● CLEVERなカンケイ ●




02

 いつものバーでジェイミーは一人でテーブルにつき、普段にはない気持ちから、『ビトウィン・ザ・シーツ』を味わっていた。
 直訳すれば『シーツの間』だが、ようは、寝酒にはもってこいのカクテルだということだ。ほんのりと甘くて、穏やかな気分にしてくれる。
 もっともジェイミーとしては、決して穏やかな気分になりたいわけではなく、単に甘めのカクテルが欲しかったというだけだ。
 したたかなイタリア男の甘い囁きを飲み下すには、甘いカクテルがちょうどいいというわけだ。
 昼間のロベルトとのやり取りを思い出し、開いたペーパーバックに視線を落としたまま、
ジェイミーは口元に淡い笑みを浮かべる。
 ここで頭上から声が降ってきた。
「お前にしては、珍しいものを飲んでるな」
 顔を上げると、ダグラスとシンが並んで立っていた。ここでこうして顔を合わせるのは、
ロベルトと知り合ったとき以来だ。
 ジェイミーはグラスを掲げると、一気に飲み干す。
「もっと甘いものを飲まされたから、口直しだ。それより、なんで二人一緒なんだ。……つき合ってるのか」
 ダグラスはうんざりしたように顔をしかめ、一方のシンは慌てて首を横に振る。シンはいまどき珍しいぐらいウブなのだ。
「ジェイミー、お前は冗談は言うな。笑えないどころか、心臓に悪い。だいたい俺に、日本人の美人のワイフがいるのは知ってるだろ」
「そうだったか」
 二人もテーブルにつき、すぐに立ち直ったシンが笑顔で話しかけてきた。
「今夜はジェイミー、なんだか機嫌がいいね。いいことでもあった?」
 今度はジェイミーが顔をしかめる番だった。空になったグラスと、にこにこと笑うシンの顔を交互に見つめてから、いや、と首を横に振る。
「むしろ、反対だ。……桜の化身に、たっぷり甘い言葉を囁かれて、うんざりしている」
「桜の化身?」
「見た目は、軽薄そうなイタリア男だ」
 ジェイミーのその説明でようやくピンときたらしく、ダグラスが派手に噴き出す。シンはまだわからないようだ。
「ロベルトか」
「この一週間、ずっと口説かれ続けている」
「そりゃ、ご苦労なことだ。あれは、生粋の快楽主義者だぞ。自分が気に入れば、男も女も関係ないってタイプだ」
「……一目見たら、そんなことはわかる」
「――それでジェイミーは、どうするの?」
 会話を交わすジェイミーとダグラスを、交互に見ていたシンが、いきなり核心を突くような質問をしてくる。
 学生からのどんな質問にもたじろいだことがないジェイミーだが、この質問は予想外で、
思わず目を見開く。ダグラスが楽しそうに笑い声を洩らした。
「なんだ。その様子なら、どうするか考えてなかったな。珍しいな。暑苦しい奴が何より苦手なお前が、情熱的なイタリア男をまだ、つきまとわせているなんて」
「……そういうんじゃない」
 憮然として答えたジェイミーだが、内心では少しだけ認めていた。
 意外に、ロベルトの甘い囁きにいい気分になっている自分の姿を。
 まるでロベルトは、飲み干したばかりの『ビトウィン・ザ・シーツ』だ。甘い口当たりで、心の警戒を解いてしまう。
 冗談ではない。ジェイミーは心の中で呟いてから、気持ちを切り替えるため、ダグラスたちと一緒に、今度はバーボンをロックで頼んだ。




 書棚に並んだ一冊の洋書を手に取ったジェイミーは、パラパラとその本を捲って内容を確認してから、無造作に隣に突き出す。すかさず本が受け取られた。
 ちらりと視線を隣へと向けると、片腕に何冊もの本を抱え持ったロベルトが、楽しそうに笑いかけてきた。
 前日のジェイミーの注意をしっかり覚えていたらしく、今日のロベルトはひとまずスーツ姿だ。色が鮮やかなグリーンなのは、この際不問にしておこう。本人いわく、地味な色のスーツやジャケットは持っていないのだという。
 とにかくはっきりしたのは、存在そのものが派手な男は、何を着ようが目立つということだ。
 夕方、こうして訪れた大型書店の中にあって、さきほどから人の視線を感じて仕方ない。
