、国府さんがどんなもの撮ってるか見せたかった」
 頷き、礼を言いかけた滋之だが、すぐに顔をしかめて首を傾げる。
「なんで目黒さんが、そんなお節介を焼くんだよ」
「お前に、撮ったものを見せてやりたいって言ってたのは、国府さんだ。――あいつは俺を目上だと思ってない。写真も適当に撮ってると思っている節がある、とブツブツと言ってたな」
 国府とは何度となく口ゲンカを繰り広げているので、興奮したときにそんなことを口走ったかもしれない。
 滋之はもう一度写真に視線を落とし、国府の名をそっと撫でる。
「……気にしてたのかな、国府さん」
「してないだろ」
 あっさりと目黒が答え、滋之は面食らう。
「人の言うことをいちいち気にするほど、神経質そうな人に見えるか?」
「見えない」
「なっ? 国府さんも、冗談で言ったんだろ。だけど、写真を見せたいと言ってたのは本音だと思うぜ」
 なぜ、という疑問は、口に出して言わなくても滋之の表情を見てわかったらしく、目黒はわずかに視線をさまよわせて何か考える素振りを見せる。
 滋之は床に両手をついて身を乗り出し、ぐいっと目黒の顔を覗き込む。
「なんだよ。言おうかどうしようか迷ってる顔して。思ってることをなんでもペラペラとしゃべるのが目黒さんだろ」
「……お前の鼻を摘む国府さんの気持ちが、少しわかった気がしたぞ」
 目黒も写真に視線を落とす。
「――お前に国府さんのインストラクターを頼んだとき、おれたち疑問に思ってただろ。どうして忙しいはずの国府さんが、無理してまでダイビングを始めようと思ったかって」
「うん……」
「国府さんは、いまだに理由は教えてくれないんだよな。好きだからやってる、というのは前提だろうけど」
 そこまで言われて滋之は、当初の頃、目黒に言われた言葉を思い出した。
「国府さん本当に、戦場カメラマンとして行くつもりなのかな。……今、ニュースでよく映像が流れているけど、報道関係の人たちも攻撃されて亡くなったって、何日か前もやってたよ」
「それは、国府さんがいる出版社次第だろうけど」
 小さくうなり声を発した目黒が、珍しく思い悩んだように派手な金髪を掻きむしる。その態度が気になった滋之は再び目黒に詰め寄る。
「なんだよ、目黒さん。気になるだろ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」
 睨みつけると、苦笑した目黒になぜか頭を撫でられた。
「おれは、国府さんがお前に写真を見せたいと言ったとき、この人本気で戦場に行く気だなって思ったんだ。そう明言されたわけじゃないんだけど、な」
 急に不吉なものを感じて、滋之はゾクリと体を震わせる。
「……どういう意味だよ、それ……」
「国府さんて、あんまり考えていること読ませないけど、これだけは断言できるんだよ。なんだかんだ言いながらお前を気に入ってるって。それでまあ、お前はダイビングのインストラクターの仕事ぶりを国府さんに見せていて、国府さんとしては、お前に触発されたのかなって」
「それは、ぼくだって、国府さんの仕事ぶりとか気になってたけど――……」
 だけど、こんなのは嫌だった。まるで遠くに旅立つ前に、一つでも心残りを減らしておくようなまねは。滋之は国府が過去に撮ったものではなく、現在進行形の仕事ぶりが知りたいのだ。
 国府の身近にいて――。
 心の中に響いた自分の本音に、激しくうろたえる。反対に目黒に顔を覗き込まれてしまった。
「どうかしたのか? 顔が赤いぞ」
「なんでもないっ……」
 目黒に視線を向けられ続け、居たたまれなくなった滋之はアイスクリームを慌てて口に運ぶ。
 滋之の慌てふためく様子に笑みをこぼした目黒だが、その笑みはいつしか、切ないと呼べる表情となっていた。
「おれだって、国府さんには危ないとこには行ってほしくないんだよな。おもしろい人だし、ああ見えて面倒見はいいし。何より、弟みたいに可愛がっている御曹司も、つき合いの長いおれより、国府さんに懐いてるみたいだし」
 目黒の視線に気づき、滋之はぎこちなく訂正を加える。
「……懐いて、ないよ。国府さんとは、ケンカ友達なんだから」
「本当に可愛いねー、お前は。顔真っ赤にして否定して。おれは別に、お前が国府さんの元に走っていったとしても、恨んだりしないぞ」
「人の話を聞けよっ」
 目黒に掴みかかるが、子犬同士がじゃれ合っているようなもので、床に転がった目黒はとうとう声を上げて笑いながら、滋之の頭を撫で回してくる。おかげで髪がぐしゃぐしゃだ。
 かまわず掴み合っていた滋之だが、途中、やはり国府のことを思ってふっと動きを止める。すかさず目黒に突っ込まれた。
「やっぱり国府さんが気になるか?」
 いつもの滋之なら、図星を指されるとムキになって否定するが、できなかった。国府が危険な場所に出向くかもしれないという現実に向き合って、その気力も湧かない。
 そんな滋之をからかうでもなく、目黒にもう一度頭を撫でられた。




