と束縛と


- 第34話(2) -


 ひたすら慌しかった盆休みが終わり、和彦にとっての日常が訪れた。
 クリニックに出勤しているほうが人心地つけるというのも妙な話だが、盆休みの間、長嶺組や総和会の事情に振り回され、極道の空気というものを堪能した身としては、スタッフや患者たちに囲まれていると、身に溜まった〈毒〉が薄まっていく気がするのだ。
「毒、か――……」
 遠慮ない表現が自分でおかしくて、車の後部座席で笑いを噛み殺す。だがすぐに、あることを思い出し、今度は苦虫を噛み潰したような顔となってしまう。
 自分の中に何度となく注ぎ込まれている毒が、ドロリと蠢いたようだった。守光は〈血〉だと言ったが、きっと毒気を帯びている。
 こんなことを考えて暗澹たる気分になるのは、きっと気分転換をしていないせいだ。宿に泊まり、海で泳いだではないかと言われるかもしれないが、それでも気は抜けなかったのだ。身近に守光や賢吾がいるということは、心強い反面、息苦しさもある。
 これはわがままなのだろうかと思ったが、すぐに、これぐらいのわがままは許されてもいいではないかと、心の中で強弁する。
 とにかく、息抜きがしたかった。
 そう結論を出した和彦は、ふっと息を吐き出す。機微に聡い守光と向き合って夕食をとるのは、こういう心理状態のときには負担になる。心の奥底までさらわれているような気になるのだ。
 本部に帰宅した和彦は、出迎えてくれた吾川から思いがけないことを聞かされた。
「会長は今晩は、戻られないんですか……?」
「予定より会合が長引いたということで、現地で一泊されることにしたそうです。相手方は、長嶺会長とも旧知の仲で信頼のおける方ですし、何より、日が落ちてからの移動は、やむをえない事情以外では避けたいものです」
「……そうですか」
 車中で考えたこともあり、和彦の表情はつい複雑なものになる。
「本日は、佐伯先生に合わせて夕食もご用意させていただきますので、何か要望がございましたら――」
「だったら今晩は、外で食事を済ませたいのですが」
「外で、ですか?」
 表情をあまり変えない吾川だが、このときだけは目を丸くする。総和会本部では、できるだけ周囲の人間を困らせないよう心がけている和彦だが、守光が不在だと知り、衝動が抑え切れなくなっていた。気分転換の絶好の機会だと思ったのだ。
「少しお酒も飲みたいと思いまして」
「でしたら、佐伯先生のご希望のものを、運ばせます」
「いえ、ですから、ぼくは外で飲みたいんです……」
 和彦と吾川は、互いに困ったという表情を浮かべる。外で過ごしたい和彦と、本部内で過ごしてほしい吾川と、基本的な部分で希望が合致していないのだから仕方ない。
「なるべく佐伯先生の要望を尊重するようにと、長嶺会長から申しつかってはいるのですが……」
 独り言のようにそう呟いた吾川が、少々お待ちくださいと言い置いて、一旦部屋を出て行く。和彦はダイニングで所在なく立ち尽くしていたが、五分ほどして吾川は戻ってきた。よりによって南郷を伴って。
「――夜遊びをしたいそうだな、先生」
 身も蓋もない南郷の言葉に、和彦は顔をしかめる。吾川は、小声で南郷を窘めた。
「外食をしたいだけです。無理でしたら――」
「無理だ」
 きっぱりと断言した南郷は、和彦の驚きの表情を興味深そうに眺めたあと、もったいぶった口調で続けた。
「と言いたいところだが、夏バテ気味で弱っているあんたを、仕事以外は本部に閉じ込めておくというのも酷な話だ。オヤジさんからも、できる限りあんたのわがままは叶えてやれと言われている」
「わがまま……ですか」
「別の言い方をしていたかもしれないが、俺の耳にはこう聞こえた」
 好き勝手なことを言った南郷は、腕時計に視線を落とす。
「では、出発しようか。あんたの護衛兼遊び相手のもとに、これから送り届ける」
「えっ?」
「いるだろう。あんたのお気に入りの遊び相手が」
 南郷が誰のことを言っているのかすぐに察し、和彦は、あっ、と小さく声を上げた。


 助手席で身を捩るようにして背後を振り返った和彦は、そっとため息をつく。
「どうかしましたか?」
 ハンドルを握る中嶋の問いかけに、緩く頭を振る。
「いや、誰かついてきているんじゃないかと思って……」
「少し距離を置いて、うちの隊の人間がついてきていますよ、きっと」
