と束縛と


- 第26話(1) -


 心臓の鼓動が、少しだけ速くなっているような気がした。
 書斎にこもった和彦は、あえて日曜日の夜から取り掛かるほど急ぐ仕事でもないのだが、パソコンを使って、長嶺組に提出するクリニックの収支報告書を作成していた。しかし、すぐに集中力は途切れ、昨夜から今日にかけての出来事を思い返していた。
 あまりに衝撃的な出来事で、我が身に降りかかったという実感がいまだに乏しい。
 そのくせ――鷹津との濃厚な行為だけは、はっきりとした感覚がまだ体に残っている。気を抜くと、まだ鷹津の体温に包み込まれているような錯覚に陥り、我に返るたびに恥じ入り、鼓動が速くなる。
 動揺しているのだ。和彦は、自分の今の状態をそう分析する。
 これまで鷹津とは何度も体を重ねてきて、気持ちはともかく、与えられる快感も受け入れた。鷹津とは、割り切った体の関係だという前提に、安心していたのかもしれない。この前提がある限り、鷹津に情が湧いても、それで関係が変わることはないと。
 しかし、昨夜からの鷹津とのやり取りは、違っていた。〈番犬〉に餌を与えるという、それ以上でも以下でもないはずの行為に、いままでにない気持ちが伴っていた。
 ひたすら求めてくる鷹津に、和彦は――。
 胸の奥が疼き、身震いした和彦は慌てて立ち上がると、浴室に駆け込んだ。
 体に留まり続ける熱を誤魔化したくて、いつもより熱めの湯をバスタブに溜め始める。着替えを取りに寝室に向かおうとしたとき、微かに携帯電話の呼出し音が聞こえ、慌てて書斎に戻る。電話の相手は、ある意味、昨日の騒動の主役ともいえる秦だった。
 ずっと秦のことが気にはなっていたものの、今日は忙しいかと思って電話は遠慮していたため、ここぞとばかりに和彦は尋ねる。
「昨夜別れてから、大丈夫だったか?」
『おや、先を越されましたね。わたしのほうが、先生に尋ねようと思っていたのに。――連絡が遅くなって申し訳ありません』
 慇懃ともいえる秦の口調に、勢い込んで質問をした和彦の調子は狂う。
「いや……、ぼくはなんともなかったから」
『そうはいっても、襲撃された現場にいたわけですから、ショックもあったでしょう』
「すごすぎて、まだ現実感がないんだ。ひどい怪我をした人間の治療をいくつもこなしてきたのに、そういう人間がどんな状況で怪我を負っていたかなんて、説明を受けても、リアルに想像なんてできなかった。ぼくはただ、どういう手順と手段で怪我をしたか、そういう検分をしてきただけだ」
『言われ慣れてるでしょうが、先生は肝が据わってますね。あの状況で、場慣れしていないのは先生だけだったのに、それでも落ち着いて鷹津さんの手当てをしていましたし』
 鷹津の名が出た途端、和彦は落ち着きなく書斎を歩き回っていた。電話を通して、動揺が秦に伝わるのではないかと心配になってくる。
「……ぼくを庇っての怪我だと聞かされたら、放ってもおけないだろ」
『利き手が使いにくいと、ぼやいていましたよ』
 昨夜の今日で、秦と鷹津はもう連絡を取り合ったらしい。この二人の関係もよくわからないと、心の中でこっそりと和彦は思う。もちろん、口に出したりはしない。
「襲撃があって、ぼくと鷹津が店を出たあとのことを、長嶺組から何も知らされていないんだが……、いろいろと、どうなっているんだ?」
『いろいろ、ですか。わたしの店のほうは、幸か不幸か、内装工事のために高価な装飾品は運び出したあとだったし、床や壁も張り替えますから、心配されるような被害はありません」
「――……襲ってきた、男たちは……?」
 知りたい反面、知りたくない。そんな和彦の複雑な気持ちを汲み取ったのか、単に長嶺組から口止めをされているのか、秦は柔らかな笑い声を洩らして言った。
『先生が気にされなくていいんですよ。長嶺組の方々も、だから先生に何も知らせてないんでしょう』
「彼らが一体何者なのかも、聞くだけ無駄だということか」
『そういうことです』
