と束縛と


- 第36話(2) -


 御堂の実家に幽霊など出ないとはっきりしたことは、ささやかながら和彦を安堵させた。心の底から存在を信じているわけではないが、得体の知れない人物が夜、建物の中をうろついていたというのは、気持ちがいいものではないのだ。
「――……つまり、昨夜、ぼくを助けてくれたのは、やっぱり君だったのか」
 和彦の言葉に、伊勢崎玲は微妙な表情となる。
「助けた、というのは大げさです。ただ部屋に連れて行って、水を飲ませただけですから」
「でも、君が見つけてくれなかったら、ぼくは廊下で朝まで寝ていたことになる」
 ここで短く笑い声を洩らしたのは、玲の父親である伊勢崎龍造(りゅうぞう)だ。さきほど名刺をもらったが、そこには、北辰(ほくしん)連合会顧問という肩書きとともに、伊勢崎組組長とも記してあった。
 これまでさまざまな組織の名を目にしてきた和彦だが、北辰連合会と伊勢崎組という組織に関する知識は、まったくなかった。おそらく総和会と直接関わりがある組織ではない。
「秋慈には心底迷惑そうな顔をされたが、お前をあの家に泊まらせておいてよかったな。立派な人助けができたじゃねーか、玲」
「……父さんが偉そうに言うなよ。御堂さんに迷惑かけたことは事実なんだから」
 目の前の伊勢崎父子のやり取りを、微笑ましさと困惑が入り混じった気持ちで眺める。
 とりあえず座って話そうということで、わざわざ少人数用の客室を用意してもらい、庭から場所を移動したのだが、なぜか和彦も同席している。遠慮しようとしたのだが、龍造の押しの強さに逆らえなかった。
「夜遅くになって御堂さんの家に押しかけて、連休の間、俺だけ泊まらせるよう無理を言ったあと、自分はさっさと飲みに行って。俺は申し訳なくて、朝早くに家を出たんだぞ」
「あー、だから今朝はいなかったのか……」
 今の玲の話からすると、もしかすると御堂は、和彦と玲が顔を合わせたことを知らなかったのかもしれない。だとしたら、夜更けの訪問客について、あえて和彦に説明しなかったのも理解できる。
 和彦が安定剤で眠り込んでいる間に、あの家ではちょっとした騒動が起こっていたのだなと思うと、少々申し訳ない気持ちになる。
「父と御堂さんは昔馴染みなのかもしれないけど、俺は昨夜が初対面だったんで。さすがに、朝メシまで食わせてもらうのは図々しいと思ったんです」
「そんなこと気にするような奴じゃねーよ、秋慈は。昔から、嫌というほど俺の無茶を呑み込んできたんだ――」
 そう言ったときの龍造の顔に、一瞬鋭い覇気が走る。息子を隣に座らせて話していると、いかにも父親らしい穏やかな雰囲気が漂うのだが、何かの拍子に極道としての地金が覗き見えて、そのたびに和彦はヒヤリとするような感覚を味わう。賢吾と知り合ったばかりの頃を思い出し、奇妙な懐かしさすら覚える。
 あの頃は、賢吾という男――というより極道という生き物がまったくわからなくて、会話を交わすことすら、地雷原を歩くような心境だったのだ。
 変なことを言って龍造の神経を逆撫でしたくないと、和彦は自分に言い聞かせる。何かあったとき、個人の問題ではなく、組織を巻き込んでしまう恐れがある。
「――……ぼくは、御堂さんと知り合ったのは最近で、こうして祝いの席に出席させていただいたのも、長嶺組の組長の名代としてなんです。勉強不足でお恥ずかしいですが、伊勢崎さんは、御堂さんとのご関係は長いのですか? それに、清道会さんとも」
「ご関係、なんて言われると、くすぐったい。まず説明するとしたら、俺と清道会の関係だな。俺が昔いた組の組長が、清道会会長と兄弟盃を交わしていて、その縁で、俺もずいぶん可愛がってもらっていたんだ。玲が生まれる数年前、地元でやんちゃが過ぎて居場所がなかった俺を、客分として預かってくれた恩人でもある。……いろいろと不義理をしちまって、今まで顔を出せなかったが、今日みたいな祝いの席に呼んでくれた。優しい方だというのもあるが、先を見据えて、俺に話したいことがあるのかもしれないな」
 龍造の説明を聞きながら、和彦はあることに気づいた。似たような話を、誰かから聞いた覚えがあるのだ。
「会長の家にもよく呼んでもらっていたが、そのとき、高校生だった秋慈と出会った」
 こう言ったとき、龍造は昔を懐かしむような目をして、口元に笑みを浮かべた。優しくはない。人を食らう笑みだ。こういう笑みを浮かべる男は、総じて危険な気質を持っている。
 寒気を感じた和彦は、反射的に背筋を伸ばす。動揺を押し隠しつつ、和彦は視線をテーブルへと伏せる。
 今やっと気づいた。龍造は、御堂を〈オンナ〉にしていた二人目の男だ。
 和彦の反応から察したらしく、龍造がいくぶん声を抑えてこう言った。
