と束縛と


- 第21話(4) -


 わざわざ雑居ビルの一階で待っていてくれた中嶋は、酒屋の袋を手にした和彦を見て申し訳なさそうな顔をした。
「……誘ったのはこちらなのに、なんだか気をつかわせてしまったようですね」
 そう言って中嶋は、さりげなく袋を持ってくれる。
「こちらこそ、ちょうど気分転換をしたくて、相手を探していたところだったんだ。誘ってくれてありがたい」
 和彦は背後の車を振り返り、運転席の組員に向けて軽く手を上げる。中嶋と一緒にいるところを確認して、今日の護衛の役目は一旦終わりだ。
 エレベーターで最上階まで上がると、ドアを開けて秦が待っていた。浮かべている笑みが普段以上に艶やかに見え、なんとなく秦の顔を直視しがたい。
 ここで和彦は、ピクリと肩を揺らす。自然な動作で中嶋に腕を取られたのだ。思わず隣に目をやると、中嶋の柔らかな表情に〈女〉を感じ取る。漠然と予期していたものが確信へと変わり、この瞬間から和彦の心臓の鼓動は、わずかに速くなっていた。
 部屋に招き入れられると、不躾だと思いつつも和彦の視線はつい、部屋の一角に置かれたベッドに向く。和彦の部屋のベッドほど幅はないが、それでも男二人が寝るには十分な広さだろう。
「そう、まじまじと見つめられると、恥ずかしいものがありますね」
 グラスを準備しながらの秦の言葉に、和彦のほうが恥ずかしくなってくる。
「……新しいベッドを見てもらいたいと言ったのは、君だろ」
「まさか、先生があっさり誘いに乗ってくれるとは、思っていませんでした」
「ぼくも、ベッドで釣られるとは思わなかった。……理由はなんでもよかった。気分転換したかったんだ。――気心が知れた相手と」
 和彦が買ってきたワインをさっそくグラスに注いだ秦が、芝居がかった優雅な仕種で首を傾げる。
「何かありましたか?」
「仕事のことで、ちょっとややこしい立場になった、かもしれない」
「先生はいままでも、十分にややこしい立場だったでしょう」
 率直な意見を述べてくれたのは、中嶋だ。促されるままコートとジャケットを脱いで手渡すと、ラグの上に座り込む。すかさずグラスを手渡された。
「明日の朝、先生のマンションまで送りますから、今夜は泊まっていってください。そのほうが、ゆっくり話もできますし」
 秦の言葉に、和彦は反射的に中嶋を見る。中嶋はあっさりと頷いた。
「俺も一週間の半分はここに転がり込んでいるので、先生も遠慮しなくていいですよ」
「遠慮どころか、この部屋を所有しているのは長嶺組なので、その身内である先生は主のように振る舞う権利がありますよ」
 中嶋がキッチンに向かい、秦はグラスを片手に和彦の傍らに座った。
 ワインを飲みつつ和彦は、小声で秦に話しかける。
「――……本当に、ぼくがお邪魔してよかったのか?」
 秦は楽しそうに顔を綻ばせた。
「中嶋が、先生を呼びたいと言ったんです。手を握って、というのは本気ですよ。わたしも、先生を共犯にするのは大賛成だし、何より楽しそうだ」
「悪いが今日は、ぼくを利用する計画や企みという話は、寛大な気持ちで受け止められない」
 和彦のその言葉から、察するものがあったらしい。秦はワインを注ぎ足してこう言った。
「では、言い直しましょう。わたしと中嶋は、先生と一緒に気持ちよくなりたいんです」
「中嶋くんを気持ちよくするのは君の仕事だ。ぼくは――」
「保護者兼先生ですよ」
 トレーを抱えてキッチンから出てきた中嶋が、澄ました顔で言う。和彦は苦笑を洩らすしかできない。あれこれ言い訳めいたことを口にしたところで、多少のときめきを覚えつつ、この部屋にやってきたのだ。和彦は、甘くあると同時に、シビアで打算含みのこの二人の関係を気に入っているのだ。
 ラグの上に、つまみをのせたトレーを置いた中嶋は、和彦の隣に座った。
「……なんだか、不思議だ……」
 缶ビールを呷る中嶋の横顔を見つめ、和彦はぽつりと洩らす。中嶋と初めて顔を合わせたのは、総和会から回ってきた仕事に向かう車の中だった。今もそうだが、中嶋は到底ヤクザには見えず、和彦は妙な感じがしたのだ。
 それから些細なきっかけで言葉を交わすようになり、ジムを紹介してもらってから、親しさが増していった。決定的だったのは、秦の存在だ。
