と束縛と


- 第2話(3) -


 タクシーに乗っている間、二人はまったく会話を交わさなかった。携帯電話に三田村から連絡が入って和彦が出ようとしたときも、無言のまま素早く取り上げられて、電源を切られたぐらいだ。
 張り詰めた車中の空気は覚えがあった。長嶺組の人間に拉致されて、わけもわからないまま車に乗せられたときと同じだ。一緒にいるのが千尋とはいえ、和彦はひどく緊張していた。
 千尋に限って、手荒なことをするとは思えないが――。
 タクシーは、千尋が住むワンルームマンションの前で停まり、支払いを済ませた千尋に促されるまま和彦はタクシーを降りる。
「そんな怖い顔しないでよ」
 エレベーターを待っていると、ようやく千尋がぽつりと言う。足元に視線を落としていた和彦がハッとして顔を上げると、千尋は困ったように笑っていた。
「俺、ヤクザじゃないんだから、先生を脅したり、痛めつけたりしないよ。ただ、オヤジや組の人間がいない場所で、先生と二人きりになりたいんだ。ちょっと前までみたいに」
 千尋がエントランスを見回してから、照れた仕種で片手を差し出してくる。その手を見つめてから、和彦は小さくため息をついた。
「……行動が突飛すぎるんだ、お前は」
「あのオヤジの息子だからね」
 千尋が冗談で言ったのか、本気で言ったのかはわからないが、笑えないことだけは確かだ。
 着いたエレベーターに人が乗っていないのを確認してから、和彦は気恥ずかしさを押し殺しつつ、千尋の手を握る。二人は手を繋いでエレベーターに乗り込んだ。
 案の定というべきか、千尋の部屋の玄関に足を踏み入れると、鉄製のドアがゆっくりと閉まるのも待てない様子で余裕なく千尋に抱き寄せられた。
「千尋っ……」
「ダメ。俺もう、我慢できないっ」
 有無をいわさず唇を塞がれ、痛いほど強く唇を吸われる。むしゃぶりついてくるような必死のキスに、和彦の脳裏にあることが蘇る。初めて千尋と交わしたキスだ。
 数回一緒に食事して、デートらしきものも経験して、千尋の元気の有り余りっぷりに呆れつつも、いままでつき合ってきた相手にはなかった圧倒されるほどの生気を感じた。千尋と初めて交わしたキスは、その生気をぶつけてくるような激しいものだったのだ。
 熱い舌を口腔に捩じ込まれ、感じやすい粘膜を探られ、舐め回される。いつの間にかドアは閉まり、千尋の勢いに圧されるように和彦は、ドアに背をぶつけていた。
 簡単に体の熱を煽られ、千尋の引き締まった頬に両手をかけると、夢中で互いの唇を吸い合い、荒い息をつきながら舌を絡める。一方で千尋の手は油断なく動き、和彦のジャケットのボタンを外していた。
 ジャケットを脱がされて廊下のほうに投げ捨てられると、今度はワイシャツのボタンを外し始める。和彦も千尋が着ているブルゾンを脱がし、その下に着ているTシャツをたくし上げて、素肌の脇腹を撫で上げた。
「すげー、ゾクゾクする」
 キスの合間に嬉しそうに囁いてきた千尋に、ボタンを外したワイシャツをスラックスから引きずり出され、和彦がしているように脇腹を汗ばんだ手で撫で上げられる。突然千尋が屈み込んだかと思うと、ベロリと胸の中央を舐め上げてきた。
「あうっ」
 すでに興奮で硬く凝っている突起を含まれ、きつく吸い上げられる。一方で千尋の手は忙しく動き、和彦のスラックスのベルトを緩めていた。
「ちひ、ろっ……、ここじゃ――」
「待てないよ、先生」
 和彦のスラックスと下着を引き下ろした千尋が、続いて自分のジーンズの前を寛げる。顔を上げた千尋とまた貪るようなキスを交わしながら、和彦は片手を取られて千尋の熱く滾ったものを握らされる。当然のように千尋も、和彦のものを握り締めてきた。
「はうっ……」
 熱い吐息をこぼしながら、千尋と欲望を高め合う。腰を寄せてきた千尋と高ぶり同士を擦りつけ、もどかしさに思わず和彦が腰を揺らすと、小さく笑い声を洩らした千尋に突然、体の向きを変えさせられた。
