と束縛と


- 第25話(3) -


 突然、電話が鳴り、ビクリと体を震わせた和彦は考えるより先に起き上がると、サイドテーブルの子機を取り上げた。
『――お休み中、申し訳ありません』
「いや……」
 寝起きで掠れた声を発した和彦は、反射的に時間を確認する。室内の暗さから見当はついたが、深夜だった。
 こんな時間、長嶺組の組員からかかってくる電話の内容は、ほぼ決まっている。
『うちの組の者がトラブルに巻き込まれて、怪我をして戻ってきたんです。ひどく痛がっていて、どうやら骨折をしているようで……。それで、クリニックのほうで診てもらいたいのですが』
「そうだな。レントゲンを撮る必要があるから、クリニックのほうが都合がいい。麻酔もすぐに準備できる」
 話しながらベッドを下りた和彦は、イスの上に置いた着替えを取り上げる。
『すでに車は待たせてあります。準備ができたら降りてください』
 五分で降りると返事をして、電話を切る。
 ジーンズに穿き替えながら和彦は、最近急に物騒になってきたように感じていた。先日は、総和会の第二遊撃隊が面倒を見ることになったという男を手術したが、やはり、外を出歩いているときに襲われて大怪我を負ったと教えられた。
 普段は無用な揉め事を避けたがる世界だが、些細なことで様相は一変する。血生臭い空気に当てられて小さないざこざが起こり、それが大きな闘争へと繋がる危うさと緊迫感をいつでも孕んでいるからだ。もっとも、こんな世界に身を置き、医者をしている和彦だけがいつ血の匂いがするかと身構えており、男たちにとってはこれが当たり前なのかもしれない。
 和彦はTシャツを着込み、その上からパーカーを羽織って、慌ただしく玄関に向かおうとしたが、すぐに引き返して洗面所に飛び込む。眠気はとっくに消えてしまったが、顔を洗って気持ちを切り替える。
 一階に降りると、すでに待機している長嶺組の車に乗り込み、まっすぐクリニックへと向かった。
 患者を含めた数人の組員たちはすでに到着しており、待合室にいた。和彦の姿を見るなり素早く立ち上がり、一斉に頭を下げる。ただ一人、崩れ込むようにソファに座っている男を除いて。和彦は簡単に男の状態を診て、眉をひそめた。
 殴られたらしく、顔が無残に腫れている。それに、上体のあちこちに切りつけられた傷もあり、ポロシャツが血で染まっている。さらに、腕の異常にも気づいた。一目見て、骨が折れていると判断した和彦は、診察室へと男を移動させる。
 ハサミでポロシャツを切って裸にすると、組員に頼んで、傷口から流れる血を拭き取ってもらう。その間に和彦はレントゲン室の電気をつけ、治療に必要な医療用品や薬剤を準備する。使用したものは、クリニックのスタッフに知られないよう、朝までに補充しなければならないため、メモを取ることも忘れない。
 手を消毒し、ようやく診察室のイスに腰掛けると、男の傷口を丁寧に洗浄しながら、細かく検分していく。すでに出血は止まりかけているため、傷そのものは深くないようだ。
「ケンカか?」
 頻繁に顔を合わせている間柄ということもあり、和彦のほうから問いかけると、怪我をした男の腕をアイシングしている組員が口を開く。
「いえ……、絡まれたんです。こいつと一緒に行動していたんですが、俺がちょっと用事を済ませている間に、二人組に突然絡まれて、路地に引っ張り込まれたらしくて」
「それは災難だったな」
「……まったく。相手は、俺たちのことを知っていました。そのうえで、手を出してきたようです」
 和彦は顔をしかめたまま、局所麻酔をする。さっそく縫合に入ろうとしたが、その手を止めるようなことを組員が言った。
「先生も無関係ではないので話しますが、どうやら連中、前に秦静馬を襲ったのと同じ奴らじゃないかと。俺たちは一時期、秦の護衛をしていたことがあるんです。そのときに顔を覚えられた――と考えています」
「襲った連中が、秦の名を出したのか?」
「秦を許さない、みたいなことを喚いていました。捕まえて、詳しいことを吐かせられればよかったんですが、俺が駆けつけたとき、すでにこいつはこの状態で……。その場を離れることを優先しました」
「あんな顔をして、けっこうな恨みを買っていそうだな、秦は」
