と束縛と


- 第16話(4) -


 いつになく充実した正月休みを堪能した和彦は、少しばかりの体のだるさを持て余していた。
 体調が悪いわけではなく、 いわゆる、正月ぼけだ。
 長嶺の本宅での緩急に富んだ生活は、一人でのマイペースな暮らしが染み付いた和彦にはなかな かハードだった。本宅から戻った翌日は、さすがに自宅マンションでぐったりとして過ごしたのだが、すぐに本調子というわけに はいかない。
 パソコンのキーを打つ手を止め、ふと辺りを見回す。仕事始めだと気合いを入れてみたところで、まだ開業し ていないクリニックには、和彦一人しかいない。
 午前中はスタッフに出勤してもらい、研修のようなものも行ったのだが、 経験者揃いのため、必要なのは意見や手順のすり合わせだ。あとは、患者相手に経験を重ねるしかない。もっとも、この経験が必 要なのは、和彦なのだが。
 近くのレストランでスタッフたちと昼食を終えたあと、和彦だけがクリニックに戻り、こうして 仕事をしていた。診察室のデスクだと、妙に事務仕事がはかどる。
 静かだなと思いながら、和彦はほっと息を吐き出す。胸 の内には、人恋しいとか、寂しいという感傷もあるのだが、正月ぼけが治る頃には、消えてしまうだろう。そして、今の和彦にと っての日常が戻ってくるはずだ。
 ただしその日常は、穏やかさとは無縁だ。そう考えて苦笑を洩らそうとしたとき、デスク の上に置いた携帯電話が鳴った。外で待機している組員からだとわかり、すぐに電話に出る。
『先生、仕事が入りました』
 和彦は、今度こそ苦笑を洩らす。
「わかった。それで、どこからの仕事だ」
『――総和会からです』
 そう告げら れて和彦の脳裏を過ったのは、年明け早々に顔を合わせた総和会会長の顔だ。
 凶悪な力の権化とも言える存在が、紳士然と した人の姿をしているのだ。和彦は、長嶺守光と会話を交わした光景を思い返すたびに、いまだに緊張感に襲われ、握手した冷た く硬い手は、本当に人の手だったのだろうかと考えてしまうぐらいだ。それほど、総和会会長との対面は強烈だった。
 ぼん やりしている暇はなく、電話を耳に当てたまま和彦は立ち上がる。
「患者の状態は?」
『脇腹を刺されたということです。 刺された本人が、自分で車を運転して事務所に戻ってきたということなんですが……』
 事情を聞く前に刺された本人は気を 失い、傷口もひどい有り様だということで、和彦を呼ぶことになったらしい。
 患者の様子を聞きながら和彦は、治療に必要 なものを組員に告げる。
 自分のクリニックだからといって、納入された薬や医療用品を自由に持ち出せるわけではない。む しろ、すべての在庫を管理して、常に詳細な数を把握しておく必要がある。表向きは健全なクリニックとしては、これは当然の処 理だ。一方で、組関係の仕事のために、帳簿に載らない仕入先も押さえてある。こちらの管理は組で行ってもらい、和彦の求めに 応じて運び出される手順になっていた。
「人目につきたくないという気持ちはわかるが、無茶をする……。血管が裂けていた ら、運転の途中で大量出血だってありうるのに」
『大事になって、自分の組の名前が表に出るのを嫌がったんでしょう。揉め 事の相手によっては、上の者が乗り出す事態にもなりかねませんから』
 自分の命より、所属する組織の事情を重んじるのか と、思わず洩れそうになったため息を、なんとか呑み込む。それがヤクザという人種なのだ。そして、そんな連中の治療をするの が、和彦の仕事だ。
「すぐに降りる。それと、手術に必要なものも、いつものように直接持ってきてくれ」
 手術着をア タッシェケースに詰め込んだ和彦は、クリニックの防犯システムを作動させてから施錠を終え、慌しく一階に降りる。
 何事 もない顔をしてビルを出ると、そのまま数分ほど歩道を歩く。すると、背後からゆっくりと車が近づいてきた。和彦は周囲を見回 してから脇道に入ると、さほど待つことなく、車がぴったりと横につく。素早く後部座席に乗り込むと同時に、車は急発進した。


 総和会が用意した車に乗り換え、和彦が連れて行かれたのは、古いビルの五階だった。
 廊下には、もっともらしい会 社のプレートが貼られているが、出迎えの男たちの面相からして、どう見ても堅気ではない。
 こういう状況に慣れたとはい っても、肌をピリピリと刺激する空気を感じ取る。正月ぼけなどとのん気なことを言っていられない、緊張感が漂っているのだ。 この独特の空気を感じるたびに和彦は、自分は特殊な環境下で治療を行う医者なのだと実感させられる。
 悠長に辺りを観察 する余裕もなく、半ば追い立てられるように奥の部屋へと案内された。
 デスクを並べてシーツを敷いただけの簡易ベッドの 上に、腹から血を流した男が横たえられていた。顔は青ざめ、呼吸は速いものの、意識は取り戻している。
 和彦は指示を出 しながら手術着を着込み、洗面器に手を突っ込んで消毒する。その間に、頼んでおいた医療用品などが運び込まれてきた。
