と束縛と


- 第38話(1) -


 一度気づいた可能性は、和彦の中で不穏な触手を伸ばしていた。
 自分の父親が、現在、自分をオンナにしている男と、かつて肉体関係にあったなど考えたくはない。しかし、頭から振り払えないのだ。
 おぞましいと身震いをした次の瞬間、では自分の現状はなんだと自問し、ここで和彦の思考は停止する。そこでまた、俊哉と守光の関係について、一人では答えの出せない思索に耽る。その繰り返しだ。
 若い頃の俊哉が、かつて面倒事を守光に処理してもらったことは、守光自身の口から教えられた。そのとき和彦は、〈縁〉による二つの家――というより、二人の男の意外な繋がりにただ驚いたのだが、今となっては、守光は何か含みを持たせていたのではないかと疑わずにはいられない。
 それともただの考えすぎなのだろうかと、一縷の望みにすがるように思ったりもする。
 俊哉が若かったということは、当然守光も若く、今のように刺青を隠したりはしていなかったのかもしれない。千尋が知らないだけで、当時は他人に気安く肌を見せていた可能性だってある。だが、エリート官僚である俊哉が目にする可能性は、どれぐらいになるのか。
 和彦は胸苦しさを覚え、ふっと息を吐き出す。自分は父親を信じたいのか、それとも貶めたいのか、それすら判断できないということは、まだ頭も気持ちも混乱しているのだ。
 わかりきったことを自分の中で確認した和彦は、何げなく視線を上げてドキリとする。御堂が真剣な顔をしてこちらを見ていた。目が合うなり、すかさず指摘される。
「――今晩は、心ここにあらずといった感じだね」
 動揺した和彦は反射的に視線をさまよわせたあと、すみませんと小声で謝罪する。
「何か気になることがあるみたいだ」
「いえ、そんな……」
 一緒にいるのが御堂だからと、安心感からつい気を抜いていたらしい。和彦は座椅子に座り直すと、グラスを取り上げる。ワインを勧められたが、今日は冷茶にしてもらった。
 目の前にはすでに料理が並び、最近肌で感じている秋の訪れを、使われている食材でも知ることができる。お茶を一口飲んでグラスを置いた和彦は、飾りとして添えられている紅葉を指先でつついた。
 今日、いつも通りにクリニックでの仕事を終えたあとは、コンビニで買ったもので夕食を済ませるつもりだったが、御堂から連絡が入り、予定は狂った。もちろん、いいほうに。
 一緒に夕食を、と言って指定されたのは、少し前に御堂と食事をした料亭だった。あのときは昼間で、しかも自分たち以外の客の姿はなかったのだが、今日は違う。他の個室だけではなく、カウンターもほとんどの席が埋まっていた。そんな状況で護衛を連れ込むわけにはいかず、申し訳ないが外で待機してもらっている。
 ふと紅葉から視線を上げると、御堂の色素の薄い瞳にまだ見つめられていた。
「……何か?」
「長嶺の男の誰かに悩まされているんじゃないのかと思ってね」
「……いえ、そういうわけではないんですが……」
 はっきり違うと言い切れないのが、正直つらい。和彦が苦い顔をすると、反応としてはそれで十分だったらしく、納得したように御堂が頷く。
「まあ、野暮な質問だね。――悪かった。急に時間が空いたから、一人で食事するのが寂しくて君を誘ったんだ」
「いえっ。ぼくは予定はなかったので、こうして呼んでもらえて嬉しかったです。それに、きちんと顔を合わせてお礼も言いたかったですし」
「お礼……?」
「連休中、御堂さんのご実家で過ごさせてもらったことです」
 ああ、と声を洩らした御堂は、次の瞬間には顔を綻ばせた。
「律儀だね。あれは、こちら側の事情もあってのこと。何度も礼を言われるようなことじゃない。むしろこちらが礼を言わないと」
「でも、いい経験になりました。長嶺組以外の組の空気というものを、短い間でしたが肌で知ることができましたし。ああ、清道会のみなさんにも、ずいぶんお世話になりました」
「機会があれば、また君を誘おうかな。その清道会が、喜んでいたし。長嶺組はともかく、総和会が今度こそ許可を出さないかもしれないけど」
 冗談めかして言う御堂だが、言葉の下からちらちらと物騒な本音が覗いているようで、和彦は返事に困る。自分の身が自分だけのものではないことを、過去に同じ立場であった御堂は当然理解しているはずだ。
 この場にいない〈誰か〉に対する当てつけなのだろうかと考えたとき、和彦はこう問いかけていた。
「――……総和会で、何かあったんですか?」
 御堂は一瞬目を眇めてから、首を傾げる。
「何か、とは?」
「いえ、ただなんとなく……」
 ここで、料理が冷めてしまうことが気になり、和彦は焼き魚に箸を伸ばす。一方の御堂は、焼き物にステーキを選んだ。なんとなく意外な気がしたが、御堂は苦い顔をして、体力をつけるために肉を食べろと周囲の人間たちから忠告されているのだと教えてくれた。
