と束縛と


- 第23話(4) -


 ようやく六分咲きといった桜は、この場に集まった男たちの発する鋭い空気に当てられ、自ら存在を消そうとしているのではないか。
 細い小道を通って庭に出た和彦は、ふとそんなことを考えてしまう。陳腐な表現だが、まるで映画やドラマを観ているようだった。つまりそれだけ、目の前で繰り広げられる光景に現実味がない。
 立派な日本庭園だった。どれだけの手間と時間をかけて手入れしているのかは想像もつかないが、広々とした庭を覆う芝は青々としており、その庭をさらに彩るように桜の木々は薄ピンクの花をつけている。松やツゲの木もバランスよく配置され、この庭に出る途中には、ツツジやサツキといった樹木も植えられていた。桜の花が散ったあともさまざまな花が楽しめるよう、当然のように考えられているのだ。
 招待客を誘導するために屋敷から庭へと赤絨毯が敷かれ、芝の青さも相まって、鮮烈に目に焼きつく。さらに、大きな赤い花がぽつぽつと咲いているかのように、野点傘が開いている。その下にテーブルとイスが置かれているのだ。
 和やかなパーティーの光景――というには、庭にいる男たちは一様にダークスーツや紋付羽織袴を身につけており、息を呑むほど壮観だ。誰が見ても、単なる親睦団体の花見だとは思わないだろう。
 この場にいる男たち全員が剣呑とした雰囲気をまとっており、明らかに一般人とは違う。荒んでいるわけでも、凄んでいるわけでもない。振る舞いはあくまで自然だが、それでも、見るものを畏怖させるだけの凄みがあるのだ。
 一年近く、ヤクザと呼ばれる男たちと接してきて、慣れていたつもりの和彦でも足が竦む。ここにいる男たちは、ただのヤクザではない。それぞれがなんらかの修羅場を潜り抜け、汚すことのできない看板を背負いながら、組織を動かしている男たちなのだ。だからこそ総和会に選ばれ、この場に招かれた。
 目につく色彩すべてが不吉なほど鮮やかで、それがますます和彦から現実味を奪っていく。唯一目に優しいのは、控えめに咲く桜の花ぐらいだ。
「――佐伯先生」
 庭を支配する息苦しいほどの重圧に懸命に耐えていると、ふいに傍らから声をかけられる。ハッとして顔を向けると、和彦が無事に花見会に出席できるようにと、わざわざ総和会が世話係としてつけてくれた男が立っていた。
 この庭に隣接する自然公園を、あくまで一般人を装いながら、男は和彦の護衛として傍らを歩き続け、今もこうして、案内役としての務めを果たしている。表を出歩くときは極力目立つことを避けるため、和彦もこの男も、今は地味な色合いのスーツを身につけている。
「休憩室を用意しています。そこで着替えを済ませてください。長嶺会長は現在、招待客の方々の挨拶を受けているところですので、まだ当分、時間がかかると思います」
「……そうですか……」
 和彦自ら、守光に会いたいと望んでいるわけではないが、当然、そんなことを声に出して言うわけにもいかない。
 男に伴われて歩きながら、和彦は控えめに視線を周囲へと向ける。黒をまとった男たちを少し落ち着いて観察してみれば、意外に年齢層が幅広いことに気づく。老年や中年といった年代の者が多いのは当然として、二十代や三十代に見える男たちも自然に場に馴染み、如才なく動き回っている。
 さすがにこの距離では所属する組織を示すバッジは見えないが、総和会だけではなく、招待客が伴ってきた男たちも大勢いるだろう。十一の組で成り立っている総和会が主催する花見会は、人脈を広げるには絶好の機会のはずだ。なんといっても、長嶺守光によって吟味され、招待された男たちだ。この表現は変かもしれないが、身元はしっかりしている。
 むしろ男たちにとっては、庭の隅を地味なスーツで横切る和彦が、怪しい存在に見えるかもしれない。気のせいではなく、探るような鋭い視線をちらちらと向けられているのだ。
 ちなみに和彦は、守光から贈られた総和会のバッジを今日は持参していた。そうするよう、事前に総和会から連絡があったためだ。心情的に抵抗はあるが、着替えを済ませたあと、立場を明らかにするためにバッジをつけることになっていた。
 庭に面した渡り廊下に沿うように歩いていると、敷地のどの辺りなのか見当もつかないうちに、きれいに払い清められた正面玄関へと出る。すでに門はしっかりと閉ざされ、外の厳重すぎるほどの警備の様子をうかがい知ることもできない。開放的だった自然公園とは対照的に、ここは庭や屋敷を含め、敷地はすべて高い塀に囲まれているのだ。
 和彦はタクシーで移動しながら、外にどれだけの数の警官や機動隊が動員されているか、自分の目で見ることができた。まるで威圧するように、塀の周囲を数メートル間隔で機動隊員が立っており、警官が往来で容赦なく所持品と身体検査を行い、花見会の出席者たちはおとなしく従っていた。
 自分があんなに目に遭っていたらと考えるだけで、和彦は底知れない不安感に襲われる。今日は大丈夫だったとしても、いつかは、佐伯和彦という人間が何者なのか、警察に知られるかもしれないのだ。
 靴を脱いで式台に上がった和彦は、改めて玄関前へと視線を向ける。玄関は開け放たれているのに、正面に据えられた門が頑なに閉ざされているというのは、不思議な感覚を与えてくるのだ。何より、門を内側から守っているのはダークスーツ姿の男たちで、門の外に立つのは警察という現実が、裏と表の世界の境界線を示していると感じる。
 心の中に入り込もうとした何かを振り切るように踵を返し、和彦は男についていく。
 案内されたのは、こじんまりとした和室だった。外からたっぷりの陽射しが差し込んでいるため室内は明るく、何より、窓から見える景色が贅沢なほど素晴らしい。生い茂った木々の間から池が見え、そこにかかる小さな橋の風情も相まって、まるで風景画のようだ。
