階段を駆け下りた和彦は、待ち合わせ場所であるコーヒーショップへと急ぐ。予定では余裕をもって到着する予定だったのだが、クリニックを閉めた直後に患者から電話があり、十分ほど話し込んでしまった。
そのせいで、と言う気はないが、タイミング悪く夕方の渋滞に巻き込まれ、結局慌てる事態になっている。
駅周辺の渋滞具合から予測はついていたが、ちょうど帰宅時間帯に差しかかっている駅の地下街は大勢の人が行き交い、早足に歩くのも苦労する。人とぶつからないよう気をつけながら腕時計を見ると、待ち合わせ時間まであと数分と迫っていた。
ほぼぴったりの時間にコーヒーショップの前に到着し、店内に足を踏み入れると、こちらも混雑しており、ほぼ満席だ。
コーヒーを注文する必要のない和彦は、きょろきょろと店内を見回す。すると、目を惹くカップル――ではなく男二人が、小さなテーブルに身を持て余し気味についていた。秦と中嶋だ。
二人ともスーツにコート姿で、雰囲気は派手ではあるものの、どこから見てもビジネスマンだ。和彦の付き添いとして、一応気をつかってくれたようだ。特に、秦は。
その秦が和彦に気づき、艶やかな笑みを浮かべる。中嶋も顔を上げ、こちらは一見爽やかな微笑とともに、軽く手を振ってきた。
「すまない。ちょっと渋滞に巻き込まれて……」
テーブルに歩み寄って和彦が声をかけると、秦と中嶋が同じタイミングで首を横に振る。口を開いたのは中嶋だった。
「さすが先生ですね。時間ぴったりです」
「……こちらが呼び出しておいて待たせるのは、心苦しいんだ」
「気にしなくてかまいませんよ。秦さんと、珍しい時間を持てましたから」
中嶋の言葉を受け、和彦はもう一度周囲を見回す。
「コーヒーショップでデートをするのは初めてなのか?」
まじめな顔をして和彦が問うと、中嶋は楽しげに声を上げて笑い、秦は困ったような表情となる。
「まあ、そんな感じですね。秦さんと外で会うときは、ゆっくり腰を落ち着けて飲みながら、ということが多いので。こういう人の出入りが激しい場所で向き合うのは、なんだか妙な感じです」
「――だ、そうだ」
和彦がちらりと視線を向けると、秦はカップを手に笑いながら立ち上がる。
「だったら今後は、もっと明るいうちから、外で会えるようにしますよ」
どこまで本気かわからない秦の言葉に、軽く肩をすくめて中嶋も立ち上がった。
コーヒーショップを出ると、二人を促して和彦は先を歩く。
今日はこれから澤村と会うことになっているため、和彦の〈お守り〉は、秦と中嶋に担当してもらう。賢吾からはありがたくも、ついでに二人と遊んでこい、と言われている。ただ、自業自得の部分が多大にあるが、和彦はどうしても、賢吾の言葉を素直に受け止められない。
和彦は肩越しにそっと後ろを振り返り、自分と特殊な関係を持っている男二人を見る。
秦と中嶋の職業を知っていても、物騒な空気は微塵も感じない、完璧な堅気の人間ぶりだった。華やかで艶やかな存在感がありすぎて、違う意味で目立つ秦とは違い、中嶋のほうは本当に普通のハンサムな青年だ。こうして日常の一風景に溶け込んでいる姿を見ると、中嶋がヤクザだという事実が、いまさらながら信じられない。
秦と中嶋の三人で出歩くことは初めてではないのだが、いままでの状況とはあまりに違う。
和彦と目が合った中嶋が、前方を指さした。
「先生、前を向いて歩かないと危ないですよ」
慌てて和彦が前を向くと、スッと隣に中嶋が並び、話しかけてきた。
「不思議そうな顔して、俺と秦さんを見てましたね」
「……実際、不思議な感覚だ。夕方から、こうして帰宅ラッシュの中を君たち二人と歩いているなんて」
「楽しいですね。なんだか自分が、普通の勤め人になったみたいで」
「――わたしは、普通の勤め人のつもりなんですが」
会話に割り込んできた秦の言葉に、和彦はついに苦い表情で返す。
「君がそうなら、ぼくだって言い張れるぞ」
「いや、先生はダメでしょう……」
芝居がかった仕種で中嶋が首を横に振り、物言いたげな視線を向けてくる。和彦は、秦に苦情を言った。
「最近彼は、言動に遠慮がなくなったぞ。……ますます、君に似てきた」
「中嶋はこれでも、猫を被っているんですよ。わたし相手だと――」
秦が背後から耳元に顔を寄せ、思いがけず露骨な言葉を囁いてくる。ビクリと肩を震わせた和彦は、頬の辺りが熱くなるのを感じながら、秦を睨みつけた。
「これから友人と会おうって人間に、なんてことを囁いてくるんだっ」
