と束縛と


- 嘘 -


 小野寺は不眠体質だ。高校生の頃からの慢性的なもので、眠れないなら無理して眠らなくていいと開き直ってから、夜遊びがひどくなり、ろくでもない連中とつるむようになった。そして、小野寺自身がろくでもない人間となった。
 結果としては上々だろう。ろくでもない人間なりに、堕ちるどん底を自分で選べたのだ。
 マットに寝転がったまま、小野寺は天井を見上げる。
 無事に第二遊撃隊の隊員となったあと、隊からこのワンルームマンションを紹介され、引っ越してきた。さらに隊長個人が、祝いだと言って家賃諸々の費用まで出してくれたのだが、おそらく、小野寺に続く形で隊員になったもう一人の〈奴〉にも、同じように面倒を見たはずだ。
 ムカつきはするが、口出しする権利は小野寺にはない。
 眠れなくて持て余す時間を、第二遊撃隊のために――いや、南郷のために捧げていれば、そのうちさらにいいことがあるかもしれないと、そう今は自分に言い聞かせるだけだ。
 未練がましく横になっていても仕方なく、体を起こしたところで、枕元に置いたスマートフォンが鳴る。小野寺は飛びつく勢いで電話に出ていた。
『――お前、今から暇か?』
 声を聞いただけで、緊張から背筋が伸びる。電話をかけてきたのは、第二遊撃隊隊長の南郷だった。今日は本来、小野寺は休みなのだが、立場が立場のため、呼ばれればいつでも現場に駆け付けなくてはならない。
「大丈夫です」
 そう答えたときには小野寺は立ち上がり、着替えの準備を始めていた。
「何かありましたか?」
『悪いが、隊の仕事じゃない。俺個人の用事だ。お前がちょうどいいと思って電話をかけたんだが、無理はしなくていいぞ』
 南郷からこんなふうに言われて、断るはずがない。小野寺は無意識のうちに笑みを浮かべて応じる。
「なんでも言ってください。ご一緒します」
『お前なら、そう言うだろうと思った』
 笑いを含んだ声で、南郷はこう続けた。
『買い物につき合え』


