と束縛と


- 第20話(2) -


 長嶺の男たちは、和彦が静かに誕生日を過ごせるよう結託したのかもしれない。
 そう勘繰ってしまうぐらい、誕生日当日の和彦は普段以上に淡々と過ごしていた。――夕方までは。
 まったく予定が入っていなかったため、外で適当に食事を済ませ、さっさと自宅に引きこもろうと考えていた和彦だが、意外な人物と誕生日のディナーを共にすることになった。
 急な仕事に備えて電源を入れておいた携帯電話が震える。慌ててフォークを置いた和彦は、ジャケットのポケットから取り出した携帯電話をテーブルの下で確認する。メールは、無粋とは対極にあるような内容だった。知らず知らずのうちに顔を綻ばせると、向かいの席についている鷹津が不躾な言葉をぶつけてくる。
「お前の男からか?」
 和彦は携帯電話に視線を落としたまま、テーブルの下で遠慮なく、口の悪い男の脛を蹴りつけてやった。
 ささやかな攻撃が効いたのか、次に鷹津が口にしたのは、悪態でも皮肉でもなく、ジンジャーエールのお代わりを頼む言葉だった。
 野獣と一緒に食事しているようだと思いながら和彦は、届いたメールを改めて読み返す。送り主は、中嶋からだった。
 和彦と特別な関係を持っている男たちは、二月十日という日を決して無視しているわけではなく、しっかりと気にかけてくれている。その証拠に、今日は何通かのメールが届いていた。内容はどれも、和彦の誕生日を祝うものだ。
 唯一、メールを送ってこなかった男は、なぜか今、和彦の目の前でステーキにかぶりついている。和彦はその食べっぷりを、半ば感心しつつ眺める。
 今晩の鷹津は不精ひげを剃っているだけでなく、見た目だけはいつもより多少マシだった。
 いままで見たことがない、きちんとプレスされたスーツを着込んでいるのだ。ネクタイもセットで色合いは地味そのものだが、オールバックの髪型や彫りの深い印象的な顔立ちのおかげで、かえってちょうどいいバランスとなっている。少なくとも、高級感漂うレストランにあって悪目立ちはしていない。
 好奇心に負けて、和彦は鷹津に問いかけた。
「――なあ、どうして今晩は、まともな格好をしているんだ?」
 鷹津は皮肉っぽく唇を歪めてから、素っ気なく答える。
「お前にいいものを食わせてもらおうと思って」
 今度は、和彦が唇を歪める番だ。実は鷹津は、夕方になって突然連絡をしてきたかと思うと、美味いものを食わせろと要求してきたのだ。当然、和彦の予定など気にかけてもいない。それどころか、何を差し置いてでも自分の要求に応じるべきだという図々しさを、隠そうともしていなかった。
 適当なファミレスで食事を済ませるつもりだった和彦が、わざわざ高い店に鷹津を伴ってきたのは、ある意味、嫌味のようなものだ。
 誕生日だからと何かを期待することはないのだが、さすがにこの状況はどうなのかと思い、和彦は皮肉を口にする。自慢ではないが、鷹津がどんな種の皮肉を嫌がるかすでに把握していた。
「せっかくマシな格好をしたところで、ヤクザの組長のオンナに食事を集ることぐらいしか、使い道がないのか。ぼくの奢りで、あんたが美味しそうに食べてたと知ったら、組長も喜ぶかもな」
「……蛇のオンナらしく、ねちっこい嫌味が板についてきたな」
 互いに威嚇し合うような視線を交わしたところで、不毛ともいえる会話に早々に区切りをつける。せっかく美味しいものを食べているというのに、胃痛を引き起こしそうだ。
 本当は言うつもりはなかったのだが、グラスの水を飲んだ和彦はさりげなく切り出した。
「今日はぼくの、誕生日なんだ」
 あっさりと受け流されるかと思ったが、鷹津の反応は予想に反するものだった。心底驚いたように目を見開き、じっと和彦の顔を見つめてくる。その後、落ち着きなくイスに座り直し、今度は芝居がかったように顔をしかめた。
「あとで長嶺に鼻先で笑われるのは癪だから、今日は俺の奢りだ」