  生理食塩水で血を洗い落とし、傷口をよく検分する。
「ひどいな……」
 顔をしかめた和彦は、思わず洩らす。
「――大怪我なんですか?」
 部屋に残っている組員に声をかけられ、顔を上げる。思わず洩らした一言で不安を煽ってしま ったらしい。
 和彦は作業を再開しながら説明した。
「……傷口が、ズタズタです。刃物で刺されたものじゃない。ガラ ス瓶を割ったものを、突き立てられたんだと思います」
 和彦の言葉に、横になっている組員が浅く頷く。
「ガラスの破 片が残っている。ただ、内臓はやられていないから、破片を取り除いたら、すぐに縫合できます」
「つまり?」
「大丈夫。 命に別状はないし、何かひどい後遺症が残る心配も、今のところはありません。ただ、目視だと限界があるので、動けるようにな ったら、一度クリニックのほうにレントゲンを撮りに来てください。そこでガラスの破片を取り残していないか確認しますから」
 イスを引き寄せて腰掛けた和彦は、患者に部分麻酔を打つと、慎重に傷口を洗いながら、ガラスの破片を探して、ピンセッ トで一つ一つ取り除いていく。
 ムッとするような血の匂いが室内に充満して、和彦が血を洗い流すたびに、足元が真っ赤に 染まっていく。普通の神経をしていれば、こんな部屋にいたくないだろう。命に別状がないと知って気が抜けたのか、単に気分が 悪くなったのか、さきほど和彦に質問をしてきた組員の姿はなくなり、違う組員が、口元を押さえてドアのところに立っていた。
 傷と出血の派手さのわりに、処置そのものは順調に済み、縫合を終えた和彦は、組員に手伝ってもらいながら傷口にガーゼ を当て、しっかりと包帯を巻く。
 患者をソファに移して点滴を始めると、抗生物質と痛み止め、ガーゼの取り替え方などを 細かく記した用紙を組員に渡した。
 命に別状のない怪我とはいえ、ヤクザの世界は年明けから物騒だ。組員たちが深々と頭 を下げて見送ってくれる中、事務所をあとにしながら和彦は、そんなことを心の中で呟く。なんにしても、無事に治療を終えられ たことに安堵していた。
 凝った首筋を揉みながら、総和会の組員とともにエレベーターを待つ。上の階から降りてきたエレ ベーターの扉が開くと、すでに一人の男が乗っていた。その男の顔を見て、和彦は大きく目を見開く。
「お疲れ様です」
 和彦と一緒にいた組員が頭を下げた。すると、エレベーターに乗っている男が鷹揚に頷く。
「おう。怪我人が運び込まれた って、えらい大騒ぎになってたが……、そうか、長嶺組の先生の世話になったんだな」
 そんなことを言いながら、男がこち らを見る。反射的に会釈をした和彦は、その男の姓を心の中で洩らした。南郷、と。
 元日に長嶺の本宅で見かけた男だ。総 和会の第二遊撃隊を率いており、元はある組の組長代行を務めていた――と賢吾から教えられた。第二遊撃隊には中嶋が所属して おり、和彦とまったく無関係な存在というわけではない。南郷のほうも和彦の存在を把握している口ぶりだ。医者という立場はも ちろん、男の身で、長嶺父子の〈オンナ〉であることも。
 その証拠のように、露骨にじろじろと見つめられる。侮蔑も嘲笑 もない、ただ、和彦の価値を知ろうとしている目だ。
 多少の居心地の悪さを感じつつ、促されるままエレベーターに乗り込 む。仕返しというわけではないが、和彦も控えめに、隣に立つ南郷を観察する。
 派手な色合いのスーツを少し崩して着た南 郷は、短く刈り上げた髪や、剣呑とした鋭い目つき、全身から漂う粗暴そうな雰囲気のため、ヤクザらしいヤクザに見えた。ただ し、暴力を振るうことだけに長けた男というわけではないだろう。そうでなければ、総和会会長の〈お気に入り〉と評されるわけ がない。
 こんな男の下で、中身は切れ者のヤクザでありながら、外見は普通の青年のような中嶋が働いているのだ。
  和彦は足元に視線を落とす。そろそろジム通いを再開するのだが、そこで中嶋に会えるだろうかと思っていた。いつもなら、絶妙 のタイミングで中嶋のほうから連絡をくれ、飲みに出かけたりしていたのだが、年が明けてから、その気配は一切ない。気にはな るが、和彦から行動を起こすには、長嶺の本宅で中嶋から向けられた眼差しが強烈すぎた。
 それに、秦のことで後ろめたさ もある――。
 意識しないままため息をついた和彦は、ふいに異変を感じた。
 ハッとして顔を上げると、大きく分厚い 手が眼前に迫っていた。何が起こっているのか理解できず、ただ本能的に危険を感じて体が硬直する。それをいいことに、南郷が 和彦の髪を撫でてきた。
 和彦の運転手を兼ねている総和会の組員は、扉の前に立ってこちらに背を向けているため、何が起 こっているか気づいていないようだ。仮に何か感じていても、南郷のような男が背後に立っていては気をつかい、振り返るのをため らうだろう。
