と束縛と


- 第22話(3) -


 長嶺の本宅に足を踏み入れたとき、和彦は奇妙な違和感を覚えて一瞬戸惑っていた。玄関の風景も、出迎えてくれる組員たちの顔ぶれも変わっていない。だが、何かが変わっていると感じた。
 持っていたコートとアタッシェケースを組員に預けて靴を脱ぐ。廊下を歩きながら中庭に目を向けると、きれいに手入れされた庭木たちが、ずいぶん成長しているように感じた。春が近づきつつある証か、色づき始めている。
 ほんの何日か本宅へ立ち寄らなかっただけなのだが、こうして中庭の様子を目にすると、ずいぶん足が遠のいていたように思えてくるから不思議だ。
 そこで和彦は、自分が感じた違和感の正体をわかった気がした。
 総和会会長の〈オンナ〉という立場になって初めて、この家を訪れたのだ。後ろめたさと羞恥が、和彦の心をざわざわと落ち着かなくさせる。覚悟を決めてきたはずだが、それでも、冷静ではいられない。
 夕食の準備で慌しいダイニングを素通りして、まっすぐ賢吾の部屋へと向かう。
 今日は、賢吾から呼ばれて本宅に立ち寄ったわけではない。クリニックからの帰りに、和彦が言い出したのだ。自分なりに気持ちが落ち着いたと判断し、これ以上、賢吾と顔を合わせない不自然さに耐えられなくなったためだ。
 賢吾は、ただ和彦からの反応を待っていた。大蛇の化身のような男らしく、じっと身を潜め、しかし獲物から目を離すことなく――。
 冷たい蛇の目が脳裏に浮かび、和彦は小さく身震いする。たまらなく賢吾が怖いくせに、同時に胸の奥では、無視できない妖しい衝動がうねっていた。
 賢吾の部屋の前まで行き、呼吸を整えてから声をかける。中からの返事を待って障子を開けると、賢吾はちょうどジャケットを脱いだところだった。反射的に歩み寄った和彦は、賢吾の手からジャケットを受け取る。
「帰ったばかりなのか?」
「いや、三時頃には戻っていたんだが、客と会ったりしていたら、なんとなく着替えるタイミングをなくしてな」
 賢吾と自然な会話を交わせるだろうかと、頭であれこれ考えていたのだが、いざとなると身構えるまでもない。いつも通りの会話を交わせていた。和彦はほっと息をつくと、ハンガーにジャケットをかける。
「――ようやく、顔を出す気になったのか?」
 背後からかけられた賢吾の言葉に、ピクリと肩を揺らす。和彦は唇を引き結びながらも、小さく頷いた。
「最近の先生の行動は、ちょっと俺にも読めねーな。俺は昔から、女心ってやつを解しようなんて気は毛頭なかったが、〈オンナ心〉となると別だ。先生が本宅を――俺を避けている間、じっくりと先生の気持ちについて考えていた」
「別にあんたを避けていたわけじゃっ――」
 振り返った和彦がムキになって反論しようとしたが、彫像のような笑みを浮かべている賢吾の顔を見た途端、何も言えなくなった。冷たく残酷な表情だと思ったからだ。
 和彦が見ている前で、賢吾はネクタイを解く。そのネクタイを受け取り、手で弄びながら言い訳めいたことを言っていた。
「……一人で考えたいことがあったんだ。旅行に行って疲れてもいたし」
「秘密を抱えた先生は、艶を増す。そんな先生をずっと眺めていたい気もするが、反面、その秘密を暴いてやりたくてウズウズもする。俺の〈オンナ〉が隠し事をしているなんざ、許せなくなるんだ。先生に関することでは、俺はどうも、狭量な男になるらしい」
 甘い言葉を囁いているようだが、これは賢吾なりの恫喝だ。静かに息を呑んだ和彦は、改めて賢吾の怖さを噛み締める。最初から自分の意見をまくし立てられるとは思っていなかったが、すでにもう賢吾のペースに巻き込まれていた。