 気持ちとしては釈然としないが、長嶺組や秦があえて隠そうとしているのなら仕方ない。
 和彦は少し前まで、何も知ろうとしないことで、無害な存在でいようとしたが、守光と関係を持ったことで、その姿勢を変えることになった。ただし気をつけなければならないのは、和彦が得る情報はすべて、取捨選択を男たちによって経たものだという点だ。
 男たちが秘匿としているものを暴く権利も度胸も、和彦にはなかった。
「君の店の被害が大したことがなかったんだから、それで安心しておこう」
『先生に機嫌を直してもらおうと思ってお誘いしたのに、かえって大変な目に遭わせてしまいましたね』
 気にしないでくれと、和彦は苦笑を洩らす。大変な騒動と、その後の鷹津とのこともあり、自分が背負っていた事柄について、今この瞬間まで考えることすらしていなかった。秦の思惑とは違ったところで、和彦の機嫌は直りつつあるといえるのかもしれない。
 あくまで、問題の先延ばしでしかないのだが――。
 電話を切った和彦はぼんやりとしていたが、ふと、バスタブに湯を溜めていることを思い出し、慌てて浴室へと駆け込んだ。




「――ここのところ大忙しだな、先生」
 窓の外に広がる夜景に見惚れていた和彦は、どこか皮肉げな賢吾の言葉にハッとする。
 ホテル上階からの夜景を和彦によく見せてやろうという配慮なのか、賢吾は窓を背にしてテーブルについている。
 しかし和彦は、一旦賢吾に視線を移してしまうと、もう夜景を眺める気にはなれない。
 賢吾は、夜の街のきらびやかさも霞む濃い闇を背負っているように見え、禍々しさすら漂っている。普通の感覚を持った人間ならば、この男を一目で危険な存在だと判断するだろうが、困ったことに和彦の目には、非常に魅力的に映るのだ。怖いほどに。
「ぼくが忙しいのは、ぼくのせいじゃない。……暖かくなってくると、この世界の連中は血が滾るのか? 物騒なことが多すぎる」
 賢吾は低く喉を鳴らして笑い、鉄板の上で焼けたヒレステーキを一切れ、和彦の前の小皿に置いた。
 クリニックを終えてから途中で賢吾と合流し、外で夕食をとることにしたのだが、肉が食べたいと希望したのは賢吾だ。疲れ気味の和彦に精をつけさせようと考えた――のかどうかは知らないが、鉄板焼きのコースディナーの他に、さらにサーロインステーキを別メニューで頼んだ賢吾は、和彦の倍の速度で肉を焼き、口に運んでいる。
「物騒といえば、総和会からの申し出も、ある意味じゃ物騒だな」
 賢吾が言っているのは、総和会から、和彦にクリニックを任せたいと提案された件だ。移動中の車内で簡単に説明をしたのだが、とっくに千尋から、賢吾の耳に入っていただろう。驚いた様子もなく、薄く笑っただけだった。もっとも和彦自身、賢吾の反応をある程度予測はしていた。
 大事なのは、和彦から賢吾に相談を持ちかけるという〈形〉なのだ。
「……総和会は、何を考えていると思う?」
 和彦は単刀直入に賢吾に問いかける。もう一切れ肉を食べた賢吾は、ペロリと唇を舐めた。
「一つは、ビジネスだ。医者を連れてきて治療をさせるなんてことは、いままでもやってきたが、まさかヤクザが、医者を常駐させる……つまりクリニックを経営するなんてことを、やったことはなかったからな。考えはしても、ビジネスとしてのノウハウがなかった。いままでは。理想的な医者がいてこそ、クリニック経営を支えるヤクザたちも、経験を積めるというわけだ」
 和彦を最初は脅して従わせ、次々に男たちと関係を持たせていくことで、賢吾はその、『理想的な医者』を手に入れた。
 賢吾と知り合ったばかりの頃に抱いていた、恐れや怒りといった感情が蘇り、和彦は強い眼差しを向ける。当然、硬い鱗に覆われた体を持つ大蛇は、痛痒を感じないようだ。
「もう一つは、面子だ」
「面子って、誰の」
「――総和会会長」
 和彦はそっと眉をひそめる。食事中、堂々と口にするのははばかられる肩書きだが、ここは他のテーブルとは扉で隔てられている個室だ。護衛の男たちすら、その扉の向こうの席についている。