 それを聞いた和彦は、他人事とは思えなくて破顔してしまった。
「大事にされてますね」
「お互いにね。――さっきの君の質問の答えにも繋がるけど、君は本当に、総和会から大事にされているよ。だからこそ一部の人間は、わたしが目障りで仕方ないだろう」
 和彦の頭に浮かんだのは、二人の男の顔だ。あえて名を出すまでもなく、御堂とは認識を共有しているはずだ。
「総和会は、君の機嫌をなるべくなら損ねたくないんだ。だからこうして、わたしが君と会うのも大目に見られている」
 だからといって、批判がないわけではないだろう。自分の知らないところで駆け引きが行われているのかもしれないと推測し、和彦は改めて、総和会という組織の得体の知れなさに思いを巡らす。
 そんな組織のトップに君臨しているのが、長嶺守光という男なのだ。そして、自分の父親は――。
 不穏な触手がまたじわりと広がったようだった。和彦は、世間話を装って切り出す。
「御堂さんは、賢吾さんとつき合いが長いのでしたら、長嶺組の本宅に出入りされていたこともあるんですか?」
「まあ、数回といったところかな。お互い、友達の家に遊びに行くという年齢でもなかったし。一応わたしは組の関係者だったから、まだ堅気の人間のほうが、気軽に出入りできていたかもしれないな」
 御堂の言葉に、微かに肩が揺れる。
「……その頃は長嶺組の組長は、今の総和会会長だったんですよね……」
「ピリピリしていたよ。勢力争いが活発な頃だったからね。長嶺組が、というわけじゃなく、極道の世界全体が。本来こういう表現をしちゃいけないんだろうが、だからこそ、活気があった。影響力もあったから、忌避されながらも、反面、その影響力は頼りにもされていた。今はなんでもやりにくいよ。慎重に、警察の目をかいくぐることに神経を注いでいる」
 一見してヤクザとは程遠い優美な外見をしている御堂だが、しみじみと語る口調はやはり、裏の世界の住人なのだと強く実感させられる。
「そんな時代に、長嶺組長は特に一目置かれていた。同業者にも、警察にも。いろいろ危ない目にも遭ったようだけど、あの通りだ」
「すごい人だったんですね……」
 こういうとき、自分は凡庸な感想しか出てこなくて困ると、和彦は内心で嘆息する。
「いつだったか、賢吾が言っていた。子供の頃、自分の父親に権力欲なんてないと思っていたのに、あるときから変わったと。人が変わったように、長嶺組を大きくすることに心血を注ぎ始めたらしい。そして今は、総和会を」
 和彦はふと、かつて守光が何者であるか知らないまま交わした会話を思い出していた。新年を迎えたばかりの頃、ホテルのティーラウンジで、和彦は初めて長嶺守光という人物と出会ったのだ。
「賢吾さんは、会長が変わったきっかけについては……?」
「さすがにそこまでは聞かなかったな。あそこの父子関係はなかなか複雑だから、こちらもどこまで立ち入っていいやら」
 ここまで話して、御堂がひたと見据えてくる。一瞬宿った瞳の怜悧な光に和彦はそっと息を詰める。
「長嶺組の歴史が気になるなら、それこそ、長嶺の男たちに直接聞けばいい。君が興味を持ってくれたと、喜んで語ってくれるだろう」
「いえ、そんな大層なことではなくて――……」
「それとも君が興味があるのは、長嶺の男たちのうちの一人かな」
 穏やかな口調で問われたが、内心和彦は、刃の切っ先を突きつけられたような緊張感を味わう。
 俊哉と守光との間に何かあるのかと、今はまだ誰にも気取られてはいけない。和彦は自分に言い聞かせ、心に堅固なカギをかける。
「……ぼくがここで正直に答えると、御堂さんはきっと、賢吾さんに話してしまうでしょう? だから、言いません」
 御堂は目を丸くしたあと、笑みをこぼした。どうやら冗談として受け止めてくれたようだ。
「嫉妬深い男たちに見染められると、いろいろ大変だね」
 視線を泳がせながら和彦が曖昧な返事をすると、御堂はますます笑みを深くする。おかげで緊張感は薄れ、いくらか安堵して食事を楽しむことができた。


 店を出ると、予想以上に冷たい夜風に頬を撫でられて和彦は首をすくめる。
 隣に立った御堂はコートを羽織ることなく腕にかけると、灰色がかった髪を掻き上げながら辺りを見回した。すると物陰から、男たちがスッと姿を現す。和彦と御堂にそれぞれついている、護衛の男たちだ。
 ここで二人は別れることになるため、和彦は御堂に礼を言って頭を下げた。食事をご馳走になったのだ。
「君と秘密の話ができるなら、安いものだよ。悪かったね。明日も仕事があるのに、遅くまで引き止めてしまって」
「とんでもない。こちらこそ、御堂さんとゆっくり話ができて楽しかったです」
 もう一度頭を下げて、護衛のもとに向かおうとした和彦だが、御堂に呼び止められて振り返る。
「――近いうちにまた誘ってもいいかな?」
