ダイニングでお茶を飲む和彦を見るなり、賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。何か企んでいると思わせるには十分な表情で、和彦は露骨に警戒して見せた。
「すっかり顔色がよくなったな」
和彦の隣のイスに腰掛けた賢吾が、テーブルの上の食器にちらりと視線を向けたあと、身を乗り出すようにして顔を覗き込んでくる。湯のみを置いた和彦は小さく頷いた。
「熱さえ下がったら、あとは楽になった。咳も出ないし、食欲も戻ったし。……熱のおかげで、ゆっくり休めた」
ちょうど今は、遅めの朝食をとり終えたところだ。土曜日は一日中布団の中で過ごして、お粥とヨーグルトばかり胃に流し込んでいた。日曜日になってようやく動き回れるようになり、食事も通常のものに戻してもらったが、胃腸も問題ないようだ。
「そりゃよかった。ただ、寝込んだときぐらい、もう少しわがままを言ってもらいたかったがな」
「あんたは何もしてないだろ。面倒をみてくれたのは、ここの組員たちだ」
「なんだ。俺に看病してほしかったのか?」
ヌケヌケと言う賢吾を、和彦は横目で睨みつける。そんな二人のやり取りがおかしいのか、空いた食器を片付ける組員は笑っている。
「……とにかく、体調はもう大丈夫だ」
「本当か? 遠慮はするなよ」
やけに強く念を押され、気圧されながらも和彦はしっかりと頷く。
「遠慮はしてない。本当に元気になった」
昼前にはマンションに戻りたい、と言葉を続けたかったが、突然賢吾が片手を伸ばしてきたため、そちらに気を取られる。何事かと身構えると、大きな手が頬に押し当てられた。
「確かに……熱は下がったみたいだ」
「そう言ってる――」
「だったらこれから、出かけられるな」
目を丸くする和彦に対して、畳み掛けるように賢吾は続ける。
「出かけると言っても、ただ車で移動して、行った先で突っ立ってりゃいい。病み上がりの体でも、そう負担にならないはずだ」
「……行くって、どこに……?」
「行けばわかる」
賢吾の口ぶりからして、和彦が断ったところで、担ぎ上げてでも連れて行く気なのだろう。つまり和彦には最初から、選択肢はないということだ。
長嶺の男にさんざん振り回されている身としては、いきなり連れ出されないだけマシなのかもしれないと考えてしまう。
和彦はため息交じりに言った。
「――……金曜日からシャワーも浴びてないんだ。どこでも行くから、少し待ってくれ」
賢吾はニヤリと笑うと、指を三本立てた。
「三十分待ってやる。俺は早く出かけたくてウズウズしているから、急げよ、先生」
文句を言う時間も惜しくて、和彦は着替えを取りに慌しく客間へと向かった。
和彦がウィンドーの外を流れる景色を眺めていると、ふいに髪に触れられる。隣を見ると、賢吾がやけに真剣な顔をして問いかけてきた。
「先生、寒くないか?」
寒いどころか、車内は暑いほど暖房が効いている。和彦が頷くと、賢吾は髪先を軽く引っ張ってきた。
「少しでも肌寒いと思ったら言えよ。湯冷めしたら大変だからな」
そんな気遣いをしてくれるぐらいなら、もう少しゆっくりと入浴させてもらったほうがありがたかった――。
口に出しては言えないが、心の中でひっそりと和彦は呟く。
賢吾から与えられた三十分の間に、急いでシャワーを浴びて出て、髪を乾かし、スーツを着込んだのだ。湯冷めするにしても、そもそも体が温まる暇がなかった。
「用が済んで帰ったら、じっくり風呂に入り直せばいい。せっかくだから、今日も本宅に泊まって、明日直接、クリニックに向かったらどうだ」
「……しっかり面倒見てもらうからな」