「長嶺組組長は、自分のオンナにクリニックを持たせた。だったら、その父親である総和会会長が、同じオンナに何も与えないわけにはいかねーだろ。ただし、長嶺組組長の面子を潰すわけにはいかない。クリニックは、その意味で一挙両得というわけだ」
「……ぼくの体は一つしかないのに……」
 ため息交じりに和彦が洩らすと、賢吾がニヤリと笑う。
「だが先生は、何人もの男と、たった一つの体で関係を持っている」
「そういうことを言いたいんじゃなくて――」
「オヤジは、もっと深く先生と関わろうとしている。俺が今挙げたのは、総和会が先生にクリニックを持たせたがる理由だ。だが俺は、その理由の奥に、長嶺守光の本来の目的があるんじゃないかと勘繰っている」
「何か……?」
 賢吾がスッと和彦の顔を見据えてくる。冷ややかなのに獰猛さも感じさせる大蛇の潜む目に、無意識のうちに和彦は息を詰めていた。
「先生に骨抜きになったオヤジが、俺から取り上げようとしている、とかな」
 数秒ほど真剣に考えた和彦だが、すぐに賢吾を睨みつける。案の定、堪えきれなくなったように賢吾は声を上げて笑った。
「……そんなに、ぼくをからかって楽しいか」
「聞くまでもないだろう。――返事は、ギリギリまで引っ張ればいい。オヤジの腹の内が、もしかすると読めるかもしれない」
 それしか打てる手はないのかと、和彦は小さくため息をつく。すかさず賢吾に言われた。
「物騒な男に気に入られると、物騒なことに事欠かないな、先生」
「他人事だと思って……」
 自棄酒というわけではないが、和彦はグラスのワインを飲み干す。
『物騒なこと』という話題の流れから、秦の店を襲撃した男たちのことを聞いてみたい衝動に駆られたが、守光の話題が出たことで、軽々しい好奇心は慎むべきだと思い直した。三日前の秦との電話でのやり取りがなければ、危うく口に出していたかもしれない。
 自らが踏み込めない領域について、あれこれと思索する和彦とは対照的に、秘密すら踏み散らすような無粋ぶりで賢吾が切り出した。
「鷹津には、美味い餌を食わせてやったか?」
 和彦は咄嗟に言葉が出なかった。激しい動揺と羞恥で一気に顔が熱くなったが、賢吾の向けてくる冴えた眼差しに首筋は冷たくなるという感覚を、同時に味わう。
 賢吾は今日まで、怪我をした鷹津とどう過ごしたか、和彦に一切尋ねてはこなかった。二人の間に何があったかは想像するまでもなく、だからこそ賢吾は知る気がなかったのだろうと解釈していたが、どうやら違ったようだ。
 和彦が逃げられない状況になるまで、虎視眈々と機会を狙っていたのだ。
「――……餌はやった」
「自分が切りつけられながらも、先生を守ったんだ。俺が思った通り、あいつは態度は悪いが、優秀な番犬だ」
「何日かは利き手が使いにくくて、不便だろうな」
「通って面倒を見るか?」
 冗談めかした口調とは裏腹に、ヒヤリとするような感覚が和彦を襲う。賢吾が、鷹津のことを話す自分の反応を観察していると感じ取り、警戒していた。
「ぼくはそこまで甲斐甲斐しくない。……ただ、傷の具合を診る必要があるから、夜、クリニックに足を運んでもらうことになる」
 慎重に言葉を選んで話した和彦は、賢吾の反応をうかがう。
「その顔は、俺の許可を求めているのか?」
「こそこそと呼んで、罪悪感を持ちたくない」
「男絡みの罪悪感に苛まれる先生を眺めるのは、俺は好きだぜ。だがまあ、好きにしろ。あれは、先生の犬だ」
 和彦は安堵し、野菜のスープを口に運ぶ。その間も、賢吾の視線を感じていた。最初は気づかないふりをしていたが、顔を上げないふりを続けるのも限界で、たまらず上目遣いに賢吾を見る。
「……なんだ?」
「妙に艶めいているなと思ってな。鷹津の相手をたっぷりしたせいか、それとも――他に男絡みの罪悪感を抱えているのか……」
 大蛇の慧眼は怖いと、いまさらながら思い知らされる。和彦の脳裏に浮かんだのは、当然南郷の顔だ。ただし、賢吾が言うような艶かしい気持ちは一切ない。