 他の隊員が見たら、まず間違いなく目を剥いて怒鳴りつけてくる光景だろうと、小野寺は助手席でわずかに身じろいでから、隣をうかがい見る。ハンドルを握っているのは南郷だった。
 待ち合わせ場所に南郷が4WDに乗って現れたとき、正直小野寺は戸惑った。日ごろ運転手として車を乗り回してはいるのだが、いまだ4WDの運転をしたことはない。慣れない車高の車を無難に扱えるだろうかと考えたのだが、南郷は運転席から降りる様子はなく、それどころか小野寺に、助手席に乗るよう言った。そして今の状況となった。
 驚いたことはそれだけではなく、南郷は護衛の隊員を連れていなかった。
「――……何を買う予定なんですか?」
 わざわざ自分を呼び出したぐらいだ。他の隊員に知られたくないものなのかと、わずかに期待する小野寺だが、南郷の返答はあっさりしたものだった。
「服だ」
「服、ですか……」
「俺が着るんじゃない。他人の着替え用に、何着か欲しいんだ。体つきがお前に似ている。俺は体が規格外だし、センスも持ち合わせてないから、どれを選んでいいのかさっぱりわからん」
 なるほどと、小野寺は納得する。つまり、マネキン代わりになれと言うことだ。
 複雑な心境にならないわけではないが、南郷が自分の存在を思い出してくれたのだから、良しとすべきだろう。
「相手の年齢は、お前より十歳ぐらい上だ。それと、派手なものは好まない。……誰の趣味か、いつも品がいいものを着ている」
 具体的な名を出さなかったが、その説明だけで見当はついた。小野寺の脳裏に、あからさまに迷惑そうな表情を浮かべた美容外科医の顔が浮かぶ。互いに顔を知らぬ関係ではなく、すでに会話も交わしている。もっとも、クリニックの周囲をうろついたことで、自分はすっかり嫌われたことだろう。
 小野寺は口元に意地の悪い笑みを浮かべる。
 自分が選んだ服を、あの先生が着るのかと思ったら、少しだけ痛快だ。
「それじゃあ、まずはどこに向かいますか? カジュアルなものでいいなら、俺の知っている店で――」
「最初に向かう店は決めてある」
 そう言って南郷が車を走らせた先は、アウトドアショップだった。
 キャンプ道具を興味津々で眺め、張られたテントの中も覗き込んでいた小野寺だが、ハッと我に返って周囲を見回す。南郷の姿がない。焦って店内を探し回ろうとしたが、すぐに南郷は見つかった。圧倒されるほど立派な体躯は、まず人の中に紛れ込むということはない。
 小野寺が何事もなかった顔で傍らに立つと、南郷は一着のダウンジャケットを小野寺に押し付けてきた。
「持ってろ」
 命令されるまま、ブラックのダウンジャケットを、南郷によく見えるよう胸の前で持つ。南郷はさらに二着のダウンジャケットを取り上げた。ホワイトとミリタリーグリーン。俺の好みはブラックだなと、小野寺は胸の内で呟く。
 もちろん南郷は、小野寺のために選んでいるわけではない。
「どの色がいいと思う?」
 小野寺は少し考えてから、ミリタリーグリーンのダウンジャケットを指さした。
「どうしてこの色なんだ」
「あの〈先生〉なら、絶対に選びそうにない色なので」
「……お前、性格悪いと言われるだろ」
 そう言った南郷だが、気を悪くしたわけではないようだ。
「よし、この色にするぞ。サイズはこれで大丈夫か?」
 海外ブランドの、それなりにいい値段がするものだが、南郷に躊躇はない。財布とダウンジャケットを小野寺に突き付けてきたので、急いで会計を済ませてくる。
 その後、小野寺が知っているショップに案内して、洋服を数組買う。
 これで買い物は終わりかと思ったが、南郷はあごに手を当て考え込んだあと、次はデパートへと向かった。何が欲しいのかと聞くと、スウェットの上下なども揃えておきたいのだという。
 〈先生〉の着替えにいくら使う気かと、駐車場からデパートへと移動しながら小野寺は、今の時点で南郷が財布から出した金額を、頭の中でざっと計算していた。別に小野寺の懐が痛むわけではないのだが、なんとなく癪だ。
 小野寺は知っている。育ちがよさそうで、繊細とも神経質ともいえる空気をまとった美容外科医が、実はとんでもない男だと。長嶺組組長と総和会会長を手玉に取っていると知り、人は見かけによらないと心底思ったものだ。
 貢がれる相手に困らない男に、なぜ南郷がここまでするのか――。
 先を歩く南郷の大きな背を見つめていると、ふいに肩越しに視線を投げかけられ、小野寺はドキリとする。心の内を読まれた気がした。
「俺は、特別な相手には金を惜しまないんだ。ケチな男だと思われるのは、死ぬほど屈辱だ。まあ、見栄っ張りとも言うけどな」
「……南郷さんのことを、そんなふうに思う人なんて、少なくとも総和会の中にはいませんよ」
 第二遊撃隊の正式な隊員となって知ったのは、総和会の中での南郷の存在感だ。幹部ですら、南郷相手には言葉に気をつかっている。
 小野寺の言葉の真摯さを汲み取ってくれたのか、南郷は付け加えた。
「俺はこう見えて、褒められるのに弱いんだ」
 冗談として受け止めていいのだろうかと困惑している間に、売り場へと到着する。南郷がひらひらと手を振った。
「スウェットと靴下は、お前が選んできてくれ」
「わかりました。南郷さんはどうされますか? 座れる場所が確かあっちに――」
「俺は俺で、選ぶものがあるんだ」
 何を、と問いかけると、猛々しい獣が歯を剥くように南郷は笑った。
「下着だ」
 悠然と歩いていく南郷の後ろ姿を見送りながら、小野寺は理解せざるをえなかった。
 いつだったか南郷は言っていた。自分のこの先の運命を握っている人間を預かることになると。それはほぼ間違いなく、美容外科医を指しているだろう。
 そして南郷は、おそらくあの先生を――。
 小野寺は唇を引き結ぶと、自分の役目を果たすために踵を返した。


