と束縛と


- 第23話(1) -


 玄関のドアを開けた途端、千尋が抱きついてくる。驚きで目を見開いた和彦は、次の瞬間には思いきり顔をしかめた。
「……酒臭い」
 傍迷惑なほど人懐こい犬のように、千尋は容赦なく和彦の首にしがみつき、体重をかけてくる。和彦はよろめきながらも千尋の体を支え、玄関の外に立っている男に視線を向ける。千尋の護衛についている組員で、申し訳なさそうに頭を下げた。
「先生、すみません。千尋さんがどうしても、こちらに寄りたいとおっしゃるものですから――」
 十分ほど前に急に電話がかかってきて、やけに上機嫌な千尋から、今からマンションに行くと言われたのだ。そのためこうして出迎えたのだが、ここまで千尋が酔っ払っているとは思わなかった。
「それはかまわないが、こいつがこんなに酔っ払うのも珍しいな」
「先代たちとご一緒されていたんです。かなり酒を勧められたようで、店から出てきたときにはこの状態で」
「先代って……」
「――じいちゃんのこと」
 ぼそぼそと千尋が答え、間近から見つめてくる。本能的に感じるものがあった和彦は、表情を押し隠しつつ組員に告げた。
「あとはぼくが面倒を見るから、朝、迎えにきてくれ」
 千尋を支えながらドアを閉めると、苦労して靴を脱がせ、半ば引きずるようにして寝室に連れて行く。
 多少乱暴に千尋の体をベッドに転がし、和彦はその上に遠慮なく馬乗りになる。いまさら、長嶺の男が突然部屋にやってきたところで、和彦は気を悪くしない。千尋の上に馬乗りになったのも、もちろん首を絞めるためなどではなく、身につけているものを脱がせるためだ。
 千尋は目を閉じ、されるがままになっている。基本的に甘ったれ気質の男なので、あれこれと世話を焼かれるのが好きなのだ。
「千尋、水を持ってこようか?」
 なんとかジャケットを脱がせてから問いかけると、千尋が薄く目を開ける。
「あとでいい。……先生、全部脱がせて」
「甘えるな」
 そう応じながらも和彦はネクタイを解き、ワイシャツのボタンも外していく。すると千尋が、酔っているとは思えない明晰な声で話し始めた。
「今晩、じいちゃんに言われた。先生は――総和会会長のオンナになったって」
 一瞬手を止めた和彦だが、ふっと息を吐き出してスラックスのベルトを緩める。
「……そうか」
「俺は、じいちゃんが怖いよ。だけど一方で、ものすごく頼りにしてる。じいちゃんが後ろ盾にいる限り、この世界で怖いものなんてないと思ってる。こういうのを、虎の威を借る狐って言うんだろうな。もっとも、じいちゃんの背中にいるのが狐なんだけどさ。……俺は、じいちゃんとオヤジに守られている頼りない犬っころだ。俺一人じゃ、何もできない」
 拗ねているわけでも、不貞腐れているわけでもなく、千尋は自分の未熟さを噛み締めるように話す。
「俺、先生を手放したくないから、最初にオヤジと組を利用したんだ。ヤクザが囲っている限り、先生は俺の側から逃げられない。俺のオンナでいてくれるって。先生は、三田村や鷹津とも寝ているけど、俺はなんとなく、先生は巣を作っているんだと感じている」
「巣?」
「この世界で、先生がぬくぬくと暮らせる場所。オヤジが価値を認めた男たちと寝て、先生はそれを作っているんだ」
 千尋の表現は、なんとなく和彦の中でしっくりときた。和彦が現在関係を持っている男たちは、賢吾が認めているだけあって、和彦に危害を加えることはない。その男たちと体を重ねることで、和彦はどんどん物騒な世界から抜け出せなくなっている。それどころか、心地いいとすら思っている。
