と束縛と


- 第46話(4) -


「――相手を怯ませたいなら、目を狙え」
 コーヒーを一口飲んでの鷹津の言葉に、和彦は唇をへの字に曲げる。
「前に、違う人間から同じようなアドバイスをされた。……素人に、いきなり人間の目を狙えって、ハードルが高いんだよ。ヤクザや、元刑事にはわからないだろうけど」
 そう言って和彦はトーストをかじる。なんとなく気が向いて作ったシュガートーストだが、和彦がグラニュー糖をパンに振りかけていると、鷹津は露骨に嫌そうな顔をしていた。シュガートーストとブラックコーヒーの組み合わせがいかに素晴らしいか、この男は一生知ることはないのだと思うことで、鷹津の無礼を和彦は静かに許したのだ。
「目が嫌なら、喉元だ。とにかく突け。思いきりな」
 和彦が顔をしかめると、呆れたように鷹津がため息をつく。
「お前、野獣相手にお上品に説得したら、どうにかなるなんて考えてねーだろうな?」
「……そこまでお人よしじゃない」
 どうだかな、と言いたげに鷹津が鼻を鳴らす。
 雪が解けてから、和彦はログハウスの周辺を走るようになり、室内でも簡単な筋トレを始めた。鷹津は、和彦の体調が完全に復調するのを待っていたように、朝から物騒なことを言い出したのだ。
「言っておくが、お前がのほほんとしていられるのは、いままで運がよかったからだ。長嶺父子の威光が強すぎるってのもある。だがな、本当にヤバイ奴には、そんなものは通用しない。むしろ、積極的にお前を狙ってくる可能性もゼロじゃないってことだ。手加減のない暴力ってのは一度受けたら、肉体以上に精神がぶっ壊れる」
「経験者は語る、か?」
「おう。何度、ボッコボコにされたか。おかげで性格が捻くれた」
 鷹津なりの冗談なのか判断がつかず、和彦は微妙な表情で返す。
「大事なのは、初手の攻撃を受けないこと。ケンカ慣れしてないお前に、殴り合いで勝てなんて無茶は求めない。とにかく、相手の虚を衝け」
「そのために、目や喉元を狙うのは効果的だと」
「警察署では、女相手に護身術の講習会を開くことがあるんだ。そのとき教えるのは、腕を掴まれたときの振り払い方や、背後から拘束されたときの逃げ方だ。非力な人間でもできるあまり力を使わない方法で、主に変質者相手を想定したものだが、さて、お前を狙ってくるとしたら、その類の連中だと思うか? 指を捻ったぐらいで逃げ出すような小心者だと?」
 和彦の脳裏に浮かんだのは、南郷の顔だった。もしかすると、何か目的を持った暴漢に狙われることもあるかもしれないが、現在のところ和彦が明確に敵意と畏怖を同時に抱いているのは、南郷しかいない。
「……容赦するなということか」
「それぐらいの覚悟を持てということだ」
 自ら身を守る術を得ようとしている今の和彦の状況を知ったとき、長嶺の男たち――特に賢吾はどんな顔をするだろうかと、ふと想像する。ここに来てから、賢吾のことはあえて意識の片隅に閉じ込めるようにしている。それでもときおり考えてしまうのは、賢吾という存在の重さ故だ。
 それをわかっているから、自分自身が押し潰されかねないと、和彦は危惧を抱く。肉体は衰弱とは程遠いところまで立ち直ったが、精神はまだ不安定で、前触れもなく塞ぎ込みそうになるのだ。
 大蛇の執着に晒されて大丈夫だとは、到底言えない。
「一度、あの世界から離れてみると、自分の弱さを実感するんだ。ぼく自身は非力で、何も力を持たない」
「お前を知ってる人間なら、みんなわかってることだな。だからこそ、有効な手がある」
「なんだ?」
「非力で弱い存在に、大抵の奴は油断するってことだ」
 あー、と和彦は声を洩らす。目や喉元を狙えという話は、ここに繋がるのだ。ついムキになって鷹津に問いかける。
「ぼくを知らない相手だったら? 例えば、誰かに依頼されて、ぼくを拉致しに来たとしたら。そういう人間なら、相手が誰だろうが油断しないだろ」
「……さらりと物騒なこと言うな、お前は。そうだな――」
 不自然に言葉を切った鷹津は何事もなかったようにパンにかぶりつき、最初は返答を待っていた和彦だが、あまりに自然に食事を続けるため、諦めて自分のシュガートーストを食べる。コーヒーも飲み干してしまうと、さっさと鷹津が立ち上がり、片付けを始める。和彦も自分の使った食器をキッチンに持っていくと、鷹津が受け取ってあっという間に洗い始める。
「なあ、さっきの話の続きは……?」
「わかりやすく実践してやるから、テーブルとイスを壁際に移動させてくれ」
 四人掛けとはいえコンパクトなテーブルセットなので、難しい作業ではない。和彦が言われた通りにテーブルとイスを移動させると、鷹津がキッチンから出てくる。
「俺に凄んでみろ」
「はあ?」
「組の奴らがよくやるだろ。相手の襟元掴んで、顔を近づけて威嚇するのを。あれをやってみろ」
 何を言い出すのかと疑問に思いながらも、鷹津はいたって真剣な顔をしているため、なんとなく逆らえない。和彦は鷹津が着ているトレーナーの襟元を掴み寄せ、本人なりに鋭い眼光で鷹津を見据えて顔を近づける。
「……俺の記憶にある組の奴らは、そんなにお上品じゃなかったぞ」
「本物と比べるなっ。踏んできた場数が違うだろっ」
 一瞬、鷹津の両目に殺気が宿った。本能的に和彦が身構えるより先に、片頬にふっと鷹津のてのひらが触れた。殴られた――わけではない。完全にふいをつかれたせいで、軽く力を加えられただけで顔の向きを変えられ、さらに視界がぐるりと上下にひっくり返る。気がついたときには、天井を見上げていた。
 鷹津の襟元は掴んだままだが、それ以上の力で、鷹津に腕を掴まれている。仰向けで倒れそうになっている自分を支えているのだとようやく理解したとき、鷹津に声をかけられた。
「おい、立てるか?」
 和彦は、鷹津の腕にすがりつくようにして体勢を立て直す。自分の身に何が起こったのか、まだよく事態が呑み込めなかった。
「今のが制圧術の一つだ。相手のバランスを崩せばいいから、本来ならほとんど力はいらない。今みたいに体を支える必要はないからな。遠慮なく相手は地面に転がしておけ」
 鷹津はもう一度、今度は体の動きを説明しながら、ゆっくりと実演をする。最初のときは突然のことでわからなかったが、しっかり足も払われたため、簡単に体のバランスが崩されたのだ。
「次は、背後から拘束されたときの対処法だ。――毎日少しずつ教えてやるから、何度も繰り返して体に叩き込め。俺相手に決められるようになれば、そうだな……、初見のチンピラ程度なら、ぶちのめせるはずだ。いい機会だから、打撃技も教えてやる」
「……先は長いな」
「時間はたっぷりある。多分な」
 鷹津自身、このログハウスにどれぐらいの期間滞在するのか、はっきりとした目途は立っていないのだろう。すべては、外の状況次第なのだ。