「――長嶺組の艶聞は、小耳に挟んでいる。いや、総和会の艶聞と言うべきか」
 和彦が咄嗟に気にしたのは、まだ高校生の玲の反応だった。父親の長い話は聞き飽きたという様子で、不機嫌そうに唇をへの字に曲げており、今の龍造の言葉に興味をそそられた様子もない。
 こんな場に顔を出しておいて、自分の立場を隠し立てするつもりはないが、だからといって積極的に知らせるようなものではない。特に相手が、高校生の場合。
 どういうつもりかと、和彦が険しい眼差しを向けると、龍造が何か言いかける。そこに、トレーを持った綾瀬がやってきた。
「コーヒーを持ってきました」
 和彦は慌てて立ち上がる。
「すみませんっ。綾瀬さんに、そんなことをっ……」
「気にしないでくれ」
 部屋の微妙な空気を感じ取ったのか、綾瀬がわずかに頬の辺りを強張らせる。和彦は、各人の前にコーヒーカップを置きながら、さりげなく綾瀬と龍造に視線を向ける。
 この二人に遺恨はないのだろうかと、漠然と思った。賢吾から端的な説明を受けただけだが、簡単に割り切って御堂を共有していたとは考えにくいのだ。何かしらの執着があるからこそ、〈オンナ〉にしたはずだ。そこまでしなければ手元に置けない存在があると、和彦自身が証明している。
 綾瀬は表情らしい表情を見せないが、一方の龍造は、意味ありげに綾瀬を見ていた。息苦しくなりそうな沈黙が訪れたが、それは長くは続かなかった。
 清道会の組員らしい男が恭しい態度で部屋に入ってきて、龍造に声をかけた。会長が呼んでいるということで、龍造はコーヒーを一口だけ飲んで立ち上がった。
「玲、お前も来い。せっかくだから、紹介しておきたい。お前もこっちに来たら、何かのときに世話になるかもしれないからな」
「……俺、礼儀とかわかんないけど……」
「ガキのお前に、誰も立派な挨拶なんて期待してねーよ」
 龍造は軽く手を上げ、玲を伴って部屋を出て行く。それを綾瀬は、軽く一礼して見送った。和彦は、そんな男たちの姿を、少し離れた位置から眺める。
 部屋に二人きりとなると、綾瀬に手で示されたので、イスに座り直す。綾瀬も空いたイスに腰掛けた。
「伊勢崎さんと、いろいろ話せたか?」
 気をつかってくれたらしく、綾瀬から話題を振ってくれる。和彦は微苦笑を浮かべた。
「気さくに話しかけてくださる方だったので、助かりました」
「昔から、そうだ。偉ぶったところがなく、誰とも気さくに話して、取り込む。いわゆる、人タラシってやつだ。どこか子供っぽいところがあって、それがまた、人に好かれる。……合わない人間には、とことん合わない気質でもあるが」
 誰のことを指して言っているのか、あえて確認する必要もない。和彦は、ジャケットの胸ポケットに収めていた名刺を取り出した。さきほど伊勢崎からもらった名刺だ。
「伊勢崎さんがいる北辰連合会というのは、北の方にある組織なのですか?」
「もとは北陸を拠点にしていたんだが、東北にも手を伸ばして、今ではあの一帯では最大勢力だ。いくつかの組の寄せ集めで、それがくっついたり、離れたり、新しい組を取り込んで、潰し合って、そういうことを繰り返して、でかくなってきた。伊勢崎さんが元いた組――うちの会長と兄弟盃を交わした組長が率いていたところだが、連合会に参加する前に解散したんだ。だが伊勢崎さんが、残った組員たちを引き受けて、伊勢崎組を設立してから、連合会に参加した。今じゃ、トップである総裁に次ぐ地位にいる」
「顧問、ですか?」
「参加したそれぞれの組の組長格のうち、三人しか顧問には就けない。そのうちの一人が、あの人だ。顧問の地位の下に、役職付きが確か、三十人はいるはずだ。総和会の中にいるから漠然と想像はつくかもしれないが、北辰連合会も、なかなかでかい組織だ」
 玲の分の、口をつけていないコーヒーカップを手元に引き寄せ、綾瀬がぐびりと飲む。単にコーヒーが苦かったのか、何か思い当たったのか、顔をしかめた。
「そんな組織の幹部が、うちの会長のために、息子を連れて祝いの席に来てくれた。……ありがたい話だが、俺個人としては、あの人と顔を合わせるのは、正直複雑な心境だ」
 その理由について綾瀬は口にしなかったが、和彦なら想像がつくと考えたのだろう。ちらりと和彦の顔を見遣って、綾瀬が表情を和らげた。
「つまらないことを言って、君まで複雑な顔にさせてしまったな」
 和彦は小さく首を横に振った。


 綾瀬が側についてくれていたおかげで、特に問題もなく時間を過ごした和彦は、昼を過ぎてから暇を告げる。しっかりと手土産を持たされて、敷地内にある駐車場へと案内されていると、途中で玲を見かけた。
 手にしたスマートフォンと周囲を交互に見ており、何かを捜している様子だ。咄嗟に声をかけようとした和彦だが、どう呼びかけるべきなのか逡巡した。