 ここで和彦の脳裏に、つい先日、中嶋と『寝た』光景が蘇る。
 千尋は、和彦の交友関係――というより男関係を把握はしているだろうが、和彦が中嶋を抱くとは思いもしなかったはずだ。和彦自身、千尋どころか、賢吾にすらまだ打ち明けていなかった。
 ただ、知られるのは時間の問題だと思っている。
 一方、中嶋との関係を認めている賢吾は果たして、和彦がここまでの行為に及ぶと想定していただろうかと考えるのだ。仮に知ったとして、あの男は怒ったりはしないだろう。
『ぬくぬくと暮らせる場所』を和彦がせっせと作り上げていることに、ゆったりと笑むかもしれない。
 賢吾は、和彦を裏の世界に閉じ込めておくためなら、手段を選ばない男だ。
「先生が俺以外の男と寝てることに何も感じないわけじゃないけど、でも、先生が側からいなくなるよりずっといい。将来は、俺だけのものになる予定だし」
 最後の千尋の言葉は、返事のしようがなかった。千尋の中には、和彦に飽きる、という選択肢はまだないようだ。
「俺としては、そんな先生が、じいちゃんにも気に入られて、認められたらいいなと思ってたんだ。オヤジがそうなったように、じいちゃんが先生に骨抜きになっても、俺は納得はできた。先生を、長嶺の男たちで大事にするんだ。」
「……だったらどうして、そんな複雑そうな顔をする」
 靴下を脱がせた和彦は、次にスラックスを引き下ろす。
「――……先生を取り上げられるかもしれないと思ったんだ。『総和会会長のオンナになった』と、じいちゃんから言われたとき」
「だったらお前は、長嶺守光のオンナになったと言われたら、あっさり頷けたのか」
「それもどうだろ。納得できるから、先生を独占したいって気持ちがなくなるかというと、それは絶対にないよ」
「長嶺の男の理屈は、難しい。……もともとぼくは、人間関係にそう執着するほうじゃなかったし、お前みたいに、肉親を強く信頼することもなかったしな。普通の人間より、気持ちの機微に鈍いだけなのかもしれないが」
 そもそも長嶺という存在は、極道の中では異質だ。力がものを言う世界で、何より血を重んじている。その異質さを極端に現しているのが、男である和彦を、〈オンナ〉として三世代で共有しつつある状況だ。
 これはもう、理屈を理解できるかという話ではなく、受け入れるか否かが重要なのだろう。
 和彦はそんなことを考えながら、今度はワイシャツを脱がせていく。千尋は、年相応の青年らしい顔に深刻な表情を浮かべながら、露骨な問いかけをしてきた。
「――先生、この先も、俺のオンナでいてくれる?」
「嫌だと言ったら、どうするんだ」
「誰にも先生を抱かせない。もちろん、オヤジやじいちゃんにも。先生に最初に目をつけたのは、俺だ。俺のオンナになってくれないなら、誰のオンナにもさせない」
 長嶺の男は確かに情が強(こわ)い。千尋なら、子供のような傍若無人ぶりを発揮して、誰にも和彦に近寄らせないぐらいのことはしそうだ。そうする権利があると、千尋は本気で思っているのだ。
「つまり、お前を拒めば、ぼくは誰のオンナにもならずに済むということだな」
 あっ、と声を洩らした千尋が、情けない顔で見上げてくる。和彦はため息をつくと、脱がせたワイシャツをベッドの下に落とした。
「……お前、そんなことで、食えない連中ばかりのこの世界を生きていけるのか?」
「先生が絡むこと以外では、俺はしっかりしてるんだよ」
 ウソつけ、と口中で呟き、和彦はベッドから下りようとする。千尋に水を持ってこようとしたのだが、千尋はそうは取らなかったようだ。慌てた様子で和彦の腕を掴み、必死の顔で見つめてきた。和彦が逃げると思ったらしい。
