と束縛と


- 第25話(2) -


〈総本部〉という仰々しい響きに、まず和彦は圧倒されていた。そのうえ連れてこられたのが、オフィス街に建っている立派なビルだ。
 後部座席のシートの上で身じろいだ和彦は、ウィンドーに顔を寄せる。きれいなオフィスビルには、目立つ大型看板や袖看板は一切出ておらず、ただビルの出入り口のところに、『土門興業』というプレートがあるだけだ。
 本当にここが、と思わず和彦は振り返る。隣に座っているスーツ姿の千尋が、緊張感のない笑みを向けてきた。
「立派だろ。総本部ビル」
「……やっぱりここが、総和会の総本部なのか」
「何、信じてなかったの、先生」
 こう話している間にも、車はビルの裏手へと回る。
「いや、でも、総和会という名前が出ていない……」
「総和会の看板を出しているオフィスは、別の場所にあるんだ。そこはこじんまりとしたビルで、その横に、でっかい倉庫があってさ。総和会名義で購入したものは、ビール一缶だろうが、車だろうが、そこを経由する。物を動かすためにあるオフィスだ。もちろん、警察の手入れがあっても平気なよう、あくまでヤバくないものに限って。だからかなー。総和会の名前を堂々と表に出してるけど、かえってそっちのほうが、いかにも会社経営やってます、って雰囲気がある」
 ビルの地下駐車場の入り口には、重々しいゲートが設けられていた。そのゲートを守っているのは制服を着た守衛ではあるが、何も知らない警備会社の人間とは思えない。なんといってもこのビルは、暴力団組織の総本部なのだ。
「ここは、総和会そのものだ。十一の組で成り立っている総和会を動かすには、いくつもの役目が必要で、それぞれの組から派遣された人間が、さらに委員に選ばれて、委員会を運営する。学校みたいだろ? 影響力を及ぼせる委員会の数が多い組ほど、総和会じゃ圧倒的な発言力を得られる。一方の委員会じゃ組同士が手を結んだり、別の委員会では反目し合っていたりと、まあ、いろいろあるよ」
 中嶋から、総和会について簡単な説明を受けたことはあるが、どういう形式で運営がなされているのか、いままで誰も和彦に教えてはくれなかった。また和彦も、自ら尋ねようとはしなかった。知らないことで、総和会との深入りを避けていたためだ。
 だがもう、それではダメなのだ。知らないことは自衛の手段にはならない。知ることで、自衛の手段を講じなければならない。
 花見会に出席したことで和彦の意識は変化しつつあったが、あくまでそれは自分のペースで行うつもりだった。しかし周囲の環境は、早く早くと急かすように、さまざまな知識を和彦に流し込んでくる。例えば今、嬉々とした様子で話している千尋だ。
 クリニックを閉めたあと、護衛の車で千尋と合流したまではよかったのだが、突然、連れて行きたい場所があると言い出したのだ。聞けば、先日手術を行った患者の件で、総和会から和彦に礼を言いたいのだという。これまでも総和会の仕事を手がけてきたが、こんな申し出はもちろん初めてだ。
 せめて事前に言ってくれれば、心の準備ができるというものだが、この世界の男たちは、和彦が呼び出し一つに緊張しているとは思ってはいないようだ。
 車が通用口の前で停まり、千尋に促されて降りる。ビル内に入りながら和彦は、ふと気になったことを尋ねてみた。
「ところで、このビルに出ていた名前……土門興業っていうのは?」
「ちょっとしたシャレだよ。十一という漢数字を組み合わせたら、土って漢字になるだろ? 門という字は、文字通り。十一の組で成り立っている組織の出入り口、ってこと」
 自分のてのひらに指先で字を書いてみて、思わず出そうになった言葉を和彦は呑み込む。総和会の人間たちがいる前で危うく、そんなことか、と言ってしまいそうになった。
「警察や、ちょっと事情に通じている人間なら、ここには総和会の組織が丸ごと入ってると知っているけどね。建前だよ。日陰者らしく、総和会の名を出さずに活動しているという。もっとも、総和会の中で、土門興業って名前を口にすることはほとんどないけどね。ここはあくまで総本部で、それ以外の名前なんて、あってないようなものだ」
 エレベーターに乗り込み、ロビーがあるという二階に上がる。守光の居宅でもある〈本部〉と呼ばれる建物もそうだが、一階にはなるべく人も物も置かないのは、この世界ならではの知恵なのだろう。
 総本部のロビーは、一般企業と比べても遜色ないものだった。受付カウンターや待合スペースもあり、何よりきれいだ。ただ、ロビーを行き交う人の姿はまばらで、しかも全員、男だ。
 千尋が受付に向かい、和彦は少し離れた場所で待ちながら、監視カメラの数をなんとなく数えてしまう。それに、背の高い観葉植物や仕切りなど、ロビー全体を見渡せないような遮蔽物がいくつもあることにも気づいていた。エレベーターはロビーのある二階で一旦乗り換えるため、まっすぐ上階に上がることができないなど、何かあったときの被害が広がらないよう、注意を払った造りになっている。