 事も無げに言われ、和彦は目を見開いたあと、シートにぐったりと体を預ける。やはり出かけるのではなかったと後悔しかけたが、それでは、せっかく同行してくれている中嶋に申し訳ない。
「会長が泊まりで出ているというのに、どうして南郷さんが本部にいるんだ。側近と言われるぐらいだから、常に側にいるものじゃないのか」
 恨みがましいことを洩らすと、宿での出来事を思い出したのか、中嶋は軽く眉をひそめた。
「俺たちは、遊撃隊と名がついているだけあって、本来は自由に動いて、状況に応じて必要な任務にあたるのが役目です。会長には専従の護衛もいますから、そもそも南郷さんが常に会長についている必要もなかったはず。だから本当の目的は別にあったんじゃないかと言われています」
「別?」
「総和会の中での、南郷さんの存在をアピールするため、と。今の隊に入って、よくわかりますよ。会長は、南郷さんを特別扱いしています。お気に入りという表現では足りないぐらい。先生には申し訳ないですが、宿での、お二人のやり取りを見て、俺は実感しましたよ。会長にとって南郷さんは、本当に特別なんだと。あの南郷さんが、なんの考えもなく、先生にあんなことをするはずがありません」
 中嶋の言う通りだった。南郷は、守光から何かしらの許可を得たうえで、和彦に意図を持って触れているのだ。先日の二人がかりでの仕置きは、ある意味答えになっていると言えた。
 守光は、南郷と和彦を共有することさえ厭わないのではないか――。
 直視を避けていた可能性が、ふとした瞬間に眼前に突きつけられ、ゾッとする。当然こんな恐ろしいことを守光に確認はできなかった。
「先生、大丈夫ですか?」
 よほど顔が強張っていたのか、信号待ちで車が停まると、中嶋に顔を覗き込まれる。和彦は緩慢な動作で中嶋を見やり、いまさらなことを尋ねた。
「宿の件でのことで、南郷さんから何か言われなかったか? 君は事故に出くわしたようなものなのに、もし立場が悪くなったりしたら申し訳ない……」
「先生が心配するようなことはありませんよ。少なくとも俺は、こうして先生の遊び相手として呼ばれているわけですから。まあ、先生のご機嫌のために俺は必要と思われているんでしょう」
「……だとしたら、ぼくがわがままだと思われるのは、少しは利点があるということか」
 苦々しく呟いた和彦は、もう一度背後を振り返る。やはり、それらしい車を見つけることはできなかった。
「護衛がついてきているんだとしたら、店の中までついてくるんだろうな……」
「どこか行きたい店があるんですか?」
「そういうわけじゃないが、ただ……、ジャンクフードを食べたいと思って。本部の食事は美味しいし、健康的なんだけど、ぼくは基本的にいい加減な食生活だったから。昼の休憩時間に食べようにも、クリニックの近所にそういう店はないし」
「恋しくなったんですね」
 誰かに頼んで買ってもらえばいいのだろうが、和彦が本当に望むのは、気楽な食事なのだ。車を発進させた中嶋は少し考える素振りを見せ、こう切り出してきた。
「お酒も飲みたいんですよね」
「それは別に……。勢いで言ったようなものだ。でも飲めるなら、飲みたいな」
 相手が中嶋ということもあり、つい口も滑らかになる。中嶋は、ニヤリと笑った。
「――では、秦さんの家に行きますか。あそこは、長嶺組が管理している場所ですから、中に入ってくることはできませんよ」
 簡単に決めていいのかと戸惑ったが、中嶋の話では、秦はまた仕事で出張しており、家にはいないのだという。
「先生の利用は大歓迎だと言ってましたし、俺は鍵を預かってますから、なんの問題もありません」
「ずいぶん信用されているんだな」
「見られて困るものは、あの家には置いてないんですよ、あの人は。仕事関係のものは、長嶺組が管理しているようです」
 単なる恋人同士とは言いがたい中嶋と秦の関係を表現するなら、油断ならない、という言葉かもしれない。
 結局、中嶋の誘いに乗ることにする。人の目や耳を気にしなくていいというのは、今の和彦にとっては何よりありがたかったのだ。中嶋自身が総和会の、しかも南郷の隊の人間なのは無視できないことではあるのだが、警戒心よりも、いまさら、という気持ちのほうが上回っていた。
 秦の部屋に向かう道すがら、ファストフード店やスーパーに立ち寄って買い物を済ませる。その頃には和彦は、背後をついてきているという車の存在がさほど気にならなくなっていた。
