と束縛と


- 第33話(4) -


 和彦がようやく目を覚ましたのは、午前十時を少し過ぎた頃だった。
 全身の力を奪い取られたようなひどい脱力感と腰に残る疼痛に、昨夜の出来事が本当にわが身に起こったのだと実感し、しばし呆然としてしまう。
 空恐ろしさと不安、強い羞恥といった感情にたっぷり苛まれていたが、いつまでも布団の中にいるわけにもいかず、苦労して布団から出て、なんとか着替えを済ませる。このとき気づいたが、誰かが丁寧に後始末をしてくれたらしく、行為のあと特有の肌に残る不快さはまったくなかった。それでも体の奥には、まだしっかりと、長嶺の男たちの残滓が感じられる。
 守光に言われた言葉を思い返し、なぜだか胸の奥が疼いた。そんな自分の反応に、和彦は戸惑う。まるで、あの行為を喜んでいるようだと思ったからだ。
 しかし、今はあれこれ考えるには、気力も体力もあまりに足りない。
 深くため息をついてから、覚悟を決めて襖を開ける。隣の部屋を覗いてみたが、そこには誰の姿もなかった。
 座卓に歩み寄ると、メモ用紙が置いてあり、そこに千尋の字で、賢吾とともに挨拶回りに行ってくると書かれていた。『ゆっくり休んで』という一言も添えられており、和彦としては苦笑を洩らすしかない。
 ふらつく足取りで窓に歩み寄り、外の景色を眺める。
 強い陽射しが降り注ぐ砂浜に人の姿はなく、海は穏やかだ。一昨日、海で泳いで楽しんだばかりだというのに、もう遠い日の出来事のように感じられる。一足先に、自分の中で夏が終わってしまったかのようだ。
 ぼんやりしていた和彦だが、微かに携帯電話の着信音が聞こえて我に返る。自分の携帯電話だと気づき、反射的に室内を見回してから、慌てて隣の寝室に戻る。電話の相手は中嶋だった。
『もしかして、まだお休みでしたか?』
「いや、起きたところだ」
『それはよかった。実は長嶺組長から、先生のお世話を頼まれたんです。本来なら三田村さんの役目なんでしょうけど、長嶺組長たちと一緒に出られたので、それで俺に』
 内心、中嶋でよかったと安堵していた。ふらふらになっている自分の姿を、あまり三田村には晒したくなかったのだ。あらゆる痴態を見られてきたとはいえ、昨夜の〈あれ〉は特別だ。
『先生、お腹は空いてませんか? 朝食をとってないでしょう』
「お腹……」
 和彦は、自分の腹に手を当てる。空腹なような気もするが、胸がいっぱいで、食べ物が喉を通る気がしない。微妙な状態を中嶋に伝えられる自信がなくて、曖昧に答える。
「食べたいような気もするが、実際目の前に食事が並ぶと、食べられないかもしれない」
『だったら、軽いものがいいですね。宿に頼んで、何か準備してもらいます。部屋で待っていてください』
 中嶋は今日も甲斐甲斐しい。礼を言って電話を切った和彦は再び隣の部屋に行き、一度は座椅子に腰掛けたが、昨夜の光景がどうしても蘇って落ち着かない。
 自分の体が自分のものではないような、奇妙な感覚に襲われる。なんとなく自分のてのひらを見つめていると、奇妙な感覚の正体がわかるようだ。
 これまで、長嶺の男たちに所有されているという意識はあったが、昨夜のあの行為のおかげで、それは生ぬるい表現だと痛感した。この体に、長嶺の男たちの〈血〉が流し込まれたのだ。所有欲と独占欲、支配欲というドロドロとした〈血〉が。
 そんなものを流し込まれたこの体は、自分のものでありながら、すべてが自分のものというわけではない――。
 あの男たちは、どこまで求めてくるのだろうかと考えて、和彦は身を震わせる。厄介な疼きを伴った悪寒に襲われていた。
 居たたまれない気分となり、結局また立ち上がり、窓に近づく。気分転換に散歩に出たいところだが、さすがにまだ足元が覚束ない。何より、湯を浴びて体を洗うのが先だろう。
 熱を帯びたため息をついた次の瞬間、和彦は体を強張らせる。いつの間にか背後に、人が立っていることに気づいたからだ。
 瞬間的に脳裏を過ったのは、長嶺の男たちを狙う侵入者の存在だった。しかし、そうではないとすぐに察する。同時に、自分の迂闊さを心の中で罵っていた。
 もっと早くに違和感に気づくべきだったのだ。守光の側近である男の姿を、昨日から見かけていないことに。それがいかに不自然であることか。