「部屋の外にうちの者を立たせていますから、安心してお寛ぎください。会長が庭に出られるときに、声をおかけしますから」
 わかりましたと和彦が答えると、男は一礼して障子を閉めた。
 一人になって肩から力を抜いた和彦は、室内を見回す。ハンガーラックにはダークスーツ一式が掛けられていた。いつ必要になるかわからないものの賢吾に言われるまま仕立ててもらい、長嶺の本宅に置いてあったのだ。この先、身につける機会が増えるのかもしれない。
 ゆっくりするのは後回しにして、とにかく着替えることにする。
 ダークスーツを腕にかけたところで和彦は、この部屋にあるのは姿見ではなく、鏡台であることに気づいた。置かれた化粧箱や手鏡、部屋にさりげなく飾られた小物などから推測するに、どうやらこの部屋は、普段は女性の利用を主としているようだ。
 自分の置かれた立場もあって、何か意味はあるのだろうかと深読みをしたくなるのは、自虐に近い感情ゆえだ。和彦は、鏡に映る難しい顔をした男を一瞥して、ジャケットのボタンに指をかけた。


 柔らかな芝を踏みしめて歩いているという感覚が、まるでなかった。それどころか、手足がきちんと動いているのかすら、自分で認識できない。
 緊張のあまり気分が悪くなりそうだと、荒く息を吐き出した和彦は無意識に喉元に手をやる。いつも通り締めたはずのネクタイを苦しく感じるが、当然、この状況で緩めることなどできるはずもない。
 伏し目がちだった和彦は、思いきって視線を上げる。数歩先を歩いているのは、上背のある痩身の体を紋付羽織袴で包んだ総和会会長だ。黒羽二重の黒が豊かな白髪をより際立たせるが、だからといって老いを印象付けられることはない。そういう次元で、目の前の人物を捉えてはいけないのだ。
 泰然と歩く後ろ姿は、まるで散歩でもしているようでもあるが、向けられた背に一体何が棲んでいるか知っていると、畏怖と畏敬の念を抱くだけだ。
 それだけではない。和彦はさきほどから、獣のような野蛮で荒々しい気配を隣から感じていた。大柄な体をダークスーツで包んだ南郷だ。
 庭に出る守光の同行者は、和彦と南郷の二人しかいない。せっかくの花見で、無粋に護衛を引き連れて歩くわけにはいかない、という守光自身の言葉があったためだが、なぜ自分がと、和彦は自問せずにはいられない。
「――肝が据わっていると評判の先生も、さすがに緊張しているようだな」
 唐突に南郷が、揶揄するように話しかけてくる。和彦は冷ややかな一瞥を向けてから、頭上に咲く桜の花を見上げる。ちくちくと神経を刺激してくるような南郷の言葉に、わざわざ応える気にはなれなかった。南郷は機嫌を損ねたふうもなく、聞こえよがしに呟く。
「素っ気ない……」
 率直に言って、和彦は南郷が苦手だ。鷹津も大概嫌な男だとは思うが、あの男の場合、言動が明け透けで遠慮がない分、和彦も同様に遠慮なく言い返せるため、割り切ってつき合う分にはストレスが少ない。何より刑事という肩書きが、狂犬のようなあの男の歯止めとなっている。だからこそ、和彦の番犬でもあるのだ。
 一方の南郷は――とにかく得体が知れない。和彦の神経を逆撫でるような言動を取りながら、紳士的な姿勢だけは崩さない。しかし、獣のような本性が透けて見える。おそらく本人は計算したうえで、和彦の反応を楽しんでいるはずだ。
 この不快さはなんなのだろうかと考え、和彦はすぐに適当な例えを思いつく。
 圧倒的な力を持つ獣が、ひ弱な小動物を捕らえたとき、ささやかな抵抗を楽しみながら弄ぶ行為に似ているのではないか、と。
 そんな南郷が隣にいるだけでも重圧なのに、今日、和彦の一挙手一投足を観察しているのは一人ではない。
 庭の中央に歩み出るにしたがい、暖かな陽気には不似合いな冷や汗が出てくる。覚悟はしていたのだが、予想以上の視線が四方から突き刺さってくる。庭に出て、守光の登場を待っている男たちは、その守光の背後をついて歩く和彦を露骨に探り、値踏みしているのだ。できることなら逃げ出したいが、それはもう叶わない状況だ。
 千尋のウソつきめ、と心の中で洩らす。花見会に出席しても、挨拶回りをする必要も、守光の隣に立つ必要もないと千尋は言っていたが、現実はそう甘くはなかった。いや、守光が甘くなかった、というべきか。
 総和会会長への挨拶は屋敷の中で済ませ、庭では、招待客同士の交流を目的として、談笑しつつ、満開とはいいがたい桜の花を愛でることが目的となっているそうだ。
 ただ、守光に足を止めてもらおうと、男たちが恭しく、しかし目の色を変えて話しかける様は、和やかな花見の光景とは言いがたい。総和会会長という肩書きを持つ人物と、護衛なしで相対する機会は希少なのかもしれない。
「――こういう場のほうが、俺は気が楽だ」
 スラックスのポケットに無造作に片手を突っ込み、南郷が言葉を洩らす。獣の唸り声が空気を震わせたように感じられ、反射的に和彦は体を強張らせる。
「さすがにここで、オヤジさんを襲おうなんて人間はいないだろ。仮にそのつもりでも、みんな互いを牽制し合ってる。とても不審な動きはできない。だから安心して、オヤジさんの後ろ姿を眺めていられる」
「……だとしたら、どうして会長は、この場でもあなたを伴われているのですか?」
 守光の姿に目を向けたまま和彦は口を開く。
「伴うべき人間は別にいる、か?」
「それは、わかりません。ただ、どうしてなのかと思っただけで……」
「そういうあんたも、オヤジさんに請われて、一緒について歩いているだろ」
 それを言われると、和彦には返す言葉がない。守光のオンナとなり、言い方は悪いが、まさに見世物にされているようなものなのだ。しかし、花見会の出席者たちにとって、守光の存在は絶対だ。その守光のオンナに下卑た言葉をかけることも、蔑みの視線を向けてくることもない。