和彦の返事に満足そうに口元を緩め、賢吾の指がスッと頬を撫でてくる。背筋にゾクリと甘い疼きが駆け抜け、和彦はそっと息を詰めた。
何事もなかったふりをして、再びウィンドーのほうに顔を向ける。すると、賢吾も同じものを見ているのか、こんなことを言った。
「梅の花が、ぽつぽつと開き始めたな」
賢吾の言うとおり、通り沿いに植えられた梅の木が、満開には程遠いが花をつけ始めつつある。
「昔は、本宅の庭にも梅の木を植えていたんだが、根っこが腐っちまってな。……ヤクザの家で花なんて咲かせたくないと、梅の木が思ったのかもしれねーな」
和彦は肩越しにちらりと賢吾を振り返る。
「ロマンチストみたいなことを言うんだな……」
「俺は、ロマンチストだぜ。知らなかったか?」
和彦が苦虫を噛み潰したような顔をすると、賢吾は声を上げて笑う。
そんな他愛ない会話を交わしながらも和彦は、自分は一体どこに連れて行かれるのか気になって仕方ない。ちらちらと賢吾の様子をうかがっていると、ようやく前方を指で示された。
「――あそこだ、先生」
あそこ、と言われても和彦にはわからない。車がすれ違うのもやっとの通りの左右には、住宅や商店が並んでいるのだ。
車は狭い駐車場に入り、降りた和彦は辺りを見回す。古い建物が多いなと思っていると、賢吾に呼ばれてあとをついていく。どうやら護衛の組員は車に待機させておくようだ。
和彦が物言いたげな眼差しを向けると、賢吾は軽くあごをしゃくった。
「店は目の前だ。それに、これから優雅な気分を味わおうってのに、護衛をつけてたら不粋だろ」
「……優雅?」
「いい品を揃えてある店だからな。目が肥えるぞ」
そう言って賢吾が、駐車場前の店の扉を開ける。〈準備中〉の札が表になっているのもお構いなしだ。
電気がついている店の中を覗き込んだ和彦は目を見開くと同時に、かつて賢吾に言われた言葉を思い出した。
「春には、着物の着付けができるようになってもらうって言ってたが、もしかして――……」
「着付けをするためには、まずは肝心の着物がないとな」
賢吾に肩を押され、店に足を踏み入れる。さほど広くない店内には、数え切れないほどの反物が並んでいた。艶やかなものから、渋い色合いのものまで、さまざまだ。
「ここは、長嶺の人間がずっと贔屓にしている呉服屋だ。今日は昼まで、貸切にさせてもらった。人目を気にせず、じっくりと選びたかったからな」
促されるまま靴を脱ぎ、畳敷きのスペースに上がる。物珍しさはあるが、高価そうな反物に迂闊に近づけず離れて眺めていると、着物姿の初老の男性が奥から出てきて、親しげに賢吾と言葉を交わす。風情や会話の内容からして、この呉服屋の主人のようだ。
会釈した和彦を、その主人が頭の先から爪先までじっくりと見つめたかと思うと、反物を選び始める。
「すごい色男さんだとうかがって、こちらも気合いを入れて、反物を仕入れておきましたよ。賢吾さんがお好きそうな色目のものから、若い方向きのちょっと粋なデザインまで」
「おう。これからちょくちょく世話になると思うから、よさそうなものがあったら取っておいてくれ。こうして、その色男も連れてきたしな」
「上背もおありになるし、姿勢もよろしい方なので、着物が映えますよ。――まずは、この反物から見てみましょうか」
所在なく立ち尽くして、二人の会話を聞いていた和彦だが、賢吾に手を取られて姿見の前に立たされる。ジャケットを脱ぐよう言われてその通りにすると、主人が反物を広げ、和彦の肩にかけてきた。
賢吾は傍らに立ち、その様子を見守っている。和彦は助けを求める眼差しを送るが、澄ました顔でこう言われた。