「へえ。あんたにも見栄ってものがあるのか」
「メシを食ったあと、俺が楽しませてもらうんだから、安いもんだ。――たっぷりサービスしろよ、佐伯」
 鷹津がなんのことを言っているのか、すぐに理解した和彦の頬はわずかに熱くなる。咄嗟に周囲に視線を向けたのは、ヤクザの組長のオンナと悪徳刑事の会話に、誰かが聞き耳を立てているのではないかと心配したからだ。テーブル同士が離れていることもあり、これは単なる杞憂で済んだ。
「……いい。自分の分ぐらい、自分で払う」
 声を低くした和彦をおもしろがるように、鷹津の唇に嫌な笑みが浮かぶ。
「メシは、ついでだ。俺がお前を呼び出すときは、それなりの働きをしたことを報告するためだ。その働きに対して、お前は美味い〈餌〉をくれる。この肉も十分美味いが――」
 テーブルの下で、鷹津の靴先がくるぶしの辺りを軽く突いてくる。和彦はぐっと唇を引き結び、鷹津の靴先を蹴った。
「あんたに仕事を頼んだ覚えはない。働きって、なんのことだ」
「お前に迫っていた、熊みたいにでかい男のことだ。総和会第二遊撃隊の頭だろ」
 眼差しを鋭くした和彦は、鷹津を見据えたまま肉を口に運ぶ。
「名前は、南郷桂(けい)。三十九歳という若さだが、けっこうな修羅場を踏んでいる。元は金城(かねしろ)組の人間だった。金城組は、今も派手にやっているある連合会の一門だったんだが、分派騒動で力を削ぎ落とされ、後ろ盾を失った。そこに手を差し伸べたのが、当時長嶺組組長だった長嶺守光だ。――これはまあ、得々と語るまでもなく、組の事情に詳しい人間に聞けばわかることだ」
「ぼくは別に、個々の組に興味はない」
「賢い奴だよ、お前は。知らないことが身を守る術だと、よく理解している」
 鷹津なりの皮肉かもしれないが、和彦自身、自分のそんな性質をよく自覚していた。この世界で力を持たない人間にとって、小賢しいながらも大事な処世術だ。
 表情を変えない和彦の反応に、鷹津は軽く鼻を鳴らして話を続ける。
「俺が暴力団担当から外れている間に頭角を現した男かと思ったが、どうやら長嶺守光は、南郷にずいぶん昔から目をかけているようだな」
 鷹津が南郷のことを調べたのなら、自分が持っているささやかな情報を隠しても仕方ないと判断し、和彦は頷く。
「……十代の頃から可愛がってもらっていると言っていた。組を紹介してくれて、総和会にも招き入れてくれて……、実の親より面倒を見てくれたとも」
 やっぱり、と鷹津は洩らした。
「三年前に県警を定年退職した男がいるんだ。総和会の幹部と繋がっている、という噂があって、最後まで出世とは無縁な刑事だったが、少なくとも俺より善良だ。その男に会って、知っていることを教えてもらおうとしたが、なかなか口を開かなくて苦労した。いまだに、ヤクザに義理立てしているんだ」
「あんたにとっての『善良』という価値観がどうなっているのか、ぼくには理解できないんだが……」
「細かいことは気にするな」
 鷹津がニヤリと笑ったところで、リゾットが運ばれてくる。和彦は布ナプキンで口元を拭ってから、物騒な会話を交わしていたことを感じさせない自然さで水を飲む。
「その男が言ってたんだ。総和会会長は南郷を、自分の息子の影武者にでもする気じゃないかと勘繰る人間がいたと。その男自身は、会長の隠し子なんじゃないかと疑っていたらしい。つまり、それぐらい側に置いて、目をかけているということだ。何が真実なのか、わかっているのは長嶺守光だけだ」
 和彦は、南郷の姿を思い返す。守光とも賢吾とも、まったく似ている部分のない顔立ちをしていると思うが、世の中には似ていない親子も兄弟もいくらでもいる。
 父親とも兄とも、よく似た部分を持つ和彦にとっては皮肉な話だが。
