と束縛と


- 第40話(2) -


 昼過ぎに自宅マンションに戻った和彦は、抱え持った袋をダイニングのテーブルに置き、ほうっ、と息を吐く。
 昨日は、賢吾の誕生日を祝うはずが、その賢吾に靴を買ってもらい、さらには家具店で見かけたルームランプを、和彦の意見も聞かずに注文してしまった。明日には組員の手によって、寝室に運び込まれているだろう。
 自分の誕生日ではないかと錯覚しそうなほど至れり尽くせりだったが、和彦だけでなく賢吾も楽しんでいるように見え、抗議など野暮なことができるはずもなかった。そう、とにかく楽しかったのだ。
 もらうばかりでは申し訳ないと、和彦もささやかながら何か買ってプレゼントしたいと提案したものの、賢吾が首を横に振り続けた。
 デートができただけで十分だと殊勝なことを口にしていたが、そのときすでに賢吾の中に企みはあったのかもしれない。
 結果として和彦は、賢吾にきちんと誕生日プレゼントを渡せた――というより、奪われた。
「……バカじゃないか、いい歳した男の〈初めて〉なんて」
 そう呟いた和彦だが、口調には苦々しさだけではなく、恥じらいも含まれている。昨夜、自分がさんざん乱れた挙げ句に、どんな失態を演じたか、よく覚えているが故だ。
 賢吾からは、失態ではなく痴態だと、ニヤニヤしながら言われ、何も言い返せなかった。悔しいことに。
 和彦はダッフルコートを脱ぐと、少しの間ぼんやりとその場に立ち尽くしていたが、ふと我に返る。体の内側がまだ熱を発しており、急に喉の渇きを覚えた。
 ふらふらとキッチンに入り、冷蔵庫を開ける。気の利く組員によって、冷蔵庫には和彦が持て余さない程度の食料が補充されており、しっかりベーコンもあった。賢吾が余計なことを言ったのではないかと勘繰りながら、オレンジジュースの紙パックを取り出す。
 グラスに注いだオレンジジュースを一気に飲み干し、なんとか人心地ついた和彦は着替えを済ませる。少し横になろうとベッドに潜り込みかけて、あることを思い出した。
 放置もできず、またふらふらと、今度は書斎へと向かう。賢吾と出かけている間は必要ないからと、携帯電話を置いていったのだ。
 確認をしてみると、里見との連絡に使っている携帯電話に着信はなく、正直ほっとしたのだが、日常的に使っているほうの携帯電話には、ある人物からの着信が残っていた。
 何かあったのだろうかと、いくぶん緊張しながら折り返し電話をかけてみる。
『――賢吾に振り回されたようだね』
 呼出し音が途切れ、こちらが口を開くより先にそんな言葉をかけられた。咄嗟に反応できなかった和彦だが、電話の相手である御堂が、だいたいの事情を把握しているのだと察した途端、変な声が出た。
「えっ、あっ……、まあ、それは……」
 電話の向こうから、微かな笑い声が聞こえてくる。その後ろからは、男たちの話し声が。まずいタイミングで電話をかけてしまっただろうかと、和彦は急に不安になってきた。
「すみません。かけ直したほうがいいなら――」
『ああ、大丈夫だよ。うちの隊の者しかいないから、気をつかわなくて』
 ここでわずかな間、沈黙が流れる。体に残る筋肉痛とともに和彦が思い出したのは、一昨日、ジムで中嶋に言われた言葉だった。
 ほんの一瞬だけ、南郷のことを相談してみようかと考えたが、賢吾にすらまだ打ち明けていないことだ。順序が違うし、賢吾の面子を潰す行為だと考え直した。
「……御堂さんは当然、知っていましたよね。賢吾さんの誕生日だということ」
『いや、知らなかった。腐れ縁とはいえ、互いの誕生日なんて把握してないよ。興味ないし』
 御堂の口ぶりに、つい和彦は笑ってしまう。本当なのだろうかと勘繰るまでもない、素っ気なさだ。
『相談したいことがあって賢吾に連絡したら、自分から言い出したんだ。中年男の誕生日なんて何がめでたいのかと呆れていたが、昨日、君が携帯電話に出なかったから、なんとなく状況が予想できた。あの男が、君を振り回さないなんて、ありえないしね。どうやら、当たりだったみたいだ』
「振り回されたというか、あちこち連れて行ってもらいました。……まるで、ぼくの誕生日だったみたいで」
『賢吾にとってはいい口実だったんだろう。君を連れ出して気分転換するのは』
 これ以上、賢吾のことを話していると、頭から追い払おうと努力している昨夜の痴態が蘇りそうだ。そんな和彦の空気が伝わったわけではないだろうが、御堂が砕けた口調を改め、こう切り出した。
『――突然で悪いけど、火曜日か水曜日に、君の時間をもらえないかな』
「えっ……、ぼくの、ですか?」
『わたしも同席するけど、夕食を一緒にとりたいと言っている人がいる。まあ、伊勢崎組の組長……伊勢崎さんのことなんだけど。少し前に話しただろう。伊勢崎さんが、ぜひ君も食事に誘いたいと言っていたと。あちらのスケジュールが流動的なので、わたしもどうしたものかと困っていたが、ようやく確定してね。それで肝心の君の予定はどうかと』
 御堂にそう言われたことは覚えているが、まさか本当に自分と会うつもりだったとは、和彦は思ってもいなかった。正直なところ、龍造との再会は避けたいという気持ちがあったのだ。もちろんそれは、和彦自身が抱える後ろめたさのせいだ。