 もっとも、侵入者にとって最大の障害は、この場にいる男たちだろう。
 場の雰囲気にあったスーツを着てはいても、やはり鋭い空気は隠し切れない。所在なく立っている和彦は、違う意味で目立っているようだ。
「先生、こっち」
 千尋に手招きされ、助かったとばかりに足早に歩み寄る。再びエレベーターに乗り込み、今度は五階へと上がる。
 受付から連絡があったのか、扉が開くと、二人を出迎えてくれた人物がいた。
「あっ……」
 思わず和彦が声を洩らすと、愛想よく笑いかけてきた藤倉が慇懃に頭を下げる。エレベーターを降りた和彦は、複雑な心境になりながらも挨拶をした。
「……お久しぶりです、藤倉さん」
 本当に、久しぶりだ。総和会内で、文書室筆頭という一風変わった肩書きを持つ藤倉は、主に事務処理を担当している。詳細な仕事の内容までは把握していないが、和彦が総和会に回すカルテや処方箋の管理は、藤倉が行っている。
 この世界に引きずり込まれて間もない頃、『加入書』の件で手を煩わせてからのつき合いだが、クリニックを開業してから顔を合わせるのは初めてだ。
 印象の薄い顔立ちと、折り目正しいビジネスマンのような物腰は変わっておらず、この男だけを見ていると、ここが総和会の総本部という物騒な場所だとは到底思えない。なんにしても、顔見知りに出迎えられ、和彦としては少しだけほっとする。
「じゃあ、藤倉さん、先生のこと頼みます」
 背後からそう声をかけられ、慌てて和彦は振り返る。エレベーターに乗ったまま千尋が軽く手を上げ、次の瞬間にはゆっくりと扉が閉まっていく。
「おい、千尋――」
「心配いりませんよ、佐伯先生。千尋さんはちょっと委員会に顔を出すだけのようですから、その間、先生には目を通してもらいたいものがあるんです」
 藤倉に恭しく手で示され、戸惑いつつも和彦は従う。案内されたのは応接室で、和彦がソファに腰掛けるのを待っていたようなタイミングでコーヒーが運ばれてくる。
 藤倉は、テーブルの上に積み重ねたファイルに手をかけ、いきなり本題に入った。
「総和会で新たに購入する医療機器を選定するにあたり、先生の意見も聞かせていただきたいのです」
「ぼくの、ですか?」
 驚いた和彦が目を丸くすると、返事の代わりのように藤倉が笑う。
「大半の医療機器は、破産した病院から引き取ったものなのですが、安いのはいいが、欲しいものが必ず手に入るわけではないんです。そこで、架空の実績を積ませたダミー会社を通して、メーカーから購入することになるわけです。もちろん、総和会だけで使用するわけではなく、総和会を支えている組に流します。先生が長嶺組での仕事で使った機器や機材の中にも、うちが用意したものがあるはずです」
 流れるような口調で説明をしながら藤倉は、ファイルを開いて和彦に示す。医療機器名と金額などが記された表と、カタログをカラーコピーしたものが何枚も綴じられていた。これを参考にしろということらしい。
「……ぼくは、総和会に関わるようになって、まだそんなに経っていません。それなのに、決して安くはない医療機器を選ぶのに、意見なんてとても……。いままで、他の医師の方の意見を参考にされていたのなら、今回もその方に――」
「そう大げさに考えなくても大丈夫ですよ。それに、なんといっても先生は、開業されたばかりだ。医療機器についても、ご自分で足を運んで選ばれたんですよね。その経験をもとに、ちょっとした書類作りを手伝ってもらいたいだけですから」
「コンサルタントの方に手伝っていただきながらなので、とても胸を張れるようなものではないのですが……」
「先生が手術を手がけるとき、どういった機器であればいいか、どのメーカーのものが使いやすいか、それを教えていただければいいんです。わたしは書類仕事が専門なので、こればかりはお手上げで。普通の病院に出向いて、お医者さんに尋ねるわけにもいかないでしょう?」
 ここまで言われては無碍にもできない。医者としてまだまだ勉強中の身ですが、と前置きして、和彦はファイルを手に取る。医療機器の値段そのものには、さほど驚きはない。クリニックを開業するために、さんざん目にしてきたものだ。それでも、高価であることに変わりはなく、思わずため息を洩らす。
「これだけ揃えるとなると、病院を経営するのと変わりませんね」
 何げなく和彦が洩らした言葉に、藤倉はにこやかな表情を浮かべつつ、さらりとこう言った。
「あとは、優秀なお医者さんを揃えるだけですね。もっとも、暴力団組織に協力的な、という前提がつくわけですが」
「協力的……」
 和彦も決して最初から、組の人間を治療することに協力的だったわけではない。
