と束縛と


- 第33話(2) -


 海だ、と和彦は心の中で呟く。
 ウィンドーに顔を寄せ、ようやく視界に現れた景色にじっと見入る。スモークが貼られているため、くっきりと色彩鮮やかというわけにもいかず、それを不満に感じた和彦は誰にともなく問いかけた。
「……窓、開けていいか?」
 数秒の沈黙のあと、助手席に座る組員が答えた。
「少しだけでしたら」
 いかつい車が連なって走行しているのに、物騒なことを考える人間はそうそういないだろうと思いながら、和彦はありがたくウィンドーを少しだけ開ける。
 冷房がよく効いた車内に、ムッとするような熱気が吹き込んでくるが、それでも和彦にとっては心地いい。
「潮の匂いだ……」
 そう呟いたのは、和彦の隣に座っている千尋だ。車での長時間の移動は、気心が知れた相手と同乗したいという密かな和彦の希望は、和彦と同乗したいという千尋のわがままによって叶えられた。前列に座るのは長嶺組の組員だ。
「海に来たって感じだよなー。あー、みんな楽しそう」
 砂浜には海水浴を楽しむ人たちの姿があり、千尋の言葉通り、確かに楽しそうだ。
「先生、ジムのプールではよく泳いでいたみたいだけど、海に泳ぎに行ったりしなかったの?」
「海ではあまり泳いだことがないな。医者になってからやっと、海外に遊びに行ったときに――」
 無防備に思い出話をしようとした和彦だが、ここでハッとする。これは千尋にしてはいけない類の話だと気づいたからだ。
 和彦は一時期、外傷外科医として救命救急の現場にいたことがある。和彦が一番、肉体的にも精神的にも疲れ果てていた時期でもあり、この仕事に向いていないと、嫌というほど痛感もしていた。
 そのため転科を考え始めた頃、ある男とつき合っていたのだ。同年齢ではあったが、仕事で苦悩し、忙殺されかかっていた和彦とは違い、親の残した資産で優雅に遊び暮らしている男だった。
 生まれ育ちがいいという点では、和彦と共通したものを持っていたが、話を聞く限り、家庭環境は雲泥の差があった。それでも不思議と気は合い、遊び相手としては申し分がなかった。その男の道楽によく連れ回されたが、エスコートも完璧だったため不満はなかった。
 海外のリゾート地に一緒に出かけたときは、何も考えずに海ではしゃぎ、夜は肉欲のままに体を重ねて貪り合い、思う存分享楽に耽った。命の洗濯とはこういうことを言うのかと、身をもって実感したのだ。
 そもそもあの男とどうして別れたのだろうかと、ぼんやりと思い出そうとしていた和彦だが、強い視線を感じて隣を見る。千尋が怖い顔をして問いかけてきた。
「――今、誰のこと考えてた?」
 本当に勘が鋭いなと、和彦は苦笑を洩らす。
「前に、海に一緒に行った人間のこと」
「誰?」
「お前に言ってもわからないよ」
「でも知りたい」
「言いたくない。面倒だし」
 途端に千尋が唇を尖らせたので、和彦はその唇を指先で軽く撫でる。
「欲張りだな。今のぼくを好き勝手にできるくせに、過去までどうにかしたいのか」
「……今の台詞、いかにも悪いオンナっぽい――」
 千尋の額を小突いてから、ため息をついて再び外の景色へと目を向ける。千尋もすぐに気を取り直したのか、明るい口調で言った。
「俺たちが泊まる宿、もうすぐだよ」
 千尋の言葉通り、五分も走らないうちに、車はある建物の駐車場へと入る。
 黒のスーツで身を固めた男たちの誘導で、空いたスペースに車が停まると、素早く助手席から組員が降り、後部座席のドアが開けられる。ちらりとこちらを見た千尋が軽く頷いたので、促されるまま和彦は車を降りた。
 宿は、観光地のホテルといった趣きで、守光が選ぶ宿の好みをなんとなく把握してしまった和彦としては、少し意外な気がした。総和会の関係者ばかりが宿泊するわけではないらしく、広い駐車場には、これから海に出向くのか、家族連れの姿もある。
「――法要で、いかにもな場所にひっそりと泊まるより、こういうところに堂々と泊まったほうが、けっこう警護も楽らしいよ。周りにいるのはのほほんとした堅気ばかりだから、何か狙ってる殺気立った輩は、目立つ」
 さらりと物騒なことを言う千尋だが、車から降りた姿は、『のほほん』とまではいかないが、立派な堅気に見えた。足の長さを際立たせる細身のパンツに、Tシャツを着込み、その上からラフにジャケットを羽織っただけの姿ながら、上等な外見を持つ青年はそれでも十分人目を惹く。
