と束縛と


- 第2話(1) -


 ガキだ、と和彦は心の中で呟く。
 わかってはいるつもりだったが、予想を超えて千尋はガキだ。しかも、厄介な癇癪を抱えた、二十歳のガキ。
 和彦は露骨に大きなため息をついて、ゆっくりと足を組み替える。ガキの機嫌を取るほど、実は和彦にも心の余裕はなかった。
「――……何が気に食わないんだ、お前は」
 そう問いかけると、正面のソファにあぐらをかいて座った千尋がふいっと顔を背け、ぼそっと答えた。
「何もかも」
「ああ、そうか。ぼくの存在そのものも気に食わないんだな。だったら、こうして向き合っていても時間の無駄だ。帰るぞ」
 ぞんざいな口調で応じた和彦が立ち上がろうとすると、千尋が慌てた様子でテーブルに身を乗り出してくる。
「待ってよっ……。誰もそこまで言ってないだろ」
「話があると言って人を呼び出したのはお前だぞ。用件を早く言え。ぼくは忙しいんだ」
「……組の仕事があるから?」
 子供のようにふてくされていた千尋が、今度は急に頼りない口調となる。
 やっぱりガキだと、また心の中で呟いてから、和彦は足を組み直す。そこに、タイミングがいいのか悪いのか、トレーを手に三田村がリビングに入ってきて、二人の前に新たなコーヒーを出した。
 長嶺組の組長直属で動いているような男に、こんな仕事をさせていいのだろうかとも思ったが、組員たちの詰め所で和彦がキッチンに立つのは許されない。賢吾がどんな説明をしたのか知らないが、長嶺組における和彦の扱いは、かなり破格のものだった。行動をともにしている三田村の存在が名刺代わりになっているらしく、組員たちの態度がいちいち恭しい。
 そんな組員たちの和彦に対する対応を見て、ますます千尋の機嫌が悪くなる。
 一礼した三田村がテーブルから離れようとしたので、和彦は今度こそはと呼び止める。最初のコーヒーを出されたときは、組長に連絡を取らないといけないと言われ、逃げられたのだ。
「――三田村さん、あんたもこの場に残ってくれ」
 すかさず千尋がじろりと三田村を見たが、当の三田村は、相変わらずごっそりと感情をどこかに置き忘れたかのように眉一つ動かさない。きちんとスーツを着込んだ姿は、多少強面ながら、無理をすればビジネスマンに見えなくもない。ただ、全身から発する空気が鋭すぎる。賢吾の、あからさまに見せつけてくる威圧感とはまた違う怖さを秘めていた。
 この男と最悪の対面を果たして一か月近く経つ和彦だが、いまだに声をかけるのに一瞬のためらいを覚える。
「お宅の組長は、自分の息子にどこからどこまで説明したんだ」
「さあ。さすがに俺も、そんな立ち入ったことまでは――」
「三田村に聞かないで、俺に直接聞けよ、先生っ」
 千尋の怒鳴り声が鼓膜に突き刺さり、和彦は顔をしかめる。今朝、突然、携帯電話に連絡が入ったときも、千尋はこうして興奮した様子で怒鳴っていたのだ。せっかく和彦が携帯電話の番号を変えたというのに、三田村経由で聞きだしたらしい。
 余計なことをと思いはしたが、三田村にしてみれば、千尋は組長の大事な一人息子だ。何か頼まれれば、断れるはずもない。
 子供のように癇癪を爆発させ、ときには拗ねたりする千尋と電話で話していても埒が明かないため、結局外で会うことになった。ただ、なんとか二人きりで会う状況に持ち込もうとする千尋を警戒して、三田村に相談してから、長嶺組に関係するこの場所を指定した。組に関することはすべて三田村に聞けと言われているためだ。
 総和会を構成する組の一つである長嶺組の傘下には、さらにいくつもの形態や呼称の異なる組織が存在し、組事務所だけでも何か所もあるのだという。さらに、組員たちが休憩を取ったり、宿泊するための場所もいくつも確保しているのだそうだ。