 伊勢崎玲の若く凛々しい顔を思い返すと、甘く苦しい感覚が胸に広がる。自分がそんな感覚に陥ることすら、玲の父親である龍造は快く思わないだろう。
 普通の父親とは、きっとそういうもののはずだ。
『佐伯くん?』
「あっ、はいっ……。あの、賢吾さんには、このことは――」
『もちろん、今さっき連絡して、相談させてもらった。君と賢吾には、余韻に浸っているところに不粋な電話をして申し訳ないと思うよ。こうも慌ただしい状況になったのは伊勢崎さんのせいなのに、本人は気楽に頼み事をしてくるから。おかげでわたしは、賢吾の不機嫌そうな声を聞かされるハメになった。それでも、許可はくれたけどね』
 和彦の行動は、賢吾による判断が基準となる。その賢吾が許可をしたということで、おのずと返事は決まる。
「……でしたら、ぼくのほうは問題ありません」
『人や組織同士、面倒な事情は絡んではいるけど、揉めているわけではないんだから、君は気にせず顔を出せばいい。賢吾の機嫌を損ねたくない伊勢崎さんは、君の機嫌も損ねたくない。それなりに紳士的に振る舞ってくれるよ」
 御堂の説明からして、やはり食事を共にするのは三人だけらしい。
 総和会の第一遊撃隊隊長と、北辰連合会という組織の大幹部でもある伊勢崎組長という顔ぶれに挟まれ、食事をする自分の姿を想像して、料理の味などわかるのだろうかと今から不安になる。
 何より不安を駆り立てるのは、龍造が玲の父親という点なのだが。
 食事会の日時と場所が決まったら改めて連絡すると言って電話が切られ、和彦は深々と息を吐き出す。
 賢吾の誕生日というサプライズはあったものの、自分が背負った事情は何一つ変わっていないのだと思い知らされる。それどころか、龍造と会うことで、背負うものがまた増えるかもしれない。
 賢吾に、龍造との食事会の件を確認したほうがいいかもしれないと思いながらも、今は疲労感と眠気が勝った。和彦は小さくあくびをすると、携帯電話を持って寝室へと引き返す。
 本格的に寝入るつもりで、寝室のカーテンをすべて引いて室内を薄暗くすると、ようやくベッドに潜り込む。
 いつ賢吾から連絡が入ってもいいよう、携帯電話は枕の下に突っ込んだ。
 ようやくゆっくり休めると、安堵の吐息を洩らす。
 昨夜から今朝にかけて、ウトウトしながらも絶えず賢吾の存在を側に感じており、あまり熟睡できなかった。おそらく賢吾は、一晩中猛ったままだったのだ。本人は自制しているつもりだったようだが、非力な存在である和彦は、圧倒され続けた。
 どこまで求められるのか、怖くなかったといえばウソになる。昨夜超えた一線は、あまりに強烈で、刺激的で――。
 眠くて堪らないはずなのに、いざ目を閉じても、賢吾と耽った恥辱的な行為が次々と脳裏に映し出され、つい一つ一つを丹念に辿ってしまう。
 じわりと体の熱が上がる。和彦はもぞりと身じろぐと、ずっと違和感を訴え続けている両足の間へと片手を這わせる。
 その瞬間、賢吾の官能的な囁きが耳元に蘇った。


「――お前の穴という穴は、全部俺のものだ」
 ゾクリとするような艶を帯びた声が、耳に直接流し込まれる。体に力が入らない和彦は、横向きとなった体勢のまま、かろうじて視線だけを動かす。
 すぐ側にいるのに賢吾の顔を見ることはできず、がっしりとした肩に彫られた大蛇の精緻な鱗だけが、やけにはっきりと目に映る。
「んっ……」
 和彦の耳の穴に、熱い舌がヌルリと入り込んでくる。狭い場所を舐められながら、濡れた音に鼓膜を震わされ、不快さと紙一重の快感に肌が粟立つ。
「この狭い穴も、こっちの、俺の精液でドロドロになっている穴も――」
 繋がりを解いたばかりで、まだ激しくひくついている肉の洞に、賢吾が無遠慮に指を突き込んでくる。すぐにその指は引き抜かれ、戯れるように柔らかな膨らみを揉みしだいたあと、力を失っている欲望をまさぐってきた。
 その瞬間がやってくるのだと、和彦はわずかに肩を震わせる。すると賢吾は、その肩先に軽く唇を押し当ててから体を離し、ベッドを下り部屋を出て行く気配がした。何をしているのかと、振り返って確認する勇気はなかった。
「後ろ姿を見るだけで、緊張しているとわかる」
 すぐに戻ってきた賢吾に、そう声をかけられる。少しだけ言い返したくなり、苦労して寝返りを打った和彦だったが、後悔するとともに、目のやり場に困ることになる。賢吾が悠々と見せつけてくる裸体は、圧倒されるような力強さをまだ漲らせていたからだ。
 賢吾が浴室から持ってきたバスタオルを、腰の下に敷かれる。どういうことかと視線で問いかけると、ニヤリと笑い返された。
「多分、漏らすぞ」
 数瞬の間を置いてから和彦は、賢吾の言葉を理解した。
 腰を引きずるようにしてベッドから下りようとして賢吾に易々と押さえつけられ、力の入らない両足を大きく広げられる。
 綿棒を個包装したビニールを歯で破る賢吾を、半ば畏怖しながら和彦は見上げる。よほど強張った顔をしていたらしく、賢吾が苦笑いを浮かべた。
「そう、悲壮な顔をするな。何も、取って食おうというわけじゃねーんだから」
「……似たような、ものだ」
「そうか?」