 知り合ってから一年も経たないうちに、こうも特殊な関係になるとは想像もしていなかった。いや、それを言うなら、ヤクザのオンナになったということも、想像を超えた出来事だ。
 和彦の視線に気づいた中嶋が、スッと顔を近づけてくる。何事かと身構える間もなく、唇を塞がれていた。驚いて目を丸くした和彦に、中嶋はちらりと笑いかけてくる。
「なんだか先生、緊張しているみたいですね」
「ぼくはこれでも、モラリストのつもりなんだ。妖しい空気の中、平然となんてしてられない」
「……冗談ですか?」
「本気で言ってるんだっ。君らはぼくを、なんだと思ってるんだ」
 和彦がムキになって抗議すると、秦と中嶋は顔を見合わせたあと、大仰に神妙な顔つきとなる。これならまだ、笑ってもらったほうがよかったと、和彦は顔を背けてワインを飲む。
 からかわれた仕返しというわけではないが、ここを訪れる前に賢吾と電話で交わしたことについて、中嶋に質してみた。
「――組長に、しっかり報告してくれたそうだな」
「先生と、鷹津という刑事との夜景デートの件ですね」
 顔を背けたばかりの和彦だが、たまらずじろりと中嶋を見る。
「本当に、そういう表現をしたのか……?」
「見たままを正直に。長嶺組長からは、そう言いつかっていますから」
「ぼくの側にいて見聞きしたことは、なんでも、か」
「なんでも、ですよ」
 和彦と中嶋のやり取りを聞きながら、秦は楽しそうにワインを味わっている。それどころか、こんなことを言った。
「本当に仲がいいですね、先生と中嶋は。なんだか、どちらにも妬けてきますよ」
「……何言ってるんだ」
「職業どころか、本来なら住む世界も違う二人が、わたしの部屋で砕けた様子で話しているのを見ると、今の生活は恵まれていると思えてくるんです」
 秦の殊勝な言葉に、すかさず中嶋が乗る。
「それもこれも、全部先生のおかげですよ。俺の頼みを聞き入れて、秦さんを助けてくれたからこそ、今こうしていられる」
 その秦は、賢吾と繋がりを持ちたいがために、自分に何をしたか――。ふと思い出した和彦は、どうしても複雑な心境になる。少なくとも、いい思い出とは言い難い。だが、知らず知らずのうちに胸の奥で妖しい衝動がうねっていた。
 酔うほどまだ飲んでいないはずなのに、頬の辺りが熱い。和彦は視線を伏せて、ぼそぼそと応じた。
「そのせいで、ぼくはいろいろと大変な目に遭った。……下手をしたら、組長に縊り殺されていたかもしれない」
「だったらわたしは、八つ裂きでしたね」
 さらりと言う秦だが、賢吾なら実行していても不思議ではない。そうしなかったのは、艶やかな存在感を放つこの男が利用できると判断したからだ。和彦の遊び相手として身近に置くのも、その辺りに理由があるのだろう。
 そして中嶋は、秦が抱える秘密をどれだけ知っているのか。これも和彦は気になっている。
 どれだけ際どい会話を交わし、関係を持とうが、秘密は濃度を増すだけだ。だからこそ、この三人の関係性はひどく倒錯的で刺激的で、甘美だともいえる。
「――俺たち三人は、長嶺組長に首根っこをしっかり押さえつけられている仲間、というわけですね」
 そんなことを言って、中嶋が意味ありげな眼差しを寄越してくる。和彦としては、認めざるをえなかった。
「少なくとも君らを、ぼくの夜遊びの相手として認めているようだ。ここに来る前に組長と電話で話したら、楽しんでこいと言われた」
「大胆な人ですね」
 そう洩らしたのは秦だが、誰を指しての言葉なのかはわからない。
 自分のオンナを、胡散臭い青年実業家と野心家のヤクザの元に送り出した賢吾のことなのか、そんな二人の元にのこのことやってきた和彦のことを言っているのか――。
 あっという間に缶ビールを一本空けてしまった中嶋が、和彦に体を密着させてくる。
「……本当に大胆ですよ。俺たち二人を相手に、楽しもうなんて――」
 酔ったふりをした中嶋が抱きついてきたので、慌てて押し退ける。
「楽しむ相手が違うっ。君の相手は、そっちの色男のほうだろっ」
「そんなふうに言われたら、期待に応えないといけませんね」
 大胆ともいえる言葉を呟いて、秦が立ち上がる。中嶋の腰を抱えるようにして強引に立たせたかと思うと、次の瞬間には大きなベッドに向けて突き飛ばした。
 和彦が目を丸くして見つめる先で、秦は中嶋の上にのしかかり、いきなりセーターを脱がせ始める。さすがの中嶋も驚いたように目を見開くが、秦の手がジーンズにかかったところで、うろたえた表情を見せた。和彦も、秦がふざけているのかと思って見ていたが、ここでようやく、本気なのだと知る。