「――玲、くん」
 大きな組織の幹部と同じ姓を、気安く呼ぶのに気後れしていた。玲は、訝しげにこちらを見て、居心地悪そうな表情を浮かべる。
「すげー、呼びにくそうですね、俺の名前」
 小走りで駆け寄ってきた玲の開口一番の言葉に、和彦は乾いた笑いを洩らす。
「なんと呼んでいいのか、ちょっと迷ったんだ。君のお父さんと区別するために、名前のほうがいいかなって」
「うちの地元じゃ、礼儀正しく『くん』や『さん』付けで呼んでくれる人間なんていませんから、一瞬誰のことかと思いました」
 ふと和彦はあることに気づき、軽い周囲を見回す。玲が、組長の息子であることを思い出したのだ。
「君、護衛はついてないのか?」
 何を言い出すのかという顔をして、玲が肩を竦める。
「ただの高校生に、護衛はつかないでしょう。父さんならともかく。その父さんも、護衛を嫌がって、滅多なことじゃ連れ歩きませんけど」
「そういう、ものなのか……。それで君は、何をしてるんだ?」
「用も済んだし、これから大学の見学に行こうかと思って。進学を希望している大学が、こっちにあるんです。こんな機会でもないと、どんなところか見ることできませんから」
 玲が見せてくれたスマートフォンには地図が表示されている。どうやら最寄りのバス停留所か駅を探していたらしい。
 本当に高校生なのだと、妙に微笑ましい気持ちになった和彦は、深く考えずについこう口にしていた。
「ぼくも一緒に行こうか」
「えっ……」
「どこの大学を見たいんだ?」
 戸惑いながらも玲が口にした大学名を聞いて、懐かしい気持ちになる。高校生の頃の和彦が、一時進学を望んでいた大学だったからだ。もっとも希望を口にする前に、俊哉によって医大行きが命じられ、和彦は黙々と努力し、従うだけだった。
「ここからだったら、やっぱり電車かな。あっ、学部は? 学部によって、キャンパスがまったく違うところにあるんだよ、確か」
「……本当に一緒に行く気みたいですね」
「ぼくはもう用事は済んだし、このまま御堂さんの家に戻るだけだから。君には、昨夜助けてもらった恩もある」
 大げさですよとぼそりと呟き、玲が短く刈られた髪に指を差し込む。
「大学の周りを眺めるだけですよ。あと、適当にぶらぶらしようかと」
「いいね。じゃあ、駅までは車で――」
 和彦は、駐車場で待機している一台の車に目を向ける。移動には、用意した車を使うよう御堂から言われていた。運転手を務めているのは綾瀬の部下だそうで、信頼がおけ、護衛としても優秀なのだという。和彦の身の安全を考慮してのことだとわかっているが、電車で移動というのはあまりに魅力的過ぎた。
 自分の携帯電話を取り出すと、御堂にかけてみる。忙しくて電源を切っているかと思ったが、予想に反して御堂はすぐに電話に出た。
 傍らに立つ玲の反応をうかがいつつ、これから二人で電車で移動したい旨を伝えたが、当然のように却下された。あくまで柔らかな口調で。
 電話を切ってため息をついた和彦に、玲が声をかけてきた。
「――俺も、車に乗せてもらっていいですか?」
「えっ、ああ、うん。もちろん。御堂さんも、どこに行ってもいいけど、車で移動してくれって言ってたんだ。むしろ、二人一緒にいてくれたほうが、心配が減っていい……とも、言われた」
 話しながら歩いていると、素早く車から降りた男が後部座席のドアを開ける。玲は目を丸くしたあと、幾分呆れたようにちらりと和彦を見た。
「……薄々感じてましたけど、佐伯さん、すげー過保護にされてますよね。一体何者? 名代で来たけど、組員じゃないって、さっき言ってたし」
「そこのところは、車の中で説明するよ。――興味あるなら」
「もちろん、あります」
 肝心な部分は教えられないけど、と心の中で付け加えつつ、車に乗り込む。
 目的地に向かう道中、和彦は自分の立場について端的に説明する。もちろん、オンナ云々という単語は一切口にしない。どうせ連休の間、同じ家で過ごすだけの間柄なのだ。余計なことまで教えて、高校生の青少年を複雑な気持ちにさせる必要はない。
「へえ、お医者さんなんですか。じゃあ、俺ぐらいのときは、すごく勉強できたんですね」
「医大しか認めない、って父親から言われてたから、勉強はできたというより、するしかなかったんだ」
「医大しか?」
「医学部のある大学は他にもあったけど、医学以外に興味を持つ可能性は少ないほうがいい、という理由で、医大になったんだよ」
 一度口を噤んだ玲だったが、苦笑を浮かべつつ洩らした。
「……俺の父さんもなかなかのもんだと思っていたけど、佐伯さんのところも、けっこう……」
「君のお父さんは、進学については、なんて?」
「大学のランクについては、興味ないんですよ。あるのは、俺が大学生という身分を手に入れて、春にこっちに来ることだけ」