 和彦たちが今いる古い雑居ビルの一室も、そういう場所らしい。表向きは小さな会社のオフィスとなっているため、出入りする人間も、見た目からは本業をうかがわせない。和彦たちがリビングを借りている間、他の人間たちは営業活動と称して、外出してくれていた。
「……先生が、うちの組に協力してくれることになった、と電話で言われただけだ」
「それだけか」
「それだけだよ。だから、わけがわからないんだ。オヤジは昔から、俺にわかりやすく説明するってことを一度もしたことがない。だから先生に直接聞こうと思った」
 和彦は、千尋に対しては同情を、賢吾に対しては呆れていた。他人の父子関係をどうこう言う気はないが、コミュニケーションに少しばかり問題があるのではないかと思ってしまう。
 もっとも、和彦と賢吾の関係をすべて知られてしまっては、それはそれで面倒なのだが。賢吾はその辺りの説明が億劫で、こちらに丸投げしたのではないかと邪推もできる。
 和彦は乱雑に前髪を掻き上げてから、苦々しく告げた。
「端的に言うなら、お前の父親の説明で間違ってはいない」
「奥歯にものが挟まったような言い方だな。――で、どうして心変わりしたんだ。先生、あからさまに組を怖がってただろ。関わるのも嫌って感じだった」
 今もその気持ちは変わってない。ヤクザと関わるなど心底嫌で仕方ないし、できることならさっさと縁を切ってしまいたい。
 落ち着きなくまた足を組み替えた和彦は、ちらりと三田村を一瞥する。三田村が、こうして千尋と交わす会話を逐次賢吾に報告するのかと思ったら、迂闊なことが言えたものではない。賢吾の意思に逆らうつもりはないため意識する必要もないのだが、やはり反応が気になる。
「……いろいろあったんだ」
「いろいろあって、オヤジに独立させてもらうのか。想像つくと思うけど、ヤクザにそんなことで面倒見てもらうと、あとあとロクな目に遭わないよ」
 生まじめな顔で千尋に言われ、和彦としては笑うしかない。ヤクザの組長の息子で、将来は跡を継ぐと言い切っている青年に、至極もっともな忠告をもらう状況は、もはや冗談にしかなっていない。
 すぐに笑うのに疲れた和彦は、深いため息をつく。
「火遊びの代償は、高くついたということだな。そもそも、火遊びだという自覚すらなかった。気がついたときには、延焼して手遅れだったという感じだ」
 抽象的な和彦の表現に、千尋はきょとんとした顔をする。千尋のその表情に、ここのところずっと荒んでいた気持ちが少し和らぐ。和彦はちらりと笑みを浮かべると、あえてサバサバとした口調で言った。
「とにかくぼくは、長嶺組の世話になることになった。この間の、お前としばらく会わないという言葉は撤回するが、ぼくはクリニックを辞めて、しばらくは開業の準備で忙しいから、あまり遊んでやる時間はないぞ」
「だったら、その準備を俺も手伝う」
「――却下」
「どうしてっ?」
「ぼくの独立開業と、お前は関わりがない。それに、お前にはバイトがあるだろう」
 千尋を冷たく突き放すのには理由がある。千尋が跡目だというのはどうしようもないことだが、できることなら、和彦がどうして賢吾と深く関わることになったのか、その理由を千尋には知らないままでいてほしかった。
 自分が原因だと知ったときの千尋のショックを慮ってというよりも、事実を知った千尋の暴走を恐れているのだ。
 只でさえ厄介な状況が、千尋が絡むとさらに面倒なことになる――という予感。いや、確信めいたものが和彦にはある。なんといっても、あの男の息子だ。
