■ BUSYなカンケイ ■




05

 空港に着くと、搭乗手続きが始まっていたため、二人はすぐに手続きを済ませてゲートをくぐる。
 家を出るとき慌た だしかったため、ゲート内にある売店でコーヒーを飲もうと話しながらラウンジへと向かう。
 二人が搭乗する飛行機の ラウンジは、平日の朝一番の便ということもあってか、観光目的の乗客より、いかにも仕事といった感じのスーツ姿の乗客の 姿のほうが多い。
 並んで空いているイスを見つけると、桐山は一つにバッグを置き、もう一つに朋幸を座らせる。
「コーヒーを買ってきます」
「ああ」
 売店へ行き、コーヒーを二つ買う。自分の分はブラックだが、朋幸のコーヒ ーにはミルクと砂糖を忘れない。
 足早に戻ろうとした桐山だが、途中で足を止める。反対方向から、ラウンジに向かっ ていくスーツ姿の大柄な男の存在に気づいたからだ。
 まず桐山の目についたのは、褐色の髪だった。それだけで、ある 男に関する記憶を嫌というほど刺激される。
 まさか、という祈りにも似た桐山の気持ちは、呆気なく一蹴された。
「――エリック・ウォーカー……」
 呻くように、忌々しい名を口にする。
 紺碧の瞳の色まで判別するのは不可能 だが、顔を見れば十分だった。
 ふてぶてしさとしたたかさ、それに獰猛さが不思議に調和した、一見魅力的な容貌を持 つ男だ。伸ばしているのか、最後に顔を合わせたときより髪は長めだ。
 エリックのほうは、まだ桐山の存在に気づいて いない。
 どこに行く飛行機に乗るのか、せめて、自分たちとは違う飛行機にしてくれと桐山は願ったが、この願いもま た、あっさりと踏みにじられた。
 よりによってエリックは、二人と同じラウンジへと近づいていく。
 エリックは ラウンジを軽く見回してから、一番後ろの、左右のイスが空いている朋幸の元へと歩み寄る。声をかけたらしく、朋幸が弾か れたようにエリックを振り返った。
 まずい、と思って桐山は二人の元へと急ぐ。
 だがここで、予想外の出来事が 桐山の目の前で起こる。
 エリックを振り返った朋幸が目を見開き、エリックもまた、同じ反応を示したからだ。
  次の瞬間エリックの口元に浮かんだのは、桐山も何度も目にした、酷薄さそのものを形にしたような笑みだった。
 まる で、獲物に前足をかけた肉食獣が浮かべるのに相応しいような、不吉な表情だ。その表情のまま、朋幸の肩に手をかける。
 思わず桐山は鋭い声を発していた。
「エリックっ」
 さほど大きな声を出したつもりはなかったが、しっかり と届いたらしい。エリックがゆっくりとこちらを見て、目を細めた。
 両手が塞がっている桐山は、体を使って朋幸とエ リックの間に割って入ると、殺気を込めた目でエリックを睨みつける。
「……貴様、朋幸さんに何をするつもりだった」
 エリックが日本語にも長けているのは知っている。だから日本語で問いかけると、エリックも日本語で応じた。
「知っている顔だったから、声をかけただけだ」
「何っ……」
 朋幸を振り返ると、戸惑ったような表情で頷かれた。
「久坂と食事に出かけた先のホテルで、偶然」
「食事の相手は、丹羽グループの会長だった」
 さらりとエリッ クが説明を付け加える。つまり、朋幸の素性は知っていると言いたいのだ。
 桐山とエリックの間にある深い確執を知ら ない朋幸が、桐山の手から紙コップを受け取りながら、当然の質問をしてくる。
「桐山……、知っている人なのか?」
「――……知っている、というほどではありません。さあ、この男の相手はもうよろしいでしょう」
 桐山は朋幸の 隣へと移動し、強引にエリックへの関心を断ち切ろうとする。しかし、それを許すほどエリックという男は甘くはなかった。
「冷たいな、桐山。五年前、イギリスであんなに激しく争って、運命的に日本で再会したというのに、その反応はないだ ろう」
「余計なことは言うな。もう貴様とは、二度と関わりたくはないんだ」
 睨みつけるが、冷徹な眼差しで見つ め返される。桐山のきつい眼差しを平然と受け止められるのは、今のところ朋幸と、このエリックぐらいなのかもしれない。