「千尋……?」
 呼びかけると、千尋はうろたえた素振りを見せてから、次の瞬間には取り繕ったように傲慢な表情となる。
「俺のオンナなら――舐めろ」
 思いがけないことを言って、千尋は唯一身につけていた下着をわずかに下ろす。姿を見せた欲望は、和彦が戸惑っている間に、千尋の興奮を物語るように目に見える反応を示す。掠れた声で千尋はもう一度言った。
「今すぐ、これを舐めろ」
 和彦は逆らわなかった。下着を脱がせると、片手で千尋の欲望を握り締め、軽く上下に扱く。それから、両足の間に顔を伏せた。
「うっ、あっ……」
 千尋が望むように、〈オンナ〉として露骨なほどいやらしい愛撫を施す。たっぷりの唾液を擦りつけるように何度も舐め上げ、舌を絡ませると、若々しい欲望はあっという間に身を起こし、張り詰める。そんな千尋のものを、和彦はゆっくりと口腔に呑み込んでいき、熱く湿った粘膜で包み込む。
「せん、せ、すげっ――」
 呻き声を洩らした千尋の手が頭にかかり、髪を掻き乱される。素直な千尋の反応を、和彦はいとおしんでいた。
 頭を上下に動かしながら、唇で締め付けるようにして千尋の欲望を扱く。先端を舌先でくすぐると、引き締まった下腹部が小刻みに震える。同時に和彦の口腔で、すっかり逞しくなった欲望も震えた。
 興奮しきった千尋のものを口腔から出し、再び舐め上げてやる。先端から滲む透明なしずくを舌先で掬い取り、唇を押し当てて柔らかく吸う。このまま絶頂まで導いてやろうと思ったが、千尋がそれを拒んだ。
 突然和彦は腕を掴まれて、乱暴に体を引き上げられる。そのままベッドに押し倒されて、今度は千尋がのしかかってきた。
「先生の口、よすぎ。あっという間に精液吸い取られそうだった」
 千尋の言葉に、寸前までの自分の行為も忘れて和彦は羞恥する。
「バカ、何言ってっ……」
「でも先生、俺をもっと甘やかして、気持ちよくしてくれる場所が、あるよね?」
 千尋はもう、若い獣らしい、危ういほど傲慢で魅力的な表情を取り戻していた。興奮と欲望で両目は強い輝きを放ち、和彦を威圧してくる。
 トレーナーをたくし上げられ、露わになった胸元に千尋が顔を埋めてくる。和彦は、両腕でしっかりと、しなやかで熱い体を抱き締めてやった。
 硬く凝った胸の突起に、千尋がしゃぶりつく。強く吸われたかと思うと、舌先で転がされ、歯が立てられる。その間にも、スウェットパンツを下着ごと脱がされ、手荒く欲望を掴まれた。
「先生、すぐ入れたい」
 切羽詰った声で訴えられ、和彦は片腕で千尋の頭を抱き締めて、もう片方の手を頭上に伸ばす。棚に置いた小物入れの中をまさぐり、潤滑剤のチューブを取り出して千尋に手渡した。
 千尋はすぐに潤滑剤を指に取り、性急に内奥に施す。自分でトレーナーを脱ぎ捨てた和彦は、自ら両足を抱えて大きく左右に開く。恥知らずな姿勢を取ることに抵抗はあるが、今はそれ以上に、千尋の望むとおりにしてやりたかった。
 千尋がもどかしげに、内奥の入り口に張り詰めた欲望を押し当ててきた。
「あっ、ああっ――」
 凶暴な熱が容赦なく、狭い場所をこじ開けるようにして侵入してくる。潤滑剤に濡れた襞と粘膜を強く擦り上げられ、痛みを感じる間もない。電流にも似た心地よさが背筋を駆け抜け、和彦はピンと爪先を突っ張らせる。千尋は軽く眉をひそめた。
「……先生の中、ギュウッと締まってる。きつくて、俺の食い千切られそう……。でも、いいよ。すげー、気持ちいい」