 それは、この書店の前に立ち寄った図書館でも同じだった。荷物持ちとしては力があるが、居心地が悪い。
「――わたしに許可なく、わたしに触るな」
 低く抑えた声で告げる。ジェイミーの髪を一房摘まんでいたロベルトが、パッと手を離して軽く両手を上げる。
「ジェイミーの髪がキラキラして、あんまりきれいだからね」
 もう一冊本を取り上げ、さらに押し付ける。さすがにロベルトも片腕ではつらくなってきたようで、やむなく両手で本を抱えるようになる。これでうかつに、ジェイミーに手を出してこないだろう。
「……お前だって、きれいな髪をしているじゃないか」
 本の背表紙を目で追いかけるふりをしながら、ジェイミーはぼそりと言う。横目でうかがうと、ロベルトが嬉しげに頭を振り、今日は一つにまとめていない髪をふわふわと揺らす。
 一見その仕草は子供のように無邪気だが、本人は邪気の塊のような男だと忘れてはならない。
「俺が子供の頃から憧れていた髪は、ジェイミーみたいな金髪なんだよ。光を集めて作ったような、まぶしいぐらいのきれいな金色の髪だ」
 目を細めてジェイミーの髪を見つめる眼差しは、お世辞や冗談を言っているものではない。
「――人間というものは、ないもねだりをして生きている生き物だ」
「だから、人を好きになるんだよ。自分にないものを補おうとして、自分にぴったりと重なる運命の相手を見つけようと必死になる」
 不覚にも、ロベルトのこの言葉にジェイミーはくらっとしてしまった。心に響いたのだ。
 じっと自分を見つめてくるロベルトの視線に気づき、顔が熱くなる。
 ロベルトに背を向けて、ジェイミーは歩き出す。
「レジに行くぞ」
「はいはい」
 背後から聞こえてきたロベルトの声は、腹が立つほど楽しげだ。
 精算を終え、本を入れた書店の紙袋を手にしたロベルトと共に駐車場に向かう。
「それじゃあ、今晩は何を食べようか?」
 運転席に乗り込み、シートベルトを締めながらロベルトに問われる。ジェイミーは素っ気なく答えた。
「疲れたから、今日はもう家に帰る。食事はなしだ」
 さすがのロベルトも驚いたらしく、エンジンをかようとしていた手を止め、まじまじと見つめてくる。ジェイミーは挑発的に見つめ返す。
「なんだ?」
「今晩も食事につき合ってくれる約束でしょう?」
「……仕方ないだろ。疲れたんだから。お前と一緒にいるのは、体力が有り余っているときでもつらいんだ」
 拗ねた子供のようにロベルトは唇を尖らせ、エンジンをかける。
「家はどこ?」
 問われるまま、ジェイミーは自宅の住所を告げ、シートにぎこちなく体を預ける。
 今日はロベルトをこき使って振り回してから、食事はなしで自宅に送らせるつもりだった。
あまり苦労を知らなさそうなロベルトなら、ジェイミーの気まぐれにすぐに辟易して、もうつきまとわないと考えたからだ。
 そう、最初はそのつもりだったのだ。だがジェイミーの中で心境に大きな変化があり、今は様子が違ってきていた。
 ロベルトに引きずられそうな自分に歯止めをかけるため、あえて嫌な人間を演じようと思ったのだ。
 ロベルトのような男とつき合えば、振り回されるのは自分だとわかりきっている。
 それは、常に相手の優位に立ちたいジェイミーのプライドが許さない。
 車を運転する間、ロベルトは口を開かなかった。怒っているのかと思って横顔を見てみれば、そうとも言えない。
 今にも口笛でも吹き始めそうなぐらい、機嫌はよさそうに見える。
 よくわからない男だ、と内心で思う。あけすけに、思ったことをすべて口に出しているわけではなく、腹にはしっかり一物を抱えているのだ。だからといって、人間性のいやらしさは感じない。
 それがロベルトの、目に見えない魅力といえるかもしれない。
 自宅であるマンションが見えてきて、ジェイミーは短く告げる。
「そこのマンションの側で停めてくれ」
 ロベルトは言った通り、マンションの傍らまで車を寄せてくれる。
 後部座席に置いた書店の袋と、図書館で借りてきた本が入ったバッグを取ろうとすると、
一声かけてロベルトが代わって取ってくれようとする。