 初めて、長嶺組の組員を治療したときのことを思い出し、つい苦笑を洩らす。あのとき、目の前に現れたのが三田村でなければ、今の状況はもっと違うものになっていたかもしれない。
「長嶺組長が美容外科クリニックの経営に乗り出すと聞いたときは、驚きました。初期投資は大きいし、医療関係はとにかく行政の目が厳しい。いざ開業しても、表向きは不穏なものを一切匂わせないようにしなくてはならない。わたしたちにしてみればかなり高いハードルを、長嶺組は乗り越えた。それはやはり、先生の存在が大きいでしょう」
 まるで、講義を受けているようだ。頭の片隅で和彦はちらりとそんなことを考える。
 ここに来るまでの千尋の説明もあってか、自分が急速に、総和会の人間として造り替えられているような感覚に陥る。もちろん、組織の事情を知ったところで大きな変化は訪れないだろう。ただ、環境には慣れてくるものなのだ。
 一年前の和彦が、裏の世界に引きずり込まれ、急速に馴染んでいったように――。
「先生は、ご自分が手術をなさったあと、総和会や長嶺組が患者に渡す請求書をご覧になる機会はないので、ピンとこないでしょうが、リスクを冒してまで手がける手術というのは、高くつくんです。払うのは患者個人ではなく、その患者が所属する組織です。面子がかかっているからこそ、支払いが滞ることはない。長嶺組長は、先生にクリニックを任せましたが、それは道楽なんかではなく、きちんと儲けの目処が立っているからです」
 藤倉が次のファイルを差し出してくる。ざっと目を通した和彦は、そこに記されているのがなんであるかすぐにわかった。クリニックを開業するために揃えた、備品や医療機器、医薬品、消耗品にいたるまで、詳細に記載されていたのだ。
「ぜひ参考にしたいと、総和会から正式に依頼をして、長嶺組から提供いただいた書類です」
 胸がざわつき、和彦はうかがうように藤倉に視線を向ける。眼鏡のつるに指先を当て、藤倉はこれが本題だと言わんばかりに切り出した。
「――佐伯先生、新たにクリニックを開業する気はありませんか? 資金は、総和会が出します」
 手にしたファイルを落とした和彦は、呆然としてしまう。それほど意外な提案だったのだ。
 頭が混乱し、咄嗟に言葉が出ないのをいいことに、藤倉は畳み掛けるように続ける。
「覚えてらっしゃいますか? ずいぶん前に、料亭で設けた席で、わたしはこう言ったはずです。先生のクリニックに、総和会も資金面で協力させてもらえないだろうかと。あの席のあと、長嶺組長にあっさりと断られたんです。頓挫するかもしれないビジネスに、総和会を巻き込むわけにはいかない、とおっしゃられて」
「そう、だったのですか……」
「あれから、思いがけない形で、先生と総和会との関わりは変化しました」
 藤倉が暗に何を仄めかしているか、すぐに和彦は察する。感じた羞恥に全身が熱くなり、うろたえそうになるところを、藤倉に強い眼差しを向けることで堪える。総和会の人間と会うということは、こういう羞恥と向き合うことでもあるのだ。
「長嶺組だけではなく、総和会との強い結びつきの証を、先生のために残したい――ということを、先日、長嶺会長がちらりと洩らしたんです。こうして資料を用意したのは、長嶺会長を慕う者たちが先走った結果とも言えますが……」
 婉曲な表現をしているが、要は、守光の望みを受け入れろと言っているようなものだ。
 和彦は、自分の顔が次第に強張っていくのを感じ、なんとか唇を動かそうとするが、肝心の言葉が出てこない。この場で即答などできるはずもなく、しかし、持ち帰って賢吾に相談したいとも言えない。これは、和彦と総和会の間の話だ。実際、賢吾に相談するにしても、ここで迂闊に名を出すのははばかられる。
 口ごもる和彦を、藤倉はこの場で追い詰める気はないらしい。ファイルを閉じ、他のファイルと一緒に紙袋に入れた。
「クリニックの概要について、大まかではありますがまとめてあります。あくまで、〈我々〉の希望をまとめただけのものなので、お時間があるときにでも、簡単に目を通していただければ……。そして、先生の心に留めておいていただけるとありがたいです。返事は急ぎませんので」
 このあと藤倉は、何事もなかったように世間話を始めたが、和彦はそれどころではなかった。ほとんど上の空で相槌を打ちながら、内線が鳴るまでの時間を過ごしていた。
 ファイルが入った紙袋を手に応接室を出ると、スラックスのポケットに片手を突っ込んだ千尋が立っており、目が合うなり悪戯っぽく笑いかけてくる。
「ほんの何十分か会わなかっただけなのに、なんだか疲れた顔してるね、先生」
「お前は――」
 応接室でどんな会話が交わされたのか、知っているのか。そう問いかけたかったが、中にはまだ藤倉がいるため、寸前のところで口を閉じる。
