と束縛と


- 第14話(4) -


 リビングに入ってきた賢吾は、床の上に座り込んでいる和彦を見るなり、驚いたように目を丸くした。しかし、数秒の間に状況 を理解したらしく、すぐに喉を鳴らして笑う。
「ずいぶんはりきってるな、先生」
「今の生活に彩りがないことに気づい たから、生まれて初めて、自分で買った。――クリスマスツリーを」
 朝から苦労してライトを飾り、今はオーナメントを取 り付けているところだ。和彦が手にしている、凝った細工が施されたボールを目にして、賢吾が傍らにやってくる。
「俺に言 えば、もっとでかいツリーを買ってやったのに。それこそ、ここの天井に届きそうな、天然の立派なやつを」
 和彦が買っ てきたのは組み立て式のものだが、安物というわけではない。ヨーロッパからの輸入品で、本物と見紛うほど精巧な作りをしてい る。立ち寄った店に一つだけ残っており、高さも、和彦の身長より少し低いぐらいでちょうどよかったため、急いで買い求めた。
「これで十分だ。手入れも簡単だし、来年も使える」
 モールを取り上げた賢吾が、器用な手つきでツリーに飾りつけて いく。
「その口ぶりだと、来年も今のような生活を送る気があるということか」
 思いがけない指摘に和彦は、持ってい たボールのオーナメントを膝の上に落とし、慌てて拾い上げる。
「……そんなことまで考えなかった。天然もののツリーだと、 後の処分が面倒だと思っただけだ」
「まあ、そういうことにしておこう」
 なんだか含みのある言い方だと、和彦は賢吾 を見上げる。賢吾は機嫌よさそうな顔で、片手を出してきた。
「それも俺がつけてやる」
 言われるまま、持っていたボ ールを賢吾に手渡す。
「この飾りも買ったのか? これは俺でも、物がいいとわかる」
「それはもらったんだ。……秦か ら。少し早いクリスマスプレゼントだそうだ」
「モテると、貢ぎ物も多いな」
「ああっ。あんたからも、さぞかし高価な クリスマスプレゼントがもらえると、期待しているからなっ」
 半ば自棄になって和彦がそう応じると、とうとう賢吾は声を 上げて笑った。長嶺組組長の肩書きを持つ男が、こんなふうに笑うのは珍しい。惚けたように賢吾を見上げていた和彦だが、つら れて顔を綻ばせる。
 それに気づいた賢吾に再び手を差し出され、和彦はその手を掴んで立ち上がる。
「やっと笑ってく れたな。どうだ、もう立ち直ったか?」
「……こんな状況で、うかうか落ち込んでいられない。ぼくの周囲にいる男は、どい つもこいつも、油断ならない連中ばかりだからな」
「俺も含めて?」
「あんたは、筆頭だ」
 和彦がせっかく枝に結 んだリボンを解きながら、賢吾はまた楽しそうに笑う。解いたリボンをどうするのかと思っていると、和彦の右手首に結んでしま った。意味がわからず首を傾げたとき、賢吾にあごを掴まれた。
 官能的なバリトンが、官能的な言葉を紡ぐ。
「――元 気になったところで、さあ先生、キスをさせてくれ」
 次の瞬間、大蛇がちろりと舌を覗かせるように、軽く唇を舐められた。 たったそれだけのことなのに、和彦の背筋には、腰が砕けそうな疼きが駆け抜ける。
 もう一度唇を舐められたところで、和 彦は小さく呻き声を洩らした。柔らかく唇を吸われながら、合間に賢吾に問われる。
「どの男に元気にしてもらったんだ。秦 には、先生の気分転換を手伝ってくれと俺から頼んだが、もちろん、弱った先生を放っておけない男は、他にいただろ?」
  残酷な大蛇の性質がちらりと顔を覗かせた気がした。賢吾は、嫉妬からこんな問いかけをしているわけではない。この男は、和彦 が他の男と絡み合っている姿を見て、愉悦を覚えられる。ただし、自分が許した男に限って、だが。
 セーターをたくし上げ た賢吾の手に、腰を撫で上げられる。和彦は戯れるように賢吾と唇を啄み合いながら、名を挙げた。