「先生、他人事じゃありませんよ」
 すかさず指摘され、秦と夜遊びに繰り出すことがある和彦は反論できない。
 長嶺組や総和会と関わりがある限り、暴力沙汰に巻き込まれる可能性はあるかもしれないと、常に頭にはあるのだが、まさか、秦が原因で暴行事件が起こるとは思ってもいなかった。かつて暴行を受けた秦を、中嶋に頼まれて治療したことがあるが、なぜ秦が襲われたのか、その理由をいまだに和彦は知らされていない。
 秦だけでなく、その秦の後ろ盾となった長嶺組――賢吾からも。
「組長には報告しておきましたから、当分先生には、窮屈な思いをさせるかもしれません」
「……基本的に、どこに行くにも護衛をつけてもらっているから、ぼくの場合、さほど生活に影響があるとも思えないが……。あっ、護衛が面倒だから、夜は出歩くなと言うことか?」
 和彦としては真剣に問いかけたのだが、怪我をしている組員までもが、苦笑に近い表情を浮かべて首を横に振る。
「先生に、そんな野暮は言いませんよ。ただ、俺たちみたいな連中の面倒を見てくれる大事な人なんですから、気をつけてほしいだけです」
「それを言うなら、君らもだ。日ごろ振り回して、世話になっているからな」
 短く息を吐き出して和彦は、今度こそ切り傷の縫合に取り掛かった。




 午後の診察時間の終了まで一時間近く残して、クリニックにはすでに緩やかな空気が漂っていた。最後の患者を見送ってしまうと、完全予約制のこのクリニックでは、あとは仕事が限られるのだ。
 週明けに入っている予約について打ち合わせを済ませてから、あるスタッフは医療用品や薬剤の在庫を確認し、手が空いているスタッフは掃除を始める。和彦も、診察室を――というより、自分が使っているデスクの上を片付ける。
 それが終わると今度は、コピー用紙を一枚取ってきて、卓上カレンダーを眺める。
「――……ついこの間、花見でバタバタしていたのにな……」
 ぽつりと洩らした和彦は、簡単な文面を考えてコピー用紙に書いていく。すると、診察室の掃除のため入ってきた女性スタッフが、ススッと近づいてきた。
「何を書いているんですか、佐伯先生」
「ゴールデンウィークの休業日のお知らせ。患者さんにはもう電話で伝えてあるけど、配達業者が困るかもしれないから、そろそろ玄関のドアに貼っておこうと思って」
「はあ、この間開業したと思ったら、もうゴールデンウィークなんですねー。バタバタしていたから、なんだかあっという間です」
 まったく同意見だ。ただの勤務医から、何から何まで自分で方針を考え、指示を出す立場になったため、とにかく慌ただしい日々だった。しかも和彦の場合、大きな隠し事を悟られまいと、昼間は仕事以外のもので気を張り詰めている。
 本来なら季節の移り変わりに目を向ける余裕すらなかっただろうが、その辺りは周囲の男たちがきめ細かくフォローをしてくれた。
「一週間もお休みがもらえるので、実家でのんびりしようと思って、今から楽しみにしているんです」
 女性スタッフの純粋に嬉しそうな言葉に、わずかに和彦の罪悪感が疼く。
 カレンダー通りにクリニックを開けることになると、三連休のあとに平日が一日あり、そして三連休ということになるのだが、まとめて休みにしてしまえという賢吾の一言で、こういうことになってしまったのだ。そのときの賢吾の口ぶりからして、連休中に和彦を振り回す気満々だ。
「佐伯先生は、何かご予定はあるんですか?」
「……ぼくは今のところ、何も。部屋でごろごろして過ごすよ」
 そんな会話を交わしてから和彦は、休業日を書いたコピー用紙を玄関のドアに貼りに行った。
 掃除を終えてからクリニックを閉めると、速やかにスタッフたちが帰る。一人となった和彦は、診察室のイスに腰掛けてほっと一息をつく。途端に、あくびを洩らしていた。
 深夜に起こされ、襲われて怪我をした長嶺組の組員を治療していたため、今日は朝から眠気を引きずっていたのだ。スタッフがいるところでは平素と変わらぬよう振る舞っていたが、一人になって一気に気持ちが緩んでしまう。
 金曜日の夕方にトラブルなく仕事を終え、あとは帰るだけという状況だ。誰も和彦を責めたりはしないはずだ。
 今晩の食事は、パンを買って手軽に済ませようと考えながら帰り支度をしていると、携帯電話が鳴る。