「先生は、そうやって突っ立っていればいい。俺と主人が、いいのを選んでやる」
このとき自分がどんな表情を浮かべたのか、否応なく和彦は知ることになる。姿見に、苦笑する和彦自身が映っているのだ。ただ、どことなく嬉しそうにも見える。こういう初体験は、多少気恥ずかしくはあるが、歓迎すべきことなのだろう。
「……ぼくはよくわからないから、任せる」
「なんだったら、目を閉じていてもいいぞ」
賢吾らしい冗談にちらりと笑みをこぼしてから、和彦は着せ替え人形に徹することにした。
主人が反物を和彦の体に合わせながら、賢吾に話しかける。
「千尋さんもそろそろ、新しい着物はいかがですか。確か、前に仕立てられたときは、高校生のときだったでしょう」
姿見に映る和彦の姿を熱心に見つめていた賢吾が、微かに笑みを見せる。
「本当は、二十歳の誕生日に合わせて仕立てるつもりだったんだ。だけど肝心の千尋が、本宅に寄り付かなかったからな。まあ、これからは、必要があればいつでもここに連れて来られるだろう。なんといっても、この色男がいることだし。あいつは、先生の言うことなら素直に聞く」
鏡を通して意味ありげな眼差しを寄越され、和彦は賢吾を軽く睨みつける。余計なことを言うなと牽制したつもりだが、澄ました表情で返される。
反物に合わせて、裏地や長襦袢、帯から小物などを賢吾と主人が選ぶ間に、和彦は他の従業員に採寸をしてもらう。
既製品ではなく、上等な反物を使ってオーダーするとなると、料金はかなりのものだろう。しかも、一揃えだ。
賢吾は、和彦に――〈オンナ〉に金を注ぎ込むことを楽しんでいる。決して、金で和彦を縛りつけようとはしていないのだ。ただ、事情を知らない他人からは、ヤクザの組長が、男の愛人に贅沢をさせていると捉えられるだろう。
和彦なりに、金で買われているわけではないとささやかな矜持は保っているつもりだが、大きな声で主張するのははばかられる。現状を見れば、和彦の主張は分が悪すぎる。
いまさら、ともいうべきことを考え込んでいると、ふと顔を上げた賢吾がこちらを見る。一瞬何かを探るような鋭い目つきとなったが、すぐに表情を和らげた。
「先生、せっかく呉服屋に来てるんだ。着物を着てみるか?」
即座に和彦の頭に浮かんだのは、千尋の母親のものだったという長襦袢に袖を通したときのことだ。その姿で賢吾と及んだ行為が鮮明に蘇り、密かにうろたえる。
口ごもる和彦に対して、賢吾は容赦ない。
「その衝立の向こうで着付けてもらえ。しっかり見ておけよ。近いうちに、先生が自分で着ることになるからな」
ここまで言われて、拒むことは不可能だった。
着物の出来上がりは一か月後で、ちょうど春らしくなってくる頃だ。抜け目ない賢吾らしく、和彦の誕生日プレゼントに何を贈るか、早いうちから計画を立てていたのだろう。賢吾と、呉服屋の主人が交わしている会話を聞いていれば、それぐらい推測できる。
ふっと息を吐き出した和彦に、正面に腰掛けた賢吾が話しかけてきた。
「――疲れたか、先生」
和彦は目を丸くしてから、首を横に振る。向き合って座り、さりげなく言葉をかけられただけなのに、知らず知らずのうちに頬の辺りが熱くなってくる。これが二人きりであればまったく平気なのだが、そうではない。
カップに口をつけつつ和彦は、視線を周囲に向ける。店に入ったときはいくつか空いていたテーブルも、あっという間に埋まり、すでに満席だ。皆それぞれ自分たちの時間を過ごしているが、やはり会話の声はかなり抑え気味になる。