「千尋と……、鷹津だ。 わざわざ、会いに来てくれて、キスもした」
「千尋はともかく、蛇蝎の片割れとして嫌われている男も、もう先生に骨抜きだ な。完全に、堕ちた」
 答えようがなくて和彦は顔を背けようとしたが、賢吾に軽く唇に噛みつかれ、そのまま舌先を触れ合 わせる。賢吾の力強い両腕に強く抱き締められ、苦しさからではなく、心地よさに吐息が洩れた。
 和彦の顔をじっくり覗き 込みながら、賢吾が目を細める。
「俺の名前は挙げてくれないのか?」
「……わざわざ挙げなくても、あんたは自分で主 張するだろ。――タイミングが絶妙だ。少しの間、ぼくを一人にして放っておいてくれたかと思ったら、秦を差し向けるようなマ ネをして」
「この歳になっても、俺は学習するんだぜ? 俺のオンナは繊細で、ときどきひどく塞ぎ込むが、それでいて、完 全に放っておかれるのは嫌いだ、ってことを」
 聞きようによっては甘い賢吾の言葉に対して、和彦はどんな顔をすればいいの かわからない。困惑して、うかがうように見つめると、獰猛な笑みを向けられた。
「――この俺に気をつかわせるなんざ、大 したオンナだ」
 賢吾のその言葉と、貪るような激しい口づけに、和彦は陥落する。体だけでなく心まで、賢吾の〈オンナ〉と して求められることを望んでいた。
「いい顔だ、先生。俺が欲しくなっただろ?」
 傲慢な物言いにすら、官能を刺激さ れる。唇を軽く吸い上げられた和彦は、小さく頷いた。次の瞬間、手荒な動作で腕を掴まれ、ソファに連れて行かれる。ただし、 座ったのは賢吾だけだった。
 鷹揚に両足を開いた賢吾の意図を察し、和彦は羞恥と屈辱に全身を熱くしながら、反面、身悶 えしたくなるような興奮を覚える。
 命令される前に賢吾の足元に膝をつくと、ベルトを外し、スラックスの前を寛げる。
 引き出した賢吾のものは、すでに熱く高ぶっていた。息を呑む和彦の髪を優しい手つきで梳き上げながら、賢吾が言った。
「さあ、たっぷり愛してくれ」
 さほど抵抗を覚えることなく、和彦は賢吾の両足の間に顔を伏せると、まずは欲望に丹念に 舌を這わせる。根元から舐め上げ、括れを舌先でくすぐり、先端をたっぷり舐め回す。そうしながら、指の輪で根元から扱き上げ てやる。
 心の内をなかなか読ませない賢吾だが、欲望の高ぶりだけは明け透けなほど晒してくれる。和彦の手の中で賢吾の ものは逞しく脈打ち、熱くなっていた。
 賢吾のものを愛撫しながら、和彦自身も官能が高まる。熱を帯びた吐息をこぼすと、 賢吾の手が後頭部にかかり、力を込められる。
「んうっ……」
 口腔に賢吾のものを含むが、それだけでは満足できない らしく、さらに賢吾に頭を押さえつけられていた。
 口腔を、賢吾のもので犯される。苦しさに息を詰めた和彦だが、喉につ くほど押し込まれた熱い塊を吐き出すことは許されない。
「――先生の尻と同じだな。奥がヌルヌルと蠢いて、よく締まって る」
 頭上から降ってきた賢吾の言葉に、和彦は上目遣いで睨みつける。そんな和彦のあごの下を賢吾が指先でくすぐってき た。
「そんな顔するな。好きだろ。舐められるのも、舐めるのも」
 口を塞がれているため反論できないということもあ るが、それ以上に――事実だった。
 和彦は視線を伏せると、賢吾の欲望に忠実に仕える。促されるままに頭を上下に動かし、 唇で締め付けるようにして欲望を扱く。ときおり、口腔深くまで呑み込み、しっとりと粘膜で包んでやると、後頭部にかかった賢 吾の手に髪を掻き乱された。
 快感を素直に示す男は、大蛇だろうがなんであろうが、愛しい。
 時間をかけての口淫の 果てに、賢吾は、和彦の奉仕に褒美を与えてくれた。
 頭を押さえつけられながら、口腔でドクッ、ドクッと脈打つ賢吾の欲 望を吸引する。迸り出た精をすべて受け止め、喉に流し込んだ。