「先生がいつになく緊張しているように見えたので、冗談でも言って解してあげようかと思ったんです。少しは肩から力が抜けましたか?」
悪びれた様子もなく澄ました顔で秦に問われ、すっかり毒気を抜かれた和彦は、曖昧に首を動かす。
「……気が抜けた」
「それはよかった」
満足そうに頷く秦を一瞥して、中嶋に視線を移す。ほんの一か月ほど前に、嫉妬と猜疑心に駆られて和彦に詰め寄ってきたこともある男は、余裕たっぷりの表情で和彦と秦を交互に見つめていた。
現金なものだと内心で呟いた和彦は、まったく別のことを口にした。
「中嶋くん、この男と会話していて、気疲れすることはないのか?」
秦とよく似た澄ました表情で、中嶋が応じる。
「刺激的でいいですよ。それに、もう慣れました。知り合ったときから、この調子ですから」
「ええ、慣らしました」
これもノロケになるのだろうかと思いながら、和彦は返事をするのはやめておいた。秦も、すぐに会話を切り替えてくれる。
「――それで先生、友人の方とは、食事をする予定はないんですか?」
「ああ、会ってお茶を飲みながら、実家からの伝言を聞いて、プレゼントを受け取るだけだ。それと、ちょっとした世間話」
「わたしたちのことは気にしなくてかまいませんよ。放っておいても、勝手に先生を尾行して、影から見守っていますから。せっかくだから、楽しまれたら――」
「いいんだ」
きっぱりと言い切った和彦は、思いがけず口調がきついものになったことを自覚し、小さくため息を洩らす。気遣ってくれたのか、中嶋が肩に手をのせてきた。
「……今のぼくの事情を、友人は知らないほうがいい。組だけじゃなく、ぼくの実家も大概面倒だからな。普通の人間を巻き込みたくない」
「そういうことなら、安心してください。そこそこ荒事が得意な俺と、かなり口の巧い秦さんがついているんですから、トラブっても、俺たちが処理します。もちろん、先生の友人を傷つけたりしません」
中嶋の物言いについ笑みをこぼした和彦は、しっかりと頷いた。
「それについては信頼している。だから、君らに頼んだんだ」
率直な和彦の言葉に、珍しく中嶋は照れたような表情となる。ヤクザらしくないその表情の意味を、おそらく誰よりも中嶋のことを把握している男が教えてくれた。
「褒められ慣れてないんですよ、中嶋は」
和彦は秦を振り返り、しれっと言ってやった。
「だったらそこも、君が慣らしてやるんだな」
一本取られたと言いたげな秦の表情に、これもまた珍しいものが見られたと、和彦は心の中で呟いた。
テーブルについてコーヒーを飲んでいる澤村の姿を見て、和彦はつい苦笑する。
恵まれた容貌の友人はきっと、今カフェ内にいる客の誰よりもお人よしだろうなと思ったら、自然とこういう表情になってしまう。
同僚であり友人ではあったが、何もかもを打ち明けられるほど深いつき合いをしていたわけではない。それなのに澤村は、厄介な事情を背負った和彦を見捨てることなく、こうしてカフェで待っていてくれる。
仮に、佐伯家に強引に押し付けられたにしても、それを断れないのなら、やはりお人よしだと言えるだろう。
和彦がテーブルに歩み寄ると、それに気づいた澤村がカップを置く。開口一番に文句を言われた。
「――お前の実家の押しの強さはなんなんだ。俺から欲しい答えをもぎ取るために、自宅にまで押しかけてきそうな勢いだったぞ」
再び苦笑を洩らした和彦は、澤村の向かいの席につき、同じくコーヒーを注文する。
「それは、悪かったな。……ぼくとはもう関わりたくないと、はっきり言ってよかったんだぞ。息子が悪く言われたからといって、傷つくような一家じゃないから」
「ここでお前とのつき合いをやめたら後味が悪いから、連絡を絶つつもりはなかった。ただしお前の実家とは、こちらから関わりを持つ気はなかった。が、向こうが許してくれなかったな」
軽い口調で言う澤村に、和彦のほうは申し訳なさを感じ、つい視線を伏せる。するとテーブルの下で、気にするなと言いたげに靴の先を軽く蹴られた。
「だが、大物官僚から手書きの年賀状をもらったのは、気分がよかったぞ。何か相談事があれば、いつでも言ってくれ、と電話ももらった」
父親のやりそうなことだと、和彦がわずかに眉をひそめると、そんな反応を予測していたらしい。澤村は小さく声を洩らして笑った。
「俺が医者として独立したいと言えば、相談に乗ってくれると思うか?」
「ぼくの父と兄に直接聞いてみたらどうだ」
「相談と引き換えに、お前を捕まえてきてくれと言われそうだな」