 帰るべきなのかと腰を浮かせかけたところで、秦がこちらを見て言った。
「――先生、手伝ってください」
 秦は、中嶋が身につけているものすべてを奪い取ってしまう。そして自らもシャツのボタンを外し始めた。
 覚悟を決めたのか、中嶋は苦笑に近い表情を浮かべ、前髪に指を差し込む。目が合うと手招きされたので、仕方なく和彦はベッドに這い寄る。
「先生も脱いでください。一人だけモラリストぶるのは、なしですよ」
 そう中嶋から言葉をかけられると同時に、秦にベッドに引き上げられる。
 二人がかりでワイシャツを脱がされ、スラックスと下着を引き下ろされる頃には、和彦は形だけの抵抗の空しさを味わっていた。本当に嫌なら逃げ出せばいいのだ。二人は決して、和彦に無理強いはしない。
 和彦に覆い被さってきた中嶋が唇を重ね、剥き出しになっている欲望同士を擦りつけてくる。そんな二人を眺めながら、秦は悠然とシャツを脱いでいた。
 広いベッドの上で、何も身につけていない体をしっかりと重ねているうちに、羞恥心が少しずつ剥ぎ取られていくようだった。まるで獣同士が無邪気にじゃれ合っているようで、なんだか楽しくさえなってくるが、次第に中嶋の体が熱くなってくるのを感じて、これは儀式のようなものだと悟る。
「……緊張していたのか?」
 思わず和彦が尋ねると、〈女〉の顔をした中嶋は頷いた。
「先生がいてくれてよかった。そうじゃないと俺は多分、ベッドに転がったまま、初心な乙女みたいに体を震わせていましたよ」
「経験豊富な元ホストが、何言ってるんだ」
「経験じゃ、先生と秦さんには負けます――」
 ここで中嶋がビクリと体を震わせ、唇を引き結ぶ。楽しげに和彦と中嶋の会話を聞いていた秦が、ようやく動いたのだ。
 和彦に覆い被さっている中嶋の両足の間で、差し込まれた秦の手が妖しく動いていた。小さく声を洩らした中嶋の髪を掻き上げてから、和彦は唇を啄んでやる。すぐに互いの唇を吸い合い、舌を絡め合っていたが、ふっと和彦の上から中嶋の重みがなくなる。ベッドの上に座った秦の両腕の中に、中嶋はいた。
 今度は秦と中嶋が、濃厚な口づけを交わし始める。胸元をまさぐられた中嶋が大きく息を吸い込むのを見て、和彦は体を起こす。すかさず秦が目配せしてきて、中嶋の足を左右に開かせた。一瞬、逡巡はしたものの、好奇心と欲情が入り混じった衝動に和彦は勝つことができなかった。
 和彦は、中嶋の欲望に手を伸ばすと、てのひらに包み込む。緩やかに上下に扱いてやると、切なげな声を上げた中嶋が腰を震わせる。
 快感に身を震わせる〈女〉の姿に、和彦はゾクゾクするような興奮を覚えた。自分に快感を与えてくれる男たちは、いつもこんな興奮を味わっているのだろうかと思ったら、さらに中嶋を感じさせたくなる。
「――楽しそうですね、先生」
 手の中で中嶋のものが熱くなり始めた頃、秦が話しかけてくる。和彦は意識しないまま笑んでいた。
「楽しいんだ。自分がいつもされていることを、中嶋くんにしていると思ったら。なんだか妙な気分でもあるし。でも、楽しいことに間違いはない」
「楽しそうな先生を見ていると、こちらも妙な気分になってきますよ」
「秦さんだけじゃないですよ。俺も、妙な気分だ。……先生を抱きたくてたまらない」
 そんなことを言った中嶋の手に頭を引き寄せられ、唇を重ねる。すぐに舌を絡め始めると、和彦の両足の間をまさぐる手があった。中嶋の手かと思ったが、すぐにそれが秦の手だとわかる。そして和彦は、今度は秦との口づけを堪能する。差し出した舌を絡め合い、唾液を交わしていると、和彦の欲望に触れている手が入れ替わる。今度こそ、中嶋の手だ。
 口づけの相手が替わると、愛撫を加えてくる手も入れ替わり、それが倒錯した感覚と高揚感を生み出していく。例えようもなく淫らな行為に耽っているという自覚は、官能を高める媚薬でしかない。
 中嶋の胸の突起を秦の指が弄り、もう片方の突起を和彦が舌先でくすぐる。和彦の胸の突起を指先で摘まみ上げてくるのは、中嶋だ。
「あうっ」
 和彦の指が、中嶋のものの先端を擦り上げた途端、声が上がる。中嶋の先端は、すでに濡れていた。それを秦に知らせると、最初から手加減するつもりはないらしい。秦はどこか嬉々とした様子で中嶋をベッドに仰向けにして、両足の間に顔を埋めた。
