と束縛と


- 第34話(4) -


 和彦は四日間、ホテルを転々とする生活を送った。クリニックから出て護衛の車に乗り込むと、その日宿泊するホテルに連れて行かれるという具合だ。
 何も教えられないまま、ホテルの部屋で一人で過ごしていると、あれこれと考え込んでしまい、気が滅入りそうになったが、和彦の性質をよく理解している身近な男たちによって救われた。千尋が毎日電話をくれたうえに、中嶋も、ホテル内でとはいえ夕食につき合ってくれたのだ。
 そして五日目に、仕事を終えた和彦が車に乗り込むと、総和会本部に戻れることになったと告げられた。
 さすがに、車がぶつかってきた現場を通過するときは緊張したが、特に問題が起こることなく、和彦の身は安全に総和会本部へと送り届けられた。
 すでに連絡を受けていたらしく、照明で明るく照らされている駐車場には、吾川が待機していた。
 九月に入ったとはいえ、夕方でもまだ蒸し暑い中、わざわざ外で自分を待つ必要などないのにと、和彦は心の内で思う。いまだに総和会で恭しく扱われることには慣れない。
 車を降りた和彦に対して、さっそく吾川は穏やかに微笑みかけてきた。
「お疲れになったでしょう」
 曖昧な返事をした和彦を促して、吾川が歩き始める。
「ホテル暮らしで不安に思われたかもしれませんが、決して本部が危険だったというわけではありません。ただ、慌しくしていたのは確かですから、その様子を先生にあまりお見せしたくないということで、ホテルに部屋をお取りしました。本来であれば、長嶺組にお預けするのが筋なのかもしれませんが、もし万が一、先生がまた襲撃されるようなことになりましたら、少々問題が複雑になりますので――……」
 裏口から入ってエレベーターホールに向かいながらの吾川の説明に、和彦は想像力を働かせる。
 長嶺組が和彦の身柄を預かったあと、また和彦が襲撃を受け、仮に怪我でもしたら、総和会という組織は、長嶺組の責任を問わないわけにはいかないだろう。一方で、何事もなかったとき、長嶺組は総和会を問い詰める口実を得ることになる。〈オンナ〉の身一つ守ることができないのか、と。
 立てようと思えば、波風などいくらでも立てられるということだ。長嶺の男たちにそのつもりはないとしても、周囲にいる人間たちも同じとは限らない。
 疲労感以外のものがさらに肩にのしかかった気がして、無意識のうちにため息をついた和彦は、次の瞬間には我に返り、口元に手をやる。
 何事もなかったふうを装いながらエレベーターに乗り込んだが、吾川はしっかり気づいていたようだ。和彦の気疲れを少しでも和らげようとでも思ったのか、さらにこんなことを言った。
「会長は、先生に快適に過ごしていただくことに関して、非常に気を配っておられます。今回のホテル暮らしについても、窮屈で不便な思いをさせていると心配されている一方で、部屋で一人で過ごせることが、先生にとっては何より落ち着ける環境ではないかとも、おっしゃっていました」
「いえ、それは……」
「会長の部屋は、最小限に抑えているとはいえ、わたしも含めて人の出入りがありますから、先生も気の休まらない部分があるでしょう」
 どうしてこんなことを言い出すのかと、ささやかな警戒心が首をもたげ始めたところで、エレベーターが四階に到着し、扉が開く。いつものように守光の居住スペースに向かうかと思ったが、吾川が手で示したのは反対方向だった。
 戸惑う和彦に、吾川は穏やかな表情と声でこう言った。
「先生に見ていただきたいものがあります。そうお時間は取らせませんから」
 ここまで言われて拒否もできず、和彦は頷き、吾川についていく。
 宿泊室が並ぶ一角には、いい記憶はなかった。一度南郷に連れ込まれ、卑猥で屈辱的な行為に及ばれたからだ。
 広い廊下を歩いていて、南郷が使っていた部屋の前を通るときはさすがに身構えたが、今日は札がかかっておらず、どうやら宿泊はしていないようだった。
 廊下の途中を曲がると、〈リネン室〉と記されたドアがまっさきに視界に飛び込んできた。その隣には業務用のエレベーターも設置されている。今は静かだが、研修施設として利用されていた頃は、慌しく人が行き来していたのだろうなと、漠然と想像する。いや、もしかすると今も、そう変わっていないのかもしれない。