 相手を確認した和彦は、緩んだ気持ちを再び引き締めるのに、多少の努力を要した。


 先日、和彦が手術を施した男が、真っ青な顔でベッドに横たわっている。手術後の経過は問題なく、傷口もきれいに塞がりつつあると報告は受けていたため、当分は自分が診る必要はないだろうと安心していたのだが、甘かったようだ。
 男が発熱し、激しい腹痛を訴えて、嘔吐しているという報告をクリニックで受けた時点で、和彦は薄々とながら原因がわかっていた。
 超音波で腹部の様子を探って正式な診断を下すと、男の苦痛を取り除くための治療を始める。
「腸閉塞だな。わかりやすく言うなら、腸が詰まっているんだ。だから、飲食したものがすべて逆流して、嘔吐が続くし、腹痛も起こる。先日の手術で内臓の組織が癒着して、腸が圧迫されたんだろうな。それに、寝たきりのストレスも、腸によくない影響を与える」
 部屋にいる男たちに淡々と説明をしながら、輸液の準備をする。一方で頭の片隅では、この場にいるのは、南郷率いる第二遊撃隊の人間ばかりなのだろうかと考えてもいた。
 手術を行ったときは、男が怪我を負った簡単な経緯だけは聞いたが、それ以外のことは何も知らされなかった。唯一はっきりしていたのは、総和会から回ってきた仕事、ということだけだ。だが、帰宅する車で南郷と乗り合わせ、さほど知りたくなかった事情を、大まかながら教えられた。
 総和会の中で詰め腹を切らせるために、男は生きていなくてはならないのだ。
 こういう事実を知ってプレッシャーを感じるぐらいなら、何も知らなかったほうがありがたい。
 医者として患者を救いたいのは当然だが、この世界で求められるのは、そういう道徳や倫理といったものではない。優先されるべきは、組織の都合であり、事情なのだ。結果として患者を救えるのだから文句はないだろうと、南郷なら平然と言いそうだった。
 必要以上に南郷を悪辣な男として捉えてしまうのは、やはり苦手だからだ。
 車中での出来事が蘇り、和彦は眉をひそめる。背筋を駆け抜けたのは、不快さだった。気を取り直し、男の腕に点滴の針を刺す。
「当分、食事はおろか、水を飲むことも厳禁だ。点滴で栄養をとりながら、胃腸を休ませる」
「……また、手術をすることになるんですか?」
 和彦の指示に従い、新しい洗面器を持ってきた男が問いかけてくる。なんとなく見覚えがある顔だと思ったら、先日、南郷と同乗した車を運転していた男だ。
 咄嗟に和彦は、質問に対して、まったく関係ない質問で返していた。
「――南郷さんもここに来ているのか?」
 男はわずかに目を見開いたあと、すぐに無表情となって首を横に振った。
「いえ、今日は会長と行動をともにしているので」
「そうか……」
 安心した、という露骨な言葉を寸前のところで呑み込み、和彦は男の質問に答える。
「手術は今のところしない。というより、なるべくならしたくない。腸が詰まった状態で腹を開くほうが、かえって危険だ。今はつらいだろうが、点滴で様子が落ち着くのを待つほうがいい。それで症状が悪化するようなら、他の手段を取ることになる」
 男から物言いたげな視線を向けられ、事情を察した和彦はこう指示した。
「今夜はここにいる。長嶺組には、そう連絡しておいてくれ」


 部屋に足を踏み入れた和彦は、殺風景な空間をぐるりと見回す。狭く薄暗い共用廊下の奥にある部屋は、すべての窓が板で塞がれており、そのせいか少しかび臭い。ただ、掃除は行き届いているように見えた。
 仮眠室ということで案内された部屋だが、普段は詰め所の一つとして使っているのだろう。テーブルとソファ、テレビと順番に視線を向けたあと、壁際に置かれたマットを見てひとまず安心する。どうやらソファに横になる必要はないようだ。
 患者に付き添って、床の上に毛布を敷いて寝た経験もあるため、仮にソファで休むことになってもひどい扱いだと文句を言う気もなかった。
 男たちなりに気をつかってくれているのは、マットの上に真新しいシーツと毛布、スウェットの上下が用意されていることからも、察することができる。さらにテーブルの上には、おにぎりやパン、ペットボトルのお茶が詰め込まれたコンビニの袋が置いてある。