 何かありそうだなと思ったが、ハンドルを握る綾瀬の部下にすべて聞かれているため、迂闊に探りを入れられない。
 ただ、会話を交わしながら、新鮮な感覚を味わっていた。和彦の周囲には、千尋を含めて若者がいることはいるのだが、組と関わりを持つ堅気とは言いがたい若者が大半だ。しかし玲は、父親がヤクザではあるものの、本人は荒んだ様子もなく、ごく普通の高校生だ。こうして進学について話せるだけでも、和彦にとってはある意味、非日常の体験だった。
「だったらもう、来るのは確定みたいなものだ」
「それでも、多少はハッタリのきくようなところには行きたいですよ。将来、あの父親を、俺が食わせなきゃいけなくなるかもしれませんから」
「あー、じゃあ、一人っ子?」
「認知されたのは俺だけのようだから、多分、そうです」
 和彦が複雑な表情をすると、横目にちらりと見た玲が口元を緩める。
「こういう話、多いでしょう。この世界。男の甲斐性とか言って」
「――……そうなんですか?」
 返事に困った和彦が、ハンドルを握る綾瀬の部下に尋ねると、なぜか玲が噴き出した。
「おもしろいですね、佐伯さん」
 そうかな、と小声で応じる。
 他愛ない会話を交わしているうちに、いくらか車中の空気が和んだ頃に、目的地の近くまでくる。
 大学の周囲を歩いてみるかと言ってみたが、それは合格してからの楽しみにしておきますと答えられた。その代わり、次の目的地をリクエストされる。
「ちょっと、服を見たいです。なんだったら、俺だけ適当な場所で降ろしてもらえたら、一人で店を回るんで」
「いいよ。一緒に行こう。実は買い物好きなんだ」
 和彦の言葉に、玲は大まじめな顔で忠告してきた。
「値段が高いところはダメっすよ。俺は、けっこう年相応な小遣いしかもらってないんで」
「……ああ、お小遣いもらってるんだ。あの、伊勢崎さんから。なんか、普通の父子な感じが意外というか……」
「佐伯さんがどんな想像していたのか知らないですけど、俺、高校生ですよ」
 高校生か、と心の中で繰り返して、和彦は半ば無意識に手を伸ばし、玲の頭を撫でていた。千尋とはまったく違う髪の感触だと実感した次の瞬間に我に返る。撫でられた玲のほうも、大きく目を見開いている。
 和彦は慌てて手を引っ込めると、言い訳にもならないことを口走った。
「ごめんっ。君とそう歳が変わらない人間の頭を、よく撫でているから、癖みたいになっていて」
「弟?」
「そうじゃないけど……、犬っころみたいな奴だよ。――……普段、高校生なんて知り合う機会がないから、つい物珍しさで……」
 納得したのか、どうでもいいと思ったのか、へえ、と声を洩らした玲が、自分の頭に触れる。
「俺、頭撫でられたのなんて、何年ぶりだろ」
「本当にごめん。高校生にもなって、頭を撫でられるなんて嫌だったよね」
 玲がぼそぼそと何か言ったが、和彦には聞き取れなかった。首を傾げると、困ったように玲は笑った。


 玲と出歩くのは、思いがけず楽しかった。
 一応、護衛名目で、綾瀬の部下が同行してはいたが、会話が聞こえない程度に距離を空けて、店に入るときも外で待ってくれていた。これはどちらかというと、普段は護衛などついていないという玲に対する気遣いなのかもしれない。
 服を買ったあと、すぐに車に戻るのも惜しくて、目的もなくあちこちの店を覗き、疲れるとコーヒーショップに入って少し休んだ。
 半月以上前、やはり和彦はこんなふうに街中を歩いていたが、あのときは鷹津と一緒だった。いつ、総和会や長嶺組からの追手が現れるかと、気が気でなかったのだ。
 そんな自分が今は高校生と一緒にいて、リラックスしているというのも、不思議な感覚だった。
 ストローを口にしたままぼんやりしていた和彦だが、ふと視線に気づいた正面に向き直る。頬杖をついた玲が、じっとこちらを見ていた。黒々とした瞳の威力に、一回り以上年齢が離れている相手だということも関係なく、気圧されてしまう。
「……どうかした?」
「いえ、今俺が、同じことを聞こうとしてました。――どうかしましたか? なんだかちょっと、つらそうな顔しているように見えたから。もしかして、歩き疲れたとか……」
 和彦は慌てて首を横に振る。
「違うんだ。ただちょっと、思い出したことがあって」
「つらいこと、ですか?」
「まあ、いろいろだよ。しばらく塞ぎ込んで、やっと落ち着いたところに、御堂さんに誘われたんだ。あの人に話を聞いてもらおうかと思って」
 適当に誤魔化すこともできたが、向けられる真剣な眼差しに応えなくてはいけない気持ちになり、つい話してしまう。
「じゃあ、予定外に登場した俺は、邪魔でしょう」