「――少し日に焼けたか、先生?」
 耳のすぐ後ろから囁きかけられ、総毛立つ。うなじに柔らかな感触が押し当てられ、不快さに呻き声を洩らす。和彦は身を捩ろうとしたが、背後から悠然と抱き竦められて、それだけで動けなくなった。逞しい腕の感触に、耳にかかる荒い息遣い、背で感じる大きな体躯は、和彦にとって嫌悪の象徴そのものだ。同時に、淫らな記憶も刺激される。
「あんたの、いかにも清潔そうなきれいなうなじは、こうして日焼けすると、色気が増すな。そう思っているのは、俺だけじゃないだろ。鬱血の跡が残っている。昨夜誰かが吸い付いたんだな」
 そんなことを言いながら、うなじをベロリと舐め上げられる。さらに首筋にも唇が這わされ、耳朶に軽く歯が立てられていた。足元がふらつき、堪らず和彦は窓に手を突く。
「髪はもう少し短くして、しっかりと耳を出したらどうだ。着物がもっと映える。あんたが自分で思っているより、あんたは着物が似合う。もっと着てほしい。色男がきちんとした格好をしているのは、見ていて気持ちいいしな」
 勝手なことを言う男の片手が、ポロシャツの上から和彦の体を撫で回してくる。昨夜、三人もの男たちに愛された体はまだ脆いままで、容易に肌がざわつく。ただ、この男は違うと、けたたましい警告音が頭の中で鳴り響くのだ。
「やめてください、南郷さんっ……」
 ようやく和彦が声を発すると、耳元で笑った気配がした。
「ヤりすぎて、ふらふらになっているあんたは、目の毒だ。今朝、宿を出て行った長嶺の男たちは、対照的に精力が漲って、溌剌としていたがな。あんたを抱くと、何かしらありがたい効能があるのかもな」
「……バカバカしい……」
 吐き捨てるように応じて、南郷の腕の中から抜け出そうとしたが、それを許すほど甘い男ではない。肩を掴まれて体の向きを変えられていた。威圧的に南郷に迫られて後ずさろうとしたが、背に窓ガラスが触れる。
 和彦の弱々しい抵抗を嘲笑うように、南郷は無遠慮な手つきでポロシャツの裾をたくし上げ、脇腹を撫で上げてくる。不快さばかりを訴える感触に、和彦は懸命に南郷を睨みつけるが、歯を剥き出すようにして笑いかけられ、反射的に目を逸らす。南郷の笑みは、まさに威嚇だった。
 大きなてのひらが思わせぶりな動きで這い上がり、胸元をまさぐってくる。首筋に唇が押し当てられ、柔らかく歯が立てられたとき、和彦の足元から完全に力が抜けて崩れ込みそうになったが、逞しい片腕に支えられる。
「い、やだ……」
 南郷の顔が眼前に迫り、拒絶の言葉を発した和彦だが、もちろん聞き入れられることはない。
 まず下唇に吸い付かれた。強引に舌先が歯列に擦りつけられ、和彦が喉の奥から声を洩らしたときには、荒々しく上唇を吸われ、そのまま唇を塞がれていた。まさに和彦を食らわんとするかのように、南郷の口づけは激しかった。
 これは暴力だと、勢いに圧された和彦はきつく目を閉じながら思う。
 昨夜、三人もの男たちに愛された体に触れ、貪ることに一切の抵抗はないらしく、和彦の口腔を舐め回し、唾液を啜った挙げ句、舌を搦め捕ってくる。反発心を根こそぎ奪うような口づけに、簡単に和彦はねじ伏せられていた。
「――早く俺を満足させてくれないと、いつまでも続けるぞ。今のあんたなら、どれだけ唇を腫らしていようが、誰も不審には思わない。長嶺の男たちの寵愛を一身に受けたなら仕方ないと、みんな納得する」
 嘲笑を含んだ囁きのあと、唇を舐められる。和彦は南郷を見ないよう視線を伏せたまま、南郷と舌先を触れ合わせていた。
「んっ……」
 寸前までの荒々しさなど忘れたように、一転して南郷の口づけが優しくなる。焦らすように舌先を擦りつけられ、唾液が交じり合う。
 淫靡な濡れた音を楽しむように大胆に舌を舐められ、吸われているうちに、和彦の息遣いが弾む。そんな和彦の体を窓ガラスに押さえつけ、南郷は両手を駆使して体をまさぐってくる。その手の動きに意識を奪われているうちに、口腔深くにまで分厚い舌が押し込まれていた。
 見境のなくなっている体は、口づけで感じ始めていた。あと一押しでその状況を許容しそうになった和彦だが、微かな物音を聞いてハッと視線を上げる。大きな南郷の体で見えないが、誰かが部屋に入ってきたのだ。
 和彦が肩を殴りつけても、南郷は最初無視しようとしたが、睨みつけると、ようやく唇を離した。
