と束縛と


- Extra47 -


 ヘッドライトの明かりが道路を照らし出す。深夜という時間にはまだ早いが、走る車の数は少ない。
 コンビニの前を通りかかったところで三田村は、後続車がいないことを確かめてからスピードを落とすと、あるマンションの近くまで来て、道路脇で一旦車を停めた。
 シートから身を乗り出すようにして、マンションの最上階を見上げる。角部屋はすでにカーテンが引かれているが、わずかに明かりが漏れ出ているのが見て取れた。
 今日もきちんとマンションに戻っていることを確認して、三田村はすぐにまた車を出す。
 仕事帰りに遠回りをして、和彦が住むマンション前を通るのは、ここ何日かの三田村の日課となっていた。できることなら部屋に立ち寄って顔だけでも見たいが、和彦の精神に負担をかけたくないという気持ちのほうが、今は大きい。
 三田村だけではない。和彦と関わりを持っているすべての人間が、今は息を潜めている。同時に、祈っている。
 どれだけ時間がかかろうが、和彦が落ち着きを取り戻し、そのうえで、これまでと変わらず、自分たちの側にいるという選択をしてくれることを。
 皆それぞれに、罪悪感を抱えているのだ。恵まれた生活を送っていた和彦を、強引に裏の世界に引きずり込み、逃げ出せないよう、目に見えないさまざまなものを用いて雁字搦めにしたことを。だからこそ和彦には、苦悩も苦痛も味わってほしくないし、そんな厄介なものは遠ざけておきたい。
 矛盾しているようだが、利己的な男たちの純粋な願いだ。
 和彦の夢見が悪くないことを願いながら、三田村は車を走らせ続けた。