 ビルに入った途端、ようやくささやかな開放感が訪れる。中嶋が携帯電話で、第二遊撃隊の誰かに現在地を告げているのを聞きながら、和彦はエントランスの外へと目を向ける。少なくとも、中の様子をうかがう人影は見えなかった。
「大丈夫ですよ、先生。行きましょうか」
 中嶋に呼ばれ、一緒にエレベーターに乗り込む。
「ここに来たことで、あとから君が総和会から何か言われたりしないか?」
 なんとなく不安になって尋ねると、中嶋は気遣わしげに軽く眉根を寄せた。
「なんだか先生、すっかり心配性になりましたね。俺のことは心配しなくても大丈夫ですよ。少なくとも先生のせいで、俺の立場が悪くなることはありませんから」
「……感覚がよく掴めないんだ。ぼくの言動が、周囲にどういう影響を与えるか。長嶺組とだけ関わっているときは、まだ平気だったんだ。だけど……」
「総和会――というより、長嶺会長と関わると、自分の存在の大きさがわからなくなりますか」
「実体や実力以上の影響力を得たようで、怖くなる。ぼくにその気がなくても、誰かを傷つけるかもしれない」
 エレベーターが最上階に到着し、先に降りた中嶋が慎重に辺りをうかがってから、こちらに向かって頷く。
 秦の部屋は、前回訪れたときからあまり様子は変わっていないように見えた。秦自身が、仕事で出張の多い生活を送っているせいもあるだろうが、中嶋が主に代わってきちんと管理しているのかもしれない。
「きれいなままだな」
「隣の部屋は覗かないでくださいね。秦さんが、雑貨の商品サンプルを溜め込んでいるんで」
 和彦は思わず噴き出してしまう。
「すっかり雑貨屋の経営者だな」
「こまごまとした商品を扱うと手間がかかると、よくぼやいていますよ。でも、利益はけっこう出しているようです。――どんな雑貨を扱っているんだか」
 中嶋から意味ありげな流し目を向けられ、和彦は苦笑で返す。
「ぼくは何も知らないからな。秘密主義の男たちが顔寄せ合って相談したんだろうから、探ろうという気にもならない」
「先生、隠し事に向かないタイプですから、それでいいかもしれませんね」
 いろいろと身に覚えがある和彦は、あえて返事は避けておく。
 中嶋を手伝い、買ってきたものをさっそく温め直したり、皿に盛り付けたりして、ラグの上に並べていく。
 ハンバーガーにかぶりつく和彦を、中嶋はいくぶん呆れた様子で眺めながら、フライドポテトを口に放り込む。
「こういうもので喜んでくれるなら、俺に言ってくれれば、いつでも買ってきて、配達しますよ」
「……会長の部屋で、ハンバーガーの匂いをプンプンさせている光景を想像できるか?」
 一瞬の間を置いて、中嶋が大仰に首を竦めた。
「考えただけで、首筋が冷たくなりました」
 そう言って中嶋は缶ビールを呷ったが、和彦はグラスに注いだワインを飲む。やはり、気楽な雰囲気の中で飲むアルコールは美味しい。すぐにグラスを空けてしまうと、すかさず中嶋がワイン瓶を傾けたので、遠慮なく注いでもらう。
 本部を出る直前の南郷とのやり取りを忘れ、いくらか楽しい気分になってきていたが、次の中嶋の言葉で、瞬く間に現実に引き戻された。
「――やっぱり先生、本部では長嶺会長の部屋で生活しているんですね」
「もちろん部屋は別々だけど、感覚としては、同じ家、だな。一応名目として、会長の健康管理のためということになっているし。もっとも本部では、あまり医者らしいことはしてないけど……」
 必要とされているのは、守光に尽くし、可愛がられる〈オンナ〉だ。
 口調に滲んだ苦々しさに気づいたのか、中嶋がぐいっと身を乗り出してくる。
「いろいろと溜め込んでいるようですね。海で泳いで、少しは気晴らしができていたように見えたんですが」
「連休が終わって、逃げられない現実を眼前に突きつけられている最中というか――。でも、君と海で泳いだのは楽しかった」
 食べたかったはずのハンバーガーなのに、半分も食べないうちに濃い味つけに辟易してしまう。水代わりにワインを喉に流し込み、思わずため息をついた次の瞬間、我に返った。慌てて中嶋に謝罪する。
「すまない。せっかくつき合ってもらっているのに、ため息なんて――……」
「だから先生は、気をつかいすぎなんですよ。ほら、どんどん飲んでください。動けなくなっても、帰りのことは心配しなくていいですから」