 店のカウンターに入った滋之は、客の相手をしながら、どこかで心ここにあらずといった状態だった。それは今日に限ったことではなく、ここ二、三日続いている。
 土曜日である今日は、泊まりでダイビングに出かけようと考える人が多いため、比較的店内は混雑していた。
 客がツアーの申込用紙に記入し終えるのを待ちながら、水曜日に目黒と交わした会話が滋之の脳裏を過る。その度に滋之の胸は重く塞がれ、正体の掴めない不安感に晒される。
 気になるぐらいなら国府に直接、本当に戦場に赴くのか尋ねればいいのだが、こういうときに限って、国府が選んでいるコースの実習はまだ先で、顔を合わせる機会がないのだ。
 電話をかければいい話だが、ダイビングのインストラクターというだけで、そんな行動を取るのを国府が嫌がるかもしれないと思うと、結局滋之は動けない。
 客から申込用紙を受け取ったとき、店の電話が鳴る。背後で他の店員が出て、応対する声が聞こえてくる。滋之は何気なくその声を聞きながら、申込用紙に書き込まれた内容をチェックする。
「――滋之さん、お電話ですよ。国府さんからです」
 すでにこの店でも滋之と国府のやり取りは有名で、声をかけてきた店員の声はわずかに笑いを含んでいる。
 パッと振り返った滋之は、申込用紙を店員に頼んで電話に出る。
「もしもし、国府さん? どうかした――」
『お前どうせ、カウンターの中でぼーっと立ってるだけだろ。これから二時間後に、今から言う場所にこい。Tシャツを着ていてもいいが、せめて上にジャケットは羽織ってこいよ』
「えっ、えっ」
 突然の国府の言葉に戸惑う滋之だが、気にした様子もなく国府は一方的に場所を告げ始める。
「……なんで、そんな場所」
『いいから来い。うまいものを食わせてやるから。俺は、どっかそこら辺にいるだろ』
「おい、一方的に決めるなっ」
 滋之が抗議の声を上げたときには、電話は乱暴に切られていた。
「横暴すぎるぞ、あのおっさん」
 ブツブツと文句を言いながら受話器を置いた滋之だが、次の瞬間には店を抜けると告げて事務所に入る。帰る準備を整えると、店をあとにして自分の車に飛び乗って急いで自宅に帰る。
 相手が国府でなければ、滋之も無視してしまえるのだが――。
 誰もいない家に入ると二階の自分の部屋に駆け上がり、普段はまったく使わないスーツを引っ張り出す。国府はTシャツの上からジャケットを羽織るぐらいでいいと言ったが、冗談ではない。恥をかくのは滋之自身だ。
 手早くスーツを着込むと、最後に髪を一つにまとめ直そうとしたが、鏡の中の自分の顔を見てから気が変わる。簡単に指で髪を梳いて、鏡の前から退く。このとき、決して国府のためではないと言い訳するように、鏡の中の自分を睨みつけていた。


 動く度に頬や首筋をくすぐってくる髪の感触が、なんとなく落ち着かない。普段は無造作にまとめたままなので、解放感があると逆に不安になる。
 一時間以上車を運転して、国府が指定したホテルの駐車場に車を預ける。身支度に時間がかかったこともあり、国府が言った『二時間後』になんとか間に合ったぐらいだ。それに国府は、今このホテルでパーティーが催されており、そこに自分もいるので出てこいとも言った。
 会場がどこなのかわからないので、ホテルマンに会場を尋ねてから大広間に向かう。
 エスカレーターを降りると、パーティー会場である大広間の前には確かに人の姿が多い。案内板もあり、ここで初めてパーティーが、国府が勤める週刊誌の創刊十周年記念のものだと知る。
 見る限りでは、パーティーとはいっても正装しているのは半数ぐらいで、残りの半数の人たちは実にラフな格好をしている。これなら、Tシャツ姿だったとしても目立たなかっただろう。
 滋之は人の間を縫うようにして歩きながら、国府の姿を探す。会場前にいると言っていたが、これだけの人の数だと、見つけ出すのは容易ではない。
 このとき、後ろ髪がクンッと引っ張られて立ち止まる。
「すみませ――」
 誰かの服にでも引っかかったのだと思い、謝りながら振り返った滋之は、途中で言葉を切って立ち尽くす。一瞬、目の前に立っているのが誰だかわからなかったのだ。
 堂々とした体躯をダークブルーのスーツで包み、髪をきれいに撫でつけてセットしている。どこの紳士かと思ったのだが、よく見れば切れ長の目に高い鼻、それにむっつりとへの字に曲げられた唇は、他でもない、国府だ。
 目を見開いて呆然として立ち尽くす滋之に、国府が手を伸ばしてくる。容赦なく、髪を一房掴まれて引っ張られた。痛みで滋之は我に返る。
「いったいなー。何するんだよ」
「お前がポカンとしたアホ面を晒すからだ」
「だっ、誰がアホ面だよっ」
 文句を言う滋之にかまわず今度は国府が、滋之を頭の先から爪先まで、気恥ずかしくなるほどじっくりと見つめてくる。心なしか国府の唇が綻ぶ。
「……なんだよ……」
「いや、七五三みたいだと思って」
 滋之が手を振り上げると、国府が声を上げて笑う。
「冗談だ。なかなか似合ってるじゃないか。てっきりTシャツで来ると思ってたから、一瞬お前だとわからなかった」
「それならぼくだって。国府さんが、まさかそんな上品な格好してるなんて思わなかった」
「いい男だろ?」
 ニヤリと笑いかけられ、頷きかけた滋之は寸前のところで不自然に顔を背ける。可愛くない、と頭を小突かれた。それから国府に背を押されて、一緒にパーティー会場に入った。









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