「――長嶺守光は、あまりにでかい存在だ。そこにさらに、大幹部たちを引き連れて歩いていたら、それこそ単なる権力の誇示でしかない。それは、さっき屋敷の中で済ませた。今は……純粋に桜を楽しんでいるんだ。総和会会長の庇護下にいる、あんたと俺を引き連れて」
 それだけだ、と念を押すように南郷が言ったが、唇を吊り上げるように笑う南郷の横顔を見てしまうと、到底信じる気にはなれなかった。南郷のほうもそれを承知しているらしく、嘯くように呟く。
「あんたは、まだ知らなくていい。まだ、知るときじゃない」
「何を――」
 問いかけようとしたとき、ふいに南郷の手が背にかかり、前に押し出される。いつの間にか守光がこちらを見ており、軽く手招きしていた。
「オヤジさんが呼んでいる」
 わけがわからないまま守光の元に歩み寄ると、腕を取られる形で伴われ、次々に招待客を紹介される。一応、総和会を構成するすべての組の名は把握しているが、その傘下組織や下部団体となると、和彦の記憶は怪しくなる。そこまで把握する必要はないという賢吾の考えに従ってのものだが、どうやら守光は違う考えのようだ。
「小さな組織だろうが、人が集まれば派閥というものが生まれる。それが総和会という、十一の組で作り上げた組織となると、一つ一つの派閥が大きくなり、複雑な利害を孕んで動き出す。わしは今、その派閥の動きを御しているが……、わしが衰えたら、一気に暴れ出すだろうな。次期会長が決定するまで」
 のんびりとした足取りで歩く守光の表情は穏やかだが、淡々とした口調で語る内容は物騒だ。
「総和会は、それを繰り返しながら、大きくなってきた。矛盾しているようだが、秩序を保ちつつ、総和会の内外で激しい嵐が吹き荒れる。もちろん、血生臭い事態にもなる。賢吾が総和会を避けたがるのは、それがあるからだ。あれは慎重な男で、長嶺組を大事にしている」
「……会長が、今の立場に就かれるときも、大変だったのですか?」
「ああ。そのときのわしは、鬼の顔をしていたと賢吾に言われた。――賢吾には、わしのような苦労はさせたくない」
 さりげなく付け加えられた言葉がどれだけの重要性を持っているか、和彦はすぐに解した。ハッとして守光の顔を見ると、鋭い笑みで返される。
「何も知ろうとしないことで、無害な存在としてこの世界で生きていくことは可能だろう。だが、わしの〈オンナ〉になったことで、あんたはもう、その手段は使えんよ。知ることが、あんたの身を守ることになる。もしかすると、あんたの可愛い男たちを守ることにも……」
 守光が視線を向けた先に、見慣れた男の姿があった。賢吾だ。こちらに気づいていないのか、数人の男たちと立ったまま話していた。
 もう一人の長嶺の男である千尋は、今日は長嶺組の事務所に詰めている。組長である賢吾が表舞台に顔を出している間、その跡目は組を守るのが役目だ――と賢吾自身が言っていたが、千尋を出席させないための方便ではないかと和彦は勘繰っている。総和会会長の孫として千尋が大々的に注目を浴びる状況を、賢吾が喜ぶとは思えない。
 賢吾を見つめたまま、和彦はわずかに目を細める。
 やはり、陽射しの下が似合わない男だと思う。禍々しい存在感が増し、まとった陰がより濃く見える。だからこそ、一際魅力的に見えてしまう。
 その賢吾以上に禍々しいながら、一切の陰をうかがわせない守光が、機嫌よさそうな声で続けた。
「わしとともにいるときは、見聞きしたことはなんでも覚えるようにしておくといい。総和会会長の隣で、人や情報に接する機会はなかなか貴重だ」
 そうすることで和彦は、ますます裏の世界に深入りすることになる。守光や、さきほどの南郷の意味ありげな言葉を聞いていると、知らず知らずのうちに自分は、何かとてつもない役目を負わされようとしているのではないかと不安に駆られる。
 それが表情に出たらしい。守光は低く笑い声を洩らした。
「あんた自身に、人間を見極められるようになってほしいだけだ。花見会の席に、わしがあんたを伴って歩いたということで、佐伯和彦という存在は秘密ではなくなった。これをきっかけに、なんらかの利益を得ようと、あんた個人に接触しようとする者も現れるだろう。長嶺組の護衛に適当にあしらってもらうもよし、膝をつき合わせて世間話をしてみるもよし。どうしたいかはあんた次第だ。とにかく、この世界の人間を知っていけばいい。好きか嫌いか。使えるか否か。まあ、物差しはいろいろだ」
 話す守光の口調にわずかに熱がこもり、比例するように目には冷徹な光が宿っていた。桜の開花をさらに促すような陽気すら凍りつかせてしまいそうな、そんな恐れを抱かせる光だ。
 これが守光の本性なのだろう。内にどれだけの陰を抱えようが、それを表に出すことなく、穏やかな人柄を装える。そんな守光を化け物だと言ったのは、賢吾だ。
「息子と孫が大事にするあんたには、賢い人間でいてもらいたい」
「……ぼくは、どんな蔑みの言葉をかけられても気にしません。ただ、あの二人が、ぼくのせいで恥をかくことだけは我慢できないと思います」
 和彦の返答に満足したように守光は頷き、優しい顔で言った。
「これから、口うるさい年寄りたちと座って話すんだが、あんたも同席するといい。話好きな連中だから、聞き上手な人間は歓迎される」
 守光が機会を与えてくれ、愚鈍な人間でいたくない和彦は受け入れる。
 この瞬間、立場がまったく違う二人の間で、ささやかな取引が成立した。


 広い庭は、探索心を刺激する魅力に溢れている。芝庭では、桜の花と、黒を身につけた男たちの対照的な姿で占められていたが、屋敷の周りを少し歩いて移動すると、和彦が着替えのために与えられた部屋の裏に出て、窓から見えた景色が目の前に現れた。