 このでかい男を本当に転がせるようになるだろうかと心配する和彦とは対照的に、鷹津は意味ありげに薄い笑みを浮かべる。このときになって、まだ腕を掴んでいる手の力強さを意識する。
 耳元に顔を寄せた鷹津が囁いてきた。
「じっくりと、〈あいつら〉の知らないお前に作り替えてやる」
 背筋に走ったのは強烈な疼きで、咄嗟に身を引こうとした和彦だが、あっさりと鷹津の両腕の中に捉えられていた。




 痛っ、と声を上げた和彦は、唇に指先を這わせる。案の定、血がついていた。これ以上ないほど空気が乾燥しているため仕方ないのだが、とうとう荒れていた唇が切れたらしい。一度気になると、つい何度も唇を舐めてしまい、それがさらに荒れを悪化させたというわけだ。
 和彦はすっかり走る気が失せ、呼吸を整えながらゆっくりと歩く。散歩代わりのジョギングは、今のところ順調に続いている。切りつけてくるような寒風には慣れないが、自分の体にとって健康的なことをしているという意識を強く持てる気がするのだ。
 これでまた風邪でも引いたら、鷹津に揶揄われるだろうが。
 ログハウスに戻ると、室内の暖かさにほっと吐息が洩れる。鷹津から借りているウインドブレーカーを脱いでいると、テーブルで雑誌を開いていた鷹津がちらりと視線を向けてきた。
「汗をしっかり拭いておけよ」
「わかってる」
 そう応じはしたものの、歩いて帰っているうちに汗は引いてしまった。むしろ気になるのは、切れた唇のほうだ。
 ウインドブレーカーを他の洗濯物と一緒にまとめると、和彦は救急箱を出してくる。
「どうした。また熱か?」
 鷹津がすっかり過保護になってしまったことに多少の責任を覚えながら、和彦は苦笑する。
「ワセリンがないかと思って」
「……ローションじゃダメなのか。ベッドの小物入れの中にあっただろ」
 頬杖をついた鷹津が不思議そうに言う。数瞬の間を置いて、和彦は顔を熱くしながら、自分の口元を指した。
「唇が切れたから、塗るものが欲しいんだっ」
 叫んだ拍子にさらに深く唇が切れた。
「そういうことか。俺はてっきり――」
「言わなくていい……」
 残念ながら救急箱にワセリンは入っていない。ハチミツはあるので、応急処置として塗ってもいいのだが、つい舐めてしまってかえって唇が乾燥しそうだ。
 悩む和彦に、鷹津が提案してきた。
「買い出しについてくるか? ドラッグストアで降ろしてやるから、俺が用事を済ませる間、買い物すりゃいいだろ」
「……いいのか?」
 戸惑う和彦に、鷹津は苦い顔となる。
「誤解してるようだが、俺は別に、お前をここに軟禁してるわけじゃないぞ。これまでは、お前の体調が怪しかったから連れて行かなかっただけだ。――もう大丈夫だろ?」
 和彦がぎこちなく頷くと、さらに鷹津が続ける。
「ついでだから、帰りに温泉にも寄ろうぜ。お前、入りたがってたろ」
 退屈していた子供を外に連れ出そうとしている父親じみたものを、鷹津の口調から感じなくはなかったが、久しぶりに買い物がしたいのも、温泉に入りたいのも事実だ。和彦は救急箱を片付けると、急いで寝室に駆け込もうとして、鷹津を振り返る。
「コンビニで、コピーしたいものがあるんだ。あと、和泉の家に出したい荷物もある」
「ああ、まとめて用事を済ませろ。さっさと準備してこい」
 和彦は手早く着替えを済ませると、買い物メモに、コピーを取りたい書類、和泉家に送る荷物などをまとめていく。安川商店が顧客に配っているという大きなトートバッグが思いがけず役に立ち、荷物をすべて詰め込めた。
 鷹津は、薪ストーブの火を消すと、スウェットスーツの上にダウンコートを羽織ってから、ドキュメントケースを小脇に抱える。髭面もあいまって、異様な迫力を放っているのだが、考えてみればこの男は、少し前まで極道と見分けがつかないような暴力団担当の刑事だったのだ。
「どうした?」
「……見た目が胡散臭いと思って……」
「よかったな。変な輩が寄ってこないぞ」
 和彦は、苦笑で返すしかなかった。


 列を作って下校している小学生の一団を見て、意識しないまま和彦は表情を和らげる。まだ低学年らしく、背負ったランドセルを持て余しているように見える。
 ログハウス周辺の環境しか知らなかった和彦は、山を下りてすぐに見えてきた人通りや車の数に、新鮮さを覚える。にぎわっているとまでは言えないが、寂れた印象はなく、当たり前に人が生活している光景が広がっているのだ。
 年明け、鷹津に連れられてログハウスに向かうときはすでに日が落ちており、町の様子はほとんどわからなかったし、そもそも和彦に車の外に目を向ける余裕はなかった。
 のんびりとした雰囲気の町だった。道路沿いにきれいな川が流れており、近くにキャンプ場もあるようだ。自然を観光の目玉にしているところなのだろう。
「一応この辺りが、メインストリートになる。ドラッグストアの真向かいにスーパーがあるし、道路沿いに少し歩くことになるが、コンビニもある。観光だと思って、うろうろしてみろ。なんか珍しいものがあるかもしれない」
「……もしかして、別行動になるのか?」
「俺は俺で、片付けておく用事がある」
 あえて深くは追及しない。ほぼ四六時中、和彦と一緒に過ごしていては、そうそう人と会うこともできず、電話するにも気を使っていたはずだ。わかったと頷いた和彦は、ひとまずコンビニで降ろしてほしいと告げる。和泉家に出す荷物というのは書類で、コピーを取っておきたかったのだ。封筒などもその場で購入すればいいかと、手順を考えているうちにコンビニの駐車場へと車が入る。
 車を降りようとした和彦に、鷹津がグローブボックスから何か取り出して、ポイッと投げて寄越してきた。
「これ……」
 てのひらに収まるサイズの、一見コントローラーのような機器だ。キーホルダー金具がついており、小型ライトかとも思ったが、すぐに違うと気づく。察した和彦が顔をしかめると、鷹津は苦笑いを浮かべた。
「そんな顔するな。さっき歩いてた小学生たちも、ランドセルにつけてただろ。――防犯ブザーを」
「ぼくは三十男なんだが」
 うっかり間違えて買うはずもなく、最初から鷹津は、和彦に渡すつもりで準備していたのだ。
「万が一だ。物騒な連中にここの場所は知られていないはずだが、何があるかわかんねーからな。これも、教えた制圧術も、出番がないに越したことはない」
 待ち合わせ場所をスーパーの休憩所に決めて、二人は一旦別れる。
 鷹津の車が走り去るのを見送ってから、和彦は防犯ブザーをダウンコートのポケットに仕舞う。反射的に周囲を見回したのは、身についた習性だ。人の姿があると、不穏な気配はないかと探ってしまう。大丈夫、と口中で呟いて和彦はコンピニに足を踏み入れた。