「その口ぶりだと、君を連れて行くと伊勢崎さんが決めたのは、本当に急だったんだな」
「どうでしょう。父さんの中ではとっくに決定事項で、ただ、他の人間に伝えたのが急だったのかも。……勢いと衝動で生き抜いているような人だから」
 呆れたような口調ではあるが、父親を疎んじている素振りは一切感じられない。きっといい父子関係を築いているのだろうなと、和彦は思った。だからこそ、自分と俊哉の関係について思いを巡らせずにはいられない。
 危うくため息をつきそうになったが、玲の視線を意識して、なんとか堪える。声をかけて店を出ると、和彦から促すまでもなく、玲が次の行き先を口にした。
「ゲーセンに寄っていいですか?」
「……意外だ。そういうところに行くんだ」
「たまに、気分転換に。高校生も、ストレス溜まることがあるんですよ」
 妙に老成したような物言いに、和彦は声を洩らして笑いながら、玲の腕に手をかけて歩き出す。
「近くにある?」
「ばっちり、チェック済みです」
 玲の案内で、さっそくゲームセンターに向かう。和彦自身は一人でまず立ち寄ることがない施設だが、千尋に何回か連れて行かれたことはあった。
 さすがに玲は慣れた様子でまっさきに紙幣を両替し、和彦も倣う。けたたましい音楽が鳴り響く中、きょろきょろと辺りを見回す。当たり前だが、若い客が多いのだが、和彦とそう年齢が変わらない、スーツ姿の男が熱心にクレーンゲームをしていたり、老夫婦がメダルゲームに興じていたりと、案外客層の幅は広い。
 玲に誘われていくつかのゲームをやったが、自分のあまりの下手さに笑ってしまう。それでも、カーレースゲームでは、柄にもなく声を上げて興奮したのだ。我に返って冷静さを取り繕ったが、隣で玲が肩を震わせて笑っていた。
 気が向いたという感じで、玲がふらりとクレーンゲームの一つに近づき、小銭を何枚か入れる。挑戦するのは、大きな箱に入ったお菓子だった。
「――俺と佐伯さん、他の人からは、どんなふうに見えているでしょうね」
 動くクレームを興味深く眺めていると、ふいに玲が問いかけてくる。和彦は笑いながら答えた。
「兄弟……は、ちょっと歳が離れすぎてるかな。友達同士も無理あるかも」
「そう言われると、謎の組み合わせですね、俺たち」
「実際、変な組み合わせだよ。知り合ったばかりだし、知り合ったきっかけも、変わってるし」
「……夜中、家の中で迷子になってた佐伯さんを――」
「そっちじゃなくて」
 和彦が見ている前で、お菓子の箱がゆらりと揺れて、取り出し口へと落ちていく。取った本人である玲よりも、和彦のほうが歓声を上げてしまう。
「上手いな」
「現役高校生の実力を舐めないでください」
 澄ました顔で言う玲がおもしろくて、和彦はくっくと声を洩らして笑っていた。
 ゲームセンターには一時間も滞在していなかったのだが、大きな袋にぎっしりと成果を詰め込み、帰路へとつく。
「戻ったら、半分こにしましょうね」
 車中で玲が言った言葉に、声に出しては言えないが、可愛いなと思ってしまう。犬っころのように甘えてくる千尋とは、また違った可愛さだ。
〈高校生〉という肩書きは、一種の魔法のようなものかもしれないと、和彦はさりげなく玲をうかがう。可愛いというより、やはり凛々しいという印象を受けるきれいな横顔は、千尋とほんの三歳ほどしか違わないはずなのに、冒しがたい子供らしさを漂わせ、だからといって幼いわけではない。
 不思議な存在感は、〈高校生〉という世界に在る者特有なのだろう。そのせいで、和彦は妙にそわそわして落ち着かない。
 自分のような存在が側にいて、穢してしまうのではないかと危惧して――。
 玲がこちらを見たので、慌てて話題を振る。
「明日は何か予定はある?」
「父さんからは何も言われてないので、ないはずです。俺個人も、大学の見学はしたから、あとは特に考えてないし」
 ここで玲がわずかに首を傾け、和彦に問いかけてきた。
「明日は、どうします?」
 明日の予定の同行者として、含めてくれているらしい。それが自分でも意外なほど嬉しくて、和彦は笑みをこぼす。
「今夜、ゆっくり考えたらいいよ。ぼくはいい気晴らしになるから、外に出るなら、どこでもついて行くつもりだし」
「……そう言われると、悩みますね」
 玲がさっそくスマートフォンを取り出し、何かを調べ始める。その様子を眺めているうちに、御堂の実家近くまでやってくる。
 すでに御堂は戻っているのか、家の前に車が停まっていた。さらに、辺りを警戒するように立っている男たちの姿もある。
「あれ――……」
 声を洩らしたのは玲だった。和彦と同じ方向を見て、軽く眉をひそめている。
「どうかした?」
「あっ、いえ、あそこに立っているの、父さんの組の人間です。車も、そうだ……」
