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中は人でごった返しており、滋之は雰囲気に呑まれる。
中年の男性が国府に笑顔で話しかけてきて、国府は悠然とした態度で受け答えている。滋之の知らない表情で、なんだかまぶしいのと同時に、国府を遠くに感じる。
「――なんか食うか?」
すぐに会話を終えて国府が話しかけてくる。滋之は壁際に準備されている料理に目を向けた。立食形式で、たくさんの料理が並んでいるが、こんな雰囲気の中で何か食べる気にはならない。そんな滋之の気持ちを汲み取ったのか、国府に肩を叩かれた。
「少ししたらここを抜け出して、ホテルのレストランでメシを食わせてやる」
代わりに、ということでグラスを渡される。てっきりお茶だと思って受け取り、すぐに口をつけたが、一口飲んでむせる。ウイスキーの水割りだった。
「これ……酒だよ」
同じグラスを手にした国府が澄ました顔で頷く。
「当然だろ」
「ぼく、車で来たんだよ? 帰りどうするんだよ」
「そのときはそのときだ」
見た目はどう上品に装おうが、やはり国府だ。自分勝手なことに変わりはない。そんな国府の隣で一人で緊張しているのもバカらしくなってくる。舌先で舐めるように飲んでいるアルコールが回り始めてきたのかもしれない。
さすがに滋之には強すぎると考え直したのか、持っていたグラスをいきなり国府に取り上げられ、中身を飲み干されてしまった。
「やっぱり何か食うもの取ってきてやろうか?」
そう聞いてきた国府に、滋之は反対に疑問をぶつけた。
「国府さん、なんでぼくを呼んだの? ぼくなんて、国府さんの仕事と無関係もいいところだろ。呼ぶとしたら、せめて――」
恋人か友人ではないのか、という言葉は寸前のところで呑み込む。人の話を聞いているのかいないのか、国府は滋之の腕を掴んで壁際に並ぶ料理へと向かう。
「寿司がいいな。その場で握ってくれる」
独りごちた国府が寿司のスペースへと大股で歩き出す。いいように国府に振り回されている滋之は同じ質問を繰り返すが、国府はこちらをまったく見てくれない。
不慣れな場所のため、最初はおとなしくていた滋之だが、すぐにいつもの自分を取り戻す。国府の胸を拳で軽く殴りつけた。すかさず国府にギロリと見下ろされる。
「……何やってるんだ、お前は」
「人が質問してるのに、答えないからだろ」
「面倒くせー奴だな」
ぼそりと洩らした国府が、せっかくきれいに撫で付けてある髪を乱雑に掻き乱す。そして返ってきた言葉はあまりなものだった。
「――おもしろいからに決まってるだろ。ただでさえ退屈で場違いなパーティーに出てるんだから、せめてお前みたいな坊主でも連れてないとな。ようは、おもちゃだ」
「……ひどっ」
「だから遠慮なく飲み食いしろ。俺も、こんなのに顔出してるぐらいなら、海に潜っていたほうがおもしろいんだがな。これも大人のつき合いだ」
国府の答えに何を期待していたのかと、軽い失望と怒りが込み上げてくる。年齢が離れているとはいえ、『友人』ぐらいは言ってほしかったのだ。
国府の手を振り払うと、滋之は自分からさっさと料理を選びにいき、皿にたくさんの寿司を載せてもらう。横から手を伸ばしてきた国府に寿司の一つを取り上げられそうになったが、ぴしゃりと手を叩いて払いのける。
「欲しいなら、自分でもらってきなよ」
「何怒ってるんだ」
滋之は横目で国府を睨みつけてから、背を向けて黙々と寿司を食べる。
「はー、じゃあ俺は、ウナギを食うか」
「勝手になんでも食べれば」
国府の声が返ってこなくなる。本当に行ってしまったのだろうかと思ったとき、背後から伸びてきた手に寿司を摘み上げられる。振り返ると、国府が口に放り込んでいるところだった。
「あーっ、盗った。ぼくの寿司。しかも、トロっ」
「うるせー。お前がボケボケしてるからだ」
「食べたいなら、新しいのもらってきなよ」
そう抗議している間にも、国府に今度はウニを食べられる。
ムキになって低レベルなやり取りをしていると、二人の傍らでクスクスという抑えた笑い声が聞こえた。笑い声がしているほうを見ると、すらりとしたパンツスーツ姿の女性が立っていた。
誰だろうかと思っていると、国府が手についた米粒を舐め取ってから唇に笑みを浮かべる。
「どうした。めかしこんでるじゃないか」
国府の言葉に、女性は大仰に顔をしかめる。
「この程度でめかしこんでる、なんて言われると、わたしは普段、どれだけひどい格好をしてるのかって思われるじゃないですか」
側まで歩み寄ってきた女性が、滋之に品よく笑いかけてくれる。滋之はぎこちなく頭を下げた。
大人の女性だなと、滋之は鼻先を掠めたコロンの香りに刺激され、漠然とそんなことを思う。
国府は素っ気なく女性を紹介してくれた。
「うちの出版社の書籍部にいる編集者だ」
再び会釈を交わし合い、このとき間近で女性を観察する。
際立った美貌の持ち主というわけではないが、国府と話す女性は全体から滲み出る理知的な雰囲気もあって、美人だと感じさせるものがある。