 言いたいことが何も言えなくなりそうな危惧を抱いたとき、障子の向こうから声をかけられる。組員がお茶とおしぼりを運んできたのだ。
 賢吾に言われるまま座卓についた和彦は、ふっと息を吐き出す。
「俺は少し意外だったんだ」
 お茶を置いた組員が部屋を出て行くと、ワイシャツのボタンを外しながら賢吾が言う。
「意外って……」
「先生が、俺に相談なくオヤジと旅行に行くと決めたことが」
「……あんたの面子を潰したか?」
「組長のオンナらしくなったな。俺の面子を気にかけてくれるなんて」
 手を拭いたおしぼりを賢吾に投げつけたが、余裕で受け止められ、あっさり投げ返された。和彦はやっと笑みをこぼすと、慎重に言葉を選びつつ話す。
「――違う場所の空気を吸ってみたかったんだ。自分ではそのつもりだったけど、会長には、複雑な人間関係から距離を置いてみたかったんじゃないかと言われた」
「先生の人間関係を複雑にしている原因の一つのくせに、よく言えるもんだ。あのジジイは」
「それと、旅先でおもしろい話をしてやると言われていたんだ。あんたと千尋も知らない話を……」
 ほお、と賢吾は声を洩らす。どんな話かと聞かれなかったが、隠すほどのことではないので、和彦は端的に告げた。
「昔会長は、ぼくの父親が抱えた揉め事を解決したんだそうだ。会ったのはほんの数回らしくて、ぼくのことを調べたときに、父親のことを思い出したと言っていた」
 守光が言っていたことは本当だったようだ。賢吾は驚きを隠そうともしなかった。しかしすぐに、意味ありげに目を眇めた。
「本当に、食えないジジイだ。千尋が先生とつき合い始めて、それで俺が先生に目をつけたときも、オヤジは何も言わなかったんだが、そのときにはいろいろと企んでいたんだろうな」
 どんな企みなのか気にはなったが、尋ねることはできなかった。なんとなく、毒気が強そうな話を聞かされそうだと思ったからだ。
 自覚もないまま和彦が軽く眉をひそめていると、揶揄するように賢吾が問いかけてきた。
「父親のことを聞いて、長嶺との見えない縁を感じたか?」
「……ああ、嫌になるほど物騒な縁を」
「気分転換がしたいからという理由で、総和会会長との旅行について行った先生が、物騒なんて言葉を言うのか?」
 賢吾の物言いは柔らかだが、和彦の神経をチクチクと刺激してくる。愚鈍ではないつもりの和彦は、賢吾が言外に含んだ皮肉を感じ取っているし、自身の罪悪感の痛みであることも知っているのだ。
「もし、ぼくが事前に旅行のことを相談したら、あんたは引き止めたか?」
 上半身裸のまま賢吾が目の前を通り過ぎる。惜しげもなく晒された大蛇の刺青に和彦の目は釘付けになったが、じっくりと眺める前に隣の部屋へと行き、姿が見えなくなる。ただ、賢吾の声だけは耳に届いた。
「しっかりオヤジを骨抜きにしてこいと言って、送り出しただろうな」
 和彦は苦笑しつつも、賢吾らしい――いや、長嶺の男らしい発言だと思った。長嶺の男は、三人とも見事に食えない。
 賢吾が再び姿を見せたとき、すでにセーターを着込んでおり、大蛇の刺青を見ることは叶わない。それを残念だと思った和彦は、次の瞬間には我に返り、頬を熱くした。
 和彦の反応に気づいたのか、隣に座った賢吾が当然のように頬に触れてくる。まるで、猫を撫でるような手つきだ。そんな賢吾の手を握り、秘密を打ち明けるように和彦は囁いた。
「――長嶺の守り神の正体は、狐だったんだな」
 賢吾は、射抜くほど冷たく鋭い眼差しを向けてきた。
「狐なんて、生ぬるいものじゃねーだろ、あれは。まさに、化け物だ。俺の大蛇が可愛く思えるほどだ」