 店内に客の姿はなく、おかげでゆっくりとコピー機を使うことができる。購入した封筒にその場で書類を入れると、カウンターで発送伝票を書いて荷物を受け付けてもらう。これで、最優先の仕事は終わった。
 和彦は缶入りのカフェオレを買ってコンビニを出ると、のんびりと歩きながら口をつける。まっすぐ引き返してドラッグストアに向かってもよかったが、鷹津の勧めもあって、違う道を歩いてみることにする。入り組んだ道に進まなければ、迷うこともないはずだ。
 小さな商店がいくつか並んでおり、特に用もないのに金物屋の店先に並んでいる調理器具を眺めていると、また下校途中の小学生に出くわす。考えてみれば、今はまだ午前中だ。この時間にすでに下校しているということは、何か行事でもあるのかもしれない。
 そして、平日の午前中から一人でフラフラしている自分は、不審者に見えるかもしれないと、いまさら和彦は気づいてしまう。小学生たちの列が横を通り過ぎるとき、防犯ブザーを鳴らされたりしないだろうかと、少しだけ緊張した。結果、防犯ブザーを鳴らされるどころか、大きな声で挨拶をされ、慌てて返すことになる。
 子供たちの元気さと明るさが眩しい。楽しそうに話しながら歩く彼らの後ろ姿を見送った和彦は、これ以上小学生と出くわしても気まずいので、そろそろ引き返そうかと、辺りを見回す。途中に出ていた案内板のようなものには、もう少し歩けば民俗資料館があると記されていたが、正直さほど興味はない。どうせなら土産物屋を覗いてみたい。
 カフェオレを飲み終え、やっと探し出した自販機横のゴミ箱に缶を捨てた和彦の視界に、十メートルほど先の古びた看板が飛び込んでくる。書店という文字を無視できるはずもなく、ふらふらと近づく。営業中なのを確認すると、すぐに済ませるからと心の中で鷹津に言い訳しながら、店に足を踏み入れた。


 両手に荷物を提げ持った和彦を見るなり、イスに腰掛けた鷹津はふっと笑みをこぼした。
 スーパーの一角にある自販機が置かれた休憩所で、壁際のテーブルについた鷹津の前には、空の紙コップと新聞紙があった。和彦を待っている間、よほど暇だったらしい。ここぞとばかりに本を買い込んできた和彦は、さりげなく書店の紙袋を後ろ手に隠すが、それに気づかない鷹津ではない。
「お前に本を頼まれるたびに、正直頭を痛めてたんだ。――欲しい本は買えたか?」
「……ああ。これでしばらくは大丈夫」
「そりゃよかった」
 ドラッグストアでも必要なものは買えたので、和彦は非常に満足している。鷹津はのっそりと立ち上がると、テーブルの上を片付ける。スーパーで野菜とアルコール類を買っておきたいというので、和彦もつき合う。
 そのあと、待ちかねていた温泉へと向かう。
「昼間から温泉に入るなんて、贅沢だ……」
 山間にあるという温泉に向かうため、ちょっとしたドライブとなる。車にカーナビはついていないのだが、鷹津の運転に迷いはない。やはりこの土地に馴染み深いようだ。登山をしていた頃、この近くの山にもよく登っていたと話してくれたことはあるが、誰と、いつ頃のことなのか、そこまでは聞けなかったのだ。
 鷹津の過去にどこまで踏み込んでいいのか、和彦はいまだ測りかねている。知らなくてもいいことなのだろうが、こちらの家庭事情のほとんどを把握されていることを思うと、なんとなく不公平ではないかと和彦は感じる。
 カーラジオからは天気予報が流れている。明日から天候が荒れ、雪が数日続く見込みだという予報に、鷹津が小さく舌打ちをする。和彦はのんびりとしたもので、日課となったジョギングができない間は、ログハウス周辺の雪かきをして体を動かそうかと、ぼんやりと考えていた。すると唐突に鷹津に問われた。
「――帰りにケーキでも買って帰るか?」
「どうして」
 数瞬、鷹津が言い淀む。
「……やっぱりいい。今の提案は忘れろ」
 そんな言い方をされると、かえって気になる。和彦がじっと視線を向け続けると、渋々、鷹津は口を開いた。
「たぶん、お前の誕生日当日は、雪で身動きが取れないぞ。……何も誕生祝いを用意してやれないから、せめてケーキぐらいはと思っただけだ」
 自分の誕生日が近いことをやっと思い出した和彦は、目を丸くする。気づかせてくれたのが鷹津だというのが意外すぎて、すぐには言葉が出ない。その間にもどんどん顔が熱くなっていくのは、車内の暖房が効きすぎているせいではないはずだ。
「……けっこうロマンティストというか、記念日とか覚えているタイプなんだな。ぼくよりマメかも」
 揶揄ったわけではなく、心底そう思って和彦が呟くと、鷹津は大きな舌打ちをする。
「言うんじゃなかった」
「そう言うなよ。覚えててもらって、嬉しい。……そうか、ぼくの誕生日か……」
 これまでにない感慨を覚えるのは、自らの生い立ちのすべてを知ったからだろう。そして傍らにたった一人いてくれるのが、事情を知っている鷹津だというのは、素直に感謝するしかなかった。
 和彦は小さく笑い声を洩らす。
「思い出した。去年の誕生日も、あんたと一緒だったな。ぼくが誕生日だと言ったときの、あんたの顔っ……」
 一人思い出し笑いをする和彦を、鷹津は忌々しげに横目で一瞥してきたが、すぐに口元を緩めた。
「そうか、二年連続か。だったら、来年も狙うか。――お前の誕生日を」
 和彦は曖昧な返事しかできなかった。今、こうして鷹津と一緒にいるなど、少し前なら想像もできなかったのだ。今後も何が起こっていても不思議ではなく、安易な約束はできない身だ。鷹津も、それは十分わかっている。
「……ケーキはわざわざ買わなくていいよ。子供じゃないんだし」
「そうか」
「その代わり、当日はちょっと手の込んだ料理を作ろう。たまたまだけど、新しい料理本を買っておいたんだ」
 主に動くことになるのは鷹津になるだろうが、それぐらいは甘えさせてもらっても許されるはずだ。鷹津も察するものがあったのか、温泉帰りにスーパーに引き返して、もう少し食材を買い込んでおくかと話す。
 そうしているうちに、狭い脇道へと車が進入する。こんなところに本当に温泉があるのかと、やや和彦は不安になってくる。しかし、それは杞憂に終わった。
 車が数分ほど走ったところで、道が急に広くなり、景色が開ける。収穫を終えたあとの畑を横目になだらかなカーブを曲がると、道が二手に分かれる。片方の道には看板が出ており、ようやく目的地に着いたようだ。
 平日の昼前だが、駐車場のスペースは半分ほど埋まっていた。こぢんまりとした銭湯のようなものを想像していた和彦だが、目の前に建っているのは、高級旅館と見紛うような立派な建物だ。
「町営、って言ってたよな……」
 鷹津にとっても予想外だったのか、あごを一撫でして呟いた。
「ずいぶん立派になったな。俺が通ってた頃は、古い掘っ建て小屋みたいなところだったのに」