 せせら笑うようにエリックが朋幸を見る。無意識の反応として、桐山は自分の体で朋幸を庇おうとする。エリックが見 つめるだけで、朋幸が毒に侵されそうな危惧を覚えるのだ。
 それぐらい、エリックが放つ毒気は強烈だ。
「単なる 番犬に成り下がったか、桐山。五年前のお前は、見事な切れ味の牙を持っていたはずだ。それが今は、子守りか?」
 怒 りのあまり、目の前が真っ赤になりそうになる。自分のことはいくら蔑まれようがかまわないが、朋幸のことを言われるのだ けは別だ。しかも、このエリックに。
 右手に力が入って動きそうになるが、さり気なく朋幸にジャケットを引っ張られ て我に返る。その様子を見て、エリックは鼻を鳴らした。
「どうやら本当に、番犬に成り下がったらしいな。こんなつま らない男を相手に、五年前はムキになっていたのかと思うと――」
 すっと朋幸が動く。何事かと思った桐山の目の前で、 朋幸は思いがけない行動を取った。
 手にしていた紙カップを、エリックの眼前に突きつけたのだ。会話を中断され、不 快そうにエリックが眉をひそめる。
「なんだ?」
「――これ以上、桐山を侮辱するなら、お前にこのコーヒーをぶち まける。よくしゃべる男は嫌いではないが、お前の言葉は聞くに堪えない。ホテルでも思ったが、お前は無礼だ」
 強い 眼差しでエリックを見据えながら、低く抑えた声で朋幸が告げる。
 薄ら笑いを浮かべていたエリックだが、ゆっくりと その笑みを消し、朋幸を凝視する。
 咄嗟に、エリックが朋幸個人に興味を持ってしまうと思い、桐山は動こうとする。 それより早くエリックは、紙コップを持つ朋幸の手首を掴んだ。うかつに動くと、朋幸の手にコーヒーがかかる。
 顔を 強張らせる朋幸に、エリックはからかうような口調で言った。
「本澤朋幸。本澤グループの至宝、という存在らしいな。 丹羽商事社長の一人息子というだけでなく、丹羽グループ会長の唯一の孫だ。君の正体は調べた。俺との関わりが、まったく ないとも言い切れないからな」
「……どういう意味だ」
 エリックが意味ありげに桐山に視線を移す。
「桐山、 お前ならわかっているよな? どうして俺が、日本にいるのか。俺が動いたと知ったら、お前に助言を求める人間が現れても 不思議ではない」
 桐山は射殺す勢いでエリックを睨みつける。この男は、ロベルトとは違った意味でしゃべりすぎる。 それも、危険な言葉を。
 ここで朋幸が、手首を掴まれていないほうの手に紙コップを持ち替え、エリックの手を払いの ける。
 エリックの紺碧の瞳に、狡知な光が宿ったのを桐山は見逃さなかった。
 肩をすくめ、エリックが話題を変 える。
「どうやら同じ飛行機に乗るようだが、その格好からして、仕事ではないようだな」
「貴様には関係ない」
 桐山はようやくいつもの自分を取り戻し、朋幸を促して座らせる。徹底してエリックを無視するのが、最善策だった。
「ふん、まあいい。――俺は仕事で向かう」
 エリックのその言葉に、朋幸がわずかに反応する。横目で桐山をうか がい見てきたので、桐山は黙って頷いて返す。
「桐山、わかっていると思うが、邪魔はするなよ。俺の容赦のなさは知っ ているだろう。今はお前が不利だということも。……そんな、可愛いご主人を連れ歩いているようならな」
 激情が駆け 抜けそうになるが、なんとか一呼吸ついてから抑える。
 桐山と朋幸がもう反応しないと知ると、ようやくエリックとい う災厄は去り、少し離れたイスへと腰掛ける。
「――……あの男が心底嫌いなんだな」
 紙コップに口をつけてから、 朋幸が小さな声で呟く。桐山はゆっくりと息を吐き出して応じる。
「わたしとあの男は似すぎているんです。だから、嫌 悪しています」
 朋幸が淡々とした口調で応じた。
「安心しろ。どこも似ていない。あんな男と、上等な男のお前と は」
「朋幸さん……」
「だから、お前が関わっていることを教えてくれ。わかっている。ぼくに心配をかけたくない と考えたんだろう」