 買い物を済ませたあと、小野寺は電車で帰ると言ったのだが、ついでだから途中まで乗っていけという南郷の誘いを無碍にはできなかった。そのうえ、休みを半分潰した詫びだと、小遣いまで渡された。
 本来であれば、いい日だったと表現すべきなのだろうが、不思議と浮ついた気持ちにはなっていない。
 過ぎた好奇心は身を滅ぼすと、小野寺はよく知っている。ガキ同士のいざこざでも起こっていたことだ。相手が南郷ともなれば、小野寺などあっさり切り捨ててしまうだろう。それでも、気になって仕方ない。
 南郷と美容外科医の間に、何があった――もしくは、何が起ころうとしているのか。
 これは好奇心というよりもはや、情報を一つでも把握することで、自分の価値を高めたいという利己的な欲望かもしれない。その先にあるのは、南郷のための使える手駒でありたいという願いだ。
 あれこれ考えすぎて、このままだと自分の不眠はさらにひどくなるのではないかと、ぼんやり物思いに耽っていると、ふいに車内に音楽が流れる。南郷がカーオーディオをつけたのだ。
「いつもよくしゃべるお前が、急に無口になったからな」
 流れる音楽は、南郷好みのどこか懐かしい感じがする洋楽だ。
 黙ったままでは間がもたないと、小野寺はようやく口を開く。
「南郷さんは、よく洋楽を聴いたり、歌ってますが、昔から好きなんですか?」
 口にして、他愛ない質問すぎたなと反省した小野寺だったが、南郷からは予想もしなかった答えが返ってきた。
「ガキの頃から聴いてる。特別好きってわけじゃなかったが、オヤジの国の言葉だと思ったら、なんとなく馴染んでいった感じだな」
「えっ……」
 一瞬、聞き間違いだろうかと思い、まじまじと南郷の横顔を見つめてしまう。
「世間知らずだったオフクロが、のぼせ上って股を開いた相手は、アメリカ人だった。しばらく一緒に暮らしてたみたいだが、俺を孕んだら、あっさり捨てられたそうだ。国に女房がいたとか、そんな話だったみたいだな」
 南郷の髪はわずかに茶色がかってはいるが、世の中には髪を染めた人間など掃いて捨てるほどいる。そして、陽射しの下で見る南郷の瞳の色は、いくぶん明るめの褐色だが、これも珍しいというほどではない。
 肝心の顔は、目鼻立ちが際立って日本人離れしているというわけではないが、眼窩の深さや大きな鼻や唇は、もしかすると外国の血が混じっているのだろうかとうかがわせる。もっともそれは、たった今、南郷から聞いた話による思い込みなのかもしれない。
 言葉が出ない小野寺に、信号待ちで車を停めた南郷が短く笑い声を洩らした。
「性格が捻くれてるくせに、簡単に信じるんだな」
「……もしかして、今の話――」
「さあ、どうだろうな。俺はそう聞かされたが、もしかするとオフクロの作り話だったのかもな。今となっちゃ、どうでもいいことだが、でかくて頑丈な体をくれたことだけは、感謝してる」
 カーオーディオから流れてくる音楽に合わせて、南郷も歌を口ずさむ。
 その歌を聴きながら小野寺は、やはり今日はいい日だったと、強く思った。









Copyright(C) 2020 Tomo Kitagawa All rights reserved.
無断転載・盗用・引用・配布を固くお断りします。



[]  titosokubakuto  []