 和彦の両膝を掴み、千尋が腰を突き上げてくる。内奥深くで重々しい衝撃が生まれ、それがじわじわと肉の疼きへと変化していく。和彦は甘い眩暈に襲われながら、緩やかに首を左右に振っていた。
「あっ、あっ、ち、ひろっ――。うっ、くぅ……、んうっ」
「先生、俺より感じまくってるね」
 笑いを含んだ声で言いながら、千尋の指に反り返った欲望を弾かれる。たったそれだけの刺激で、和彦のものは先端から透明なしずくを滴らせた。興奮したのか、内奥で千尋の欲望がドクンと脈打つ。そしてすぐに、大胆に腰を使い始めた。
 いつになく乱暴に内奥を突き上げられ、そのたびに和彦の腰は弾む。猛々しい獣が暴れるのに任せていると、そのうち体が壊れるのではないかとすら思ったが、その前に、ふっと激しい律動を緩めた千尋が、汗を滴らせた顔を寄せてくる。
 唇を吸い合い、濃厚に舌を絡め合いながら、内奥で息づく逞しいものを意識して締め付ける。心地よさそうに千尋が熱い吐息を洩らし、和彦は頭を撫でてやる。
 たまらなく千尋が愛しかった。
 和彦が自分の立場について思い悩むように、千尋は千尋で、悩むこと、考えることはたくさんあるのだ。そのことを打ち明けてくれる素直さが、和彦は好きなのだ。年齢を重ね、経験を経ていくうちに消えていくものだからこそ、貴重だとも思う。
 すぐに千尋は成長していき、いつか長嶺の男らしく、食えないヤクザとなっていく。そのときには今度は、新たに身につけた頼もしさを、愛しいと感じるかもしれない。そう感じることは道徳的に間違っているのだろうが、この世界で生きる限り、自分を求めてくれる男をたっぷり甘やかし、愛してやりたかった。
 なんの力もない〈オンナ〉に求められるのは、きっとその程度のことだ。
「千尋、千尋――……」
 何度も名を呼びながら、千尋のきれいな体を撫でて、情熱的な口づけを与える。千尋は和彦の上でしなやかに身をしならせ、内奥深くを抉るように突いてくる。
「先生、俺のオンナでいてくれる?」
 和彦が中からの刺激だけで絶頂を迎えたことを、下腹部を濡らす感触で知った千尋が、恫喝するように低い声で囁いてくる。
「……嫌だと、言わせない気だろ」
「当然。長嶺の男は執念深いし、情も深いんだよ」
「ものは、言いようだな」
 和彦が甘い顔を見せると、すぐに千尋は調子に乗り、恥ずかしげもなくこんなことを言い出した。
「――先生、胸に出していい?」
 やはり嫌だと言わせる気はないらしく、限界まで高ぶった欲望が内奥から大きく抜き差しされる。和彦は嬌声を堪えるために唇を噛んだが、体が震えるのは止められない。
「俺の出したもので、汚したい。先生が俺のものだって、すごく実感できるんだ。……いいよね? 俺のオンナなんだから、受け止めてくれるよね?」
 和彦が返事をする前に内奥から千尋のものが引き抜かれる。体に馬乗りになられた数秒後に、熱い精が胸元にたっぷりと飛び散った。
 汚されたとは感じなかった。ただ、充実感が和彦を包んでくれる。
 胸元に散った精を指先で肌に擦り込みながら、どこか陶然とした表情で千尋は洩らした。
「先生にいっぱいいやらしいことをして、辱めたい。俺には、先生をそうできる権利があるって、確かめたい」
「……ガキ」
「でも俺、セックスは上手いだろ?」
 ニヤリと笑って問いかけられ、素直に返事をするのも癪なので和彦は思いきり顔を背けた。


 汗に濡れた茶色の髪に指を絡めていると、何かを思い出したように千尋が顔を上げる。和彦の腕の付け根辺りに顔を埋めておとなしくしていたため、とっくに眠ったのかと思ったが、こちらを見上げてくる千尋の目は、まだ爛々と輝いている。