「……いつのことだ?」
「俺が純朴な新人警官だった頃」
 へー、と和彦は素っ気ない返事をしたものの、実は好奇心が疼いていた。一度ぐらい、鷹津の制服警官姿を見てみたかったと思うのだが、どうせこの男のことなので、写真すら残していないだろう。
「まあ、きれいなのに越したことはないな。メシも食えるみたいだから、ちょうどいい。風呂に入ってから、昼メシもここで済ませようぜ」
 自動ドアを通ろうとしたとき、中から出てこようする人影が見え、反射的に道を譲る。出てきたスーツ姿の男性二人組にドキリとした。和彦が目を奪われたのは、片方の男性が羽織っているいかにも仕立てのいいコートだった。強い風によって裾がはためき、それを男性がスマートな動作で直しながら、こちらに軽く頭を下げて通り過ぎる。湯に浸かってきたようには見えず、この施設には仕事で出入りしているのかもしれない。
 和彦はちらりと振り返り、風で翻るコートの裾を目で追う。さきほどの男性の一連の動作に、ふっと賢吾の姿が重なっていた。よく外に連れ回され、そのたびに賢吾のコート姿を目にしており、しっかり目に焼き付いているのだ。
 置き去りにしてきた〈あれこれ〉を同時に思い出し、見えない手となって足を掴まれそうになる。
「おい」
 鷹津に呼ばれて手招きされる。踏み出した足を妨げるものはなく、和彦は小さく安堵の息を吐き出した。


 久しぶりの手足を伸ばしてのゆったりとした入浴は、非常に満足できるものだった。満足しすぎて長湯となり、のぼせたのは予想外だったが。
 和彦は、鷹津に支えられてふらふらしながら大浴場を出たが、男湯の利用者がまばらだったのは救いだったかもしれない。冷たい水を飲んで休んでいるうちに落ち着いて、ついぼやいてしまう。
「ジェットバスにも浸かりたかった……」
「また連れてきてやるから、今日は我慢しろ。バカが。自分で加減もわからないのか」
「……そういうあんたは、カラスの行水だろ」
「俺は熱い湯に浸かるのは苦手なんだ」
 それなのに和彦には、しっかり温まれと何度も釘を刺してきたのだ。浴場から出たら出たで、今度は髪をきちんと乾かせと口うるさい。子供ではないのだからと心の中では思いつつも、言われたとおり、鷹津に監視される中で髪を乾かす。
 その後レストランに移動して、二人とも天ぷら定食を頼んだが、運ばれてきた天ぷらの多さに和彦の顔は引き攣る。さつまいもとしいたけの天ぷらを鷹津に引き取ってもらった。
 施設内の売店を覗いたりしてのんびりと過ごしているうちに、次々と客が訪れ、受付がちょっとした混雑を見せ始める。鷹津に軽く肩を小突かれて、そろそろ出発することにする。
 予定通り、スーパーで食材を買い足してから帰路に着くが、久しぶりに大勢――というほどではないが、見知らぬ人たちの中に身を置いたせいか、疲労感がどっと押し寄せてくる。食後というのもあるのだろう。強い眠気に目を擦っていると、寝てていいぞと鷹津に声をかけられた。意地を張ることなく和彦は目を閉じる。
 うたた寝程度ではあったが、夢は見ていた気がする。断片的に記憶に残っている場面は、翻るコートの裾と、こちらに向けて伸ばされた手だ。
 胸苦しくなる一方で、妙に浮き立つような気分になり、これが夢だとわかった途端、切なくなった。
 慎重に背後を気にかけながら回り道を繰り返して、ログハウスに到着すると、帰ってきたのだという安堵感をまず覚えた。和彦が、買ってきたものをさっそく冷蔵庫や収納ボックスに収めている間に、鷹津は薪ストーブに火を入れる。天候が荒れるという予報もあり、小屋から多めに薪を運んできて、部屋の隅に積み上げていく。
 積雪具合によってはまた何日かこもりきりの生活になるだろうが、想像しても憂うつな気分にはならない。
 個人的に買ったものを寝室に運び込むと、ベッドの上で取り出していく。本については、ベッド下の空き箱に収納するようにしており、それ以外のものはクローゼットかサイドテーブルの引き出しに仕舞っておく。
 ここまで済ませてから、ようやく寝室のほうにも暖かな空気が流れ込んでくるようになり、和彦は着替えを済ませてからリビングダイニングに戻った。
 鷹津は薪ストーブの前に胡坐をかいて座り込み、何か考え込んでいるかのような横顔を見せていた。和彦は立ち尽くし、そんな鷹津の様子に見入っていたが、視線も動かさないまま鷹津に声をかけられる。
「そんなところに突っ立っていても寒いだろ。――こっちに来いよ」
 言われるまま鷹津の隣に腰を下ろす。
「いい息抜きになったか?」
 鷹津の言葉に、和彦はちらりと笑みをこぼす。
「別に、ここにいて息が詰まる思いはしてなかったけど……、楽しかった。あんたは?」
「俺に聞くか。そんなこと」
「先に聞いてきたのはそっちだろ」
「四十男が、楽しかったとか子供みたいな感想言えるか」
 ぼくは三十男だが、と心の中で付け加えておく。その心の声が聞こえたわけではないだろうが、ふいに鷹津が笑い声を洩らした。
「そうだな……。少し、ほっとはしたかもな」
「どうして……」
「町で、買い物のためにお前と別れたあと、そのまま帰ってこないんじゃないかと考えていた。スーパーでお前を待ちながら、気を紛らわせるために新聞を買って、コーヒーを飲んで――。考えてみれば俺の人生、誰かを待つなんてことほとんどしたことがなかったなと、らしくない感傷に耽ってもいた」
 和彦は意識しないまま鷹津との距離を詰める。鷹津は忌々しげに顔をしかめた。
「……なんだ。人を珍獣でも見るように……」
「初めて、あんたを可愛いと思って、戸惑ってる」
 自分で言っておかしくて和彦は声を洩らして笑い、不機嫌そうな鷹津の頬にてのひらを押し当てる。ごわごわとしたひげの感触は、すでに慣れ親しんだものとなっていた。
 舌打ちをした鷹津に乱暴に肩を引き寄せられ、間近に顔が迫る。そのくせ、唇に触れる指先の動きは繊細だ。
「唇、何か塗ったんじゃねーのか」
「……まだ塗ってない」
 ドラッグストアでワセリンを買っておいたし、いくらでも塗る機会はあったが、そうしなかった。
「どうしてだ。あんなに切れて痛そうにしてたのに」
「別に理由はない」
 本当か、と問いかけてくる鷹津の目が、意地の悪い光を湛えている。
「――……嫌な男だな」
「いまさらだな」
 次の瞬間、やや強引に唇を塞がれた。熱い舌に唇をこじ開けられ、口腔に入り込んでくる。和彦の背筋にゾクゾクするような疼きが駆け抜け、喉の奥から声を洩らす。
 触れ合った舌先同士を擦り付けながら、腰を抱き寄せられるまま、向かい合う格好で鷹津の膝の上に座らせられた。互いの唇を吸い合い、舌を絡め、唾液を交わす。片手を取られて導かれた鷹津の両足の中心は、すでに硬く盛り上がっていた。和彦も、同じだ。