 和彦は、平日の昼間はクリニックにいるし、本部に戻ってきてからは、大半が部屋にこもっているか、せいぜいが夜中、ラウンジでひっそりと短い時間を過ごしているぐらいだ。本部内の人の動きをほとんど知らないと言ってもいい。
 吾川は奥まった場所にあるドアの前で立ち止まり、鍵を開けた。促されて一緒に中に入った和彦は、目の前の光景に面食らう。きれいなフローリングに、家具や電化製品が配置されたワンルームがそこにあったのだ。
「ここは……?」
 吾川が玄関で靴を脱いだので、和彦も倣って部屋に上がる。おそるおそる室内を見回すと、こじんまりとしたキッチンまであった。
「先生のためにご用意した部屋です」
「……ぼくのために、ですか?」
「さきほども申しましたが、会長の部屋では、人の出入りが気になるでしょう。ここでしたら、先生お一人で過ごしていただくことが可能です。招かれない限り、我々が部屋に上がることはございません。ただ、先生が出かけられている間に、掃除などを済ませる許可はいただきたいのです」
「えっ、ああ、それは――……」
 吾川の説明の半分は、呆然とする和彦の耳を通り抜けていく。なんとなく、壁紙やカーテン、敷かれたラグの色を確認して、最後にアコーディオンカーテンに目を留める。それに気づいた吾川が、アコーディオンカーテンの向こうにあるものを見せてくれた。
「ユニットバスですので、のびのびと入浴、というわけにはいきませんが、お好きなときにシャワーを浴びていただくことはできるかと思います」
 見た限り、部屋の何もかもが真新しかった。壁紙もフローリングも張り替えたばかりのようだし、今説明を受けたユニットバスも、使われた形跡はない。まさか、と思って吾川を見ると、頷いて返される。
「先生が昼間いらっしゃらない間に、もともと使われていなかった宿泊室の壁を取り壊して、二部屋分のスペースを改装しました。それでも広いとは言い難いでしょうが、こちらでしたら、先生の私物ももっと運び込んでいただけると思います。もちろん、必要なものを言っていただければ、こちらでご用意もいたしますので、遠慮なくおっしゃってください」
 自分が知らない間に、こんな大規模なことが粛々と行われていたのかと思うと、急に虚脱感に襲われる。立っていられず、堪らず側のソファに腰を下ろした。
 ふと思い出したことがある。先日、クリニックの候補地を見学に行ったときの、藤倉と南郷の短いやり取りだ。あのとき『工事』という言葉を口にしていたが、この部屋のことを指していたのだとしたら、二人の思わせぶりな態度も腑に落ちる。
 和彦は再び室内を見回し、空恐ろしさに襲われていた。自分はどこまで総和会に取り込まれていくのだろうかと思ってしまったのだ。
「そう、難しく考えないでください。あくまで、選択肢の一つということです。これまで同様、先生には自由に会長のお部屋に出入りしていただけますし、客間もそのままにしておきます。先生が一人で寛ぎたいときに、気軽にここを利用していただきたいということです。先生のご自宅マンションに、長嶺組の本宅、そして、総和会本部の中で、会長のお部屋と、ここと――。先生を必要とされる方と、望まれる場所で過ごしてほしいというのが、会長の願いです」
 三田村が借りているアパートのことを持ち出さなかったのは、何か意図があってのことだろうかと、頭の片隅でちらりと気にはなったが、そんな疑問を口にできる余裕は、今の和彦にはなかった。正直、頭は混乱しているし、動揺も続いている。
 ここが自分の生活拠点になるのだろうかと、漠然とした不安が胸の奥から競り上がってくる。少なくとも守光は、そのつもりだろう。守光が望むのであれば、側近の男たちは忠実に従い、和彦のために最善を尽くす。説明を続ける吾川を見ていれば、それがよくわかる。
 和彦のために、総和会の男たちが動くのだ。和彦が、守光にとっての善きオンナであるために。