 隣接する自然公園とは、無粋な分厚いコンクリートの壁で仕切られているのだが、それを巧みに見せないよう、まっすぐ伸びた竹が隠している。おかげで竹林が広がっているように見えるのだ。
 もともと自然公園は、花見会の会場となっている広い庭と屋敷の主の所有地だったが、手入れの手間や莫大な固定資産税を考えて、市に寄付したのだそうだ。
 このときどんなやり取りがあったのか和彦には想像もできないが、屋敷の主は総和会と深い間柄でありながら、地元の名士という一面を持っている。外にどれだけの数の警官が配備されようが、塀の内側への介入は一切許さない姿勢を貫くことは、相応の地位や後ろ盾がなければ不可能だろう。
 ちなみにこれらの情報は、屋敷で昼食をとりながら、さりげなく耳に入ってきたものだ。守光に言われたからではないが、和彦は見聞きしたことはできるだけ、記憶に留めておくことにした。
 しかし今日は、花見会に出席してほんの数時間ほどしか経っていないというのに、一気に情報に触れすぎたようだ。それに人にも酔った。少し頭がぼうっとしている。
 縁台に腰掛けた和彦は池を眺めながら、ペットボトルに口をつける。午後に入ってから気温が上がってきて、雲一つない晴天ということもあり汗が滲む。冷たい水が喉を通る感触が心地よく思えるほどだ。
 守光に許可を得て、一人で庭を散策できる時間ができて助かった。人前で無様な姿を晒しては、和彦一人が恥をかくならともかく、守光の顔に泥を塗るところだった。
 短く息を吐くと、頭上を仰ぎ見る。釣殿を意識したものらしい池の辺にあるこの建物は、風通しがいいよう周囲を吹き放ちにしており、屋根は四本の柱で支えられている。おかげで陽射しは遮られ、休憩をするにはうってつけの場所だ。
 何よりありがたいのは、人が来ないということだ。
 すっかり気を抜いた和彦が手すりに腕をかけようとしたとき、砂利を踏む音が耳に届く。反射的に振り返ると、賢吾が立っていた。
「どうして――」
 思わず和彦が洩らすと、陽射しを避けるように賢吾も屋根の下に入ってくる。周囲をぐるりと見回してから、当然のように和彦の隣に腰掛けた。
「こんなところに一人でいると、怖い男にかどわかされるぞ、先生」
「あんたみたいな男が、他にいるわけないだろっ……」
 ムキになって言い返すと、賢吾がニヤリと笑う。その顔を見て、胸の奥がじわりと熱くなる。素直には認めたくないが、賢吾の声を聞いて安心したのだ。ずっと守光の側にいたため、今日賢吾と会話を交わしたのは、これが初めてだった。
「少しの間、様子を見ていたが、オヤジの毒気にあてられたような顔をしていたな」
「……悪趣味だな」
「何を吹き込まれたのかと、考えていたんだ」
 実は賢吾は、自分と守光の会話をどこかで聞いていたのではないかと、ありえないことを一瞬本気で和彦は考えてしまう。
 警戒心を露わにした和彦の反応に満足したように、賢吾は目を細める。
「オヤジはやけに、先生に執心だ。息子と孫が骨抜きになっている色男を、物珍しがっているだけなのかと、最初は思っていたんだがな……。あれは確かに、執心だ。オヤジが、先生の父親と面識があったと聞いてから、妙に引っかかるものがあるんだ」
「引っかかるって……?」
「縁、というやつだな。千尋と先生が出会う遥かに昔に、オヤジが佐伯家と結んでいた。これを因縁というのかもしれない。偶然の一言で片付けるのは簡単だが、どういうわけだか長嶺の男は、先生と相性がいい。オヤジが執心するのも無理はない。なんとしても先生を――特別な縁を、繋ぎとめておこうとするだろう」
 賢吾の艶のあるバリトンは、いつになく凄みを帯びていた。首筋を冷たいもので撫でられたようで、和彦は大きく身震いする。それに気づいた賢吾の手が肩にかかった。
「冷えたか、先生」
「……違う。あんたの放つ毒気にあてられそうになったんだ」
「俺が毒気? だったら大蛇の毒だな。ちなみに九尾の狐は、死んだあとに大きな石に姿を変えて、毒気を放ち続けたらしいぞ」
「そのうちぼくは、長嶺の男の毒で弱っていくかもな」
 苦々しく和彦が洩らすと、失礼なことに賢吾は鼻先で笑った。
「そんなタマじゃねーだろ、先生は。貪欲に毒すら呑み込んで、オンナっぷりを上げるんだ」
 野外だというのに、かまわず賢吾が片手を伸ばしてきて、和彦の頬を撫でてくる。慌てて手を押しのけようとしたが、向けられる熱っぽい眼差しに、まるで大蛇の毒が回ったように体が動かなくなる。
「――堂々としていたぞ。あの総和会会長の隣にいて臆した様子もなかった。会長お気に入りの医者、という触れ込みにはなっていたが、先生を目にして信じた奴はいねーだろうな。総和会のバッジを胸につけた澄まし顔の色男ということで、薄々とながら事情を察する。あれが、総和会会長の〈オンナ〉か、とな。どうやって抱いているのかと、想像する奴もいただろうな」
「そんな悪趣味な人間が、何人もいるなんて思いたくない……」
 賢吾の指先に耳朶を弄られ、微かな疼きが背筋を這い上がってくる。
「だったら俺は、その悪趣味な人間の一人だな」
 和彦をからかっているようでいて、賢吾の言葉の端々からうかがえるのは、実に人間らしい感情だ。それとも自分のうぬぼれなのかと、和彦が内心で戸惑っている間も、賢吾の指先はまるで愛撫するように動き、うなじをまさぐってくる。
 引き寄せられるまま賢吾との距離を縮めようとしたとき、和彦の視界に、小道から姿を現した南郷の姿が飛び込んでくる。驚いて目を見開くと、賢吾が鋭い表情となり、ゆっくりと振り返った。
 和彦と賢吾の妖しい雰囲気を感じ取ったはずだろうが、かまわず南郷は、砂利を踏む派手な足音を立てて側までやってくる。
「ご挨拶が遅くなりました、長嶺組長」