 賢吾にしても三田村にしても、千尋に余計な情報を与えていないということは、つまりはそういう方針なのだ。長嶺組の〈身内〉となってしまった和彦としても、従うほうが楽だった。
「――話し中、すみませんが、そろそろ時間が……」
 恨みがましげな千尋の眼差しを向けられながら、ここで千尋の機嫌を取るべきなのだろうかと考えていると、ふいに三田村の声が割って入る。和彦は反射的に室内を見回し、壁にかけられた時計に目を止めた。
「ああ……、もうこんな時間か」
 千尋には悪いが、助かったと思いながら和彦は立ち上がる。
「先生、どこか行くのっ?」
「さっき言っただろう。ぼくは忙しいんだ。これから人と会う約束がある」
「俺も行く」
 勢いよく立ち上がった千尋を、和彦はじろりと睨んで首を横に振る。
「人と会うと言っただろう。なんで、お前を連れて行かないといけないんだ」
「会っている間、車で待ってる」
 二人きりでいるときは、和彦に甘えて離れたがらない千尋だが、今日は少々様子が違う。和彦の環境が急激に変わったことに、何かしら思うところがあるのかもしれない。だからといって和彦は、千尋を伴って移動する気はなかった。
 なんといってもこのあとは――。
 ある人物のことを考えた途端、和彦の胸の奥で妖しい感覚が蠢く。それが表情に出ないよう気をつけながら、必要以上に冷然とした声で告げた。
「それも却下。遊びに行くわけじゃないんだ」
 和彦が視線を向けると、三田村が言葉を継ぐ。
「不動産屋に、物件のことで打ち合わせに行きます。先生の新しいクリニックをどこに構えるか、早いうちにメドをつけないといけませんから」
 和彦相手には砕けた言葉を使う三田村だが、組長の息子である千尋に対しては、さすがに敬語を使う。もっとも、言葉遣いはどうあれ、素っ気ない印象は変わらない。
 ただ和彦としては、三田村がこんな男だからこそ救われる部分がある。そうでなければ、三田村の存在を認めるたびに、羞恥で苦悶しなければならない。この男には、さまざまな場面を見られているのだ。
「――ということだ。これで、ぼくの今の事情はだいたいわかったか?」
「堅気だった先生が、こちらの世界に片足突っ込んだ、ってことだよね」
 的確な表現だが、非常に複雑な心境にさせられる。和彦が顔をしかめて見せると、今日会ってから初めて、千尋がニッと笑った。
「そんな顔しないでよ。せっかく〈身内〉になれたんだからさ」
「……お前は嬉しいのか?」
「先生を巻き込むのは嫌だったんだけど、こうなったんなら、正直歓迎する」
「現金なガキだ」
 そう言って和彦は、千尋の髪をくしゃくしゃと掻き乱す。まるで犬を撫でるような行為だが、千尋はこうされると喜ぶのだ。現に、首をすくめて楽しそうに笑い声を上げている。
 ただし千尋は、犬っころのように無邪気で無垢な存在ではない。
 三人で玄関に向かい、和彦が靴を履こうとしたとき、ふいに千尋に肩を掴まれて引き寄せられた。
 驚いた和彦が声を上げる前に、素早く千尋が耳元に唇を寄せてくる。
「――先生、オヤジと寝た?」
 熱い息遣いとともに注ぎ込まれた言葉に、全身の血が凍りつきそうになった。和彦が不自然に動きを止めると、先に靴を履いた三田村が、何事かというように顔を覗き込んできた。
「先生?」
「……なんでもない」
 和彦はぎこちなく答えてから、千尋を見る。改めて、千尋は恵まれた容姿を持っているだけの普通の青年ではないのだと思い知らされた。
 簡単に和彦の将来を――現在も変えてしまった男の息子なのだ。そして、そんな男の跡を継ぐ存在でもある。