 ここで和彦は、自分がまだ夕食をとっていないことを思い出した。
 まず先に着替えを済ませると、小さなキッチンで顔を洗ってから、ふらふらとソファに座り込む。猛烈に眠いが、空腹でもある。
 和彦はおにぎりを食べながら、さきほどまで診ていた患者のことを考えていた。
 夜が更けるにつれて男の顔色はずいぶんよくなってはきたが、相変わらず胃液を吐き続けており、腹痛も和らいだかと思えば、再発するということを繰り返している。数日間は、様子を見ながらの点滴による補液が続くだろう。つまり、何も食べられないということだ。
 それを思えば、コンビニで調達した食事といえど、何も考えずに頬張れる自分の健康状態がありがたい。和彦はおにぎりだけではなく、サンドイッチもしっかりと平らげ、お茶を飲んで満足する。
 マットにシーツを敷いて毛布を広げると、たまらず横になる。一気に意識が眠りへと吸い込まれそうになるが、ここで、部屋の電気を消していないことが気になる。それに、携帯電話をテーブルの上に置いたままだ。
 せめて、賢吾にメールを送っておこうと思いはするものの、体がもう動かない。ふっと和彦の意識は遠のく。
 普段であれば、このまま深い眠りについてしまうはずなのだが、意識の一部はひどく研ぎ澄まされている。慣れない場所で一人ということもあり、絶えず辺りの様子をうかがっているのだ。
 総和会の男たちが同じ階に控えていて、何か起こるはずもないのに――。
 自分が起きているのか眠っているのかわからない状態に陥り、浸っていると、前触れもなく異変は起こった。
 マットの傍らに誰かが立っている気配を感じたのだ。
 本能的な怯えから和彦は体を強張らせる。次にどんな行動を取るか、ほんの数瞬の間に考えて実行に移そうとしたが、その前に動けなくなった。顔全体にふわりと柔らかな感触が触れたからだ。それが薄い布の感触だとわかったとき、和彦の中で蘇ったのは、守光宅の客間での出来事だった。
 驚きと戸惑いによって和彦が動けないのをいいことに、侵入者はいきなり大胆な行動に出る。マットの上に上がり、和彦の体にかかった毛布を剥ぎ取ったのだ。
 急速に恐怖に支配され、顔にかかった布を外そうとしたが、すかさず片手で手首を掴まれてマットに押さえつけられる。大きくて力強い男の手だった。和彦の手首を折るぐらい簡単にできそうだ。言葉も発さない相手の意図を察し、和彦はささやかな抵抗すらできなくなる。
 トレーナーの下に分厚く硬い手が入り込み、肌をまさぐられる。生理的な反応から鳥肌が立つが、相手は意に介さず、トレーナーをたくし上げて、無遠慮に撫で回してくる。手つきも、手の感触すらもまったく違うというのに、和彦の存在を探るかのように触れてきた守光のことが、頭から離れない。
 手つきの荒々しさとは裏腹に、男は時間をかけて和彦の体に触れてきた。そして興味をひかれたように、胸の突起を特に念入りに弄り始める。
 てのひらで捏ねるように転がされ、自分ではどうしようもできない反応として硬く凝ると、指の腹で押し潰され、再び反応を促すように乱暴に摘み上げられて、引っ張られる。痛みに小さく呻いた和彦は、ここでようやく、頑なに閉じたままだった目を開けた。
 薄い布を通した電気の光に、一瞬目が眩む。だがすぐに、自分の上に馬乗りになっている相手の姿の輪郭を捉える。大柄な体つきをしていた。
 凶悪な笑みを浮かべる男の顔がはっきりと、頭に浮かぶ。
 嫌悪と恐怖が体を駆け抜け、和彦はたまらずもう一度、顔にかけられた布を取ろうとした。すると、布の上から両目を手で覆われた。和彦は身をすくめ、相手の行動を探る。
 手荒く口元をまさぐられたかと思うと、熱い感触が唇に触れる。そして、塞がれた。呼吸を止められると、本能的に危機感を覚えた和彦は、闇雲に手を振り上げて侵入者を押しのけようとするが、相手はビクともしない。それどころか、和彦の抵抗すら楽しんでいるように、体重をかけて威圧してくる。
「うっ……」
 熱く濡れた感触が、布を通して唇に這わされる。それが舌だとわかり、和彦は懸命に首を横に振ろうとしたが、再び片手が胸元に這わされ、凝ったままの突起を乱暴に摘まれた。息苦しさに喘ぐと、耳元に移動した唇に耳朶を噛まれる。――つい先日、車中でされたように。