「この部屋を準備すると決めたときから、会長の中ではもう、先生は、本部の〈お客様〉ではなくなったのでしょう」
 感慨深げな吾川の言葉に、和彦は微かに眉をひそめる。見えない重圧がじわじわと肩にのしかかり、息苦しさを覚えていた。
 過分なほど何もかも揃えられたこの部屋は、檻だ。和彦を捕らえて逃がさないという、守光の意思表明なのだろう。そして、和彦がその意図を正確に読み取り、どういう答えを出すのかすら、計算しているはずだ。
 長嶺の男は、和彦から欲しい返事をもぎ取るためには手段を選ばない。いざとなれば、和彦に肉体的な苦痛を与えることすら厭わないだろう。
 和彦はゆっくりと息を吐き出して天井を見上げると、静かに目を閉じた。


「――今夜のあんたは、思い詰めた顔をしているな」
 いつものように血圧を測っていた和彦は、柔らかな口調で守光に指摘され、ハッとする。咄嗟に言葉が出ず、うろたえていると、守光は口元に微笑を湛えた。
 吾川に部屋を見せられてから、ずっと困惑している和彦とは対照的に、今夜の守光は、夕食時に顔を合わせてからずっと機嫌がいいように見えた。
「すみません……」
 血圧計を片付けてから改めて、布団の傍らに座る。
「あんたのために部屋を用意したことを、重圧に感じているかね?」
 守光の言葉に、和彦は曖昧に首を動かす。はっきりと否定するのが礼儀なのだろうが、どう取り繕おうが、守光にはすべて見通されるはずだ。
「複雑な、気持ちです。ぼくにここまでしてもらえるほどの価値があるのかと、誰よりも疑っているのは、きっとぼく自身だと思います」
「あんたの価値は、周囲の男たちが決めている。だからあんた自身にはピンとこないのだろう。言葉を費やして説明して見せても、所詮は極道の戯言だと、心のどこかで思ってもいるのかもしれん」
「いえっ、そんな――……」
「それは仕方がない。もともとが、生きている世界が違っていて、賢吾や千尋が、強引にあんたをこちらの世界に引き込んだ。憎まれ、拒まれても仕方がないのに、それでもあんたは、こちらの男たちを受け入れてくれる。他に方法がないにせよ、あんたが示してくれる愛情深さも優しさも、男たちにとってはかけがえのないものとなっている。わしはそれに報いたい」
 冷徹ともいえる両目でじっと見据えられ、和彦は息も詰まりそうになる。正直、今言った『愛情深さ』も『優しさ』も、守光が求めているとは思えなかった。もっと別の何かを和彦に期待し、得ようとしているようだ。
 それがなんであるか知ることは、今いる世界のとてつもない深淵を覗き込むことになると、確信めいたものがあった。しかし、いくら目を背けようが、守光は眼前に突きつけてくるはずだ。
 守光が片手を伸ばし、和彦の髪を撫でてくる。
「頭のいいあんたには、どれだけ耳あたりのいいことを言ったところで無駄だろう」
 髪を撫でていた手が首の後ろへと移動し、引き寄せられる。和彦は咄嗟に布団に手をつき、近い距離から守光の顔を見つめ返した。そして、賢吾によく似た太く艶のある声で囁かれた。
「わしの望みは一つだ。あんたが、心底欲しい。どんな手を使ってでも――」
 本能的な怯えが全身を駆け巡り、動けなかった。守光にやすやすと布団の上へと押し倒され、和彦は顔を強張らせたまま、守光を見上げる。考える前に、こんな言葉が口を突いて出ていた。
「……どうして、ぼくなのですか……」
「あんたは、長嶺の男とこれ以上なく相性がいい。理由など、それで十分だと思わんかね?」
 そう言いながら守光の手に浴衣の帯を解かれる。和彦は身じろぎもせず、じっと守光を見上げ続ける。向けられる視線の強さから、和彦が考えていることがわかったらしく、守光は短く声を洩らして笑った。
「納得いかないという様子だが、事実だよ。千尋はもちろん、賢吾まで骨抜きにしたあんただからこそ、わしは興味を持った。そしてわしも、あんたに骨抜きだ。賢吾たちは、あんた込みの長嶺組の将来を描いているだろうが、わしは、あんた込みの総和会の将来を描いている。つまり、わしらにとってあんたは、欠かすことのできない存在というわけだ」
 浴衣の前を開かれて素肌を晒すと、容赦なく下着も引き下ろされる。守光は、満足げに和彦の裸体を見下ろしながら、胸元に冷たいてのひらを押し当ててきた。