 たった一声上げればいいはずなのに、和彦は唇を動かすことすらできなかった。南郷の手つきが無造作で、次の瞬 間には髪を鷲掴まれ、引き抜かれそうで怖かったのだ。このときになって和彦は、自分がひどく痛みに弱い人間であることを思い 出していた。痛みを予期しただけで、体が動かなくなる。
 長い時間のように思われたが、実際はあっという間に、エレベー ターが二階に到着する。何事もなかったように南郷の手が髪から離れた。
 素早くエレベーターから降りた組員が、扉を押さ える。悠然とした足取りで南郷が続こうとして、ふと何かを思い出したように和彦を振り返った。そして、獣が牙を向くような笑 みを浮かべて言った。
「――俺の大好きな匂いがしてるな、先生。いまどきヤクザでも、そんなに血の匂いをさせてないぜ」
 そんな言葉を残し、南郷は歩いて行ってしまい、再びエレベーターに乗り込んだ組員がボタンを押す。和彦は足元から崩れ 込みそうになり、エレベーターの壁にもたれかかっていた。


 少し早めの夕食を外で済ませた和彦は、部屋に戻る頃には疲労と眠気でふらふらになっていた。正月ぼけに浸っていたところに、 午前中だけとはいえクリニックでスタッフたちと研修を行ったあと、総和会からの仕事をこなしたのだ。
 それに、ヤクザに 絡まれた――。
 シャワーを浴びたあと、髪も乾かさないままベッドに潜り込み、ぽつりと心の中で呟く。
 長嶺組の専 属医であり、長嶺組長の〈オンナ〉という和彦の立場を知っていながら、南郷は揶揄してきた。和彦に嫌悪や好奇の目を向けてく る人間は、裏を返せば、長嶺組を恐れてもいるのだが、南郷にはそれがなかった。
 長嶺組という看板に守られている和彦 は、エレベーターの中で南郷に話しかけられたとき、ひどく不安だった。その理由が、今ならわかる。
 長嶺組を恐れない 男の前では、自分があまりに無防備で、危険を避けようとする本能が働いたのだ。
 力があるのは長嶺組の男たちで、和彦自 身ではない。頭ではわかっていても、あまりに周囲の男たちから大事にされ、少し浮かれていたのかもしれない。
「――……や っぱり、ヤクザは怖いな……」
 声に出して呟いて、苦々しく唇を歪める。
 カーテンを開けたままの窓から夕日が差し 込む。眠るには明るすぎる気もするが、もう起き上がるのも億劫で、そのまま毛布に包まって一眠りしようとする。
 すぐに ウトウトとし始めた和彦は、インターホンの音に驚き、大きく肩を震わせた。思わず体を起こしはしたものの、夢と現実の区別が つかない。半分寝ぼけた状態で所在なく室内を見回してから、再び横になろうとする。すると、今度こそはっきりと、インターホ ンの音が耳に届いた。
 こんな時間に――と言いたいところだが、まだ夕方だ。来訪者を責めるのは酷だろう。
 今日は もう、組員は来ないはずだがと思いながら、ベッドから下りた和彦は寝室を出る。
「はい――……」
 インターホンに出 た和彦は、画面に映っている人物を見て目を見開く。怖いほど真剣な顔をした中嶋だった。
『突然押しかけて、すみません。 話したいことがあるんです。部屋に上がらせてもらってもいいですか?』
 何事かと思ったが、インターホン越しに問いかけ るわけにもいかない。和彦はエントランスのロックを解除した。
 部屋にやってきた中嶋は、和彦の顔を見るなり、ちらりと 笑みをこぼした。
「先生もしかして、寝てました?」
 頭を指さされたので、慌てて髪を撫でる。濡れ髪のままベッドに 潜り込んだため、ぐしゃぐしゃになっている。
「疲れたから、少し横になってたんだ。……入ってくれ」
 中嶋をリビン グに通した和彦は、すぐにキッチンに向かう。
 湯を沸かしながらカップの準備をしていると、中嶋はダイニングにやってき た。
「すぐにコーヒーを淹れるから、座って待っていて――」
「お構いなく。ただ、俺の質問に答えてくれれば、それで いいんです」
 和彦は、じっと中嶋を見つめる。やはり、と思った。普通の青年の顔をした中嶋は、今も〈女〉を感じさせる。 猜疑心と苛立ちと――揺れる気持ちが入り混じり、自分自身で扱いかねているのか、どこか苦しげだ。
「……なんだ」
「先生は、秦さんと寝てるんですか」
 中嶋の単刀直入な問いかけに、カウンターにカップを置いた姿勢のまま和彦は動けな かった。そんな和彦を、中嶋は食い入るように見つめている。
 短く息を吐き出し、湯を沸かすのを止めた和彦は、カウンタ ーにもたれかかった。
「どうしてそんなことを聞くんだ」
「先生なら、そうなっていても不思議じゃないと思ったからで す」
 ひどい言われようだと、腕組みしながら顔をしかめる。しかし、中嶋がこう言いたくなる気持ちはよくわかるのだ。実 際和彦は、四人の男と同時に関係を持っており、秦とは、限りなくセックスに近い行為に及んでいる。自分でも呆れるほどの淫奔 ぶりだ。
 だが秦は、他の四人とは違う。これだけは断言できた。
 和彦は緩く首を横に振る。
「秦とは一線を越え たことはない」
「微妙な言い回しですね」
「正確な関係を知りたいか?」