 本宅の詰め所で、来週の予定について打ち合わせを行ったあと、さっさと引き上げようとした三田村だが、たまたま買出しから戻ってきた笠野に捕まり、半ば強引にダイニングへと連れて行かれた。
 少しゆっくりしていけと言われ、勧められるままイスに腰掛ける。すぐに、氷を浮かべた麦茶を出された。
 九月半ばになったとはいっても、昼間の暑さは真夏と変わらない。窓を開け放っているダイニングから廊下にかけて、ときおり風が通り抜けていくが、それが意外なほど涼しく感じられる。
 グラスの表面を、しずくが伝い落ちていく。その様を三田村は漫然と眺めていたが、ふと思い出したことがあって顔を上げる。キッチンでは、笠野と、一人の若い組員が忙しく行き来し、買ってきたものを整理していた。
「――……笠野」
「なんだ?」
 一瞬言い淀んだが、笠野がわざわざキッチンから出てきたので、三田村は声を潜めて言った。
「お前、先生のところに食事は持って行ってるのか?」
 三田村が言わんとしていることを即座に理解したらしく、笠野はいかつい顔に微苦笑を浮かべた。
「二、三日に一度だが、朝メシを。とはいっても、朝早くにこっそりとテーブルに置いてくるだけだ。できることなら晩メシも面倒見たいんだが、先生から、外で手軽に済ませたいと言われていてな……」
「それで、きちんと食事はとっているようなのか?」
「きっちりと、ゴミ箱までチェックしているが、食べてはいるようだ。あの人に限って、まさか手もつけずに捨てるようなことはしないだろうと、信じてもいるがな」
 安堵した三田村は表情を和らげる。和彦の事情を当然把握している笠野は、三田村の肩を軽く小突いてきた。
「……先生と、まだ顔を合わせてないのか?」
「用がないと、なかなか会うのは難しい。特に今は、まだそっとしておいたほうがいいかと思っている」
「とりあえず先生は、落ち着いてはいるぞ。きちんとクリニックに出勤して、マンションに戻って……。ただ、組長の言葉を借りるなら、落ち着きすぎている、ということだ。なんというか、危うい」
 三田村は、和彦を保護したときの状況を思い返す。鷹津のことを告げたとき、和彦という存在が砕け散ってしまうのではないかと、本気で危惧したのだ。それぐらい、ショックを受けていた。
 まさに危ういところで和彦は、なんとか日常生活をこなしているように思えるのだ。もし、三田村と顔を合わせたとき、和彦にとっての嫌な記憶を呼び起こしてしまうのではないかと、実は恐れていた。
 和彦のことをぽつり、ぽつりと話していると、廊下を数人が歩いていく気配がした。おっ、と声を洩らした笠野が立ち上がる。
「お帰りになったかな……」
 笠野が一度キッチンに引っ込み、何か準備を始める。再び出てきたとき、トレーには麦茶の入ったグラスと、おしぼりがのっていた。
 挨拶をする声がダイニングにまで届き、三田村も立ち上がる。姿を現したのは、ジャケットを腕にかけた千尋だった。
「――お疲れ様です」
 三田村が頭を下げて挨拶をすると、軽い調子で千尋が応じる。
「おう、来てたのか」
 頭を上げたとき、千尋は麦茶を飲み干しているところだった。三田村は暇を告げようとしたが、ネクタイを緩めながら千尋に呼び止められる。
「三田村、もう少しいてもらっていいか?」
 三田村は返事の代わりに深々と頭を下げる。
 場所を移して話すことになったが、千尋が向かったのは中庭だった。陽射しが強いが、かろうじて木陰はできており、サンダルを履いた二人は、木の側に置かれたテーブルにつく。
 ここは、本宅を訪れた和彦が、ときおり寛いでいた場所だった。一人でぼんやりとしている姿を、数回三田村は見かけたことがあり、本宅で暮らしている千尋は、さらに印象に残っているはずだ。
 人の耳を気にしなくていい場所で話すことといえば、決まっていた。
「先生と電話で話せたか?」
 さっそく千尋に切り出され、三田村は首を横に振る。
「……いえ」
「やっぱりな。俺もオヤジもだ。多分、じいちゃんも。電話をかけたら出てくれるんだろうけど、なんとなく今は、そっとしておいたほうがいいんだろうなって」
「でしたら、先生の部屋にも行かれてないんですか?」
 千尋は苦笑いして頷いたあと、スッと表情を消した。
「――……怖いんだよなー、塞ぎ込んでいるときの先生は。いままで受け入れてくれていた俺たちのことを、冷静に、一気に切り捨てちまいそうで。感情的に怒鳴ったり、暴れてもらったほうが、こっちも容赦なく声を張り上げて、こんなに先生を想っているんだと主張できるし、思いきり抱き締めてもやれる。だけど現実の先生は、まあ、怖いぐらい落ち着いて、冷えてる」
 千尋の言いたいことは、一部分については痛いほどよくわかった。しかし三田村は、和彦には絶対に手荒なことはできない。そもそも三田村と千尋は、立場からして違う。千尋は、和彦を〈オンナ〉にしている。一方の三田村は、和彦を裏の世界に繋ぎとめておくための、鎖の一本だ。
 ふっと息を吐き出した千尋が、鋭い視線を庭の中央へと向ける。つられて同じ方向を見た三田村は、そっと目を細めた。陽射しをたっぷり浴びた植物たちが、まぶしいほどに青々として輝いている。
 数分ほど沈黙していたが、ようやく思い切ったように千尋が再び話し始めた。
「今でも、鷹津の奴にムカつくんだ。あんな男が、先生の気持ちを掻き乱した……乱しているということが、とてつもなくムカつく。同じぐらい、羨ましくもある」
「千尋さん……」
「本当に、嫌な奴だったぜ、鷹津は。横暴で皮肉屋で、先生をさんざん好き勝手に振り回して。とりあえず目の前からいなくなって清々するかといえば、全然そんなことはなくて。オヤジは、鷹津を先生の番犬にした張本人だから、こんな負け惜しみみたいなことは言えねーけど、でも、愚痴らずにはいられない。その点、お前なら――」
 それは違うと、三田村は言いたかった。さきほども思ったが、二人の立場は違う。
「わたしは……」
 三田村が口ごもっていると、千尋がこちらを見て、ニヤリと笑いかけてきた。
「お互い、厄介な人に惚れたもんだと思わねーか? 関わった男をどんどん骨抜きにして、ライバルがどんどん増えていく状況なのに、それでも、〈あの人〉から離れられない。離れたいとも思わない。――……ライバルが憎いどころか、妙な親近感と、連帯感まで抱くぐらいだからな」
 こんなことを恥じることなく口にできるのが、千尋の美点の一つだろうなと三田村は思う。
 千尋に直接仕えているわけではないが、同じ組にいて、こうして本宅で顔を合わせることもあるのだから、千尋の変化は常に感じている。
 千尋は、急速に成長している。裏の世界に生きる男らしく、いつかは組を背負う人物らしく。
 和彦がいなければ、おそらく千尋はまだ、自覚のない甘ったれた跡目のままだっただろう。
「――そろそろ、会いに行かれたらどうですか?」
 三田村が言葉をかけると、千尋は驚いたように目を丸くする。
「でも、先生はまだ……」
「あの人は、人恋しくなっても、自分の限界がわからない人ですよ。まだ大丈夫だと思いながら、どんどん気分が塞ぎ込んでいく。だから、わたしたちが注視していないと」
「……そろそろ、か?」
「最初に会いに行くのは、千尋さんが適任だと思います」
 千尋が急にソワソワした素振りで立ち上がる。その動作だけは、好きなものを目の前にしたときの子供の頃と変わらないなと、三田村は表情を和らげていた。
 さきほどまで、和彦をまだそっとしておいたほうがいいと考えていた。しかし、千尋の素直さや、和彦に対する思慕の強さを肌で感じていると、考え直さずにはいられない。
 自分では無理だが、千尋の持つ甘さや情熱を、和彦は受け入れるはずだ。
 三田村は、己の役割を心得ていた。和彦の支えになるのではない。何があっても和彦を離さないための、鎖であると――。
 そのことに三田村は、これ以上なく満足している。
 そう思うことで、鷹津のようになるまいと自分を戒めているのだ。









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