 確認の言葉も必要なく、セーターとその下に着ていたシャツを脱がされる。一瞬、ひやりとした空気が肌に触れたが、薪ストーブで暖められた空気がまとわりついてくるのはあっという間だ。和彦も鷹津のトレーナーをたくし上げると、鷹津自ら乱雑に脱ぎ捨てた。肌が重なり、高い体温が心地いい。愛しげに体を撫でてくるゴツゴツとしたてのひらの感触には、官能を高められる。
「――お前、俺の我慢強さに感謝しろよ」
「えっ……?」
「いつでも温泉に連れて行けるように、お前の体にそれとわかる跡を残さなかった。本当なら、こうして――」
 喉元に唇が這わされ、ときおり強く吸い上げられる。首筋には歯を立てられたが、痛みはあっという間に心地よさに変化し、和彦は吐息を震わせた。
「どうせ雪が降ったら山から下りられないんだ。……かまわないよな?」
 濡れた音を立てながら、鷹津に愛撫の跡をつけられていく。最初はされるがままになっていた和彦だが、ふと鷹津の肩から首にかけてのラインが目に入り、顔を伏せる。自分がされたように首筋に唇を這わせ、吸い上げ、歯を立てると、鷹津が小さく呻き声を洩らした。
「くすぐってーよ……」
 間近から鷹津の顔を覗き込むと、ドロドロとした欲情を滾らせた目とぶつかる。この瞬間和彦は、自分もどうしようもなく発情して、この男が欲しくて、犯されたくて堪らないのだと自覚する。ベッドに行くかと囁かれて、首を横に振る。
 一度体を離した鷹津は、ソファに置いてある和彦の昼寝用のクッションと毛布を持ってくると、手早く床の上に広げる。和彦は腕を掴み寄せられると、簡単にその上に転がされ、鷹津が覆い被さってきた。


 うつ伏せとなり腰を抱え上げられた和彦は、背後から緩く突き上げられて呻き声を洩らす。内奥深くには楔のようにしっかりと鷹津の欲望が埋め込まれていた。内奥の粘膜と襞を時間をかけて擦られているうちに、和彦の理性は蜜に浸かったように蕩け、ただ貪欲に肉の悦びを求める。
 すでに一度、内奥に鷹津の精を受け止め、そのとき和彦自身も達しているのだが、肉欲は鎮まるどころか、ますます強く燃え上がっていた。
 薪ストーブの放つ熱のせいではなく、身の内からの熱に火傷しそうだと思った。実際、和彦の肌は汗で濡れており、さきほどから何度も鷹津のてのひらに拭ってもらっている。
「あっ……ん、んっ」
 鷹津の手が両足の間に差し込まれ、柔らかな膨らみを揉みしだかれる。和彦は身をのたうたせ、強い刺激から本能的に逃れようとしたが、動きを封じるように内奥を突かれる。さらにもう一度突かれて、腰の動きを同調させていた。
「んうっ、あっ、あっ、あぁっ――」
 秘められた肉を掻き分けるように突き上げられる。内奥を淫らに蠕動させ、鷹津の欲望をこれ以上なくきつく締め付けると、背後から大きく荒い息遣いが聞こえてきた。
 背筋から這い上がってくる狂おしい肉の愉悦に喉を鳴らす。
「しゅ、う……、秀……、秀ぅ……」
 うわ言のように名を呼ぶと、鷹津には和彦が今どんな状態なのかわかったらしい。いきなり、内奥から欲望が引き抜かれ、わけもわからないまま和彦はビクヒクと下肢を震わせる。鷹津に抱き起されてすがりつくと、口づけを与えられながら、喘ぐようにひくつく内奥の入り口を指先でまさぐられる。もっと深くに強い刺激を求めて、和彦は腰をもじつかせていた。
 毛布の上に鷹津が仰臥して、即座に意図は察した。熱っぽい眼差しを向けられて顔を背けることもできず、和彦はおずおずと鷹津の腰に跨る。興奮しきった猛々しい欲望を片手で掴み、位置を合わせる。初めての行為ではないのだが、だからといって平気ではない。和彦は身を焼くような羞恥と、鷹津からの射るような視線に耐えつつ、ゆっくりと腰を下ろしていく。
 緩んだ内奥はさほど抵抗なく鷹津のものを呑み込む。下腹部にじわりと重苦しい感覚が広がっていき、肉同士の繋がりを強く意識する。和彦は慎重に息を吐き出しながら、鷹津の胸元に手を突き、腰を揺らす。
 目を閉じ、体内で脈打つ逞しい肉の感触だけに集中しているうちに、いつの間にか喘ぎ声をこぼしていた。円を描くように腰を動かし、内奥深くに鷹津のものを擦りつけると、自分だけでなく、鷹津もまた歓喜に震えているのが伝わってくる。
「――和彦」
 呼ばれて目を開けると、鷹津が片手を伸ばしてきた。和彦は前屈みとなり、頬をすり寄せた。
 緩やかな交歓を時間をかけて堪能する。次第に和彦の腰の動きは大きくなり、汗が肌を伝い落ちていく。そんな和彦の姿を、鷹津は一心に見上げていた。体の内側がざわつくのは、視線にすら感じてしまうからだ。
 もっと触れてもらいたいと強く願ったとき、声に出すまでもなく、鷹津の両てのひらが体をまさぐり始める。
「あっ、あっ、ふぁっ、くうっ……ん」
 興奮のため凝ったままの胸の突起を、捏ねるようにてのひらで転がされてから、軽く抓られる。尻の肉を爪が食い込むほど手荒く鷲掴まれたが、繋がっている部分をなぞる指先の動きは優しい。
 和彦は淫らな衝動に促されるまま、反り返って揺れる己の欲望を掴むと、鷹津に見せつけるように上下に扱く。刺激に呼応するように、内奥で鷹津のものが力強く脈打った。
 下から突き上げられると、和彦は脆かった。白濁とした精をトロトロと垂れ流し、鷹津が見ている前で絶頂に達する。頭の先から爪先にまで駆け抜ける快美さを堪能している最中に、鷹津の精を内奥深くに注ぎ込まれていた。
 悦びが声となって溢れ出ていることに気づいたが、自分でもどうしようもできなかった。鷹津の腰の上で身を震わせ、内奥でまだ硬さを失っていないものをきつく締め付け続ける。快感の余韻はなかなか消えなかった。
「――お前は本当に性質が悪い」
 深く息を吐き出してから鷹津が呟く。まだ陶然としていた和彦だが、鷹津の引き締まった下腹部に飛び散らしてしまった精を、その鷹津が指先で掬い取る姿にうろたえる。脱ぎ捨てた服を掴み寄せて拭おうとして、止められた。
「もったいない」
「……バカじゃないか」
「触るぐらいなんともない。お前なんて、俺のを〈飲んだ〉じゃねーか。ここに」
 意味ありげに腰を揺らされ、もう何も言えない。もう見飽きた――とまではいかなくても、見慣れているであろう和彦のことを、鷹津はただ熱を帯びた眼差しで見上げてくる。繋がったままの痴態を晒しながら、いまさら羞恥しても仕方ないのだろうが、平気ではいられない。和彦は腰を浮かせようとしたが、鷹津に手首を掴まれて止められる。さきほどからなんなのだと、さすがに恨みがましい視線を向ける。
「おい……」
「お前は性質が悪い」
「わかったから、繰り返すな」
「お前が何人もの男を咥え込んできたと知ってるのに、それでも、お前がよがっている姿を見ると、のぼせ上がるんだ。俺だけは特別だと、錯覚しそうになる。誰も知らない姿を、俺だけが見ていると――」