 それはどうだろうと言いたかったが、明らかに余計なことなので口を噤んでおく。賢吾はそんな和彦の髪を撫でてから、引き結んだ唇に指先を這わせ、怖いほど優しい声で言った。
「先生、今夜はここに泊まれ。じっくりと時間をかけて話したい」
 もちろん拒めるはずもなく、和彦の返事は一つしかなかった。


 守光の誘いに乗って旅行に同行した理由を、賢吾があれだけの理由で納得したとは、和彦は到底思えなかった。慎重で警戒心が強い男は、だからこそ洞察力に長けている。和彦が秘密を抱えていても、すぐに見抜いてしまうぐらいだ。
 ただ、賢吾にウソはついていない。報告すべきことを、いまだに報告していないだけだ。それがどれだけ危険なことかわかっているが、里見を巻き込みたくはないし、再び関係を持ちたいという気持ちもなかった。
 自分が巧く立ち回れば、長嶺組にも里見にも、迷惑をかけずに済むはずだ。
 ささやかな希望にすがるように和彦は自分に言い聞かせると、両手で掬い上げた湯を顔にかける。
 夕食後、勧められるまま風呂に入りながら、和彦はめまぐるしく頭を働かせていた。迷惑をかけたくないと思いながら、結局はそれが、自身の保身に繋がることに気づき、我ながらうんざりしてしまう。それほど、賢吾が怖いのだ。
 里見の件を隠しているのはもちろん、守光の〈オンナ〉となったことを、まだ和彦の口から報告していない。正直、臆していた。
 遠からずこうなることを大蛇の化身のような男は確信し、望んでさえいたのかもしれないが、自分の目の届かないところで和彦が承諾したことを快く感じるかは、また別の問題だ。
 複数の男と関係を持ってはいても、それはすべて、賢吾の許可があってのことだ。しかし相手が、父親となると――。
 濡れた髪を掻き上げて、和彦は深く息を吐き出す。三世代の長嶺の男と関係を持ったという事実が、いまさらながら重かった。長嶺組だけでなく、総和会という組織の重みといえるかもしれない。
 和彦は勢いよく立ち上がる。覚悟を決めた以上、のぼせそうになるまで湯に浸かっているわけにもいかない。和彦がどれだけ迷い、悩もうが、大事なのは賢吾がどう反応するかなのだ。
 なんといっても、和彦を〈オンナ〉扱いした最初の男だ。よくも悪くも、和彦にとって賢吾は、特別な存在だった。
 浴衣を着込むと、髪も乾かさずにまっすぐ賢吾の部屋へと戻る。すでに二組の布団を並べて敷いてあった。その中央に、浴衣に着替えた賢吾があぐらをかいて座っていた。
 賢吾に軽く手招きされ、和彦は緊張しながら布団の上にあがる。すかさず腕を掴まれて強引に引き寄せられた。よろめき、倒れ込みそうになるが、その前に賢吾の両腕の中に閉じ込められ、背後からがっちりと抱き締められた。力強い腕の感触に和彦は、怯えではなく心地よさを感じた。
「数えきれないぐらい抱き締めているのに、飽きねーな、先生の体の感触は」
 耳に唇が押し当てられ、官能的なバリトンに囁かれる。ゾクゾクするような疼きが背筋を駆け上がり、和彦は小さく声を洩らしていた。
「――先生が旅行に出かけた日、この感触をオヤジが味わっているのかと思ったら、さすがの俺も胸の奥がザワザワした」
「えっ……」
 思いがけない賢吾の言葉に反射的に和彦は振り返ろうとしたが、耳朶に歯が立てられて動けなかった。一瞬感じた痛みは、すぐに肉の疼きへと姿を変える。湯上がりの和彦の体は、熱が冷めるどころか、燃えそうなほど熱くなっていく。
「先生の存在は、オヤジにとっても特別なようだ。いままであの〈化け狐〉は、俺が誰と寝ようが興味を示したことはなかった。それこそ、息子のオンナに手を出すなんざ、天地がひっくり返ってもありえないことだった。――先生が現れるまではな」