 とぼけた調子で応じた賢吾がいきなり両足の間に顔を埋める。
「あっ、またっ……」
 燃えそうに熱い口腔に欲望を含まれ、きつく吸引される。執拗に嬲られ、内奥を擦られて勃ち上がることを強要され続けた和彦のものは、まさに賢吾の言葉通り、『精液が一滴も出ない』という状態だった。
 愛撫による快感はすでに苦痛に近く、唇で欲望を扱かれながら和彦は、呻き声を洩らして身をくねらせる。
 先端を硬くした舌先で弄られ、ピクンと腰を跳ねさせる。顔を上げた賢吾が、じっとこちらを見つめてくる。寸前までの軽口は、おそらく和彦を怯えさせないためのささやかな気遣いだったのだろうが、今はもう、射竦めてくるような眼差しを隠そうともしない。
 さきほどの言葉とは裏腹に、まさに今から、和彦のすべてを食らおうとしているようだ。
「――逃げたいなら、逃げてもいいぞ」
 くたりと力を失ったままの欲望を握り、そんなことを賢吾が言う。一瞬本気で殴ってやろうかと思った和彦だが、手を伸ばしはしたものの、賢吾の乱れた前髪を掻き上げることしかできなかった。
 明らかに和彦に見せつけるため、賢吾が綿棒を舐めて滴るほどの唾液を施す。その綿棒で、欲望の先端をくすぐられた。
 覚悟は決めたつもりだったが、呆気なく気力は萎える。和彦は思わず声を上げた。
「やっぱり、無理だっ……。そんな、太いもの……」
 綿棒が動くたびに、ビクビクと腰を震わせる。一方の賢吾は、低く笑い声を洩らした。
「いかにも、〈初めて〉を奪われる状況らしい台詞だな。聞かされるほうは、興奮して仕方ないが」
 和彦は、賢吾の髪を乱暴に鷲掴みにする。すると、怒るでもなく柔らかな口調で窘められた。
「おとなしくしてろよ。怪我をしたくなかったら。――入れるぞ」
 普段であれば行為の最中、男たちの愛撫によって悦びの証を溢れさせ、ときには強い刺激によって、それ以外のものもこぼす小さな口に、綿棒の先が押し当てられ、こじ開けられる。
 鋭い痛みと、いままで味わったことのない独特の異物感が、下肢に生まれる。初めての衝撃に和彦の意識は揺らぎ、気がついたときには悲鳴を上げていた。
 さきほどは咄嗟に『太い』と言ったものの、実際は細い綿棒なのだが、それでも体中の神経を逆撫でられるようだ。
「ううっ、あっ……、ああっ」
 和彦がどれだけ悲痛な声を上げようが、賢吾は手を止めない。体全体で下肢を押さえつけるようにして、片手で掴んだ欲望の先端に、無慈悲なほど冷静な手つきで細い異物を挿入してくる。
 賢吾に下肢を好き勝手に弄られながら、暴れることもできない和彦は何度も声を上げ、上体を捩り、押し寄せてくる異様な感覚に耐える。耐えることしかできないのだ。
 何度目かの悲鳴を上げたところで、一旦綿棒が抜かれる。その感覚もまた、おぞましい。和彦は今度は歯を食い縛り、ベッドに突っ張らせた爪先をブルブルと震わせる。
「もう少し力を抜け……と言っても、無理か」
 柔らかな苦笑交じりの声で呟いた賢吾が、先端にちろちろと舌を這わせてから、ゆっくりと口腔に欲望を含む。じわりと痛みが遠のきかけるが、愛撫は長くは続かない。先端をたっぷりの唾液で濡らされてから、また綿棒を押し当てられた。
 今度は、さらに侵入が深くなっていく。
 全身から汗が噴き出してきた。和彦は息を喘がせながら、両足を大きく左右に開いた格好のまま、賢吾に〈初めて〉を奪われる。
「ひあっ……、んっ、んっ……」
「少し動かすぞ」
「い、やだ……。まだ、痛い――」
 和彦の拒絶は案の定無視され、綿棒をわずかずつだが出し入れされる。和彦は立て続けに切迫した声を上げ、腰をもじつかせる。そんな和彦の様子から感じるものがあったのか、ふいに賢吾が、小さな口から再び綿棒を引き抜いた。その瞬間、和彦自身も異変に気づき、上擦った声を上げる。
 賢吾の見ている前で、わずかに漏らしていた。
 これまでのつき合いで、賢吾の厄介な癖(へき)は薄々とながら気づいていた。全身を戦慄かせながら和彦が賢吾の様子をうかがうと、口元に薄い笑みを浮かべて、食い入るように濡れた下腹部を見つめていた。
「――また、いいか?」
 静かな歓喜を滲ませた声で問われ、和彦は顔を背ける。たった一つの返事しか求めていないのは、いつものことだ。
 息を吐き出すと同時に、綿棒を押し込まれて苦痛の声を洩らす。無理な行為に及んでいるという自覚はあるのか、賢吾は時間をかけて小さな口を犯しながら、和彦の体の強張りを解こうとするかのように、ささやかな愛撫を加えてくる。
 小刻みに震える内腿にてのひらを這わせ、膝に唇を押し当て、ときには柔らかな膨らみを優しく指で揉みしだき、思い出したように綿棒を繊細に蠢かし――。
 痛みと異物感に、否応なく和彦は順応させられていく。そうしないと、いつまで経っても苦痛から逃れられず、和彦の反応の変化を待ち望み、一心に見つめてくる賢吾に応えられないのだ。
「ふっ……、んんっ、はあっ、はあっ、はっ……ん」
 我ながら度し難いと、和彦は震えを帯びた吐息をこぼす。こんなひどいことをしてくる男を喜ばせたいと思うなんて、と。
 和彦が欲情に濡れた眼差しを向けると、賢吾はスッと目を細めた。