 和彦がまっすぐ見据えると、初めて中嶋 はうろたえたような、ひどく頼りない表情を見せた。それはほんの数瞬のことだったが、中嶋の心の内をうかがい知るには十分だ。
 ヤクザでも〈女〉でもない、年相応の青年の顔だった。
「――……知りたいです。そのつもりで、ここに来ました。総 和会の一員とはいっても、俺はなんの肩書きも持たないヤクザです。そんな俺が、長嶺組が庇護していて、総和会からも大事にさ れている先生の部屋に押しかけているんです。罰を受けるのは覚悟しています」
 中嶋の覚悟に対して、和彦は容赦なく事実 を告げることで応えた。
「秦は、組長からぼくに与えられた、〈遊び相手〉だ」
 次の瞬間、中嶋に平手で頬を殴られた。 和彦の体は簡単に横に吹っ飛び、壁に倒れかかる。顔の左半分が火がついたように痛み、頭がふらつく。必死に壁に手をついて体 を支えながら、それでも和彦は口を動かす。
「ヤクザのくせに、ずいぶんお上品な殴り方をするんだな……」
「拳だ と……、跡が残ります」
 硬い声で答えた中嶋だが、和彦がなかなか顔を上げないため心配になったのか、腰を屈めるように して様子をうかがってきた。
「先生……」
 差し出された手を取ると、慎重にダイニングのイスに座らされる。
「も しかして、壁に頭をぶつけましたか? すみません、力加減ができませんでした」
 中嶋は、わざわざタオルを濡らしてきて、 手渡してくれる。それを頬に押し当てて、和彦はようやく顔を上げた。
「……気にしなくていい。こう見えて、意外に殴られ 慣れてるんだ、ぼくは」
 殴られた痛みで吐き気がしてくる。殴った本人である中嶋は、眉をひそめながら和彦の右頬を撫で てきた。
「顔が真っ青ですよ、先生」
「大丈夫。――話を続けよう」
 和彦が向かいのイスを示すと、ためらいがち に中嶋は腰掛ける。
 和彦は、秦との関係について、明け透けなほどはっきりと説明した。長嶺組と関わりを持つために秦が 和彦に近づき、薬を盛られた挙げ句に、体に触れられたこと。それ以来、危うい関係が続いていること。一線を越えないのは、賢 吾が秦に釘を刺していることも告げた。
「求め合って、というわけじゃない。秦との行為は、いつも打算含みだ。だからこそ 救われた部分があるが。……友人のようでもあるが、やっぱり遊び相手なんだろうな。それにぼくは、秦にとって使い勝手がいい と思われているようだ」
「どういう意味です?」
「そのことに答える前に、今度はぼくからの質問だ」
「……どうぞ」
 口が動かしにくいので、頬に当てたタオルを除ける。多少熱を持っているが、口の中が切れたわけでもなく、痛みも治まっ ているので、やはり中嶋はずいぶん力加減をしてくれたらしい。かつて、和彦に手を上げていた人間たちとは大違いだ。
 左 頬を軽く撫でた和彦は、元日からずっと感じていた疑問を中嶋にぶつけた。
「正月に、長嶺の本宅で君と会ったとき、様子が おかしかった。そのあとの電話でも……。そして今のこの状況だ。――何かあったのか?」
 中嶋は唇を歪めるようにして笑 うと、イスの背もたれに体を預けて天井を見上げた。和彦に表情を見られるのが嫌なようだ。
「元日に先生と秦さんが、長嶺 組長の本宅近くを仲良さそうに歩く姿を見かけたんです。だけどそれは、大したことじゃない。……年末に、秦さんのホストクラ ブに顔を出したんです。そこに、ホスト時代からの俺の友人も働いていて、打ち上げに交ぜてもらって飲んでいました。そのとき、 先生のことが話題に出ました。秦さんに会いに来たことがあると」
「ああ……、確かに、用があって会いに行った」
「――クリスマスツリーの飾りつけ、先生が手伝ったそうですね」
 そんなこと、と言ってしまっては語弊があるが、どれだ け重大なことを切り出されるのかと身構えていた和彦としては、意表をつかれる。目を丸くすると、ようやく中嶋はこちらを見た。
「なんとなく、気になったんです。先生が、あの店にわざわざ行って、ツリーの飾りつけを手伝うことになった経緯が。先生 と秦さんが、ただならぬ関係だというのは薄々わかってはいたんですが、それでも自分では、平気なつもりだったんです」
  和彦は弁解しようとしたが、それを制止するように中嶋が片手を上げ、言葉を続ける。
「……俺、先生が好きですよ。陽の下 を堂々と歩いているのが似合いそうな、どこから見ても堅気の色男なのに、ヤクザに囲まれても物怖じしないところや、商売女も 裸足で逃げ出しそうな、したたかでズルイところとか。本当に、不思議な生き物って感じなんです、先生は」
「ぼくが周りか らどう思われているか、よくわかるな」
「だからこそ、得体の知れない秦さんと馴染みそうなんです。あの人も一応、青年実 業家なんて肩書きを持っていて、見た目はあの通り、惚れ惚れするようなイイ男です。ヤクザなんてものと関わらなくてもいい生 き方ができるはずなのに、ヤクザと関わって、とうとう長嶺組なんてものを後ろ盾にしてしまった。……先生を利用して」