「えっ……、ええ、それはもちろん」
「実は数日前に伊勢崎さんから連絡があって、近いうちにまたこっちに来るようなんだ。そのとき、ぜひ佐伯くんも食事を誘いたいと言われた」
 伊勢崎、と聞いてドキリとする。この瞬間、和彦の脳裏に鮮やかに蘇ったのは、伊勢崎玲の若く凛々しい顔だ。もちろん、御堂が指しているのは、玲の父親である龍造のほうだ。
 うろたえる和彦に対して、御堂はこう続けた。
「息子が世話になった礼をしたいと、伝言を言付かった」
 居たたまれない気持ちとは、まさに今の和彦の心境を指すのだろう。おそらく龍造は、『世話』という言葉に特別な意味を込めているはずだ。
 よほど罪悪感に満ちた顔をしたのか、御堂は安心させるように和彦の肩に手を置き、小声で言った。
「心配しなくていい。玲くんのことで抗議したいとか、そういうつもりではないだろう。むしろ――君に感謝しているはずだ」
「感謝、ですか?」
「伊勢崎龍造は……というより伊勢崎組は、長嶺組と接触する機会を持ちたがっていた。君はきっかけとしては最適だ。そんな君に無体を働いたら、伊勢崎組はこちらでは身動きが取れなくなる。賢吾の執念深さについては、わたしがたっぷり語って聞かせているからね。だから今後のことを考えて、君とまず友好的な関係を築きたいんだろう」
 伊勢崎組の組長である龍造と会うのは、はっきり言って怖い。しかし、伊勢崎玲の父親と会うのだと考えたら――。
 和彦はブルッと身を震わせる。ふと思い出したのは、初めて賢吾と対面したときのことだった。あのときの凍えるような恐怖が蘇り、血の気が引きそうになる。玲が向けてくれた一途さや情熱を、体で受け止めた和彦としては、同じ過ちを犯したとは言いたくない。一方で、怯みそうになる自分がいる。
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫」
 突然、頬にさらりと乾いた感触が触れ、和彦は目を見開く。御堂の手が頬にかかっていた。
「何も、伊勢崎さんと二人きりで会えと言っているんじゃない。当然、わたしも同席するし、万が一にも伊勢崎さんが君を責めようとするなら……、そうだね、あの人の口におしぼりでも詰め込んでやろう」
 笑っていいのかどうか判断に困り、自分でもわかるほど微妙な表情を浮かべた和彦に、御堂がぐいっと顔を近づけてくる。息もかかる距離で秀麗な美貌を目の当たりにして、視線を逸らすことはできなかった。
「つまり、そう気負わなくていいということだ。せっかくだから、玲くんの近況とか聞いてみるといいよ。気になるだろう?」
「……はい。でも、ぼくの気持ちはともかく、伊勢崎さんと会うことを、まずは賢吾さんに相談しないと……」
「それは、わたしに任せてほしい。賢吾に説明して、否とは言わせない」
 色素の薄い御堂の瞳は、ときおりヒヤリとするような強い光を湛える。それはきっと、自信であったり自負と呼べるものだと和彦は思う。裏の世界で生き抜くために必要なもので、それがあるから賢吾とも堂々と渡り合えるのだ。それに南郷とも。
 羨ましいと、率直に感じた。これは嫉妬とは切り離された感情で、憧れに近いかもしれない。
 和彦がぎこちなく頷くと、ようやく頬から御堂の手が離れる。このときふと、離れた場所にひっそりと立つ二神に気づいた。普段、物憂げで陰りのある表情を浮かべていることの多い男だが、今は、微妙にうろたえているように見える。
 そんな二神に対して御堂が、艶やかな笑みを向けた。
「うちの二神には、刺激が強かったみたいだ……」
 ぽつりと御堂が洩らし、今度こそ二人は別れた。
 車に乗り込んだ和彦は、思わずため息をつく。御堂の口から伊勢崎父子の話題が出たことで動揺してしまったが、それも長くは続かない。
 夜の街の光景を漫然と眺めながら、頭を占めるのは、俊哉と守光のことだった。
 御堂は、知りたいことは長嶺の男たちに直接聞けばいいと言った。聞く相手は守光しかいないのだが、真実を聞かされたとき、自分がそれを受け入れられるか和彦には自信はなかった。強い拒否感を抱いた瞬間、他の長嶺の男たち――賢吾や千尋とこれまで築いてきたものをすべて失ってしまうのではないかと不安もある。
 ただの〈オンナ〉であったなら、知る必要のないことだ。しかし和彦は、佐伯俊哉の息子だ。自分が生まれる前に起こったことだとしても、知らない顔はできなかった。
 考え続けることに神経が疲弊して、たまらず目を閉じる。
 かろうじて和彦は、若い頃の俊哉の姿を写真で見たことがあった。実家に保管してあるものではなく、里見が昔、古い資料の中からたまたま発見したものを見せてくれたのだ。
 一方の守光は、若い頃はどんな感じだったのだろうかと、ふと想像した次の瞬間、和彦は目を開ける。