なんといっても和彦の正面に座っているのは、この場にいる誰よりも物騒な男なのだ。存在感だけでも、嫌になるほど悪目立ちしている。さきほどから人に見られているようで、賢吾の些細な言動に過剰に反応してしまう。
昼間のコーヒーショップで、ヤクザの組長とのんびりコーヒーを飲むというのも、なんだか妙な感じだ。こういうことは初めてではないが、頻繁でもない。
賢吾の立場では、目についた場所に気軽に立ち寄るだけで、危険に遭遇する可能性が高くなる。それを承知で、呉服屋の帰りにこうして寄り道をしてくれた理由は、一つしか思い当たらない。
「そう……、気をつかってもらわなくても、平気だ。たまたま疲れも重なって熱は出したが、体は丈夫なほうなんだ」
和彦がぼそぼそと応じると、賢吾は唇の端をわずかに動かす。
「体は丈夫でも、精神はガラス細工のように繊細だろう」
「……鳥肌が立つような表現はやめてくれ」
「最近は塞ぎ込むこともなくなったが、いろいろあって溜まったストレスが、こういう形で噴き出したんじゃないかと、俺なりに心配しているんだ」
賢吾の言葉が素直に胸に入り込み、くすぐったい。和彦は改めて、正面に座っている男をじっと見つめる。
明るい店内にあって賢吾は、独特の雰囲気を放つ極上な男にしか見えない。そんな男が、背に何を宿しているか、この場で知っているのは和彦しかいないのだ。
敵を探るために慎重に身を潜めながら、臆病さから程遠い獰猛さを持つ、冷たい生き物――大蛇を身の内にも棲まわせているくせに、賢吾は優しい。残酷さと隣り合わせの優しさだと、和彦は思っている。
困ったことに、賢吾から優しくされるのは、嫌いではない。
こちらを真っ直ぐ見据えてくる賢吾の眼差しに気づき、和彦は目を伏せる。
「――……着物、ありがとう。ああいう店に行ったのも、初めてなんだ」
「先生の照れた顔を、布団の上以外であれだけ拝めたことを思えば、安いもんだ」
場所が場所でなければ、賢吾の口を手で覆ってしまいたい。それができないのは、どうしても人目が気になるからだ。隣のテーブルの青年から向けられた視線が、なんとなく肌に突き刺さる。
「ぼくを気遣う気持ちがあるなら、同じぐらい、デリカシーも持ってほしいもんだな」
「下品な男は嫌いか?」
「嫌いだ」
「だったら俺は、先生から嫌われることはないな」
図々しい、と心の中で呟いて、和彦はコーヒーを飲み干す。待っていたようなタイミングで、賢吾が和彦のカップを取り上げて立ち上がった。
半ば逃げるようにコーヒーショップをあとにすると、駐車場で待機している車に乗り込む。
気分転換というにはもったいないような経験ができ、鬱屈した気分はかなり紛れた。発熱で寝込んだことは、別にいいのだ。ただ、寝込んでいる間に、自分がどれだけの問題を抱えているのか、和彦は夢の中でずっと直視していた気がする。そして、肩にのしかかる現実の重みに、熱を帯びたため息を洩らすのだ。
守光と電話で話している様子を、傍らにいた三田村にずっと見られていた。そのことも、漠然とした不安とともに和彦は引きずっていた。
複数の男たちとの奔放とも言える関係を、三田村は受け止めてくれている。だが、総和会会長という肩書きを持つ守光との特殊な関係だけは、奇妙な言い方だが、三田村に受け止めてもらいたくなかった。従順な〈犬〉らしく無表情で沈黙され、和彦は何も説明できなかったのだ。
和彦自身、自分のこの複雑な心理をどう表現していいのかわからない。とにかく、目の前にいない守光と話しながら、三田村と同じ部屋にいることが、居たたまれなかった。
「――どの男のことを考えている」
唐突に賢吾に話しかけられ、和彦は激しく動揺する。そんな和彦の反応を、大蛇が潜んでいる目が冷静に見つめていた。