 話しながら賢吾の手は油断なく動き、浴衣の裾を割って、両足の奥へと入り込んでくる。内腿を撫でられたかと思うと、無遠慮な手つきで下着を脱がされる。さすがに和彦は拒もうとしたが、もう片方の手が喉にかかり、軽く圧迫される。それだけで和彦の抵抗の意思は潰えた。
「俺も、自分の息子の〈恋人〉に手を出して、体よく取り上げたんだ。しかも、千尋と違って、単なる色恋だけで行動したわけじゃない。先生に利用価値があると判断したうえで、モノにしたんだ。それとまったく同じことを、今度は俺のオヤジがした。これで俺が怒り狂ったら、理屈が通らない」
「……長嶺の男の理屈は、ぼくには理解しにくい。自分勝手で、強引で……」
 和彦が控えめに非難すると、喉にかけた手を外した賢吾は、熱い舌で首筋をベロリと舐め上げてくる。
「極道だからな。自分がやりたいようにやるが、通すべき筋ってものもある。ただし、上から下へ、親から子へと求める、一方通行の筋だ。力でしかものを言えないこの世界を生きて、治めるってのは、そういうことだ。先生は今の生活を送る限り、どんなに苦くて不味い理屈でも、呑み込まざるをえない。頭のいい先生は、それがわかっているから――」
 賢吾に手荒く欲望を掴まれ、和彦は息を詰める。一瞬本気で、握り潰されることを覚悟していた。
「長嶺守光のオンナになったんだろ?」
 和彦はおずおずと振り返り、間近にある賢吾の顔を見つめる。大蛇を潜ませた目から、まるで陽炎のような激情の炎が透けて見える。
「先生と長嶺の男は、妙に相性がいい。俺や千尋だけじゃなく、オヤジとも体が馴染んでも不思議じゃない。先生が、長嶺の男を骨抜きにすればするほど、この世界に深入りして、抜け出せなくなる。表の世界に逃げられるぐらいなら、化け狐の爪にがっちりと押さえ込んでもらったほうがいい……と、俺なりに計算はしてあったんだがな」
 淡々と言葉を重ねる賢吾の迫力に呑まれ、和彦は瞬きもできない。そんな和彦の唇を、賢吾は傲慢に貪り始める。
 自惚れかもしれないが、賢吾に執着されていると伝わってくるような口づけだった。
「――……会長の刺青は、たまたま見たんだ。朝、会長が着替えているときに、偶然ぼくが目を覚まして……。一瞬しか見えなかった。でも、怖かった」
 口づけの合間に和彦が訴えると、喉を鳴らすようにして賢吾は笑った。
「先生は、物騒な男が入れている、物騒な刺青を可愛がるのが好きなんじゃねーのか」
「ぼくは、二人の男の刺青しか、可愛がっていない。あんたと――」
 さすがにこの状況で、三田村の名は口にできなかった。それでも賢吾には十分伝わったらしく、こう言われた。
「まったく、性質の悪いオンナだ」
 次の瞬間、和彦は片手を取られて、賢吾の両足の中心に導かれる。最初から行為を求めるつもりだったのか、下着を身につけていない賢吾のものの興奮ぶりは、浴衣の上からでもよくわかった。
「刺青の前に、先生にはこっちを可愛がってもらおう。美味そうにしゃぶって見せてくれ」
 そう命じられ、全身を羞恥で熱くしながら和彦は賢吾を睨みつける。しかし、逆らうことはできなかった。身を屈め、あぐらをかいたままの賢吾の両足の間に顔を埋めた。
 浴衣を捲り上げ、反り返ったふてぶてしい欲望に丹念に舌を這わせる。舐め上げるたびに、自分はこの男の〈オンナ〉なのだという想いが強くなる。愛しいという純粋な気持ちからではなく、快感のために尽くしてやりたいという、身を焼かれそうな衝動に突き動かされていた。