「どうした、先生?」
 わざとらしい、と和彦は心の中で詰った。南郷ほどの男が、第三者の気配に気づかないはずがない。だからこそ悠然としている。
 和彦は南郷の腕の中から逃れようとしたが、まるで頑丈な檻のようにびくともしない。
「離してくださいっ」
 軽く揉み合っているうちに、ようやく部屋の出入り口を見ることができる。立っていたのは中嶋だった。この瞬間、和彦の頭に一気に血がのぼる。気がついたときには、南郷の頬を平手で打っていた。
 打たれた南郷は平然としていたが、打った当人である和彦と、傍で見ていた中嶋は顔を強張らせる。
「カッとしたときのあんたは艶やかだな」
 自分の頬を撫でて、そう言って南郷は笑った。機嫌を損ねた様子はないが、物騒な男たちの表情ほど信用できないものはない。
「……すみません。殴るつもりは――」
「謝らなくていい。大事なオンナの機嫌を損ねた俺の失態だ」
 部屋を出て行こうとした南郷が、視線を伏せ気味にして立ち尽くす中嶋に声をかけた。
「中嶋、先生の世話を頼んだぞ」
 中嶋は短く応じて頭を下げる。南郷は最後に和彦を一瞥したが、このときどういう意味か、唇の端に笑みらしきものを浮かべていた。
 部屋に中嶋と二人きりとなると、和彦はズルズルとその場に座り込む。慌てて中嶋が駆け寄ってきた。
「先生、大丈夫ですかっ?」
 傍らに膝をついた中嶋に顔を覗き込まれそうになり、咄嗟に顔を背けた和彦は唇を拭う。
 中嶋に、南郷との口づけを見られたことが、自分でも意外なほどショックだった。
「先生……」
 遠慮がちに中嶋の手が肩にかかり、そっとさすられる。和彦はぎこちなく息を吐き出すと、おずおずと中嶋を見た。
「さっきのこと……、誰にも言わないでくれ。特に、三田村には」
 中嶋は一瞬だけ痛ましげな顔となる。
「言いませんよ。――俺は何も見ませんでした」
 小さな声で礼を言った和彦は、そのままうなだれる。さきほどの出来事について、まだ自分の中で処理しきれないのだ。中嶋は、和彦の髪を手櫛で整えながら、こう提案してきた。
「食事の準備がもうすぐできるそうですが、その前に風呂に入りましょう。さっぱりしますよ」
 今の自分に一番必要なのはそれだと、これ以上なく納得した和彦はコクリと頷いた。


 たった一人の無礼な男を除いて、和彦に対する配慮が行き渡っていたようで、宿を発つ時間になるまで、部屋には誰も入ってこなかった。そのため、長嶺の男たちが挨拶回りからいつ戻ってきたのかも、知らなかった。
 入浴を済ませてから食事をとったあと、窓辺に置かれた籐の寝椅子に身を預け、漫然と海を眺めていくうちに、いくらか和彦の精神状態も落ち着きを取り戻した。
 ただ、肉体的な疲労はまだ残っている。とにかく、動きたくなかった。
「……ぼくだけ置いていってくれてもいい」
 寝椅子に寝そべったまま和彦が言うと、スーツ姿の千尋が苦笑いを浮かべる。
「そんなこと、オヤジたちが許すと思う?」
「思わないけど、言ってみただけだ。……動きたくない。体がだるいんだ」
「ごめん。俺たちのせいだよね」
「そうだ。だから、謝るぐらいなら、ぼくを置いていってくれ。あとは勝手にする」
「――珍しいな。先生が千尋相手にわがままか」
 二人の会話に割って入ってきたバリトンの響きに、さすがに和彦もわずかに頭を上げる。
 千尋と同じくスーツ姿の賢吾が薄い笑みを向けてきたが、つい視線を逸らす。
「わがままじゃない。正当な主張だ」
「まあ確かに、今回の旅行は先生に負担ばかりかけたな。できることなら望みも叶えてやりたいが……、我慢して車に乗ってくれ。悪いようにはしない」
 傍らに立った賢吾が片手を差し出してきたので、渋々その手を掴んで起こしてもらう。
 組員によって荷物はまとめられ、和彦自身はジャケットを羽織るだけの身支度で部屋を出た。
 和彦に合わせてゆっくりとした歩調で歩きながら、千尋がちらちらとこちらを見る。最初は気にしていなかった和彦だが、熱っぽい眼差しを向けられるに至り、我慢できなくなった。エレベーターを降りたところで、小声で問い詰める。
「お前……、さっきからなんだ」
「えっ、いや……、さっきの駄々こねてる先生、可愛かったなって」