 精を放っても、逞しさを失わない欲望を口腔に含んだまま、 賢吾の荒い息遣いが鎮まるのを待ってから、和彦は愛撫を再開する。愉悦を含んだ声で、賢吾が洩らした。
「やっぱりお前は、 可愛いオンナだ」
 その言葉は、強烈な快感となって、和彦の体を貫いた。ようやく賢吾のものを口腔から出して顔を上げる と、濡れた唇を指で拭われる。和彦は、今度はその指を口腔に含んだ。


 紅潮し、汗に濡れた和彦の肌を、賢吾がいとおしむように両手で撫でてくる。その肌にはすでに、賢吾の激しい愛撫の痕跡が散 らされていた。強く肌を吸われるたびに、所有の証を刻みつけられるようなもので、和彦は、獣に自分の体を食われているような 錯覚にすら陥った。
 内奥に指を含まされ、無意識に腰が揺れる。賢吾の執拗な愛撫は内奥にも施され、熱く熟れた肉が、賢 吾の指を嬉々として締め付ける。
「クリスマスだが――」
 突然賢吾に切り出され、愛撫に酔っていた和彦は、すぐに意 識を切り替えることができなかった。
「えっ……」
 内奥の浅い部分を指でぐっと押され、腰が痺れる。嫌でも意識を引 き戻された。
 唇を引き結んだ和彦の顔を、賢吾は楽しげな様子で覗き込んできた。
「クリスマスは、イブも含めて、三 田村と過ごせ。ひどく先生のことを心配していたが、仕事の都合で、つきっきりで側にいることができなかったからな。俺から三 田村への、クリスマスプレゼントだ。先生には、さっきの要望通り、何かいいものを買ってやる」
「……いまごろ三田村は、 くしゃみをしているかもな」
 軽い皮肉で応じたものの、嬉しくないわけではない。ただ、賢吾が何か企んでいるのではない かと、つい穿った見方をしてしまう。
 そもそも、そう考えてしまう理由があった。
 胸元に顔を伏せた賢吾の頭を抱き 締めながら、和彦は疑問をぶつける。
「あんたの名代で、ぼくを結婚披露宴に行かせたのは、もっともらしいことを言ってい たが、本当は計算があったからか? ぼくが、父の知人と遭遇するかもしれない、という計算が」
「鷹津に何か吹き込まれた か」
 上目遣いに賢吾がニヤリと笑いかけてくる。和彦が即答できずに黙り込むと、賢吾はベロリと胸の突起を舐め上げ、激 しく吸い始める。同時に、内奥に収まっている指に、敏感になっている襞と粘膜を擦り上げられた。
 喉を反らして吐息をこ ぼした和彦は、賢吾の腹を探ることはやめた。知りたいことは、直接ぶつけるしかないのだ。
「――……なんで、ぼくの実家 を刺激するようなことをした」
「刺激はしていない。普通の家ってのは、子供と連絡が取れなくなったら、何かしら行動を起 こすものだ。警察に捜索願を出したり、自分たちで捜し回ったりな。だが、先生の家族は……ずいぶんのんびりしているな」
 巧みに蠢く賢吾の指によって、内奥が蕩けていく。和彦はベッドの上で身をくねらせながらも懸命に、賢吾の言葉を頭に留めよ うとする。
「佐伯家が先生を見捨てているというなら、それでよかったんだ。先生を俺たちの身内どころか――家族にできる。 ただ、佐伯家が先生に執着しているなら、知らん顔もできん。先生を連れ戻されないよう、守ってやらないとな」
 表の世界 から和彦を連れ去った側が言うには、変な理屈だと思いながら、賢吾の頬を撫でる。誘われたように賢吾に唇を塞がれそうになっ たが、和彦は顔を背ける。
「どうした、先生?」
「……さっき、あんたのものを――……」
 あごを掴まれ、有無を 言わせず唇を塞がれる。口腔を舌で犯されながら、内奥を指で犯されていた。だが和彦の内奥は、もっと熱く、逞しいものを欲し ている。それを感じ取ったのか、賢吾はやっと指を引き抜いてくれた。
 体を起こした賢吾に両足を大きく左右に開かれる。 物欲しげにひくつく部分だけでなく、中途半端に与えられた快感によって身を起こし、先端を濡らしているものも、すべて賢吾に 晒していた。