 つまり、龍造が訪れているということだ。当然、御堂も一緒だろう。
 和彦は、預かっていた合鍵をキーケースから取り出す。どうやら今日は使う機会はなかったようだ。
「何か聞いてた?」
「何も。思いつきで行動するのはいつものことなので、いまさら驚きませんけど。護衛につく組員たちが、いつもぼやいてます。行き先も言わないで、一人でどこかに行ってしまうって」
 玲自身も苦労していそうな口ぶりに、和彦は微笑ましさを覚える。
 家の前で車から降り立つと、さっそく玲が、龍造の護衛についているという組員たちと会話を交わす。和彦は会釈をしてから先に家に入ると、玄関には二組の革靴が並んでいた。
 まっさきにリビングを覗いてみたが御堂と龍造の姿はなく、次にダイニングへと向かう。こちらには、テーブルで茶を飲んだ形跡があった。
 御堂の部屋にいるのだろうかと思いながら、廊下に出た和彦は一旦立ち止まって考える。大事な話をしているのなら邪魔をしたくなかったが、戻ってきたことを報告しておきたい気もする。なんといっても和彦は、組長の子息を連れ回していたのだ。
 荷物を置きに、使わせてもらっている部屋に向かっていた和彦の視界に、廊下を曲がった玲の姿がちらりと入った。他人の家だからと物怖じする様子のない玲は、まるで我が家のように堂々と歩き回っているようで、その様子に知らず知らずのうちに表情は緩む。
 今日は一体どうなるかと身構えていたのだが、玲のおかげでずいぶん楽しめた。あの泰然自若ぶりは、慣れからくるものなのか、生来のものなのかはわからないが、救われたことに変わりはない。
 部屋に入った瞬間に、ふっと一息つきそうになり、寛ぐ前に龍造にも挨拶をしておかなければと思い直す。すぐにまた部屋を出る。
 予想に反して、御堂の部屋からは人の気配は感じられなかった。和彦は広い家の中を、遠慮しつつ探索することになる。
 この家で一人で過ごすには、寂寥感と無縁ではいられないかもしれない。手入れはされているが、すでにもう生活感というものが薄れており、どこか寒々とした空気が漂っている。かつて家族と生活していた思い出が染み込んでいるとしても、それが人恋しさを癒してくれるとは思えなかった。
 当事者ではないというのに、ひどく感傷的なことを考えた和彦の脳裏に、まるで針で一突きされたように蘇る記憶――というより、感覚があった。
 ハッとして足を止め、咄嗟に壁に手を突く。得体の知れないものに足首を掴まれたような不安感に襲われかけたが、ここで和彦は、廊下の先に立つ人影に気づく。玲だった。
 しかし、様子がおかしい。ある部屋の前で、呆然として立ち尽くしているように見えたのだ。
 何事かと、和彦は足音を抑えて歩み寄る。
「何して――」
 玲に話しかけようとして、ぬるい空気にふわりと頬を撫でられた。空気が流れてきたほうをパッと見る。
 障子が開いた部屋の中で、蠢き、絡み合う姿があった。
「うっ、ああっ」
 艶かしい掠れた声に鼓膜を撫でられ、鳥肌が立った。和彦は、この声を前に聞いたことがある。
 畳の上に押さえつけられた御堂が、両足を大きく左右に広げられている。その間に、スラックスの前を寛げただけの格好で腰を割り込ませているのは、龍造だった。
 強烈な既視感に襲われたが、その正体にすぐに思い当たった。まだ最近と呼んでいい頃、和彦は今と同じような光景を目にしていた。
 あのときも御堂はこんなふうに男に組み敷かれ、欲望を受け入れていた。ただし、相手は綾瀬だった。
「ひあっ、あっ、うぅっ……」
 龍造が大きく腰を突き動かした途端、御堂の甲高い声に重なるように、生々しい湿った音が響く。御堂が龍造の背に強くすがりつき、腰が動かされるたびに両手がさまよう。
「――綾瀬とはずっと、情を交わしてきたのか?」
 龍造の問いかけに対して、焦点が怪しかった御堂の目に理性の光が宿る。そして、視線を逸らした拍子に、和彦と目が合った。意図していなかった状況なのか、わずかに表情を強張らせた御堂だが、すぐに龍造へと視線を戻す。
 対照的に龍造は、とっくに二人に気づいていたらしく、しっかりと玲のほうを見てニヤリと笑いかけてきた。
「言えよ、秋慈。俺の息子と、大事な客人が見ている前で」
 御堂は怒りをぶつけるように、龍造の一つに束ねられた髪を掴んで引っ張る。ここで龍造が乱暴に腰を突き上げると、御堂が声を上げると同時に、髪を掴んでいた手が落ちる。その拍子に、指が引っかかったのか、髪をまとめていた紐が解けた。
「……あなたに、関係ないでしょう」
「関係あるだろ。お前は、俺の〈オンナ〉だ。お前を自由にする権利がある」
 御堂が何か言いかけたが、龍造が唇を塞いでしまう。切迫した息遣いとともに、御堂が畳を蹴りつけた。その音で我に返った和彦は、咄嗟に玲の腕を掴んでその場を離れる。