 和彦は、千尋が履いている上等な革靴を遠慮なく踏みつける。痛がりながらも、どこか楽しげな千尋は、さりげなく和彦の耳元に顔を寄せてきた。
「昨夜、すごかったね」
「お前、こんなところでっ――」
「俺たちと先生で、盃の契りを交わしたんだと思ったら、嬉しくてさ」
「……ぼくには、よくわからない」
 先を歩く賢吾が肩越しにこちらを振り返る。
「先生は、俺たちの特別な人ってこと。いままでもそうだったけどさ、昨夜のあれは――組織として公言したことになる。先生は、俺たちの盃を受け入れた。組織としてだけじゃなく、長嶺の家の一員だってこと」
「あれで?」
「先生に血を流させるのは偲びない、というのが、俺たちの共通認識だったんだ。だから、汗と唾液と精え――」
 もう一度千尋の革靴を踏みつけて、和彦は必死に睨みつける。きょとんとした顔をしたあと、千尋は実に締まりのない表情となった。
「上品だなー、先生」
「違う。ささやかだが、恥じらいがあるだけだ」
 そんなことを言い合いながら駐車場に向かう。和彦は当然、行き同様、千尋と同じ車に同乗するつもりだったが、案内されたのは別の車だった。しかも車の傍らに待機しているのは、三田村だ。
「どうして……」
 和彦はその場で問いかけようとしたが、三田村は無表情のまま後部座席のドアを開け、車に乗るよう示す。困惑しながら周囲を見回すと、ちょうど車に乗り込もうとしている賢吾と目が合い、軽く片手をあげて寄越された。次に、こちらを見ている南郷の姿に気づく。和彦は、露骨に南郷を無視して車に乗った。
 賢吾の意図は、理解したつもりだ。疲れきっている和彦のために、三田村との二人きりの空間を用意してくれたのだろう。他の組員が同乗していないため、車中でいくらでも寛ぐことができると考えたのかもしれないが、和彦としては、心中はいささか複雑だった。
 昨夜、長嶺の男たち三人を受け入れたばかりの体を、三田村が運転する車の中で休めるというのは、考えようによっては残酷だ。気遣いばかりではなく、賢吾としては、和彦の所有権をこんな形で示そうとした――というのは、勘繰りすぎかもしれない。
 なんと三田村に話しかけようかと考えているうちに、車が一台ずつ駐車場を出て行き、その車列に三田村が運転する車も加わる。
「――中嶋に言われて気づいたんだ」
 ふいに三田村が話し始める。
「えっ」
 和彦が目を丸くしてシートから体を起こすと、正面を向いたまま三田村が微かに首を横に振る。
「すまない。邪魔なら、黙っている」
「いやっ……、邪魔なんて。大丈夫だから、続けてくれ」
 普段、三田村と会うどころか、話す機会すらなくなっている。こんなときだからこそ、ハスキーな優しい声をたっぷり鼓膜に染み込ませておきたかった。
「せっかく海に来たのに、写真を一枚も撮ってない。普段から、きれいな風景とか無縁な生活を送っているから、いざとなると思いつかないものだな」
「言われてみれば、ぼくも撮ってないな。彼は、何か撮ったと言っていたか?」
 ここで少し不自然な間が空く。
「……先生の水着姿を……」
「それは、からかわれたんだっ。言っておくが、撮らせてないからな」
「だと思った」
「あんたのことだから、まじめな顔で聞いてたんだろ」
「どうだろう」
 答えた三田村の声は、わずかに笑いを含んでいる。和彦も、二人の会話の様子を想像しておかしくなってきて、声を洩らして笑っていた。
 三田村と他愛ない会話を交わしているうちに、車は高速に乗り、しばらく走り続けたところでサービスエリアが見えてくる。先を走る長嶺組や総和会の車は寄っていくようだが、三田村が運転する車は通り過ぎてしまう。
 どういうことなのか状況が呑み込めず戸惑っていると、和彦の携帯電話が鳴った。賢吾からだ。
『連れ回した詫びというわけじゃないが、先生は明後日まで、三田村と過ごせ』
 電話の向こうからの賢吾の言葉に、和彦は喜ぶよりも先に疑問を抱く。
「突然なのはいつものことだが、それは、あんたの独断か?」
『いや、オヤジの提案だ。先生を離したがらない男が一体どういう風の吹き回しかと、俺も思ったぐらいだ』
 賢吾の声にわずかに皮肉の響きが加わる。
『理由を聞くと、ウソか本当かわからないが、古い友人と突然会うことになったらしい。その準備でバタバタして落ち着かないから、だったらその間、先生に本当の盆休みを取らせようと思ったそうだ』