 本当に若いなと、堂々と陽射しの下に立つ千尋を眺めながら、和彦は心の中で感嘆する。普段から千尋との年齢差は意識しているのだが、何げないことで妙に実感するのだ。
 こちらを見た千尋が眩しげに目を細める。
「先生、暑いから早く中に入ろう」
「ああ」
 いつものように距離を縮めてくる千尋をさりげなく牽制しながら、建物に入る。目立つ千尋の隣にいて、さらに目立つマネはしたくない。千尋は不満げに眉をひそめはしたが、さすがに大声で抗議するようなことはしなかった。
 にぎわうロビーを横目にチェックインを済ませ、千尋と並んで歩きながら和彦は、こっそりと洩らす。
「お前たちと泊まりで出かけると、犯さなくていい犯罪を犯すことになって、複雑な気分になる」
 フロントで宿泊者カードを記入するとき、千尋は平然と本名を書くのだが、和彦だけは偽名を使い、住所も、住んだこともない地名を書いている。
 千尋は肩を竦めて笑った。
「ごめんね。俺たちの場合、どんなことで警察に引っ張られるかわからないから。だけど先生の場合、素性を知られることのほうが怖い。ヤクザじゃないんだから」
「……わかってる。言ってみただけだ」
 今夜宿泊する部屋は、いかに護衛しやすく、何かあったときに避難しやすいかに重きが置かれたらしく、非常階段の近くだった。部屋自体は広くて手入れの行き届いた和室だが、和彦が少しがっかりしたのは、海がまったく見えないことだった。
 窓を開け、車が出入りしている駐車場を見下ろし、軽くため息をつく。
「――見えないけど、海はすぐそこだよ」
 笑いを含んだ声で千尋に言われ、和彦は慌てて窓を閉める。一拍置いてから、澄まし顔を取り繕って振り返った。
「知ってる」
「今日はこの部屋で我慢してよ。うちの組だけじゃなく、他の組や、総和会の人間たちもけっこう泊まっているから、とにかく安全第一で部屋を取ったから」
 千尋の口ぶりはまるで、子供の機嫌をうかがっている大人のようだった。普段、千尋を諭すような物言いになってしまう和彦としては、妙な気持ちだ。さまざまな人間に囲まれ、経験を積んでいくうちに、必然的に千尋も成長していくのだと、当たり前のことを思い知らされる。
「別に不満なわけじゃない。海が見えるものだと、ぼくが勝手に思い込んでいただけだから」
 もごもごと和彦が応じていると、荷物を運び込んだ組員たちと入れ違うように、賢吾が部屋にやってくる。和彦たちよりどれほど先に到着していたのか、すでにダークスーツを着ていた。
 折にふれ、賢吾のダークスーツ姿は目にしているが、そのたびに和彦は思うのだ。黒がよく似合う男だと。
 目が合った賢吾が、意味ありげな笑みを浮かべる。
「どうした先生。俺に見惚れているのか」
「……恥ずかしげもなく、よくそんなことが言えるな」
「照れなくてもいいだろ」
 ムキになって反論しようとしたが、組員にお茶を勧められ、結局口ごもる。こんなことで言い合ったところで、みっともないだけだと気づいた。
 席につくと、向かいに賢吾が座る。一方の千尋は、ダークスーツ一揃いを抱えて部屋を出て行く。その姿を見送り、和彦は呟いた。
「ここで着替えればいいのに……」
「先生に背中を見られたくねーんだろ」
 なんのことを言っているのか、すぐに理解した和彦は、座卓に身を乗り出すようにして賢吾に尋ねた。
「あんたは当然知ってるんだろ。千尋がどんな刺青を入れているのか」
「気になるか?」
「それは、まあ――」
 途端に賢吾が大仰に片方の眉を動かし、こんなことを言った。
「先生は刺青に弱いからな。いや、刺青を入れた男に弱いのか」
「誰のせいだっ」
「その口ぶりだと、俺のせいか?」
 もういいと、和彦は顔を背ける。賢吾はくっくと声を洩らして笑っていたが、それもわずかな間で、さっそく和彦の機嫌を取り始めた。
「俺たちが法要で出払っている間、先生は好きに過ごせばいい。この部屋から一歩も出ずにおとなしくしていろなんて無体は言わねーよ」
 身軽に動けることは最初から期待していなかっただけに、賢吾の提案は予想外だった。和彦は目を丸くしてから、そっと正面に向き直る。
「……本当に?」
「本当だ。ただし、護衛をつけてな。俺もこんなところで野暮は言いたくないが、どんな連中が鼻をひくつかせてうろついているかわからないからな。総和会が特に、先生の安全に気をつかっている」
「つまり――」
「護衛は、うちの組と総和会から一人ずつつく」
 それを聞いた和彦は思いきり顔をしかめる。
「なんだかもう、部屋を出る気すら失せたんだが……」