「十年以上前、南郷は金城組の組員だった頃、長嶺組の組長だった長嶺守光のために汚れ仕事をして、ムショに数年入っていたこともある。長嶺賢吾がヤクザのエリート街道を泥一つ被らず突き進んでいる一方で、南郷は対照的な道を歩んできた。そんなふうに天と地ほど立場がかけ離れていた二人だが、今はどうだ?」
 賢吾は長嶺組組長に、南郷は総和会第二遊撃隊を率いる立場にいる。もう、天と地ほど立場が違うとは誰も思わないだろう。
「長嶺守光は何かを企んでいるのか、それとも、たまたまなのか……」
 他人の好奇心を刺激するような勘繰りをちらつかせ、鷹津がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。鷹津にとってはあくまで他人事なので、あれこれ推測するのはさぞかし楽しいだろう。しかし、和彦はそういうわけにもいかない。険しい目つきで鷹津を見据える。
「――……それを調べるのが、あんたの仕事だろ」
「だが、俺の話はおもしろかっただろ?」
「言っておくが、ぼくはこの程度の話で、餌を与える気はないからな。あんたがしたことといえば、噂話を聞き込みして、南郷の前科をちょっと調べたぐらいだろ」
「簡単に言うな。警察内であれこれ動くには、それなりの危険を冒す必要があるんだ。特に俺は、〈前科〉があるからな。少しでも怪しいと思われたら、今の課からまた叩き出される」
「犯罪組織対策課、だったな」
「少し前まで忙しかったんだが、悪さをしている奴らが急に鳴りをひそめて、捜査が行き詰まった。網にかかるのは、なんの情報も持っていないような、つまらん小物ばかりだ――」
 鷹津の口調からは、歯がゆさや悔しさ、怒りといった感情が感じられず、まるで、与えられた台本を淡々と読んでいるようだ。刑事でありながら、自分が追う事件に対してここまで淡白なのは、何かしら理由があるのかもしれない。悪徳刑事らしい、理由が。
「警察側から情報が漏れたら、組織としてはさぞかし動きやすいだろうな」
 和彦がわかりやすい鎌をかけると、悪びれた様子もなく鷹津は笑った。爽やかさとは対極にあるような凶悪な表情で、ドロドロとした感情の澱が透けて見える目は、いつになく凄みを帯びている。追及してくるなと、和彦を威嚇しているのかもしれない。
「……悪徳刑事」
「ヤクザのオンナにそう言われると、ゾクゾクするほど興奮する」
 そう言って鷹津は、今度はリゾットを流し込むように食べる。
「言っておくがぼくは、南郷という男に興味はないから、情報を持ってこられても困る」
「すると俺は、タダ働きか」
「あんた自身が気になったから調べたんだろ。恩着せがましい言い方をするな」
「だったら俺に、餌を与えるに値する仕事をくれ」
 そんなものはない――。そう言いかけた和彦だが、ふとあることを思い出し、胸の奥がチクリと痛んだ。
「あるのか?」
 和彦の異変を敏感に察知した鷹津が、すかさず問いかけてくる。ぐっと唇を引き結んだ和彦は、リゾットに視線を落としたまま、ぼそぼそと答えた。
「デザートが運ばれてくるまで待ってくれ」
「好きにしろ」
 時間稼ぎのつもりだったが、リゾットを最後まで食べることを早々に諦めた和彦は、コーヒーを啜り始めた鷹津が見ている前で、デザートを運んできてもらう。
 和彦は白桃のシャーベットを一口食べてため息をつくと、鷹津に向けて片手を突き出した。
「……ペンはあるか?」
 鷹津がボールペンを投げて寄越してくる。和彦は、シャーベットの器と一緒に出されたペーパーナプキンにあることを書き込み、まずボールペンを鷹津に返した。
「今からぼくが頼むことは、内密にしてくれ。もちろん、組長にも知らせないでほしい」
「ほお、そりゃ、大事だな」
「組に知られると、相手に迷惑がかかる。約束できないなら、この話はなかったことに」
 口元に薄い笑みを湛えて鷹津が頷き、和彦は少しほっとしながらペーパーナプキンも渡す。