 和彦は顔を強張らせ、吐き出すように答えた。
「今は言いたくない」
「俺相手に、堂々と隠し事をするという宣言か」
「口にしたくないんだ、……まだ。あんたは、ぼくの口を無理やり割らせることもできるから、今すぐどうしても聞きたいなら、そうすればいい」
 賢吾は大仰に肩をすくめる。
「なんだ、先生。俺相手に駆け引きか」
「そういうつもりじゃ……。ただ、ぼくの中でまだ気持ちも状況も、整理できてないんだ。軽はずみなことを言って、何かが起きるのが怖い」
「――先生の気を引こうとして、ちょっかいをかける男がいたか?」
 和彦は曖昧な表情を浮かべると、再び夜景へと視線を向ける。和彦のこの反応で十分だったのか、賢吾はそれ以上問い詰めてはこなかった。
 ただし和彦にとっては、賢吾のこの反応こそが怖くてたまらないのだが――。


 座椅子に座った和彦は、浴衣の上から自分の肩を揉む。夜景を眺めながら、美味しい夕食を味わっていたはずなのだが、途中から賢吾の反応が気になって仕方なく、デザートを食べ終えたときにはすっかり肩が凝っていた。
 さらに、今夜は本宅に泊まれと言われれば、どうしても緊張してしまう。
 食事の最中、自分が口にした言葉を思い返し、和彦は痛いほどの後悔を噛み締めていた。賢吾に対してあからさまな隠し事を匂わせたうえで、勢いとはいえ、挑発的なことを言ってしまったのだ。賢吾は、和彦を痛めつけるような真似はしないだろうが、無理やり口を割らせる手段は一つではない。
 ため息をつこうとしたとき、廊下を歩いてくる足音が聞こえ、反射的に姿勢を正す。振り返ると同時に障子が開き、浴衣の上から茶羽織を肩にかけた賢吾が姿を現した。
「なんだ。茶ぐらい頼んで、寛いでいるのかと思ったのに、ただじっと座っていたのか」
 座卓の上をちらりと見て、賢吾が口元を緩める。
「……この家の主が仕事をしているのに、その主の部屋でダラダラしているのは、気が引けるんだ」
「仕事といっても、電話で片付くような用だ。だから、そう待たせなかっただろ」
「気にせず、じっくりと話してくれてもよかったのに……」
「俺が気にする」
 和彦のすぐ背後に立った賢吾の手が、肩にかかる。浴衣の布越しに体温が伝わってきて、それだけで和彦は冷静ではいられなくなっていた。
 慌てて正面を向くと、両肩をしっかりと掴まれ、力を込められた。
「あっ」
 絶妙な力加減で肩を揉まれて、思わず和彦は声を上げる。背後から笑いを含んだ声で言われた。
「凝ってるな、先生。気疲れすることが多すぎるせいか?」
「……あんたは、原因の一つだからな」
「遠慮なく、俺が原因の大部分だと言っていいんだぞ」
 返事の代わりに、和彦は笑い声を洩らす。
 長嶺組組長に肩を揉んでもらうという贅沢を堪能できたのは、わずかな間だった。肩を揉んでいた賢吾の片手が前へと移動し、浴衣の合わせから入り込んできた。
 大胆に蠢く手に胸元をまさぐられ、あっという間に凝った胸の突起を、捏ねるようにてのひらで転がされる。指先で捉えられて爪の先で弄られる頃には、和彦の呼吸は弾んでいた。
「――鷹津にも、ここをたっぷり弄ってもらったか?」
 突然、冷めた声で問われる。背後に立っているのは賢吾だと知っていながら、和彦は一瞬、別の男に入れ替わったのかと混乱した。それぐらい、賢吾の声音が一変したのだ。
 本能的な怯えから、和彦は愛撫の手から離れようとしたが、賢吾は焦った素振りすら見せなかった。
 立ち上がろうとしたが、いきなり座椅子を引かれてバランスを崩す。すかさず賢吾の腕に捕らえられて、畳の上に放り出された。
 悠然とのしかかってきた賢吾を、顔を強張らせて見上げる。手荒な行動とは裏腹に、賢吾は薄い笑みを浮かべていた。
「鷹津とのセックスはよかったようだな、先生。……鷹津のことを話すときの顔を見ていたら、いままでにない表情を浮かべていた。戸惑っているような、恥らっているような、気分が高揚しているような――。たっぷり愛されて満足している、〈オンナ〉の顔だ」