「誰、も……」
「そこで、俺のことだと言わないあたりが、先生らしいな」
「……ぼくに、そんな可愛げのあるウソが言えるはずないだろ」
「先生の場合、憎まれ口すら可愛げがあるから、大丈夫じゃないか」
ようやく平静を取り戻した和彦は、苦々しく唇を歪める。
「そんなこと言うのは、あんたぐらいだ」
「俺ほど、先生に憎まれ口を叩かれている人間はいないだろうからな。俺にそんな口を聞けるのは、今じゃもう、千尋か先生ぐらいしかいないから、貴重だ」
賢吾の口調には、微妙なほろ苦さと優しさが入り混じっているように聞こえた。
なんと言えばいいかわからず和彦が戸惑うと、寸前の会話など忘れたように賢吾が片手を伸ばし、頬や首筋に触れてきた。
「少し熱い。熱がぶり返してないか?」
自覚がなかった和彦は、慌てて自分の額に触れる。
「いや、そんなはずは……」
「自分が高熱を出しているかどうか、へたり込むまで気づかなかった先生が言っても、説得力がない」
言外に頼りないと言われているようで、ムッとした和彦はすかさず反撃した。
「ぼくは、内科は専門外だ」
「医者じゃない人間でも、自分が体調が悪いかどうかぐらい、わかるだろ。先生は、自分のことに無頓着なだけだ。いや……、不精というべきか?」
「……好きに言ってくれ」
普段でも賢吾に口で勝てることは滅多にないのだ。体調が万全でない今、賢吾相手にムキになるのは、まさに体力の無駄だ。
和彦は口をへの字にしたまま、まだ首に触れている賢吾の手を押し退けようとしたが、反対に引き寄せられ、耳元で囁かれた。
「熱が出ているかどうか、帰ったら俺が確かめてやる。――じっくりと」
その言葉の意味を深読みして、もう何も言えなくなる。
本宅に戻って玄関で靴を脱ぐなり、賢吾に腕を掴まれた。半ば強引に廊下を歩かされながら和彦は、本当に熱がぶり返したのかもしれないと心配になる。腕を掴む賢吾の手の感触を意識するだけで、顔が熱くなってくるのだ。
「あの――」
少し休ませてくれないかと言いかけたとき、ダイニングから飛び出してきた人物がいた。千尋だ。
朝、和彦が寝ている客間にスーツ姿で顔を出し、仕事で出かけると話していたが、もう片付いたらしい。すでにラフな格好をしている。
千尋は不機嫌さを隠そうともせず、賢吾にこう言い放った。
「俺、昼には帰ってくるって言っておいたのに、何勝手に先生を連れ出してるんだよ、クソオヤジ」
「キャンキャン吠えるな。こうして戻ってきただろ」
素っ気なく返した賢吾を睨みつけた千尋は、和彦に対しては甘ったれな犬っころのような眼差しを向けてくる。片腕を賢吾に掴まれたまま和彦は、もう片方の手を伸ばす。すぐに千尋が駆け寄ってきた。
わざと息子を煽る意地の悪い父親に代わり、和彦が説明してやる。
「ぼくへの誕生日プレゼントとして、着物を仕立ててくれるそうなんだ。それで呉服屋に出かけていた」
「……先生って、オヤジからだと高いプレゼントを受け取るんだ……」
「不可抗力だっ。店に行くまで、ぼくは何も知らされてなかったんだからな」
二人のやり取りに、賢吾がこんな茶々を入れてきた。
「モテる〈オンナ〉は大変だな。こっちの男を立てたら、あっちの男も立てなきゃいけねーし」
和彦は賢吾を睨みつけ、さりげなく客間のほうに逃げようとしたが、それを許すほど、長嶺の男二人は甘くはなかった。
日曜日の昼間から、浴衣に着替えて布団に横になるのは、なんとなく時間を無駄につかっているようでもあり、同時に、贅沢なようにも思えてくる。
天井を見上げながら和彦は吐息を洩らす。すると呼応するように、隣からさらに深い息遣いが聞こえてくる。正確には、寝息だ。