「――欠かすことができないということは、組織にとっても、長嶺の男たちにとっても、あんたは血肉になるということだ。あんたによって、男たちは生かされる」
 なぜだか鳥肌が立った。和彦の反応に、守光は楽しげに目を細める。
 ゆっくりと守光の顔が近づいてきて、このときほど目隠しが欲しいと思ったことはないが、目を閉じることもできず、狡猾な生き物が潜む両目に見つめられながら口づけを受け入れた。
 丹念に唇を吸われて、口腔に舌が侵入してくる。決して性急になることのない、いつもの守光の口づけだった。和彦を味わい尽くすように口腔で舌が蠢き、歯列や粘膜をまさぐり、まだ眠っている官能を少しずつ刺激していく。その間も、守光の冷たいてのひらは和彦の体をまさぐっていた。
 舌先同士が触れ、擦りつけ合ってから、唾液を絡めるようにして妖しく舌がもつれ合う。和彦が微かに喉を鳴らすと、守光の片手が喉元にそっと這わされていた。力を込められたわけではないが、今にも首を絞められるのではないかという怯えは、圧迫感となる。
 息苦しさにもう一度喉を鳴らすと、守光の指先にわずかに力が入った気がした。自分の脈がやけに大きく聞こえ、頭が締め付けられるような感覚に襲われる。しかし、決定的な苦しさを与えられるわけではない。あくまで喉元に手がかかっているだけなのだ。
 唾液を流し込まれて従順に受け入れると、再び流し込まれ、そのまま濃厚に舌を絡め合っていた。
 和彦の喉の嚥下の動きを楽しんだのか、唇が離れると同時に、喉元からも手が退く。その手は、迷うことなく和彦の両足の間へと這わされ、欲望を握り締められる。和彦の欲望は、いつの間にか身を起こしていた。
「賢吾には、しつこいほど言われていた。あんたに痛みを与えることだけは絶対にしてくれるなと。そのあんたは、痛み以外のものには、よく反応する。羞恥や屈辱、さっきのような苦しさにも。――命の危険を感じて反応するとは、本当に、どれだけ淫蕩な性質を持っているのか」
 そう言いながら守光のてのひらに欲望を扱かれ、羞恥に身が燃えそうになる。和彦は顔を背けたが、体は無防備なままで、守光に両足を大きく左右に広げられても、抵抗すらしなかった。
「うっ、うっ」
 片手では欲望を扱きながら、守光のもう片方の手が柔らかな膨らみに触れてくる。さんざん男たちによって弄ばれ、慣らされたため、本能的に体を強張らせながらも、強い刺激を期待して腰が妖しく揺れる。繊細に蠢く指に柔らかな膨らみを丹念に揉みしだかれ、探り当てられた弱みを弄られる。たまらず和彦は甲高い声を上げて身悶えていた。
「いっ……、あっ、あっ、んんっ――」
 欲望の先端を指の腹で擦り上げられて、自分がもう濡れ始めていることを知る。
「苛まれて悦ぶとは、いやらしいオンナだ」
 愉悦を含んだ声で呟いた守光が、両足の間に顔を埋める。欲望を口腔に含まれて、和彦は腰を震わせて仰け反っていた。根元を指で擦り上げられながら、口腔の粘膜によって欲望は包み込まれ、締め付けられる。愛撫自体の巧みさもあるが、この愛撫を施しているのが守光だということに、官能を刺激されていた。
「ひっ……」
 先端を舌先でくすぐられたあと、括れにそっと歯が当てられる。硬い感触は恐怖を感じるには十分だが、しかし和彦の全身を貫いたのは、快美さだった。隠しようのない反応として、先端からはしたなく透明なしずくを滴らせると、守光は喉を鳴らして笑った。
「こういう反応を見ると、ついこう思ってしまう。――そもそもあんたは、本当に痛みに弱いんだろうか、とな」
 先端にも歯が当てられると同時に、柔らかな膨らみをまさぐられ、さきほどよりわずかに力を込めて弱みを弄られる。和彦は苦痛に近い刺激に呻き声を洩らし、なんとか守光の愛撫から逃れようと身を捩っていたが、痩身を押し退けることは叶わず、ついには柔らかな膨らみすら、守光の口腔による淫らな愛撫にさらされる。
 下肢が蕩けると思った。和彦は息を喘がせ、ときおり腰を揺すりながら、与えられる快感に対して急速に従順になっていく。