 はにかんだように朋幸が笑いかけてくれる。この瞬間桐山は、どうしようもなく朋幸を強く抱き締 めたかった。
 愛しい存在を確かめたいだけでなく、大事な存在を自分の腕の中で守り抜くために。
 ええ、と吐息 を洩らすように桐山は返事をした。




「――朋幸さん、着きましたよ」
 抑えた声で桐山に呼びかけられ、軽く体を揺さぶられる。朋幸の意識は、軽い眠りか ら浮上した。
 小さく身じろいでから目を覚ます。すぐに朋幸は自分の姿を自覚した。
 タクシーに乗ってすぐに、 昨夜は興奮して眠れなかったせいもあって猛烈な眠気に襲われ、隣に座る桐山の肩に無意識のうちに頭を預けていたのだ。
 二人きりでもないのに、恥ずかしいことをしてしまったと、朋幸は顔を熱くしながら桐山をうかがい見る。心なしか、 桐山の口元に穏やかな笑みが浮かんでいる気がする。少なくとも、会社ではほとんど見せない貴重な表情だ。
 精算を済 ませた桐山がタクシーを降りると、あとに続いた朋幸は目の前の建物を見上げる。立派な門構えで、薄暗くなってきたことも あり、赴きのある門灯に明かりがつけられている。落ち着いた雰囲気は朋幸の好みだった。
 あれこれと吟味した結果、 朋幸が選んだホテルだ。本館と別館があり、朋幸たちが宿泊するのは別館だ。海の側にあるというのがとにかく気に入って選 んだのだ。耳を澄ますと、確かに波の打ち寄せる音が聞こえてくる。
「参りましょうか」
 朋幸のバッグも手にした 桐山に促され、朋幸は頷く。
 今になって、少し緊張している。仕事から解放され、ようやく人目を気にせず桐山と二人 きりになれるのだ。待ちわびていた期間が長くて、どうすることが自分にとって自然な態度なのか、意識しすぎて体が硬くな る。
 ロビーに向かうと、桐山が部屋の鍵を取ってくる間、朋幸はロビーに置かれたソファに腰掛けて待つ。本館の大き な建物とは違い、別館のほうはこじんまりとした印象があるが、こちらのほうが朋幸は落ち着く。
 太くがっしりとした 木が組まれた天井を珍しく感じながら見上げつつ、今日の出来事を振り返る。
 出発時、飛行機に搭乗前にエリック・ウ ォーカーという男と鉢合わせしたときは、どうなることかと朋幸は心配していたのだ。桐山はいつになく激しい反応を見せ、 ウォーカーという男はとにかく――感じが悪かった。
 飛行機の中で桐山から経緯は聞いた。海外支社時代、熾烈な争い を繰り広げたことや、ウォーカーという男がどれほど危険人物であるか。それに現在、丹羽商事とどういう関わりができたか ということも。
 朋幸は朋幸で、どうしてウォーカーを知っていたかを話した。ホテルで強引に引き止められたことを告 げたときは、桐山の眉がひそめられ、窘められた。どうしてそのとき話してくれなかったのか、と。
 だが、桐山とウォ ーカーが知人などと知るはずもないのに無理を言うなと、朋幸は反対に桐山を窘めた。
 これで桐山との雰囲気が悪くな るのではないかと危惧したが、桐山は約束してくれた。旅行の間は、あの男のことは忘れようと。もちろん、朋幸に異存があ るはずがなかった。
 飛行機が目的地に着いてからは、ウォーカーから声をかけられることもなく、二人はすぐにタクシ ーで空港を離れた。
 あとは、普通の観光客でしかない二人だ。ガイドブックを手にあちこちを観光して回った。
「朋幸さん」
 桐山に名を呼ばれて振り返る。桐山が仲居を伴って立っていた。朋幸は急いで歩み寄る。
「一時間後 に夕食の準備を整えてもらえるよう、頼みましたから」
 ロビーを歩きながら桐山の言葉を聞いていた朋幸だが、傍らを 通り過ぎた女性二人の姿を振り返って眺める。浴衣の上から丹前を羽織った姿で歩いていたからだ。何も、その女性たちだけ ではない。ロビーのあちこちに、同じような寛いだ格好の宿泊客がいる。
 ここが温泉地のホテルなのだと実感して、朋 幸は笑みを浮かべる。こういう雰囲気を味わいたくて、温泉地を選んだのだ。
 そうでなければ、本澤家が所有している 別荘に出かけてもよかったが、やはり雰囲気は大事だ。
「どうかされましたか?」