「うああっ……」
 再び中嶋は声を上げ、上体を仰け反らせる。和彦は、中嶋の顔を真上から覗き込む。野心たっぷりだと自負するヤクザは、すがるような目で和彦を見上げてきた。向けられる眼差しに誘われるように顔を寄せ、唇を吸ってやる。
「……先生が触れてやると、中嶋はよく反応する。今だって、涎の量が一気に増えましたよ」
 上目遣いとなって秦は笑った。それでなくても艶やかな存在感を放つ美貌の男は、中嶋の精気を少しずつ吸い取って、妖しいほどだ。
 まるで中嶋と和彦に見せつけるように、秦は大胆に舌を動かして、反り返った欲望を舐め上げる。そのたびに中嶋は声を洩らし、身を震わせる。
 このまま二人の行為に任せて自分は控えておこうかと思った和彦だが、頭を上げた秦に手招きされ、耳元にあることを囁かれる。無理だと言おうとしたが、秦に抱き寄せられた。
「中嶋の中のことは、今はまだ先生のほうがよく知っているんですよ。だから、頼みます」
 そう囁いてきた秦に手を取られ、たっぷりの唾液を絡めるようにして指を舐められた。和彦は秦と場所を入れ替わると、中嶋の片足を抱え上げ、内奥の入り口を濡れた指でまさぐる。中嶋は息を喘がせながら、唇だけの笑みを向けてきた。
「一息に入れてもらってかまいませんよ」
「乱暴なのは、ぼくの趣味じゃない。……多分、この男も」
 和彦がちらりと背後を振り返ると、秦は意味ありげに自分の指を舐めていた。その行為の意味を即座に理解した和彦は、全身を羞恥で熱くする。まさかと思ったが、今のこの状況では、どんな淫らな行為が行われても不思議ではない。
 何より、和彦は期待している――。
「先生?」
 中嶋に呼ばれて我に返った和彦は、前に一度そうしたように、狭い内奥に慎重に指を挿入する。できる限り綻ばせて、苦痛が少ないようにしてやりたかった。
「うっ、うぅっ」
 ゆっくりと指を動かすと、ビクビクと体を震わせながら中嶋が声を上げる。覚えのある感触が指にまとわりつく。戸惑いつつも中嶋の襞と粘膜は、愛撫に応えようとしているのだ。
 中嶋の内奥がひくつき始め、和彦の指の動きに合わせて収縮を繰り返す。強気に見つめ返してくる中嶋を煽るように、和彦はそっと囁いた。
「……いやらしいな。初めてのときは、こんなに物欲しげな反応はしなかったのに」
「いやらしさなら、先生も負けていないと思いますよ」
 秦が、背後から和彦の肩に唇を押し当ててくる。ハッとしたときには、和彦の秘裂に秦の指が入り込み、内奥をまさぐられる。
「やっ、め……」
 和彦は慌てて身を捩ろうとしたが、強引に秦の指が内奥に挿入されてくる。異物感に呻いたときには、秦の指をしっかりと咥え込んで締め付けていた。
「いい反応ですね、先生。この調子で中嶋をしっかりと、可愛がってやってください」
 秦の指が巧みに内奥で蠢き、和彦は息を弾ませる。すると中嶋が片手を伸ばし、頬に触れてきた。
「先生、気持ちいいですか?」
 和彦は言葉で返事をする代わりに、中嶋の内奥で大胆に指を動かした。
 反り返った中嶋のものが、切なげに泣いていた。先端からはしたなく透明なしずくを滴らせ、内奥への愛撫にしっかりと感じているのがわかる。もっともそれは、和彦も同じだ。内奥から指を出し入れしながら、秦はもう片方の手で和彦のものを緩く扱き上げてくるのだ。
 和彦と中嶋の息遣いが乱れ、切迫してくる。中嶋はともかく、快感によって和彦は、愛撫する手が止まりがちになっていた。その瞬間を待っていたようにやっと秦が手を引き、ほっとする間もなく和彦はベッドに押し倒される。
 上気した顔でのしかかってきた中嶋が、和彦の両足の間に腰を割り込ませてきた。綻んだ内奥の入り口に押し当てられた中嶋のものは、熱く高ぶっている。
「――……前に先生、俺が秦さんに犯されたあとなら、俺に犯されてもいいと言いましたよね」
「この状況は、順番が違う」
「些細な違いです。ほんの、数分ほどの違いだ」
 悪びれた様子もなく、したたかな笑みを浮かべて中嶋は腰を進めた。中嶋の男を示すものが力強く押し込まれ、和彦の内奥は犯される。
「うあっ、あっ、ああっ――」
 熱く潤んだ襞と粘膜を擦り上げられ、和彦は喉を反らす。痛みも、苦しいほどの異物感も確かにあるのだが、中嶋の欲望を受け入れているという実感のほうが強烈で、倒錯した悦びが背筋を駆け上がってくる。