毒を含んだ冗談を言った澤村は、空いているイスに置いてあった小さな手提げ袋を差し出してきた。複雑な顔をして和彦は受け取り、中を覗く。きれいにラッピングされた箱が入っていた。
大きさと重さから、中に何が入っているのか推測しているうちに、コーヒーが運ばれてくる。和彦はすぐに箱を袋に戻した。
「……お前を呼び出すことを承諾したとき、条件として、監視や尾行はつけないでくれと頼んだ。それと今後、佐伯家の都合では動かないことも言っておいた。もう少し気楽な気分で、お前と会って話したいからな」
ここで澤村は大きく息を吐き出し、視線を遠くへと向けた。
「大人の男が、自分の考えで姿を隠して、肉親と連絡を取りたがらないんだ。もう俺は、とやかく言わねーよ。お前が巻き込まれたトラブルは気になるが、拉致・監禁って物騒な事態になってるわけじゃないのは、とっくにわかってるしな」
その物騒な事態に、限りなく近い目に遭ったことはあるが、澤村に話す必要はないだろう。少なくとも今の和彦は、複数の男たちによって大事に扱われている。ただし、物騒な世界で。
「だから、最後にもう一度だけ言っておく。――家族である限り、会ってじっくりと話し合ったほうがいい。お前と家族の間にどんなわだかまりがあるのか知らないが、それにしたって、何も知らせなくていい理由にはならないだろ」
澤村の真剣な眼差しに対して、曖昧な返事をするしかできない。和彦は視線をさまよわせ、このとき、離れたテーブルについている秦と中嶋の姿に初めて気づく。和彦のあとに店に入る手筈で、違和感なく店内に溶け込んでいる。
佐伯家の監視はついていないという澤村の話が本当だとしても、佐伯家が澤村を騙している可能性もあるため、やはり二人の存在は心強い。
和彦はさりげなく二人から視線を逸らし、コーヒーにミルクを入れる。
「……まだ、心の準備ができてない。自分の今の状況を、家族に伝えられる自信がない。クリニックにばら撒かれた写真の件だけでも、説明するのに抵抗があるんだ。これが普通の家庭なら、素直に助けも求められるんだろうが……、うちは生憎、普通とは言えない」
「もしかして、官僚一家の名に傷をつけると思ってるのか――」
「家の名に傷がついて困るのは、ぼくじゃなくて、家族のほうだ。だからなんとかして、ぼくと連絡を取ろうとしているんだろう。それに最近は、いろいろと慌しいみたいだし」
佐伯家との今後のことを考えるだけで、和彦は気疲れする。それが声に表れたらしい。澤村にこう言われた。
「佐伯、お前もしかして、疲れてるか?」
ハッと背筋を伸ばした和彦は、慌てて否定する。
「そうじゃないっ……。仕事帰りで、気が抜けているだけだ。それに、こうしてお前と話せて、ほっともしている。実は、家族の誰かを連れてくるんじゃないかと、身構えていたんだ」
「……仕事、上手くいってるか?」
澤村の遠慮がちな問いかけに、和彦は頷く。
「ああ。周りがサポートしてくれるおかげで、大変だけど、充実している」
「そうか」
そう答えた澤村が、腕時計を見る。和彦が首を傾げると、芝居がかった得意げな表情で澤村は言った。
「これからデートなんだ」
「相変わらずモテてるようだな、澤村先生」
「まあな。――あんまりお前と一緒にいると、根掘り葉掘り聞きたくなる。だから、俺なりの自衛策だ。俺は何があっても、デートには遅刻しない男だからな」
澤村は、和彦の目の前に引かれた境界線のあちら側で生きている男だ。住む世界が違うとわかっていながら、細い糸にすがるように繋がりを持ち続けているのは、澤村との友情を失いたくないからだ。
少なくとも和彦から、この友情を断ち切る勇気はなかった。
「澤村先生がモテるはずだな」
和彦がぽつりと洩らした言葉に、澤村は思いきりキザなウィンクをくれた。
澤村と別れてカフェを出た和彦は、尾行を警戒して、駅ビル内を歩き回っていた。
エスカレーターを使っていると、すぐ背後から声をかけられた。
「尾行はついていませんよ、先生」
まさか後ろに人がいるとは思っていなかった和彦は、飛び上がりそうなほど驚き、振り返る。口元を緩めた中嶋が立っていた。
「……びっくりした」
「先生は、周囲を警戒している分、半径一メートル以内に距離を詰められると弱いですね。簡単に後ろを取れました」
「次から気をつける」
「いえいえ、このまま無防備でいてください。楽しいですから」
そんなことを言って、澄ました顔で中嶋は辺りに視線を向ける。軽口を叩いているようで、切れ者のヤクザは自分の役目を忘れたりはしない。和彦の身に何かあってはいけないと、気を張っているのだ。
「秦は?」