「古い、友人……」
『自分が一応病み上がりだということは、すっかり忘れているようだ。俺より精力的かもしれん』
 昨夜の行為が蘇りそうになり、必死に頭から追い払う。
『ここのところ、長嶺の男たちで先生を独占していたからな。昨夜のこともあるから、先生もゆっくりと休みたいだろう。だったら、信頼できる男に預けるしかないというわけだ』
 礼を言うのも変なので、わかった、とだけ答えて電話を切る。
 突然、三田村と明後日まで一緒に過ごせと言われ、嬉しくないはずがないのだが、状況の変化に頭が追いつかない。
 バックミラー越しに一瞬だけ三田村と目が合った。
「組長からの説明、聞いたか?」
「あくまで総和会の事情、と」
「……結局また、ぼくのことであんたを振り回しているな」
「先生が気に病む必要はない。そもそも、先生を振り回しているのは、俺たちの都合なんだから」
「それでも……、あんたみたいな男が、ぼくのお守りみたいな仕事――」
「仕事じゃない」
 珍しく厳しい口調で三田村が言い切る。驚いた和彦に対して、いくらか動揺した様子で三田村が続けた。
「仕事として命じられてはいるし、先生を守るのは義務だとも思っているが、先生と一緒に過ごせることを、仕事だとは思っていない。俺がそうしたいんだ。何より、喜びも幸せも感じている。どんなときよりも」
 甘い囁きというには、あまりに朴訥とした口調だが、それが三田村の優しさと誠実さを何よりも物語っているようで、和彦の心は溶かされる。
「――……わかっているつもりだったけど、やっぱり若頭補佐は、ぼくに甘い。甘すぎる」
「嫌か、先生?」
「嫌というより、怖い。ぼくがどんどん、もっと甘やかせとあんたにせがみそうで」
「そうなった先生を、見てみたいものだな」
「実際そうなると、ぼくなんてさっさと放り出したくなるかもしれないぞ」
 冗談めかしたやり取りだったが、三田村はこのときだけは真剣な声で短く応じた。
「――それは絶対に、ない」


 外で夕食を済ませ、簡単な買い物を済ませて三田村が借りている部屋に着いたとき、辺りは薄闇に覆われようとしていた。室内にこもった熱気を嫌って、すぐに三田村がエアコンを入れる。
 和彦は、買ってきたミネラルウォーターやアルコール類を冷蔵庫に仕舞おうとしたが、ジャケットを脱ぎながら三田村が慌ててやってきて、和彦の手から缶ビールを取り上げた。
「先生は何もしなくていい。疲れてるんだから、座っていてくれ」
「それなら、あんただってずっと運転していただろ」
「俺は平気だから」
 肩に手を置かれ、顔を覗き込まれて言われると、これ以上何も言えない。引かれたイスに腰掛けて、三田村の行動を見守る。
 前回、この部屋を訪れたときは、梅雨時だった。時間を惜しむように、部屋に入るなり抱き合い、もつれ合いながらベッドに倒れ込み、体を重ねた。会話らしい会話も、あまり交わさなかった気がする。せっかく三田村が借りてくれている部屋だが、本来の、寛ぐための目的として利用したことは、あまりないかもしれない。
 それもこれも、和彦の立場が複雑になってきたためだ。
 胸の奥で、三田村に対する罪悪感がチクリと痛みを発する。微かに顔をしかめた和彦は、三田村に悟られるのを避けるように、顔を背ける。そこでやっと、部屋の変化に気づいた。
「カーテン、替えたのか……」
 和彦がぽつりと洩らすと、冷蔵庫の前で腰を屈めていた三田村が振り返る。
「少しは夏らしいものにしようかと思って。自分の部屋なら、何年同じカーテンだろうが気にもならないのに、不思議なものだな。この部屋だと、細かなことが気になる。もっとも、俺が選んだものだから、合ってないかもしれないが」
「そんなことない。涼しげで、いい感じだ」
 淡い青色のカーテンを眺めつつ、和彦は笑みをこぼす。ここで大事な用を思い出し、携帯電話を手に取る。三田村の部屋に着いたと、簡潔な文章を打ち込んでから、賢吾に送信する。この部屋にいて、三田村と二人きりになった時点で、電話とはいえ、賢吾と直接話したくなかった。強烈すぎる昨夜の出来事に、意識を引き戻されたくない。
 携帯電話を置くと、三田村はまだこちらに背を向けたままだった。お互い、気をつかい合っていると気配で察してはいるが、あえて口には出さない。