 ジャケットから携帯電話を出そうとモゴモゴと身じろいでいると、何事かと護衛の組員が振り返る。なんでもないと答えて、ようやく携帯電話を取り出すと、ある人物へとかけた。
「もしもし、突然で悪いけど、頼みがあるんだ――」




 座卓の上に積み上げられたアルバムに、和彦はそっと片手をのせる。このとき、形容しがたい切なさが胸を通り過ぎた。
 浮き足立った状態で夕食と風呂を済ませたあと、いざ目的のアルバムを目の前にしたのだが、まさかこんな感傷に浸ることになるとは思わなかった。
 和彦の中に〈普通の家庭〉という尺度は存在しないのだが、大切に保管されてきたであろう積み上げられたアルバムを目の前にすると、いろいろと考えてしまう。特に長嶺の家は行事ごとを大事にしているため、自分の実家との違いを痛感せざるをえない。
 昨日千尋に電話で頼んだのは、本宅にある古いアルバムを見せてほしいというものだった。千尋は特に理由を問うことなく、あっさりと承諾してくれた。
 想定外だったのは、仕事終わりに本宅に立ち寄り、客間でゆっくりと見るつもりだったのに、なぜかアルバムが賢吾の部屋に運び込まれていたことだった。その理由を聞こうにも、肝心の千尋が今夜は本宅にはいない。
 この部屋に運び込ませたのは、きっと賢吾が命じたのだろうなと思いつつ、少し緊張しながら和彦は一冊のアルバムを手に取る。古いアルバム、と指定しておいたのだが、あからさまに目につく位置に置かれた新しいアルバムを無視することはできなかった。
 慎重にアルバムを開くと、和彦の意識はあっという間に、台紙にきれいに貼られた写真に向いていた。
 思った通り、どの写真にも子供の千尋が写っていた。就学前ぐらいのようだが、長嶺組の跡目として大事にされているのは、身につけたデザインの凝った子供服や小物からも見て取れる。またそれが、よく似合っているのだ。
 意識しないまま和彦の顔は綻ぶ。いつだったか賢吾が、子供の頃の千尋は腺病質だったと言っていたが、確かに色が白く小柄な姿は、そう思わせる風情があった。
「今とは大違いだ……」
 物珍しさもあって、まじまじと写真に見入っていたが、自分が何を確かめるつもりでアルバムを出してもらったのか思い出し、名残り惜しいがアルバムを閉じる。あとでじっくり見ようと、今度は少し古びたアルバムを開く。
 いきなり紋付羽織袴姿の賢吾の写真が目に飛び込み、和彦の鼓動が大きく跳ねた。
 若い、と口中で呟いて次のページを開いたとき、その格好の意味を一瞬で察し、慌ててアルバムを閉じた。
 次は、一際立派な表装のアルバムを手に取る。中に収まっているのは、まさに歴史の一ページと表現できそうな、色褪せ始めている古い写真の数々だった。
 どこかの神社の一角らしい場所で、ダークスーツ姿の男が、赤ん坊を抱いて立っている。非常に整った顔立ちをした若い男だ。千尋に似ているなと思ったとき、和彦は小さく声を洩らす。若い頃の守光だった。
 じっくりと観察すれば、今も面影がしっかりと残っているとわかる。それでも、受ける印象はずいぶん違う。今は見事な白髪をしているが、写真の中の守光は黒髪を短く刈っており、体つきも痩身というより、力強さを秘めたしなやかさを感じさせる。腕に抱いているのは賢吾だろう。だとしたら、この頃の守光はまだ長嶺組の組長ではなかったはずだ。
 当時、守光の中にはすでに、圧倒的な権力に対する渇望があったのだろうかと、写真を通してはわからないことを和彦は考える。
 ページを捲っていくごとに、守光は年齢を重ねていき、貫禄と風格を増しているように見えた。それに伴い、長嶺組は勢力を拡大し、その間のどこかで、官僚として権力を得つつあった俊哉と出会っていたのだ。
「――そんなに熱心に見入るほど、若い頃のオヤジは色男か?」
 前触れもなく背後から声をかけられ、和彦は危うく悲鳴を上げそうになる。おそるおそる振り返ると、いつからそこにいたのか、浴衣姿の賢吾が立っていた。風呂から上がってまっすぐ部屋に来たらしく、髪が濡れている。
 驚きすぎて、すぐには声が出ない。和彦が顔を強張らせたまま黙っていると、賢吾は唇を緩めて、隣にドカッと腰を下ろした。このとき石けんの香りが鼻先を掠める。
「色気があったからな、オヤジは。そりゃもう女が放っておかなかった。中には、男も」
 和彦が目を見開くと、賢吾はニヤリと笑う。
「男気に惚れる、ってやつだ。長嶺組の組長として容赦がなくて厳格だったが、一方で懐が深いところもあったんだ。面倒見もよくてな。俺は、オヤジのやり方を踏襲しているだけで、他人様から、さすがだと言われるようなご立派な組長というわけじゃない。……偉大すぎて、跡を継いだばかりの頃は、本当に苦労した」
「だったら……、千尋も苦労しそうだな」
 ようやく発した和彦の言葉に対し、賢吾はなんともいえない表情を浮かべた。困惑したような、しかしそれだけではないような。もしかして照れたのだろうかと、賢吾の顔を覗き込みたい衝動に駆られたが、大蛇の尾は踏みたくないので、ぐっと堪える。