 一度守光が身を離し、飾り棚に歩み寄る。そこに何があるか、和彦はすでに把握している。諦めなのか、期待なのか、自分でもわからない吐息をこぼし、両足を開いたまま守光を待つ。
 文箱を抱えて戻ってきた守光は、さっそく中から朱色の組み紐を取り出した。
「んっ……」
 濡れそぼって震える欲望に組み紐が巻きつき、少しずつ締め上げられる。根元には特にしっかりと組み紐が食い込み痛いほどだが、守光が満足げに目を細め、指先で欲望の形をなぞってくると、狂おしいほどの欲情の疼きを感じる。
 守光から与えられるのは、和彦が恐れる痛みではなかった。紙一重で、快感と呼べるものだ。
「あんたにこの色はよく似合う。興奮して赤く染まったものを引き立てて、可虐的な気持ちを刺激する。そして――」
 守光に片足を抱え上げられて、今夜はまだまったく愛撫を与えられていない内奥の入り口を露わにさせられる。
「ここも、興奮して染まり始めている。すぐに、もっと艶やかな色にしてあげよう」
 守光は潤滑剤を指に取り、内奥へと塗り込め始める。機械的ともいえる手つきだが、和彦の体には関係ない。襞と粘膜は潤いを与えられ、指が行き来するたびにざわつく。それが何度か繰り返されたところで、官能の泉が噴き上がり、肉の悦びが一気に目覚める。
 和彦がぎこちなく首を左右に振り、控えめに声を上げ始めると、守光の指の動きが変化する。快感をさらに掘り起こそうとするかのように内奥を掻き回し、浅い部分を執拗に指の腹で押し上げてくるのだ。
「うっ、うぅっ……、うっ、くうっ……ん」
 布団の上に爪先を突っ張らせて、和彦は腰を浮かせる。指を深く突き入れられ、意識しないまま内奥をきつく収縮させる。このとき、組み紐に誡められたまま反り返った欲望が、フルッと震えた。
 もう一度たっぷりの潤滑剤を内奥に施されてから、浴衣の前をわずかに寛げた守光が腰を密着させてくる。落ち着いた佇まいからは想像できないほど高ぶった欲望が、すっかり慎みを失って色づいた内奥の入り口に押し当てられたかと思うと、身構える間もなく押し入ってきた。
「ううっ――」
 感じやすくなっている内奥の襞と粘膜が、強く擦り上げられて歓喜する。和彦は喉元を反らし上げて目を閉じていた。瞼の裏で鮮やかな閃光が飛び交い、もしかすると放埓に声を上げていたのかもしれないが、この瞬間和彦は、快感の嵐に翻弄され、何もわからなくなっていた。内奥の刺激だけで絶頂に達していたのだ。
 ようやく自分を取り戻したとき、激しい呼吸を繰り返しながら、すがるように守光を見上げていた。
「あんたを血肉にするどころか、わしのほうがあんたに食われそうだ。――わしの肉でも、欲しがってくれるかね?」
 うっすらと笑みを浮かべた守光が軽く腰を揺すり、繋がっている部分が淫靡な音を立てる。和彦は顔を背けて唇を噛んだが、守光はさらにもう一度腰を揺すってから、和彦のあごに手をかけてきた。
 唇が重なってきて、口腔に舌が侵入してくる。一方で内奥では、奥深くまで欲望が押し入り、丹念に和彦の弱い部分を突いてくる。
 甘い毒のような快感で酔わされ、自分の体だけではなく、心まで支配されていくのを感じた。和彦はもう抵抗する気力どころか、意味すら失い、あとはもう守光を受け入れていくだけだった。
 おずおずと両腕を動かし、浴衣越しに守光の背にしがみつく。いまだ一度しか目にしたことのない九本の尾を持つ狐の姿を脳裏に描きながら。
 和彦のこの行為が意味を持つことを、守光は知っていた。
「――淫奔だが、慎み深くもあるオンナが、ようやくわしを受け入れてくれた」
 笑いを含んだ声でそう呟いた守光が、内奥深くを抉るように一度だけ突き上げてくる。和彦はビクビクと体を震わせて、尾を引く嬌声を上げる。
 精を放つこともできず、快感を味わいながらも苦しんでいる和彦の欲望を片手で握り締め、守光が胸元に唇を這わせ始める。所有の証を刻み付けるように、容赦なく鮮やかな鬱血の跡を散らし、そのたびに和彦は喘ぎ声をこぼす。興奮で凝ったままの胸の突起を舌先で舐られたあと、きつく吸われて、歯を立てられる。一瞬の痛みのあと、じわりと快感が胸元に広がる。