 じっくりと丁寧に内奥を押し広げられ、中嶋と深々と繋がる。数回の律動を繰り返した中嶋は、片手を伸ばして枕を掴むと、それを和彦の腰の下に入れた。ぐっと欲望を突き込まれ、内奥深くを抉られる。
「先生……」
 中嶋に呼ばれ、てのひらをしっかりと重ねて指を絡める。緩やかに腰を動かしながら、中嶋は何度も熱い吐息をこぼす。
「すごいな。俺、先生の中に入っている。……男を抱いているんだ」
「今夜は、だからな。次は、ぼくが君を抱かせてもらう」
 ニヤリと笑った中嶋に、唇に軽いキスを落とされる。一方で、深く繋がった部分は熱を孕み、覚えのある肉の愉悦がじわじわと広がってくる。冷静に中嶋をリードしていくつもりの和彦だったが、すでにもう危うい。内奥深くを突き上げられるたびに堪えきれない声を上げ、中嶋のものをきつく締め付けていた。
 二人は行為に没頭しかけていたが、ふいに中嶋の動きが止まり、羞恥と動揺が入り混じった表情を浮かべた。和彦が視線を向けた先では、秦が中嶋の背後に忍び寄り、何かをしている最中だった。
 秦は、静かな興奮を湛えた目をしていた。和彦と目が合うと、優雅で艶やかな存在感を放つ男は、肉を食らう獣のような笑みを唇に刻む。
 今まさに、中嶋の肉を食らおうとしているのだ。
「うっ、うあっ」
 和彦の上で、中嶋が背をしならせる。それと同時に、繋いだ手をぐっと握り締められた。
 内奥深くに収まっている中嶋のものが脈打ったのを感じ、和彦は小さく呻き声を洩らす。すると中嶋も、苦しげに息を吐く合間に呻き声を洩らした。見ることはできないが、中嶋の体に何が起こっているのかは、感じることができた。
「――……ひどい奴だな、君の〈オトコ〉は」
 和彦がそっと囁くと、眉をひそめていた中嶋が口元に微苦笑を浮かべる。
「物騒な男ばかり相手にしている先生にそう言われると、なんだか胸を張りたくなりますよ」
 ここで中嶋の腰が大きく揺れ、和彦の内奥で熱い欲望も蠢く。秦が、己の快感のために律動を繰り返すと、その動きに合わせて中嶋の腰は揺れ、必然的に和彦の内奥で動くことになる。
 とんでもなくふしだらで、淫らな行為に及んでいるという興奮が、和彦を狂わせる。種類の違う快感を同時に味わっている中嶋は、それ以上かもしれない。
 秦が動くたびに声を上げる中嶋は、快感に酔いしれた表情を隠そうともしていない。繋いでいた手を解くと、和彦は中嶋の頭を引き寄せて深い口づけを与える。
「羨ましいですね。わたしも仲間に入れてもらいたいのですが――」
 舌を絡ませている最中に、わずかに息を弾ませた秦が声をかけてくる。和彦は、一瞬息を詰めた。中嶋と繋がっている部分に、秦が指を這わせてきたのだ。堪らず内奥を収縮させると、中嶋の欲望が一層逞しさを増す。
 秦が声を洩らして笑った。
「……すごいな。わたしと先生が繋がっているわけじゃないのに、先生の中の動きが、中嶋を通して伝わってきますよ。わたしの動きも、先生には伝わっていますよね?」
 秦が大胆に腰を使い、中嶋が掠れた声を上げる。和彦の内奥では中嶋の欲望が力強く脈打ち、秦の律動に合わせて動く。
 中嶋のものを受け入れているのは和彦だが、まるで中嶋を犯しているような感覚だった。おそらく、律動を繰り返す秦に、和彦は自分の欲望を重ねているのだ。
 和彦の内奥深くを抉るように突き上げて、息を乱して中嶋が言った。
「今、先生、すごく感じましたよね? 中がものすごく熱くなって、きつく締まったんです。でも襞が、蕩けそうなぐらい柔らかい」
 身を焼かれそうな羞恥に一度は唇を噛んだ和彦だが、すかさず中嶋に仕返しをする。中嶋の耳元に唇を寄せ、今囁かれた言葉をそっくり囁き返したのだ。
「――秦は、君が今感じている感触を、堪能しているんだ」
 野心をたっぷり腹に抱えているヤクザは、目に見えてうろたえたあと、堪えきれないように歓喜の声を上げた。


 息もかかるほど間近にある中嶋の顔を見つめて、和彦は不思議な感慨深さに浸っていた。
 限りなく友人に近い男と、とうとう体を重ねてしまったのだが、気恥ずかしさや後ろめたさとは無縁だ。ただ、いままでにない体験をしたのだという高揚感は、厄介な種火として胸の奥で燻っている。