「ほお。〈前回〉はたっぷり楽しんだと聞いたぞ。――同じ面子で」
 もったいぶった賢吾の言い回しを、頭の中で繰り返す。そんな和彦をニヤニヤしながら眺めて気が済んだのか、賢吾は組員に目で合図した。すぐに組員が部屋を出て行き、一分もしないうちに襖の向こうで人の気配がした。
 賢吾の態度といい、一体なんなのかと、和彦が口を開きかけたそのとき、襖が開く。現れた人物を見て、和彦は驚きの声を上げた。
「三田村っ」
「――すみません。俺もいます」
 三田村の後ろから、中嶋がひょっこりと顔を出す。もう一度驚いた和彦だが、同時に、この感覚には覚えがあった。何かと思えば、五月の連休中の出来事だ。あのときは、総和会が管理する別荘に連れて行かれ、そこに三田村がいて、あとから中嶋も登場したのだ。
 用意周到だとか、最初から教えてくれればいいのにだとか、賢吾に対して言いたいことはあったが、とりあえず和彦は、機嫌は直ったとアピールするため、笑みをこぼした。


 長嶺組の男たちが出かけるのを、物陰からこっそりと見送って、和彦はやっと肩から力を抜く。そして改めて、自分の傍らに立つ二人を見遣った。
「この三人で顔を合わせるのは、五月の連休以来だな」
 和彦の言葉に、中嶋がにこやかな表情で頷く。
「先生の遊び相手といったら俺、とすっかり認知されたようで、嬉しいですよ」
「総和会で上を目指す君には、さほど名誉じゃないだろう」
「いえいえ。むしろ羨ましがられるぐらいで」
 本気で言っているのだろうかと疑いかけた和彦だが、自分に注がれる優しい眼差しに気づき、照れ隠しもあり、こんなことを言っていた。
「大変だな、あんたも。ぼくに何かあるたびに、引っ張り出されて」
「組長のお心遣いだ。理由があったほうが、堂々と先生に会えるだろうと」
 三田村が、賢吾たちが乗った車が走り去ったほうに視線を向けたので、つられて和彦も同じ方角を見る。
 賢吾なら言いそうなことだと思いはしたが、だからといってあの男が優しいかというと、そうではない。傲慢なほどの余裕の上に成り立つ配慮は、優しさとは別物なのだ。
「――それでは先生、時間も惜しいですから、泳ぎに行きますか」
 中嶋の提案に、和彦は目を丸くする。
「えっ」
「あれっ、泳ぐんじゃないんですか? せっかく海に来たのに。俺なんて、張り切ってあれこれ準備してきましたよ。水着の予備もあるので、安心してください」
 和彦は困惑しながら三田村をうかがい見る。三田村はわずかに唇を緩めた。
「俺はこんな体で海に入ることはできないから、気にせず二人で泳げばいい。浜辺でのんびり眺めているから」
「眺めているって、その格好でか……」
 いつものように三田村は、地味な色合いのスーツ姿で、当然足元は革靴だ。三田村の隣で中嶋が噴き出し、つられて和彦も顔を綻ばせる。
「これだけ人がいて何かあるはずもないから、ぼくに付きっきりでなくても大丈夫だ。せめて涼しい店に入って、冷たいものでも飲みながらゆっくりしていてくれ。そのほうがぼくも、気兼ねなく泳げる」
 三田村は一瞬物言いたげな顔をしたが、中嶋を一瞥してから頷く。
「さて、話も決まったし、先生の荷物を取ってきて移動しますか」
 そう提案した中嶋は車に荷物を置いているというので、和彦は三田村を伴って一旦部屋に戻ることにする。
 エレベーターを待ちながら、斜め後ろの位置から三田村を見つめる。思いがけず一緒の時間を過ごせることになり、嬉しくないはずがない。反面、和彦の都合で、三田村ほどの男が呼び出される事態がたびたび起こることは、正直心苦しい。いまさらと言われようが。
 そしてもう一つ、和彦を心苦しくさせることがあった。
 三田村は、鷹津という男を意識している。和彦の奔放な人間関係に寛容さを示しながら、それでも鷹津は特別なのだ。和彦がその鷹津に、快感で惑乱していたとはいえ、オンナになると告げたと知ったら、優しい男は悲しむかもしれない。
 もしかすると、そんな段階ですらなく、いよいよ和彦に呆れ、離れていくだろうか――。
 想像して、ブルッと身震いする。自分勝手だが、どれだけの男に大事にされ、執着されようが、三田村を失いたくなかった。自分に注がれる優しい眼差しが必要なのだ。
 何かを感じたのか、ふいに三田村が振り返る。
「先生?」
 和彦は自然に笑いかけることに成功した。
「せめて、スーツ以外の着替えを持ってくればよかったのに」
「ワイシャツの替えなら、車にあるんだが……」
「滅多に見られないものだな、三田村のスーツ以外の姿は」