和彦は体ごと向きを変え、隣を見る。障子を通した柔らかな陽射しを浴びる千尋は、畳の上でやや体を丸め気味にして眠っていた。茶色の髪が、日に透けてさらに色素が薄く見える。その姿に毛並みのいい犬を連想した和彦は、手を伸ばし、そっと髪に触れる。
何分か前まで、畳の上に転がって雑誌を読みながら、思い出したように和彦に話しかけていた千尋だが、すっかり寝入っているようだ。
どうせ昼寝をするなら、自分の部屋に戻ればいいのにと、和彦は小さく苦笑を洩らす。千尋としては、和彦が退屈しないよう、つき合っているつもりなのだろう。
呉服屋から戻ってすぐに、賢吾が見ている前で熱を測らされ、微熱が出ていることがわかった。普段の和彦であれば気づきもせずに動き回っている程度の熱だが、さすがに今は無茶できないと、こうして休んでいるというわけだ。
和彦は姿勢を戻し、再び天井を見上げる。
千尋の寝息を聞きながら思うのは、長嶺の本宅で自分は大事にされているということだ。クリニック経営という役目を負い、物騒であったり、訳ありの男たちを結びつけてもいる和彦に何かあったら面倒なのだと、捻くれた考え方もあるだろうが、決してそれだけではない。
間違いなく、長嶺の男たちは和彦を大事にしてくれていた。そして、長嶺と関わりを持つ男たちも――。
甘い眩暈に襲われて、反射的にきつく目を閉じた瞬間、障子が開く音がした。ゆっくりと目を開くと、真上から賢吾に顔を覗き込まれる。
不思議でもなんでもなく、和彦が布団を敷いて横になっているのは賢吾の部屋なのだ。
傍らに胡坐をかいて座り込んだ賢吾は、何も言わず和彦の顔を見つめてくる。
「……別に、側にいてもらわなくても大丈夫だ」
向けられる視線の圧力に耐えかねて、和彦は口を開く。賢吾は口元を緩めながら、千尋をちらりと見た。
「千尋は側に置いて、俺だけ追い払うのか?」
「甘ったれの子犬は、側でおとなしくしてくれているからな。大蛇に側にいられると、気が休まらない」
和彦の邪険な物言いに対して、もちろん賢吾は機嫌を損ねたりしない。
「大蛇を怖がるような可愛いタマじゃねーだろ、先生は」
そう言って和彦の頬を手荒く撫でてくる。
「――体はつらくないか?」
「熱も大したことはないし、つらくもない。本当は、こうして布団に寝ているのも大げさなぐらいなんだ」
「本当に?」
さりげなく賢吾に念を押され、特に不思議に感じるでもなく頷く。次の瞬間、賢吾がニヤリと笑った。その表情を目にして、自分の迂闊さを悟った和彦は慌てて起き上がろうとしたが、そのときには賢吾の手は布団の中に入り込んでいた。
「何、してっ……」
「車の中で言っただろ。熱が出ているかどうか、じっくり確かめてやると」
意味ありげな手つきで浴衣の上から体をまさぐられる。和彦は賢吾の手を布団から押し出そうとするが、あっという間に帯を解かれたところで無駄な抵抗はやめた。
「諦めたか?」
澄ました顔で問いかけてきた賢吾を睨みつける。
「……病み上がりの体で、あんたみたいな男とじゃれ合えるかっ……」
「じゃれ合う? 違うな。俺は先生の熱を測ってやろうとしているんだ」
そう嘯きながら賢吾は布団を捲り、和彦の上に覆い被さってきた。思わず顔を背けると、熱い舌にじっくりと首筋を舐め上げられ、耳朶に歯が立てられる。和彦はたまらず小さく呻き声を洩らし、一気に体を熱くする。
熱がぶり返したわけではない。従順な和彦の体は、賢吾の重みを感じただけで、官能に火がついたのだ。