 侵入者は名乗ることなく、己の存在を和彦に知らせてくる。そうすることが和彦にとっては効果的だと知っているのだ。
 両目を覆っていた手がゆっくりと退けられたが、和彦はもう、布を外そうとはしなかった。自分の上に馬乗りになっているのが誰であるか、目の当たりにするのが怖かったからだ。何より、暴力を振るわれ、痛い思いをするのが。
 和彦が体を強張らせたままなのをいいことに、侵入者はふてぶてしく振る舞う。分厚い手で体を撫で回し、それどころかスウェットパンツと下着まで脱がせてしまう。羞恥よりも屈辱が上回り、和彦はぐっと歯を食い縛る。侵入者は、ためらうことなく下肢にまで手を這わせてきた。
「いっ――」
 嫌だ、と言いかけたが、怯えている欲望を無遠慮に掴まれ、言葉は喉に張り付く。
 弄ぶように、欲望を扱かれる。湧き起こるのは、違和感と不快さだった。和彦はわずかに顔を背け、無抵抗と同時に、無反応でいることを態度で示す。飽きれば、侵入者はすぐに体の上から退くと思いたかった――信じたかったのだ。
 しかし、それは甘かった。そもそも和彦の周囲にいる男は、和彦を甘やかしはしても、甘い男は一人もいない。
「ううっ」
 胸元に濡れた感触が押し当てられ、蠢く。舌で舐められているとわかり、嫌悪感から震えが起こる。
 なぜこんなことを、と頭が混乱していた。それ以上に和彦を混乱させるのは、侵入者がなぜ、守光の取った方法を知っているのかということだった。眠っている和彦の元に忍び寄り、布で視界を覆うと、言葉を発することなく体をまさぐる。当然、和彦が抵抗できないことを知ったうえで。
 患者の容態の急変は偶発的なものだが、今、和彦の身に起こっていることは、あまりにできすぎている。まるで事前に打ち合わせをしていたかのように。
 熱い舌にベロリと胸の突起を舐め上げられ、小さく声を洩らした和彦は反射的に、侵入者の肩を押しのけようとする。大柄な体つきであることが容易に想像できる、逞しい肩だった。
 和彦のささやかな抵抗を嘲笑うように、露骨に濡れた音を立てて胸の突起を吸われ、しゃぶられる。あっという間に熱をもった突起は、荒々しい愛撫になすすべもなく敏感に尖り、和彦にとって馴染みすぎている感覚を生み出してしまう。
 両膝を掴まれて左右に大きく開かれ、腰を割り込まされる。侵入者がどういう意図で和彦に触れているか知らしめるように、硬いものを両足の間に押しつけられた。布越しとはいえ、はっきりと欲望の形を感じ取り、和彦は激しく動揺する。
「や、め――」
 上げかけた声は、再び唇を塞がれて抑え込まれる。唇と唇の間にある布のおかげで、相手の舌が口腔に侵入してくることはないが、唇をなぞる舌の動きは伝わってくる。あからさまに和彦を威嚇していた。
 再び欲望を掴まれて扱かれながら、もう片方の胸の突起を口腔に含まれる。感じやすい先端を指の腹で擦られて腰を跳ねさせると、胸の突起をきつく吸い上げられてから、舌先で転がされる。
 粗野で荒っぽい愛撫を執拗に与えられ、最初は頑なに体を強張らせていた和彦だが、侵入者の手が柔らかな膨らみにかかったところで、弱さを見せてしまう。
「ひっ……」
 潰されるかもしれない恐怖と、何度味わっても慣れない強烈な感覚への期待に、心が揺れていた。その瞬間を相手は見逃さなかった。
 上体を起こした侵入者に片足をしっかりと抱え上げられ、大きな手に柔らかな膨らみを包み込まれる。
「ううっ」
 思いがけず巧みに指が蠢く。柔らかな膨らみを揉みしだかれながら、弱みを指で刺激される。一気に下肢から力が抜け、侵入者の指にすべての感覚を支配されていた。
「あっ、あっ、うあっ、あぁ――」
 腰を揺らし、容赦ない愛撫から逃れようとするが、途端に指に力が込められる。自分の両足の間でどんな反応が起こっているか和彦は見ることができないが、感じることはできる。いつの間にか反り返ってしまった和彦の欲望の形を、侵入者が指でなぞってくるのだ。さらに先端をくすぐられ、濡れていることも知ってしまう。
 意識しないまま和彦の息遣いは乱れ、ときおり切羽詰った声を上げる。
 和彦がそこまで反応するのを待ってから、侵入者はさらに淫らな攻めを加え始めた。
 濡れた太い指に内奥の入り口を擦られてすぐに、やや強引にこじ開けられる。まさに、指で内奥を犯されていた。