 それはそれで、総和会から中嶋が注意を受けるのではないかと思ったが、気をつかいすぎだと言われたばかりだということもあり、和彦は頷いてグラスにワインを注いでもらった。


 ラグの上に転がった和彦は、思いきり手足を伸ばして天井を見上げていた。アルコールが全身を駆け巡り、軽い酩酊感が心地いい。
「先生、水飲みますか?」
 片付けを終えた中嶋が傍らに膝を突き、真上から顔を覗き込んでくる。頷くと、肩を支えて起こされ、ペットボトルを渡される。冷たい水を一口、二口と飲んでからペットボトルを返すと、中嶋も口をつけた。
 和彦は髪を掻き上げ、壁にかかった時計にちらりと目をやる。
「……ここに泊まりたいな」
「俺としては、先生の要望はなんでも叶えてあげたいですけど、それは多分、許可が下りないと思いますよ。南郷さんが嫌がる」
 南郷の名が出た途端、意識しないまま眉をひそめる。中嶋は、和彦のささやかな変化を見逃さなかった。
 蓋を閉めたペットボトルをラグの上に転がしてから、声を潜めてこんな質問をしてきた。
「――先生は、南郷さんと寝ているんですか?」
 思考力が少し鈍くなっている中でも、こう問われたことは衝撃的だった。和彦は嫌悪感を隠そうともせず、即座に否定する。
「寝てないっ」
 慌てた様子で中嶋は頭を下げてきたが、それがかえって和彦の自己嫌悪を刺激する。力なく首を横に振り、言葉を続けた。
「宿であんな場面を見たら、そう考えられても仕方ないか。それに、南郷さんとはなんでもないと、正直言い切れない……。あの人はなんというか――、ぼくを辱めることを楽しんでいる印象だ」
「先生……」
 中嶋の手が気遣うように肩にかかるが、かまわず和彦は続ける。
「さんざん男と寝ていて、何を言っていると思うかもしれないが、あの人は、ぼくのプライドを傷つけてくる。佐伯和彦という人間じゃなく、長嶺の男たちのオンナに、おもしろ半分で興味があるんだ。触れられると、それがよくわかる。だからぼくは、南郷さんが苦手……、嫌いなんだ」
「先生、もういいですから。すみません。デリカシーのないことを聞いてしまって」
 中嶋に優しい手つきで頬を撫でられ、髪を梳かれる。心地よさにそっと目を細めた和彦だが、ふとあることが気になる。
「……ぼくが今言ったこと、南郷さんに言うんじゃ――」
「やっぱり心配性ですね。言いませんよ。なんでも南郷さんに報告していたら、先生の遊び相手にはなれません。俺は、先生の味方です」
「最後の台詞、秦がにっこり笑いながら言いそうだ」
「あの人も、先生には甘いですから。――みんな、先生が大好きだ」
 冗談っぽく中嶋に言われ、和彦は微妙な笑みを浮かべる。複数の男たちと体の関係を持っている自分のことを、自虐的に考えていた。
「聞きようによっては、痛烈な皮肉だな……」
「とんでもない。本当にそう思ってますよ。なんといっても、俺自身が先生のことが大好きですし」
 この瞬間、二人の間に流れる空気がふっと変わったのを、和彦は肌で感じていた。
 中嶋の顔が近づいてきて、ゆっくりと唇が重なってくる。今の口づけの意味はよくわからないが、なんとなく慰められているように感じ、それが不快ではなかった。
 和彦も口づけに応じ、唇を吸い合い、緩やかに舌を絡めていく。
 中嶋と触れ合うのは不思議な感覚だった。まだまだ未知の感覚をまさぐり、たぐり寄せて、触れた瞬間の心地よさに安堵し、次の瞬間には興奮を覚えていくのだ。
 和彦は、中嶋の中を知っており、中嶋もまた、和彦の中を知っている。敏感な部分の感触を確かめ合ったという信頼感が、官能を高める媚薬ともなる。そのことを、和彦は肌で実感していた。
 唇が離された途端、熱を帯びた吐息を洩らす。中嶋はじゃれてくるように、こめかみや頬に唇を這わせてきて、その感触に和彦は小さく声を洩らして笑う。
「どうしたんだ、急に」
 和彦の問いかけに、中嶋は一瞬だけ怜悧な表情となった。
「あの人――、南郷さんの中では先生は、みんなから過保護に守られて、愛されている、お姫様みたいな存在なんだと思います。暴力が嫌いで非力なのに、南郷さんを殴ったところも含めて、加虐的なものを刺激されるんじゃないでしょうか。きれいなものを汚したい衝動というか……」
「ぼくみたいな人間のことはむしろ、汚らわしいと感じるんじゃないか?」
「でも先生は、そう感じさせない。しなやかでしたたかで、凛としている。開き直っている部分もあるでしょうが、先生を大事にしている人たちが、先生を惨めで汚れた存在にしていない。それがまた、南郷さんの癇に障るのかもしれない。あるいは――」