 千尋に紙袋を取り上げられ、促されるままエレベーターホールへと向かう。
「お前のほうの仕事は、もう終わったのか」
「仕事といっても、委員会に出席してる長嶺の人間の後ろに控えているだけなんだけどね。それでも、実績も何もない若造が委員会に顔が出せるのは、やっぱり血統のおかげだ。とにかく今は、顔を売っておかないと」
「長嶺組の跡継ぎとして?」
 和彦の問いかけに、エレベーターのボタンを押そうとした千尋が一瞬動きを止める。すぐに、肩をすくめる。
「当然。総本部で、総和会会長の孫として振る舞ったら、それこそお客様扱いになる。長嶺組の跡目という立場だから、一端のヤクザとして見てもらえるんだ」
「……長嶺の男とはいっても、お前もいろいろ気をつかっているんだな」
「オヤジやじいちゃんの存在がでかいのは事実だし、俺はまだ、そのオマケ程度だからね。身の程をわきまえておかないと、跡目だなんだと言われても、簡単に弾き出される」
 そう話す千尋の口調からは、卑屈さは一切感じ取れない。自分の境遇が恵まれている反面、とてつもなく苛烈なものであることは、とっくに理解し、覚悟もしているのだ。いかにも育ちのいい、甘ったれな青年の姿を見せているのも、千尋なりの処世術なのかもしれない。
 エレベーターに乗り込むと、和彦がよく知る軽い口調で千尋が言った。
「――さて、次はじいちゃんのところ行こうか」
 えっ、と声を洩らした和彦は、まじまじと千尋を見つめる。和彦の戸惑いをどう捉えたのか、千尋はのん気に笑ってこう続けた。
「ここに来るとき、俺言っただろ。この間の手術の件で、総和会から先生に礼を言いたいって」
「……その礼を言うのは……」
「じいちゃん。俺と先生と一緒に晩飯を食う方便みたいなものだろうけど。まあ、どうせ総本部に寄ったついでだし――」
「お前、最初からそのつもりだったんだなっ」
 和彦が声を荒らげると、千尋が唇を尖らせる。寸前まで、血統だ、跡目だと、一端のヤクザらしいことを言っていたくせに、その表情はまるで拗ねた子供だ。しかも千尋の場合、子犬のような眼差しという、オプションつきだ。
「そういう顔をしても、無駄だからな」
「ふーん、だったら、俺とここで別れる?」
 表情を一変させ、にんまりと笑いかけてくるのが小憎たらしい。もちろん千尋を殴れるはずもなく、ささやかな報復として和彦は、千尋の頬を抓り上げる。ただし、二階に到着したエレベーターの扉が開いてしまったため、慌てて手を引く。
 先にエレベーターを降りた千尋が肩越しに振り返り、澄まし顔で問いかけてきた。
「行く?」
 結局、和彦の返事は一つしか用意されていないのだ。


 和彦の知らないところで計画は進められていたらしく、千尋とともに守光の居宅を訪ねると、すでにダイニングには夕食の準備が調っていた。
 総和会総本部を初めて訪問したあと、今度は総和会会長宅で夕食をとるという状況は、改めて考えてみるまでもなく、とてつもないことだ。その状況に、否応なく和彦は慣らされていくのだ。
 客間に足を踏み入れた和彦は、吸い寄せられるように床の間に視線を向ける。
 若武者の掛け軸はそこにはなく、華やかな花鳥画が掛かっていた。些細なことなのかもしれないが、そのことにひどく安堵する。この客間で若武者の姿を見ると、どうしても守光との濃密な行為が蘇ってしまいそうなのだ。
「先生、よかったら、俺のスウェットに着替える? スーツのままだと、窮屈だろ」
 客間を覗いて千尋が声をかけてくる。ここで和彦は、自分がまだアタッシェケースも紙袋も持ったままだったことに気づき、慌てて部屋の隅に置く。
「いや……、食事をするだけなのに、着替えるのも変だろ。それに、そんなに寛いだら失礼だ」
「えー、いいじゃん。風呂入るまで、ずっとその格好?」
 妙なことを言うのだな、と思った次の瞬間には、千尋の言葉の意味を理解する。和彦が顔をしかめるのとは対照的に、千尋は実に楽しげな顔をしていた。
「……つまり、今夜はここに泊まるということか」
「じいちゃんが、晩飯だけ食わせて、俺たちをあっさり解放するわけがないじゃん」
「最初からお前も、そのつもりだったんだろ」
「悪巧みが好きなんだよ、長嶺の血筋は」
 毒を食らわば、とまで言う気はないが、長嶺の男二人が揃っていて、自分が抗弁できるとも思えない。気が済むようにつき合うしかないだろう。
 和彦はため息交じりに頷き、千尋に腕を引かれてダイニングに連れて行かれる。すでにテーブルには守光がついており、和彦がイスに腰掛けると同時にグラスを差し出された。
「ありがとうございます……」
 ビールを注がれて礼を述べると、ふっと守光が笑みをこぼす。
「まだ、緊張するかね。千尋は、自分の家のように寛ぎすぎだが、あんたはもう少し、肩から力を抜かんと。――これから先、ここに泊まることも増えるだろうし」