 自分は、秦と中嶋との行為を純粋に楽しんで、そして気に入ったのだと、和彦は分析する。他の男たちとのような、愛情や執着をぶつけ合うような行為ではなかったが、受け止める和彦にとっては精神的にとても楽だった。
 この世界に引きずり込まれるまでの和彦にとって、セックスとはまさにこういうものだった。精神的な結びつきよりも、肉体的な快楽を求め、決して相手に深入りはしない。とにかく和彦は、相手に縛られることなく、自由だった。
 閉鎖的なこの世界で、自由な感覚を味わうというのも妙な感じだが――。
 和彦が苦笑を洩らしていると、ベッドが微かに揺れる。中嶋の反対隣で休んでいた秦が、静かにベッドから抜け出すところだった。
 何げなく振り返った秦が、目を開けている和彦に気づいて微笑みかけてくる。
「まだ寝てないんですか、先生」
「……刺激的なセックスの余韻に浸っていた」
 和彦の言葉に、髪を掻き上げた秦は艶やかな笑みを浮かべる。
「わたしは、中嶋と初めてセックスをするときは、それこそ虎と格闘するぐらいの事態を覚悟していたんですが、先生が中嶋に付き添ってくれて、助かりました。――こいつは本当に、気持ちよさそうだった」
 秦は気遣うようにそっと、中嶋の剥き出しの肩を撫でた。
「中嶋の、男として、ヤクザとしてのプライドをわたしが気にかけてやれない分、先生がこいつを守ってくれた。そしてわたしは、思わぬ役得として、先生とも間接的にセックスできた」
「ことが終わったあとは、中嶋くんを抱き締めてやるぐらいしてやったらどうだ」
「当の中嶋が、先生のほうに身を寄せているので、なんとも手が出しにくくて……」
 思いがけず苦々しげな秦の口調がおかしくて、つい和彦は笑ってしまう。
「つまり中嶋くんは、秦静馬という男に、そこまでのフォローは最初から期待していないということだな。さすが、君のことをよくわかっている」
「ひどい言われようだ……」
 肩をすくめた秦が立ち上がる。まだ何も身につけていない後ろ姿を見て、反射的に和彦は視線を逸らす。理屈ではなく、秦の体は中嶋のものだと咄嗟に思ってしまったのだ。
「――中嶋の側にいてやってください。わたしはこれからちょっと、仕事の電話をしないといけないので」
 手早く服を着込んだ秦が、携帯電話を片手に部屋を出ていく。ドアが閉まるのと同時に、眠っていると思っていた中嶋がパッと目を開いた。いつから起きていたのかは知らないが、和彦と秦の会話を聞いていたのは確かなようだ。
「君の恋人は薄情だな。ことが終わったら、さっさと仕事の電話をしに行ったぞ」
 和彦がわざと意地悪く言ってみると、中嶋は食えないヤクザの顔でこう答えた。
「照れているんですよ、あれで。外見も言動も甘い人だけど、中身はそうじゃありませんから。いざとなると、人をどう甘やかしていいかわからないんです」
「……どうして君があの男じゃいけないのか、わかった気がする。秦にとって、君じゃないといけないんからだな」
 素直に感心して見せると、中嶋は短く声を洩らして笑った。
「買いかぶりですよ、先生。俺と秦さんの関係は、映画や小説のように素敵なものじゃない。気が合ううえに、互いに利用し合う価値があって、今日確認できましたが、運よく体の相性も合ったというだけです」
 それだけ合えば十分だろうと、和彦は心の中でそっと呟く。すると突然、中嶋が体を起こしたかと思うと、次の瞬間には和彦にのしかかってきた。
「先生にも同じことが言えますね」
「何、が……?」
「俺と気が合って、互いに利用し合う価値があって、体の相性も合っている」
「……君の主観だな。ぼくが同じことを思っているとは限らないだろ」
 素直に賛同するのも癪で、ささやかな虚勢を張ってみたが、中嶋には通じなかった。突然唇を塞がれて、口腔にやや強引に舌を差し込まれる。胸の奥で燻っている種火があっという間に大きくなり、和彦は中嶋と舌を絡め合う。
 和彦以上に中嶋は興奮していた。両足の間に腰を割り込まされ、蕩けたままの内奥の入り口に熱くなった欲望が擦りつけられる。子供のわがままを許すような気持ちで、和彦は再び中嶋を受け入れていた。
「んっ、んうぅっ――」
「先生も、俺と同じ感想ですよね?」
 柔らかな物腰で、欲しい返事をもぎ取ろうとする辺りは、やはり中嶋も他のヤクザと同じだ。しかし和彦は、そんなヤクザのやり口に否応なく慣らされている。返事の代わりに中嶋の背に両腕を回した。