「先に車に行っています。駅近くで待っているので、そこまで少し歩いてもらいますね」
「それはかまわないが――」
エスカレーターを降りた和彦が歩き出すと、すかさず中嶋に腕を掴まれて引っ張られる。
「先生、こっちです」
ようやく中嶋と肩を並べて歩きながら、和彦は手にした手提げ袋に視線を落とす。
「それ、プレゼントですか?」
「そうだ」
「プレゼントだけじゃなく、伝言も受け取ったんじゃ……」
「意外なことに、それはなかった。プレゼントだけを渡されて、あとは、友人からの忠告だ。一度ぐらい、会って話し合ったほうがいいと言われた」
「俺でも、その友人の方の立場なら、同じ忠告を先生にするかもしれません」
中嶋にニヤリと笑いかけられ、乱暴に息を吐いた和彦は乱暴に髪を掻き上げる。
頭ではわかっているのだ。家族と会って、互いの生活に干渉しないとはっきりさせたほうがいいと。ただ、和彦が今身を置いている環境と、佐伯家が迎えつつある環境の変化は、絶対に相容れない。そして、非難される環境にいるのは、和彦だ。
「……家族に会って、自分が今、ヤクザの組長のオンナになっていると話せると思うか?」
「そこまで話す必要はないでしょう。ただ、元気にしている、最低限の連絡は入れる、とでも言えば」
「君は、ぼくの家族を知らないから、そう簡単に言えるんだ」
和彦の声が暗く沈みかけていることを察したのか、駅ビルを出たところで中嶋に提案された。
「――先生、これから一緒にメシ食いませんか?」
「いや、でも……」
今晩は疲れているからと言いかけて、和彦は腹部にてのひらを当てる。食事のことを言われて初めて、空腹を自覚した。気が緩み、体も正直な反応を示したようだ。
それでも返事をためらう和彦に対して、中嶋が決定的な言葉を発した。
「俺が作りますよ。手の込んだものを作る時間はありませんが、それなりに美味いものを作る自信はあります。気楽にメシを食って、飲みましょう。――秦さんのところで」
まるで気安い友人のように中嶋に肩を抱かれ、その勢いに圧されるように和彦は頷き、一拍遅れて笑みをこぼす。
前方では、車の傍らに立った秦がひらひらと手を振っていた。
秦の部屋は、前回和彦が訪れたときより、ずいぶん住居らしくなっていた。
部屋の中央にあった大きなテーブルはそのままだが、きれいに片付けられている。パソコンの類はどこにいったのかと辺りを見回せば、壁際にデスクが置かれ、そこが現在の秦の仕事スペースとなっているようだ。
ずいぶん生活感が増したと、物珍しさもあって和彦がきょろきょろとしている間に、ワイシャツの袖を捲り上げた中嶋がキッチンに向かう。スーパーの袋を抱えた秦があとに続き、手伝おうかと話しかけている。
二人の様子を横目で見ながら和彦は、この部屋に生活感が増した理由がわかった気がした。
人が出入りすれば、何かと必要な物が増え、寛げる場所にするため片付けたり、インテリアにも気をつかう。秦にとってこの部屋は、仕事ができて寝られればいいだけの場所ではなくなったのだ。
「中嶋が、殺風景だと言って、いろいろと持ち込んでくるんですよ」
そんなことを言いながら、秦がトレーを持ってキッチンから戻ってくる。コートとジャケットを脱いだ和彦は、促されるままテーブルにつく。秦はてきぱきと飲み物を準備して、向かいのイスに座った。
「手伝わなくていいのか?」
和彦の問いかけに、秦は軽く肩をすくめた。
「わたしがいても役に立たないので、座っていろと言われました」
「すでにもう、尻に敷かれてるな。やっぱり君らはいい組み合わせだ」
和彦の表現に、秦は楽しげに声を上げて笑った。
「得体の知れない怪しい男と、若くて野心溢れるヤクザを、そんなふうに言えるのは、きっと先生ぐらいでしょうね」
「……君らに振り回されたんだから、そう言える権利ぐらいあるだろ」
「ある意味、わたしたちが先生に振り回されたとも言えますよ。少なくとも、先生が現れなければ、わたしと中嶋の関係が短期間でこうも変化することはなかった」
秦がグラスにワインを注いでくれる。当の秦の飲み物はビールで、他に、ペットボトルのお茶が用意されている。どうやら帰りの車を運転するのは、中嶋のようだ。
キッチンから物音が聞こえ、さほど間を置かず、肉を焼くような香ばしい匂いがしてくる。ますます空腹を強く意識しながら和彦は、秦と他愛ない会話を交わす。
ふと秦の視線が、ソファに向く。そこには、和彦のコートとジャケット以外に、誕生日プレゼントが入った手提げ袋も置いてある。