 エレベーターに乗り込みながらのやり取りのあと、再び三田村の斜め後ろに立った和彦は、自虐的に心の中で呟く。
 自分は性質の悪いオンナになってしまった、と。
 そんな本性を三田村に知られたとしても、きっと開き直るのだ。許容したのはあんたなのだから、変わらず大事にしてくれと、悪びれもせず言い放つかもしれない。
 同じように、鷹津にも要求するのだろうかと想像しかけたが、エレベーターの扉が開いたのをきっかけに、半ば強引に頭を切り替える。
 三田村が傍らにいて、中嶋が待っていて、海がすぐ近くにあり、とりあえず今のこの時間を楽しもうと思った。和彦がそうすることを、男たちは望んでいるのだから。
 中嶋と合流して、さっそく海に繰り出す。
 長嶺の男たちが法要に出席している中、のんびりと自分だけ楽しんでいいのだろうかと、ささやかな罪悪感の疼きに苛まれていたのは、海に浸かってわずかな間だった。
 ごくごく普通の家族やカップル、学生らしいグループたちと同じように泳ぎ、ときにはただ波に身を任せて浮かんでいると、頭の中は空っぽになる。水の心地いい冷たさと、頭上に降り注ぐ強い陽射しに、夏の一時を楽しめと諭されているようだ。
 ただ、こんなに気楽なのは和彦だけのようで、砂浜で交替で荷物の番をしている中嶋は、海に入っている和彦を目で追いつつ、携帯電話で誰かとたびたび連絡を取っていた。三田村も、涼しい店に入るどころか、目立たないよう身を潜め、こちらの様子をうかがっているだろう。そういう男なのだ。
「――秦さんに羨ましがられましたよ」
 休憩のためレジャーシートに座ってお茶を飲んでいると、前触れもなく中嶋が切り出す。
「羨ましがられるって……、何を?」
「今、先生と海にいて、泳いでいると言ったんです。あの人、ここのところ休み返上で仕事をしているんで、海の画像でも送りつけようかと思って」
 さきほどまじめな顔で、そんなことを秦と話していたのかと、和彦は微苦笑を洩らす。
「あの男の場合、なんの仕事で忙しいのか、さっぱり見当がつかない」
「相変わらずいろいろやっているみたいですね。――長嶺組と組んで」
「気にはなるが、知りたいとは思わない。せいぜい、雑貨屋の経営が順調なのかどうかぐらいか、聞けるのは」
 軽く頭を振ると、髪の先からしずくが落ちる。すかさず中嶋がタオルで拭いてくれた。
「あっ、そうだ。先生の水着姿を撮って送ろうかな」
「……男の水着姿なんて見ても、誰もおもしろくないだろう」
「先生のなら、ありがたがるかもしれませんよ」
 芝居がかったニヤニヤ笑いを浮かべて、中嶋が和彦の体を見る。ここが海でなければ、多少なりと中嶋の視線を意識したのかもしれないが、和彦は動じることなく言い返す。
「だったらぼくは、女の子からナンパされている君の姿を隠し撮りして送るからな」
 中嶋が急に神妙な顔となり、声を潜めた。
「見ていたんですか……」
「モテるよなー、君は。あしらい方も慣れた様子だったし。ぼくも見習わないと」
「勘弁してください。本当にあちこちの方面から、先生に余計なことは教えるなと、ときどき忠告をもらっているんですから、俺」
「――……例えば、南郷さんから?」
 いくぶん声を潜めて問いかけると、中嶋は食えない笑みを浮かべて首を傾げた。
「さあ、どうでしょう」
 実にわざとらしい動作で中嶋が携帯電話を手に取り、時間を確認する。
「さて先生、交替でもう一泳ぎしたら、宿に引き上げますか」
「まだ早くないか?」
「先生にはしっかりと湯に浸かって体を温めてもらって、身支度を整えてもらわないといけません。後ほど長嶺組の皆さんで、外で食事をされるそうですよ」
 中嶋の説明を聞いて和彦は、顔をしかめる。
「どうして当事者のぼくが知らなくて、組の人間じゃない君が知ってるんだ」
「ギリギリまで先生に楽しんでもらいたいという配慮でしょう」
 それが事実がどうかはともかく、納得するしかない。和彦はふっと息を吐き出すと、お茶をもう一口飲んだ。


 スーツに着替えてロビーに降りてきた和彦を見るなり、珍しく三田村は破顔した。
「泳ぎ疲れたから、横になりたくて仕方ないという顔だ、先生」
 支度を手伝ってくれた中嶋に、軽く腕を突かれる。
「三田村さんにまで言われてますよ」
「……食事に出ることを最初に教えてくれていたら、ぼくだってもう少し余力を残していたよ……」