 南郷は大きな体を折り曲げるようにして、深々と頭を下げる。賢吾は、ゾッとするほど冷ややかな眼差しを南郷に向けていた。
 和彦は、静かで穏やかだった場の空気が一瞬にして張り詰めたことを、肌で感じ取る。敵意や悪意といったあらかさまなものではないが、抜き差しならぬ何かが二人の男の間を行き来していた。
「新年の挨拶のとき以来か、南郷。オヤジによく尽くしてくれているようで、息子として礼を言う。――花見の席で、オヤジがお前を連れ歩いている姿を見ていると、まるでお前のほうが、本当の息子のようだった」
 傍で聞いているほうがヒヤリとするようなことを賢吾が言う。南郷がようやく頭を上げ、賢吾に負けず劣らず鋭い眼差しを向けてくる。陽射しの下で動き回っていたのか、浅黒い肌は汗で濡れていた。
「野良犬同然だったわたしを、長嶺会長には過分なほど引き立てていただいています。ご恩に報いるために――」
「堅苦しいことはいい。総和会の中では、お前はオヤジの息子だ。そういう役割を与えられている。お前自身、身に覚えはあるだろ?」
「……わたしの口からはなんとも」
 賢吾は挑発的に、南郷は不気味なほど控えめに。二人のやり取りを息を詰めて見守っていた和彦は、無意識のうちに賢吾の腕に手をかける。それでなくても、賢吾の表現を借りるなら、守光の毒気にあてられたような状態の和彦には、今の緊張感が耐えられなかった。
 南郷の目があるというのに、賢吾が再び頬を撫でてくる。
「大丈夫か、先生?」
「二人で話したいなら、邪魔をしたくないからぼくは場所を移動する」
 和彦の言葉に、一瞬の間を置いて賢吾は薄い笑みを浮かべた。そして、南郷を見る。
「南郷、俺じゃなく、先生に用があって来たんじゃないのか?」
「はい。会長が、先生をお呼びです」
「ふん。だったら、俺が先生を独占しているわけにはいかねーな」
 そう言って賢吾の手が背にかかり、促されるように和彦は立ち上がる。南郷の元に向かいながら、後ろ髪をひかれるように振り返ると、賢吾はじっと南郷を見つめていた。
 まさに、草むらに身をひそめ、獲物の動きを追う大蛇のような冷酷な目で。




 風呂から上がって浴衣に着替えた和彦は、敷かれた布団の上に座り込み、疲れた、と一言洩らす。それだけで体中の力が抜けてしまい、このまま寝転がりたい誘惑に駆られる。
 だが、〈彼〉の視線が気になる――。
 和彦が目を向けた先には、床の間に掛けられた掛け軸がある。画かれているのは、凛々しくも艶かしい鎧姿の若武者だ。ようやく桜が咲き始めた季節には、この掛け軸は少々時季が早いかもしれないが、もしかすると和彦の宿泊に合わせて飾ったのかもしれない。
 花見会を無事に終えてから、一息つく間もなく和彦は、総和会の人間たちとともに外で夕食をとった。その後、帰りの車の中で守光から言われたのだ。自宅に泊まるように、と。守光は最初から、花見会の後も和彦を解放する気はなかったのだろう。
 和彦にしても、今日一日、自分の体は総和会に貸したも同然で、求められればどんな役割でも果たすつもりではいた。その役割の中には当然、総和会会長の〈オンナ〉というものも含まれている。
 せっかくの日曜日は花見会で潰れてしまい、明日は平常通りクリニックがある。てっとり早く疲労を取るにはすぐにでも、課された役割から解放され、何も考えずに眠ってしまうに限るのだろうが、まだ無理そうだった。
 総和会という組織の巨大さを見せつけられた行事の余韻に、心と体がまだ興奮している。そのため、疲れているのに少しも眠気がやってこない。
 なんだか落ち着かない気分になり、立ち上がった和彦は障子に歩み寄る。その向こうにある窓は、外部からの侵入者だけではなく発砲沙汰を恐れて、特殊ガラスのうえ、嵌め殺しとなっている。気軽に外の風にあたることは叶わない。
 障子をわずかに開け、夜の住宅街の様子を隙間から眺める。少しの間そうしていると、客間の外から声をかけられた。
「――起きているなら、お茶につき合わないかね」
 ピクリと肩を揺らした和彦は、逡巡はしたものの無視できるはずもなく、引き戸を開ける。浴衣の上から丹前を羽織った守光が立っていた。和彦が客間に入る前に、片付けておきたい用事があるということで誰かと電話で話していたが、ようやく落ち着いたらしい。
 守光とともにダイニングに行くと、入れ違いに一人の男が玄関へと向かう。守光の生活全般の世話をしているそうで、今日、和彦の着替えを用意したり、布団を敷いてくれたのも彼だった。ただし、まだ直接言葉を交わしていない。砕けた空気で接してくれる長嶺組の男たちとは対照的だ。
 ダイニングテーブルの上にはすでに二人分のお茶が用意されており、守光に促されて和彦はイスに腰掛ける。
 向き合い、熱いお茶を啜ってから、和彦はほっと息を吐き出す。
 同じ建物の中で、今も何人もの男たちが働いているのだろうが、少なくともこの空間は静かだった。気を抜くと、ここがどんな場所なのか忘れてしまいそうになる。
「今日はご苦労だった。大勢の人間に会って、気疲れしただろう」
 守光からかけられた言葉に、素直に和彦は頷く。
「まだ、信じられません。自分が、大きな組織の行事ごとに出席していたなんて」
「あんたは本当に、肝が据わっている。気負うわけでもなく、澄ました顔で場に馴染んでいた」
「……緊張しすぎて、顔の筋肉が動かなかっただけです。とにかく迷惑をかけてはいけないと、それだけで頭がいっぱいでした」
 ふふ、と守光が低く笑い声を洩らす。
「心配せんでも、あんたは――化ける。下手な極道など太刀打ちできんような、したたかさとふてぶてしさと妖しさで、厄介な男たちを手懐けていけばいい。そしてできれば、長嶺の男たちを可愛がって、支えてやってほしい」