「正直、佐伯家の中での、先生の価値がよくわからん。いろいろと調べさせたが、佐伯家の評判はいい。だが、 どうしても先生の印象だけは薄い。官僚一族の中で、一人だけ医者になって、実家とも疎遠。だが、高校を出るまでは、過保護に 育てられていたらしいな。まさに、箱入りだ」
「呆れた。そんなことまで調べたのか」
「大事なオンナのことは、なんで も知りたい性質なんだ」
 そう言いながら賢吾の手が柔らかな膨らみにかかり、残酷なほど優しい手つきで揉みしだかれる。 たまらず甲高い嬌声を上げた和彦は、両足を開いたまま仰け反る。腰が震えるほどの強烈な快感だった。
「捜さないでくれと 先生が言い張ったら、佐伯家は引き下がると思うか?」
「あの家の人間は……、ぼくの意見になんて耳を貸さない。ぼくを、 好きに扱える人形ぐらいに、思っている……」
「憎まれ口を叩くくせに、いやらしくて、男をたっぷり甘えさせてくれる人形 か。こんな人形なら、俺はいくらでも可愛がって、大事にしてやる。――今みたいに」
 思わず和彦が笑みをこぼすと、賢吾 に唇を軽く吸われた。このとき、右手首に結びつけられたリボンを解かれる。そのリボンをどうするのかと尋ねようとしたが、先 に賢吾に言われた。
「先生の言葉を聞いて、安心した。これで長嶺組は、心置きなく先生を保護できる。もし仮に、佐伯家が 先生の身柄を要求してきても、突っぱねる根拠ができたというわけだ」
「……ぼくを、守ってくれるのか?」
「守ってほ しいなら」
 もう一度唇を吸われたあと、和彦は囁くような声で応じた。
「守ってくれ……」
 次に賢吾の唇が押し 当てられたのは、和彦の欲望の濡れた先端だった。
「はっ、あぁっ――」
 熱い舌が這わされたかと思うと、優しく先端 を吸われる。このまま賢吾の口腔に呑み込んでもらえるのかと思ったが、突然、和彦のものの根元がきつく縛められた。
「あっ」
 声を洩らした和彦は、自分の下肢に視線を向け、気が遠くなりかけた。
 反り返って震える和彦のものの根元 に、しっかりとリボンが結びつけられていた。少しごわついた感触のリボンが根元にきつく食い込み、痛いほどだ。
「何、し て、るんだ……、あんたは」
「先生に似合うかと思ってな。思った通りだ。いやらしさが増して、実にいい。何より、可愛い」
 ふざけるなと怒鳴りつけ、急いでリボンを解こうとしたが、賢吾に片足を抱えられて、充溢した硬さを持つものを内奥の入 り口に擦りつけられると、激しくうろたえてしまう。
「――リボンを解いて、俺にほったらかしにされるほうがいいか、この まま、先生の好きなものを咥えさせてもらうほうがいいか。どっちだ?」
「誰の、好きなものだ。自惚れるな……」
「ど っちだ、先生?」
 聞かれるまでもなく、答えは決まっていた。和彦がシーツを握り締めると、賢吾はゆっくりと腰を進め、 内奥を肉の凶器で押し開いてくる。狂おしいほどの愉悦が生まれ、和彦は堪えきれない声を上げる。
「ああっ……、あっ、 あっ、あんっ――」
「尻だけでイきそうな感じ方だな、先生。俺のものが食い千切られそうなほど、締まってるぞ。そんなに いいか?」
 和彦は押し寄せてくる快感に抗うように、必死に深呼吸を繰り返す。このままでは、快感の奔流に呑み込まれそ うだった。
 それぐらい、賢吾との交わりに感じている。
 逞しいものをしっかりと根元まで埋め込んできた賢吾が、緩 慢に腰を動かす。動きは緩やかだが、感じやすい襞と粘膜は簡単に蹂躙され、熱い蜜のような快感を滴らせる。
「ひっ……ぁ、 はあっ、あっ、んくうぅっ」
 ふいに、内奥深くを重々しく突き上げられ、和彦はビクビクと体を震わせる。全身に快美さが 響き渡り、普段であれば、精を迸らせているところだ。だが、しっかりと根元を縛められているため、それができない。