 千尋は、もう笑ってはいなかった。少し怒ったような顔をして和彦を睨みつけてくると、首の後ろに手をかけてきた。
「千尋っ……」
 ぐいっと引き寄せられ、千尋に唇を塞がれる。目を見開いた和彦は、咄嗟に千尋を押し退けようとしたが、それ以上の力で首の後ろを押さえつけられ、きつく唇を吸われる。
「んっ」
 片腕が腰に回されて、露骨に千尋の下肢が密着してくる。強引に舌を捩じ込まれ、三田村の視線を感じながらも和彦は、口腔に受け入れた。まるで、子供のわがままを許容するように。
 二人は性急に舌を絡め合い、唾液を交わす。そこで和彦は唇を離そうとするが、なかなか千尋は許してくれない。和彦の唇を熱っぽく啄ばみながら、千尋が強い光を放つ目で間近から見据えてくる。
「千尋、本当にもう行かないといけないんだ……」
「俺が先に見つけたのに」
 ぽつりと千尋が洩らし、両腕でしっかりと和彦を抱き締めてくる。目を丸くした和彦だが、反射的に三田村のほうをうかがい見る。この男は、まるで自分の義務だといわんばかりに、和彦と千尋の様子を無表情に見つめていた。
 この状況をどうにかしろと訴えたかったのだが、三田村の様子からそれは期待できないと一瞬で察する。三田村はあくまで冷静な傍観者なのだ。
 和彦は、しがみついてくる千尋の頭を手荒に撫でる。
「千尋、気が済んだか?」
「……やめてよ、そういう言い方。俺がガキみたいじゃん」
「ガキだろ」
 そう答えると、千尋がパッと顔を上げる。和彦は両手で千尋の顔を挟み込み、しっかりと言い聞かせた。
「ぼくの生活も人生も、この何日かで全部変わってしまった。納得も釈然もしてないが、受け入れないと生きていけない。そんなぼくに対して、お前は何をしてくれる? ただ、甘えてくるだけか?」
「先生……」
 ふっと千尋の腕の力が抜け、その間に和彦は体を離して靴を履く。
「お前は、平均的な二十歳に比べたら、甘え好きではあるけど、しっかりしているとは思う。……ぼくがお前より十歳も年上じゃなくて、お前の家庭の事情に関わってなかったら、もっと長く、楽しい関係を続けられたんだろうがな」
 もう一度千尋の頭を撫でてから、和彦は三田村に伴われて玄関を出る。
「千尋さんの扱いに慣れてるんだな」
 エレベーターを待ちながら三田村が口にした感想に、つい苦笑が洩れる。人を猛獣使いのように言うなと思ったのだ。つまり、千尋は猛獣ということになる。
「あの組長がどんな子育てをしたのか知らないが、千尋は可愛いな。ただ、ときどき純粋すぎて怖くなる」
「純粋さは、鋭い凶器になる」
 さらりと三田村が言った言葉の真意を図りかね、和彦は首を傾げる。三田村は階表示を見上げたまま続けた。
「清らかって意味だけじゃないからな、純粋って言葉は」
「……混じり気がないのも、また純粋。そして、千尋が生まれ育った環境は――」
 独り言のように呟いた和彦を、いつの間にか三田村が横目で見ていた。
「気をつけたほうがいい、先生。えらく千尋さんに気に入られているみたいだから」
「怖いこと言うなよ……」
「先生を気に入ってるのは、千尋さんだけじゃないしな」
 和彦が思わず睨みつけると、スッと三田村の視線は逸らされた。些細な仕種に込められた意味を、和彦は嫌になるほど知っていた。どうせもうすぐ、体でも思い知らされるのだ――。




 はあっ、と息を吐き出した和彦は、屈辱と羞恥に身を熱くしながら唇を引き結ぶ。そうしないと、恥知らずな声を上げてしまいそうだった。
「あれだけいろんな条件を見せられると、どの物件にするか目移りするな」
 和彦の状態を知っていながら、それでもあえて、さきほどまでいた不動産屋での話を持ち出す隣の男に腹が立つ。