「やっぱりな。俺の与える痛みに、もう馴染み始めてるだろ。性質が悪いが、だからこそ――大事で可愛い、俺のオンナだ」
 囁かれた言葉に、全身に快美さが駆け抜ける。綿棒が一層深く押し込まれたが、口を突いて出たのは苦痛の声ではなく、尾を引く甘い呻き声だった。
 もっと聞かせろと言わんばかりに綿棒が出し入れされ、和彦はいままで味わったことのない感覚に煩悶し、強張っていた下肢から力が抜けていく。知らず知らずのうちに、うわ言のように繰り返していた。
「賢、吾……、もう、ダメだ。動かす、な」
「痛いか?」
「違う。ダメ、なんだ……」
 ふいに、小さな口からツプリと綿棒が引き抜かれ、和彦は腰を跳ねさせる。
「んっ……、ふあっ、あっ、はあぁっ……」
 込み上げてきた熱い感覚に、喉を震わせる。それは、恍惚とも表現できたかもしれない。屈辱感に打ちのめされても不思議ではない姿を見られながら、浅ましくも和彦は感じていた。
 満足げに賢吾が言う。
「バスタオルを敷いておいて正解だったな。びしょびしょだ」
「……誰の、せいだ」
 ここまでの行為で羞恥心が薄れてきてはいるが、まったく平気というわけではない。無遠慮な視線から逃れようと軽く身を捩ったが、その拍子に、たった今まで犯されていた部分に疼痛が走った。
 動揺をそのまま表情に出してしまうと、威圧的に賢吾がのしかかってくる。濡れた欲望を掴まれ、和彦は慌ててその手を押しのけようとする。
「一度体を洗わせてくれっ。……汚いから」
「汚いと思うなら、最初から〈ここ〉を可愛がったりしねーよ」
 賢吾の顔が近づいてきて、ああ、と和彦は吐息を洩らす。労るように優しく唇を啄ばまれ、最初は自らの下肢の汚れを気にしていた和彦だが、熱い舌が口腔に入り込んでくると、すぐに口づけに夢中になる。
 余裕なく舌を絡ませ、唾液を啜り合いながら、腰の辺りに擦りつけられる凶悪な熱の塊に手を伸ばす。よほど、和彦を苛めて楽しかったらしい。ふてぶてしくいきり立っている。
 大蛇の潜む目を間近から覗き込み、賢吾の求めを汲み取る。和彦が小さく頷いて見せると、あっという間に体をうつ伏せにされ、腰を抱え上げられていた。
「あうぅっ」
 待ちかねていたように、一気に背後から押し入られる。さんざん擦られ、広げられた内奥は、それでも喜々として大蛇の分身を呑み込むと、ゆるゆると締め付ける。
 賢吾はすぐに腰を使い始め、内奥深くを果敢に突き上げてくる。
「――今日は、いい誕生日だった。お前が精一杯、俺に尽くしてくれた」
 ふいに腰を掴まれ、円を描くように内奥を掻き回される。和彦は荒い呼吸を繰り返しながら必死にクッションを握り締め、背をしならせる。
 恥ずかしいが、両足の間をまた濡らしていた。賢吾が気づかないはずもなく、欲望を掴まれる。
「はぅっ……、うっ、うっ、嫌だ、触るなっ……」
「あとでまた、可愛がってやる。時間をかけて、奥深くまで」
 賢吾の言葉に歓喜したわけではない。しかし和彦の体が示した反応は、そう取られてもおかしくはないものだった。淫らに蠕動する内奥が、高ぶる一方の逞しい欲望をきつく締め付けながら、粘膜と襞をまとわりつかせる。
 腕を掴まれ引っ張られた和彦は上体を起こし、背後から逞しい両腕に抱き締められる。両足の間に片手が差し込まれ、濡れた欲望を手荒く掴まれて扱かれていた。
「あっ、もう、無理だ――……」
 内奥を突かれ、執拗な愛撫を与えられているうちに、泣きそうになりながら和彦は小さく喘ぎ声をこぼす。
 和彦の欲望が何度目かの高ぶりを示し始めたと知り、賢吾が吐息とともに呟いた。
「ああ……、最高だ、和彦」


 すぐ耳元で携帯電話が鳴っていた。
 まるで深い水の底から引き上げられるように、意識が覚醒していくのを感じながら、和彦は枕の下をまさぐる。
 電話に出ると同時に目を開けると、カーテンの隙間からわずかに光が差し込んでいる。まだ日は落ちていないようだった。
『よく寝られたか?』
 起きてすぐに聞くには刺激的ともいえるバリトンに、一瞬眩暈に襲われた。和彦は声を発しようとして、軽く咳き込む。寝る前に加湿器を入れておくのを忘れていた。
『もしかして風邪を引いたのか――』
「違う、部屋が少し乾燥しているだけだ。……それより、筋肉痛がひどくなった気がする」
 非難がましくぼそりと呟くと、電話の向こうから微かに笑い声が聞こえてくる。どうやら賢吾の機嫌のよさはまだ持続しているようだ。
『起こして悪かったが、また寝る前に、ダイニングに行ってメシを食え。笠野に言って、準備させておいた。俺が搾り取った分、またしっかりと精をつけてもらわないといけないからな』
 起き抜けに自分は何を聞かされているのだろうと、和彦は絶句する。
『……和彦?』
「呆れてるんだ。あんた、組長だろ。威厳とか、そういうものを大事にしないと。いい歳なんだし」
『お前にだけだ。俺がこういうことを言えるのは』
 ここでふと、微かな違和感を覚えた和彦は首を傾げる。一体なんだろうか考え、すぐにわかった。
 行為の最中でも、激情に駆られているわけでもないのに、賢吾が、和彦を『お前』と呼んでいる。そして、『和彦』とも。
 電話越しでも和彦の戸惑いが伝わったのか、聡い男はこう続けた。