 顔を上げた守光が、ふうっと息を吐き出した。
「あんたの中がよく反応している。愛しげに締め付けてきて、まとわりついて、まるで、わしだけが欲しいと訴えているようだ。あんたにこんなふうに甘えられたら、賢吾も千尋もたまらんだろう。……他の男たちも」
 和彦は顔を強張らせたが、守光は楽しげに口元を綻ばせると、優しい手つきで頬を撫でてきた。
「わしが怖いか?」
「……はい、とても」
 この状態でウソはつけなかった。守光は気を悪くした様子もなく、軽く頷いたあと、和彦の首筋に唇を這わせながらこう言った。
「何も怖がらなくていい。あんたはただ、強い力に身を委ねているだけでいいんだ。――今、あんたの周囲で一番強い力を持っているのは、わしかな……」
 言外に、逆らうなと仄めかされた。快感で頭の芯が蕩けかかっていても、それぐらいはわかる。
 和彦は、守光に対する恐怖を抑えつけ、ますます強く背にしがみついた。〈オンナ〉の媚びを、守光は好ましいものと受け止めたらしく、その褒美として、内奥深くに精を注ぎ込まれた。
「うっ、あっ……」
 短く声を洩らした和彦は、浅ましく腰を揺らして守光の欲望を締め付ける。無意識のうちに両手をさまよわせ、浴衣の上から守光の刺青をまさぐっていた。もう何度も守光と体を重ねているが、両腕で感じる硬い体の感触は新鮮――というより、得体が知れなかった。
 自分を支配している男の感触だと思うと、抑えつけた恐怖が蘇りそうになり、必死で快楽に逃げ込む。
 守光が、組み紐で誡められたままの和彦の欲望を、てのひらで弄び始める。感覚が鈍くなりかけているとはいえ、強く扱かれると、やはり震えがくるような快感が生まれる。
「んんっ、はっ……、あっ、ああっ」
 柔らかな膨らみを手荒く揉みしだかれ、全身を戦慄かせる。宥めるように守光に唇を吸われて、必死に吸い返していた。
 口づけの合間に、ゾクリとするようなことを守光が囁きかけてくる。
「あんたのために作らせた新しい〈おもちゃ〉を試してみたいんだが、かまわんかな?」
 きっと気に入る、とさらに続けられ、和彦は吐息を洩らして頷く。
 繋がりを解くと、和彦は内奥から残滓を溢れさせながら、言われるままうつ伏せとなり、腰を突き出した姿勢を取る。苦痛に近い羞恥があったが、守光の言葉通り、和彦の体はやはり反応していた。欲望は萎えることなく熱く震えている。
 守光が文箱から何かを取り出す音がして、ビクリと腰を震わせる。
「怖がらなくていい。あんたに痛みを与えることは、絶対にしない。これまでしてきたおもちゃ遊びと同じだ。ただ少しばかり――」
 守光の欲望に擦り上げられ、精を注ぎ込まれたばかりの内奥は、ひどく脆くなっている。ひんやりとして硬く滑らかな感触が押し当てられると、嬉々として淫らな肉の洞に呑み込んでいた。
「くっ……、んっ、んっ、ううっ……」
 太い部分を受け入れて、苦しさに喘ぐ。守光が新しく作らせたという道具は、歪な形をしているようだった。全体に太くなっただけではなく、括れの部分がより強調され、さらにはごつごつとした小さな瘤のようなものがいくつもあるのだ。
 それでなくても敏感になっている襞と粘膜が、緩やかに道具が出し入れされるたびに瘤の部分で強く擦り上げられ、和彦は腰を揺らして反応する。
「ひあっ、あっ、待って、くだ、さ――、うあっ、あっ……、んんっ」
 一度道具が引き抜かれ、内奥から守光の精と潤滑剤がドロリと溢れ出してくる。そこに新たに潤滑剤を塗り込まれ、道具を挿入された。いままで、誰も訪れたことがないほど奥深くに。和彦は布団を強く握り締め、甲高い声を上げる。それは、女のような嬌声だった。
 頭の中が真っ白に染まり、目を開けていながら、何も見えていない状態となる。体中の力が抜けていると知ったのは、それから数瞬後だった。道具を咥え込んだまま、絶頂に達したのだ。
「――やはり、あんたなら気に入ってくれると思ったよ。このおもちゃを」
 そう言って守光の手が開いた両足の間に差し込まれ、組み紐を解く。軽くてのひらで擦り上げられただけで、和彦の欲望は破裂し、精を噴き上げた。