「そこに名前を書いた男を調べてほしい。家族構成や職場での評判。それと、できることなら、佐伯家に出入りしているのかも」
「お前の実家絡みか……。名前と一緒に書いてあるのが、勤め先か? 聞いたことのない会社だ」
「民間シンクタンクだ。ぼくの父親が、部下だった彼を薦めたらしい。もともと、父親がいる省庁の天下り先として有名なところだ。そのコネで斡旋したんだろう」
 ボールペンとペーパーナプキンをポケットに仕舞った鷹津は、テーブルに身を乗り出すようにして、和彦の顔を見つめてくる。そして、核心に切り込んできた。
「それで、この里見という男は、お前にとってのなんなんだ?」
 和彦は舌先で軽く唇を舐めると、低く囁くような声で告げた。
「――ぼくの初めての相手だ」
 この瞬間、鷹津は一切の表情を消した。


 和彦にとって里見は、保護者であり兄であり親友であり――初恋の相手だった。
 里見はさまざまなことを教えてくれたが、最後に教えてくれたのが、恋人としてのつき合い方だった。もちろん、愛し合い方も。だが、恋愛関係にあったとは言えない。矛盾しているかもしれないが、まるで家族のような存在だったのだ。
 高校生だった和彦は、会うたびに里見が教えてくれる行為の一つ一つを、体に刻みつけるように覚えていった。行為で得られる快感だけでなく、佐伯家を裏切っているという事実が、和彦にはたまらなく楽しかったのだ。
「……この時点で里見さんは、一途に恋する相手じゃなくなっていたのかもしれない。外面だけはいい佐伯家の名に泥を塗りつけるために、利用していたのかも……と、大人になってから考えるようになった」
 ベッドに腰掛けた和彦が言葉を選びながらこう言うと、腰にタオルを巻いた姿で鷹津が鼻先で笑った。
「ヤクザに開発される前から、お前は性質が悪かったんだな。高校生にして、エリートの大人の男を手玉に取っていたなんて、怖いガキだ」
「でも、確かに里見さんが好きだった。実家で暮らしているときのいい思い出なんてほとんどないが、ただ、あの人と出会えたことだけは感謝している。そうじゃなかったら、ぼくは――どうなっていただろうな。冷たくて嫌な人間になっていたかもしれない」
「今は嫌な人間じゃないのか?」
 鷹津の刺々しい言葉に、和彦は苦笑で応じる。
「悪徳刑事としては、どう思っているんだ」
「……俺はいままで、屑以下の最低な奴らと会ってきたが、お前はその誰とも違う。唾を吐きかけたくなるほど忌々しくて憎たらしい。ズルくてしたたかな嫌な人間だ」
「蛇蝎の片割れに、そこまで言葉を費やして貶されると、かえって嬉しいな」
 皮肉半分、本音半分でそう洩らすと、和彦はミネラルウォーターのペットボトルに口をつける。このとき首筋を、髪先から落ちた水のしずくが伝い落ちる。シャワーを浴びたあと、よく髪を拭かなかったせいだ。
 鷹津の奢りで食事をしたあと、〈美味い餌〉の前払いを改めて求められ、和彦は拒まなかった。鷹津には、働きに対する報酬だけでなく、里見の件に関して口止め料も払わざるをえなくなったのだ。鷹津をどこまで信用していいかはわからないが、和彦が自分の事情に巻き込めるのはこの男しかいない。
「今になって初めての男を調べさせるということは、会う気なのか?」
「里見さんを使って、佐伯家がぼくのことを調べようとしている。だったらぼくは、里見さんを使って佐伯家の動向を探るだけだ。ただそのためには、あの人がいまだに信頼に値する人間なのか、それが知りたい」
「妙に色気のある目をして、言うことはえげつない奴だ」
「あんたの品性に合わせているんだ」
 もう一度鼻先で笑った鷹津が立ち上がる。
「人に頼み事をしておきながら、よくそんな口が聞けるな」
「――……あんたに餌は与えるんだ。口の聞き方ぐらい大目に見ろ」
 鷹津にきつい眼差しを向けながらそう言い放った和彦は、ペットボトルの水を飲み干す。空になったペットボトルを鷹津が床に放り出し、そのまま和彦はベッドの上に押し倒された。