 慌しく廊下を歩きながら、真っ白になっていた思考が次第に色を取り戻していく。そこで、自分が今一番、何を気にかけなければならないのか思い出した。
 立ち止まり、傍らを見る。玲は唇を引き結んではいるものの、非常に落ち着いているように見えた。むしろ和彦のほうが激しく動揺している。
「あっ、大、丈夫、か?」
 上擦った声で問いかけると、一拍置いて大きく息を吐き出した玲が、短く刈った髪に指を差し込む。
「佐伯さんのほうこそ、大丈夫ですか? ……顔、赤いですよ」
「ぼくは……平気だ。びっくりしただけで――」
 いつの間にか熱くなった頬を撫でた和彦は、御堂の部屋のほうにちらりと視線を向ける。龍造が言った言葉が、しっかりと耳に残っていた。
 男の庇護を必要としていない今の御堂を、龍造はまだ自分のオンナ扱いしていると知り、なぜか屈辱感にも似た苦い感情が込み上げてきた。行為の最中の戯言だとしても、御堂には相応しくないと思ったせいだが、そう感じるということは、和彦自身の経験のいくつかを、御堂に投影しているのかもしれない。
「――つらそうな顔をするんですね」
 ふいに玲に言われ、伏せていた視線を上げる。黒々とした瞳が、じっと和彦を見据えていた。
「そうかな……」
「自分が辱められたみたいな、そんな感じに見えます。……父さんに、そのつもりはないんですよ。見下しても、蔑んでも、嫌悪もしていない」
 玲の腕を掴んでいたはずが、気がつけば和彦のほうが肘の辺りを掴まれていた。あくまで優しく、まるで宝物を扱うかのように。
「父さんは、御堂さんを――オンナを、今でも愛している」
 玲の口ぶりから、〈オンナ〉の意味を理解しているようだった。
 和彦は目を見開き、反射的に腕を引こうとしたが、このとき初めて、玲の手に力が加わった。
 まだ十代、しかも高校生が知っていてはいけない言葉を、玲はもう一度口にした。
「佐伯さんも、オンナ、ですよね」
 玲が、何をどこまで把握しているのか推し量ることはできないが、口調は確信に満ちていることだけは、わかった。
 この子から、軽蔑の眼差しを向けられるのは嫌だなと思いながら、和彦は頷いた。


 御堂からは、こちらが恐縮するほどの勢いで謝罪された。みっともない姿を見せてしまった、と。
 どうやら龍造との行為を、和彦と玲に見られたことは、まったく予想外だったらしい。そこで和彦は、漠然とながら理解した。御堂にとって、綾瀬との行為を見せたことと、今回の出来事は区別されているのだと。
 それはつまり、自分をオンナにしていた男たちに対して抱く感情の差を表しているのだろうかと、ひどく気になった和彦だが、畳に擦りつけるほど頭を下げる御堂に、不躾な質問はぶつけられなかった。
 驚きはしたものの、それ以外の感情は持っていないからと言うと、御堂が心底安堵したような表情を浮かべたのが印象的だった。もしかして、先に玲からきつい言葉でも投げつけられたのだろうかと心配したが、この疑問に対しては、御堂は言葉を濁すだけだった。
 もう一人の当事者である龍造は、すでに宿泊先のホテルに戻ったということで、それを聞いて和彦は、率直にほっとした。あんな場面を見たあとでは、龍造がまるで、獰猛な獣のように思えたからだ。しかもオンナを食らう、野蛮な、しかし魅力的な獣――。
 日が暮れてから三人で外に食事に出かけたが、個室に入ってからの雰囲気は、気まずくはないものの、それぞれが相手を気遣い合い、なんともぎこちがなかった。
 いや、二人の〈オンナ〉と同席せざるをえなかった玲の心中は、和彦の想像も及ばない苦汁に満ちたものだったかもしれない。
 今日は本当にいろいろあって疲れたと、湯船に浸かっていると、さまざまな出来事が頭の中を駆け巡る。その一つ一つを辿っていると、湯にのぼせてしまいそうだ。
 風呂から出て、部屋に戻った和彦はぎょっとする。いつの間にか布団が敷かれていたからだ。もちろん、御堂がやったことだ。
 気をつかわなくていいのにと、柔らかな苦笑を浮かべて窓に歩み寄る。もっとよく庭を眺めようとして、あくびを洩らす。
 朝から気を張り詰め、午後からは玲と歩き回っていたので、さすがにもう動くのが億劫だ。今夜は安定剤の力を借りる必要はないだろう。いくら心配事があるにしても、安眠できそうだ。
 ふっと表情を引き締めた和彦は、窓に額を押し当てる。オンナである自分を、玲はどんなふうに見ていただろうかと、夕食時の様子を思い出そうとする。しかし、玲はあくまで自然体だった。そう和彦には見えた。
 だからこそ、明日は一緒に行動していいものかと悩んでいると、携帯電話が鳴った。相手が誰であるか確信して、文机の上に置いた携帯電話を取り上げる。