背の中ほどまであるきれいな黒髪をシンプルに一つにまとめてあるのが、滋之はもっとも気になる。髪フェチである国府が好きそうだと思ったのだ。
国府と言葉を交わした女性が、改めて滋之に視線を向けてくる。滋之は、寿司の載った皿を持ったまま国府の陰に隠れようとする。しかし国府に肩を掴まれ、女性のほうに押し出された。
「こいつに興味ありか?」
国府が言うと、女性は人懐っこく笑って頷く。
「それはもう。普段はヒゲ面のむさい男たちに囲まれて、彩りがないですからね。美青年に吸い寄せられちゃうんです。国府さんの弟――ありえないですよねー。全然似てないですもん」
「俺のおもちゃだ」
国府の紹介に、女性がおもしろがるように目を丸くする。滋之は顔を熱くしながら国府に詰め寄る。
「国府さんっ、もっと紹介の仕方あるだろ。国府さんのダイビングのインストラクターとかさ」
「――あらあら」
女性が芝居がかった声を上げる。
「とうとうダイビング始めたんですか? 確か前に、紛争地域に行かれるという話が――」
女性の話に、滋之はピクンと反応する。問い詰める視線を国府に向けると、スッと目を逸らされた。
「岡崎、その話は今するな」
岡崎、と呼ばれた女性は慌てたように口元に手をやり、滋之を見た。悪気はないのだろうが、露骨に秘密の話をちらつかされたようで気分がよくない。同時に、不安も掻き立てられる。
国府が戦場カメラマン志望であることを、滋之は嫌というほど知っている。何か進展があったのだろうかと、気になって仕方ない。
動揺が表情に出たらしく、滋之の顔を一瞥した国府が小さく舌打ちする。次の瞬間には、相手は女性だというのに乱暴に岡崎の腕を掴んで場所を移動し、顔を寄せ合って何か話している。
これも、二人の親密さを見せつけられているようで不快だった。
滋之は向けられた二人の背をじっと見つめてから、静かにその場を離れる。
国府から離れると、堰を切ったようにあれこれと料理を食べ、空いたテーブルで一息つく。するとボーイから勧められ、さっそくケーキを食べつつシャンパンにおずおずと口をつける。
おいしくて、あっという間に飲み干していた。
もう一杯もらってから、シャンパングラスを手に、会場内のあちこちに置かれたイスの一つに腰掛ける。目の前を、見ていて酔いそうなほどの人が行き来し、滋之は思いきり顔をしかめる。
人の流れに酔う前に、これまでに飲んだアルコールで酔っていた。大した量を飲んだわけでもないのに、悪酔いだ。自分のアルコールの弱さを痛感した瞬間でもあった。
目の前の景色がぼやけ、座っている足元が揺れているような気がしてくる。慌てて持っていたシャンパングラスを置き、コンパニオンの女性に頼んで冷たいウーロン茶を持ってきてもらう。
一気に飲み干してから、まだ冷たいグラスを熱くなっている頬に押し当てる。その状態で人の姿を目で追っていたが、急に寂しくなってくる。同時に、場違いなパーティーを訪れて、こんなに酔っ払っている自らの姿に悲しくなってきた。
「――……帰ろ……」
呟いた滋之は、自分の口調が想像以上に舌足らずになっているのを知る。さすがに、これはまずいと思った。
車を運転するなど論外だし、電車で帰るにしても、果たして無事に駅まで歩いていけるだろうかと思う。ホテル前からタクシーに乗ろうと考え、立ち上がったそのとき、大きく体が揺らぐ。
倒れる、と咄嗟に目を閉じた滋之だが、体はいつまでたっても絨毯敷きの床に叩きつけられない。それどころか、しっかりとした感触に支えられている。
頭上から、これ以上なく不機嫌そうな声が降ってきた。
「この、酔っ払い。こんなクソ広くて混雑してる会場で、フラフラしやがって」
大きな手が頭にかかり、くしゃくしゃと髪を掻き乱される。その感触に不覚にも胸が詰まる。
「――ああ、よかった。見つかったんですね」
ふいに岡崎の柔らかな声がして、滋之は体を強張らせる。
「一人で呑んだくれてたらしい。悪かったな。他に挨拶回りに行くところがあったんだろ」
「かまいませんよ。珍しいものが見られましたし」
「……お前なあ」
岡崎の楽しそうな笑い声が耳に届き、滋之は胸の奥の不快さを刺激される。途端に気分が悪くなり、顔を伏せたまま口元を手で押さえた。
「気持ち……悪い……」
会場を出ようと慌てて駆け出そうとしたが、国府にしっかりと頭を抱えられて動けない。
「またこの展開かっ。俺が洗面所に連れて行ってやる」
暴れようとしたが、じっとしていろと怒鳴られる。強引に歩かされているうちに、わけもわからず涙が滲み出てきた。国府に対するさまざまな感情が抑え切れず、溢れ出してきた結果だ。
たまらず滋之は立ち止まり、引きずられるのもかまわずに踏ん張る。
「おいっ、滋之っ」
国府に初めて名を呼ばれた瞬間、滋之は我慢できずに国府のジャケットを握り締め、込み上げてきたものを思いきりぶちまけていた。
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