 のしかかってきた鷹津にバスローブの紐を解かれ、前を開かれる。じっと見下ろしてくる鷹津の眼差しの強さに、堪らず和彦は顔を背けた。鷹津の舌にベロリと首筋を舐め上げられ、嫌悪感に鳥肌が立ちそうになるが、それも一瞬だ。腰からじわじわと疼きが這い上がってくる。
「うっ……」
 胸元に手が這わされ、すでに硬く凝っている突起を指で転がすように刺激されたかと思うと、いきなり鷹津の熱い口腔に含まれた。まるで和彦に聞かせるように濡れた音をさせながら、激しく吸われる。半ば反射的に和彦は鷹津の頭を押し退けようとしたが、それが気に食わなかったのか、突起に歯を立てられた。
 和彦は痛みに身をすくめ、息を詰める。その間に鷹津に強引に両足を開かされ、タオルを落とした腰が割り込まされてきた。押し当てられてきた鷹津のものは、すでに熱く高ぶっている。和彦は片手を取られると、その欲望を握らされた。
「おい、俺を見ろ」
 傲慢に命令され、ずっと顔を背けたままだった和彦は、仕方なく鷹津を見上げる。すかさず唇を塞がれ、噛み付くような口づけを与えられた。和彦の中で、嫌悪感が完全に肉の疼きへと変わった瞬間だった。
 口腔に捻じ込まれた舌に粘膜を舐め回され、たっぷりの唾液を流し込まれる。鷹津らしい粗野で下品な口づけに、和彦は舌を絡めることで応え、微かに喉を鳴らして唾液を飲む。鷹津は恐ろしいほど興奮していた。覆い被さってくる体は熱くなり、筋肉が張り詰めている。力ずくで和彦を犯したいところを、ギリギリで抑えている感じだ。
 鷹津の欲望は、和彦の手の中で力強さを増している。〈これ〉を愛しいとは欠片ほども思わないが――欲しいとは思った。
 このとき自分がどんな表情をしたのか、和彦に自覚はない。ただ、唇を離した鷹津が、瞬きもせず凝視してきた。
「……初めての男相手にも、そんな顔をしたのか?」
「何、言って――」
「物欲しそうな、いやらしいオンナの顔だ。早く突っ込んでくれと言ってる」
「勝手なことを言うなっ」
 和彦が睨みつけても、鷹津は薄ら笑いを浮かべて気にする様子はない。それどころか、いきなり和彦の片足を抱え上げ、高ぶった欲望を内奥の入り口に押し当ててきた。動揺した和彦は慌てて身じろごうとしたが、かまわず鷹津は挿入を開始しようとする。
「やめろっ。いきなりは、つらいんだっ……」
「いきなりじゃねーだろ。バスルームで、たっぷり指で弄ってやっただろ」
 明け透けな鷹津の物言いに和彦は、いまさらながら自分がどんな男を相手にしているのか痛感する。この男の行動は欲望に基づき、少なくとも今、和彦相手に遠慮する必要はないのだ。なんといっても、鷹津に餌を与えると言ったのは、和彦自身だ。
 バスルームで、ソープの滑りを借りて指で解された内奥が、今度は鷹津の逞しいものでこじ開けられる。感じやすい襞と粘膜を強く擦り上げられ、痺れるような痛みと肉の疼きが交互に押し寄せては、和彦を呻かせる。
「うっ……、うっ、うあっ、あっ――」
 指では届かなかった部分すら、鷹津の欲望は容赦なく押し開いていく。和彦は上体を捩るようにして苦痛から逃れようとするが、一方で、鷹津に支配された腰は、突き上げられるたびに淫らに蠢く。その対比を鷹津は楽しんでいるようだった。
「……初めての男は、お前をどこまで開発してくれたんだろうな」
 そんなことを洩らしながら、いつの間にか身を起こした和彦のものを片手に握り、律動に合わせて上下に扱いてくる。
「いっ……、あっ、触る、な」
「こんなに嬉しそうに涎を垂らしておいて、何言ってやがる。――尻がいいのか? ビクビクと痙攣しまくってるぞ」
 両足を抱えられ、内奥深くを抉るように突き上げられる。これ以上なくしっかりと、鷹津と繋がったのだ。
 息を喘がせる和彦の顔を、鷹津が見下ろしてくる。嫌な笑いはその顔にはなく、欲望が滾る目だけが、率直な感情を表しているようだ。