 精を掬った鷹津の指が、鳩尾から腹部へと這わされて和彦はそっと息を詰める。さらに指は下腹部へと下りていき、陰りをまさぐられる。
「なあ、前に俺が言ったことを覚えてるか?」
「……あんたには何回も罵られたから、心当たりがありすぎるんだが」
 ふっと鷹津が笑い、力を失った和彦の欲望を弄んでくる。
「お前の〈ここ〉を剃ってやろうか、って。……皮肉なもんだな。あのとき、お前を連れて逃げてやろうかと唆したが、今はこうして、本当にお前と逃げ隠れて一緒にいるんだから」
 その鷹津とのやり取りはよく覚えていた。意味ありげな会話のあと、和彦は薬で意識を朦朧とさせられながら、鷹津が実は俊哉と繋がっていたことを残酷な形で知らされた。
 目が覚めたとき、鷹津が目の前からいなくなっただけではなく、所在すらわからなくなったと知ったときの絶望感が蘇り、身震いをする。そんな和彦を宥めるように、鷹津は欲望を優しく擦り上げてくる。そのくせ、再び欲望が滾ったようなギラギラとした目を向けてくるのだ。
 鷹津という男がかつて、どんなふうに自分を求めてきていたのか、唐突に和彦は思い出す。荒んだ粗野な獣のようで、そんな男を拒むどころか、自分は嬉々として受け入れていたことも。
「――全部、俺に見せろよ。どうせここには誰も来ねーんだ」
 抗いがたい強烈な疼きが背筋を駆け抜け、和彦は喉を鳴らす。この状況で鷹津の求めを拒めるはずがなかった。




 鷹津とは、同じベッドで眠るようになっていた。他人と一緒に寝るのは落ち着かないと、最初は文句を言っていた鷹津だが、意外に寝つきはよく、先に寝息が聞こえてくるのも珍しくはない。
 大きめのベッドとはいっても成人した男二人が並んで寝るには少々窮屈ではあるのだが、互いの体温がちょうどいい湯たんぽとなっており、電気毛布を使わずともけっこう快適な夜を過ごせている。何より、静かで深い闇の中、肩先で人の気配を感じられるのはいい安定剤となっていた。
 降っている雪が窓に当たる音を、ずっと和彦は聞いている。眠くてベッドに入ったはずが、短くまどろんだあとにはすっかり目が冴えてしまったのだ。リビングダイニングに移動して本を読むのもありだが、寒い中、自分で薪ストーブに火を入れ、暖まるのをじっと待つのは億劫だ。
 慎重に寝返りをうち、隣で寝ている鷹津のほうを向く。闇に目が慣れても、ひげのせいでどんな顔をして寝ているのかよく見えない。
「――……寝れないのか」
 突然、鷹津から声をかけられる。眠っていると思っていた和彦は完全に油断しており、ビクリと体を震わせた。
「いや……、ウトウトしてたら、雪の降る音が気になって……。もしかして、起こしたか?」
「お前の視線が刺さって気になった」
 それは悪かった、と言おうとして、鷹津がふっと息を洩らした。
「冗談だ。隣にお前がいない気がして、目が覚めただけだ」
「……ここにいる」
 そう答えた和彦は、鷹津の腕に手をかける。すかさず抱き寄せられ、体が密着した。
「あまりくっついたら、寝苦しくないか」
「冷え込む夜には、この〈抱き枕〉はちょうど具合がいいんだ」
 鷹津の胸元に額を押し当てながら、ぼくはどこにも行く気はないと、心の中で呟く。町に下りて別行動を取ったときといい、和彦の存在は、鷹津の中では不安を掻き立てるものとなっているようだ。
 力強い鼓動を聞きながら、鷹津の背に片腕を回す。少し間を置いて、鷹津の手がするりと、スウェットパンツの中に入り込んできた。
「おいっ……」
 下腹部をまさぐられ、勝手に体は熱くなる。昨日和彦は、鷹津の手によって初めての体験を味わった。
 準備をしている最中は、どこか悪戯の細工を仕掛ける子供のような感覚だったが、準備が整うと、一気に淫靡な空気となり、まともに鷹津の顔を見られなくなった。ロクでもないことをしていると、笑い合っていればまた違ったのかもしれないが、これ以上なく二人は真剣に、秘密の行為に耽ったのだ。
 鷹津の前で大きく足を開き、何もかも晒した無防備な状態で身を委ねた。簡単に肌を傷つけることができるカミソリが、ローションの滑りを借りて肌の上をすべるたびに、恐怖と紙一重の興奮が全身を駆け抜けた。すべて終わったあと、傷をつけていないか鷹津が顔を寄せて確認し、肌に触れる息遣いに和彦は感じ、反応していた。そしてまた、獣のように求め合ったのだ。
 箍が外れたような淫らで破廉恥な行為を思い返すたびに、激しい羞恥に襲われる。なんとか考えまいと努めているのに、鷹津の手の動き一つであっさり翻弄される。
「――……昨日の約束、忘れるなよ」
 気を逸らすために苦し紛れに和彦が言うと、鷹津が一旦手を止める。
「なんのことだ」
「もう忘れたのかっ。……次、温泉に入りに行くときは、個室風呂があるところに連れて行くと言っただろ」
 そうだったかなととぼける鷹津の脇腹を抓り上げる。
「こんな状態じゃ、他人と一緒の風呂には入れない……」
「それは仕方ないな。だがまあ、未知の経験ってのを一度味わっておくのも悪くなかっただろ」
 他人事だと思って簡単に言ってくれると、心の中で鷹津を詰る和彦だが、拒まなかったのは自分自身だとわかってはいる。だからこれは、八つ当たりだ。当分味わわなければならない羞恥と後ろめたさは、行為の代償としてやむをえないのだろう。
 一方の鷹津は、昨日から甲斐甲斐しさが増している。
「すぐに寝れそうにないなら、何か飲むか?」
「……おばあ様が送ってくれたほうじ茶がいい」
 俺にも分けてくれと言って、ライトをつけた鷹津がベッドから出ようとする。このとき、ささやかな電子音が鳴り始めた。一瞬、空耳かと思ったが、鷹津が素早く枕の下から携帯電話を取り出す。眠っている最中では、最小まで抑えた着信音には気づかなかったかもしれない。
「お茶を淹れてきてやるから、待ってろ」
 そう言い置いて、携帯電話を持ったまま鷹津は寝室を出ていった。
 夜中の電話というものは、自分宛てにかかってきたわけではなくても、なんとなく不安を掻き立てられる。和彦は体を起こして鷹津を待つ。
 こういうとき、テレビがないのは意外に困るなと思った。観るつもりはなくとも、適当にチャンネルを入れ替えて気を紛らわせられるからだ。ラジオは、リビングダイニングに置いたままだ。和彦は仕方なく、昨日買った雑誌を開く。
 結局、鷹津が寝室に戻ってきたのは、三十分以上経ってからだった。まだ和彦が起きていることに驚いたように、目を丸くする。
「起きてたのか……」
「――お茶は?」
 そう問いかけると、鷹津は大仰に顔をしかめてから、肩を落とした。
「すっかり忘れてた。……待ってろ。淹れてくる」
 和彦は慌てて鷹津を引き留める。本気で飲みたかったわけではないのだ。