 和彦は勢いよく立ち上がると、バッグの中を探る。
「三田村、先にシャワーを使っていいか? 早く楽な格好になりたい」
「ああ。だったら、ベッドの下のボックスに新しいパジャマを入れてあるから、着てくれ」
「……もしかして、あんたとお揃いとか」
 三田村は背を向けたまま答えてはくれなかった。
 くっくと笑い声を洩らしながら、和彦は言われた通りに新品のパジャマと下着を抱えてバスルームに向かう。
 昼前に宿で入浴を済ませ、そのあと特に汗をかくようなこともなかったので、再びの入浴は必要ないのだが、気持ちの問題として、宿から引きずっているものをすべて洗い流してしまいたかった。
 ぬるめの湯を頭の先から浴びながら、自分が少しずつリラックスしてきているのがわかった。和彦は吐息を洩らし、顔を仰向けたまま目を閉じる。すると、背後で扉が開く音がして、背後から抱き締められた。ぴったりと重なった肌の感触は熱い。
 肩に唇が押し当てられ、ゾクゾクするような心地よさが全身を駆け抜ける。
「今日は、体を見られたくなかったんだ」
 前に回された腕を撫でながら和彦が言うと、三田村は肩に強く吸い付いた。おそらく跡がついたはずだ。
「先生が何を気にしているかは、わかっているつもりだ。だけど俺は、それでも見たかったし、触れたかった」
 うなじをじっくりと舐め上げられて、微かに声を洩らす。今日、南郷の不躾な愛撫に晒された部分だが、それを知らないはずの三田村が、丁寧な愛撫を施してくれる。堪らず和彦は振り返り、三田村の頭を抱き寄せて、自分から唇を重ねる。
 貪るように唇を激しく吸い合い、浅ましく差し出した舌を卑猥に絡める。こぼれ出た唾液はあっという間にシャワーで流されてしまい、和彦は三田村を求めて口腔に舌を押し込んでいた。口腔内を余裕なく舐め回し、口づけで三田村の発情を促す。
 とにかく三田村が欲しくて、自分の体などどうなってもいいとすら思っていた。
 体の向きを変え、ようやく正面から抱き合える。触れた三田村の欲望は、すでに熱く硬くなっていた。一方の和彦は、昨夜、何度となく長嶺の男たちに精を搾り取られたせいか、熱を持ち始めてはいるものの、身を起こすまでには至っていない。
「無理しなくていい、先生」
 和彦が見せた焦燥に気づいたらしく、諭すように三田村が言う。
「今夜は、ただ先生を甘やかしたいんだ」
「でも――、これ、欲しい」
 水音にかき消されそうな声で囁き、和彦は三田村の両足の間に片手を這わせる。欲望を柔らかく握り締めると、ビクリと三田村の体が震えた。
「先生っ……」
 肩を掴まれて引き離される。いつになく手荒な三田村の行動に、和彦のほうが驚いてしまう。目を丸くすると、うろたえながら三田村がバスタブの縁を示した。
「体はまだ洗ってないんだろ? 俺に洗わせてほしい」
 頷いてバスタブの縁に腰掛けると、三田村はボディシャンプーを泡立て、優しい手つきで和彦の体を撫でていく。最初はくすぐったさに首をすくめていた和彦だが、片腕を取られててのひらを這わされているうちに、体から力が抜けていく。
 体中のあちこちに残る愛撫の痕跡を見ても、三田村は表情を変えなかった。ただ黙々と泡で隠していく。
 足の指の間まで洗ってもらったあと、今度はバスタブの縁に両手を突き、三田村のほうに腰を突き出す姿勢を取らされる。背から腰にかけて泡をなすりつけられてから、尻にてのひらが当てられる。
「三田村……」
 頼りない声で呼びかけると、すぐに優しい声が応じる。
「大丈夫。ひどいことはしない」
 三田村の言葉にウソはなく、尻の間をくすぐるように指が触れる。まだ疼痛を残している内奥の入り口を丁寧に泡とともに揉み解され、どうしても腰が揺れる。和彦は声を堪えるために必死に唇を噛んでいたが、それは長くはもたなかった。
 両足の間にさらに深く手が差し込まれて、柔らかな膨らみを揉みしだかれる。
「うあっ」
 両足から一気に力が抜け、へたり込みそうになったが、背後からしっかりと三田村に腰を抱え込まれて支えられていた。
 泡で滑るてのひらが、いつもとは違う感覚を与えてくる。丹念に撫でられ、揉まれ、指先で弱みをまさぐられているうちに、和彦は無意識のうちに細い声を洩らし、愛撫をねだるように三田村に腰をすり寄せる。