 悶 える和彦にさらに責め苦を与えるように、賢吾が震える和彦のものを根元から擦り上げてくる。愛撫のようだが、実はリボンの縛 めがしっかり食い込んでいるのか、確かめたのだ。
「はあっ、あっ、い、や……、賢吾さんっ」
 内奥を擦り上げられる たびに和彦は悦びの声を上げ、絞り上げるように賢吾のものをきつく締め付ける。
 感嘆したように声を洩らした賢吾が腰を 使う。和彦は夢中で両腕を伸ばし、覆い被さってきた賢吾の背にしがみつく。汗で濡れた大蛇が、内奥深くで蠢く欲望のように、 熱かった。
 大蛇に激しく求められ、愛されているのだと実感できる瞬間だった。
「リボンを解いてやろうか?」
  律動の合間に囁かれ、賢吾の引き締まった下腹部で、反り返ったものをわざと刺激される。呻き声を洩らした和彦は、小さく首を 横に振った。
「こ、のまま……。これ、いい――」
「このほうが、俺が悦ぶからか?」
「……あんたの性癖は、問題 があるからな」
 顔を綻ばせた賢吾に唇を塞がれ、舌を絡め合う。その間も、賢吾は内奥を丹念に擦り上げ、掻き回してくれ る。
 快感の波が次第に大きくなってくるようで、厚みのある体の下でのたうちながら和彦は、切羽詰った声を上げる。そん な和彦を見下ろしながら、賢吾は満足そうだった。
「いやらしいオンナだ。こんなに愛してやってるのに、まだ俺が欲しい か? さすがの俺も、そのうち力加減を忘れて、抱き殺しちまいそうだな。俺の、大事で可愛いオンナを」
 物騒な言葉を囁 かれた瞬間、和彦の体を、いままでにない強烈な感覚が駆け抜けた。それが、深い快感のせいだとわかったときには、意識が飛ん でいた。


 レアのステーキを淡々と口に運ぶ賢吾を見ているだけで、和彦は胸焼けを起こしそうだった。
 今日はやけに重く感じるフォ ークで、ミディアムに焼いてもらったステーキを突く。手どころか、口を動かすことすら億劫で、フォークを置こうとしたが、目 敏く気づいた賢吾にすかさず言われた。
「しっかり食えよ、先生。塞ぎ込んでいる間に落とした体重を、きちんと元に戻せ」
「……だからといって、何も今晩、ステーキを食べなくていいだろ」
「今日はもう、〈肉〉は腹いっぱいか?」
 長 嶺組組長という凄みのある肩書きを持っている男が、そう言ってニヤニヤと笑う。芝居がかった品のない笑い方に、和彦は 顔を熱くする。賢吾が暗に言おうとしていることを、すぐに理解してしまったのだ。
「こんな場所で、下品なことを言うなっ」
 声を潜めて窘めてはみたのだが、ますます賢吾をおもしろがらせただけらしい。今度は澄ました顔で言い返された。
「なんのことだ? 俺は、ステーキの話をしているんだが――」
「……あんまりぼくをからかうと、あんたが何者か、この場 で叫ぶぞ」
「それは怖いな」
 大げさに肩をすくめた賢吾が、美味そうにステーキを一切れ食べる。自分が子供扱いされ ていることを嫌というほど実感し、無駄な抗議を早々に諦めた和彦は、仕方なく自分のステーキを切り分ける。
 一切れの肉 を苦労して口に押し込む間に、賢吾はグラスの生ビールをあっという間に飲み干して、お代わりを頼んでいる。
 和彦はふう っと息を吐き出すと、カウンター席に目を向ける。こちらに背を向けてはいるが、二人が座っているテーブル席の一番近くに陣取 っているのが、賢吾の護衛の組員たちだ。
 ここがホテル内のレストランであろうが、賢吾が一緒にいる限り、護衛が離れる ことはありえない。
「――まだ、熱っぽい目をしてるな、先生」
 笑いを含んだ声でそんなことを言われ、反射的に背筋 を伸ばした和彦は、前に向き直る。賢吾が、じっとこちらを見つめていた。テーブル上のライトの明かりを受け、大蛇を潜ませた 男の目は、ドキリとするような輝きを放っていた。