『いいきっかけだろ。お前が〈初めて〉をくれて、俺だけのために痛みに耐えた。それに、格好がつかないからな。息子のほうは、お前を名前で呼んでいるのに、俺がよそよそしく『先生』と呼び続けるのも』
「……別に、誰も気にかけていないと思うが」
『俺たちは面子にこだわるんだ』
 本人が言うのなら、納得するしかない。和彦としても、気恥ずかしさはあるが、人前で名で呼ばれるのは嫌ではなかった。
『これを機に、お前も人前で、俺をもっと名前で呼んでくれればいいんだがな』
「心配しなくても、あんたがいないところでは、名前を呼ばせてもらっている」
 ほお、と芝居がかった声が上がり、和彦の頬はじわじわと熱くなってくる。きっと賢吾は、ニヤニヤとしているのだろう。
 なんとか話題を変えなければと、寝る前にかかってきた御堂の電話のことを持ち出す。
「――御堂さんから、電話があった。本当に、行っていいのか?」
『知らん顔もできんからな。秋慈が動き回るのを見越して、復帰を唆したのは俺だ。期待通り、総和会を程よく引っ掻き回し始めていると思ったんだが……』
「思ったんだが?」
『自分のオンナの淫奔ぶりを、少しばかり甘く見ていた。伊勢崎側との、ああいう結びつきはさすがの俺も予想できなかった。おそらく、秋慈も』
 賢吾が何について語り出したのか、即座に和彦は察した。急に落ち着かない気分になり、ベッドの中でもぞもぞと身じろぐ。
『俺としては、伊勢崎龍造の出かたに興味をそそられている。俺のオンナと自分の息子との間にできた縁について、これ幸いと、利用しようとしているんだ。秋慈を使ってな』
「ぼくのことで、あんたが脅されるなんてことは……」
『相手は、俺より長く極道をやっていて、うちのオヤジと同類の海千山千という存在だ。だからこそ、長嶺の男たちの不興を買うのは得策じゃないとわかっているはずだ。少なくとも今は。こっちで商売をするつもりもあるようだしな。だから、大っぴらにしない。あくまで秘匿だ。――佐伯和彦と伊勢崎玲との間にあった出来事は』
 色っぽい話だと、どこかふざけた口調で賢吾が言い、相槌を打つわけにもいかない和彦は口ごもる。
『俺は、独占欲と執着心は強いが、だからこそお前に対して寛容でありたいと思っている。〈浮気〉を大目に見たのも、そのためだ。鷹津の件で塞ぎ込んでいたお前が、たまたま目の前に現れた高校生のおかげで気が晴れた。それだけの話だ。それ以外の面倒臭い話は、俺や秋慈に任せておけばいい』
「……そう言われると、ぼくはどうしようもない人間だと思えてくる。別に、立派な人間だったつもりはないけど」
『いいじゃねーか。どうしようもない人間で。三世代の男たちのオンナでありながら、極道どもの面倒を見て、有り余る愛情を気に入った男たちに分け与えて、クリニックの切り盛りをして。ひれ伏したくなるほど、どうしようもない人間だ』
 話しながら興が乗ってきたのか、賢吾がくっくと笑い声を洩らしている。ひどい言われようだが、すっかり毒気を抜かれた和彦も、唇の端にちらりと笑みを浮かべる。
 そんな、どうしようもない人間をオンナにして、大事にしているのだから、賢吾もまた、どうしようもない人間なのだ。そう思ったら笑うしかなかった。
『まあ、しっかり美味いものを食わせてもらってこい』
 賢吾に背を押されたことにいくらか安堵して、吐息交じりに和彦は応じた。




 伊勢崎龍造との食事会は、火曜日の夜に設けられた。
 クリニックを閉めた和彦は、いつものように長嶺組の迎えの車に乗り込み、途中で、御堂が乗る第一遊撃隊の車と合流する。
 あくまで建前は、個人的な食事会に招待されたというもので、長嶺組も第一遊撃隊も護衛はいつも通り――と和彦は聞かされていた。
 店の駐車場に降り立ち、風の冷たさに首を竦める。午後に入ってから曇り空が広がり、急激に冷え込んできた。
「――こんなに寒くなるなら、伊勢崎さんの誘いに乗るんじゃなかったよ」
 隣に停めた車から降りた御堂が、秀麗な顔にうんざりとした表情を浮かべてこぼす。黒のスーツを身につけているせいか、印象的な灰色がかった髪が引き立ち、御堂の存在をより特別なものに見せている。
 対する和彦は、仕事を終えたばかりで着替える時間もなかったため、ありふれたシャツにパンツという服装だ。その上から、最近気に入っているダッフルコートを着込んでいた。ドレスコードがない店なので、楽な格好でかまわないという言葉に甘えた結果だ。
 和彦は、御堂のもとに歩み寄ると、頭を下げる。
「今晩は、よろしくお願いします」
「いや、こちらこそ、仕事終わりで疲れているところに、面倒なことにつき合わせて悪いね」
 互いに顔を見合わせ、微苦笑のような表情を交わしたところで、改めて和彦は周囲を見回す。和彦たちが到着したときから、駐車場には数台の車が停まっていたのだが、その中に身を潜めるようにして人が乗っていた。そっと御堂をうかがい見ると、頷かれる。
「長嶺組だけでなく、うちの隊の者もなかなか過保護でね」
「……護衛はいつも通りだと言われたんですが……」
「長嶺組にとっては、いつも通りなんだろう。状況に応じて護衛のフォーメーションを変えるという意味で」