プレゼントについて何か言われるのかと思ったが、秦の関心は別のところにあるようだ。
「先生のご友人は、どこから見ても堅気の方でしたね」
秦の言葉に、思わず和彦は破顔する。
「どんな人間がやってくると思っていたんだ」
「――先生は不思議ですね。組の人間に囲まれていても、違和感がないんですよ。明らかに組の人間じゃないとわかるのに、空気が馴染んでいる。だけど、堅気のご友人と向き合っている先生を見ると、どことなく違和感があるんです。どこから見ても堅気の先生が、堅気の空気に馴染まないというか……」
ここでムキになって反論するほど、和彦は往生際は悪くない。己を知っている、と胸を張るのもどうかと思うが、少なくとも、現状認識はできていた。
「ぼくは、ヤクザの組長とその跡継ぎのオンナで、組の後ろ盾でクリニックを構えて、もう何人もの組員の治療をしている。本物のヤクザには及ばないが、犯罪に手を染めているんだ。書類の偽造に、いろいろな報告義務も怠っている。そういうものの上に、ぼくの今の生活が成り立っているんだから、堅気とは違う空気になるのも当然だ」
「そして、性質の悪い男ばかりを惹きつける?」
からかうように言われ、和彦は秦を睨みつける。当然だが、秦は悪びれた様子はない。艶やかな笑みを口元に湛え、和彦の目を覗き込むように、軽く首を傾けた。
「不合理すらも呑み込んでいく先生の貪欲さは、どこからくるのか、気になりますよね。生まれか、育ちか――」
「両方だろうな、きっと」
互いに探り合うように、秦と視線を交わす。そこに、中嶋の声が割って入った。
「会話が弾んでいるところすみませんが、料理を運んでもらっていいですか」
即座に反応した秦が立ち上がり、和彦もイスを引こうとしたが、それを手で制された。
「先生はお客様なので、座っていてください」
腰を浮かしかけた和彦だが、男三人がキッチンにいても邪魔になるだけだと思い直し、イスに座り直す。
テーブルには、大皿に盛られたチーズたっぷりのパスタとベーコンサラダ、それにコーンスープが並ぶ。どれも、とにかく量が多い。
「あまり待たせるのも悪いと思って手早く作ったものですが、量だけはたくさんあるので、遠慮せず食べてください」
「……先日も思ったが、本当に料理が上手いんだな」
「まかない料理というやつです。見た目はちょっとアレだけど、それなりに食える料理を作りますよ」
話しながら中嶋が、ライ麦パンがのった皿をテーブルに置く。短い時間でこれだけの夕食を準備したことに、和彦は賞賛の言葉を惜しまない。中嶋は、照れたような表情を一瞬浮かべたあと、ちらりと秦に視線を向けた。
「少しは、先生を見習ってくれると嬉しいですね」
中嶋の露骨な当て擦りを受け、秦はなぜか、和彦に対して言い訳をする。
「こいつの作ったものが美味いのはわかっているので、いまさらわかりきったことを言う必要はないと思ったんです。別に不満があるとかじゃありませんよ」
和彦は軽く息を吐くと、中嶋を見上げる。
「食事前に、あまりイジメるなよ。ふてぶてしいこの男が、珍しく本気でうろたえているぞ」
ニヤリと笑った中嶋が和彦の隣に座り、三人はそれぞれグラスを取り、互いに飲み物を注ぎ合う。
様になる動作で秦がグラスを掲げた。
「少し早いですが、先生の誕生日に乾杯、ということでいいですか?」
「えっ……」
「気持ちですよ。先生に誕生日プレゼントを渡したところで、困らせるだけでしょうから、せめて、お祝いの言葉だけでも」
そういうことならと、和彦もグラスを掲げ、二人とグラスを軽く触れ合わせて乾杯する。
感じる気恥ずかしさや照れ臭さを誤魔化すように、和彦はやや慌ててグラスに口をつけた。
テーブルから場所を移し、ラグの上で伸び伸びと脚を伸ばした和彦は、少しぼんやりとしていた。
夕方まで仕事をして、澤村と会い、気心が知れているともいえる人間に囲まれて夕食をとり、そこまで、一日分のエネルギーを使い果たしたようだ。心地よい疲労感とも眠気ともいえる感覚が、ひたひたと押し寄せている。
「――デザートも買ってくるべきでしたね。先生の誕生日の前祝いっていうなら、せめてケーキぐらい」
テーブルの上を片付けた中嶋がそう声をかけてきて、和彦の傍らに座る。和彦は淡く笑んで首を横に振った。
「あれだけの夕食を出してもらっただけで十分だ。……今日のボディーガードのお礼に、食事を奢ろうと思っていたのに、かえってこちらがいい思いをさせてもらった」
「先生は本当に、褒めるのが上手いですね。それが、性質の悪い男たちを操縦するコツですか」