 行為のあとの気だるさを持て余している和彦とは、大違いだ。
「どうした?」
「今晩、じいちゃんと飲んだときさ――」
 この状況での守光の話題に、和彦は微妙な表情となる。いくら千尋に知られたとはいっても、取り澄ました顔ができるほど、図太い神経はしていないのだ。正直、守光との関係に対して、まだ戸惑っている最中だ。
「花見会の話題が出たんだ」
「……先日会長と旅行に行ったとき、少し説明してもらった。警察からは、総会と呼ばれていると……」
「そうだよ。警察にとっては、春の訪れを感じる行事らしいよ。なんといっても、大物ヤクザが勢揃いだから、対応が大変だ」
 腕枕をしている和彦の腕が痺れるとでも思ったのか、ごそごそと身じろいだ千尋が頭を上げる。
「新年会は、あくまで身内のための会なんだ。総和会に名を連ねる十一の組の人間しか参加が許されない。だけど花見会は、それ以外の組や団体からも人が集まる。この世界の人間は注目してるんだよ。今年はどこに、総和会会長からの招待状が届くか、って。総和会からの覚えがめでたいと、けっこう美味しい思いはできるし、揉め事にも利用できるから」
「ぼくの理解している花見とは、ずいぶん規模が違いそうだな」
「すごいよー。でかい屋敷を貸し切ってさ。そこの庭で花見するんだけど、右を見ても、左を見てもヤクザばかり。俺は高校生の頃、オヤジに連れられて一度だけ行った。別に楽しくはなかったけど、気前のいいおっさんたちが、やたら小遣いくれるんだ」
「お前は変なところで大物というか、無邪気というか……」
 いまさらながら、千尋がどれだけすごい環境で過ごしてきたのか痛感する。何よりすごいのは、そんな環境で揉まれてきながら、千尋が底なしの甘ったれだということだ。
 和彦が髪を撫でてやると、千尋は心地よさそうに目を細め、顔を寄せてくる。唇を触れ合わせるだけのキスを繰り返しながら、話を続ける。
「――で、その花見会に、今回は先生を招待するってさ」
「ぼくを?」
「ちょっとややこしいんだけど、先生はあくまで長嶺組お抱えの医者という立場だから、花見会に出席するなら、長嶺組組長であるオヤジか、その名代の同行者としてなんだ。――本来なら」
「その口ぶりだと……」
 軽く眉をひそめた和彦の機嫌を取るように、千尋が唇を吸ってきた。
「そう。じいちゃんが言ったんだ。先生を、総和会会長の個人的な客として招待したい、って」
「それは……困る。そんな場に顔を出して、ぼくはどうすればいいんだ」
「誰かが面倒見てくれるよ。そう、難しいことをする場じゃないし。いい機会だから、総和会の行事を体験してくればいい」
「……と、会長が言ったのか?」
 和彦の眼差しを受け、千尋が困ったような表情を見せる。
「じいちゃんが先生に招待状を渡すと言ったら、いくら俺でも止めようがないんだ」
「つまり、ぼくに断る権利もないということか」
「断りたい?」
 その問いかけは卑怯じゃないかと思い、和彦は口ごもる。面子を重んじる世界で、守光が招待するというのに、それをすげなく断る勇気はない。総和会と長嶺組、祖父と息子・孫の関係を考えればなおさらだ。
「ぼくは華やかな場で、上手く立ち回れるほど要領はよくないからな」
「いいよ。先生は美味いもの食って、桜の花見てたらいいよ。……あー、花見会の頃はまだ、桜は満開じゃないかな」
 総和会主催の花見会に出席するような者たちが、桜の開花具合などさほど気にかけるとも思えない。ただ、口にするのは野暮だろう。