「それで、本宅にある古いアルバムを見たいなんて、いきなりどうしたんだ? 千尋の奴はちゃっかり、自分のアルバムも紛れ込ませているが」
「……長嶺の家のことを少し知りたいと思って。これからもっと――関わりが深くなっていくかもしれないし」
「いくかも、じゃないな。なっていくんだ。長嶺の男たち三人揃って、先生に骨抜きだからな。それはフェアじゃねーから、先生をズブズブに深みにはめている。逃げようなんて気が一切起きないように」
 寒気がしそうなほど物騒なことを言っているくせに、耳に注ぎ込まれるバリトンは官能的で、甘い。おかげで和彦の背筋には、疼きが駆け抜けていた。
「まだ、満足しないのか……」
「鷹津のこともあったし、知り合ったばかりのいたいけな男子高校生と深い仲になったのは、誰だ?」
 和彦が唇をぐっと引き結ぶと、おもしろがるような表情をした賢吾が、その唇に軽く噛みついてきた。慌てて肩を押し戻す。
「ぼくはまだ、アルバムを見てるんだっ」
「こんなもの、いつでも見られるだろ。なんなら貸してやる」
「簡単に言わないでくれ。長嶺家の大事なものだろ」
「――先生のほうが大事だが」
 臆面もなく断言され、瞬く間に和彦の顔は熱くなる。おそらく赤くもなっているだろう。賢吾は楽しげな様子で一緒にアルバムを覗き込みながら、和彦の髪にそっと唇を押し当てた。
「オヤジの写真ばかり見てないで、俺の若い頃の姿も見てくれたか?」
「……まだだ」
 ささやかなウソをついてしまったのは、紛れもなく嫉妬のせいだ。鋭い男はそのウソをあっさりと見抜いた。
「可愛いな、先生」
 そう言って和彦の髪にまた唇を押し当てる。
「俺の結婚式の写真もあっただろ。千尋の母親のものはほとんど処分したが、写真ぐらいはな。これも、長嶺の歴史の一部だ。――今は、先生と築いている」
 今日の賢吾はやけに甘い。いや、ここ最近、ずっと和彦に対して甘いのだ。
 アルバムから顔を上げると、間近から大蛇の潜む目がじっと見つめていた。さらに距離が縮まり、目元に息が触れ、次いで唇が押し当てられた。心地よさに、微かに吐息をこぼすと、あごを掬い上げられた。
 焦らすように上唇と下唇を交互に優しく吸われながら、口づけの合間に賢吾に言われる。
「千尋と約束しているらしいな。写真を一緒に撮ると」
 そんな約束をしていたなと、和彦は思い出す。つい笑っていた。
「あんたになんでも報告するんだな、千尋は」
「報告じゃねーよ。自慢されたんだ。いいだろ、と言って」
「……本当に仲がいいな。あんたたち父子は」
 下唇にそっと歯が立てられ、身震いしたくなるような疼きを感じる。後頭部に大きな手がかかり、和彦の官能の扉を開くための作業はすでに始まっているといわんばかりに、髪の付け根を荒っぽくまさぐられる。たまらず和彦は小さく喘ぎ声をこぼしていた。
「撮るなら、俺も一緒だ。きちんと正装して、写真館で」
「どういう理由で撮るんだ?」
 この問いに対する答えはなかった。アルバムを閉じた賢吾に腕を取られて立ち上がると、もつれるような足取りで隣の部屋へと移動する。すでに布団が敷かれており、その上に押し倒された。
 荒々しい手つきで帯を解かれて、浴衣の前を開かれる。こうなることを期待していたわけではないが、浴衣を脱がされながら和彦は、眩暈がするような高揚感に襲われていた。下着も引き下ろされて足から抜き取られる。
 何も身につけていない姿となった和彦を、賢吾が目を細めて見下ろしながら、慰撫するようにてのひらをまず首筋に這わせてきた。肩先から腕へとてのひらが滑り、胸元にも押し当てられる。
「鼓動が少し速いな。もう興奮しているのか?」
 揶揄気味に話しかけられ、賢吾を軽く睨みつけた和彦はふいっと顔を背ける。それを待っていたように、覆い被さってきた賢吾の唇が首筋に這わされた。付け根を強く吸い上げられ、ジンと胸が疼いた。わざと和彦に聞かせるように、濡れた音を立てて肌を吸われ、鮮やかな鬱血の跡を散らされる。
 和彦は吐息をこぼして賢吾の首に両腕を回そうとしたが、すかさず肘を掴まれた。腕の内側を熱く濡れた舌で舐められてから、ゆっくりと歯を立てられる。賢吾から与えられる痛みは、肉の愉悦を伴っている。だから和彦は拒めない。それどころか――。
 噛みつきやすい場所を探すように、賢吾が体のあちこちを甘噛みしてくる。和彦は息を弾ませ、従順に自分の体を差し出す。肌に残る噛み跡は、大蛇の化身のような男に所有されているという証だ。
「あうっ」
 脇腹に強く噛みつかれて、さすがに呻き声を上げたとき、賢吾の手が両足の間に差し込まれ、いきなり欲望を掴まれた。和彦の欲望が身を起こして熱くなっていたことに、本人よりも先に賢吾は気づいていたのだ。
「噛まれて、感じたか?」