 あー、と声を洩らして和彦は、髪に指を差し込む。おかしそうに口元を緩めた御堂に促され、店へと向かう。さすがに店の中にまでは護衛はつかないらしく、和彦にとって頼れるのは御堂だけということになる。
 迷惑はかけたくないので、無難に食事会が終わることを願いつつ、暖簾をくぐる。外観からして、どんな格式張った店かと身構えていたが、店に入ると、カウンター席では会社帰りらしい一団が盛り上がっており、意外に砕けた雰囲気が漂っている。
 奥まった一角にある個室へと案内され、障子が開けられる。そこにはすでに人の姿があった。
「――やっぱり、場がパッと華やぐな。色男が二人もやってくると」
 大げさな感嘆に満ちた声を発したのは、テーブルについた伊勢崎龍造だった。
 料理を出すよう仲居に頼んだ龍造がわざわざ立ち上がり、手招きをしてくる。
「さあ、入ってくれ。外は寒かっただろう」
 御堂にそっと背を押し出される形で、和彦が最初に部屋に入る。龍造に挨拶をしようとしたが、まずは座ってからにしようと言われ、慌ててダッフルコートを脱ぐと、すかさず龍造に取り上げられた。手ずからハンガーにかける姿に、ひたすら恐縮する。一方の御堂は、自ら龍造にコートを差し出した。
「年月は人を変えるものですね。あなたが、こんなに甲斐甲斐しくなるなんて、何かあったんですか」
 傍らで聞いてぎょっとするような御堂の言葉に、言われた当人である龍造は声を上げて笑う。
「俺はこれでも、人の親になって長いんだぞ」
「……あなたに似ず、いい子でしたね。彼――玲くんは」
 さっそく出た玲の名に、和彦の心臓の鼓動は大きく跳ねる。意識するまいと思っても、顔が強張りそうになる。ゆっくりと息を吐き出して気を静めながら、さりげなく龍造の様子をうかがう。
 初めて会ったときにも思ったが、やはり龍造はオシャレだった。ジャケットは脱いでいるものの、ライトブルーのスリーピースで、今晩の集まりが気取らないものであるという表れかノーネクタイだ。やはり髪は後ろで一つに束ねられ、寒い季節だというのに艶々とした肌は日焼けしている。
 朗らかさを感じさせながらも、老獪なワンマン経営者を思わせる風体なのは、本人も計算してのことなのかもしれない。両目に宿る鋭さと力強さは、堅気が持つにしては物騒すぎる。それを誤魔化すための外見のアクの強さだと考えれば、しっくりくるのだ。
 掘りゴタツとなっているテーブルに御堂と並んで腰掛けると、正面の席に座った龍造が上機嫌といった面持ちで、しかし油断ならない無遠慮な視線を向けてくる。
「けっこうな贅沢だ。特別なオンナを目の前に二人も並べて、メシが食えるなんて」
 ドキリとするような龍造の発言に対して、表情を変えることなく御堂が応じる。
「わたしは、〈もう〉違いますよ。何より、デリカシーに欠ける発言はやめてくださいね。笑って受け流せるわたしと違って、佐伯くんはそうではないので。今晩は楽しく食事をするのが目的でしょう?」
「……すっかり怖くなったねー、お前は」
「そうですよ。あなたが知っている頃のわたしとは、違うんです」
「そうだったかな――」
 意味ありげな視線を龍造が投げかけ、御堂は無表情で受け止める。そんな二人を控えめに眺めながら、和彦はもうすでに居心地の悪い思いを味わっていた。
 龍造と御堂が体を重ねている光景を目にしたのは、遠い過去のことではない。そのとき和彦の隣にいたのは、よりによって龍造の息子である玲だった。おそらく、伊勢崎父子は〈オンナ〉という存在に魅入られている。いや、執着していると言ってもいいかもしれない。玲は、龍造に影響を受けたのだ。
 親しげではあるが、腹の探り合いのようなものも透けて見える二人のやり取りに、どんな顔をすればいいのだろうと和彦が困惑していると、仲居たちが鍋などを抱えて部屋に入ってきた。
 大きな皿に美しく盛られた牛肉を目にして、ようやく和彦は空腹を自覚する。わずかながら緊張が解れてきたのかもしれない。一方の御堂は、呆れたように呟いた。
「あなたは昔から肉が好きでしたね。そういえば」
「俺はともかく、二人に肉を食わせたくてな。特に、秋慈には。もっと太れよ。あまり痩せていると、また弱って倒れるんじゃないかと、周囲の人間がヒヤヒヤする」
 御堂は苦々しい顔となったが、反論はしなかった。
 しゃぶしゃぶ用の鍋が準備され、牛肉のブランドなどを仰々しく説明されるが、和彦はほとんど聞いていなかった。どうしても、龍造と御堂のやり取りに意識が向いてしまうのだ。
 仲居たちが出ていくと、龍造が景気づけとばかりに手を打つ。
「さあ、たくさん食ってくれ。どんどん追加で肉を運ばせるから、遠慮はいらない」
 龍造の勢いに圧される形で、和彦は見事なサシの入った牛肉をダシにくぐらせる。一度箸をつけると、遠慮はなくなった。和彦の様子に目を細めた龍造が、御堂に向けて軽くあごをしゃくる。
「秋慈、お前も食えよ」
 軽くため息をついて、御堂も箸を伸ばした。
 食事会の主催者である龍造は、人に肉を勧めるわりに、自身はもっぱら飲むほうを楽しんでいるようだった。手酌で、驚くほど速いペースで日本酒を流し込んでいく。このペースに巻き込まれては堪らないと、和彦は明日も仕事があることを理由に、飲み物はお茶だけにしてもらった。