 ドアにすがりついた和彦は、スラックスと下着を足首まで下ろされ、腰を突き出す姿勢を取らされる。すぐに千尋の手が前方に回され、高ぶったものを再び握られた。性急に扱かれながら、千尋のもう片方の手に尻を撫でられ、秘裂をまさぐられる。
「あっ」
 唾液で湿らせた指を、強引に内奥に挿入されていた。
「――今日はまだ、オヤジとヤってないんだね」
 耳を唇を押し当てて、千尋に囁かれる。ビクリと体を震わせた和彦は、千尋の愛撫が実は、父親の痕跡を探すためのものだとわかり、なんとか行為をやめさせようと身を捩る。だが、千尋は強引だった。
 ぐいっと内奥で指が曲げられ、浅い部分を強く刺激される。
「ひっ……」
 足から力が抜け、和彦はその場に座り込みそうになったが、今度は高ぶったものをぎゅっと力を込めて握られ、体を強張らせる。
「ダメだよ、先生。しっかり立ってて」
 そう囁いてきた千尋に首筋を舐め上げられてから、もう一度内奥で指が曲げられた。
「すげ……、ぎゅうぎゅう締め付けてくる」
 荒い呼吸を繰り返しながら和彦は、まるで子供のようなひたむきさで繰り返される千尋の淫らな攻めに耐える。なんとか踏ん張ってはいるものの、両足はガクガクと震えていた。
 指が奥深くまで潜り込み、感じやすい粘膜を手荒に擦り上げられる。和彦はドアに体を預けながら息を喘がせる。ここのところ与えられていた賢吾の愛撫とはまったく違う、余裕のない愛撫が、ひどく新鮮に感じられた。
「先生、気持ちいいんだよね? ここもう、涎垂らしてる」
 和彦のうなじを吸い上げてから、千尋が嬉しそうに言う。その千尋のもう片方の手が触れてきたのは、中から強い刺激によって勃ち上がった和彦のものだった。指先で欲望の形をなぞられてから、濡れた先端を擦られる。思わず腰を揺らすと、握り締められて容赦なく扱かれる。
「ああっ、きつ、い……、千尋っ……」
「でも、いいんだよね? 先生の中、さっきから締まりっぱなし。俺の指咥えただけで、もうイきそうになってる」
 内奥で指を蠢かされ、和彦は冷たい鉄製のドアに熱い吐息を吹きかける。
「相変わらず感じやすくて安心した。――オヤジにめちゃくちゃにされてるんじゃないかって、心配してたんだ。俺の知らない先生になって、俺がこんなことしても、反応しないかもって考えたら、早く先生と二人きりになりたくて仕方なかった」
 千尋の熱い体に背後から抱きすくめられながら、耳元では泣きそうな声で訴えられる。そのくせ、愛撫が止まることはない。和彦の気持ちを確かめるために、快感を引きずり出すのに必死なのだ。
 バカで純粋で厄介なガキだと思いつつも、和彦はそんな千尋が嫌いではなかった。尻尾を振って頭を撫でてくれるのを待つような犬っころぶりが、愛しくすらある。
「――……先生、入れるよ」
 内奥から指が引き抜かれ、我慢できないように千尋の高ぶりが擦りつけられてくる。ビクリと背をしならせた和彦は、慌てて制止する。
「バカっ……、こんなところでやめろっ」
「オヤジとなら、車の中でもいいのに?」
 和彦が言葉に詰まると、すかさず千尋のものが内奥に侵入してくる。
「うあっ……」
「先生、正直だね。俺、鎌をかけただけなのに」
 悔しくて唇を噛んだ和彦だが、すぐに堪え切れない声を上げることになる。千尋に腰を掴まれ、生気を漲らせた猛々しい欲望を内奥に突き込まれたからだ。
「ああっ、あっ、あっ、んああっ」
 鉄製のドアとはいえ、こんなに声を上げてしまっては通路にまで響いてしまうとわかってはいるが、あえて和彦に声を上げさせるように、千尋は腰を突き上げてくる。
 痛みと異物感が嵐のように和彦の中を駆け巡り、吐き気すら催しかけたが、欲望を和彦の内奥深くにしっかり埋め込んで吐息を洩らした千尋は、すかさず今度は快感を与えてくる。
 和彦のものを片手で握って素早く扱きながら、胸の突起を弄り始めた千尋が、舌先で耳朶を舐めてきた。