「あっ、俺は顔を出せないから。正式な跡目の披露目式はまだだけど、成人したから、一応長嶺組の跡取りとして認められたことになってるんだ。で、青二才の跡取りは、花見会に顔を出す資格はないってさ」
「……総和会会長の孫だろうが、しっかりケジメはつけるということか」
「総和会の中だけの行事じゃないから、仕方ないね。普段はさんざん、特別扱いされてるわけだし」
 千尋は甘ったれでわがままではあるが、それが過ぎて暴君のように振る舞うことはない。育ってきた環境のせいか、組織の中での自分の在り方をよく心得ていた。
 残念だ、という言葉を呑み込んだ和彦は無意識のうちに、千尋の左腕に巻かれた包帯に指先を這わせる。それに気づいた千尋が、笑いながら教えてくれた。
「次の治療で、タトゥーの残りの部分全部にレーザー当てるらしいんだ。あとは様子を見て、という感じ。カサブタが剥がれたところから、けっこう消えていってるしさ。傷跡も、思っていたより醜くないし、けっこう順調だよ」
「苦労して消して、次は、本格的に刺青を入れるのか……」
「そう。時間をかけて、一生ものの本気なのを」
「――……こんなにきれいな体と肌をしているのに、な」
 千尋の剥き出しの肩を撫で、ぽつりと和彦は洩らす。引き止めたい気持ちがある一方で、千尋の父親である賢吾の、艶かしくて生々しい大蛇の刺青が脳裏に蘇り、胸の奥で妖しい衝動が蠢く。どんな図柄を入れるつもりなのか知らないが、千尋のきれいな体に彫られる刺青は、さぞかし映えるだろうとも思ってしまう。
 和彦のわずかな変化を感じ取ったのか、千尋が熱い吐息を洩らして唇を吸ってくる。
「考えるだけでゾクゾクする。俺の体に入った刺青を、先生が撫で回してくれるのかと思ったら」
 千尋の熱に刺激されたのか、身震いしたくなるような欲情が急速に和彦の中で大きくなる。そんな自分自身に戸惑い、慌てて千尋を押しのけてベッドから出ていた。
「先生……?」
 イスにかけてあるバスローブを取り上げて、和彦は上擦った声で応じる。
「喉が渇いたから、水を飲んでくる。お前にも持ってきてやるから、待っていろ」
 バスローブを羽織り、半ば逃げるように寝室を出る。キッチンに入った和彦は、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを二本取り出す。一本を開けて、さっそく口をつける。
 喉を通る水の冷たさのおかげで、自分の体がどれほど熱くなっているのか実感できた。ほっと安堵の吐息を洩らしたところで、前触れもなく背後から抱き締められる。驚いて振り返ると、裸の千尋がにんまりと笑いかけてきた。気配も感じさせずに、和彦のあとを追いかけてきたのだ。
「……待っていろと言っただろ」
「待ってられない。もっと先生が欲しい」
 そう言って、羽織ったバスローブの裾を捲り上げられる。
「千尋っ……」
 和彦は身を捩って逃れようとしたが、キッチンカウンターに追い詰められ、あっさり上体を押さえつけられる。
「今日はまだ、先生の中に出してなかったから」
「だからといって、ここじゃなくてもいいだろっ」
「俺を一人残してキッチンに行っちゃうから、先生が悪い」
「お前は子供かっ」
 和彦が抗議する間にも千尋の手は油断なく動く。腰を掴まれて、尻を突き出すような扇情的な姿勢を取らされていた。さんざん擦られて広げられた内奥の入り口は、濡れて蕩けたままだ。千尋は悠々と、高ぶりを押し当ててくる。
「――こんなに甘やかしてくれるんだから、俺は先生の前では、子供のままでいたい」
 口ではそんなことを言いながら、内奥に押し入ってくる千尋のものは充実した硬さと逞しさを持ち、立派な大人だ。