 和彦はわずかに肩を揺らす。守光の発言に食いついたのは千尋だった。
「何、なんかあるの?」
 守光がちらりとこちらを見たので、和彦は苦笑を浮かべる。
 総和会によって、和彦に新たなクリニックを開業させる計画があることを、守光が千尋に説明するのを傍らで聞きながら、和彦は二人のグラスにビールを注ぐ。自分ではまだ何も決めていないし、考えてもいないというのに、外堀が埋められていくようだった。
「当然、面倒なことは全部総和会で請け負う。あんたには表の顔として、最低限必要の手続きをしてもらい、ときどき業務に目を配ってくれるなら、あとは好きなようにしてほしい。あくまで、あんたの働きに対する、総和会としての誠意を見せたいだけだ」
 話しながら守光がこちらを見る。目が合った瞬間、和彦は緊迫感に息を詰めていた。
 本能的に、守光のこの提案は危険だと思った。今の和彦は、守光と関係を持つことで総和会と深く結びついている。そこにクリニックを任されることになれば、長嶺組と同等の結びつきを持つことになる。私生活とビジネスの両方で、二つの組織から干渉されるのだ。
 これまで和彦は、当然のように長嶺組との関係に重きを置いていた。長嶺組の存在があったからこそ、総和会との関係が成り立っていたともいえる。
 そのバランスが、大きく崩れそうだ――。
 和彦が唇を動かしかけたとき、苦い表情で千尋が先に声を発した。
「急ぎすぎだよ、じいちゃん。先生、今のクリニックを開いて、やっと三か月経つかどうかなんだよ。それでなくても忙しいのに、次のクリニックの開業準備なんてさせたら、過労死する」
 守光にとっても意外な発言だったのか、わずかに目を丸くしたあと、穏やかな紳士らしく顔を綻ばせた。
「年寄りは、自覚がないまませっかちになってしまうようだな」
「よく言うよ。自分のこと、本当は年寄りなんて思ってないだろ。だけど、せっかちなのは確かだね。じいちゃんはまだ、先生の性格がよくわかってないだろうけど、かなりマイペースだよ。急かしすぎたら、へそを曲げる」
「ほお、へそを曲げるのか」
 おもしろがるような口調で守光が洩らし、こちらを見る。居心地が悪くて仕方ない和彦だが、余計なことを言うなと千尋を窘めるわけにもいかず、長嶺の男二人の視線に耐えるしかなかった。


 寝返りを打った和彦は、薄闇の中、じっと目を凝らしていた。意識から追い払おうとしているのだが、総和会が後ろ盾となり、新たにクリニックを任されるかもしれないという話が頭から離れず、まったく眠れない。
 それでなくてもここは、守光の家であり、倒錯した行為に及んだ客間なのだ。妖しい感覚が胸の奥で湧き起こりそうになる。
 身じろぎ、襖のほうを見遣る。次の瞬間には、静かに襖が開き、〈誰か〉が入ってくるのではないかと想像してしまうのだ。
 このままではいつまでも眠れないと、和彦は再び寝返りを打って数分も経たないうちに、襖が静かに開閉する気配がした。咄嗟に、意識しすぎた故の錯覚かとも思ったが、違う。畳の上を歩く抑えた足音が確かに近づいてくる。
 全身の神経を研ぎ澄ませ、相手の動きを探る。そして、長嶺の男のどちらなのだろうかと、考えてもいた。
 布団を捲られたとき、相手はもう気配を押し殺すようなことはしていなかった。まるで自分の存在を誇示するように、強引に同じ布団に入ってきて、和彦の体を抱き締めてくる。背に感じる高い体温で、侵入者の正体はわかった。
「――千尋、自分の布団で寝ろ」
 和彦がひそっと抗議の声を上げると、熱い息遣いが耳元にかかった。
「嫌だ。前は、じいちゃんだったんだから、今夜は俺だ」
 千尋の言葉に、やはり、と思った。かつてこの部屋で和彦と守光が行為に及んだ翌朝、千尋は何もかも把握しているような口ぶりだった。確認するような恥知らずなマネはさすがにできなかったが、ようやく今、和彦は確信を持てた。
 知らず知らずのうちに和彦が上げていた嬌声を聞かれてしまったのか、それとも守光本人が、千尋に告げたのか――。
 守光との生々しい行為のすべてが蘇り、和彦の体も、千尋の体温に負けないほど熱くなってくる。
「先生は、俺のオンナでもあるんだよね?」
「……ああ」
 和彦は思いきって体の向きを変える。薄闇の中、まず千尋の顔の輪郭を捉え、次に、興奮と熱っぽさを湛えた両目がぼんやりと浮かび上がる。ようやく千尋の顔全体を認識し、和彦は小さく苦笑を洩らした。
「今夜はおとなしく寝ろ。いろいろあって、ぼくは少し疲れてるんだ」
 子供を諭すように話しながら、千尋の髪を撫でてやる。すると、予想通りの答えが返ってきた。
「ダメ。できない」
「お前は……子供か」
 そう応じた和彦だが、布団から千尋を追い出すことはなく、それどころか、しがみついてきた千尋のトレーナー越しの背を優しく撫でる。
 若く猛々しい獣を駆り立てるのは、実に簡単だった。