 御堂も同じ理由を口にしたが、途端に龍造は気遣わしげな表情となった。
「――……俺より若いのに、お前のほうが先に、養生することになるとはなあ」
「ストレスに対する耐性の違いでしょうね。図太いというか、無神経な人たちが羨ましいですよ」
「俺以外にいるのか? そんなタフな奴が」
 ずいっとテーブルに身を乗り出した龍造に対して、ふふ、と御堂が笑う。横で見ていた和彦は、御堂のその表情に寒気に近いものを感じていた。秀麗な横顔に漂ったのは強い者に対する媚びではなく、柔らかな拒絶だった。龍造が入れた探りへの、それが御堂の返事なのだ。
 龍造の両目に険が宿るが、ほんの一瞬だ。静かに息を呑む和彦に気づき、ニッと笑って鍋を指さす。
「佐伯先生、早く食わないと、せっかくのいい肉が硬くなる」
「あっ、はいっ……」
 和彦は慌てて肉を掬い上げる。さきほどから龍造が、こちらのペースを一切無視して、次々に鍋に肉を入れてしまうため、いくら食べても追いつかない。すかさず御堂が龍造を窘めた。
「しゃぶしゃぶなんですから、佐伯くんのペースで食べさせてあげてください。しかも肉ばかり……。人のことはいいから、自分が食べることに集中したらどうです」
「……すっかり、佐伯先生の保護者だな。秋慈」
「彼に何かあったら、面倒なことになるのは、あなたですよ」
 大仰に肩を竦めた龍造が、すかさずまた猪口の酒を呷る。
「玲の奴が、こんな〈大物〉と知り合うのは予想外だった。せいぜいお前の伝手で、長嶺組の幹部でも紹介してもらえたらラッキーだと思っていたんだがなあ」
「結果としては上出来だったでしょう。北辰会の〈大物〉幹部のあなたとしては」
 龍造が苦々しげに唇を歪めた理由は、やはり、御堂の言葉を皮肉として受け止めたからだろう。
 この二人の会話は傍らで聞いていて心臓に悪いと、密かに和彦は嘆息する。だからといって玲の話題が出て知らない顔もできず、おずおずと会話に割って入った。
「……玲くんは、元気にしていますか?」
 この問いかけに対して、龍造は満面の笑みを見せた。
「おう、元気も元気。秋の連休にこっちに来てから、高校を卒業した後の自分の生活が具体的に見えてきたんだろうな。受験勉強も、必死にやっているようだ。それに、部活を引退してから走るのもやめていたくせに、気分転換になるといって、夜、一人でまた走り始めた」
「そう、ですか……」
「身が燃えて仕方ないんだろう」
 さりげない言葉とともに、男の色気を含んだ眼差しを龍造から向けられる。瞬く間に和彦の頬は熱くなった。動揺のため微かに震える手で、なんとかグラスを取り上げると、冷たいお茶を喉に流し込んだ。
「俺の前ではなんとか取り繕っている……つもりなんだろうが、やっぱりまだガキだ。のぼせ上がったまま突っ走っているという感じだなあ」
「……すみません」
 思わず和彦が謝罪すると、隣で御堂が短く噴き出す。あまりの居たたまれなさに、このまま消えてしまいたい心境だ。ただ、これが自分に与えられる罰だというなら、まだ甘い状況なのだろう。
 龍造は御堂を見遣ると、今夜は機嫌がいいなとぼそりと呟いてから、話を続ける。
「勉強もスポーツもできて、それなりにいい結果を出せる奴なんだが、大した努力をせずにそれができるからこそ、ガキの頃から冷めているというか、達観しているところがあったんだ。そのうえ俺の仕事のせいで、学校内で築く人間関係も微妙だ。だからといって捻くれるでも、荒れるでもなく、親の俺が言うのもなんだが、自慢できる息子に育ってくれた」
「ぼくが言うのもおこがましいですけど、いい父子関係だと感じました。……羨ましいというか」
「父親との関係で苦労しているという口ぶりだな、佐伯先生」
 曖昧な返事をした和彦は気を取り直すと、掘りゴタツから足を出し、畳の上で正座をする。
 高校生の玲とのことで、やはり何もなかったことにはできないし、龍造の前で知らぬ顔もできなかった。ほんの三日間のつき合いの中で起こった気の迷いだとしても、玲は、春になったら和彦の前に現れると言ってくれた。あのとき向けられた想いに、今はこんな形でしか報いることはできない。
 この場に同席しているのが、事情を理解している御堂だけというのは、幸運ともいえた。
「……あの、玲くんのことでお話があります」
 苦笑を浮かべた龍造が軽く手を振る。
「あんたが何を言おうとしているのか、だいたい予想はつく。いいから、もっと肉を食ってくれ」
「しかし――」
「謝罪したいというなら、さっきあんたから、『すみません』という言葉は聞いた。そもそも、申し訳ないと思う必要はない」
 それでも言い募ろうとする和彦の肩に優しく触れる感触があった。ハッとして隣を見ると、御堂の怜悧な眼差しとぶつかった。
「君を連れて来たら、こうなることは薄々わかっていたんだけどね。いい機会だから、君の抱えた罪悪感を消したいと考えたんだ」
「それは、どういう意味、ですか……?」
「本人の口から聞いたほうがいい。ほら、正座なんてしなくていいから」
 促されるまま和彦は、掘りゴタツに座り直す。それを待ってから、龍造が口を開いた。