無造作に下着を脱がされて、欲望を握り締められる。息を詰める間もなかった。欲望を手荒く上下に扱かれ、堪え切れずに声を上げた次の瞬間には、隣で寝ている千尋の存在を意識する。この父子とともに何度も淫らな行為に及んでいる和彦だが、だからといって慣れているわけではない。やはり抵抗はあるし、羞恥心は芽生える。
「――千尋が起きたら、仲間に入れてやろう」
楽しい悪戯を唆すような口調で賢吾が言い、和彦は返事の代わりに唇を噛み締める。感じやすい先端を、賢吾が爪の先で弄ってくるのだ。
そして、柔らかな膨らみを揉みしだかれる。
「ふっ……、ううっ」
腰をビクビクと震わせながら、和彦は賢吾の肩にすがりつく。強い刺激による和彦の体の強張りを解くように、賢吾に優しく唇を吸われ、同時に、弱みを指先でまさぐられる。ゾクゾクするような感覚が背筋を駆け上がってきて、下肢が甘く痺れる。すでにもう、この怖い男にすべての感覚を支配されていた。
「病み上がりだっていうのに、普段と変わらない感度のよさだな。もう濡れてやがる」
欲望の先端を指の腹で擦られ、すでに滲み出ている透明なしずくをヌルヌルと塗り込められる。もっと反応して見せろと恫喝するような愛撫だが、悔しいほど気持ちいい。
賢吾の指は休みなく動き、和彦の内奥の入り口を解すように擦り始める。唾液を施されながら刺激されているうちに、柔らかくなりかけた肉をこじ開けるようにして、指が内奥に侵入してきた。
「あぁっ――」
自分でもわかるほど必死に、賢吾の指を締め付ける。物欲しげな内奥の蠢動を楽しんでいるのか、賢吾の指が緩やかに出し入れされ、襞と粘膜を軽く擦り上げられる。和彦は息を喘がせながら敷布団の上で身を捩り、そのたびに浴衣がはだけていく。
「こっちの肉も美味そうだ」
低い声でそう言って、賢吾が胸元に顔を伏せる。触れられないまま硬く凝った胸の突起をいきなり口腔に含まれ、きつく吸い上げられた。
「んうっ」
はしたなく濡れた音を立てて突起を愛撫しながら、賢吾は執拗に内奥を指でまさぐる。その指の動きに合わせて、和彦も声を抑えられなくなっていた。
爪先を突っ張らせ、腰をもじつかせながら、背を反らし上げ、賢吾から与えられる快感を味わう。そんな和彦の様子を、賢吾は射抜くほど強い眼差しで見つめてくる。
「……気持ちいいか、先生?」
鼓膜に刻みつけるように囁かれ、和彦は頷く。寄せられた唇を甘えるように吸い、すぐに濃厚に舌を絡ませ合う。
内奥から指が引き抜かれ、熱く逞しい欲望が待ちかねていたように押し当てられた。性急に内奥を押し広げられる苦痛すら、大蛇と繋がっていく精神的愉悦の前では些細なことだった。
「あっ、あっ、頼、む――、ゆっくり、してくれ……」
押し入ってくる欲望の感触をじっくりと味わいたくて、和彦はつい恥知らずな頼みを口にする。興奮したのか、内奥で賢吾のものが力強く脈打ち、一際大きくなったようだった。和彦は上擦った声を上げ、腰を揺すって反応してしまう。
病み上がりであることなど関係ない。求められて、和彦の体は悦んでいた。
和彦の頼みを聞き入れる気はないらしく、両足をしっかりと抱え上げた賢吾は大胆に腰を使い、内奥深くを犯し始める。突き上げられるたびに和彦は身を震わせ、声を上げ、反り返った欲望の先端から透明なしずくを垂らす。
「本当に、いやらしくて、いいオンナだ……。寝込んだばかりだっていうのに、こんなに俺に尽くしてくれるんだ。着物ぐらい、安いもんだ」
「――言っておくけど、先生は俺のオンナでもあるんだからな」
不貞腐れたような声が突然上がり、和彦はビクリと肩を震わせる。ぎこちなく横を見ると、いつから起きていたのか、千尋がすぐ側までにじり寄っていた。このときになって和彦は、自分が声を押し殺す配慮をとうに忘れていたことに気づく。