 緩やかな律動を繰り返しながら、中嶋が意外なことを話し始める。
「俺の初めての相手……女の話ですが、年上だったんですよ。色気はあるけど、物腰は素っ気ない人で、ガキだった俺にはそれが堪らなく魅力的に見えて、夢中でした。遊ばれているとわかっていても、相手をしてもらえるだけで嬉しかったんですよ」
 和彦は内奥で蠢くものを締め付ける。中嶋の思い出話に集中したいが、湧き起こる快感は無視できない。
「先生と一緒にいると、なんとなくその人を思い出します。物腰は柔らかくて、誰に対しても優しいけど、内面はよくわからないし、もしかしてすごく冷たい人なのかもしれないと、ときどき考えたりもするんです。……俺が、一筋縄でいかないような複雑な人ばかり好きになるのは、初めての相手の影響が大きいんでしょうね」
 中嶋に内奥深くを強く突き上げられ、和彦は喉を反らす。露わになった喉元を舐め上げた中嶋に囁かれた。
「――先生の初体験のこと、聞いていいですか」
「聞いたら、それを組長に報告するのか……?」
「これは、しませんよ。俺と先生の秘密にしたい」
 なんとか呼吸を整えた和彦は、間近から中嶋の目を見据える。
「……ぼくが高校生のときだ。相手は年上の男の人だったけど、ぼくを子供扱いはしなかった。いろんなことを教えてくれて、優しかった。いい思い出ばかりだ」
 里見の顔が脳裏に蘇り、一瞬の切なさが胸を駆け抜ける。それをきっかけに、里見とともに築いた思い出に心が引き寄せられる。懐かしさより、恋しさを覚えた自分に和彦は戸惑う。
「先生?」
 中嶋に呼ばれ、唇を軽く吸われる。和彦は揺れる気持ちを読み取られたくなくて、中嶋の肩に額を押し当てて表情を隠した。




 送って行くという中嶋からの申し出を断り、雑居ビルの前まで、組の車に迎えにきてもらう。
 後部座席に乗り込んだ和彦は、朝早くからすまないと組員に謝る。手間を考えれば、秦の部屋からクリニックへと直接向かえば楽なのだが、仕事上、身だしなみはきちんとしておきたい。それに気分的なものとして、情事の痕跡はしっかりと洗い流しておきたかった。
 和彦はシートにもたれかかると、ぼんやりと外の景色を眺める。
 慣れないベッドで眠ったせいか、体が疲労感を引きずっている。それでも悪い気分ではなかった。自分の淫奔ぶりに自己嫌悪に陥るぐらいはしてもいいのだろうが、相手が中嶋と秦ともなると、後ろ暗い感情を持つのは違う気がする。もう、そんな殊勝さを大事に抱え持つ時期は過ぎてしまった。
 綺麗事で肯定するつもりはなく、賢吾の許可の下、男と関係を持つのは、和彦にとって生活の一部なのだ。そうやって、限られた自分の世界と生活を守り、より居心地のいいものにしている。
 ここでふと、行為の最中に中嶋に語ったことを思い出す。
 里見と関係を持っている頃、和彦にとっての世界とは、佐伯家の自室がすべてだった。小さな世界からどうすれば解放されるか、そんなことばかりを考えていた気がする。
 この瞬間和彦は、魔が差したようにこう思っていた。
 里見の姿を見たい、と。
 思考は一気に目まぐるしく動き始め、ハンドルを握る組員にこう声をかけていた。
「マンションに戻る前に、ついでに寄って行きたいところがあるんだ」
「どこですか?」
「――パン屋」
 和彦が細かい住所を告げる。ついでに、というにはかなり遠回りとなる場所だが、異論を挟むことなく組員は進路変更した。
 鷹津から、里見に関して調べた内容はすべて、報告書という形でメールで送ってもらった。その報告書には出勤時間から退勤時間まで記載されており、普段の言動からは想像もつかないが、鷹津の性格の細かさが表れているようだった。何より、有能だ。人を使ったにせよ、短期間で和彦が知りたかった以上のことを調べ上げてきたのだ。
 おかげで和彦は、里見に知られることなく周囲をうろつくことが可能になる。
 まさか、職場近くのパン屋に和彦が現れるとは、里見も思ってはいないだろう。
「そのパン屋、有名なんですか?」
 突然組員から話しかけられ、和彦は目を丸くする。
「えっ……」
「いえ、先生はあまり食事にこだわりがないようなので、その先生がわざわざ立ち寄ってくれと言うのなら、よほどの店なのかと思いまして」