 性急に帯を解かれて浴衣の前をはだけさせられる。千尋が胸元に顔を埋め、闇雲に肌に吸い付き、歯を立ててくる。和彦は千尋の荒っぽい愛撫を受け入れた。
 早く反応しろといわんばかりに胸の突起を口腔に含まれ、激しく吸い立てられる。しかしすぐに様子は変わり、舌先で突起を執拗に転がされ、甘噛みされるようになる。一方で、余裕ない手つきで下着を引き下ろされ、脱がされていた。
 和彦は片手を取られ、千尋の両足の間に導かれる。スウェットパンツの上から触れた千尋のものは、もう高ぶっていた。
 ようやく胸元から顔を上げた千尋が、挑発的な表情で問いかけてくる。
「これでも、子供って言う?」
「……布団から出ていけ」
「冗談。俺もう、我慢できない」
 布団を跳ね除けた千尋が勢いよく身につけているものを脱ぎ捨て、覆い被さってくる。ちらりと見えた千尋の左腕には、すでに包帯はおろかガーゼすら当てていない。薄闇の中では、タトゥーを消した痕跡をしっかりと観察することはできないが、どうやら治療は終えたようだ。
 タトゥーを消したことで、千尋はさらに大人に――本物のヤクザに近づいていく。賢吾や守光と同じ種類の男になるのだ。
 つい千尋の左腕に触れようとしたが、その前に唇を塞がれ、口腔に舌を捻じ込まれる。和彦は、左腕に触れようとした手を千尋の背に回し、滑らかな肌を直に撫で回す。
 千尋は焦れていた。舌を絡め合い、唾液を啜り合う淫らな口づけを交わしながら、和彦の下腹部に高ぶった欲望を擦りつけてくる。
「――先生、この部屋で、じいちゃんに初めて抱かれたんだよね」
 口づけの合間に囁かれ、和彦は千尋の真意を探るため、目を覗き込む。守光とも賢吾とも違う、直情的な眼差しで見つめ返されると、千尋を甘やかしたいのか、苛めたいのか、自分でも判断のつかない衝動が胸の奥で吹き荒れる。
「ああ……。目隠しをされて、優しく丁寧に扱われた。抱かれたというより、繋がった、という感じだ」
「いやらしい表現。繋がった、か……」
 何かを刺激されたのか、千尋が和彦の片足を抱え上げ、腰を密着させてくる。指でまさぐられて内奥の入り口を探り当てられると、高ぶった欲望の先端が擦りつけられた。
「千尋っ――」
 引き裂かれる痛みを予期して、鋭い声を発した和彦を、千尋は嬉しそうに見下ろしてくる。もしかすると、相手を苛めてみたいと思っているのは、和彦だけではないのかもしれない。
「先生にひどいことするわけないじゃん。俺の、大事で可愛いオンナなんだから」
 千尋が二本の指を和彦の口腔に押し込んでくる。和彦はその指を舐めてたっぷりの唾液を絡め、指が引き抜かれてすぐに、再び千尋の舌を差し込まれた。
 貪り合うような口づけを交わしながら、内奥には千尋の指を受け入れ、まだ頑なな肉を解すようにねっとりと撫で回される。
「んっ……」
 和彦自身の唾液を塗り込まれ、内奥の襞と粘膜が充血し、発情して、千尋の指にまとわりつく。微かに湿った音を立てて指が出し入れされると、意識しないまま和彦は腰を揺らしていた。指が付け根まで押し込まれ、短く声を洩らして内奥をきつく収縮させる。千尋の息遣いが弾んだ。
「――先生、繋がろうか?」
 どこか残酷な響きを感じさせる口調で囁かれ、うろたえた和彦は顔を背ける。かまわず千尋が内奥から指を引き抜き、さきほどよりさらに凶暴さを増した欲望をひくつく部分に擦りつけてきた。
 両足を抱えられ、大きく左右に開いたしどけない姿で、和彦は犯される。
 逞しい部分で内奥をこじ開けられ、襞と粘膜を蹂躙するように擦り上げられるたびに、ビクビクと上体を震わせるが、懸命に声は堪える。和彦のそんな姿に、千尋の欲望は煽られているようだった。
「たまんない、今の先生の姿。つらそうな顔してるのに、ここはこんなに悦んでてさ」
 千尋はゆっくりと腰を突き上げながら、開いた両足の間で揺れる和彦の欲望を握り締めてくる。咄嗟に唇を噛んで嬌声を押し殺したが、そんな和彦を追い詰めるように千尋は欲望を手荒く扱き始める。内奥では、力強く脈打つものが蠢き、鳥肌が立つほど感じてしまう。
「うっ、うっ、うぅっ――」
「感じまくってるね、先生。中、興奮して、ギュウギュウ締まりまくってる。……溶けそうなぐらい、気持ちいい……」
 両足を抱え直されて、一度だけ大きく内奥を突き上げられる。息を詰めて仰け反った和彦は、数秒の間を置いて熱い吐息を洩らしていた。
 和彦が脆くなっていると感じ取ったのか、千尋が甘えるように覆い被さってくる。求められ、唇を吸い合ってから、舌を絡める。その間も千尋は、緩やかな律動を内奥で刻み、無意識のうちに和彦は腰の動きを同調させて受け止める。さらに深く、奥まで千尋のものを呑み込むために。
「んあっ……、はっ、あっ、あっ、千、尋っ……」
 千尋の肩にすがりつき、和彦は控えめに声を上げ始める。