 桐山の言葉を受け、いつもの二 人きりのときの癖で、つい朋幸は桐山の腕を取りそうになる。寸前のところで我に返ったが、桐山は気づいたらしい。目を細 めて優しい眼差しを向けられた。
「……みんな、浴衣で出歩いていると思って」
「外を出歩かれるときは、丹前を羽 織ってくださいね。夜風はまだ冷たいですから」
「わかっている。言われなくても」
 そんな会話を交わしていると、 先を歩いて案内してくれていた仲居が振り返って微笑む。
「仲がおよろしいですね。ご親戚同士ですか?」
 仲居の 他愛ない質問に、朋幸は桐山と顔を見合わせる。確かに、他人から見れば二人の関係はわかりにくいだろう。
 まったく 似ていないうえに姓も違うから兄弟だとは思わないだろうし、友人にしては年齢が違いすぎる。口調もまた、年上の桐山に対 して朋幸はぞんざいだし、反対に桐山は朋幸に対して丁寧すぎる。上司と部下といったところで、理解しにくいはずだ。
 恋人同士などと言えるはずもなく、朋幸は曖昧に笑う。
「ええ、まあ……」
 朋幸がこう答えた瞬間、桐山に軽く 肩を叩かれる。その感触に朋幸はほっとする。桐山が怒ったのではないかと思ったのだ。
 ロビーを離れ、庭へと出る。 そこに通路があった。石敷きの立派なもので、庭に沿うようにして作られている。歩いている間に見事な庭を堪能できるよう になっているのだ。
 朋幸が予約を入れたのは別館の特別室で、数室あるそれらの部屋だけは、庭の離れに点在してある のだ。つまり、完全にプライベートな時間が保て、部屋の周囲の人目を気にする必要もないということだ。
「いいところ ですね。探すのに苦労されたでしょう」
「それが楽しいんだ。あれこれ考えながら探すのが」
「なら次回は、宿探し はわたしにお任せください」
 胸の内をくすぐられたような気がして、朋幸は笑みをこぼす。
 朋幸たちが宿泊する 部屋は、ホテルからもっとも離れた位置にあった。
 部屋に足を踏み入れた朋幸はまずは室内を確認する。和室と洋室が 一室ずつに、ベッドルームがあるため、広々と過ごせそうだ。それからようやくあることに気づき、吸い寄せられるように和 室の大きな窓に歩み寄る。
 思わず子供のように声を上げていた。
「桐山、本当に部屋に露天風呂がついてる」
 朋幸はすぐに窓を開け放ち、靴下のまま外に出る。部屋の前にゆったりとした広さの露天風呂があり、湯気を立てていた。 左右は板で目隠しはされているが、正面は日本庭園となっており、さらに庭の向こうに夜の海が見える。景観としては申し分 ない。
 朋幸が振り返ると、桐山は仲居に心付けを手渡しているところだった。まったくそこまで意識が回らなかった。
 仲居が出ていくのと入れ違いに、朋幸が部屋に戻ると、桐山がふっと息を吐き出す。そして朋幸に笑いかけてきた。
「ようやく、二人きりですね」
 桐山の洩らした言葉に、朋幸の体は熱くなる。
 側に歩み寄ると、羽織ってい るパーカーを桐山に脱がされ、洋室のクローゼットに仕舞われる。桐山もジャケットを仕舞ったところで、朋幸は桐山の広い 背にそっと抱きつく。体に馴染む感触と体温が、疲れを癒してくれる。
 朋幸の気持ちを読み取ったように、桐山が欲し い言葉をくれた。
「普段できない分、たっぷりわたしに甘えてください。わたしの今回の旅の目的は、あなたを甘やかす ことなんですから」
「……そんなことを言って、仕事に復帰できなくなったらどうする」
「あなたがそうなるぐらい、 甘やかしてみたいものです」
 朋幸が小さく噴き出すと、腕の中の、見た目からはわからない、熱い体が動いて向きを変 える。今度は朋幸が、桐山の腕の中に捉えられた。
「そんなこと言って――覚悟しておけよ。ぼくが本気になったときの わがままぶりは知っているだろ?」
「あなたのわがままなら、どんなことでも喜んで」
 惜しみなく与えられる桐山 の言葉が、気恥ずかしい以上に嬉しい。本当に今は二人きりなのだと、心の底から実感できる。何よりこの場所には、朋幸や 桐山たちを知っている人間はいないのだ。
 エリック・ウォーカー以外。