 中嶋が意味深に和彦の目を覗き込んでくる。
「先生、南郷さんにプライドを傷つけられたというなら、ささやかですが、俺が癒す手伝いをしますよ」
 どういう意味かと和彦が首を傾げると、中嶋が抱きついてきて、二人一緒にラグの上に倒れ込む。驚いて軽くもがいた和彦だが、中嶋に真上から見下ろされて、意図を察した。
 自分でも意識しないまま皮肉っぽい笑みを浮かべ、自虐的とも言える発言をしていた。
「度胸があるな。ぼくは、南郷さんに目をつけられているうえに、何より、長嶺会長のオンナだぞ」
「人によっては大層な脅し文句になるでしょうけど、俺にとっては――煽り文句かもしれませんね」
 冴え冴えとした眼差しで中嶋は、和彦の体を眺める。明らかに、守光の〈オンナ〉を値踏みしている目だった。和彦は苦笑して、両手をラグの上に投げ出す。
「本当に怖いもの知らずだ、君は」
「――先日の法要のあと、噂というほど下世話なものではないのですが、それとなく情報が流れてきたんです。先生が、長嶺の三世代の男たちと〈盃〉を交わしたと」
 話しながら中嶋の手が、和彦の胸元へと這わされる。
「俺はてっきり、先生が文字通り盃をもらったんだと思ったんですが、翌日の様子を見て、事情を察しましたよ。ああ、この人は、三人の男たちに抱かれたんだって……。あの宿にいた誰もが俺のように、〈盃〉の意味を理解したはずです。先生は特別なオンナであると、周知させたかったんでしょうね。先生の立場上、堂々と文書を回すことができないので、あくまで伝聞として」
「特別なオンナ、か……。大層な響きだ」
 自虐的に和彦が洩らすと、再び中嶋が唇を重ねてくる。
「投げ遣りな態度は、先生に似合いませんよ」
 口づけの合間に中嶋に囁かれ、和彦はのろのろと両腕を動かす。ラグの上で中嶋と抱き合いながら、互いの体をまさぐる。中嶋にシャツのボタンを外されながら、和彦は、中嶋が着ているTシャツをたくし上げ、熱を帯びた肌に触れる。
 シャツの前を開いた中嶋がうっとりした様子で目を細め、和彦の胸元をてのひらで撫でてきた。
「総和会会長のオンナの体に、俺は触れているんですね。――先生の体は厄介だ。こうしていると、まるで自分が力を得たような錯覚に陥りますよ」
「……君もすっかり、総和会という組織に染まってきたな」
「というより、先生という人に、染まってきたのかもしれません」
 Tシャツを脱ぎ捨てた中嶋が覆い被さってきて、素肌同士が重なる。すでにもう条件反射になっているのか、和彦の中で、男としての本能がゾロリと蠢く。一方の中嶋も、今夜は〈女〉を感じさせない。野心家として、和彦に刺激されるものがあるのかもしれない。中嶋はあくまで、男のままだった。
「――俺は先生の遊び相手なんです。小難しい理屈は置いて、思いつくままに享楽に耽りましょう。この間の連休のときとは違って、今夜は三田村さんはいませんが」
 和彦は、中嶋の滑らかな背を両てのひらで撫でながら、掠れた声で呟いた。
「そのほうが、いい……。ぼくの淫奔ぶりを、呆れられなくて済む」
「先生が思っているより、みんな、先生のそんな部分をいとおしんでいますよ。――俺も」
 両足の間に中嶋がぐいっと腰を割り込ませてくる。布越しに欲望の高ぶりを感じ取り、和彦は声を洩らして笑ってしまう。
「君は本当に、遊び相手としても優秀だよ」
 二人は何も身につけていない姿となると、下肢を密着させ、欲望を擦りつけ合う。もどかしい刺激に、ラグに横たわった和彦は身をしならせ、中嶋が戯れに脇腹に指先を這わせてくる。
 和彦の欲望がゆっくりと熱くなってくると、中嶋が嬉々として握り締めてきたので、和彦も片手を伸ばし、中嶋の欲望に触れる。互いに緩やかに愛撫し合い、感度を高めていく。どちらの唇からも吐息がこぼれる頃になると、差し出した舌を絡め合っていた。
 体の位置を入れ替え、今度は和彦が、中嶋に覆い被さる格好となる。どこか千尋を思わせる、しなやかな筋肉の感触を指先でまさぐりながら、肌に唇を這わせる。中嶋の反応はわかりやすく、すぐに肌が紅潮し、熱を帯びてくる。
 触れないうちから硬く凝っている胸の突起を舌先で弄り、焦らすように軽く吸い上げてやる。もう片方の突起は、指先で強く摘み上げ、爪の先で苛めてみる。中嶋の息遣いが弾み、和彦の腰に両腕が回されて引き寄せられる。再び触れ合った欲望は、さきほどよりも熱く大きく育っていた。