 顔を近づけてきた鷹津に唇を吸われ、思わず吐息をこぼす。体全体で鷹津の重みを、体の内で鷹津の欲望の熱さを感じながら和彦は、差し出した舌を絡め合っていた。貪り合うような口づけを交わしながら、両腕を鷹津の背に回す。
「初めて男と寝たとき、こんなふうに甘えたのか?」
 口づけの合間に鷹津にまた問いかけられる。
「過去はともかく、少なくとも今は、あんたに甘えてなんて、いないだろ」
「そうか?」
 乱暴に腰を突き上げられ、悲鳴を上げた和彦は鷹津の背にしがみつく。
「うあっ、うっ、うっ、んううっ――」
 口ではどれだけ強がろうが、体は鷹津を受け入れ、媚びてさえいた。内奥を抉られ、掻き回されるたびに、逞しい欲望をきつく締め付けてしまう。
 鷹津に唆されて体を引き起こされると、互いに座った姿勢で向き合う。もちろん、繋がったままだ。
 内奥深くでふてぶてしい存在感を示す欲望が、和彦の官能を否応なく引きずり出す。ヒクリと背をしならせて反応すると、鷹津は露骨に腰を動かしてくる。鷹津の肩に掴まりながら和彦は、必死に自分を保とうとしたが、強引に唇を塞がれ、引き出された舌を吸われているうちに乱れていく。
 鷹津の腕の中で掠れた嬌声を上げ、腰を揺らす。和彦のそんな反応に駆り立てられるように、鷹津は内奥を強く突き上げてくる。気がついたときには、和彦のものは精を噴き上げ、鷹津の引き締まった腹部を濡らしていた。一方の鷹津も――。
「お前が尻の中に出されるのが好きなのは、初めての男に仕込まれたからか?」
 露骨すぎる質問に、和彦も同じ露骨さで答えた。鷹津相手に恥じらいはいらないのだ。
「……初めてのとき、こうされるのが好きだと思った」
「仕込まれるまでもない、ってことか。――淫乱」
 和彦は、鷹津の髪を思いきり掴んで引っ張る。唇の端に笑みを刻んだ鷹津は、当然のように報復してきた。
「ああっ」
 ベッドに押し倒され、のしかかってきた鷹津が乱暴に腰を打ち付けてくる。
 吐き出された熱い精に内奥を犯されていた。喉元を反らした和彦は、おぞましいとも、恍惚ともいえる独特の感覚を堪能しながら、ドクッ、ドクッと脈打つ欲望を締め付ける。鷹津は荒い呼吸をつきながら、何度も腰を突き上げてきた。
「――おい」
 鷹津に呼ばれて緩慢な仕草で顔を動かすと、当然のように唇を塞がれた。和彦は、差し込まれた鷹津の舌を吸いながら、背に両腕を回す。
 そうやって口づけを交わしているうちに、鷹津の欲望はいつものように力を取り戻し、再び内から和彦を貪り始めた。


 日付が変わる前にマンションに着いた和彦は、エントランスのロックを解除してから、背後を振り返る。アーチの陰に身を潜めるようにして鷹津が立ち、こちらを見ていた。夜遅くまで和彦を連れ出していた男としては、和彦がマンションに入る姿を見届けないと安心できないらしい。
 嫌な男ではあるが、妙なところで律儀というか、自分の役目をしっかり果たしている。その前提があるからこそ、一時でも和彦を自由に扱えるのだ。
 早く中に入れといわんばかりに鷹津があごをしゃくる。和彦は、表面上は素っ気なく鷹津に背に向けてエントランスに入る。
 鷹津の姿が見えなくなった途端、立ち止まった和彦は大きく息を吐き出す。平気なふりはしていたが、実は足元が少しおぼつかない。激しい行為の余韻を引きずる体はまだ熱く、脱力感がひどい。ホテルの部屋に泊まることも考えたが、誕生日に鷹津と一夜を共にするという事態は、意外なほど抵抗があった。
 誕生日を気にかけてくれた男たちに対する、ささやかな義理立てのつもりだろうかと、自分自身の気持ちを分析しながら、和彦は自嘲の笑みを浮かべる。
 たっぷり快感を貪った反動か、自分を貶めたい心境に駆られていた。
 こういうときはさっさと入浴を済ませ、熱いお茶を飲んでベッドに入るに限る。とにかく体を温めて休みたかった。