「先生、いつもみたいに、もっと声出してよ。じいちゃんの部屋まで聞こえるような、すごい声」
 上体を起こした千尋が、繋がった部分を指で擦ってくる。和彦は首を横に振るが、さすがに長嶺の男だけあって、欲しい答えを引き出すために千尋は淫らな手段を行使してきた。反り返って震える和彦の欲望を指先でくすぐったあと、柔らかな膨らみをきつく揉みしだき始めたのだ。
「うああっ」
 たまらず和彦が声を上げると、内奥に収まっている千尋のものがさらに大きさを増す。
 内奥を強く突き上げられたかと思うと、次の瞬間には柔らかな膨らみを手荒く愛撫される。それを交互に繰り返されているうちに、和彦は放埓に声を上げるようになっていた。その声に煽られ、千尋はますます猛る。
 若い獣なりに、老獪な古狐に張り合っているのだろうか。ふっとそんなことを考えた和彦は、懸命に両腕を千尋の背に回し、抱き締めてやる。
「……千尋、千尋――」
「ごめっ……、先生、俺もうっ……」
 内奥深くで千尋の欲望が震え、爆ぜる感触があった。それに、精をたっぷり注ぎ込まれる感触も。気も遠くなるような陶酔感に和彦は、尾を引く悦びの声をこぼし、千尋から数拍遅れて絶頂に達する。千尋の引き締まった下腹部を、迸らせた精で濡らしていた。
 荒い呼吸を繰り返しながら、千尋が唇を求めてくる。和彦は甘やかすように唇を吸ってやり、口腔に舌を差し込んで舐めてやる。いつしか口づけに夢中になりながら、しっかりと抱き合い、まだ繋がっている千尋のものに襞と粘膜をまとわりつかせる。
 千尋の欲望が再び熱く硬くなるまでに、さほど時間を必要としなかった。
「あっ……」
 唇を離した瞬間を狙ったように千尋が腰を揺らし、簡単に官能を刺激された和彦は声を洩らす。
 甘える子供のような表情をうかべながら、内奥で蠢くものはふてぶてしい大人の男そのものだ。そんな千尋を、和彦はやはり甘やかしたくて仕方ない。何より千尋は、甘やかされるのが大好きなのだ。
「――先生、もっと気持ちいいことしよう。先生の大好きなもの、いっぱい中に出してあげるから」
 あざといほど子供っぽい口調で囁かれ、和彦は返事の代わりに、熱く脈打つ欲望をきつく締め付けた。


 シャワーを浴びて客間に戻った和彦は、寝ぼけた表情で布団の上に座り込んだ千尋を見て、言葉に詰まる。静かに客間を抜け出したつもりだが、和彦がいないことにすぐに千尋は気づいたようだ。子供のように深い寝息を立てていたくせに、変なところで千尋は鋭い。
「まだ寝たいなら、自分が使っていた部屋に戻れ。もう少し寝られるだろ」
 寝癖だらけの髪を掻き上げ、千尋がちらりと笑う。
「じいちゃんの目が気になる?」
「……当たり前だ。本当は、夜のうちにお前を追い出したかったのに、お前が子供並みに寝つきがいいせいで――」
 結局、同じ布団で寝てしまった。
 朝早くに目が覚めた和彦は、ひどい自己嫌悪に苛まれ、守光がまだ起きてこないことを願いながら、慌ててシャワーを浴びてきたのだ。夜中にあれだけの嬌声を上げて、千尋とどんな行為に及んだのか知られたにせよ、せめて朝は、格好だけでも取り繕っておきたかった。
 そんな和彦の気持ちを知ってか知らずか、千尋は大きなあくびをしたあと、にんまりと笑いかけてきて、布団の上を軽く叩いた。ここに座れと言いたいらしい。
 髪を拭いていたタオルを手に、和彦は渋々従う。すかさず千尋が肩を抱いてきた。
「先生、また一緒に寝よう。じいちゃんに知られたって、別にいいじゃん。俺だって、先生のことで主張できる権利がある」
「何を主張する権利だ」
「わかってるのに、聞くんだ」
 さきほどの寝ぼけていた姿は演技だったのか、すでに千尋の両目は生気を漲らせ、強い光を湛えている。
 和彦はまじまじと千尋の顔を覗き込み、頬を撫でてやる。おそらく千尋に犬の尻尾が生えていたら、今この瞬間、ブンブンと振っていることだろう。そんな想像をしてしまうぐらい、嬉しそうな表情を浮かべたのだ。
「――お前と一緒にいるときは、ぼくは、お前のオンナだ」
「悪いオンナの台詞だよなー、それ。オヤジやじいちゃんと一緒にいるときも、同じことを言うんだろ。言う相手が違うだけで」
「ぼくにそれを求めたのは、物騒で怖い、長嶺の男たちだ」
「だって俺たち、先生に骨抜きだからね」
 千尋に優しく唇を啄ばまれ、すぐに舌先を触れ合わせて、相手をまさぐる。朝から交わすには露骨でいやらしい口づけへと変化するのは、あっという間だった。
 執着心をぶつけてくるように、千尋の舌に荒々しく口腔をまさぐられる。和彦は、そんな千尋を受け入れ、応じていた。
 ようやく唇が離されると、千尋は少し困惑したように洩らした。
「この部屋、なんか変な感じがする。ここで先生がじいちゃんに初めて……とか思うと、嫉妬より先に、すげー興奮するんだ。じいちゃんと張り合いたい気分になるっていうか」