「――先生」
 中嶋に呼ばれて顔を上げ、唇を吸い合う。お返しとばかりに中嶋の手が胸元に這わされて、やはり硬く凝っている突起を弄られる。
「こうやって君とずっとじゃれ合っているのも、楽しいかもしれない」
 ひそっと和彦が囁くと、中嶋が挑発的な眼差しで見つめてくる。
「ダメですよ。俺は先生の中に入りたいし、先生も、俺の中に入ってみたいでしょう。享楽に耽るなら、徹底してやらないと」
 さすがに和彦が返事に詰まると、裸のまま立ち上がった中嶋がベッドへと歩み寄り、ヘッドボードの引き出しから、何かを取り出して戻ってきた。ラグの上に置かれたものを見て、和彦は視線をさまよわせる。いまさら照れるのも変なのだろうが、これから行う行為をあからさまに示しているローションを前に、さすがに声が出なかった。
 中嶋が慣れた様子でローションをてのひらに垂らしてから、和彦の手を取る。てのひらを合わせ、指を絡め合うと、独特の滑りと湿った音が異様な欲情の高ぶりを呼び起こす。
「あっ」
 中嶋の手が欲望に伸び、ローションを塗り込めるように扱かれる。和彦は新鮮な感触にビクビクと震わせ、そんな和彦に興奮を覚えたのか、中嶋に唇を求められる。促されたわけではないが、和彦もおずおずと中嶋の欲望に触れ、自分がされているように扱く。
 ふざけ合いの延長のような前戯に小道具が加わり、和彦の戸惑いは中嶋によって巧みに溶かされていく。貪り合うような激しいセックスとは違う気楽さは、和彦が現在置かれている息も詰まるような緊張感から解放してくれてもいるようだった。
 元ホストだけあって、こういう手管にも長けているのだろうかと考えたりもしていたが、すぐにそんな余裕はなくなる。
 中嶋の手がさらに奥へと伸び、内奥の入り口をまさぐられた。和彦が微かに声を洩らすと、中嶋はうっすらと笑みを浮かべてから、再びてのひらにたっぷりのローションを垂らし、和彦の両足の間をまさぐってくる。中嶋の指の動きに呼応するように、淫靡な音が一際大きく響く。
 内奥に一本の指がヌルッと挿入されてくる。ローションのおかげでほとんど痛みはなく、馴染みのあるはずの異物感も驚くほどすんなりと体に馴染む。
 二本、三本と指を増やされていくに従い、自分の息遣いが妖しさを帯びてきたことに、和彦は気づいていた。反り返った欲望の先端からは透明なしずくが滴り落ち、中嶋が指先で掬い取りながら問いかけてくる。
「先生、どっちが先がいいですか?」
 その問いの意味を理解し、和彦はうろたえる。
「……君に、任せる」
「言ったでしょう。傷ついた先生のプライドを癒す手伝いをすると。そのためには、先生がまず選ばないと。自分がどうしたいのか」
 本当はプライドなどと大した話ではないのだ。ただ和彦は、南郷に嘲りを含んだ言動を取られるのが、たまらなく嫌なのだ。オンナなのだから、男に庇護される代わりに、男からのどんな嘲りも受け入れろと、言外に示されているようで。
 物騒な世界に引き入れられる以前、和彦にとって男と体を重ねることに、建前や価値など見出す必要はなかった。そうしたいから、しているだけで、それで心も体も満たされていた。誰にも迷惑をかけないのだから、誰も立ち入るなと、心の中で密やかに主張しながら。
 だが今の生活は、以前と同じことをしていながら、そこに建前と価値を見出されてしまう。まるで、オンナではない和彦に用はないと言わんばかりに。そう感じるのは、卑屈な心理の裏返しだ。
 南郷の言動の一つ一つが癇に障り、一方で怯えてしまうのは、そんな自分の卑屈さに気づかされるからだ。もちろん、南郷が振り撒く荒々しい空気が、純粋に怖いというのもあるが――。
 立場にふさわしく、もっと傲慢な人間になるべきなのだろうかと自問しながら、和彦は中嶋を見上げる。
「――先に君の中に入りたいな」
 うつ伏せになった中嶋に腰を上げてもらい、ローションを手に取った和彦は、さきほど自分がされたように、中嶋の内奥を潤し、解していく。深く指を突き入れると、興奮を物語るようにきつく収縮する。そこを押し広げるように掻き回すと、中嶋の腰が揺れ、低い呻き声が聞こえてきた。
 和彦は口元を緩めると、中嶋の腰に唇を押し当てる。
「反応がいい人間に触れていると、楽しいな」
「先生に褒められると、嬉しいですね……」