 あの男にしても、まさか再び顔を会わせ ることはないだろう。今のところ二人には、遠出をする予定はない。旅館やその周辺でのんびりと過ごすつもりだ。
 ひ としきり桐山との抱擁を味わった朋幸は、そっと顔を上げる。桐山が薄く微笑んだ。
「さっそく最初のわがままですか?」
「わがままというほどのものじゃない。他愛ないことだ」
「なんでもおっしゃってください」
「――これから温 泉に入りたい。お前も一緒に」
 桐山が和室に目を向けようとしたので、朋幸は引き締まった頬に手をかけ、自分のほう を向かせる。
「違う。部屋の露天風呂じゃなくて、本館にある大浴場だ。別館にもあるらしいが、本館のほうがいろんな 風呂があると、パンフレットに載っていた」
 朋幸が目を輝かせながら言うと、桐山は微妙な表情となる。
「……大 浴場に、ですか?」
「前は入れなかったからな。それに今回も、今のうちに入っておかないと――」
 ここで朋幸は 言葉を切る。なんとも大胆なことを口にしたと、自分で気づいたからだ。
 前回、出張のついでに別のホテルに宿泊した ときは、大浴場に入る前に桐山に求められ、肌に愛撫の痕が残ったおかげで、人前で裸になれる状態ではなかったのだ。
 だから今回は、と思ったのだが、これでは桐山と体を重ねるのを前提にしているようだと感じた。実際、その通りになるの だろうが――。
 一人であれこれと考えてしまい、顔を熱くしてしまった朋幸だが、ムキになって桐山に訴える。
「とにかく、入りたいんだっ」
 眼鏡の中央を押し上げて桐山が軽くため息をつく。
「……なんだよ、そのため息は」
「聞きたいですか? わたしの考えていることを」
 急に桐山の顔が耳元へと寄せられる。息遣いを感じて、朋幸は 反射的に首をすくめるが、かまわず桐山は耳に直接唇を押し当ててきた。そんな些細な接触にも感じてしまう。朋幸は桐山の 腕の中でそっと身を震わせた。
「――わたしは、独占欲が強いのです。だから、他の人間の前であなたが肌を晒すことに、 抵抗を覚えてしまう。わたしだけが知っているあなたの肌に、他人が視線を走らせるのかと思うと……」
「バ……、バカ っ。男の体なんて、意識して見るはずないだろう。考えすぎだ」
「ロベルトのような輩は、どこにいるかわかりませんか らね。安心はできません」
 思いがけないところで名が出て、今頃ロベルトはくしゃみをしているかもしれない。
  朋幸は笑みをこぼすと、桐山の頬に自分の頬を擦り寄せる。あまり本心を読ませない桐山だが、朋幸が頬擦りして甘えると心 がくすぐられることは、漠然とだが感じている。
「でも、行く。湯に浸かるのは苦手だとお前が言い張るなら、ぼくは一 人でも行くからな」
「……あなたという人は……。わたしの弱点を知り尽くしてしまいましたね」
「お前に弱点なん て可愛いものがあったのか」
 朋幸は上目遣いに、誘惑する眼差しを投げかける。すかさず後頭部に手がかかって引き寄 せられた。少し強引に桐山に唇を塞がれる。
 たっぷり唇を吸われ、侵入してきた舌に口腔を舐め回される。巧みな桐山 のキスに膝がガクガクと震えてきて、足元がふらつく。体の奥から官能を引きずり出され、このまま何もかもどうでもよくな ってしまいそうだ。
 朋幸は必死に抵抗して、淫らに蠢く桐山の舌に軽く歯を立てる。桐山の舌をきつく吸い上げてから、 朋幸は息を喘がせながら抗議する。
「は、あ……、卑怯だぞ。いきなりこんな、キスをしてきて……」
 桐山は苦笑 を浮かべ、ようやく解放してくれた。
「――浴衣に着替えて、大浴場に向かいますか?」
「もちろんだ」
 問い かけにきっぱりと答えると、桐山に優しく髪を撫でられた。
「なら、夕食前に大浴場のお湯に浸かっておきますか、二人 で。……空いているといいですね」
 さり気なく最後に付け加えられた桐山の言葉を、朋幸はどう判断すればいいのかわ からず、小さく首を傾げていた。








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