  淡々と話す中嶋の口調からときおり滲み出るのは、悔しさと嫉妬だ。中嶋の生の感情を感じ取るたびに、和彦は奇妙な安堵感を覚 える。自分が向き合っているのは、ヤクザでありながら、〈女〉を感じさせる青年なのだと実感できるのだ。
 中嶋に感情移 入しすぎて、和彦はふっと気を緩める。しかし中嶋は、見た目はともかく、中身は上昇志向の強いヤクザなのだ。まるで切りつけ てくるかのように、鋭い眼差しを向けてきた。
「――先生は、秦さんが今、どこで暮らしているか知っていますよね」
「あ、あ……。長嶺組の指示で引っ越したと言っていた。前に住んでいたところは危険だと判断したんだろう」
「俺は、秦さ んが今どこに住んでいるか、教えてもらっていません」
 強い苛立ちを示すように中嶋が指先でテーブルを叩く。神経質なそ の動作を、和彦はつい目で追ってしまう。中嶋も気づいたのか、ぎこちなく拳を握り締めた。
「年が明けてから、やっと秦さ んを捕まえてメシを食ったときに言われたんです。あまり、おれに深入りするな。厄介事に巻き込みたくないから、と。今どこに 住んでいるのか、そう聞いた返事がこれですよ。……一晩悩んで挙げ句、先生にあんな取り乱した電話をしてしまいました」
「……秦は、君の前では『おれ』と言うんだな」
 中嶋は一瞬表情をなくしたあと、苦い顔となる。
「気になるのは、そ こですか……」
「秦はどんなときでも、ぼくの前では『わたし』と言うんだ。丁寧な物言いしかできない男なのかと思ってい たが、そうでもないんだな」
「つき合いだけは、先生より長いですから」
「そういう言い方は――」
 中嶋は急に激 高したように、両手でテーブルを叩いた。
「俺だって、こんな女みたいなこと言いたくないんですっ。だけど、言わずに はっ……、先生にぶつけずにはいられない。きっと、先生があまりに〈オンナ〉だからですよ。俺は引きずられているっ。女々し くてくだらないことを、よりによって先生本人にぶつけなきゃいけなくなるんだっ」
「ぼくからしたら、秦に関することだけ は、君はずっと〈女〉だった。不思議な感じだったよ。順調に出世しているヤクザの君から、〈女〉の部分を感じ取るのは」
「なっ……」
 イスから腰を浮かせた中嶋の顔が、見る間に赤く染まっていく。怒りと羞恥、どちらの感情からの反応なのか、 和彦にはわからない。ただ、秦のような男が、中嶋に捻くれた欲情を抱く気持ちはわかるような気がした。
 元ホストのヤク ザは、野心やプライド、他人を利用しようとする計算高さを持つ一方で、一途で健気だ。それらを抱え持っているのが、人当たり のいい普通の外見をした青年なのだ。
 彼に快感を与えたら、どんな反応を示し、どんな生き物へと変化していくのか――。
 抗いがたい欲情が、ふっと和彦の中にも芽生える。秦は、こんな欲情を愛でているのかもしれない。
 自分が中嶋を見 つめていたはずなのに、いつの間にかその中嶋が、じっと和彦を見つめていた。
「――……先生今、何を考えてました? 顔 つきが変わりましたよ。これが、ヤクザだろうが、元ホストだろうが、見境なく男を咥え込む〈オンナ〉の顔ってやつですか?」
 ふらりとイスから立ち上がった中嶋が、和彦の側にやってきて、腕を掴む。
「こんな顔で、秦さんを誘ったんです か? 正直、俺ですら、ゾクゾクしますよ。どこから見ても男の先生を、女のように犯したくなる……」
「どう、答えてもら いたいんだ? 君の気が済むように答えてやる。……ぼくも、君のことは好きだからな」
 激情に駆られたように中嶋に肩を 掴まれ、力を込められる。和彦はイスに座ったまま、中嶋を見上げた。
「……秦が、好きなのか? 前に言ってただろ。秦の 感触に興味はあると。それはつまり――」
「先生は、本当に甘い。この状況で言い出すことじゃないですよ。野心満々のヤク ザと二人きりで、そのヤクザは、先生相手に手酷いことをしたくてウズウズしている。一方の先生は……平手で殴っただけでおと なしくなるような人だ」
「ぼくを殴って、キスするのか? だったらキスぐらい、いくらでもしてやる」
 和彦は、あえ て中嶋を挑発するような物言いをする。中嶋の感情を爆発させるためだ。
 そして思惑通り、中嶋は理性をかなぐり捨てたよ うな行動に出た。和彦の髪を鷲掴んだかと思うと、強引に唇を塞いできたのだ。
 噛み付く勢いで唇を吸われ、口腔に舌がね じ込まれる。和彦はされるがままになっていたが、それが中嶋は気に食わないのか、唇を離して睨みつけられた。
「いままで みたいに、俺のキスに応えてくださいよ」
「君が、いままでみたいなキスをしてくれるなら」
 中嶋がうろたえた素振り を見せる。和彦は両手で中嶋の頬を捉え、今度は自分から唇を重ねた。熱っぽく唇を吸い上げ、舌先でくすぐってやると、我に返 ったように中嶋は軽く抵抗する素振りを見せたが、本気ではない。それどころか、和彦が唇を離そうとすると、中嶋に頭を抱え込 まれ、一気に口づけが深くなる。
 口腔に中嶋の舌を迎え入れ、甘やかすように吸ってやる。差し出した舌を絡め合い、唾液 を交わし、互いの舌をきつく吸い合っていた。