 前触れもなく寒気を感じ、身震いしてエレベーターに向かおうとしたとき、携帯電話が鳴る。こんな時間に電話をかけてくる相手は決まっており、和彦はやや緊張しながら電話に出た。
『――誕生日の夜は楽しめたか?』
 耳に届くバリトンが、いつになく皮肉げな響きを帯びているように感じるのは、後ろめたさの表れかもしれない。ちらりとそんなことを考えた和彦は、小さくため息をついた。
「鷹津は、今日がぼくの誕生日なんて知らなかった。危うく、あの男の食事代を奢らされるところだったんだ」
『その口ぶりだと、さすがにメシは奢ってもらったか?』
「あとであんたに笑われるのが癪だからと言って、渋々出してくれた」
『先生というフルコースが食えるなら、安いものだ』
 賢吾の物言いに、意識しないまま和彦の全身は熱くなる。鷹津と食事することは報告してあったが、その後どうなるか、当然のように賢吾は予測していたようだ。和彦としては、報告の手間が省けたと喜ぶ気にもなれない。
「……予定外だった。ぼくは仕事を頼んだつもりはなかったけど、鷹津が勝手に……」
『あの狂犬みたいな男を、上手く手懐けているみたいだな。ただ、手綱はしっかり締めておけよ。なんの拍子で暴走するかわからない。例えば、俺の可愛いオンナに執着するあまり――とかな』
 賢吾の声はあくまで柔らかいが、和彦はそこに怖さを感じる。もしかして怒っているのだろうかと思いはするが、本人に尋ねる勇気は持っていない。
『それで鷹津は、先生のためにどんな仕事をしたんだ』
 咄嗟に頭の中が真っ白になった和彦は、ぎこちなくエレベーター前まで移動する。その間に呼吸を整えた。
「南郷さんのことを調べた。……鷹津本人が気になっていたみたいだ。あちこちで話を聞いて、前科についても調べたと」
『それだけか?』
 口が裂けても、里見のことを調べるよう頼んだとは言えない。和彦は感情の揺れを読まれないよう、短く答えた。
「ああ」
『俺に聞けば済むことをわざわざ調べて、恩着せがましく先生に集るなんざ、ロクな男じゃねーな』
「蛇蝎同士、鷹津もあんたのことをそう思ってるだろうな」
 鷹津は、賢吾が本音で南郷について語るとは思っていないからこそ、調べたのだろう。和彦にしても、南郷の存在をどう感じているか、賢吾本人には尋ねにくい。
 ここでエントランスの扉が開き、和彦の護衛兼運転手を務める組員が姿を見せた。今日は鷹津に呼ばれたこともあり、レストラン前で別れたのだ。
 驚いた和彦が声を洩らすと、すかさず賢吾が応じた。
『迎えが来たか?』
「えっ……、ああ」
『先生が戻ってくるまで、マンション近くに待機させていた。せっかくのバースデーディナーを邪魔しちゃ悪いと、こちらも少しは気をつかったんだ』
「……大層な言われ方をするほど、ロマンティックなものじゃなかったんだが……。それで――」
『仕事が入った』
 和彦は反射的に背筋を伸ばすと、表情を引き締めた。
 組員に促されてマンションを出ながら、詳しいことを賢吾に尋ねる。
「症状は?」
『先生なら、酔っ払っていても手当てできる程度だ。頭を刃物で切られて出血が多いのは厄介だがな。それより厄介なのは、怪我したのが、ワケありの外国人ってことだ』
 長嶺組や総和会が回してくる患者は、診察内容は違えど、皆〈厄介〉の一言で括れる。いまさら言われるまでもないと、和彦は軽く受け流す。
「ぼくは今夜は飲んでない。――患者をどこに運んだんだ」
『もうクリニックに向かわせた。夜間スタッフも呼び出しておいたから、先生が到着次第、非常階段から運ばせる』
 わかったと短く答えて、電話を切る。組員が後部座席のドアを開け、和彦は身を滑り込ませるようにして車に乗り込んだ。


 血まみれのガーゼやタオルを入れたゴミ袋を組員に手渡すと、処置室や廊下を這うようにして血が一滴でも落ちていないか慎重に確認する。念入りに雑巾で拭いたうえで、モップまでかけたのだが、ここまで徹底しないと落ち着かない。