 口腔に含んだ欲望が瞬く間に逞しさを増していき、力強く脈打つ。賢吾に頭を押さえられて、和彦は喉につくほど深く呑み込む。苦しさに耐えながら吸引していると、手荒く髪を撫でてから掴まれた。無言の求めに応じてゆっくりと頭を上下に動かしながら、欲望に舌を絡め、唇で締め付ける。
 和彦の口淫をじっくり堪能してから、賢吾は口腔で達した。放たれた精を舌で受け止めて嚥下すると、次の瞬間には和彦は、浴衣を剥ぎ取られて布団の上に突き飛ばされる。賢吾も浴衣を脱ぎ捨てて、のしかかってきた。
「あっ……」
 両足を抱えるようにして大きく左右に広げられ、賢吾が顔を埋めてくる。和彦のものはいきなり熱い口腔に含まれたかと思うと、容赦ない愛撫に晒される。痛いほど強く吸引され、舌先で先端を攻められたかと思うと、括れを唇で締め付けられる。
「うあっ、あっ、もう少し、優しく、してくれ――」
 和彦は震えを帯びた声で訴えるが、賢吾は聞き入れる気はないようだった。それどころか、加虐的なものを刺激されたのか、先端に歯列を擦りつけてくる。和彦は、感じすぎるからこそ、この攻められ方が苦手だ。
 反射的に腰を揺らして愛撫から逃れようとしたが、執拗に先端を攻められると、もう体が動かない。まるで大蛇が牙を突き立てているようだと思った。牙から毒は出てこないが、反対に、和彦の先端から透明なしずくが滲み出てくる。大蛇は嬉々として舌で舐め取り、もっと出せといわんばかりに攻め立ててくるのだ。
 和彦の体から力が抜け、愛撫に身を任せるのを見計らっていたように、賢吾が動く。枕の下から何か取り出したのは見えたが、それがなんであるかまでは、涙でぼやけた目では捉えることはできなかった。
「……一体、何を……?」
 わずかな不安に襲われて和彦が問いかけると、賢吾は残酷なほど楽しげな声で言った。
「ひどいことはしない。先生はすでに一度、経験しているからな」
 さすがに体を起こそうとしたとき、快感に震える和彦のものが根元から締め上げられる。何事かと思って視線を向けた先で、賢吾は和彦のものに皮紐を巻きつけていた。こちらを見た賢吾が、唇だけの酷薄な笑みを浮かべた。
「少しの間、こいつは使わない。――オンナらしく、尻だけでイイ思いをさせてやる」
 和彦は身がすくんで動けなかった。これまで賢吾は、和彦を肉体的に痛めつけることはなかったので、恐慌状態に陥ったりはしなかったが、それでも怖いものは怖い。
 内奥にたっぷりの潤滑剤を施した賢吾が、両足の間に逞しい腰を割り込ませ、和彦の下肢に視線を向けてくる。皮紐で締め上げられた欲望や、潤滑剤で濡れて綻んでいる内奥の入り口が、賢吾の目にはどう映っているのかと思うと、和彦は羞恥のあまり哀願したくなる。
 しかしそんな間も与えられず、賢吾は高ぶった欲望を内奥に挿入してきた。
「んああっ、んんっ、んっ、くうっ……ん」
 内奥をこじ開けられながら、脆い襞と粘膜を強く擦り上げられる。腰から背にかけて電気にも似た感覚が駆け抜け、それが快感だと知ったとき、和彦の体は弛緩した。一気に鮮やかな赤に染まった和彦の肌を撫でながら、賢吾は大胆に腰を使う。
「もう、イッたのか、先生。尻に突っ込んだだけだってのに、堪え性のない体だ」
 両足を抱え直され、内奥から激しく賢吾のものが出し入れされる。潤滑剤と粘膜が擦れ合う淫靡な音が、一際大きく室内に響く。
「あっ、うあっ……、賢吾さんっ――」
 内奥を突き上げられて体中に快感が行き渡るたびに、皮紐で縛められた欲望が苦しさを訴える。精を放てない分、内奥は浅ましいほど蠢き、奥深くにまで挿入されたものを貪欲に締め付けている。それが賢吾にはたまらない快感となっているのだろう。