 妖しい滑りを帯びて充血している内奥の入り口がひくついている。和彦は、溢れるほどの量のローションを内奥に施すと、指を引き抜く。代わりに、これ以上なく熱くなった自分の欲望を押し当てた。
「ううっ」
 ゆっくりと力を入れて、先端を内奥に押し込む。熱く弾力のある肉が妖しく蠢きながら、和彦の欲望を包み込み、締め付けてきた。
「は、あぁっ――」
 深く息を吐き出して、一度目を閉じる。滑りを帯びた襞と粘膜が欲望にまとわりつき、吸い付いてくる。まるで奥へと誘い込もうとするかのように蠢き、和彦は衝動に従う。指では届かなかった深い部分へと欲望を侵入させ、淫らな肉を押し広げる。
「はあっ、あっ、あっ、い、い……」
 声を上げた中嶋が悩ましく背をしならせ、腰を揺する。和彦は唐突に、自分は今、この青年を犯しているのだと実感していた。
 欲望を内奥深くまで挿入すると、自分がいつも男たちにされているように、腰を撫で、胸元へと手を這わせて愛撫を与える。胸の突起を指先で擦り上げてやると、中嶋の内奥が痙攣したように蠕動を始める。
「……君とのセックスは、楽しいな」
 そう呟いた和彦は前屈みとなると、角度をつけて内奥を抉りながら、中嶋の汗に濡れた背に舌先を這わせる。
「うあぁっ、あっ、先、せっ……。ううっ、うくっ」
 両足の間に片手を這わせると、中嶋の欲望は、今にも破裂しそうなほど熱くなっていた。
「まだ、役目があるんだから、イッたらダメだ。その代わり、こっちを――」
 和彦は、中嶋の欲望をくすぐるように撫でてから、柔らかな膨らみをてのひらに包み込む。ビクリと中嶋の体が震え、間欠的に声を上げる。内奥を緩やかに突きながら、柔らかな膨らみを優しく揉みしだき、探り当てた弱みを指先で弄る。
 内奥が激しく蠢き、和彦の欲望を舐め上げるように刺激してくる。普段、自分もこんなふうに反応しているのだとしたら、男たちが執拗にこの部分を攻めてくるのもわかる気がした。
 中嶋の興奮を鎮めるため、柔らかな膨らみから手を離し、ビクビクと震えている内腿に指先を這わせてくすぐる。激しい律動は必要なかった。和彦は二度、三度と内奥から欲望を出し入れしたあと、ぐうっと奥深くへと押し入り、絶頂を迎える。
 精が注ぎ込まれていると感じたのか、中嶋の内奥が激しい収縮を繰り返し、まるで絞り上げるように和彦の欲望を咥え込む。
 腰から溶けてしまいそうな快感は数瞬のうちに去り、次に押し寄せてきたのは脱力感だった。和彦は大きく息を吐き出してから体を離すと、中嶋の隣に転がる。
 手足の指先にまで充足感が満ちていき、全身から汗が噴き出す。自分が主導して動くとやはり体の反応がいつもとは違う。これまでも中嶋とは体を重ねていたが、今夜は特別な気がした。
 中嶋がしどけなく髪を掻き上げて顔を上げ、熱っぽい眼差しを向けてくる。
「やみつきになりそうですよ。先生とのセックス。秦さんも三田村さんもいないから、本気を出しました?」
「君のほうこそ、いままでと反応が違った。本気でぼくに応えてくれたか?」
 ここで中嶋の目の色が変わり、しなやかな獣のような動きで身を起こし、和彦にのしかかってくる。
「――次は、俺の番ですね」
 力の抜けた両足を抱え上げ、中嶋が腰を密着させてくる。物欲しげにひくついている内奥の入り口に、欲望の先端が擦りつけられ、思わず和彦は喉を鳴らす。中嶋は一息に、内奥の深い場所までやってきた。
「んうっ……」
 和彦が仰け反ると、露わになった喉元を舐め上げられる。深く繋がったところで、貪るように唇と舌を吸い合い、汗とローションで濡れた肌をぴったりと重ねる。
「やっぱり、先生の中は気持ちいい。溶けそうですよ。熱くて、きつくて、柔らかくて。とても具合がいい」
「君の中も、そうだった」
 和彦の答えに、内奥で中嶋のものがドクンと脈打つ。小さく悦びの声を上げると、内奥深くを大きく一度だけ突き上げられ、今度は大きく喘ぎ声をこぼす。
 両足を大きく左右に広げられ、繋がっている部分を中嶋にじっくりと観察されながら、律動を繰り返される。
「はあっ、あっ、あっ……ん、んくぅっ、はっ、ああっ」
 中からの刺激によって、和彦の欲望は再び身を起こし、先端から透明なしずくを垂らしていた。
「いやらしいな、先生。さっき、俺の中でイッたばかりなのに」