 和彦は目を丸くして、守光の顔を凝視する。今日は守光から、たくさんのことを聞かされた。まるでこの先、和彦がどんな日々を送り、男たちから何を求められるのか知っているような口ぶりで。
 自分の目の前に、どこに続いているのかわからない道が伸びている光景を想像し、和彦は急に不安に襲われる。つい、ささやかな抵抗を示すようにこう言っていた。
「先のことは……、わかりません。そうありたいとぼくが願っても、賢吾さんや千尋が、同じことを願うとは限りませんし」
「ふむ。むしろわしは、それはあまり心配していない。あんたが逃げ出そうとしても、賢吾も千尋も許さんだろう。縛り上げて、監禁してでも、あんたを側に置こうとするはずだ」
 大げさな表現だと思い、口元を緩めようとした和彦だが、すぐに表情を強張らせることになる。守光がこう続けたからだ。
「――もちろん、わしも」
 この瞬間から、空気は変わる。素早くそれを感じ取った和彦は、努めて冷静を装いながらお茶を飲む。一刻も早く客間に戻ろうと思ったのだが、先に行動を起こしたのは守光だった。
 静かに立ち上がり、ゆっくりとした足取りで和彦の傍らに立つと、肩に手が置かれる。
「少し腰を揉んでほしいんだが、頼めるかな」
 数瞬、息を詰めた和彦は、浅く頷く。まるで操られているようにぎこちない動作で立ち上がった。
 初めて足を踏み入れた守光の部屋は、ごく普通の和室だった。高価な調度品を飾っているわけでもなく、唯一目についたのは、床の間に掛けられた掛け軸だ。画かれているのは、満開の花をつけた桜の木だ。
 その桜は、華やかさではなく、陰りを帯びている。室内をぼんやりと照らし出すスタンド照明のせいかもしれない。シェードに使われた和紙を通して、人工的な明かりは独特の風合いを帯び、濃密な空気を作り出す小道具となる。
 すでに敷いてある布団の上に、丹前を脱いだ守光がうつ伏せで横になる。和彦は傍らに膝をつくと、おずおずと両手を伸ばした。
「……すみません。腰を揉んだことがないので、多分、下手だと思います」
「かまわんよ。要領なんてすぐ覚える」
 最初は遠慮がちに手に動かしていたが、痩身でありながらしっかりと硬い感触が伝わってくる守光の体は、多少の力を加えても跳ね返してくる。和彦は、体重をかけるようにして守光の腰を揉んでいく。
「昔は、千尋が揉んでくれていた。人の腰の上で飛び跳ねて、とにかく元気な子供だった」
「今の姿を見ていても、想像できます。……賢吾さんは、どうだったのですか?」
「やはり、気になるかね」
 そう返した守光の声は、笑いを含んでいる。他意のない問いかけをしたつもりだったが、意識しないまま和彦の顔は熱くなってくる。守光がうつ伏せの姿勢で助かったと思った。
「あの人の子供の頃というのが、まったく想像できなくて……」
「あれも、悪ガキだった。千尋とは違って人懐こい性質ではなかったが、それでも不思議と、年寄り連中には受けがよかった。それと――女に」
 ここで守光に、腰だけでなく背も揉むように言われる。和彦はわずかに動揺し、手を止めて守光の背を見下ろす。浴衣の下には、あの九尾の狐の刺青が息づいているのかと思うと、背に触れることをためらってしまう。
「どうかしたかね?」
 守光の発した穏やかな声に我に返り、和彦は慌てて手を動かす。何度となく賢吾や三田村の刺青を撫でているというのに、浴衣を通してとはいえ守光の刺青に触れるのは、ひどく抵抗がある。恐れ多い、という感覚があるのだ。
 その気持ちを抑えつけ、守光の腰や背だけではなく、肩も揉んでいく。意外な力仕事に、風呂上がりということもあって和彦の肌は汗ばみ、息が弾む。
「なかなか、体力がいるだろう。やり方を覚えて、賢吾にもしてやるといい。きっと喜ぶ」
「そうですね――」
 前触れもなく守光が身じろぎ、体を起こす。何事かと思ったとき、和彦は腕を掴まれて引っ張られ、咄嗟に守光の肩に手を置いた。この瞬間、自分の本来の役目を果たすときがきたのだと悟った。
 長嶺守光の〈オンナ〉としての役目を。
 室内をぼんやりと照らす明かりは、守光の端整な顔に、昼間とはまったく違う表情を造り出す。静かだが、凄みを帯びた眼差しに見つめられ、漠然と和彦は感じた。世代は違えど、抱えた欲望の激しさは、賢吾とまったく同じだと。
 総和会会長という肩書きを持っていながら、守光にはまだ欲しいものがあるのだろうか。そんなことを考えているうちに、和彦は唇を塞がれる。
 味わうように何度も唇を吸われながら、まだ湿っている後ろ髪を梳かれ、うなじを撫でられる。口腔に守光の舌が入り込み、まさぐられる頃、和彦はぎこちなく体から力を抜いていた。目隠しをしていない状態で初めて守光に求められて、緊張している。和彦のその緊張を愛でるように、浴衣の上から守光が肩や背を撫でてきた。
 緩やかに舌を絡め合い、唾液を交わす。引き出された舌を、露骨に濡れた音を立てながら吸われ、軽く歯を立てられると、たまらず和彦は鼻にかかった声を洩らす。守光の息遣いが笑った。
 抱き寄せられ、自然な流れで布団に押し倒される。伏せていた視線を上げると、驚くほど間近に守光の鋭い目があった。怖い、と思った瞬間に、無視できない肉欲の疼きが和彦の胸の奥で生まれる。
 もう一度、深い口づけを交わしながら、浴衣の胸元を広げられていた。さらに守光の手は下がり、下着を脱がされる。
「うっ……」
 両足の間に差し込まれた手に、いきなり敏感なものを掴まれて声が洩れていた。和彦が無防備な姿にされていくのとは対照的に、守光は浴衣の前を寛げることすらしない。やはり体を見せる気はないのだ。
 体をまさぐられながら守光の顔を見上げ続けるのは、なんだか不思議だった。他の男たちに求められるとき、狂おしい欲情に身を任せてしまえば、あとはもう何も考えなくて済むのだが、守光が相手だと、一欠片でも理性を保ち続けなくてはならない。そうでなければ、刺青に触れてしまう。