 布団の端を捲ると、鷹津は携帯電話をまた枕の下に突っ込み、ベッドに上がった。このとき触れた肩先から、体が冷え切っているのが伝わってきたため、電気毛布のスイッチを入れる。
 日頃、電話の相手は詮索しない和彦だが、こんな時間にかかってきたということもあり、単刀直入に尋ねた。
「電話、誰からだったんだ」
「警察時代の知り合いの一人だ。いつも夜中に電話をかけてくる奴だから、お前は気づかなかっただろ」
 和彦の体調が安定しなかった頃、鷹津は夜でもいつ休んでいるのかという甲斐甲斐しさを見せていたが、隣の部屋ではこんなふうに電話でやり取りをしていたのだろう。
 一体どんなことを話していたのか聞きたいところを堪えて、ふうん、と返事をして横になった和彦を、鷹津は座ったままじっと見下ろしてくる。
「……秀?」
「最近頻繁に、長嶺が総和会本部に出入りしていると報告を受けた。その総和会では、遊撃隊らしき連中の動きが活発らしい」
 思いがけない話題を出されて、顔が強張る。反射的に体を起こした和彦は口を動かしはするものの、言葉が出ない。自分が何を言いたいのか、思考が追い付かないのだ。まず頭に浮かんだのは、血なまぐさい事態が起こったのではないかというものだった。
「安心しろ。表立って物騒なことになっているわけじゃない。むしろ――」
「むしろ?」
 鷹津は皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「気になるか?」
「気にならないはずがないだろ」
 取り繕ったところで意味はなく、正直に答える。少しの間沈黙したあと、鷹津は意外なことを口にした。
「俺は、長嶺を脅した」
「……本当に命知らずだな、あんた」
「いまさらだな。――電話越しだったが、それでもあいつが心底怒っているのは伝わってきた。さすがに寒気がしたが、まあ、仕方ない。俺なんかに煽られる、あいつが悪い」
 ここに来てから和彦は、賢吾だけでなく、長嶺組や総和会絡みの話題は避けるようにしていたが、今夜は気負うことなく触れることができた。そのタイミングが訪れたということだろう。一生触れないまま、ここにいるわけにはいかないのだ。
「俺は総和会という組織が昔から嫌いだ。ヤクザの生き血を啜る蛭(ひる)みてーなものだ。性質が悪すぎて反吐が出る。だからといって、木っ端の警官にできることなんてない。それは、組織犯罪対策の刑事になったあとも変わらなかった。気がつけば、俺もヤクザと生き血を啜り合う仲だ。俺はこの程度の人間なんだと納得していたが――……」
 意味ありげな視線を向けられ、和彦はベッドに座り直す。
「長嶺には、何度も警告していた。てめーのオンナを、総和会に近づけるなと。だがどうだ。あっさり取り上げられて、囲い込まれる寸前だった」
 鷹津の声にわずかに滲むのは、怒りだった。咄嗟に和彦は、鷹津の腕に手をかける。
「あの人の……、賢吾の立場の特殊さはわかってるだろ」
「お前のそういうところが、長嶺を調子づかせたんだ。だいたい、何もかもわかったうえで、ヤクザになったはずだ。大事なものを取り上げられたくなかったら、そもそも、お前みたいな人間を薄汚い世界に引きずり込むべきじゃなかった」
 ここまで言って鷹津は忌々しげに唇を歪めたあと、大きく息を吐いた。
「……ムカつくが、長嶺がお前を引きずり込まなきゃ、俺とお前が出会うこともなかった」
 後悔はしていないと鷹津は言い切る。
「お前のおかげで、俺の人生はけっこうおもしろいものになってきた。ヨボヨボのじじいになるまで退屈したくないが、そのためには、どうしたって長嶺には踏ん張ってもらわなきゃならない。お前が総和会の檻に閉じ込められると、俺が困るんだ」
「賢吾を脅したって、つまり――」
「総和会と、自分の父親を抑える目処がつくまで、お前を返さないと言った。お前の父親である佐伯俊哉が、資金やらなんやらと手を貸してくれたのは、やっぱりお前が総和会の手の中にあるのは困るからだ」
 和彦は、俊哉のことを考えた途端、胸苦しさに襲われる。膝を抱えると、鷹津は上着を肩からかけてくれた。自らの社会的地位を守るために、俊哉は立ち回っているという側面は確かにあるだろうが、それだけではない。佐伯俊哉という人間が抱えた闇は深く、その闇と同じものを抱えているのは、この世で守光だけなのだと、確信めいたものが和彦にはあった。
 血の縛りを愛す男と、血の縛りを厭う男が、駆け引きを繰り広げているのだ。
「――……お前の態度次第では、縛り上げてでも、ここから出すなと言われていたんだ」
「父さん、が?」
「他に誰がいる」
 多くを語らない間、鷹津が自分を観察していたのだと知っても、負の感情は湧かなかった。俊哉から何かしら任務を課されていたのは明らかだったし、実際のところ、鷹津は自由に行動させてくれたのだ。
「正直なところ、お前が長嶺のことを聞きたがらなかったのは、意外だった。他人の顔色をうかがうのが上手いお前のことだから、俺が機嫌を損ねると思って話題にするのを避けていた……というだけじゃないだろ」
 和彦はぐっと唇を噛むと、膝に額を押し付ける。
「和泉の家を出てから、ずっと不安だった。自分がどこに帰ったらいいのか、わからなかったんだ。佐伯の家は、ぼくが本当に帰っていい場所じゃないのはわかった。総和会はもっと違う。長嶺組は……。帰ったら、面倒が起きるのはわかりきってる。それでなくても、賢吾を難しい立場に追いやっているのに」
「最初にお前を難しい立場に追いやったのは、あいつだ。なんなら、お前をさっさと手放すこともできたのに、それをしなかった」
 怒りを押し殺すように、鷹津の声が低く掠れる。和彦がそっと顔を上げると、鷹津は真っ直ぐ正面を見据えていた。まるで誰かを睨みつけるように。和彦の視線に気づくと、決まり悪そうに顔をしかめる。
「……執着心ってのは厄介だな。ヤバイと頭ではわかっていても、手を引けない。もっと欲しいと思っちまう」
「本当にバカだ。悪徳刑事のままでいられたのに、辞めるなんて」
「おい。俺は長嶺の話をして――」
 途中で言葉を切った鷹津は、数拍の間を置いてからこう言った。
「帰る先が不安なら、ずっとここにいるか? 生活のことは心配しなくていい。俺がなんとかする」
 現実的ではない申し出だと、おそらく言った本人である鷹津もわかっている。和彦は小さく声を洩らして笑った。
「初めて会ったときのあんたに聞かせたい台詞だな、それ。ぼくのこと、養ってくれるのか」
「お前のことだから、いままで何人もから言われてきて、新鮮味もないだろ」
 和彦が、そっと鷹津の手を握り締めると、きつく手を握り返される。否定しないところが性質が悪いとぼやきながら。