「……どうせあんたが資金を出すんだから、勝手に決めたらいいだろう」
 和彦が応じると、賢吾は短く声を洩らして笑う。不動産屋でも、誰よりも興味深そうに物件の説明を受けていたのは賢吾だったのだ。その隣で和彦は何度となく、自分はいなくてもよかったではないかと感じていた。
 長嶺組の〈身内〉となってしまった和彦は、それから数日置きに、賢吾に連れ回されている。表向きは、開業する和彦にとって必要な人間を紹介するためとなっているが、実際は、嫌そうについてくる和彦の反応を見たいがためだろう。
 自分は組員ではないし、そもそもヤクザは嫌いだという意思表示も込めて、和彦はあえて賢吾に対してぞんざいな言動を取っているが、賢吾は意に介さない。眉をひそめたことすら一度もない。
 それどころかむしろ、和彦のプライドのささやかな発露を楽しんでいる節すらある。
「あっ、うぅっ……」
 スラックスと下着をわずかに下ろされ外に引き出されたものを、賢吾のごつごつとした手に握られ、思わせぶりに上下に扱かれる。不動産屋を出て移動する車中で、和彦はずっとこうやって賢吾に弄ばれていた。
「実際にクリニックを切り盛りするのはお前だ。客層を考えたら、きれいな表通りで、とはいかないが、それでもいい場所を探してやる。クリニックそのものはこじんまりしているほうがいいな。だが、内装には金をかける。一応、普通の患者もやってくるんだからな」
 リズミカルに動き続ける賢吾の手の中で、和彦のものはとっくに形を変え、先端には透明なしずくを滲ませていた。賢吾の指に拭い取られてから、そのまま先端を擦られ、爪の先を軽く立てられると、ビクビクと腰を震わせて感じてしまう。
 後部座席でこんな戯れをしていても、運転を任されている三田村は背後を気にする素振りは一切見せない。
 そんな三田村を一瞥して薄く笑った賢吾が、和彦の耳元に顔を寄せてきた。
「三田村は気に入ったか? お前につけるなら、こいつしかいないと思ったんだ。有能なだけじゃなく、感情を表に出さないから、お前も遠慮なく、恥ずかしい姿を見せられるだろ。こういう状況でもな」
 ぐっと括れを指の輪で締め付けられ、呻き声を洩らした和彦は賢吾の腕にすがりつく。
「あっ、あっ……」
「教えてやったはずだ。俺にこうされているときは、俺も楽しませろと」
 片手を取られ、賢吾の両足の間に押し当てさせられる。硬い感触を感じ、和彦は目を見開いた。
 賢吾はわざと威圧するように凄みを帯びた表情を浮かべ、低い声でこう言った。
「組長の俺を連れ回しているんだ。駄賃としては、安いものだろ?」
 連れ回しているのはそっちだろうと思ったが、もちろん和彦に反論が許されるはずもない。賢吾を睨みつけると、返事の代わりにスラックスのベルトを緩め始める。いい子だと言いたげに、賢吾が頭を撫でてきた。




 跨がされた賢吾の腿の上で、和彦は腰を揺らす。すると、内奥に挿入された指が蠢き、静かな車内でわざと響かせるように淫靡に湿った音を立てる。
「はっ……、あうぅ」
「いい締まりだな。俺を睨みつけながら、中は発情しまくっているんだから、この落差でわざと煽っているんじゃないかと思えてくる」
 唾液で簡単に湿らされただけの内奥から指が出し入れされ、クチャクチャという音が一際大きくなる。
「そんなわけ、あるかっ……」
「そうか? でも、興奮はしてるだろ」
 腰を引き寄せられ、和彦と賢吾の高ぶった欲望同士がもどかしく擦れ合う。和彦のほうは、この地下駐車場に入ると同時に下肢を剥かれてしまい、賢吾のほうは、スラックスの前を寛げている程度だ。和彦により屈辱を与えて、〈飼い主〉である自分の立場を誇示しているのだ。