 笑いを含んだ声でそう言った中嶋が、和彦の欲望を軽く扱く。反射的に上体を捩ろうとしたが、すかさず内奥を突かれ、痺れるような快感が腰から這い上がってくる。
 再び欲望を内奥深くまで埋め込んだ中嶋が、動きを止める。その代わり、ローションを手に取って体温で温めると、和彦の胸元や腹部へと施してきた。心地よさに吐息を洩らした和彦は、照れ隠しに呟く。
「あとで、新しいラグを買っておかないと……」
「共同責任ということで、あとで秦さんに謝っておきますよ」
 和彦は声を洩らして笑っていたが、中嶋が律動を再開し、すぐに尾を引く嬌声を上げる。中嶋に抱き締められ、両腕の中で滑る体を奔放に捩って乱れていると、ふいに、内奥から欲望が引き抜かれ、下腹部から胸元にかけて、中嶋の精が飛び散った。
「……さすがに、本部に帰る先生の中に、俺の精液を残すわけにはいきませんからね」
 息を乱しながらの中嶋の言葉に、納得せざるをえない。
「そんなことまで、頭が回ってなかった……」
 和彦が率直に告げると、中嶋がゾクゾクするほど挑発的な表情で応じた。
「そんなに、気持ちよかったですか?」
「気持ちよかった。自分が浅ましい人間なんだと実感させられた。……周りの男たちが大層な扱いをしてくれるから思い違いをしていた。ぼくは、オンナであろうがなかろうが、本来、こういう人間なんだ。プライドが傷ついたなんて発言は、おこがましかったな」
「先生は、自分を正しく客観視しようとしすぎですよ。誰も採点なんてしないんだから、気楽に」
 中嶋の発言に、正直驚いた。和彦は目を丸くしたあと、苦々しい顔となる。
「子供の頃からの癖だな。採点はされていた。――父親から」
 まるで慰めようとするかのように中嶋に頬を撫でられたが、ローションがついてしまい、思わず破顔する。
 唇を重ね、抱き合いながら、精がこびりついた下肢を密着させているうちに、中嶋を組み敷く格好となる。和彦は、高ぶった欲望をためらいもなく、潤んだ内奥に再び埋め込んだ。


 気だるさと、清々しさをまとった和彦が本部に戻ったとき、すでに日付は変わっていた。堂々の夜遊びだ。
 エレベーターを降り、ラウンジの前を通り過ぎようとして、ぎょっとする。誰もいないと思っていたが、ソファの背もたれの向こうで大きな影が動いたからだ。姿を見せたのは南郷だった。どうやら、ソファに深くもたれかかっていたらしい。
 和彦が全身の毛を逆立てる勢いで警戒すると、南郷は露骨に頭の先からつま先まで眺めてきた。そして、芝居がかった下卑た笑みを見せた。
「わかってはいるつもりだったが、あんたはやっぱり大したタマだ」
「……どういう意味ですか」
 和彦は、南郷から話しかけられたことに、不快さを隠そうともせず応じる。
「ほんの数日前に、あんたと三田村さんが熱い仲だという話をしたが、そのあんたが、今夜はあの中嶋と寝たのかと思ってな。三田村さんのことでムキになったあんたが、どんな気持ちで中嶋に抱かれていたのか、ぜひとも聞きたいもんだ」
「そんなことを言うために、ここで待っていたんですか。遊撃隊の隊長というのも、ずいぶん暇なんですね」
 冷ややかな眼差しとともに、ささやかな皮肉を返す。さすがに南郷は、少なくとも表立っては気を悪くした素振りすら見せず、それどころか興味深そうな表情を浮かべた。
「出かける前はイライラしている様子だったが、さすがにヌイてきたあとだと、余裕があるな」
「下品な言い方はやめてください」
 そう言い置いて立ち去ろうとしたが、大股で歩み寄ってきた南郷に肩を掴まれる。ゾクッと鳥肌が立つような感覚に襲われ、咄嗟にその手を払い退ける。睨みつけようとした先で、南郷は能面のような無表情となっていた。怒気を含んだ顔をされるより、よほどこちらのほうが凄みがあった。
 気圧され、後退りかけた和彦だが、寸前のところで堪える。ここで怯めば、ようやく〈マシ〉になった気持ちが、また揺れると思ったのだ。それは中嶋に申し訳ない。
 和彦は皮肉っぽい口調で南郷に言った。
「どうして――、抱かれていたと思うんですか?」
 意味がわからなかったらしく、南郷が首を傾げる。
「何が言いたいんだ、先生」
「簡単な話です。〈オンナ〉だって、男を抱けるんですよ、南郷さん」
 南郷がゆっくりと目を開く様子を見届けて、今度こそ和彦はその場を立ち去った。









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