 浴衣を脱がされると、時間をかけて唇と舌が肌に這わされる。緊張と興奮で凝った胸の突起を舌先で転がされてから口腔に含まれると、和彦は大きく息を吸い込む。肌がざわつく感覚は、快感の前触れだ。ささやかな刺激で、一気に爆発してしまうのだ。
 じっくりと突起を舐められ、吸われていくうちに、感度が研ぎ澄まされていく。和彦の息遣いが乱れ始めた頃を見計らって、守光の歯が突起に立てられる。
「んうっ」
 意識しないまま和彦が声を洩らすと、凝った突起を歯で扱くように引っ張られた。痛い、と思ったのは一瞬で、すぐに胸に疼きが広がる。次の瞬間には、甘やかすようにたっぷりと舐められていた。
 感じやすい内腿にてのひらが這わされ、つい腰が揺れる。促されるままに足を立てて左右に開くと、身を起こしかけた和彦のものは、再び守光の手に包み込まれる。ゆっくりと上下に扱かれているうちに、胸を反らし上げた和彦は深い吐息をこぼし、愛撫に蕩け始めていた。
 ここで守光が、思いがけない行動を取る。和彦の両膝に手をかけ、さらに大胆に足を開かせたのだ。驚いて目を見開く和彦に、口元に薄い笑みを湛えた守光がこう囁きかけてきた。
「――あんたの垂らす蜜を舐めたら、長生きできるだろうか」
「えっ……」
「賢吾も千尋も味わっている蜜だ。わしも、味を知りたくなった」
 開いた両足の間に守光が顔を埋める。和彦は目を逸らすこともできず、愛撫によって身をしならせる自分の欲望が、守光の舌に舐め上げられる様を見ていた。
 まっさきに感じたのは、全身を貫く快美さだった。目の前の光景が信じられないくせに、体はしっかりと現実を認識し、浅ましく反応しているのだ。
「うっ、あぁっ――」
 上擦った声を上げた和彦は、愛撫から逃れようと上体を捩ったが、それ以上の抵抗はできない。熱い口腔に欲望を呑み込まれたからだ。
 戸惑いと恐怖、興奮と快感が嵐となって和彦の中で吹き荒れる。総和会会長という肩書きを持つ男に、欲望を口腔で愛撫されているのだ。やめてもらいたいと思う反面、絡みつく愛撫に、異常なほど感じてしまう。
 ビクビクと体を震わせる和彦の反応を楽しんでいるのか、守光の舌が優しく先端にまとわりつき、次の瞬間にはきつく吸い上げられる。
 いつの間にか和彦は、放埓に声を上げて乱れていた。求められるままに、はしたなく先端から透明なしずくを垂らし、守光に舐め取ってもらう。しかし守光は貪欲で、一体どうすれば和彦がさらに悦びのしずくを垂らすかを熟知している。汗とそれ以外のもので湿りを帯びた内奥の入口を、指の腹で刺激してきた。
「待って、ください……。まだ、そこは……」
「まだ、じゃないだろう。もうこんなに、欲しがっている」
 柔らかだが、否とは言わせない口調で言い切って、守光の指が内奥に侵入してくる。追い討ちをかけるように、反り返った欲望をじっくりと舐め上げられ、満足に息もできないほど和彦は感じてしまう。
「ふぁっ……、あっ、あう……ん」
 布団の上に両足を突っ張らせ、腰を浮かせる。かまわず守光の指は蠢き、内奥の肉を割り開きながら、巧みに襞と粘膜を擦り上げてくる。快感を知らせるように、和彦のものの先端からとめどなく透明なしずくが垂れ、守光の唇に吸い取られる。
 これまで守光は、こんなふうにしどけなく乱れる和彦の姿を、つぶさに観察してきたのだろう。今になってそのことが例えようもなく恥ずかしいと思え、官能を煽る。肌を重ねていないとはいえ、相手の姿が見えるというだけで、行為は情熱を増すのだ。
 和彦の内奥がどこまで蕩けるのか試すように、時間をかけて愛撫を加えられ、三本の指を内奥に含まされる。内から刺激するように軽く指を曲げられると、自分でもわかるほどはしたなく内奥を収縮させ、嬉々として指を締め付けてしまう。
「うっ、くぅっ――」
 守光は、素直な〈オンナ〉に褒美を与えるように、蠢く襞と粘膜を丹念に指の腹で撫で、擦り上げてくる。和彦は腰を震わせ、甘い呻き声を洩らしていた。
 ここまでの和彦の反応に満足したのか、ようやく守光が浴衣の前を寛げる。本能的に和彦は顔を背けたが、内奥に熱いものを押し当てられたとき、再び守光の顔を見上げていた。
「――不思議な感じだ。今のあんたの顔を、わしの息子や、孫も見ているのかと思ったら」
 話しながら守光は腰を進め、内奥を押し開かれる。和彦は歯を食い縛り、指とは明らかに違う異物感に耐えたが、軽く腰を揺すられた瞬間、鳥肌が立つような感覚が背筋を駆け抜けた。
「うっ、うっ」
 短く声を洩らし、守光が見ている前で欲望を破裂させ、迸らせた精で腹部を濡らす。少しの間陶然としていたが、内奥深くに収まった逞しい感触に和彦は我に返り、激しくうろたえる。
「……すみ、ません……」
「謝らなくていい。もっと、わしを楽しませてくれ」
 両足をしっかりと抱え上げられ、繋がった部分を守光に見つめられる。身を焼かれそうな羞恥と、押し寄せてくる肉の愉悦に、和彦は翻弄される。
「わしのために、また蜜を垂らしてくれるのか、先生」
 守光の言葉に、わけがわからないまま頷く。喘ぎながら両足の間に視線を向けると、絶頂を迎えたばかりだというのに和彦の欲望は再び身を起こし、先端を濡らしていた。
 律動を一度止め、守光は片手で欲望を扱き始める。甲高い声を上げて和彦が身悶えたとき、突然、部屋の外から声をかけられた。
「――会長、お休みのところ申し訳ありません」
 和彦は大きく体を震わせる。さきほど部屋を出ていった男の声だった。
 何をしているか悟られないよう、口元を手で覆う。一方の守光は冷静だ。それでいて、内奥に打ち込まれている欲望は熱く脈打っている。
「どうかしたのか」