 一瞬、ジェイミーは油断していた。
 後部座席に身を乗り出していたロベルトが急にこちらを見て、片腕が伸ばされる。あっと思ったときには後頭部に手がかかり、引き寄せられる。
 ロベルトも顔を寄せてきて、間近で目が合った次の瞬間には、唇が重ねられていた。
 人当たりの柔らかさで見過ごしがちだが、威圧感を覚えるほど逞しいロベルトの胸を反射的に押し返すと、あっさりと体が引かれる。
「――ダメ?」
 拍子抜けするほど悪びれない表情で尋ねられ、ジェイミーは何も言えなかった。無邪気さを装いつつも、この男はやはり邪気の塊だ。それでいて、憎めない人間性を持っている。
 ジェイミーは軽く息を吐き出す。
 この男となら寝てもいいと思っている自分に、少なからずショックを受けていた。
「……今日は荷物持ちをしてくれたしな」
「いいね。俺、そういう考え方は嫌いじゃないよ。ギブ・アンド・テイクって対等でいい」
「そこまで言うぐらいなら、うまいんだろうな」
 平静を装って尋ねたジェイミーに、ロベルトはにんまりと笑って返してきた。
 再び後頭部を引き寄せられてから、しっかりと両腕で抱き締められる。
 見つめ合いながらロベルトの片手に頬を撫でられ、唇を塞がれる。
 優しく上唇と下唇を吸われ、するりと口腔にロベルトの舌が侵入してくる。軽く舌先が触れ合っただけで、ジェイミーの背筋にゾクゾクとするような痺れが駆け抜けた。
 違和感を覚えるどころか、体の熱を煽られるほど、ロベルトの唇と舌は気持ちよかった。
 示し合わせたように積極的に舌を絡め合い、濃厚なキスを味わう。舌を引き出され、微かな濡れた音を立てながら吸われる。
 ロベルトの腕の中でジェイミーは身震いする。
 そっと唇が離され、惜しむように唇の端に数回軽くキスされる。
「ごちそうさま。おいしかった」
 耳元に甘く囁かれ、ジェイミーは笑みをこぼす。
「バカ……」
 そう応じた声が、わずかな媚びを含んでいるのにジェイミーは気づき、急に自分が許せなくなる。
 慌ててロベルトから体を離すと、どういう意味か、苦笑に近い表情を浮かべたロベルトが後部座席から荷物を取ってくれる。
「重いなら、ジェイミーの部屋まで運んであげようか?」
「冗談じゃない」
 憮然として答えて、ジェイミーは荷物を手に車を降りる。まっすぐマンションに向かっていたが、途中で立ち止まって振り返る。
 まだ車を出していないロベルトは、ハンドルを抱えるようにして身を乗り出し、笑顔でジェイミーを見ていた。目が合うと、すかさずヒラヒラと手を振って寄越される。
 もちろん手を振り返すことなく、ジェイミーはエントランスへと入る。
 心臓が心地よく高鳴っていた。久しぶりに味わったキスが上等だったことに、ひどく満足もしていた。
 ロベルトに負けたようで悔しかったが、それ以上に、ロベルトの次の行動を待ち望んで自分の姿がある。
 この時点で、ジェイミーの状況は、劣勢だった。




 キスから半月ほどの間、ロベルトから連絡はなく、またバーで顔を合わせることもなかった。
 その気にさせておいて前触れもなく引くのは、恋愛におけるテクニックの一つだ。頭ではわかっていても、ジェイミーはいつどんなときでも、携帯の着信履歴を確認するようになっていた。
 バーにも、二日に一度は顔を出す律儀さだ。
 らしくないことをしていると自覚はある。これまでジェイミーは、誰かを追いかけたことはない。そこまでムキにさせてくれる相手がいなかったのだ。
 別にロベルトと恋愛をしようという気はない。彼は、本気の恋愛に向く相手ではない。遊びの範囲内で、シェイミーはムキになりかけていた。
 自分を落とすというゲームに、ロベルトが飽きてしまったのだろうかとイライラしているとき、計ったようなタイミングでロベルトから電話がかかってきた。
 ジェイミーは、休日だというのに出かけもせず、自分の部屋で講義で使用する資料を作成している最中だった。
『――ハイ、元気?』
 外の陽気にも似た明るい声に、かえってジェイミーの機嫌は悪くなる。
「誰だ。名乗れ」