 二人は濡れた唇を啄み合いながら、乱れた息を整える。
「どうして、こ んな……」
 中嶋が小さく呟いたのをきっかけに、和彦は囁くように問いかけた。
「感じたか? これは、秦のキスのや り方だ」
「……どうして知っているんですか、と聞くのは野暮ですね。俺、先生とするキスが気持ちよくて好きだったんです よ。――なるほど。俺は、先生を通して、秦さんとキスしていたようなものだったんですね。あの人らしい悪ふざけというか、な んというか……」
 苦々しい笑みを唇に浮かべた中嶋は、何度も髪を掻き上げながら、ダイニングを歩き回る。そうすること で、自分の頭と気持ちを整理しているのだろう。ときおり横顔に、強い苛立ちを滲ませている。
 和彦は立ち上がり、中嶋に 歩み寄ろうとする。すかさず釘を刺された。
「今、俺の近くにきたら、今度こそ拳で殴らせてもらいますよ」
「……言っ ただろ。こう見えても、殴られるのは慣れてるんだ」
「だったら、本当に犯しますよ。秦さんが原因で先生がそういう目に遭 ったら――長嶺組が、俺だけじゃなく、秦さんを潰してくれるかもしれない」
「それはそれで、君と秦の心中みたいなものだ な」
 カッとしたように中嶋のほうから歩み寄ってきて、拳を振り上げる。ここで和彦は、淡々とした口調で告げた。
「――秦は、ぼくを利用したんだ。君が、男と寝るということを、リアルに感じるために。ぼくが秦と何かあるかもしれないと思 ったら、いろいろと想像しただろ。どんなふうに秦に抱かれるのか、どんな声を上げるのか。秦の舌と唇の感触、貫いてくる性器 の感触も。それこそ、獣みたいな行為だ。ただ、欲望をぶつけて、擦りつけ合う」
 和彦の放つ言葉の生々しさに気圧された ように、中嶋はゆっくりと拳を下ろした。和彦は、そんな中嶋の拳を両手で握り締める。
「どうして秦さんは、そんなこ と……」
「秦は、君を抱きたがっている。だけど君は、野心たっぷりに這い上がろうとしているヤクザだ。君が支えにしてい る矜持や価値観を、壊したくないと思っているんだろ。見た目とは違って、秦の中身は獣みたいだが、そんな男が君に対しては気 遣いを示している。つまり……そういうことだろ」
 本当は、ここまで説明する必要があるのだろうかと思わなくもないが、 和彦を巻き込んだのは秦本人だ。好きにさせてもらう権利はあるはずだ。それに、和彦の性質ゆえなのか、秦と中嶋の関係に関わ ることで、性的な高ぶりを覚えてしまった。
 秦を獣みたいだと言いながら、自分のほうがよほど、胸の内に手に負えない獣 を飼っているようだと、わずかな恥じらいを覚えて和彦は手を引く。
「……何もなかったとは言わないが、ぼくと秦は深い仲 じゃない。納得したなら、もう帰ったほうがいい」
 そう告げて中嶋に背を向けた瞬間、背後から拘束されて動けなくなった。 驚いた和彦が身を捩ろうとしたが、ますます強く体を縛められ、このときになってようやく、中嶋に抱き締められたのだとわかる。
「中嶋くん……」
「――俺は先生と知り合ってから、嫌になるほどリアルに、男と寝るってことがどんなものなのか、想 像してきましたよ。先生という、いい見本があるんです。先生みたいな色男が、長嶺組長や他の男にどんなふうに抱かれているの か、と。そして俺は、艶かしい気分になるんです。……先生のように男に抱かれたくて、他の男のように先生を抱いてみたくて」
 中嶋の唇が耳に押し当てられ、熱い吐息を注ぎ込まれる。身震いしたくなるような強烈な疼きが、和彦の背筋を駆け抜けた。 同時に、倒錯した欲情を抱えていたのは自分だけではないのだと、安堵とも歓喜ともつかない感情に胸をくすぐられる。
「俺 は、秦さん相手に確かに肉欲はありますが、どうしたらいいのか、よくわからないんです。秦さんに抱かれたら、俺は俺じゃなく なって、ヤクザですらなくなってしまうんじゃないかと、怖くなる。今の先生の話を聞いて、なおさら怖くなりましたよ。俺の知 っている秦さんは、あくまで紳士ですから」
 中嶋の告白に、和彦はゆっくりと振り返る。興奮しているのか、中嶋の目は熱 っぽさを帯び、強い光を放っていた。まるで、獲物を前にして舌なめずりをしているような――。
「先生、俺に教えてくださ い」
「……何、を……」
「〈オンナ〉の悦びを。――俺と先生の関係は、単なる友人同士じゃ物足りない。きっと、もっ とセクシャルな関係のほうが、しっくりきますよ」
「ジム仲間じゃ、ダメなのか?」
「俺は独占欲が強いんです。秦さん が、保身や欲望のために先生を必要だとしているんなら、俺も、先生が欲しい。そうすれば、秦さんとより強く結びつける。謎の 多いあの人を知るために、先生は欠かせない」
 普通の青年に見えても中嶋は、中身はやはりヤクザなのだ。秦のことだけで はなく、総和会内での出世のためにも、和彦は利用できる貴重な存在だ。そこに欲情も絡んで、中嶋にとって和彦は、さぞかし使 い勝手がよく見えるだろう。
 中嶋と向き合った和彦は、表情を険しくして見据える。