和彦は横目で中嶋を一瞥する。
「君は本当に、言うことに遠慮がなくなった」
「先生だからこそですよ。甘えているんですよ、これでも」
甘える相手が違うだろう、と思ったところで、和彦はあることに気づいた。
「秦は?」
「食器を洗っています。俺がメシを作ったときは、片付けは秦さんの仕事なんです」
「……君こそ、上手く操縦しているじゃないか」
「いえいえ、先生には敵いません」
どうやって反撃してやろうかと考えていると、思いがけない追撃を中嶋から受けてしまった。
意味ありげな笑みを浮かべた中嶋が、肩先が触れるほど近くに座り直したかと思うと、声を潜めてこう言ったのだ。
「正直俺、先生が今日、友人に会うと聞いたとき、信じていませんでした」
「どういう意味だ?」
「実は、先生の元恋人なんじゃないかと、ちょっと疑っていました」
「そんなわけあるかっ」
ムキになって言い返すと、中嶋は大きく頷く。
「ええ、二人が話している姿を見て、それはわかりました」
「ぼくはなんと言われても仕方ないが、澤村に悪い。あいつは、生粋の女好きだ」
「俺も一応、秦さんに出会うまでは、そうだったんですけどね。というか、秦さんしか――いえ、今は先生を含めて、男は二人しか興味ありませんし、興奮しません」
和彦はわずかに眉をひそめると、中嶋の頬にてのひらを押し当てる。
「……ぼくの知らないところで、アルコールを飲んだのか? 酔っているんじゃ……」
そう言いながら、さりげなく中嶋と距離を取ろうとしたが、そんな和彦の行動は読まれていたようだ。肩に中嶋の手がかかったかと思うと、次の瞬間には、ラグの上にもつれ合うように倒れ込んでいた。
「おい――」
「よかった。今日会っていた人が、先生の元恋人じゃなくて。……秦さんと二人で、ちょっと妬けると話していたんですよ」
覆い被さってきた中嶋の顔を見上げて、和彦はそっと息を吐く。見た目はハンサムな普通の青年である中嶋が、今は〈女〉を感じさせている。自分のことを棚に上げる気はない和彦だが、こう思わずにはいられない。
中嶋は、奇妙な生き物であると。
秦に〈慣らされる〉とは、こういう生き物になることなのだろうかと、ワイシャツのボタンを外されながら和彦は、じっと中嶋を見つめ続ける。
戯れのように唇が軽く重ねられる。そっと目を見開いた和彦だが、胸の奥で種火のように点っていた欲情が、容易には消せない程度に強くなっていることに気づく。
「……大胆だな。キッチンに秦がいるんだろ」
和彦はキッチンのほうに視線を向けるが、この位置から見ることはできない。
「あの人が、これぐらいで動揺すると思いますか? むしろ、嬉々として加わってきますよ」
「それはそれで……困る」
「俺は困りません」
今度はしっかりと中嶋の唇が重なってきて、和彦は喉の奥から小さく声を洩らす。ただ、中嶋を押し退ける気にはなれなかった。この状況で中嶋が、和彦が本気で嫌がることをしないとわかっているからだ。
こうしてキスされて、嫌がっていないのは問題があるとも思うのだが――。
酔ってふざけ合っている感覚で、さほど抵抗なく和彦は中嶋と舌先を触れ合わせる。間近で目が合うと、熱を帯びた中嶋の眼差しに感化されるように、緩やかに舌を絡めていた。
スラックスからワイシャツを引き出され、とうとうすべてのボタンを外される。さすがに止めどきを失いそうで、和彦がわずかな危機感を持った瞬間、声をかけられた。
「――静かだと思ったら、中嶋に襲われていましたか」
いつの間にか傍らに立った秦が、楽しげに顔を綻ばせている。和彦の肩に顔を埋め、中嶋も笑っているようだ。
「そうだ。襲われている最中だから、助けてくれ」
「そのわりには、楽しそうですね。わたしも仲間に入れてほしくなりますよ」
冗談じゃないと即答して、和彦は慌てて中嶋の下から抜け出したが、すかさず背後から抱きつかれ、半ば荷物のように引きずられたかと思うと、ベッドの上に放り出された。
「おいっ――」
背にのしかかってきた中嶋の唇が耳に押し当てられ、和彦は反射的に首をすくめる。中嶋は、本気ではない。和彦を相手にじゃれついているつもりなのだろうが、日ごろ、犬っころのような千尋とつき合っている和彦だからこそわかることがある。じゃれているつもりでも、簡単に本気になってしまうということを。
中嶋の手が胸元に這わされ、和彦は息を詰める。顔を横に向けると、ベッドの端に悠然と腰掛けた秦と目が合った。止めるつもりはないらしい。それどころか、ヌケヌケとこんなことを言った。