 冷ややかに告げると、電話の向こうから抑えた笑い声が聞こえてくる。
『ごめん、ごめん。ロベルトだよ。ロベルト・ルスカ。ジェイミーに心を奪われた、哀れな男だよ』
 そのわりにははつらつとした声ではないか、と思ったジェイミーだが、自分が拗ねているように取られるのはプライドが許さないので、当然口には出さない。
「その哀れな男が、わたしに何か用か?」
『……もしかしてジェイミー、怒ってる?』
「なぜわたしが怒らないといけないんだ」
『ジェイミーが怒るのも無理ないよね。大事な人を半月も放っておいたんだから。でも俺も、心配で仕方なかったんだよ。魅力的なジェイミーが、俺が側にいない間に、誰か他の奴にさらわれたんじゃないかって、気になって気になって――』
 人の話を聞けと、ジェイミーは一喝する。
「結局お前は、半月の間、何をしていたんだ」
『ミラノに帰ってたんだよ。仕事でね』
「無職なんだろう、今」
 ジェイミーの単刀直入な物言いが愉快だったらしく、ロベルトは声を上げて笑う。
『父親の会社の仕事を手伝っているんだ』
 今さら気づいたことではないが、素性がはっきりしない男だ。
 呆れていると、ロベルトがふいに声を潜めて言った。
『――ジェイミー、これから出てこられないかな? 一緒につき合ってほしい場所があるんだ。俺の仕事絡みでさ』
 ロベルトの声は、秘密を共有し合う共犯者に対するもののようで、ジェイミーの胸はくすぐられる。 
 なんだか面倒なことに巻き込まれそうで、相手がロベルトでなければ素っ気なく断るところだが、今のジェイミーは資料の編集にも飽きてきており、何より、ロベルトの仕事に興味もあった。
『夕食だけじゃなく、お酒も奢るよ』
 ロベルトが罠を仕掛ける。引っかかれば、今夜は、自分の部屋に帰ってこられないだろう。
 ゆっくりと前髪を掻き上げたジェイミーは、努めて落ち着いた声で答えた。
「――その約束、忘れるなよ」


 これはゲームだ。つまり、遊びだ。しかも、加減を知っている大人にしかできない遊びだ。
 トク、トクといつもより大きく感じる自分の鼓動を感じながら、ジェイミーは助手席のシートにゆったりと身を預けていた。
 運転席では、サングラスをかけたロベルトが上機嫌で鼻歌を歌っている。
 人の忠告など忘れたらしく、今日も派手な柄のシャツとレザーパンツという格好だ。
 どこに行くのか、具体的なことは尋ねていない。ゲームを楽しめというのなら、とことんまで乗るだけだ。
「あっ、そうだ。ジェイミーにイタリアのお土産を買ってきたんだよ」
「何を?」
 後部座席を示されたので、ジェイミーはシートの上に置いてある紙袋を取り上げる。中を覗くと、香水だった。
「ジェイミーがこの官能的な香りをつけていたら、セクシーさが増すだろうと思ってね」
「……お前、わたしが学生相手の仕事だということを忘れているだろ」
 するとロベルトが、唇にちらりと笑みを浮かべる。この笑い方のほうが、よほどセクシーだ。
「香水は何も、外につけていくだけとは限らないよ。たとえば、ベッドに入るときとかね」
「まさしく、『ビトウィン・ザ・シーツ』だな」
 平然と答えはしたものの、ジェイミーの頬はわずかに熱くなっていた。
 ダグラスとは平気で際どい会話も交わせるが、相手がロベルトだと意識してしまう。単なる冗談では済まないからだ。
 とりあえず、土産の香水は受け取ることにして、礼は言っておく。紙袋はすぐに後部座席に戻しておいた。ロベルトなら、この場でつけてほしいと言い出しかねない。
 幸か不幸かロベルトはそんなことは言い出さなかったが、代わって、連れて行かれた場所が予想外でとんでもなかった。
 女性受けしそうな、白を基調にした清潔感が漂う建物だ。外の通りから、ガラス張りの店内がよく見えるが、ジェイミーは足を止めてロベルトを睨みつけた。
「お前、この店――」
 サングラスをずらしてロベルトは確信犯的な笑みを浮かべる。
「シエナの直営ショップだよ」
「シエナが、日本の化粧品メーカーだというのは、わたしの記憶違いか?」
「記憶違いじゃないよ。さっ、入ろうか」