「千尋……」
「先生はペットと遊ぶ感覚だったかもしれないけどさ、俺、けっこう本気で、先生にハマってたんだよ。医者なんてしてる先生みたいにカッコイイ人がさ、年下の俺の下で喘いで、甘やかしてくれて、話をきちんと聞いてくれて。この人には、絶対に俺の家のことは知られたくないと思ったんだ。ずっと先生に相手してほしかったから。組のことを知ったうえで、俺とつき合ってくれるなんて都合いいこと、あるわけないしね」
 内奥に収まった千尋のものがゆっくりと動かされ、粘膜を擦られる。途端に腰から背筋にかけて、ゾクゾクするような疼きが駆け上がってきた。
「あっ……、うぅっ」
「なのに、この状況だろ? 俺の大事な人が、オヤジに取られたんだ。あのオヤジのことだから、どうせ汚い手を使ったんだろうけど、俺と先生を引き離したいだけなら、オヤジはまどろっこしいことはしない。うちの連中を使ってちょっと脅して、うちの縄張りから追い出すぐらいだ。でもそうしなかったどころか、先生にクリニック持たせるってことは、オヤジも先生を気に入ったんだ。利用できるという意味でも」
「……前にも、こんなことが?」
「あるわけないじゃん。初めてだよ。だから俺はショックなんだ」
 千尋のものが引き抜かれ、すぐにまた根元までしっかりと挿入される。圧迫感に呻かされながらも、和彦の内奥はしっかりと千尋のものを包み込み、締め付けていた。
「ショックはショックだけど、先生と会えない間、俺ずっと考えて、気づいたことがあるんだ」
 腰をしっかりと抱えられ、小刻みに内奥を突かれる。この時点で痛みは、肉の愉悦へと完全に姿を変えていた。和彦はドアにすがりつきながら、喘ぎ声を上げる。そんな和彦の耳元に、千尋は甘い毒を含んだ囁きを注ぎ込んだ。
「――俺、本気で先生にハマってる。オヤジにだけ独占なんてさせたくない。先生は最初は、俺のものだったんだから」
 強引なところは父親そっくりだと思った。こちらの意見も求めず、自分のやりたいように振る舞い、それを強要してくる。ただ、千尋のやり方はあまりに子供だ。だから和彦も、本気で抵抗できないのだ。
 本気で抵抗したら、きっと千尋を傷つけてしまう――。
 千尋の動きが速くなり、ただ内奥から熱いものを出し入れされるだけの単調な律動なのに、次第に和彦は快感から、思考がまとまらなくなってくる。
「ああっ、千、尋……、千尋っ」
 和彦がドアに片頬を押し当て、突き上げられる衝撃に耐えていると、通路を走ってくる足音に気づいた。千尋の耳にも届いたらしく、ふと動きが止まる。次の瞬間、千尋は素早くドアチェーンをかけてしまった。
「千尋……?」
「――クリニックを持たせるから、オヤジが先生を気に入ってるってわかったんじゃないんだ。もっと簡単だ。オヤジの、先生に対する執着を知るのは」
 そう言って、千尋が突然、ドアチェーンをした状態でドアを開けた。ドアに体を預けていた和彦はわずかにバランスを崩しかけたが、腰にしっかりと千尋の片腕が巻きついていることもあり、足元が乱れることもなかった。
「お前、何してるっ? 人に見られたら――」
 ドアチェーンの長さの分だけドアが開いてしまい、外の様子が和彦には見える。同時にそれは、通路を走ってきた人間からも、和彦の姿がわずかとはいえ見えるということだ。
 このまま通り過ぎてくれと願ったが、それは最悪な形で裏切られた。
「見つけたっ」
 怒ったような声でそう一言を発した三田村が、ガッと乱暴にドアの端に手をかけ、さらに革靴の先まで突っ込んで、ドアを閉められないようにしてしまう。それからやっと、和彦の状況に気づいたようだった。いつも和彦と賢吾の行為を見守るときのように、顔からスッと感情が消えうせた。