「自分のことばかり言っているが、 ぼくにメリットはあるのか? 秦は、長嶺組に飼われているようなもので、いまさらぼく個人が秦と結びつく必要はない。君とは、 今の友人関係で満足して――」
「総和会の中で、先生のために働く手駒を手に入れる、というのは、どうですか?」
 ヤ クザなんて食えない男たちばかりだと思っていたが、自分も立派にその一員だ。半ば自嘲気味にそう思った和彦だが、このしたた かさは賢吾によって磨かれたものだと感じ、感慨深さも覚える。
 賢吾はきっと、中嶋と関係を持つことを許してくれると、 確信があった。あの男は、和彦の淫奔さとしたたかさを愛でている。
「――それで手を打とう」
 和彦が答えると、まる で契約を交わすように中嶋がそっと唇を重ねてきた。


 ジムでシャワーを浴びるたびに、中嶋の体は見ていた。細身だがしなやかな筋肉に覆われて、いかにも機能的に鍛えており、鑑 賞物としても文句のつけようのないきれいな体をしている。かつての商売道具ですからね、と澄ました顔で中嶋は言っていたが、 まさか、その体に触れることになるとは、想像もしていなかった。
 どちらがリードしていいのかわからないまま、とりあえ ず和彦と中嶋は、何も身につけていない姿で抱き合いながら、ベッドの上を転がる。
 なんとなく、千尋とじゃれ合っている ようだなと思った和彦は、いつも千尋にそうしているように、頭を撫でる。すると、顔を覗き込んできた中嶋にベッドに押さえつ けられ、唇を塞がれた。
 のしかかってくる体を受け止めながら、刺青のない背にてのひらを這わせる。ふっと一瞬の違和感 が和彦を襲った。
 快感に身を捩り、悦びの声を上げる中嶋を、秦が見下ろしている光景が脳裏に浮かんだところで、違和感 の正体がわかった。
 和彦は、背から腰にかけて何度もてのひらを這わせたあと、中嶋の尻に触れる。ピクリと身を震わせた 中嶋が、ああ、と声を洩らした。
「……そうでした。俺は、〈オンナ〉になるんだ」
「別に、そんなことは意識しなくて いい。ぼくだって、ヤクザなんかと関わる前までは、男と寝ることに、理屈や役割なんて求めてなかったし、考えてもなかった。 大事なのは、相手が快感を与えてくれるか、自分が与えてやれるか、それだけだ」
 和彦は自分の指を舐めて唾液で濡らすと、 中嶋の秘裂の間にそっと這わせた。
「くっ……」
 声を洩らした中嶋が背をしならせ、わずかに不安そうな表情を見せた ので、和彦は片手で中嶋の頭を引き寄せて、優しく唇を啄んでやる。
「さっき殴られた分、仕返しはするからな」
 和彦 の冗談交じりの囁きに、中嶋はやっと笑みを見せる。
「怖いな、先生……」
 中嶋の内奥の入り口を濡れた指先でまさぐ り始めると、中嶋が腰を揺らす。二人の欲望が擦れ合い、もどかしい刺激を生み出した。
 次第に二人の息遣いが妖しさを帯 びる。今度は和彦が中嶋にのしかかり、狭い内奥にゆっくりと慎重に指を挿入する。何度となく、何人もの男を受け止めてきた和 彦だが、反対の立場となるのは初めてだった。
 控えめに、戸惑ったように反応する中嶋の姿に、つい見入ってしまう。自分 も普段は、こんなふうに見られているのかと思うと新鮮だ。
 きつく収縮する中嶋の内奥から、指を出し入れする。唾液で湿 った熱い粘膜と襞が指にまとわりつき、吸い付く。指を付け根まで挿入してまさぐれば、うねるように内奥が蠢いた。
「は っ……、あっ、あっ、変な、感じだ」
 天井を見上げたまま、中嶋は困惑した様子で声を上げる。和彦は口元に笑みを刻むと、 ゆっくりと指を動かしながら言った。
「ぼくは、いまだにそう感じる。変な……、落ち着かない感じだと」
「先生でも?」
「この落ち着かない感じが――よくなる。自分の無防備な部分を晒してまで、男を受け入れていることが、快感に思えてくる」
 内奥を掻き回すように指を動かすと、間欠的に上がる中嶋の声が、甘さを帯びる。次第にこの状況に、体と心が順応し始め たのかもしれない。
 小さく喘ぐ中嶋に呼ばれ、和彦は唇を重ねる。差し出した舌を絡め合っていると、今度は中嶋に尻を揉 まれ、内奥の入り口を指の腹で擦り上げられた。
 慎重に、中嶋の指が和彦の中に侵入してくる。ゆっくりと息を吐き出し、 下肢から力を抜くと、付け根まで収まった指が動き始める。
「うっ……」
 思わず和彦が腰を揺らすと、中嶋は感嘆した ように言った。
「中、熱いですね。俺の指をグイグイ締め付けてくる。そのくせ、柔らかい。……何人もの男を咥え込んでい る場所、ですね」
「君も、同じだ。ぼくの指をよく締め付けて、ひくついていた」
 中嶋は薄く笑うと、内 奥から指を出し入れし始める。
 二人は、初めての行為に没頭し、初めて味わう感触に夢中になっていた。
 自分が抱か れる側だと意識しなくていいせいか、和彦は、自分が男であり、オンナであることの狭間で、不思議な性的興奮を覚えて、乱れる。 一方の中嶋も、無防備に和彦の愛撫に身を任せているかと思ったら、突然興奮に襲われたように、今度は和彦の体に愛撫を加えて くる。そんな中嶋の反応に和彦は煽られ――。