咄嗟に顔を背けようとしたが、すかさず千尋の手が頬にかかり、噛みつく勢いで唇を塞がれた。口腔に千尋の熱い舌が入り込み、敏感な粘膜を舐め回される。同時に賢吾には、内奥の襞と粘膜を丹念に擦り上げられていた。
猛々しい獣に体を貪られる代わりに、目も眩むような快感を与えられる感覚はたまらなかった。
和彦は急速に快感の高みへと駆け上がり、察した千尋が唇を離した瞬間に、堪えきれない歓喜の声を上げていた。
「ああっ、あっ、んあっ、あっ……ん」
賢吾と千尋は、奔放に乱れる和彦をじっと見つめていた。興奮して強い光を放つ目は怖くもあり、優しくもある。向けられる眼差しにすら、和彦は反応してしまう。
「……先生、もうイク?」
甘えるような声で千尋に問われ、頭の中が真っ白に染まるのを感じながら夢中で頷く。すると、内奥深くを抉るように突き上げられた。一度目で全身が快感に痺れ、二度目で瞼の裏で閃光が走る。一拍遅れて、下腹部が濡れるのを認識した。二人の男たちが見ている前で精を放ったのだ。
和彦のその姿に刺激されるものがあったのか、ふいに賢吾が内奥から欲望が引き抜く。そして傲慢な表情で、和彦の胸元に向けて精を迸らせた。
賢吾としては、〈オンナ〉を精で汚すことで所有欲を満たしたのかもしれない。被虐的な悦びに浸りながら和彦は、そんなことをぼんやりと考える。
「さあ先生、甘ったれの子犬が待ちかねているぞ」
和彦の頬を手荒く撫でてから、賢吾が笑いを含んだ声で囁いてくる。意味を理解したときには、弛緩した和彦の体はうつ伏せにされ、腰を抱え上げられた。挑んできたのは、すっかり興奮した千尋だ。
「千尋、待っ――」
「優しくするね、先生」
言葉とは裏腹に、蕩けた内奥の入り口に余裕なく熱いものが押し当てられた。
「あうっ」
ぐっと内奥に挿入され、声を洩らした和彦は背をしならせる。賢吾の形に馴染んだはずの場所は、すでにもう千尋のものをきつく締め付け、快感を求めると同時に、甘やかし始める。千尋の息遣いが弾み、乱暴に腰を突き上げられた。
「うっ、うあっ……」
「先生の中、すごく、熱い。熱のせいかな。それとも、オヤジがめちゃくちゃにしたから?」
意地の悪い問いかけに答えられるはずもなく、和彦は唇を引き結ぶ。すると、いつの間にか枕元に移動した賢吾に顔を覗き込まれ、唇を指で割り開かれた。
口腔に入り込んだ指が蠢き、粘膜や舌を擦られる。内奥での律動を繰り返されながらそんなことをされると、唇の端から唾液が滴り落ちる。賢吾は目を細めて言った。
「いやらしくて、いい顔だ。加虐心をそそられて、めちゃくちゃにしたくなる」
賢吾のその言葉に刺激されたのは、和彦の表情を見ることができない千尋だ。腰を抱え込まれ、内奥深くを硬い欲望で丹念に突かれると、腰から背にかけて痺れるような快感が這い上がってくる。
和彦が味わっている肉の愉悦を、千尋は繋がっている部分から感じているようだった。突然、千尋の動きが激しくなる。
「あっ、あぁっ」
腰を掴まれて乱暴に前後に揺すられる。賢吾が見ている前で和彦は、千尋の律動に翻弄され、放埓に声を上げて感じていた。
千尋は、まるで賢吾に張り合うように内奥から欲望を引き抜く。次に和彦が感じたのは、背に飛び散る生温かな液体の感触だった。
千尋が背に向けて精を放ったのだと知ったとき、和彦はゾクゾクするような興奮と充足感を味わう。
それと、この男たちに所有されているという安堵感も――。
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