「あうっ……」
「甘えられるうちに、たっぷり先生に甘えておかないと。――明日には、どの男の腕の中にいるかわからないからね」
 ドキリとするようなことを呟いた千尋が、乱暴に腰を打ち付けてくる。熱いものを内奥深くまでねじ込まれ、和彦は声を上げながら締め付ける。素直な欲望が一際大きくなり、脆くなっている襞と粘膜を強く擦り上げてくる。
「うあっ、あっ、千尋っ……、千尋っ」
「いいよ、先生。中、ビクン、ビクンって痙攣してる。感じてる、よね?」
 律動の激しさに、足元から崩れ込みそうになる。和彦は必死にカウンターにすがりつき、その拍子に水がまだ入っているボトルを倒してしまう。こぼれた水が床へと滴り落ち、足元を濡らす。それに気づいた千尋が、ふっと律動を止めた。
「あー、床が濡れちゃった」
 そう洩らした千尋が、背後から和彦の耳に唇を押し当ててくる。同時に片手が、開いた両足の間に入り込み、興奮で震える和彦のものを握り締めてきた。
 次の瞬間和彦は、賢吾と千尋がいかによく似ているか強く実感した。
「先生、あとで俺が床を拭くから――漏らして見せて」
 耳元に注ぎ込まれた言葉に、頭の芯が揺れる。強い羞恥と興奮のせいだ。
「……嫌、だ……。そんな、はしたないこと……」
「言っただろ。先生にいっぱいいやらしいことをして、辱めたいって。これは、頼みじゃない。俺から、オンナへの命令」
 千尋が緩く腰を動かし、和彦のものを扱き始める。和彦は呻き声を洩らして腰を揺らした。
 賢吾だけでなく、その息子である千尋にまで恥辱に満ちた行為を求められ、倒錯的な悦びが全身を駆け抜ける。感じていたのだ。
「先にイかせてあげるから、いいよね、先生?」
 子供のように甘えた口調でありながら、千尋は容赦なかった。和彦から欲しい返事をもぎ取るように、柔らかな膨らみにも淫らな愛撫を加え始める。
 和彦は全身を震わせながら、小さく頷いた。




 和彦の顔を一目見るなり、端麗な容貌の男は表情をわずかに曇らせる。
 それが芝居がかって見えるのは、この男の美貌ゆえか、それとも胡散臭い存在のせいか――。
 頭の片隅でちらりとそんなことを考えた和彦は、唇をへの字に曲げてテーブルにつく。
「……ぼくの顔に何かついているか?」
 あえてぶっきらぼうな口調で問いかけると、今日の昼食の相手である秦は肩をすくめた。ごく一般的なレストランなのだが、この男が正面に座っているというだけで、とてつもない贅沢をしているような気がしてくる。
 平日ということもあり、周囲のテーブルを占めるのは、ビジネスマンやOLたちだ。ノーネクタイのやや砕けた格好の和彦と、きちんとスーツを着てはいても、見るからに普通の勤め人ではない秦の組み合わせは目立って仕方ない。
「少し居心地が悪いかもしれないが、我慢してくれ。午後一番に予約が入っているから、あまりクリニックから離れるわけにもいかないんだ」
 ランチを頼んでから和彦がぼそぼそと言うと、秦は穏やかに微笑む。
「気にしないでください。わたしの都合で、先生につき合ってもらっているんですから」
 午前中、秦から連絡が入り、渡したいものがあるので昼食を一緒に、と言われたのだ。断る理由もないため和彦は誘いに乗ったが、何を渡されるのか、いまだに教えられていない。
 おしぼりで手を拭く和彦の顔を、秦がじっと見つめてくる。最初は気づかないふりをしていたが、次第に苦痛になってきて、仕方なく和彦は口を開いた。
「……なんだ」
「先生もしかして、少しお疲れですか?」
 鋭いなと思いつつ頷く。