 話しながら賢吾の手に帯を解かれる。浴衣の前を開かれ、さらに下着を引き下ろされ、脱がされていた。賢吾が真上から、体を見下ろしてくる。肌に残っていた鷹津の愛撫の跡はすでに消えかかってはいるが、目を凝らせば見つけ出すことは可能だ。
 検分するような手つきで賢吾の指先が肌を辿り、丹念に鷹津の痕跡を探り当てていく。その上から唇が押し当てられ、痛いほどきつく肌を吸われる。鮮やかな鬱血の跡を散らされていた。
 最初は身を硬くして、賢吾の行為を受け入れていた和彦だが、次第に、肌を吸われるたびに血が沸騰するような狂おしい感覚に襲われるようになる。
「あっ、そこはっ――」
 両足を抱え上げられ、左右に大きく開かされる。内腿の感じやすい部分をベロリと舐められて、和彦は声を上げる。そこは、鷹津の唇は触れていないと言いたかった。
 しかし訴えるまでもなく、体を見れば賢吾には一目瞭然のはずだ。それでも賢吾は、和彦の下肢にも愛撫を加え始める。折り曲げた両足を一層強く胸に押しつけられ、腰の位置を上げられる。鷹津の欲望を受け入れたことなど忘れたように、頑なな窄まりとなっている内奥の入り口を、賢吾に晒す格好を取らされていた。
 さすがに羞恥に身じろぐと、賢吾が短く声を洩らして笑った。
「見られただけで、〈ここ〉が色づいてきたぞ、先生。そのうち、いやらしい蜜も、前だけじゃなく、後ろからも垂らすようになるかもな。それまでは、この尻が恋しくてたまらない男が、濡らしてやらねーと」
 熱く濡れた感触が、内奥の入り口をくすぐるように触れる。それがなんの感触であるか、和彦はすぐにわかった。
「んうっ……」
 巧みに蠢く賢吾の舌先に、内奥の入り口を少しずつ解されていく。たっぷりの唾液を施され、慎みを失った頃に指を挿入され、食らいつかんばかりに締め付ける。するとあっさりと指は引き抜かれて、舌が侵入してくる。
「……大蛇の舌なら、もっと奥まで舐めてやれるのにな」
 再び指を挿入して、独り言のように賢吾が洩らす。和彦はその言葉に、小さく身を震わせていた。肉の疼きを感じたせいかもしれないし、大蛇に身を貪られる自分の姿を想像して、寒気がしたせいかもしれない。とにかく和彦は、賢吾の言葉一つ一つに反応していた。
 内奥を指で撫で回しながら、賢吾の唇と舌は次の獲物に狙いを定める。反り返り、先端を濡らした和彦の欲望だ。
 微かに濡れた音を立てながら先端を吸われ、熱い吐息をこぼして和彦は身悶える。欲望の形を舌先でなぞられ、さらに柔らかな膨らみも舐られる。
「うっ、うっ、うあっ、あっ――」
「今度鷹津に教えてやれ。長嶺組の組長は、自分のオンナのこんなところまでしゃぶって、感じさせてくれると。あいつは、どうするだろうな」
 賢吾の言葉は、見えない執着の炎となって和彦の全身を炙る。不意打ちのように内奥の浅い部分をぐっと指の腹で押し上げられ、呆気なく和彦は絶頂を迎えた。精を迸らせ、下腹部を濡らしていた。
 そんな和彦を見下ろし、唇の端に笑みを刻んだ賢吾は、あっさりと内奥から指を引き抜く。浴衣を剥ぎ取られた和彦はうつ伏せの姿勢を取らされ、高々と腰を抱え上げられる。身構える間もなく、背後から貫かれた。
「んううっ」
 力を漲らせた賢吾の欲望は、容赦なく内奥を押し広げ、襞と粘膜を強く擦り上げてくる。背後から突かれるたびに和彦は畳に爪を立て、衝撃に耐える。重苦しい痛みが下腹部に広がるが、それ以上に、内から焼かれそうなほど賢吾の欲望が熱い。尻を鷲掴んでくる手も。
「待っ……、賢吾、さ……、もう少し、ゆっくり……」
 和彦の切れ切れの訴えは、乱暴に内奥を突き上げられることで応じられる。賢吾の逞しい欲望が、根元まで捻じ込まれていた。
 奥深くまで呑み込んでいるものの存在を、呼吸を繰り返すたびに強く意識する。賢吾は内奥の収縮を堪能するように動きを止め、その代わり、両手を駆使して和彦の体をまさぐってくる。