「確かに、美味しいものは好きだけど、苦労してまで食べようという気はないな。……クリニックを開業したら、患者との世間話で、どうしても話題が必要になるんだ。だから、薦められた店があれば、とりあえず一度は味見してみることにしたんだ」
 鷹津からの報告に、里見の勤務先周辺の美味しい店の情報など、もちろんなかった。ネットで地図検索をしたのは、和彦の好奇心――というより、未練がましい気持ちからだ。それが思わぬところで、言い訳として役に立った。
 ただ護衛の組員は、こんな他愛ない会話すら、賢吾に報告するのだろう。
 危険なことをしていると自覚はある和彦だが、湧き起こる衝動の抑止力にはならない。だったら行動を起こして、自分を納得させるしかない。
 車が、里見の勤務先が入っている大きなビルの前を通るとき、和彦は意識して他へと視線を向けていた。出勤ラッシュの時間帯にはまだ少し早いが、歩道を歩く人の姿は次第に増えてきている。歩く人の中に里見の姿はないか、つい探してしまう。たまたま車で通りかかり、出勤している里見の姿を見ることなど、ほぼ不可能に近いだろう。それは承知のうえだ。
 そして当然のように、里見の姿を見出すことはできなかった。
 失望はなかった。むしろ当然のことだと受け止めたし、心のどこかで和彦は安堵もしていた。
 朝早い時間から開いているというパン屋に着くと、和彦一人が店内に入る。手ぶらで車に戻るわけにもいかず、トレーとトングを手に、並んでいるパンを選ぶ。
 どうせなので、本宅の組員たちの分も買っておこうと思い、目につくパンを片っ端からトレーにのせていて、ふと顔を上げる。店は通りに面しているため、ガラスの向こうを歩く人の姿が見えるのだ。
「えっ……」
 和彦は小さく声を洩らし、硬直する。通りを歩く、自分そっくりの顔立ちをした男が視界に飛び込んできた。その男は銀縁の眼鏡をかけており、怜悧な雰囲気に拍車をかけている。
 見間違うはずもなく、それは和彦の兄――英俊だった。
 あまりに予想外の人物を見かけ、心臓が止まりそうな衝撃を受けた和彦だが、数瞬あとには激しく鼓動が打ち始める。動揺から、足が小刻みに震えていた。
 英俊に見つかるかもしれないという本能的な恐れから、棚の陰に身を隠す。
 なぜこんな場所に英俊がいるのかという疑問は、すぐに氷解した。
 英俊に続いて和彦の視界に入ってきたのは、里見だった。小走りで英俊に追いついて何事か話しかけ、英俊が歩調を緩める。二人は並んで歩いていった。たったそれだけともいえるが、和彦にとっては強烈な光景だった。
 里見と英俊はかつて、同じ省庁の課内で働く上司と部下だったが、里見は現在、民間企業に勤めている。なのに朝から二人が一緒にいる理由が、和彦には思いつかなかった。
 里見と佐伯家は現在もつき合いがある。それは事実として受け止められる。里見が、和彦たちの父親の命令に逆らえないという立場も、理解できる。なのに、里見と英俊が一緒にいる姿を見ただけで、和彦は混乱していた。ひどく怖くもあった。
 呆然としながらも、なんとか精算を済ませて外に出たとき、通りにはすでに里見と英俊の姿はなかった。
 和彦は突然、ここは自分がいていい場所ではないと痛切に感じ、逃げるように車に戻る。
 車の傍らに立って待っていた組員は、一目見て和彦の異変に気づいたらしく、わずかに眉をひそめた。会話を交わす間も惜しむように後部座席のドアが開けられ、和彦は素早く乗り込む。
 ドアを閉めた車内に、焼きたてのパンのいい香りがふんわりと漂う。その香りを深く吸い込んでも、和彦の胸に巣食った不快な感情は、少しも軽くならない。
 里見と英俊が外で会う間柄だと、和彦は知らなかった。かつての上司と部下だからこそ、職場が変わればそれまでのつき合いだと、勝手に思い込んでいた。そうであってほしいと、願っていたのかもしれない。
 ここで和彦は、不快な感情の正体を知る。――嫉妬だ。
 頭が混乱し、気持ちは激しく揺れている。そんな絶妙のタイミングで、和彦の携帯電話が鳴った。人と話したい心境ではなかったが、車内でいつまでも着信音を鳴らすわけにもいかない。
 携帯電話を手に取ると、見覚えのある番号が表示されており、和彦は見えない力に操られるように電話に出る。
 耳に届いたのは、太く艶のある声だった。









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