「昨夜はあまり……寝てないんだ」
 酔っ払った千尋がやってきて、そのまま深夜まで体を重ねていたのだ。そこに、キッチンの片付けという労働も加わった。
 十歳も年下の青年相手の痴態が生々しく蘇り、知らず知らずのうちに頬が熱くなってくる。そこに、さらに羞恥を煽るようなことを秦が言った。
「――わたしが出張している間、中嶋の相手をしてくれたそうですね。あいつ、喜んでいましたよ」
 和彦は咄嗟に返事ができず、視線をさまよわせる。こんな場所で露骨な言葉を口にすることもできず、慎重に言葉を選ぶしかない。
「全部、聞いたのか……?」
「ある程度は。とにかく、中嶋の機嫌はよかったですよ。わたしとしては、秘密の多い出張を終えて帰ってきたところだったので、中嶋からどんな探りを入れられるのか身構えていたんですが……、拍子抜けしました。事情を知って、先生に感謝しましたよ」
 中嶋から聞いた内容を、秦は艶然とした笑みを浮かべながら賢吾に報告しただろう。いや、それ以前に、すでに中嶋から賢吾へと報告済みかもしれない。
 和彦が関係を持つ男たちは、和彦の情報を当然のように共有するのだ。情も利害も絡んだ、妖しいネットワークだ。
「……ぼくは、彼に感謝しないとな。気分が塞ぎ込みそうになっていたところを、助けてもらった」
「セックスして先生に感謝されるなんて、羨ましい立場だ」
 秦が楽しげに洩らした言葉に素早く和彦は反応し、慌てて周囲を見回した。
「それで……、ぼくに渡したいものってなんだ」
 ああ、と声を洩らした秦は、隣のイスに置いた小さな紙袋を差し出してきた。
「出張のお土産で、香水です。なんとなく先生に合いそうだと思って。嫌な香りでなかったら、仕事が休みの日にでも使ってください」
「ありがとう……」
 紙袋を受け取った和彦は、香水の香り以上に、秦がどんな仕事で、どこに出かけていたのかが気になる。ちらりと視線を向けると、秦は秘密をたっぷり含んだ艶やかな笑みを返してくる。その表情を見ただけで、和彦が何を尋ねても、『出張』について答える気がないとわかった。
 ランチが運ばれてきたところで、腕時計で時間を確認する。秦とのおしゃべりを楽しみながら、優雅に食事ができるほどの余裕はあまりない。
「――お土産を渡すためだけに、わざわざ来てくれたのか?」
 食事をしつつ和彦が率直に疑問をぶつけると、秦は首を横に振った。
「中嶋と話していて、なんとなく決まったことなんですが、せっかくなので先生も誘おうという話になったんです」
「何を……」
 つい反射的に警戒してみせると、楽しそうに秦は口元を緩める。
「三人で、花見をしませんか。とはいっても、人ごみの中でにぎやかに飲むわけではなくて、ビルから夜桜を見下ろしながら、という形になりますが」
「花見、か」
 昨夜千尋から聞かされた、総和会の花見会のことが頭に浮かぶ。暖かくなってきて、物騒な男たちが精力的に動き始めたような気がして、なんだか和彦までソワソワとしてくる。
 春の嵐が起こる前触れのようなものを、今から感じていた。
「気が乗りませんか?」
 秦が顔を覗き込むふりをしたので、和彦は苦笑を洩らす。
「ぼくは、かまわない。……長嶺のほうで問題がないなら、いつでも夜遊びの誘いに乗る」
 よかった、と洩らした秦から意味ありげな視線を向けられる。ここ何日かの自分の痴態すべてを見透かされそうな危惧を覚え、和彦は食事に集中するふりをして目を伏せた。









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