 守光が応じたとき、襖が開けられるのではないかと危惧したが、二人の会話は襖越しに行われる。だからといって安心できるはずもなく、和彦は体を硬くする。そんな和彦を見下ろして、守光は薄い笑みを浮かべた。酷薄そうだが、淫らな衝動も刺激される、賢吾によく似た笑い方だった。
 察するものがあって和彦が身じろごうとしたとき、先に守光が動く。内奥から欲望が一気に引き抜かれ、寸前のところで声を押し殺す。しかし安堵する間もなく、和彦の体はうつ伏せにされ、思いがけない力強さで腰を抱え上げられる。
「あうぅっ――」
 強引に背後から押し入られ、堪える術もなく和彦は声を上げていた。襖の向こうで話していた男の声が不自然に途切れる。
 内奥深くまで欲望を埋め込んだ守光は、すぐに慎重さを取り戻し、嬲るように掻き回してくる。感じやすくなっている襞と粘膜は、媚びるように守光のものにまとわりつき、吸い付く。そして、内奥全体は淫らな蠕動を繰り返す。
「はっ……、あっ、あっ、はあっ……」
 一度声を上げてしまうと、もう抑えられなかった。守光にしても、あえて和彦に声を上げさせるように、弱い部分を攻めてくる。
「やっ、めて……くだ――、そこは、つらいんです」
 両足の間に片手が差し込まれ、柔らかな膨らみを揉みしだかれる。もう、下肢に力が入らなくなっていた。
「男を悦ばせる体だ。わしは、あんたに触れるのが、楽しくてたまらん」
 そんなことを囁いてすぐに守光は、襖の向こうにいる男には冷静な指示を与える。何か問題が起こったようだが、交わされる会話の内容を理解できるほどの思考力は、和彦には残されていない。
 不意打ちのように内奥を強く突き上げられ、布団の上に二度目の精を飛び散らせていた。
 呻き声を洩らした和彦はこのとき、鼻先を掠める優しい香りに気づいた。昼間嗅いだ、桜の花のものだ。
 この部屋に花など飾っていない。窓を閉め切っているため、外から香りが入り込んでくることもないはずだ。
 そうなるとこの香りは――。
 ここで和彦は、立て続けに嬌声を上げる。内奥深くに熱い精を注ぎ込まれ、桜の香りはあっという間に霧散していた。
「あんたも、悦んでいるな……」
 そう洩らした守光が、汗に濡れて熱くなった和彦の肌をてのひらで撫でる。
 いつの間にか、襖の向こうにいた男の気配はなくなっていた。どれだけ恥知らずな嬌声を聞かれただろうかと考えた途端、激しい羞恥に襲われ、突き出したままの腰をわずかに揺らす。それが合図のように守光が繋がりを解き、内奥からは、注がれたばかりの精がゆっくりと溢れ出してきた。
 いまさらかもしれないが、最低限の慎みから浴衣で下肢を隠そうと手を伸ばしかけたが、守光に止められる。それどころか、内奥に指を挿入された。
「うっ、うぅっ」
 驚くほど脆く、感じやすくなっている内奥の襞と粘膜が、守光の指に絡みつく。精を掻き出すように指が出し入れされ、湿った音が室内に響いた。
「まだ、物足りないようだ。賢吾も千尋も、あんたを丹念に可愛がっているんだろう。わしも、できることなら同じようにしてやりたいが――」
 ここでふいに指が引き抜かれ、守光が動いた気配がした。喘ぐ和彦の耳に、室内を歩く微かな足音が届く。守光が何をしているのか、頭を動かして確認するほどの気力は和彦にはなかった。守光に注ぎ込まれた快感という毒で、全身が甘く痺れている。
 すぐに戻ってきた守光に促され、仰向けとなる。まだ蕩けたままの和彦とは対照的に、浴衣の乱れを直した守光は、端然とした佇まいを取り戻していた。いや、そもそも守光は乱れていたのか――。
 そんなことを考えているうちに、力の入らない片足を抱え上げられる。濡れて綻んだ内奥の入口を、守光はじっと見つめていた。そんな守光を、和彦は見ていられなかった。こんな光景を目にするぐらいなら、まだ目隠しをされていたほうがよかったとすら思った。
 たまらず顔を背けると、落ち着いた声で守光が言った。
「あんたのために、〈オモチャ〉を作らせよう。太さ、長さ、形と、希望があれば全部言えばいい。細かいところまでな」
 何を言っているのかと問いかけようとしたとき、内奥の入口に滑らかな感触が押し当てられる。不思議な感触を持つそれは、まるで熱を持たない欲望のようでありながら、同じような強引さで内奥をこじ開けてきた。
「あっ……」
 ようやく和彦は、自分の中に押し入ってくるものがなんであるか理解した。男の欲望の形を模した、卑猥な道具だ。
 内奥深くまで収まったものが、円を描くように動かされる。自分ではどうしようもない反応だが、和彦は卑猥な道具を締め付けていた。内から焼かれそうな熱さも、官能を刺激される逞しい脈動もないが、それでも襞や粘膜を擦り上げられると、慎みを失っている内奥は悦び、感じてしまう。
「うっ、うぅっ」
 和彦の声が艶を帯びていることに気づいたらしく、守光は本格的に道具で内奥を嬲り始めた。
「この遊びは、賢吾と千尋には秘密だ。あの二人は、欲望に体力が伴っているが、わしは――。多少の見栄を張らせてもらいたいと思うのは、悪いことかね?」
 長嶺の男がこういう言い方をするときは、和彦から欲しい返事をもぎ取ろうとするときだ。一度内奥から引き抜かれた道具を奥深くまで突き込まれ、和彦は声も出せずに喉を反らす。
 爪先から頭の先まで、肉の悦びが行き渡っていくようだった。小刻みに震える和彦の体を、守光が片手で撫でる。
「――あんたは本当に、いいオンナだ。末永く大事にして、可愛がろう。あんたも、長嶺の男たちのために、尽くしてくれ。悪いようにはしない」
 囁かれると同時に、道具が内奥で蠢く。頭の中が真っ白に染まるのを感じながら、和彦は何も考えられないまま、何度も頷いていた。









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