 和彦は首を左右に振りながら、何度も皮紐を外すよう頼むが、聞き入れてはくれない。それどころか、さらに和彦を追い込むように、柔らかな膨らみを乱暴に揉みしだき始める。
「ひっ……」
 弱みを弄られる恐怖に体が強張るが、一瞬あとには腰が溶けそうな感覚が湧き起こる。賢吾は、和彦が甲高い嬌声を立て続けに上げる様子を、楽しげに見下ろしていた。
「気持ちいいか、先生? 尻が締まりっぱなしだ」
 和彦は何も考えられず、夢中で頷く。賢吾の指が、繋がってひくつく部分を擦り上げてくる。それだけで、鳥肌が立ちそうなほど感じていた。
「いい顔だ。先生みたいな色男を、尻で感じさせているのが自分かと思ったら、限界まで奮い立っても仕方ねーよな。俺だけじゃない。先生を抱いている他の男も同じだろう」
 一度内奥から引き抜かれた欲望が、すぐにまた奥深くまで押し入ってくる。和彦は思いきり仰け反って、頭の中で閃光が走るような感覚を味わう。
「また、イッたのか。こんなにすぐイクなら、こいつはもう、縛ったままでいいか?」
 賢吾が怖い声で囁きながら、和彦の欲望に手をかけてくる。きつく縛められているせいで、少し感覚が鈍くなってきている。それでも、精を放ちたいという衝動だけは強くなっていた。
「い、や……。イ、きたい……。賢吾さん、早く――」
 内奥に収まっている欲望は凶暴に育っているというのに、和彦の顔を覗き込んでくる賢吾の表情は冴え冴えとしていた。
「――お前は、俺のなんだ?」
 突然の質問に、和彦は目を見開く。思わず口ごもると、欲望に食い込む皮紐を指でなぞられる。その感触に背を押されるように、和彦は震える声で答えた。
「あんたの、オンナだ……」
「俺は、誰だ?」
「……長嶺組、組長」
 よく言えた、ということか、唇に賢吾のキスが落とされる。
「お前は、長嶺組組長のオンナだ。これは、何があっても変わらない。変えるつもりもない」
 皮紐の縛めが解かれると同時に、内奥深くを抉るように突かれる。和彦は声も出せないまま絶頂に達し、賢吾が見ている前でたっぷりの精を迸らせた。
「――……お前は、大蛇の大事で可愛いオンナだ。しっかりと、この淫奔な体に刻み付けておけよ。どれだけの男と寝ようが、忘れられないぐらいしっかりと」
 大蛇の執着は怖くて淫らだ。そんなことを頭の片隅で考えながら和彦は、賢吾にしがみついて何度も頷いた。


 ビールを呷っていた賢吾が低く笑い声を洩らし、それが振動となって背に伝わってくる。つられるように和彦も小さく笑い声を洩らしてから、まだ汗に濡れている賢吾の背に唇を押し当てる。
 激しい情交の最中、喉が渇きすぎて和彦の声が出なくなり、賢吾が部屋にビールと水を運ばせてきた。一度は体を離したもののすぐに賢吾の熱さが恋しくなり、和彦は喉の渇きを潤してすぐに、賢吾の背にしなだれかかっていた。
 そして、ここぞとばかりに大蛇の刺青を愛撫する。
 汗を舐め取り、大蛇の鱗に丹念に唇を押し当て、巨体の輪郭に舌先を這わせる。柔らかく肌を吸っていると、賢吾に片手を取られ、まだ高ぶっている欲望を握らされた。
「大蛇だけじゃなく、こいつも可愛がってやってくれ。嫉妬して暴発しそうだ」
「……さっき、さんざん――」
 言いかけた言葉は、口中で消える。口にするにはあまりに露骨すぎる言葉だと気づいたからだ。
 大蛇の刺青を唇と舌で愛撫しながら、賢吾の欲望を緩やかに片手で扱く。
「いやらしいな、先生」
 笑いを含んだ声で賢吾が言い、和彦はぼそぼそと応じる。
「どっちがだ」
 体の奥がまだ疼いていた。声も出なくなるほど嬌声を上げ、よがり狂い、賢吾と獣のように絡み合ったというのに、情欲の火は燻ったままだ。体のほうは、いつもならとっくに限界を迎えているはずだが、手の中で脈打つ欲望を受け入れたくてたまらなかった。