 和彦は激しく動揺しながらも、三田村が立ち去ることを願ったが、三田村の配慮は別の部分に働いた。わずかに開いたドアに体を寄せ、通路から和彦の姿が見えないよう隠してしまう。もし通路を通りかかる人間がいても、ドアチェーンをかけたドア越しに話しているようにしか見えないだろう。
 三田村の視線を感じ、和彦は羞恥で身を焼かれそうになる。している行為は同じでも、賢吾との場面を見られるのとは感覚がまったく違う。
 和彦の動揺を内奥から感じたのか、千尋がゆっくりと腰を突き上げてくる。内奥の奥深くを押し開かれ、ドアにすがりついたまま和彦は喉を反らした。
「くうぅっ……ん」
「いいよ、先生。中がヒクヒクと痙攣してる。これって先生の、もうすぐイクって合図だよね。……三田村に見られると感じる?」
 反り返って快感のしずくを滴らせているものに千尋の手がかかり、あやすように先端を撫でられる。小さく悦びの声を洩らすと、再び内奥深くを突き上げられた。
「――さっきの話の続きだよ。三田村は、オヤジの忠実な犬だ。オヤジが命令すればなんでもする。だからこそ目をかけて側に置いているんだ。そんな三田村を、先生につけているんだから……理由はわかるよね? 先生は、オヤジの大事なお気に入りになったんだよ」
 自分の言葉に興奮したように千尋の律動が速くなり、和彦はドアの隙間から覗く三田村の目を見つめたまま嬌声を上げさせられる。
「あっ、あっ、千尋っ、も、う……、ドアを閉めて、くれ――」
「三田村の仕事を奪ったらダメだよ。その男は、何があっても先生を見守る仕事をオヤジから与えられたんだ。俺が先生に危害でも加えない限り、そうやってただ見守るだけだ」
 これが千尋なりの、父親への反抗であり、執着心の表し方なのかもしれない。
 バカなガキだと思いながらも、和彦は千尋に対して怒りは覚えないのだ。
 和彦は三田村から目を離さないまま、内奥を強く抉られて絶頂に達する。
「うっ、うぅっ、い、い……、あっ、イクぅっ……」
 ふっと一瞬、意識が遠のきかける。それぐらい、よかった。恥知らずな声を上げて、勢いよく精を迸らせる。多分、ドアにも精がかかったはずだ。少し遅れて千尋に背後からきつく抱き締められ、若々しい欲望が内奥でビクビクと脈打ち、熱い精をたっぷりと注ぎ込まれた。
「んっ、んああっ……」
 不快さと快美さを同時に味わい、和彦は鳴かされる。荒い息をつきながら、千尋が耳に唇を押し当ててきた。
「……いっぱい出しちゃった。先生の中、相変わらずよすぎ」
 しっかりと和彦を抱き締めた千尋が次の瞬間には、ふてくされたような声で三田村に言った。
「オヤジに言っておけよ。――先生は、俺がしばらく預かる。あんたの好きにはさせないって」
 三田村は何も言わなかったが、和彦に視線を向けてくる。息を喘がせながら和彦は、小さく頷いて見せた。今の千尋は、三田村の説得になど耳を傾けないと思ったのだ。それどころか、ますます意固地になる可能性がある。
 和彦の意図を察したらしく、三田村はドアとの隙間に差し込んでいた爪先をスッと引いた。
「――先生に傷はつけないでください。うちの組の経営活動に関わる方ですから」
「バカ息子の俺より、よほど価値があるよな、先生は」
 三田村の言葉にそう皮肉で応じた千尋は、片腕で和彦を抱き寄せながらドアを閉めた。




 今の自分は軟禁状態といっていいのだろうかと、テレビのリモコンを手に和彦は首を傾げる。それにしては、あまりに緊迫感がない。
 キッチンに視線を向けると、千尋が楽しそうに夕食の準備をしている。意外なことに、千尋は料理が上手い。何年も一人暮らしをしていながら、目玉焼き程度しか作れない和彦とは大違いの器用さとマメさを持ち合わせているのだ。
「先生、もうすぐできるから」
「ああ……」
 テレビを消した和彦はベッドから下りると、部屋とキッチンを仕切っているカウンターへと移動する。食事はいつも、このカウンターでしているのだ。
「――夕飯を食べたら、ぼくは帰るからな」