 和彦はため息交じりに応じると、髪に指を差し込む。部屋付きの風呂に入ったあと、自分でやると訴えたが、中嶋が丁寧にドライヤーで乾かしてくれたのだ。普段から何かと世話を焼いてくれる中嶋だが、今日は特に甲斐甲斐しい。本来なら詰め所で待機しているところを、和彦のおかげで自分も呼んでもらえたというのが理由のようだ。
「それで、これからぼくは、どうしたらいいんだ?」
「ここから近くにある店に、組長たちは直接向かわれるそうだから、先生にも来てほしいそうだ」
 そう答えたのは三田村だ。さきほど見せた笑顔はすでになく、和彦を護衛するための緊張感で引き締まっていた。中嶋はどうするのかと、ちらりと視線を向ける。
「君は?」
「先生の遊び相手を務めたので、今日のところはお役御免ではありますが、長嶺組長にご挨拶をしておきたいので、店までご一緒させてもらいます」
 こういうのをアピール上手というのだなと、和彦は素直に感心した。
 店まで近いということなので、歩いて行くことにする。暑いうえに疲れているのだから車で、と三田村には言われたが、初めて訪れた場所を、少しでもいいから自分の足で歩いてみたいという好奇心には勝てない。
「まあ、疲れついでだ」
 話がまとまり、さっそく三人で宿を出る。このとき三田村は鋭い視線を周囲に向け、中嶋ですら同じ行動を取る。
 自分のわがままのせいで申し訳ないなと思っていると、三田村と目が合う。次の瞬間、ふっと眼差しが和らいだ。三田村の言いたいことは、それだけで伝わってきた。
 土産物屋が並ぶ短い通りを抜け、道路沿いに十分ほど歩いたところで、三田村が前方を指さす。ハンカチで額の汗を拭いながら和彦が見たのは、店らしき建物と、見覚えのあるいかつい車の一団が駐車場に停まっている光景だった。
 店の前には組員が立っており、和彦たちに気づいて一礼する。三田村が声をかけ、少し前に賢吾たちが到着したということなので、時間としてはちょうどよかったようだ。
 貸切となっている店の奥の座敷へと通されると、上座についた賢吾が唇だけの薄い笑みを向けてきた。さすがに寛いだ様子でジャケットを脱いでおり、ネクタイも緩めている。どうやら法要は問題なく終了したようだ。
「さあ先生、どうぞ」
 そう言って組員に、上座に近い席を案内されそうになる。
 正直和彦は、席次がはっきりわかる場は苦手だ。よほど形式張った行事であれば指示に従うところだが、身内だけの食事会であれば多少の意見を通せる。賢吾や千尋の側に座るのは遠慮して、一番下座についた。
 中嶋はさっそく賢吾の側に行き、何事か言って頭を下げている。堂に入った所作は、いかにも外見は普通の青年のように見えても、筋者のそれだ。賢吾は鷹揚な態度で応じ、二言、三言と言葉を交わし、なぜか中嶋とともにこちらを見た。きっとロクでもないことを話しているのだろうなと思った和彦は、露骨に顔を背けた。
 中嶋は賢吾だけではなく、しっかり千尋にも挨拶をしてから、席に加わった三田村とも短く言葉を交わしたあと、和彦のもとにやってきた。
「――今日もいろいろ世話になった。ありがとう」
 和彦が礼を述べると、中嶋は緩く首を横に振って答えた。
「礼を言うのはこちらですよ。長嶺組の方々にしっかり顔と名前を覚えてもらえたのは、先生のおかげです」
「そう言ってもらえるんなら、君が出世したときには恩を倍返ししてもらおうかな」
 ニヤリと笑った中嶋が、頭を下げて座敷を出て行く。そこにすかさずグラスを手渡され、ビールが注がれる。
 あともう一仕事だと思い、和彦は座布団の上で姿勢を正した。


 眠気が限界だった和彦は部屋に戻ると、さっさと浴衣に着替え、早めに敷いてもらった布団に横になった。
 賢吾と千尋は別の部屋で明日の打ち合わせをしているらしいが、帰りを待てるほどの気力も体力も、和彦には残っていない。
 肌掛け布団にしっかりと包まり、心地よさに吐息を洩らした数瞬のうちに、波にさらわれるように意識がゆっくりと遠くへと押しやられる。
 このまま朝まで熟睡――とはならなかった。
 髪を撫でる感触に、一度は遠のきかけた意識が、今度は引き戻される。抗うようにきつく目を閉じたが、まるで己の存在をアピールするように髪を掻き乱され、抗議の唸り声を洩らす。耳に届いたのは、魅力的なバリトンと、若々しい声による微かな笑い声だった。
「――そろそろ諦めて、目を開けてくれないか、先生」
「布団を剥ぎ取っちゃおうかなー」
 もう一度唸り声を洩らして、仕方なく和彦は薄く目を開く。
「ぼくは疲れてるんだ。今夜は、話相手は無理だ……」
「別に話さなくても、相手はできるだろ」