「先生は、中嶋と仲がいい。わたしとも、それなりに親密な仲と言える。ただ、わたしたち三人の関係は……となると、まだまだ深める必要があると思うんです。なんといっても先生は、中嶋にとっての教育係でもあるわけですし」
「何、言ってるんだっ……」
「俺の保護者として、先生にもつき合ってもらうということです。――いいことも、悪いことも」
耳に唇を押し当てたまま中嶋が言い、和彦はゾクリと身を震わせる。甘い毒を注ぎ込まれたように、体に力が入らない。いや、そもそも強く抵抗していたわけではないのだ。
マットの端を握る手に、中嶋の手が重なる。そこで、年明けに中嶋から言われた言葉を思い出した。
「……手を握って付き添ってほしいとは言われたが、これだと、ぼくが手を握られていて、立場が逆だ」
「つまり先生は、今この場で、俺と秦さんでセックスしろと言いたいんですね。そして自分は、付き添いをやってもいいと」
あからさまな表現に、一人和彦はうろたえる。そんな和彦の顔を秦が覗き込み、当然のように唇を重ねてきた。
行為そのものより、中嶋の反応が気になった和彦は小さく身じろぐ。すると背後から、中嶋に耳を舐められた。
「うっ……」
たまらず和彦は声を洩らす。ふっと背が軽くなり、中嶋が退いた気配がしたが、すぐに体を仰向けにされる。両手首をしっかりとベッドに押さえつけたのは秦で、和彦の腿の上に馬乗りとなった中嶋は、さっそくベルトを外し始めた。
「やめろっ。君らのことに、ぼくは関係ないだろっ。楽しむなら、二人でやってくれ」
和彦は声を上げながら身を捩ろうとするが、スラックスのファスナーを下ろされたことに気を取られた隙に、再び秦に唇を塞がれた。
しなやかに動く舌が口腔深くまで侵入し、粘膜を舐め回してくる。その一方で中嶋には、スラックスと下着を引き下ろされていた。これが、顔見知り程度の相手なら、和彦はもちろん死ぬ気で抵抗する。ただ、秦と中嶋はそうではない。特殊な情事の相手だ。
「んんっ」
中嶋が胸元に舌を這わせ始め、肌をまさぐる濡れた感触に和彦は呻き声を洩らす。すると、和彦が苦しがっていると思ったのか、秦が唇を離す。咄嗟に大きく息を吸い込んだところで、次に中嶋が唇を重ねてきた。
ふいに、手首を押さえていた秦の手が退く。視界の隅で行動を追うと、今度は中嶋の背後に回り込んだ。何をしているのかと思ったが、中嶋がピクリと体を震わせ、唇を離す。いつの間にか、秦の手が中嶋のスラックスの前を寛げていた。
寸前まで、和彦を組み敷いて楽しんでいる様子だった中嶋だが、すでにもうその余裕はないようだ。到底ヤクザには見えないハンサムな青年の顔に浮かんでいるのは、羞恥の表情だ。それを目にした和彦の中で、少しだけ加虐的な衝動が芽生える。
両手を伸ばし、自分がされたように中嶋のワイシャツのボタンを外してやる。中嶋はちらりと苦笑した。
「……急に先生が、強気になったように思えるんですが……」
「イジメられた分、イジメ返さないとな」
怖いな、と洩らした中嶋のあごを掴み、秦が唇を塞ぐ。熱っぽく唇を吸い、舌を絡め始めた二人を見つめながら和彦は、中嶋の露になった胸元を撫でてから、両足の間をまさぐる。中嶋の欲望を外に引き出したのは秦で、促されるままに和彦は指の輪を作って緩く扱いてやる。
「あっ、あっ」
上擦った声を上げた中嶋が腰を引きそうになるが、秦が耳元で何事か囁くと、目元が妖しい色を帯びる。
次に上擦った声を上げたのは、和彦だった。中嶋が、和彦の欲望を掴んできたからだ。
和彦の愛撫に応じるように、同じ愛撫が施される。秦はそんな二人の痴態を、艶やかな笑みを浮かべて眺めている。
秦の思惑のままに操られていることが悔しいのだが、反面、自分一人ではないという状況は、官能を高めてくれる。とてつもなく淫らなことをしているという背徳感は、とにかく甘いのだ。
再び秦が、中嶋の耳元に何事か囁き、唆す。中嶋も和彦と同じ甘さを味わっているのか、興奮したように舌なめずりをしたあと、和彦に濃厚な口づけを与えてきた。
舌を絡め合いながら、互いの欲望を擦りつけ合う。
「――わたしにも、お裾分けしてもらえますか」
そんなことを言って秦が、まず中嶋と、次に和彦と口づけを交わす。だが、秦が求めてきたのは、それだけではなかった。
和彦と中嶋は同時に声を洩らし、体を震わせる。互いに愛撫し合い、すっかり熱くなって反り返った二人の欲望を、秦が左右それぞれの手で掴んだのだ。そして、濡れた先端を指の腹で擦る。
「あうっ……」