 頬杖をつきながら和彦はさりげなく告げる。千尋は、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌な様子できっぱり言った。
「ダメ」
「……殴るぞ、お前」
「どうしても帰ると言うなら、手錠かけて動けなくするよ」
 イタズラっぽく目を輝かせてはいる千尋だが、その目は次の瞬間には、獰猛な光を浮かべても不思議ではない。
 今になって三田村が言っていた言葉を思い出す。
 純粋さは、鋭い凶器になる、と。まさしくその通りだ。千尋は、自分の純粋さを凶器としている。単なるガキにこんな芸当はできない。無邪気なふりをして油断させ、いざというときにはそれを怖さに変えてしまう。千尋はわかって使い分けているのだ。
「それがヤクザのやり方か」
「このやり方で先生がどこにも行かないなら、俺はヤクザ呼ばわりされてもいいよ」
 思いきり顔をしかめた和彦は片手を伸ばすと、千尋の頭を乱暴に撫でる。
「そういう投げ遣りな言い方をするな。……ぼくが気を許したのは、組とかヤクザとか、そういうものを一切匂わせていなかったお前だ」
「……俺、カフェで会ったとき、普通に見えた?」
「普通ではなかったな」
 和彦の答えに、千尋が唇を尖らせる。数時間前、玄関で立ったまま和彦を貪ってきた獣と同一人物とは思えない素直な表情だ。
 和彦はちらりと笑った。
「――嫌になるぐらい目を惹いた。カッコイイくせに、犬っころみたいにキラキラと目を輝かせて、女性客じゃなくて、ぼくのほうに駆け寄ってきて。でかい図体して、可愛かった」
 現金なもので、千尋はあっという間に満面の笑みを浮かべる。だが、直った機嫌はすぐにまた悪くなる。
 千尋が作った夕飯を食べ終えた頃に、千尋の携帯電話が鳴ったのだ。電話に出た千尋は、すぐに目を吊り上げる。
「なんの用だよっ」
 いきなり電話に向かって怒鳴った千尋が、こちらに視線を向けてきた。片付けをしようと思って立ち上がっていた和彦は、ついイスに座り直していた。
「……先生は返さない。なんでもかんでも、自分の思い通りになると思うなよ。俺になんにも言わないで、いきなり取り上げるようなことしやがって。しかも――自分のものにしちまうなんて」
 憎々しげに洩らされた言葉で、電話の相手が千尋の父親――賢吾だとわかった。
 下手に千尋を興奮させるだけなので、余計なことをしないでも らいたいと思った和彦は、そっと息を吐き出す。すると、突然千尋が、携帯電話を差し出してきた。
「なんだ?」
「オヤジが、先生に代われって」
 仕方なく和彦は携帯電話を受け取った。
「何か用か」
『悪いが、しばらくうちのバカ息子の相手をしてやってくれ。相当ストレスが溜まってるみたいだからな。ああ、性欲もか。玄関で派手にヤってたそうだな』
 賢吾に報告するとき、三田村はやはりいつもの無表情だったのだろうと、容易に想像できた。
「……嬉しそうに言うな。腹が立つ」
『俺に似て、なかなかのやんちゃ坊主だから、大目に見てやってくれ』
 わかってはいたが、ロクでもない父親だ。危うく和彦は怒鳴りそうになったが、千尋の眼差しを感じて、ぐっと堪える。この部屋にいて、二人とも興奮しても仕方ない。
『お前に心底懐いているみたいだから、手荒なことはしないと思うが――』
「そこはぼくも安心している。……千尋は見た目はでかいが、甘噛みしか知らない」
 相手をしてくれと言わんばかりに、のっそりと千尋が側にやってきて、和彦の腰に両腕を回してくる。和彦は片手に携帯電話を、もう片方の手で千尋の頭を抱き寄せてやった。
『体がもたないと思ったら、連絡してこい』
 賢吾が低く笑い声を洩らして電話は切られた。忌々しく思いながら和彦も電話を切ると、千尋の髪を手荒くくしゃくしゃと掻き乱してやった。









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