 寝ぼけた頭でも、賢吾が言おうとしていることは理解できる。悲しいことに。
 和彦はもぞりと身じろぎ、肌掛け布団の下から片手を伸ばすと、賢吾の膝の辺りを軽く殴りつけた。その隙に、千尋が同じ布団に潜り込んできて、抱きついてくる。
「くっつくなっ。日焼けしたせいで、肌がピリピリして痛いんだ」
 中嶋が持参した日焼け止めを塗ってはいたのだが、この時期の直射日光を甘く見ていたようだ。中嶋も今頃、日焼けが気になって仕方ない状態かもしれない。
「浴衣が擦れても気になるんだ。だから、おとなしく横になっていたというのに、父子揃って――」
「海で泳いで日焼けか……。優雅でけっこうなことだ。俺たちはこの暑い中、ダークスーツで汗だくになっていたというのに」
 バリトンで紡がれる皮肉は、なかなか痛烈だ。おかげで眠気がいくらかマシになり、しっかりと目を開けることができる。
「……そんな皮肉を言われるぐらいなら、ぼくはマンションで一人、のんびりと過ごしたかった。だいたい、誰のせいで、せっかくの連休に振り回されることになったと思うんだ」
 賢吾と千尋は、それぞれ互いの名を出した。
 和彦は大きく息を吐き出すと、体に回された千尋の腕を押し退け、緩慢な動作で体を起こす。賢吾がすかさず手を差し出してきたが、あえて無視したうえで、たっぷり恨みがこもった視線を向ける。
「ぼくだけ別の部屋を取ってくれてもよかったのに。知っているんだからな。あんたの名前で、別の部屋を取っていることを」
 賢吾がちらりと苦笑を浮かべる。
「何かあったときのためだ。まさか、長嶺組の組長と跡目が同じ部屋にいるなんて、うちの者以外に知られるわけにはいかねーからな」
「だったら……、ぼくは今から、その部屋に移動する。ここだと落ち着いて寝られない」
「――素直に行かせると思う?」
 無邪気な口調で、悪魔のようなことを言ったのは、千尋だ。和彦が露骨に顔をしかめると、賢吾がおかしそうに声を洩らして笑う。叩き起こされて不機嫌な和彦とは対照的に、長嶺父子は機嫌がよさそうだ。
 賢吾が寝乱れた髪を掻き上げてきて、千尋は背後から首筋に顔を寄せてくる。大きな獣にじゃれつかれているような気分を味わいながら、和彦は仕方なくこの状況を受け入れる。法要を終え、賢吾も千尋もようやく気を緩められているのだろうと思うと、本気で抵抗するのも気が引けた。
「本当に肌が赤くなってるな。痛そうだ」
 和彦の腕を取り、賢吾が浴衣の袖を捲り上げる。
「痛そう、じゃない。痛いんだ」
 てのひらでそっと腕を撫でられて、その手つきの優しさに思わず口元を緩める。つられたように賢吾も表情を一層和らげた。
「久しぶりに海で泳いで楽しかったか、先生」
「プールとは違って、開放感があった。一緒にいてくれたのは、中嶋くんだったし。……三田村は、少し可哀想なことをした」
「先生はリラックスしていたようだったと、三田村が言っていたぞ。やっぱり、先生に遊び相手をつけるなら、中嶋が一番だな」
「明日は、俺と遊んでもらうから」
 耳元でぼそりと千尋に囁かれ、苦笑しかけた和彦だが、あることに気づいて賢吾を見た。
「明日は何かあるのか? 宿を移ることぐらいしか、教えてもらってないんだが」
「今日は総和会のための行事。明日は長嶺組と長嶺家のため、だな」
 そう言った賢吾だが、具体的に説明するつもりはないようだ。長嶺の男たちのこういうところにすっかり慣れてしまった和彦は、軽くため息をつきはしたものの、非難はしない。
「……話がそれだけなら、横になってもいいか?」
「お休みのキスがまだだな」
「いままでそんなこと、したことなかっただろっ」
 肌掛け布団を掴んで急いで横になろうとした和彦だが、背後から千尋に抱きつかれているうえに、賢吾の手があごにかかり、見事に動きを封じられる。こういうときばかり本当に息が合う父子だと呆れているうちに、賢吾の顔が近づき、そっと唇が重なってきた。
 和彦の感触を確かめるように丁寧に、上唇と下唇を交互に吸われる。おとなしくされるがままになっていると、抱きしめてくる千尋の腕の力が強くなる。うなじに唇が押し当てられ、濡れた舌先でちろりと肌を舐め上げられて、つい意識がそちらに向くと、抜け目ない男の舌がするりと口腔に入り込んできた。
 千尋の片手が両足の間に這わされ、賢吾の手が浴衣の帯を解いてくる。さすがに和彦は制止の声を上げようとしたが、その頃には賢吾の舌が口腔で好き勝手に動き回っており、歯列や上あごの裏を舐められ、鼻にかかった甘い声が洩れていた。