 中嶋の胸の突起をきつく吸い上げながら、すっかり熱くなった欲望を丁寧に 扱いてやる。
「あうっ、あっ、い、いぃ――……」
 身をくねらせたあと、中嶋が仰け反る。和彦は中嶋の片足を抱え上 げ、指の数を増やして内奥に挿入する。熱く湿った場所がねっとりと包み込むように指を受け入れたあと、一気に締まった。
「感じ始めたな。……そのうち、中で動くものに合わせて、力を抜いたり入れたりできるようになる。感じたくて、体が勝手に反 応するんだ」
「医者の先生が言うと、説得力がありますね」
「今のぼくは、ヤクザのオンナだ」
「だったらなおさら、 説得力が増す」
 思わず笑みをこぼした和彦は、中嶋に背を引き寄せられ、ベッドに片手をつく。頭を上げた中嶋が、和彦の 胸の突起に吸い付き、濡れた音を立てて愛撫してくる。今度は、和彦が声を上げた。
「あっ……、あっ、んんっ」
 その まま体の位置が入れ替えられ、和彦の内奥に中嶋の指が挿入された。
「――先生が相手だと、俺はなんにでもなれる気がしま す。男、女、獣、先生のようなオンナにも。先生の存在はしなやかですから、どんな俺でも受け止めてくれますよね? ヤクザは、 オンナのままじゃ生きていけないんです。誰かのオンナになったら、どこかで、男や獣の自分を取り戻さないといけない」
  内奥の感触を確認するように慎重にまさぐり、襞と粘膜を指の腹で擦られる。
 両足を開かれ、中嶋が腰を割り込ませてくる。 高ぶった欲望同士を擦りつけながら、二人はしっかりと両手を握り合った。
 もどかしい快感に息を弾ませて、唇を吸い合い、 緩やかに舌を絡める。
「先生、犯していいですか?」
 口づけの合間に、荒い息の下、中嶋がそう囁いてくる。和彦はす かさず囁き返した。
「君が秦に犯されたあとなら……」
 中嶋は目を丸くしたあと、笑った。普通の青年の顔をしながら、 眼差しは〈女〉のものとなっている。秦に抱かれる自分の姿を想像して、欲情しているのかもしれない。
「先生を犯すのもい いけど、先生に犯されるのも、興奮しそうですね」
「……君の物言いは、やっぱり秦に似ている」
「これは、秦さんの影 響じゃないですよ。俺の、先生に対する欲情は、俺だけのものです」
 握り合っていた手を離した和彦は、中嶋の頬を撫でる。
「慌てなくていいだろ。今だって十分に、セクシャルな関係だ。それに――気持ちいい」
 和彦は中嶋をベッドに押し付 けると、高ぶった欲望をてのひらに包み込んで上下に扱く。濡れた先端を指の腹で擦ってやると、喉を反らしながら中嶋は洩らし た。
「ええ、気持ちいいです……」
 和彦は、乱れた中嶋の髪を掻き上げてやってから、腕を掴まれて引っ張られるまま、 ベッドに横になる。中嶋と唇を吸い合い、互いの熱くなった欲望を刺激する。
 艶かしく絡み合い、肌を擦りつけ合って生ま れる心地よさと快感を、二人は貪り合っていた。当然のように遠慮やためらいの気持ちはあるが、それは〈気遣い〉という言葉に 置き換えられる。
 男を知らない中嶋に、男の肌と欲望の感触を教えているのだ。気遣って当然で、繊細な行為の合間から、 悦びを掬い上げてくれたなら、この行為に意味が生まれる。
 もっとも、心配するまでもないようだが――。
 和彦は片 手を取られ、中嶋と向き合う格好となりながら、再び欲望をてのひらに包み込む。一方の中嶋も、和彦のものに触れてきた。
 和彦が唇を吸ってやると、吐息を洩らして中嶋が呟く。
「……先生とこうすることに慣れて、秦さんを受け入れられなくな ったら、それはそれで問題ですね」
「そんなことになったら、ぼくは秦に恨まれるな」
 小さく笑い声を洩らした中嶋の 髪を、何度も撫でてやる。中嶋は、甘えるように和彦の胸に顔をすり寄せてきた。
「いざとなったら、先生が俺の保護者と して、手を握って付き添ってください」
「笑えない冗談だ」
「ヤクザに、本気と冗談の区別なんてありませんよ」
  顔を上げた中嶋の目は、欲情とそれ以外の〈何か〉によって、妖しい光を湛えていた。
「だからヤクザは厄介なんです。表面 上は笑いながら相手を油断させて、嫌と言えない状況に持ち込む。たとえば今の、俺と先生です」
 中嶋が上体を起こし、和 彦の両足の間にぐっと腰を割り込ませてくる。寸前まで和彦が愛撫していた中嶋の欲望が、内奥の入り口に擦りつけられた。さす がに和彦は目を見開き、抵抗も忘れて中嶋を見上げる。
「中嶋くん……」
「――先生、いいですよね?」
 真剣な顔 で中嶋に言われる。冗談を言っている雰囲気ではなかった。
 和彦は数十秒ほどの間を置いて、中嶋の頭を抱き寄せた。









Copyright(C) 2010 Tomo Kitagawa All rights reserved.
無断転載・盗用・引用・配布を固くお断りします。



第16話[03]  titosokubakuto  第17話[01]