 もし仮に、賢吾の素性を知らないまま出会っていれば、間違いなく和彦 は、初対面で見惚れていただろう。賢吾は、忌々しいほど魅力的な男だ。
「当たり前だ……。こっちはふらふらだっていうの に、強引に外に連れ出したのは、あんただろ」
「俺の艶っぽいオンナを見せびらかしたくてな」
 ここでうろたえてはい けないと自分に言い聞かせ、和彦は露骨に顔をしかめて見せる。賢吾は低く声を洩らして笑った。
「そう、可愛げのない顔を するな。俺は本気で言ってるんだぞ」
「……はいはい」
 生ビールのお代わりが運ばれてきて、すぐに賢吾はグラスに口 をつける。一方の和彦は、まだ賢吾との激しい行為の余韻も冷めていないため、これでアルコールなど飲んで悪酔いしたくはない。 無難に水を飲んでいた。
 なんとかステーキを胃に押し込み、食後のデザートまでたどり着いたとき、突然、まるで世間話で もするような口調で賢吾が切り出した。
「先生、クリスマスが終わったら、うちの組の忙しさにつき合ってもらうぞ」
「えっ?」
 シャーベットを掬っていた和彦は顔を上げる。何がおかしかったのか、賢吾は口元を緩めた。
「年末年始は 行事が目白押しだ。組の盃事に義理事、身内を労うための集まりもある。さらに、総和会からお呼びがかかる。普通、ヤクザとい えども年明けは休むもんなんだが、総和会の連中は働き者だからな」
 賢吾の口調は、皮肉っぽい響きを帯びていた。
  かつて総和会の藤倉から説明を受けたが、総和会を構成する組は、十一枚の葉に例えられた。その中で、一番大きな葉を持つのが 長嶺組だ。大きな葉は、発言力と勢力を示しているのだ。
 それだけのものを与えられながら、今の賢吾の口ぶりを聞いてい ると、総和会の意向には逆らわないが、恭順しているわけではないと感じられる。
 和彦の物言いたげな表情に気づいたのか、 賢吾はシニカルに唇の端を動かした。
「俺のオヤジの面子を潰さないためにも、長嶺組は、総和会の行事には、どの組よりも 積極的に出席することにしている。……オヤジもまあ、厄介な地位に就いたものだ。おかげで俺まで、総和会の事情に首を突っ込 まないといけない――と、これは、俺と先生の秘密だからな。俺が、総和会の悪口を言ってたなんて、中嶋あたりにバラすなよ」
 思いがけず出された中嶋の名に、和彦は肩を震わせる。器にスプーンの先が触れ、高い音を立てた。
「……今のが悪 口になるのか?」
「聞く人間によっては、長嶺組組長の、総和会に対する体制批判だ、となるかもしれない」
 賢吾の場 合、本気で言っているのか、冗談なのか、まったく判断できない。
「よく、わからない……」
「そのうち先生も、嫌とい うほど理解できる。なんといっても、俺のオンナだからな。総和会の連中は放っておかない。だったら、下手な探りを入れられる より、堂々と見せびらかしたほうがいい」
 どうやら年末年始は、賢吾に振り回されることは確定らしい。仕方ないかと、す ぐに和彦は覚悟を決める。
 こういう生活を送ると決めたのは、和彦自身なのだ。その代わり、賢吾に――長嶺組の男たちに、 心置きなく守ってもらう。
 和彦は、賢吾をまっすぐ見据えて告げた。
「――ぼくに惨めな思いをさせないと約束してく れるなら、あんたの好きなように」
「当たり前だろ。お前は、俺の大事で可愛いオンナだ。長嶺組の総意として、誓ってやる」
 大蛇の化身のような男は、言葉でも和彦をきつく締め上げてくる。困るのは、締め上げられることが、ひどく心地いいとい うことだ。
「いい顔だな、先生。そういう顔をされると、部屋に戻ってまた、いやらしいものにリボンを結んでやりたくなる」
 ゾクゾクするような体の疼きを感じながら、和彦は掠れた声で応じた。
「……あんたの好きなように」









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