 浴衣を肩から落とされ、すかさず賢吾と千尋の指が左右の胸の突起を弄り始める。千尋の片腕に抱き寄せられ、やむなく体を預ける。ここで口づけの相手が千尋に代わり、激しく唇を吸われる。
 千尋の情熱に唆されるように和彦は、差し出した舌を淫らに絡め合っていた。その間に賢吾に、下着を脱がされてしまい、父子に挟まれて、何も身につけていない姿を晒すことになる。
「日焼けのせいだな。もう肌が熱を持っている」
 和彦の体を撫で回しながら、どこか楽しげな口調で賢吾が言う。両足を立てて広げられ、内腿にまでてのひらが這わされたときにはさすがに身を捩ろうとしたが、千尋に低い声で窘められる。
「先生、動いちゃダメ」
「……無茶、言うな……」
 大人びた笑みを一瞬見せた千尋だが、次の瞬間には表情を引き締め、和彦の開いた両足の間に片手を差し込んできた。
「あっ」
 欲望を柔らかく握られて、反射的に足を閉じようとしたが、膝に賢吾の手がかかって阻まれる。和彦はうろたえながら賢吾の肩を軽く押し返そうとした。
「今夜は無理だからなっ。しかも、二人がかりなんて。本当に、疲れてるんだ」
 和彦の膝に唇を押し当てた賢吾が、上目遣いでニヤリと笑う。
「ひどい言いようだな。まるで俺たちが、ケダモノみたいじゃないか」
「……ケダモノのほうが、まだ可愛げがある」
「安心しろ。今夜は無理はさせない。ただ先生を癒してやるだけだ」
 どうだか、と心の中で呟いた次の瞬間、和彦は、それでなくても火照っている肌をさらに熱くすることになる。
 両足の間に賢吾が顔を埋め、さきほどから千尋の手によって緩く愛撫を与えられていた欲望を口腔に含んだ。
「うあっ……」
 和彦は賢吾の頭を押し戻そうとしたが、その手を千尋に掴まれる。
「先生、こっち向いて」
 甘えるような声で千尋に呼ばれて横を向く。濡れた音を立てて唇を吸われ、そのまま舌先を触れ合わせていた。
 賢吾の口腔深くに欲望を呑み込まれ、熱い粘膜がまとわりつく。さらに先端を舌先で弄られて、下腹部をヒクリと震わせる。和彦が低く呻き声を洩らすと、眼前で千尋の目が悪戯っぽい光を宿す。何かやるつもりだなと身構えたときには、油断ならない手が、和彦の柔らかな膨らみを弄び始めた。
「あっ、あっ、そこ、やめ――」
 巧みに弱みを探り当てられ、指先で刺激されると、腰が痺れてくる。この愛撫が苦痛ではない証拠に、賢吾の口腔で、和彦の欲望は瞬く間に膨らんでいく。
「うっ、あぁっ……、は、あ……」
 千尋の腕の中で身悶えながら、和彦は爪先を突っ張らせる。全身が燃えそうに熱くなり、頭の芯がドロドロと溶けていくような感覚に襲われる。体が快感に満たされ、ほんの些細な刺激で破裂してしまいそうだというところまできて、ふいに賢吾が顔を上げた。
 反射的に詰りそうになった和彦だが、それがとんでもなくはしたないことだと気づき、寸前のところで思いとどまる。賢吾は皮肉っぽく唇を歪めた。
「まだ、余裕がありそうだな、先生」
「……そんなわけ、ないだろ」
 少し話すだけでも、息が弾む。
 これ以上父子に翻弄されてはたまらないと、千尋の腕の中から逃れようとしたが、あっさり解放された次の瞬間には、賢吾の両腕の中に捕らえられていた。抱き締められ、たった今、和彦の欲望を愛撫していた唇が、今度は濃厚な口づけを与えてくる。
「んっ、ふぅ」
 口腔に押し込まれた舌が、千尋がしたように粘膜を舐め回し、唾液を流し込んでくる。和彦は従順に受け入れるしかなかった。
「――今度は、俺が感じさせてあげる」
 背後でそう呟いた千尋の声が聞こえる。一体何をする気かと振り返りたくて仕方なかったが、口づけに集中しろと言わんばかりに賢吾の腕に力が込められる。しかし和彦の意識は、賢吾と千尋の間で揺れることになる。
 腰に千尋の腕が回され、荒々しい手つきで尻の肉を掴まれる。和彦は呻き声を洩らすが、すべて賢吾の唇に吸い取られていた。
 ヒリヒリとしている背に、柔らかく唇が押し当てられ、濡れた舌を這わされる。反り返った欲望をてのひらに包み込み、緩やかに扱いてくるのは賢吾の手だ。千尋は、内奥の入り口を指の腹で擦りながら、解し始める。
「んっ、ふぅっ……。うっ、うっ――」
 ゆっくりと慎重に千尋の指が内奥に入り込み、狭い肉をこじ開けていく。和彦は必死に賢吾の肩にすがりついていた。
 指の侵入が深くなるにつれ、賢吾のてのひらに包み込まれた欲望がビクビクと震える。気まぐれに括れを擦られ、先端を撫でられて、焦れた和彦はすがるように目の前の賢吾を見つめる。