 上下関係をはっきりさせたがるのは、ヤクザの特性なのか、この男の持って生まれた性質なのだろうかと思いながら、ワイシャツの前を開かれた和彦は、賢吾の頭を片腕で引き寄せる。
 和彦の胸元をベロリと舐め上げた賢吾に、突起を口腔に含まれる。
「んっ……」
 いきなりきつく突起を吸われ、ズキリと走った痛みに和彦は小さく声を洩らす。同時に、内奥には再び指を挿入され、たまらず締め付けていた。
 スモークフィルムを貼ってあるとはいえ、車中でこんな行為に及ぶのは大胆としかいいようがない。地下駐車場の大きな柱の陰に車を停めてはいるが、ときおり側を車が行き来しているのだ。
 もっとも、賢吾と行為に及ぶときは、大抵こんな感じだ。賢吾は着衣のまま、場所もベッドの上ですらない。
 胸の突起を愛撫されながら和彦は、賢吾の熱くなったものを片手で握り、扱く。
「腰を上げろ」
 さんざん指で内奥を掻き回されてから、賢吾に命じられる。言われるまま和彦は腰を浮かせ、柔らかくなった内奥の入り口と、自分が育てた賢吾の逞しい欲望の位置を手探りで合わせる。その間賢吾は、恥辱に満ちた姿勢を取って、繋がる準備をしている和彦の顔をじっと見つめているだけだ。
「お前は、悔しくてたまらないって顔をしてるときが、一番いいな。この顔が、どんどん蕩けていく様は、見ていてゾクゾクする。ただ痛めつけるのとは違う趣がある」
「……ぼくになんと答えてほしいんだ」
「もっと恥ずかしいことをしてください、とでも言ってみるか?」
 自分のバリトンの威力を知り尽くしているかのように、賢吾が低く囁く。今すぐにでもこの男の上から飛び退きたいのに、できない。
「あうっ」
 慎重に腰を下ろしているつもりでも、逞しい部分で内奥を押し開かれる感覚はたまらない。苦痛が下から這い上がってきて、何度も腰を上げたくなるが、苦しむ和彦の様子を楽しむかのような賢吾の顔を見ていると、持っていても仕方のない意地が頭をもたげる。結局のところ、和彦が意地を張ったところで、賢吾を喜ばせるだけなのだが。
 ようやく一番太い部分までを呑み込み、少し楽になる。賢吾の肩に両手をかけると、その賢吾の両手が尻にかかり、左右に割り開かれる。
「いいぞ。このまま腰を下ろして、お前のケツがひくつきながら、俺のを咥え込んでいくところを、全部三田村に見てもらえ」
 賢吾の言葉にドキリとして、和彦は体を強張らせる。とてもではないが、振り返って運転席を確認することなどできなかった。
 慣れることのない屈辱と羞恥、逞しいものを呑み込んでいく苦しさに喘ぎながらも、和彦はゆっくりと確実に腰を下ろしていく。その間賢吾は、反り返って震える和彦のものをハンカチで包んで扱きながら、胸の突起を執拗に愛撫していた。
「うっ、くぅっ……。あっ、あっ――」
 和彦の内奥と賢吾の欲望が、ようやく深く繋がる。大きく息を吐き出した賢吾が、ニヤリと笑いかけてきた。
「ご褒美をやろうか?」
 そう言って和彦は髪を撫でられ、頭を引き寄せられる。唇に軽くキスされた瞬間、否定できない快美さが背筋を駆け抜けていた。和彦の反応は賢吾にも伝わったらしい。
「物欲しそうに中が動いてるぞ。咥えさせられるだけじゃ嫌なんだろ。突いて、擦り上げてほしいんだよな?」
 緩く腰を動かされ、和彦はそれだけで背をしならせる。小さく喘ぐと、賢吾に唇を啄ばまれ、そのまま二人は差し出した舌を絡め合う。和彦は三田村の存在を意識しつつも、自ら腰を動かし始めていた。
「――……不動産屋に行く前に、あんたの息子とキスしてきた」