「三田、村……、それ、気持ちいい――……」
 三田村の中で欲情が暴走したのか、急に愛撫する手が荒々しさを増す。柔らかな膨らみをきつく揉み込まれて、和彦はビクビクと腰を震わせ、予期するものがあって必死に三田村の手を押し退けようとする。
「ダメだ、離してくれっ……」
「痛いか、先生?」
「違、う。そうじゃ、なくて――」
 三田村の愛撫が再び優しいものとなるが、それでも和彦を離さないという意思の強さは感じられた。
「うっ、うっ、ううっ」
 緩く身を起こしかけていた欲望の根元を、そっと擦られる。和彦が背をしならせて反応すると、ゆっくりと欲望を扱かれ、膝から崩れてしまう。三田村に支えられながらタイルの上に座らされたが、それでも愛撫の手が止まることはない。背後から三田村に抱えられ、両足を開いた姿勢を取らされていた。
「――先生」
 耳元に三田村の切なげな声を注ぎ込まれながら、柔らかな膨らみをてのひらに包み込まれる。もう、この愛撫を拒めなかった。
「三田村、出る、んだ……。もう、もたないっ……」
「出るって、何が?」
 問いながらも、三田村は答えがわかっているようだった。和彦の自制心を溶かすように、指先で弱みを攻めてくる。優しい男に淫らに苛まれ、次第に下腹部から力が抜けていく。最後の一押しとして、耳元でハスキーな声が唆してきた。
「かまわないから、出して――漏らしてみせてくれ、先生」
「嫌、だ……。恥ず、かしい」
「大丈夫」
 欲望の先端をくすぐるように弄られて、数瞬意識が飛んだ。我に返ったとき、和彦は鼻にかかった甘い呻き声とともに、シャワーのぬるま湯とは違うもので腰を濡らしていた。息を喘がせながら三田村の腕にすがりつくと、抱き寄せられて唇を吸われる。
 この行為で得られる感覚は独特だ。強い羞恥と屈辱感と同時に、被虐的な悦びが体の奥から溢れ出てきて、恍惚となってしまう。
 三田村も、和彦がどういう状態に陥ったのかわかったらしく、狂おしい抱擁のあと、興奮を抑えた手つきで体をきれいに洗ってくれた。ただ、かろうじて理性的に振舞えられたのはここまでで、抱きかかえられるようにしてバスルームを出ると、体を拭く余裕もなくそのままベッドまで行き、一緒に倒れ込む。
「んあっ……」
 和彦はいきなり両足を押し広げられ、三田村が中心に顔を埋める。中途半端な熱を保ったままの欲望を口腔に含まれたかと思うと、きつく吸引される。身悶えながら和彦は、三田村の濡れた髪に指を差し込む。痛いほどの愛撫をやめてほしいのか、続けてほしいのか、自分でもよくわからなくなっていた。
「あっ、あっ、三田村、そこ、も――」
 さきほどさんざん揉みしだかれた柔らかな膨らみにも、三田村の舌が這わされる。さらに、その奥にも――。
 いまだに熱を帯びている内奥の入り口を舌先でくすぐられ、和彦は喉を反らして尾を引く喘ぎをこぼす。三人の男たちによって広げられ、擦られた部分を、今は自分の〈オトコ〉が舐めているのだ。罪悪感は、倒錯した興奮と高揚感へと姿を変え、和彦を惑乱させる。
「はっ、あぁっ、うっ、うっ、い、い――。あうっ、うぅ……」
 内奥の入り口をひくつかせて、放埓に悦びの声を上げていると、三田村の舌先がわずかに侵入してくる。必死に締め付け、もっと深い場所での愛撫を欲しがるが、三田村はそれ以上の行為に及ぼうとはしない。自分の体を気遣ってのことだと和彦は理解しているのだが、体は確かな熱で穿たれたがっていた。
「三田村、いいから、中にっ……」
 浅ましく求めるが、三田村は小さく首を横に振り、わずかに身を起こした和彦の欲望をじっくりと舐め始める。先端から滲み出るものがあったのか、唇が寄せられ、そっと吸われる。歯列を軽く擦りつけられて刺激されながら、柔らかな膨らみをやや乱暴に揉まれているうちに、穏やかな快感の波にさらわれていた。
 ようやく顔を上げた三田村に乱れた髪を掻き上げられ、額に唇が押し当てられる。和彦は深い吐息をこぼすと、三田村の背に両腕を回した。
「――いざとなると、あんたは激しい」
 甘さを含んだ口調でそう詰ると、耳元で三田村の息遣いが笑った。
 何度も唇を触れ合わせながら、抱き合う。背の虎を思う存分てのひらで撫で回した和彦は、三田村の両足の間に手を這わせる。
「先生、俺は――」