「いつだったか、わしの友人という男とここのエレベーターですれ違っただろう。あの男は、わしの難しい注文にも、文句を言いながらも応えてくれる。このおもちゃも、素材からこだわった。あんたに粗悪品を使わせるわけにはいかないから、いろいろ吟味したよ。同じぐらいこだわったのは、形だ。いい形だと思わんかね?」
 内奥からわずかに道具が引き抜かれ、和彦は腰を揺らす。これ以上責められては、自分でもどんな痴態を晒すかわからず、布団に片頬を押し当てたまま、小さく頭を振る。しかし、守光は残酷だった。
「せっかくの新しいおもちゃだ。最初のうちにしっかりと使い込んで、あんたに馴染ませておかないとな」
 ぐちゅりという音を立てて、内奥から道具が引き抜かれる。和彦は一息をつく間もなく、今度は仰向けにさせられていた。そこで初めて、新しい道具の生々しく、グロテスクともいえる姿を目にして、眩暈に襲われる。こんなものが自分の中で蠢き、凄まじい快感を作り出していたのだ。
 力をなくした片足を持ち上げられ、再び内奥の入り口に道具の先端が押し当てられる。この瞬間、ゾクゾクするような強烈な疼きが背筋を駆け抜け、和彦は自分の反応に戸惑った。
「あっ、いや――……」
 反射的に制止しようとして、守光と目が合った。淫らな行為の最中とは思えないほど冴えた眼差しに和彦は射抜かれ、発しかけた言葉は口中で消える。代わりに口を突いて出たのは、甘い呻き声だった。


 和彦は布団の上で仰向けとなったまま、茫然自失としていた。さんざん道具で嬲られ、啜り泣きを洩らしても許してもらえず、ひたすら快感を与えられ続けたのだ。限界まで体力も気力も削り取られ、まさに精根尽き果てた状態だった。
 動けない和彦の体の後始末をしたのは、吾川だった。体の汚れを拭い、新しい浴衣を着せたあと、ひどい有様の布団を入れ替えて、道具すらも布に包んでどこかに持って行ってしまった。和彦は、羞恥する感覚さえ麻痺しており、ぼんやりと吾川の行動を目で追っていた。
 恭しく頭を下げて吾川が部屋を出ると、ほぼ入れ違いで守光が部屋に戻ってくる。どうやら湯を浴びてきたらしく、白髪が濡れていた。
 和彦が緩慢に体を起こそうとすると、側にやってきた守光が手を貸してくれる。
「……すみません」
 言葉を発して初めて、自分の声が掠れていることに気づいた。
「あんたがあんまりいい声で鳴くから、無茶をしてしまった。すまなかった」
 布団の傍らに座った守光の言葉に、和彦は返事のしようがなかった。ここで、部屋の主である守光を畳の上に座らせ、自分が布団の上にいるのも失礼だと気づき、慌てて布団から下りようとする。守光は笑って首を横に振る。
「かまわんよ。今夜はここで寝るといい」
「いえ、そんな――」
「あんたに、その権利は十分ある。なんといっても、わしの大事で可愛いオンナだ」
 和彦はピクリと肩を震わせ、うかがうように守光を見る。口元に薄い笑みを湛えた守光は片手を伸ばし、乱れたままの和彦の髪を撫でてきた。それだけで、疼きにも似た感覚が背筋を駆け抜ける。体は離しはしたものの、精神的にまだ守光と繋がったままのようだ。いや、囚われている、という表現のほうが正確かもしれない。
 守光から差し出された手を取り、そっと身を寄せる。こめかみに唇が押し当てられ、頬へと移動し、唇の端に触れられる。和彦はおずおずと守光を見つめ返し、唇を重ねる。
 静かだが、長く深い口づけを交わしてから、優しい声で守光が問うてきた。
「それで、わしの求愛は受け入れてくれるかね?」
 和彦は震える吐息を洩らすと、体を引きずるようにして畳の上で正座し、守光と向き合う。
 頭の片隅で、必死に制止しようとする自分がいる。しかし、もうどうしようもなかった。今の和彦は、強い力に身を委ねることで生きているし、そうしたうえでの自由が保証されている。
 和彦は畳に両手をつき、守光に向かって深々と頭を下げた。
「――クリニックの件、お引き受けいたします。至らぬ身ですが、よろしくお願いいたします」









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