「……ぼくが連絡を忘れていると思って、かけてきたのか……」
 開口一番、ため息交じりに和彦が言うと、電話の向こうから低い笑い声が聞こえてきた。
『疲れた先生が、もうウトウトしかけているんじゃないかと思ってな。まだ起きていたか?』
「かろうじて。実際、今日は疲れた……」
『ご苦労だったな。秋慈や、綾瀬さんからも連絡をもらって、丁寧に礼を言われた。二人とも、先生を褒めていたぞ』
 まるで子供扱いだなと思ったが、賢吾や長嶺組の名に泥を塗らなかったというのなら、素直に受け入れておくべきだろう。
「綾瀬さんにはずいぶんお世話になったんだ。あとで改めてお礼を言わないと」
『その代わり、先生が子守りをしたんだろう』
 一体なんのことかと思ったが、すぐに見当がついた。
「伊勢崎組長の息子さんのことか。子守りだなんて言ったら、失礼だ。高校三年生なのに。しかも、ずいぶんしっかりしている」
『うちの千尋よりもか?』
「……答えにくいことを聞かないでくれ」
 話しながら和彦は、行儀が悪いと思いつつ布団の上に転がる。こうして賢吾と話していると、自分にとっての日常が戻ってきたような気がする。もちろん和彦にとっての日常とは、鷹津に連れ去られる以前のことを指している。
 ささやかな胸の痛みを感じたが、押し隠すのは容易だ。
「子守りどころか、ぼくが気晴らしをさせてもらった。高校生と話すなんてずいぶん久しぶりだけど、やっぱり千尋とは全然違う。まあ、タイプからして違うんだけど」
『どうやら、先生を行かせて正解だったようだ。長嶺組と伊勢崎組との接触となると、清道会相手よりもさらに頭と気を使って、身構えもしなきゃならないんだが、な。先生が相手だと、向こうも勝手が違って困っただろう。伊勢崎組長こそ、息子を連れてきてよかったと思っているかもしれないが……」
 警戒心を強く匂わせる一方で、どこか楽しげにも聞こえる賢吾の口調に、和彦は切り出さずにはいられなかった。
「――……なあ、あんたが『厄介』だと言っていた人物って、伊勢崎さんなのか」
『伊勢崎龍造。俺が会ったのは、ずいぶん昔だったがな。当時からアクの強い男だったが、秋慈の話を聞く限りじゃ、今も変わってないようだ』
「御堂さんの――」
『前に先生に話したな。秋慈をオンナにしていた男は二人いて、一人は綾瀬さん。もう一人は北陸の連合会の大幹部になっていると。ああ、伊勢崎組長だ』
 御堂を抱いている現場を見たので、よくわかっているとは言えない。御堂の心情を慮れば、何もかも報告すればいいとは思えなかった。
『北辰連合会は絶えず火種を抱えて、暴発させているような組織で、ここ最近は落ち着いてきたとはいえ、だからといって総和会のようにまとまって、安定しているというわけではない。そんな組織の中核に居座っている男だ。なんの考えもなく、清道会会長の祝いの席に来るとも思えない。思惑がわからねー以上、俺は迂闊に接触したくなかった。だが、興味はある』
「……御堂さんや綾瀬さんは、なんて言ってたんだ?」
『何も。俺は、長嶺組の組長であると同時に、今の総和会会長の息子だ。清道会が掴んでいる情報をすべて教えろと言うのは、ムシがよすぎるだろう。俺としても、オヤジの利益のために、昔馴染みを利用する気はないしな』
 和彦はふと、清道会会長の祝いの席で目にした、伊勢崎父子の姿を思い返す。日頃の父子関係をよく表わしていると感じたし、今賢吾が電話越しに話しているのもまた、独特の父子関係を表しているといえる。
 人それぞれに父子関係はあるのだと、いまさらなことを和彦は実感していた。
「難しい話は、ぼくには関係ない。少なくとも、伊勢崎組長の息子さんは、いい子だと思った。ぼくにはそれで十分だ。……高校生があんなに可愛いものだと思わなかった」
『さっきからベタ褒めだな。千尋が聞いたら妬きそうだ。それに、俺も』
 冗談として受け止め、和彦は声を洩らして笑っていた。すると、優しい声音で賢吾が言う。
『ようやく、笑い声を聞かせてくれた』
 和彦は顔を強張らせる。さらに賢吾は続けた。
『〈あの男〉を忘れろとは言わん。だが、いつまでも気持ちを傾けすぎだ。先生が気持ちのバランスを取れるようになるというなら、俺としてはいっそのこと、他の男と浮気でもしてくれたらと思う』
「浮気、なのか……」
『遊びは許す。本気は許さん。それだけだ』
 簡単に言って退ける賢吾を、何様だと思いはするものの、一方で、この男らしいと納得もしてしまう。
「……あんたの冗談は、毒気が強すぎる」
『長嶺の男が放つ毒気には慣れてるだろ、先生』
 迂闊な返事はできなくて、結局和彦は黙ったまま電話を終えた。









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