 賢吾の見せた強い執着心によって、和彦の中で歯止めが壊れたのかもしれない。
 大蛇の刺青に対する愛撫が熱を帯びる。和彦は、大蛇が巨体を巻きつけている剣をじっくりと舐め上げ、その感触に呼応するように、手の中で賢吾の欲望が震える。
 今なら、とんでもなく淫らな〈オンナ〉になれそうだった。恥知らずな言葉で賢吾を求め、腰を突き出す姿勢すら、嬉々として取るだろう。
 しかしここで、情欲を一気に冷ますようなことを賢吾が言った。
「――パンは美味かったか、先生?」
 和彦はすぐには、賢吾の言葉の意味が理解できなかった。
「えっ……」
 動きを止めた和彦が戸惑っていると、賢吾が肩越しにちらりと振り返る。口元には薄い笑みが浮かんでいた。
「オヤジとの旅行に出かける前の話だ。秦と中嶋との夜遊びを楽しんだあと、わざわざ遠回りして買いに行ったパン屋があるんだろ。先生は、周りが世話を焼いてやらなきゃ、自分から美味いものを食おうとしないのに、その先生が自分で足を運んだぐらいだ。うちの者から話を聞いて、珍しいこともあるもんだと、気になっていたんだ」
 賢吾の話を聞きながら、全身の血の気が引いていくようだった。心臓の鼓動も速くなり、背を通してそれが賢吾に伝わりそうで、和彦はそっと体を離す。
「……ああ、美味しかった。ちょうど焼きたてが並んでいたから、なおさらそう感じたんだろうな」
 そうか、と答えた賢吾に手首を掴まれ、本能的な怯えを感じた和彦は体を強張らせる。有無を言わせず再び布団の上に押し倒され、片足を抱え上げられる。熱をもって蕩けている内奥の入り口に、賢吾の欲望が擦りつけられた。
「うっ……」
 小さく呻いた和彦は顔を背ける。賢吾が怖いくせに、やはり熱いものが欲しかった。
「先生が気に入ったんなら、明日の朝、同じ店で買ってこさせよう。俺は、朝は和食なんだが、少し味見させてもらおうか。それと、美味そうにパンを食う先生の顔も堪能したいな」
 焦らすようにゆっくりと内奥を押し広げられ、和彦は身悶えながら賢吾の肩にすがりつく。あとはもう、悦びの声を上げることしかできなかった。




 翌朝、告げられていた通り、賢吾と朝食をともにした和彦だが、正直、焼きたてのパンの味などわからなかった。パンを千切りながらも、賢吾の反応が気になって仕方なかったからだ。
 一体何を言われるかとずっと身構えていたが、和彦が食べていたパンを一欠片食べてから、賢吾は頷いただけで、感想らしいことは言わなかった。パンそのものは確かに美味しいのだが、果たして、和彦があえて遠回りをしてまで買い求める価値があったと、納得したのかどうか――。
 昨夜の行為の余韻も引きずっている中、賢吾の言動一つ一つに神経を尖らせていると、朝からぐったりしてしまう。
 腕時計で時間を確認してから、和彦は急いでコーヒーを飲み干す。クリニックに出勤するにはまだ早いが、一度マンションに戻り、着替えを済ませておきたかった。そのため少し急いでいる。
「じゃあ、ぼくはもう行くから」
 イスから立ち上がった和彦が声をかけると、新聞を開いていた賢吾が顔を上げる。ニヤリと笑いかけてきた。
「働き者だな。体はまだつらいだろ。せめて午後から出勤したらどうだ」
「……できるわけない。午前中に予約が入ってる。肩書きだけとはいえ、経営者のぼくによくそんなことが言えるな」
「少しは返事をためらうかと思ったら、あっさり断るんだな」
「あんたは、クリニックの出資者だ。いい加減な経営をしていると思われたくない」