 車内の空気がムッとするような熱気に包まれる頃、何度目かの濃厚な口づけを交わしてから和彦が切り出すと、さすがに汗を浮かせた顔で賢吾が笑った。
「だから?」
「父親としての感想を聞きたい」
 ヤクザと関わりたくないから、千尋と縁を切るつもりだった。だが、賢吾との約束はヤクザの論理で反故となり、必然的に和彦がした約束そのものも反故となる。つまり、千尋と再び関わりを持ったところで文句は言われないということだ。この理屈が通るなら。
 予想の範囲内だが、賢吾は怒り狂ったりはしなかった。それどころか、楽しげに目を細めた。
「俺としては、この状況でそんなことを言ったお前の感想が聞きたいな。……興奮するか?」
 腰を掴まれて激しく前後に揺さぶられる。和彦は賢吾の肩にすがりつきながら、掠れた嬌声を上げる。動きが制限された車内での交わりは、もどかしい分、とにかく快感を貪ろうと必死になる。すでにもう和彦は、一度絶頂に達していた。
「あぁっ、あっ……、くうっ……ん」
「またイきそうな声だな。ハンカチがもうドロドロだぞ」
 そう言う賢吾の欲望も、限界が近いことを和彦は感じていた。歯止めを失って声を上げる和彦を、上目遣いに見上げながら賢吾が胸の突起を舐める。それだけで、和彦は二度目の絶頂を迎えていた。
「……いい子だ、先生。さあ、舌を吸わせろ」
 荒い呼吸を繰り返しながら和彦は、賢吾の唇を舐めてから口腔に舌を差し込む。すぐに痛いほど強く吸われた。
 尻を鷲掴まれ、逞しいものが出し入れされる。絡めていた舌を解いて和彦が堪え切れない声を上げると、耳元で賢吾に言われた。
「キスなんて言わずに、今度はここに、千尋にたっぷり出してもらってこい。多分、興奮するぞ。俺以上に、お前が――」
「うあっ……」
 乱暴に腰を突き上げられ、内奥で賢吾のものが力強く脈打つのがわかった。そして、熱い精を注ぎ込まれる感触も。
 繋がったまま二人は、呼吸を整える。そうしながら和彦は心の中で、また賢吾と関係を持ったことへの後悔を味わっていた。逆らえないとはいえ、こうなるたびに自分が泥沼の深みにはまり込んでいくのがわかるのだ。
「――組長、迎えの車が来ました」
 絶妙のタイミングで三田村が声をかけてくる。少しの間、三田村の存在を忘れていた和彦はようやく今の状況を思い出し、動揺する。そんな和彦を見て、賢吾が意味深な笑みをちらりと浮かべた。
 下肢を剥き出しにした挙げ句、汚している和彦を置いて、自分だけさっさと身支度を整えた賢吾が車を降り、隣に並んだ車へと乗り換える。あっという間に走り去る車の音を聞いてから和彦は、まっさきに運転席と助手席のウィンドーを下ろしてもらい、車内の空気を入れ替える。
 気だるく髪を掻き上げたとき、バックミラー越しに三田村と目が合った。
「シートを汚した……」
「あとで俺が片付ける」
「お宅の組長は、ベッドの上ではことに及ばないというポリシーでも持ってるのか」
「……さっきまで本人がいたんだから、聞けばよかっただろう」
 聞けるか、と口中で呟いてから、和彦はのろのろと自分の下肢を簡単に拭ってから、足元に落ちたスラックスと下着を拾い上げる。あとはもう帰るだけなのが、せめてもの救いだ。
「ベッド云々はどうでもいいが――、早くぼくに飽きろと言いたい」
 和彦がこう洩らすと、珍しく物言いたげな目をした三田村と、またバックミラーを通して視線がぶつかる。
 何かと生まじめな返答をくれる男がこのときは黙り込んでしまったので、和彦としては不安を掻き立てられて仕方なかった。









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