「――とっくに聞いているかもしれないが、俺は昔、高校生だった秋慈に手を出した。お上品なあんたが聞いたら眉をひそめるようなえげつないこともしたが、俺はこいつに一度だって謝ったことはない。因果応報……、というと、しでかした悪さの報いを受けたことになるが、まあ、悪さをしたなんて思ったこともない」
 龍造がきっぱりと言い切り、低く声を洩らして笑った。人によっては不快と感じる笑いかもしれないが、和彦は、奇妙な既視感に襲われる。何かと思えば、和彦にとっては馴染み深い、〈オンナ〉と関係を持つ男特有の、悪意のない傲慢さを、龍造からも感じ取ったのだ。
 龍造の理屈に危うく流されそうになり、寸前のところで弱々しく抗弁する。
「それは……、伊勢崎さんの話で、玲くんの場合とは違うはずです」
「違わない。俺たちの理屈ではな。玲についても、あいつは事情を知ったうえで、自分の意思で〈オンナ〉に手を出した。悪いオヤジである俺は、そのことを利用しようとしている。現に、あんたが断れないことをわかっていて、こうして呼び出した。一度繋がった縁を断ち切らないようにな。だから佐伯先生、あんたは罪悪感なんてものを感じる必要はない。性質の悪い父子と縁を持っちまったと、むしろ舌打ちしてもいいぐらいだ」
 どう返事をするべきかと、戸惑いながら御堂を見ようとして、すかさず龍造に言われた。
「言っておくが、見かけによらず、秋慈も食えない奴だぞ。俺の気質を十分知ったうえで、それでもあんたを誘ったんだ。こいつも、あんたを利用する気満々ってことだ」
 龍造の言葉を肯定するように、御堂の横顔に一切の表情はなかった。和彦なりに、御堂のしたたかさは知っているつもりで、自分と同類というのもおこがましい。御堂は、極道として生きている男なのだ。
 ふっと息を吐き出した和彦は、ようやく表情を和らげる。
「はい、罪悪感は捨てました。理由もわからないまま優しくされるより、利用したいと言われたほうが、すっきりします。……警戒もできますし。ぼくの警戒なんてあてにならないと、賢吾さ……、長嶺組長は、渋い顔をするかもしれませんが」
「一度、会って話してみたいもんだなあ。長嶺組長に。昔、遠目に見かけたことがあるんだが、そのときは、傍らに怖いオヤジがいて、近づくこともできなかった」
「そんなことを言いながら、もうあれこれと算段をつけているんでしょう、あなたは。わたしと佐伯くんは巻き込まないでくださいね」
 御堂の言葉に龍造が唇を歪めるようにして笑い、さらりとこう言った。
「約束はできんな」
「……本当に、変わってませんね。そういうところ」
「こうじゃないと、偉くはなれんぞ。――堅苦しい話はここまでだ。ほら、食ってくれ」
 肉ののった皿を押し出され、和彦は顔を引き攣らせながら箸を伸ばした。


 後部座席のシートに深くもたれかかった和彦は、胃の辺りを撫でさする。龍造に勧められると断るわけにもいかなかったとはいえ、今晩は明らかに食べ過ぎた。
 しかし、食事会そのものは非常に和やかな雰囲気のまま終わり、駐車場で待機していた護衛たちの間でもトラブルは起きなかったということで、胃は重いものの和彦は心底安堵していた。
 別れ際、龍造には玲への託けを頼むこともできた。風邪などひかないように、という他愛ないものだが、玲の存在を忘れてはいないと本人に伝わればと考えたのだ。龍造に尋ねれば、直接連絡を取ることもたやすかったが、あえてそうしなかった。春に再び玲と会えるかどうか、〈縁〉を信じてみたいからだ。
 玲の気持ちが冷めてしまったというなら、それはそれで仕方がない。もし、冷めていなかったら――。
「どうなるかな……」
 小さく独りごちると、その声が聞こえたのか、助手席に座る組員が振り返った。
「どうかしましたか、先生?」
「……いや、食べ過ぎて苦しくて……」
 ふうっ、と大きく息を吐いて見せると、組員は口元を綻ばせる。
「食べ過ぎなのは一大事ですが、無事に食事会が終わって、よかったです」
「本当に。最初は緊張したけど、伊勢崎組長が穏やかに話す方だったし、御堂さんもいたから、なんとか会話が弾んで――」
 もぞりと身じろいだ和彦は、すでにもう二人の姿はおろか、店すら見えないとわかっていながら、背後を振り返る。
 和彦はこうして帰路についている途中だが、龍造と御堂はこれから場所を移して、二人きりで相談することがあるらしい。そう告げたときの龍造の表情と、御堂の微妙な態度が気になった。二人の間に漂っていたのは、隠しきれない淫靡さだ。
 相談がどんなものであるか、さすがに察することができた。
 互いの肩書きだけでは計り知れない力関係が龍造と御堂の間にはあり、それが裏の世界の恐ろしさを伝えてくると同時に、艶めかしさも感じてしまう。そして二人の関係に対する、抑え難い好奇心も。
 中嶋のことをそれとなく御堂に話すつもりだったが、すっかりそれどころではなくなった。
 和彦はもう一度大きく息を吐くと、前に向き直った。









Copyright(C) 2017 Tomo Kitagawa All rights reserved.
無断転載・盗用・引用・配布を固くお断りします。



第40話[01]  titosokubakuto  第40話[03]