「……前々から感じていたが、妙な性癖を持ってるだろ、お前」
 とにかく自分の部屋に戻れと言いながら、和彦は千尋の体を布団から押し出そうとする。しかし千尋はごろりと横になり、あっという間に布団に包まってしまう。
「こらっ、千尋――」
「俺、先生に怒られるの好き」
 もっとかまってくれと言わんばかりに千尋がじっと見上げてくるので、くしゃくしゃと髪を掻き乱してやる。嬉しそうに首をすくめる千尋を見下ろし、口元を緩めた和彦だが、自分自身を戒めることは忘れない。
 甘ったれで子供っぽく見えるが、千尋の本質は猛々しい獣だ。必要とあればいつだって牙を剥く。〈オンナ〉である和彦だから、こうして無防備に触れられるのだ。
「やっぱり、長嶺の男は怖い……」
 ぽつりと本音を洩らしたが、千尋の耳には届かなかったようだ。和彦が髪や頬を撫でていると、心地よさそうに吐息を洩らし、とうとう目を閉じてしまう。
 軽く千尋の頬を抓り、眠ってしまったことを確かめた和彦は、そっと立ち上がる。千尋が眠っている場所で身支度を整えるのも気が引けるため、着替えを持って移動することにした。
 千尋が使っていた部屋に行こうと、ダイニングの前を通りかかる。すると、電気がついていた。覗いてみると、老眼鏡をかけた守光がテーブルにつき、新聞を開いている。
 こちらから声をかける前に、ふっと守光が顔を上げた。目が合ったときにはすでに、和彦は守光の放つ独特の空気に呑まれていた。立ち尽くしたまま、頭の中が真っ白になってしまう。
「――おはよう、先生」
 守光のほうから声をかけられ、ようやく我に返る。慌てて頭を下げた和彦は挨拶を返した。そしてすぐに、あることが気になった。
「あの……、さきほどシャワーを使わせてもらったのですが、もしかして、うるさかったですか?」
「わしはいつも、この時間には起きているから、気にしなくていい。何より、あんたにはここで寛いでもらいたいんだ。自分が過ごしたいように過ごせばいい。〈身内〉が一つ屋根の下で何をしようが、いちいち気にかけたりはせんだろう」
 相手が守光でなければ、素直にありがたいと受け止められる言葉だ。しかし和彦は、夜の間の自分の痴態がどうしても蘇り、羞恥心を刺激される。
 守光はすべて知ったうえで、あえてこんなことを言うのだろうか――。
 頭に浮かんだ疑問は、そのまま表情になって表れたらしい。守光は柔らかな笑みを口元に浮かべて老眼鏡を外すと、ゆっくりと立ち上がった。手招きされ、操られるように和彦はふらふらと歩み寄る。着替えは取り上げられ、イスの背もたれに掛けられた。
 守光の手が首筋に這わされてから、浴衣の襟元を広げられた。胸元が露わになり、当然の権利のように守光が検分する。
「千尋がさんざん甘えたようだ、この様子だと」
 熱を帯びて疼いている胸の突起を指先でくすぐられ、和彦はぐっと奥歯を噛み締める。情欲は、千尋にすべて奪い取られたと思っていたが、守光に触れられた部分から、ゾクゾクするような疼きが生まれてくる。
 守光の片腕に腰を抱き寄せられ、首筋に唇が這わされる。唇はゆっくりと下りていき、甘い眩暈に襲われた和彦は咄嗟に目を閉じていた。首筋を愛撫される一方で胸の突起を弄られ続け、見る間に硬く凝っていくのがわかった。そして、守光の舌先に捉えられる。
 千尋の荒々しさとは打って変わって、守光はじっくりと胸の突起を舌先で舐り、優しく吸い上げてくる。足元がふらついた和彦はテーブルに片手を突き、必死に体を支える。
「うっ、あぁ――……」
 たまらず喘ぎをこぼすと、ふいに胸元への愛撫がとまる。和彦がゆっくりと目を開けると、眼前に守光の顔があり、自然な流れで唇を重ねていた。
 千尋と濃厚な口づけを交わした直後に、その千尋の祖父である守光にこうして求められるのは、背徳心が芽生えるどころか、どこか儀式めいた厳かさがある。祖父と孫という血の繋がりのせいだろう。
 血の繋がりといえば、賢吾と千尋の二人と体を重ねることがある。狂おしいほどの情欲に身を任せ、浅ましい獣となって父子と貪り合うのだ。そして今は、千尋の感触が残る体――粘膜で、守光を感じている。
「千尋が、わし相手に張り合おうという気概を持てたのは、あんたのおかげだな」
 口づけの合間に、どこか楽しげな口調で守光が洩らす。純粋に、孫の成長を喜んでいるようでもあり、だからこそ和彦は、守光を畏怖していた。
 守光はどこまでを計算して、行動しているのだろうかと考えて。









Copyright(C) 2012 Tomo Kitagawa All rights reserved.
無断転載・盗用・引用・配布を固くお断りします。



第25話[01]  titosokubakuto  第25話[03]