 腕を取られて引っ張られそうになり、ジェイミーは慌ててロベルトの手を振り払う。
「入ろうかって、化粧品を売ってる店に、何しに入るっていうんだ」
「ジェイミーをより美しく彩ってくれる化粧品を買うために。ちなみにシエナは、男性化粧品は扱っていないから」
 ジェイミーは回れ右をして帰ろうとしたが、すかさずロベルトに引き止められる。
「冗談だよ。敵の視察なんだ」
「敵?」
「俺の父親は、化粧品を製造する会社の社長なんだ。俺は一人息子で、将来会社がまだ残っているなら、跡を継ぐだろうね」
 言いながらロベルトの褐色の瞳が、鋭い光を放ってショップを見据える。ゾクリとするほどその表情がよかった。
 ため息を吐いたジェイミーは、帰るのはやめる。途端にロベルトが顔を綻ばせる。
「恋人に合うルージュを、とでも言っておけばいいから」
 適当なアドバイスを受け、二人でショップに足を踏み入れる。当たり前だが、男二人というだけで目立つのに、そのうえ金髪の外国人とくれば、目立たないほうがどうかしている。
 ジェイミーは無表情に、カラフルな口紅が並んでいるスペースの前に行き、店員に日本語で告げる。
「恋人へのプレゼントなんだ」
 想像の中だけの女性のイメージを告げながら、ロベルトの様子をうかがう。
 にこやかに店員に話しかけ、こちらはフレグランスを見ている。どの辺りが『敵の視察』
になるのか、さっぱりジェイミーにはわからない。
 なんとも居心地の悪い時間を過ごしていたが、居たたまれなさが限界に達し、その気もなかったのに鮮やかなピンクの口紅を買う。
 ダグラスにでも渡して、日本人の美人の奥さんにつけてもらうのが無難だろう。
 小さな包みをジャケットのポケットに突っ込んで、ロベルトを振り返る。商品には目もくれず、定員の女の子と話し込んでいた。接客抜きで、実に楽しそうだ。
 急にいらついた気分となり、ジェイミーはロベルトに歩み寄って肩を小突く。これまでの自分なら、ロベルトを放ってさっさと帰るぐらいしていただろうが、これから先のロベルトの時間は自分のものだという所有欲が働いていた。
「――おい、わたしの買い物は済んだぞ」
 ジェイミーの言葉に、ちらりと振り返ったロベルトが軽く片手を上げる。
 愛想よく店員に二言、三言声をかけてから、何も買わずショップをあとにする。
 車に引き返しながら、ジェイミーは尋ねた。
「……結局お前は、何をしにあのショップに行ったんだ。女の子と楽しそうに話していただけだろ」
「んー? いい情報を教えてくれたんだよ。シエナが、新しいブランドを立ち上げるってね」
 どの辺りがいい情報なのか、まったくわからない。だがロベルトにとっては情報の価値が違うらしく、唇にしたたかな笑みを浮かべながら、目は遠くの何かを見ている。
 やはり出てくるのではなかったとジェイミーが後悔しかけたとき、そんな機微を読み取ったようにロベルトがスッと身を寄せてきた。
「ピンクの可愛いルージュを買ってたね? いい香りがするの」
「……なんで香りまで知ってるんだ。離れてたから、香ってこなかっただろ」
「一応、跡継ぎだからね。化粧品はけっこう細かくチェック入れてるんだ」
 それで、とロベルトが言葉を繋ぐ。
「買ったルージュ、ジェイミーがつけるの?」
 人が行きかう往来で、ジェイミーは容赦なくロベルトの頭を殴りつける。ロベルトが頭を抱えて痛がるが、同情してやらなかった。
「バカか、お前は。わたしにその趣味はない。ダグラスの奥さんにプレゼントしようと思ったんだ」
「ムキにならないでよ。冗談だよ」
「普段の言動が冗談ばかりだから、わたしに区別がつくはずがないだろう」
 怒るジェイミーとは対照的に、ロベルトは声を洩らして笑っている。
 次第にムキになるのがバカらしくなってきて、ジェイミーは肩から力を抜く。
「――……それで、食事はどこに連れて行ってくれるんだ?」
 わが意を得たりといった様子で、ロベルトは満足げに頷いた。







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