「イきたいか、先生?」
「……自分で、する……」
 和彦が意地を張ると、父子が揃って密やかな笑い声を洩らす。
「そんなこと、許すわけないじゃん」
 そう言ったのは千尋だ。内奥に二本目の指を挿入して、熱くなっている襞と粘膜を丹念に擦り上げてくる。一方の賢吾は、甘やかすように和彦の唇と舌を吸いながら、欲望を根元から扱き始める。
 前後から快感を送り込まれ、和彦は腰を震わせる。賢吾にすがりつき、耐える術もなく愛撫に翻弄されていた。
 精を放ちたくて仕方ないが、寸前のところで賢吾の指に根元で止められ、腰が震える。狂おしい発情のため、内奥で蠢く千尋の指を食い千切らんばかりにきつく締め付けていた。
 崩れ込みそうになった和彦の体を抱き寄せたのは、千尋だった。喘ぐ和彦の唇を、一応気遣ってはいるのか、遠慮がちに啄ばんでくる。そこに賢吾が、中途半端な愛撫を与えられてひくつく内奥に、指を挿入してきた。
「あっ、嫌、だ――……」
 和彦は控えめに声を上げはしたものの、自分でもわかるほど、その声は甘い媚びを含んでいた。それを聞き逃す男ではなく、賢吾は容赦なく、指で内奥を犯してくる。
 和彦の体は布団の上に横たえられ、両足を左右に大きく広げた、羞恥に満ちた姿勢を取らされていた。さらに喘ぐ口元に、千尋の高ぶった欲望を押し当てられる。
「お前たち父子は、人でなしだ」
 屈辱感は、厄介な官能を高める媚薬になる。和彦は悔し紛れに毒づきはしたものの、与えられるものは拒まなかった。悔しいが、愛しいのだ。
 ゆっくりと唇を開き、千尋の欲望を口腔に受け入れる。柔らかく先端を吸引しただけで、千尋は苦しげに声を洩らした。括れを唇で締め付けながら、感じやすい先端を執拗に舌先で苛めてやる。好き勝手されているささやかな報復のためだが、千尋の欲望は瞬く間に硬く、大きく膨らんでいく。
「んっ……」
 和彦の頭を片手で抱え、髪を掻き乱すようにして、千尋が腰を動かす。口腔の粘膜を使って欲望を包み込み、たっぷり甘やかしてやると、震える吐息をこぼして千尋が呟いた。
「すげっ……、腰、溶けそう」
「――先生は、ここが溶けそうになっているがな」
 これは、賢吾の言葉だ。内奥にしっかりと埋め込んだ指を巧みに蠢かし、肉を蕩けさせていく。もう片方の手には柔らかな膨らみを揉みしだかれ、口腔に千尋の欲望を含んだまま、和彦は浅ましく腰を揺らす。獣じみた淫らな行為に及んでいるという背徳感は、和彦を性急に、快楽の縁へと追いやっていく。
 早くこんなことを終えてしまいたいと思う反面、自分はどこまで浅ましく淫らな生き物に成り果てていくのか、知りたいとも思ってしまう。
「んっ、ふうっ」
 反り返って震える和彦の欲望が、再び熱い感触に包み込まれる。賢吾の口腔に呑み込まれたのだと、見なくてもわかった。
 荒く息を吐き出した千尋に頭を抱え込まれるようにして、口腔深くに欲望を押し込まれる。迸り出た精を喉で受け止め、そのまま嚥下した瞬間、ゾクゾクするような疼きが体の中を駆け巡り、和彦もまた、賢吾の口腔で果てていた。
 呆然とする和彦を、賢吾は容赦なく引っ張り起こし、半ば強引に口腔に欲望を押し込んできた。ひどい男だと心の中で詰りながらも、和彦は懸命に、今度は賢吾の欲望に奉仕する。
 喉につくほど深く呑み込み、口腔全体で締め付けるように刺激を与えてやると、和彦の献身を褒めるように賢吾が髪を撫でてくる。口腔から出し入れしながら舌を絡め、ときおり先端に唇を押し当て、優しく吸い上げてから、舌先でくすぐる。そしてまた、口腔深くまで呑み込む。
 賢吾への口淫は時間をかけて行う。若くて精力溢れる千尋とは違い、賢吾は欲情をコントロールできるのだ。暴走することなく、じっくりと和彦の愛撫を堪能する。
 和彦は、頭上から降り注ぐ愉悦を含んだ視線には気づいていたが、顔を上げるつもりはなかった。これ以上、賢吾を楽しませるのは、正直癪に障る。だが、賢吾のほうが上手だし、何より強引だった。
 和彦は前髪を掴まれ、やむなく顔を上げる。大蛇が潜んだ賢吾の目には、欲情による熱が宿っていた。その目に見つめられながら和彦は、口腔で賢吾の精を受け止め、ゆっくりと喉を鳴らして飲み干す。
「――いやらしいオンナだな、先生」
 魅力的なバリトンでそう囁いた賢吾が、和彦の濡れた唇を指先で拭った。









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