 意地悪く賢吾に問われる。和彦はまた顔を背けたが、賢吾はそれで許すつもりはないらしく、わざわざ耳元に唇を寄せてきた。
「教えてくれ、和彦」
「……言わなくても、わかるだろっ……」
「わからねーな。俺は察しの悪い男だから」
 ヌケヌケと、と思いながらも、和彦は言い返すことができなかった。耳朶にチクリと痛みが走り、賢吾の歯が立てられたのだとわかる。そこで、電流に似た強烈な疼きが背筋を駆け抜ける。掴まれた欲望をゆっくりと扱かれていた。
「はっ、あぁっ……」
 身悶えながら和彦は浴衣の上から賢吾の逞しい体をまさぐり、もどかしく帯を解く。さっそく賢吾の素肌をまさぐり、背の刺青に触れる。
「千尋にも、こんなふうにしてやったか?」
「それは報告してもらえなかったのか」
「一応、俺と張り合いたいという部分も持ってるようだ。……一端の男だな、あいつも。お前が、男にした」
 唇を塞がれ、口腔に舌をねじ込まれる。じっくりと粘膜を舐め回されてから、唾液を流し込まれ、舌先を擦りつけ合う。濃厚な口づけを交わしながら賢吾は裸になった。和彦の膝に手がかかり、促されるまま足を開くと、傲慢な動きで賢吾がぐっと腰を割り込ませ、下肢を密着させてきた。
 戦くほど熱い高ぶりを押し付けられ、安堵と快美さに身を貫かれる。露骨だが、賢吾が自分に欲情していると何より実感できる瞬間なのだ。
 舌を絡め合いながら、賢吾のてのひらが胸元に這わされる。すでに期待に凝った胸の突起を丹念に擦られ、指の腹で押し潰されたあと、再び硬く尖るように摘み上げられて抓られる。和彦がおずおずと濡れた髪に指を差し込むと、本当は誰より察しのいい男は、無言の求めに応じた。
「あうっ」
 胸元に顔を伏せた賢吾に、突起を口腔に含まれる。痛いほど強く吸われたかと思うと、甘やかすように舌先でくすぐられてから、そっと歯を立てられる。
 交互に左右の突起を愛撫されながら、再び欲望を握り締められていた。先端を爪の先で弄られて、腰が震える。
 たっぷり突起を嬲ったあと、賢吾が胸元や腹部に何度も唇を押し当てる。ヘソを舌先でくすぐられ、和彦は反射的に上体を捩ろうとしたが、すかさず欲望の括れを指の輪で締め付けられた。
「じっとしてろ」
「……無茶、言うな……」
 上目遣いに見上げてきた賢吾が、まるで見せつけるように舌を出し、和彦の欲望の先端をちろちろと舐め始める。無意識に腰が引けそうになるが、すでにもう蜜を含んだように下肢が重くなり、動けない。それに、はしたない光景から視線すら引き剥がせなくなっていた。
「ふっ……」
 先端から透明なしずくが滲み出すと、待ちかねていたように賢吾が吸いつく。淫らに蠢く舌が先端にまとわりつき、括れを唇で締め付けられて、和彦は喉を反らし上げて深く息を吐き出す。両足を大きく左右に広げられ、さらに深く賢吾の頭を迎え入れた。
 硬い歯の感触がときおり欲望に当たる。ゾクリとするような怖さを感じはするものの、それは被虐的な快感と紙一重である。さらに追い打ちをかけるように、油断ならない賢吾の指は、和彦が恥知らずな反応を示す場所を暴き始めた。
「あっ、嫌、だっ……。まだ、そこは――」
 和彦は弱々しく抗議の声を上げるが、賢吾は一切聞き入れることなく、柔らかな膨らみを手荒く揉みしだく。口腔深くまで欲望を呑み込まれた状態で、もう一つの快感の源を攻められると、和彦に抗える術はない。浅ましく腰を揺らしながら放埓に悦びの声を上げ、賢吾の髪を掻き乱す。
 欲望を一度口腔から出した賢吾が、自分の愛撫の成果を満足げに見つめている。決して慣れることのない激しい羞恥に襲われ、和彦は慌てて足を閉じようとしたが、ピシャリと内腿を平手で叩かれた挙げ句、弱みを指先に捉えられた。
「オンナらしく、俺に可愛がられてトロトロになった場所をしっかりと見せろ」
 的確に蠢く指に弱みを弄られ、上擦った声を洩らす。和彦の欲望は、賢吾の唾液で濡れそぼっただけではなく、見つめられることによって、先端から透明なしずくを滴らせていた。
 弱みから指が離れ、強すぎる刺激から解放されて一瞬ほっとしたが、すぐにまた身を竦めることになる。流れ込んだ唾液とも汗ともつかないものによって湿った内奥の入り口を、指の腹で優しく撫でられた。
「――ここも、トロトロにしてやろう」
 官能的な声での囁きに、それだけで感じてしまう。和彦は、すっかり乱れた賢吾の髪をぎこちなく撫でていると、ちらりと笑みを浮かべた賢吾が、内腿に顔を寄せる。叩かれてうっすらと赤くなった部分にそっと舌先が這わされた。
 寸前までとは打って変わった優しい愛撫だった。内腿に繰り返し唇が押し当てられ、思い出したように柔らかく肌を吸われながら、内奥の入り口を絶えず指の腹でくすぐられ――。
 和彦は身を委ねながら控えめに声を上げ、賢吾の愛撫に蕩けていく。ただ、すでにもう快感に対して貪欲になっており、少しだけ強い刺激を求めて自分の欲望に片手を伸ばそうとする。しかし、あっさりと賢吾に払いのけられた。