「――お前の父親は、総和会会長より、その息子を扱いやすいと見ている。俺にしてみりゃ、顔馴染みの分、長嶺の蛇の尾なんて踏みたくないが、あっちはあっちで総和会会長と昔馴染みのようだから、気質をよくわかっているのかもな。なんにしても、同じ業界にいる父親に息子をぶつけるというのは、手段として正しい。俺たちは待つだけだ」
「待つだけ……」
「長嶺父子と佐伯俊哉の三つ巴だ。それぞれに面子があって、通したい要求がある。お前の身柄を抑えている分、佐伯俊哉が有利ともいえるが、その代わり、社会的地位が足枷となる。交渉にどうカタをつけるか、当事者のお前は気になって仕方ないだろ?」
 和彦はそっと嘆息した。
「弱っているときに、そんなことを聞かされなくてよかった。安定剤なしで、眠れる気がしない」
「今は?」
「……しばらくライトをつけていてくれ。さすがに今夜は、いろいろと考え込みそうだ」
 考える素振りを見せたあと、鷹津は再びベッドを出た。
「やっぱりお茶を淹れてきてやる。俺はコーヒーにする。――夜更かしにつき合ってやる」
 優しいな、と呟いた和彦は、微笑んで頷いた。






 雪解け水を含んだ土はじっとりと湿り、分厚いアウトドアブーツの底がわずかに沈む。小さな沢までの道を歩きながら和彦は、慎重に周囲に目を向ける。まだところどころ雪は残っているが、自然の生命力は強い。積もった雪を押し退けるようにして野草が芽吹きつつある。
 ジョギングだけでなく、雪が解け始めてからは散歩も日課に加わったのだが、鷹津が勧めてきた理由がわかる気がした。ゆっくりと歩いていなければ見過ごすこともあるというわけだ。相変わらず毎日寒くはあるが、それでも確実に春は訪れつつある。降り注ぐ陽射しが暖かくなってきたとか、鳥の鳴き声がにぎやかになってきたとか、雪解け水が流れ込み沢の水量も増えてきた。
 和彦個人の変化としては、ジムにまじめに通っていた頃ほどではないが、体に筋肉がついてきたし、護身術が多少様になってきた。そして、鷹津の監視なしで、いくつかの料理をまともな味と形で提供できるようになった。あとは――。
 黒々とした土の上にあるものを見つけて、和彦は小さく声を洩らす。さっそく、ダウンコートのポケットから本を取り出す。最近山を歩くのが楽しいという和彦の話を聞いて、翔太がくれた山菜や野草が載った図鑑だ。てのひらサイズなので散歩のたびに持ち歩いており、重宝していた。
 山菜のページを開くと、土からちょこんと顔を覗かせている植物と見比べる。
「フキノトウ……」
 翔太から図鑑を渡されるときのやり取りを見ていた鷹津に、山菜は下処理が面倒だから採ってくるなと釘を刺されているため、眺めるだけだ。この歳まで山歩きとはほぼ無縁で過ごしてきた和彦にとっては、この地で生活しながら見聞きしたものはなんでも目新しいが、いまいち鷹津にこの感覚は伝わらないらしい。
「ワラビやゼンマイも見てみたいけど、それはもう少し暖かくなってからかなー」
 散歩を続けていればそのうち見かけるだろうと思いながら、沢に到着した和彦は耳を澄ませる。鳥の鳴き声や羽ばたく音だけでなく、ときには小さな獣の気配も感じることがあるのだ。首からかけた双眼鏡を覗き、しばらく鳥の姿を追いかけてから、帰ることにする。
 もうすぐ渓谷目当ての観光客たちの姿も見かけるようになると、翔太は話していた。そうなると店もかき入れ時に入るそうで、この辺りもにぎやかになるだろう。冬の間、世界から切り離されたような静けさを保っていた場所だけに、少し惜しい気もするが、一方で心が浮き立つような感覚もある。
 春というのはなかなか罪な季節だと、和彦はひっそりと笑みをこぼす。今週末、鷹津が梅を見に連れて行ってやると言ってくれたので、楽しみにしているのだ。梅の次は桜で、今からどこに出かけるか相談している最中だ。
 夕食の時間にはまだ早いが、歩いているうちに小腹が空いた。買い置きしてあるクッキーを出して、鷹津が『適当に買った』という紅茶を淹れようかと、のんびりと考えていた和彦の視線の先に、ログハウスがある。さらに、建物前の敷地に立つ鷹津の姿が。
 どこかに出かけるのだろうかと、和彦は小走りで駆け寄る。この時間から鷹津が出かけるのは珍しいのだ。
「夕飯の材料、何か足りないのか?」
「……いや」
 短く応じた鷹津が片手を出してきたので、意味がわからず和彦は首を傾げる。ようやく双眼鏡のことだと察して手渡す。このとき、鷹津の表情が最近では見たことがないぐらい硬いことに気づいた。
「何かあったのか?」
 鷹津は痛みを感じたように唇を歪めたあと、ふいっと視線を動かす。つられて和彦も同じ方向に視線を向け、こちらに向かってくる車列に気づいた。時期的に、ほとんど車も人も通らない道で、ログハウスから先に進んだところで、あるのは狭い歩道だ。山を車で通り抜けるためには違う道に進まなければならない。
 何かが起きようとしていると本能で感じ取った和彦は、ただ立ち尽くす。その間にもどんどん車は近づいてくる。車は五台が連なっており、尋常ではない事態を想像させる。
 そして車は、四台はログハウス前の道に停まったが、一台の高級車は躊躇なく敷地へと入ってきた。すかさず助手席からスーツ姿の男が降り、スモークフィルムの貼られた後部座席のドアを開けた。一瞬の既視感が和彦を襲い、息が止まりそうになる。
〈あのとき〉とは違い、後部座席に座った男は自ら外へと降り立つ。羽織った黒のコートの裾がふわりと揺れ、視線が上げられない和彦はその裾の動きを目で追う。車から降りた男は珍しくブーツを履いていた。
「――髪がずいぶん伸びたな」
 忌々しいほど魅力的なバリトンが、鼓膜に溶け込む。いつの間にか和彦の前に立った男は、髪の一房をさらりと撫でてきた。
 和彦は短く息を吐き出すと、覚悟を決めて正面を――賢吾を見る。身の内に大蛇を棲まわせている男からの、冴え冴えとした眼差しに、心臓が縮み上がる。数か月前まで、自分はこんな恐ろしい存在の傍らに平然としていたのだと、信じられない思いだった。
 半ば畏怖しながら、彫像のように表情が動かない賢吾の端整な顔を見つめる。その間、誰も身じろぎしなかった。賢吾すら。皆が、和彦の反応を待っているのだ。
「どうして、ここに……」
「もちろん、お前を迎えに来た。――帰るぞ」
 ようやく言葉を発すると、被せるように賢吾が応じる。傲然と言い放たれ、反射的に和彦は背後を振り返る。鷹津は軽く肩を竦めた。
「俺はここで、一旦お役御免だ」
 次の瞬間、賢吾に手首を掴まれ、強引に後部座席に押し込まれる。鷹津が賢吾に話しかけた。
「あとで〈和彦〉の荷物をそっちに送る」
「……ああ」
 賢吾が隣に乗り込むと、速やかに車は発進した。









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