「先生はまじめだ」
 そう呟いた賢吾が、給仕のため側にいた組員に、和彦を送迎する車を玄関前に待機させるよう指示を出す。次に、指先で和彦を呼んだ。
 賢吾の傍らで腰を屈めると、いきなり頭を引き寄せられ耳元で囁かれた。
「忙しい先生のために、今朝は特別な運転手を用意しておいた。短いドライブを楽しめ」
 目を丸くする和彦に、賢吾はそれ以上何も言わず、ただ手を振る。わけがわからないまま、コートを羽織りながら玄関に向かうと、アタッシェケースを持った三田村がいた。
「三田村っ……」
 思わず声を上げた和彦に対して、三田村がわずかに目元を和らげる。
「届けものをしたら、朝メシを食わせてもらったうえに、先生の運転手を任された」
 靴べらを差し出され、和彦は慌てて受け取って靴を履く。こうして三田村と会えたのは嬉しいが、頭の片隅では、賢吾なりの意図があるのだろうかと勘ぐってしまう。それは、和彦が抱える後ろめたさ故の感情ともいえた。
 三田村に伴われて車の後部座席に乗り込むと、ほっと息を吐き出す。
「久しぶりな気がする。こうしてあんたの運転する車に乗ったの。前は、毎日のように行動を共にしていたのに」
 和彦が話しかけると、バックミラー越しに三田村がちらりとこちらを見た。
「一月ぐらい前だったかな、こうして先生を車に乗せたのは」
「……あんたに怒られたんだ。夜、一人でふらふらするなと言って」
 あのときの和彦は、思いがけない里見からのメッセージに気持ちが掻き乱されていた。そんな和彦を支えてくれたのが、三田村だったのだ。
 それから今日まで、和彦の置かれた状況はまた大きな変化を迎えていた。
 自分と守光との関係をすでに知っているのだろうかと、和彦はじっと三田村の後ろ姿を見つめる。三田村は、和彦の何もかもを受け入れる。そうすることで、一時とはいえ和彦との時間を共有できると知っているからだ。
 和彦がますます裏の世界から逃れられない立場になったと知って、この男は喜んでくれるのだろうか――。
 そんなことを考えてしまうと、三田村に気軽に話しかけられなくなる。後ろ姿を見つめているだけで胸が詰まるのだ。
 せっかくこうして二人きりになれたのだから、何か会話を、と思っていた和彦の視界に、ある光景が飛び込んできた。
 本宅とマンションを行き来するときに通る並木道には、桜の木が植えられている。冬の間は気にかけることもないのだが、和彦が慌しい日々を過ごしている間にも、ここにも確実な変化が訪れていた。寒々しかった枝は鮮やかな緑の葉をつけ、花は開いてはいないものの蕾もついている。もう何日かするとぽつぽつと開花していくのだろう。
「――……去年はそんな状況じゃなかったけど、今年は、あんたとささやかに花見がしたいな。特別な用意なんてせずに、買ってきた弁当を食べながら、のんびりと桜の花を眺めて……それだけでいい」
「楽しそうだ」
「ああ。桜が開花し始めたら、時間を作ってくれ。ぼくも少し、のんびりしたいんだ。最近は、忙しいから」
「先生のわがままはささやかだ……」
 応じた三田村の声の優しさに、和彦は思わず笑みをこぼす。
「こんなわがまま、恥ずかしくてあんたにしか言えないんだ」
 バックミラーを通して一瞬三田村と目が合ったが、すぐに不自然なほど素っ気なく逸らされる。
 無表情がトレードマークの若頭補佐は、どうやら照れているらしい。指摘するのも不粋で、和彦は気づかないふりをした。
 何より、車中を流れる穏やかな空気を壊したくなかったのだ。









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