和彦の胸に両手を突き、中嶋が必死に体を支えている。秦の手に触れられると、弱いらしい。和彦は、中嶋よりも柔軟に秦の愛撫に身を委ねながら、両手を伸ばす。しなやかな筋肉に覆われた中嶋の体にてのひらを這わせ、撫でていた。
「贅沢だな、中嶋。わたしだけじゃなく、先生にまで可愛がってもらって」
中嶋は返事の代わりに、唇だけの笑みを見せた。
欲望を扱く秦の手の動きが速くなり、比例するように和彦と中嶋の息遣いも乱れてくる。横になっている分、体勢が楽な和彦は思う様、中嶋の体に触れることができた。揺れる腰を撫で上げて、胸の突起を弄ってやると、中嶋が苦痛とも愉悦とも取れる表情になる。
「先生は意外に、〈雄〉らしい面も持っているんですね」
二人の男を同時に感じさせているとは思えないほど、相変わらず悠然としている秦の指摘に、和彦は艶然と微笑む。
「誰の影響かわからないけど、中嶋くんなら、抱いてみたいと思っている」
「……それは、光栄ですね。俺も、先生を抱いてみたいし、抱かれてみたいですよ」
中嶋の言葉に何を感じたのか、秦は和彦のものへの愛撫を止め、一方で、中嶋のものにより性急な愛撫を加える。
秦が、中嶋の放った精をしっかりとてのひらで受け止め、和彦は、しなだれかかってきた中嶋の体を受け止めてやった。
荒い息をつきながら中嶋が、和彦の欲望に触れてくる。和彦は秦の口づけを受けながら、中嶋の緩やかな愛撫を今度こそ最後まで味わった。
部屋に戻った和彦は、何より先に、帰宅を知らせるメールを賢吾に送る。それからゆっくりと湯に浸かり、やっと人心地がついた。慌しい一日が終わったのだ。
熱いお茶の入ったカップを片手に、リビングのソファに腰掛けた和彦は、改めてほっと息を吐き出す。大きなトラブルもなく澤村と会えたことが、いまさらながら嬉しかった。それに、不自然な形ではあっても、この先も友情を保てそうなことに安堵もしている。
身構えていたほど、悪い一日ではなかった。むしろ、いい一日だった――。
そう思いかけたとき、和彦の脳裏を過ったのは、秦の部屋での出来事だった。
現金なものだが、秦と中嶋の前では、あさましく明け透けな欲望を晒すことに罪悪感も背徳感もあまり感じない。常に男たちの情愛に搦め捕られている和彦にとって、あの二人は安心できる相手と言えた。秦と中嶋は互いを求め合っており、和彦に執着する必要がないからだ。
ずいぶん自惚れの強い考えだなと、和彦はひっそりと苦笑を洩らす。口づけを交わし、肌を擦りつけ合った相手が、自分に執着してくるとは限らないのだ。
そもそも和彦は千尋と知り合うまで、体を重ねる相手とは、割り切ったつき合いしかしてこなかった。一緒にいる間だけ、適度に刺激的で甘い恋人気分を味わい、束縛はせず、深く関わることを避ける。そうやって上手くやってきた。
ここで、ふと昔の記憶が蘇り、和彦は慌ててソファに座り直す。長嶺組の男たちと知り合う以前に、自分が唯一深く関わった相手のことを思い出したのだ。
今となっては、ほろ苦さと甘さが同居する、ただの記憶でしかない。
そう頭では割り切っているものの、なんとなく落ち着かない気分となる。和彦はお茶を一口飲んでから、気を紛らわせるように紙袋を取り上げた。誕生日プレゼントとして贈られたのだから、実家に対する複雑な想いはともかく開けないわけにはいかない。
メッセージカードも添えられていない箱に納まっていたのは、ブランド物の長財布だった。家族の誰が選んだのか知らないが、和彦の好みからすると少し渋いように思える。ただ、物自体はよく、革のしっとりとした感触が手に馴染む。
選んだ人間の気遣いが感じられ、すぐには箱に仕舞う気になれない和彦は、財布を撫で、中を開く。すると、カードポケットにメッセージカードが入っていた。
わざわざこんなところに、と思いながらカードを取り出す。感嘆するほど流麗な字が記されていた。
この瞬間和彦は、甘さと切なさを伴った胸の痛みに襲われる。
もう十年以上経っているというのに、はっきりとこの字を覚えていた。この字を書いた相手の顔は、それ以上に鮮明に。
「どうして――……」
激しく動揺しながらも、カードに書かれた短いメッセージを読む。金曜日の昼に、ある場所で二人きりで会いたいと書かれていた。
カードに、メッセージを書いた人間の名は記されていない。字を見ただけで、和彦にはわかると確信しているように。
和彦は、誰よりも自分のことを理解してくれている男の名を、久しぶりにそっと呟いてみた。
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