「うっ……、あっ、はあっ……、うっ、うっ」
 繊細な襞と粘膜が、侵入者の指の腹に擦り上げられながら、湿らされていく。おそらく、唾液を擦り込まれているのだ。和彦は空しく腰を揺すって抵抗を示すが、深く指を突き込まれて蠢かされると、気持ちに反してきつく締め付けてしまう。
 内奥で円を描くように、大胆に指が動く。頑なだった肉は緩み、擦り込まれる唾液によって潤む。おそらく、いやらしく真っ赤に熟れてもいるだろう。そして侵入者は、そういった反応をすべて観察しているはずだ。
「んっ……くぅっ」
 肉を掻き分けるようにして、指が内奥に付け根まで収まる。その状態で欲望を擦り上げられると、和彦は呆気なく絶頂を迎え、自らが放った精で下腹部を濡らす。
 激しく息を喘がせている間も、侵入者は容赦なく内奥を指で攻め、微かに湿った音がするほど蕩けさせてしまう。しかしふいに、指が引き抜かれた。
 和彦の耳は、自分の乱れた呼吸音だけではなく、ファスナーを下ろす音も捉えていた。ビクリと体を震わせて起き上がろうとしたが、布越しに、侵入者の顔が近づいてきたのが見えると、それだけで動けなくなる。この状況で相手の顔を見た途端、暴力を振るわれて犯されると、確信めいたものがあった。
 奇妙なことだが、顔が見えないからこそ和彦と侵入者の間には、歯止めのようなものが生まれているのだ。
 布越しに何度目かの口づけを与えられる。片足を抱え上げられて、蕩けてひくつく内奥の入り口に、圧倒的重量を感じさせる熱い塊を押し付けられ、擦りつけられる。和彦は小刻みに体を震わせて、小さく呟いた。
「――……嫌、だ……」
 和彦の唇に、荒い息遣いが触れる。もしかすると、侵入者は笑ったのかもしれない。
 侵入者は、和彦を犯しはしなかった。その代わりに屈辱と羞恥を与えることにしたのか、和彦の片手を取り、逞しい欲望を握らせた。
 知らない男の欲望だった。手を取られ、扱くことを強要されながら、和彦は喘ぐ。被虐的な気持ちに陥りながら、倒錯した性的興奮を覚えていたのかもしれないし、熱を帯びる布越しの口づけに感じていたのかもしれない。
 てのひらで感じる侵入者の欲望は、ふてぶてしく育ち、力強く脈打っている。
 こんなものが自分の中に打ち込まれたら――。そう想像したとき、体の内を駆け抜けたのは、恐怖なのかおぞましさのか、和彦自身にも判断しかねた。あるいは、別の〈何か〉なのかも。
 和彦が小さく身震いをすると、侵入者は手を止める。そして再び、和彦の内奥の入り口に欲望の先端を擦りつけてきた。
「んんっ」
 ゾクゾクするように肉欲の疼きが背筋を駆け抜け、和彦は上擦った声を上げる。指で内から蕩けさせられた内奥は、入り口に擦りつけられる熱い肉を柔らかく受け止め、擦り上げられるたびに媚びるように吸い付く。それは相手も感じているはずだ。
「うっ……、んうっ……」
 わずかに内奥の入り口をこじ開けられそうになり、和彦は必死に侵入者の肩を押しのけようとする。相手が本気になれば、和彦の抵抗を無視することなど簡単だろう。そうしないのは、侵入者は和彦の抵抗そのものを楽しんでいるからだ。それだけではなく、興奮している。
 侵入者は、高ぶった己の欲望を扱いていた。
「あっ」
 尻に、ぐっと欲望を押し当てられる。次に和彦が感じたのは、熱い液体が伝う感触だった。
 一瞬、自分の身に何が起こったのか理解できなかったが、侵入者が洩らす獣のような息遣いを聞き、燃えそうに体が熱くなる。
 犯されたわけではないが、汚された気がした。
 行為の成果を確かめるためか、侵入者の分厚く大きな手が体中に這わされる。さらに、布越しの口づけも与えられた。その間和彦は、呼吸を繰り返すだけで、なんの反応もしなかった。今できる精一杯の報復は、それだけだったのだ。
 侵入者が体を離す気配がして、マットが大きく揺れる。かつて守光に対してそうであったように、和彦は相手が部屋を出て行くまで、顔にかかった布を取らなかった。
 荒々しい気を振り撒く災厄が、少しでも早く去っていくのを願いながら。









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