 なんといっても、あとほんの数時間後には、昼間勤務のスタッフたちが出勤してくるのだ。流血沙汰の痕跡は完全に消しておかなければならない。
 クリニックで患者を診ると、機材が揃っていて治療が楽な分、片付けに気をつかう。
 ようやく立ち上がった和彦は、大きく息を吐き出して腰を叩く。すでにもう、体力が限界を迎えつつあった。
 通訳を介しながら外国人患者相手に治療手順を説明してから、レントゲンを撮り、局所麻酔のあとに傷を洗い、皮膚を縫い合わせるという一通りのことをこなしたが、大変なのは、むしろそのあとだった。患者が貧血を起こし、大きな体で卒倒したのだ。さんざんアルコール臭い息を吐いていたが、どうやらようやく酔いが醒め、現状を認識したらしい。
 患者をベッドで休ませている間に、和彦やスタッフはクリニックを片付け、組員は慌しくスケジュールの変更を電話で告げていた。
 幸いにも、患者は三十分ほどで目を覚まし、自分の足でしっかりと立ち上がった。
 まるで儀式のように、組員たちは律儀に和彦に頭を下げ、礼を言う。力ない声でそれに応じた和彦は、非常口から来訪者とスタッフを見送った。
 ここで、ずっと和彦の傍らに控えていた護衛の組員が口を開く。
「先生も疲れたでしょう。すぐにお送りします」
「そうだな……」
 和彦は緩慢な動作で腕時計に視線を落とす。疲れ果ててはいても、簡単な計算ぐらいはできる。今からマンションに戻ったところで、横になれるのはわずかな時間だろう。
 とにかくすぐにでも横になりたかったため、和彦が結論を出すのは早かった。
「――……今日はもう、このままクリニックに泊まる。そのための仮眠室だし。だからもう、君は引き上げていいよ」
「しかし、夜のクリニックに先生一人を残すわけには……」
「平気だ。ここはセキュリティーシステムも入れてあるし、仮眠室のドアはしっかり中から鍵をかける。組長には、ぼくからあとで説明しておく――」
 ここで和彦は、たまらずあくびを洩らす。話すのもつらくなってきたと察してくれたのか、組員は一礼したあと、気をつけるよう何度も和彦に念を押して帰っていった。
 一人となった和彦は、給湯室でお湯を沸かす間に玄関の施錠を確認し、防犯システムを作動させる。
 熱いお茶の入ったカップを手に仮眠室に入ったとき、すでに和彦はふらふらの状態だった。ベッドの傍らの小さなテーブルにカップを置くと、スウェットの上下に着替える。仮眠室はひどく寒いが、スタッフの休憩室からヒーターを持ってくるだけの体力も気力も、もう和彦には残っていなかった。
「……なんだか忙しい日だったな……」
 ぐったりとベッドに腰掛けて呟く。誕生日だからこそ淡々と過ごすつもりで、前半はまったくその通りだったが、気がつけば、鷹津に夕食を奢らせたあとに体を重ね、賢吾からの電話に緊張して、組からの仕事を無難にこなして――クリニックで一人きりだ。
 だが、寂しくも空しくもなかった。
 お茶を半分ほど飲み、体がほんのりと温まったところで和彦はベッドに潜り込む。起床時間にアラームをセットした携帯電話を枕の傍らに置いてやっと、いつでも意識を手放せる状態になる。
 和彦としてはすぐに眠りたかったが、ゾクゾクするような寒気に身震いしているうちに、つい〈余計〉なことを考えてしまう。
 数時間前までは、鷹津の熱い体に組み敷かれ、熱い欲望を体の内に穿たれていたのだ。
 この瞬間、和彦の背筋を駆け抜けたのは寒気ではなく、強い疼きだった。どれだけ疲れていても、体は快感を恋しがっている。
 和彦はモソリと身じろぐと、羞恥と後ろめたさに苛まれながら、布団に顔を埋めた。









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