「さっき言っただろ。これ、欲しい、って」
 照れ隠しに三田村を軽く睨みつけてから、耳元に囁きかけて体の位置を入れ替えた。ベッドに仰向けとなった三田村の胸に顔を伏せ、湿った肌に舌先を這わせる。舌の動きに呼応して、三田村の筋肉がぐっと張り詰めた。
 大事なオトコの体を隈なく愛してやるつもりで、和彦は舌と唇を駆使する。いくつもの小さな鬱血の跡を散らしながら、少しずつ頭の位置を下げていき、下腹部に唇を押し当てたとき、三田村の欲望は逞しく反り返っていた。
 片手で扱きながら、先端に柔らかく吸い付く。低く呻き声を洩らした三田村が下腹部を強張らせた。和彦は、根元から欲望を舐め上げて、戯れに括れを舌先でくすぐる。その頃には先端には透明なしずくが滲み、三田村の強い視線を意識しながら舐め取り、先端を口腔に含んだ。
 掠れ気味の三田村の吐息に、和彦の背筋に痺れが駆け抜ける。自分が与えられるだけの快感を、この男に味わわせてやりたいと強く思う瞬間だった。
 喉につくほど深く欲望を呑み込み、しっとりと口腔の粘膜で包む。こうすると、三田村がどれほど興奮し、猛っているのかよくわかる。力強く脈打ち、大きくなっていくのだ。
「あまり、無理はしないでくれ」
 苦しげにそう言った三田村を上目遣いに見つめ、和彦は小さく首を横に振る。それすら刺激になったのか、三田村が唇を引き結んだ。
 頭を上下させ、口腔から欲望を出し入れする。舌を絡めるように動かすと、三田村の息遣いが切迫したものとなり、少し間を置いてから、和彦の頭に手がかかる。
「先生、もう――」
 和彦はもう一度、喉につくほど深く欲望を呑み込み、動きを止める。三田村の欲望が爆ぜ、迸り出た精はすべて喉に流し込む。ドクッ、ドクッと口腔で震える三田村の欲望は、それでも力を失うことはなく、和彦は嬉々として口淫を再開した。


 せっかく三田村が用意してくれた新しいパジャマだが、今夜は出番はないようだと、和彦は密かに笑みを洩らす。
「どうした?」
 和彦の肩の震えが伝わったのか、腕枕を提供してくれている三田村が耳元に唇を押し当て問いかけてくる。ついでとばかりに剥き出しの肩先をてのひらで撫でられた。
 ベッドの中でぴったりと裸の体を寄せ合っているというのに、それでもまだ相手の感触に飢えているようだった。
「パジャマ、今夜は着ないだろうなと思って」
 伏せていた胸元から顔を上げて和彦が答えると、三田村もちらりと笑った。和彦は、間近にある三田村の顔にてのひらを押し当てる。自分のオトコだと、心の中で繰り返し呟きながら。
 顔を寄せ、今夜何度目になるのかわからない口づけを交わす。舌を絡ませながら、片手を繋ぎ合っていると、それだけで満ち足りた気持ちになるのだが、それでもやっぱり、体の奥で三田村を感じたかったとも思ってしまう。
「……明後日まで、あんたとベッドの上だけで生活したい」
 和彦が洩らした冗談交じりの言葉に、まじめな顔で三田村が応じる。
「先生が望むなら」
「あんたがそう言うなら、本当に叶えてくれそうだな」
 顔を見合わせて笑ってから、それが自然なことのように抱き合う。欲しければ欲しいだけ与えられる口づけと抱擁に、和彦は夢心地だった。少し手を動かせば、いくらでも雄々しい虎を撫でることもできるのだ。
 三田村の温かさに浸りながら、ふと、昨夜自分の身に起きた出来事を思い返す。
 昨夜の今頃、長嶺の男たちと繋がり、快感によがり狂っていた。ただ、セックスをしたのではない。特別な儀式として、三人の男たちの精を体に受け入れたのだ。
 和彦が長嶺の男たちと〈盃を交わした〉と、三田村は知っているのだろうか――。
 聞きたい気もするが、三田村に心理的な負担を背負わせてしまう可能性を考えると、何も言わないほうがいいのだろう。
 和彦の一瞬の逡巡を感じ取ったのか、口づけとともに三田村にこう言われた。
「ここにいる間は、先生は難しいことは考えなくていい。――考えてほしくない」
「そうだな。せっかくの盆休みを、あんたのことだけを考えて過ごすか」
「いや、さすがにそこまでは……」
 三田村が本気でうろたえる姿に、和彦はクスクスと声を洩らして笑っていた。









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