「ダメだ。お前を感じさせるのは、今は俺の役目だ」
「意地が悪いっ……」
「人聞きが悪い。俺ほど優しい男はいないだろ」
 ふざけた口調ではあるが、賢吾の眼差しは真剣だった。
 膝裏を掴まれて両足をしっかりと抱え上げられる。再び賢吾が顔を埋めたかと思うと、次の瞬間、和彦は目も眩むような快美さを味わうことになる。賢吾の舌が触れたのは、内奥の入り口だった。
「賢吾っ」
 咄嗟に名を呼ぶが、あとの言葉が続かない。やめてほしいという気持ちを裏切って、与えられる淫らな愛撫を体は喜々として受け入れている。とてつもない羞恥と罪悪感を刺激されながら、鼻にかかった甘えるような呻き声が洩れていた。
「うっ、うっ……、んんっ、んっ、んうっ」
 露骨に卑猥な音を立てて舐められ、吸われていくうちに、否応なく内奥の入り口が解れていく。ひくつく部分を暴くように押し込まれた舌先の蠢きを感じた瞬間、和彦はきつく目を閉じる。
 和彦の体に何が起こったのかわかったのだろう。賢吾が低く笑い声を洩らした。
「気持ちいいのに刺激が足りない、という感じだな」
 反り返ったまま震える欲望を握られ、緩く扱かれる。もう少しで精を吐き出せそうなのに、容赦なく根本を指で締め付けられた。和彦がすがるような眼差しを向けると、それが賢吾の満足いく反応だったらしく、唾液で濡れた内奥の入り口に熱い感触を擦りつけられた。
 まだ中を解されていない。和彦は制止の声を上げようとしたが、賢吾は傲慢に腰を進め、内奥をこじ開ける。異物感と鈍痛が一気に押し寄せてきて、数瞬、意識が揺らぐ。無意識に息も詰めていたが、浅く挿入された欲望がゆっくりと出し入れされ始めると、疼きを伴った感覚が生まれる。
「あぁっ、あっ、あっ、くぅっ……ん」
 少しずつ侵入が深くなり、和彦は賢吾に見下ろされながら上体を捩って悶えていた。苦しさからではなく、快感から。
 焦らすように内奥から欲望が引き抜かれ、緩んだ入り口を指先でなぞられる。再び欲望を浅く含まされ、逞しい部分でじっくりと押し広げられると、尾を引く嬌声を上げていた。
 和彦の反らした喉元に唇を這わせてから、賢吾が侵入を深くする。発情しきった襞と粘膜を強く擦られて、吐息を震わせる。
 賢吾に乱暴に内奥を突き上げられて、絶頂を迎える。迸らせた精で下腹部を濡らすと、満足げに賢吾が口元を緩めた。
「――いやらしいな、和彦」
 羞恥で身を焼かれそうになりながら和彦は、内奥に呑み込んだままの賢吾の欲望を強く締め付ける。すると賢吾が覆い被さってきて、このとき内奥深くを抉るように突かれていた。精を放ったばかりだというのに、和彦の体は新たな情欲の高ぶりを迎える。
 すがりつくように賢吾の背に両腕を回し、刺青を撫で回す。駆り立てられるように賢吾が力強い律動を刻み、繋がった部分が大きく湿った音を立てる。
「はあっ……、あっ、いっ……、気持ち、いいっ――」
 快感に惑乱しながら和彦が声を上げると、賢吾に手荒く髪を掻き乱されながら、顔中に唇を押し当てられる。間近から見た大蛇の潜む目は、狂おしい情欲を湛えていた。一心に見つめられ、荒々しい眼差しに愉悦を覚える。
「賢吾……」
 思わず呼びかけて、逞しい背にぐっと爪を立てる。賢吾は驚いたように軽く目を見開いたあと、惚れ惚れするような鋭い笑みを浮かべた。
「性質の悪いオンナだ。まだ、俺を骨抜きにする気か」
「……な、に……?」
 突然、賢吾にきつく抱き締められたかと思うと、上体を起こされた。
 胡坐をかいた賢吾の腰の上に、繋がったまま跨る。自らの重みで一層深く欲望を呑み込み、背をしならせて和彦は仰け反ったが、賢吾にしっかりと抱き寄せられる。
「ひっくり返るなよ」
 笑いを含んだ声で賢吾が言う。下から突き上げられる圧迫感に和彦は慎重に息を吐き出し、抗議の意味を込めて、もう一度背に爪を立てた。すかさず腰を動かされ、内奥で欲望が蠢く。
「あっ……」
 賢吾の両手に尻の肉を鷲掴みにされたが、痛みが心地よくて、和彦は自らゆっくりと腰を揺らしていた。
 室内に、粘膜同士が擦れ合う音と、和彦の掠れた喘ぎ声、そして賢吾の荒い息遣いが響く。ときおり、和彦が爪先で布団を蹴る音も。
「――和彦」
 ふいに名を呼ばれて伏せていた顔を上げる。唇を塞がれて余裕なく舌を絡め合いながら、和彦は堪え切れずに、賢吾の引き締まった下腹部に欲望を擦りつける。中からの刺激で再び身を起こし、先端から悦びのしずくを垂らしていた。
「んんっ」
 繋がっている部分を強く指の腹で擦られて、和彦の背筋が痺れた。ここで舌を解いて唇を離すと、大きく息を吸い込む。内奥でふてぶてしく息づく欲望をきつく締め付けると、耳元で賢吾が低く呻き声を洩らした。体の内で感じる大蛇の分身はドクドクと脈打ち、限界が近いのだとわかる。
 和彦は、強い衝動に促されるように、大蛇の巨体の一部が彫られた肩にじわじわと歯を立てた。身じろいだ賢吾に腰を掴まれて内奥を突き上げられる。
「……俺は、度し難いほど、独占欲と執着心が強い」
 突然の賢吾の言葉に、息を喘がせながら和彦は笑ってしまう。
「よく知っているつもりだ」
「だから、お前を今以上にどうやって雁字搦めにして、逃げ出さないようにするか考える。――俺が、先生を養子にするというのは、最善で最強の手段だと思っている」
 汗で濡れた後ろ髪を掴まれて、無理やり顔を上げさせられた和彦は、賢吾の真剣な表情を目の当たりにする。
「何度も言うが、俺は本気だ。総和会とオヤジの、お前に対する執着ぶりを見ていると、ますますこう考えるようになった。俺の養子にして、お前に同じ姓を名乗らせたいってな」
 話しながら賢吾の指が、再び繋がっている部分をなぞってくる。さらに、すでに欲望を呑み込んでいる内奥に、その指を押し込んでくる。
「あっ、賢、吾っ……」
「俺だけの特別なオンナになれ。嫌か?」
 こういう問いかけは、いつもの長嶺の男のやり口だった。
「……そんな大事なこと、すぐには決められない」
「俺と一緒にいたくねーか?」
 この言い方は卑怯だと、和彦は賢吾を睨みつける。すると賢吾が苦い笑みを浮かべた。
「せっかく求愛しているのに、そんな怖い顔するな」
「えっ……」
「打算だけで言ってるんじゃない。オヤジの養子になっても、同じ姓にはなる。だがそれは違う。俺とお前とで結びつくことに意味がある。――……お前と一緒になりたいんだ」
 賢吾の言葉をじっくりと噛み締め、理解していく。確かにこれは、紛うことのない求愛だ。
 呆然とする和彦の唇を、賢吾が優しく啄んでくる。半ば条件反射のように口づけに応えながら和彦の胸に広がるのは、喜びよりも戸惑いだった。自分に佐伯の姓が捨てられるだろうかというより、佐伯家が捨てさせてくれるだろうかと真っ先に思ったからだ。
 長嶺組や総和会と深く関わっていると知りながら、電話越しに話した俊哉は怯んではいなかった。だからといって和彦と絶縁するつもりがあるようにも感じられなかった。俊哉は、無策のまま行動に出る愚かな人間ではない。
 長嶺の男たちに何かを仕掛けるつもりなのだとしたら――。
 和彦はヒヤリとするような恐怖を感じ、つい賢吾に問いかけた。
「……もし、ぼくがあんたの養子になったとしたら、佐伯家から恨まれるとは考えないのか?」
「俺が、佐伯家に挨拶に出向いたほうがいいってことか。息子さんをくださいと……」
「冗談を言ってるんじゃなくて、佐伯の姓を捨てたぼくはきっと、長嶺の家にとっても、組にとっても、厄介者になる」
「お前のことを最初に調べたときに、なかなか面倒な存在だとは感じた。それでも俺は手を出して、オンナにした。逃げ出さないよう、いろいろ策を講じてな。厄介だなんだと考える時期は、とっくに過ぎたってことだ。お前は物騒な男と組織の事情に首まで浸かって、立派にこちら側の人間になった。佐伯家のほうが、お前を厄介者として放り出してくれねーかと、正直願っている」
 ひどい言われようだが、腹は立たなかった。和彦自身、そう都合よくなってくれないだろうかと、頭の片隅では考えていた。
「――今はまだ答えられない。事情が変わる、かもしれないし……」
「変わりそうな心当たりが?」
「……わからない。でも、あれこれ考えてしまう。あんただって、この先事情が変わるかもしれないし」
 賢吾がふっと眼差しを和らげた。
「それは、俺の心変わりを心配してるのか?」
 和彦は返事ができなかった。会話を交わしている間も賢吾の二本の指が、じわじわと内奥に侵入していたからだ。内奥に収まっている己の欲望を擦り上げるように、賢吾が指を動かす。内奥がきつく収縮を繰り返し、いつもはない圧迫感を訴える。和彦は息を喘がせながら、ヒクリと下腹部を震わせた。
「美味そうに、俺のものと指を咥え込んでる。ひくついているのがよくわかる。健気だが、いやらしいな。もっと、欲しいんじゃないか?」
「無理、だっ……」
 賢吾の指に、中から内奥を広げるように刺激されながら、ゆっくりと緩慢な動きで腰を揺らされる。和彦は短く声を上げながら、圧迫感に慣らされ、感じていた。その証拠に、賢吾の腹部に向けて精を放ってしまう。
 耳元で賢吾が笑った気配がしたが、和彦は顔を上げることはできなかった。内奥から指が引き抜かれ、ほっとする間もなく腰を掴まれて乱暴に突き上げられる。
 少し待ってくれと弱々しい声で訴えたが、明らかに興奮した様子の賢吾の耳には入っていなかった。
 もしかすると、わざと聞こえないふりをしたのかもしれないが――。









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