 和彦の肌は、嫌になるほど賢吾の手の感触に馴染んでいる。てのひらで撫で回されているだけで肌はざわつき、汗ばみ、官能を生み出す。和彦のその従順さを、背後から貫きながら賢吾は堪能していた。
「……惚れ惚れするほどの、いいオンナっぷりだな、先生。こうして眺めているだけでわかる。俺を欲しがっているってな。もっとも――」
 軽く腰を揺すられ、内奥で欲望が蠢く。意識しないまま、食い千切らんばかりに欲望を締め付けていた。
「尻のほうはさっきから、グイグイ締まりまくってるがな。突っ込まれれば、どんな男のものでも悦んで甘やかす。これも、いいオンナの証ってやつだ」
 腰を抱き寄せられ、内奥深くを丹念に突かれるようになると、和彦は潤んだ喘ぎ声をこぼすようになり、両足の間に、嬉々として賢吾の片手を受け入れていた。
「ひっ……」
 柔らかな膨らみをいきなり強く揉みしだかれ、腰に痺れるような法悦が広がる。
「――お前は、俺のオンナだ」
 突然だった。背後からかけられた言葉に、和彦は目を見開く。この状況で賢吾に言われるまでもなく、すでに和彦にとっては、当たり前のこととして受け入れている事実だ。
「お前は、自分をオンナにしている男たちだけを、甘やかせばいい。これは〈俺たち〉の特権だからな」
「な、に……言って……」
「鷹津に情を移すな」
 この瞬間、和彦の脳裏を駆け巡ったのは、鷹津との行為の一部だ。手を繋ぎ、口づけを交わし――まだ離れたくないと思った。
 蘇った情景を賢吾に読み取られそうな危惧を覚え、必死に記憶を封じ込めようとするが、和彦の理性を突き崩すように賢吾が律動を繰り返し、快感を送り込んでくる。和彦は懸命に言葉を紡いだ。
「……あの男に、情なんて、湧いてない」
「だが鷹津は、お前に骨抜きだ。優しいお前のことだから、情にほだされるということもあるだろ」
「そんなことっ――」
 賢吾の指に弱みを弄られ、和彦はビクッ、ビクッと腰を震わせる。
「甘え癖のついた狂犬の扱いは、大変だぞ。飼い主の気を引くために、さらに狂うようになる」
 内奥から賢吾の欲望がゆっくりと引き抜かれていく。逃すまいとするかのように和彦の内奥が淫らな蠕動を始め、すぐに賢吾は欲望を再び打ち込んでくる。気が遠くなりそうなほど、気持ちよかった。
「あっ、あっ、あっ……ん、ああっ」
「鷹津に、お前の〈ここ〉を使うことを許したのは、あいつが利用できるからだ。あいつにしても、お前を介して俺を監視するために、番犬になったはずだ。だが、あいつが今、何より執着しているのは、俺じゃなく、お前だ。お前が欲しくて、抱きたくて、涎を垂らしている。――浅ましい男だ」
 賢吾が最後に洩した言葉には、侮蔑とも嘲笑とも憤怒ともつかない、さまざまな感情が入り混じっているようだった。初めて聞いた賢吾の声だ。
 そして、鷹津のことを話しながら、確かに賢吾は高ぶっていた。
 腰を両手で掴まれ、大きく前後に揺さぶられる。淫靡に湿った音を立てながら、内奥から逞しい欲望が出し入れされ、和彦は堪え切れない声を上げる。
「うあっ、あっ、うっ、うぅっ、くうっ――……」
 しっかりと腰を抱え込まれて、内奥で賢吾の欲望が脈打ち、爆ぜる。熱い精をたっぷりと注ぎ込まれ、その感触に和彦は軽い絶頂状態に陥る。きつく目を閉じ、眩暈に耐える。
 内奥から賢吾のものが引き抜かれ、体をひっくり返される。手荒く頬を撫でられて、ようやく和彦は目を開けることができた。顔を覗き込んできた賢吾に唇を吸われ、ぎこちなく応える。優しい声で問われた。
「俺が今言ったこと、しっかりと頭に叩き込んだか?」
 頭がぼうっとしているが、それでも和彦は頷く。
「お前は、俺の大事で可愛いオンナだ」
「あ、あ……。ぼくは、あんたのオンナだ。ぼくは、あんたには逆らえないし、逆らうつもりもない」
「そういう言われ方をすると、俺がまるで暴君みたいだな」
 声同様、優しい表情を見せた賢吾にもう一度唇を吸われ、そのまま舌を絡め合う。その間に、賢吾の指が内奥に挿入され、注ぎ込まれたばかりの精を掻き出される。発情している和彦の内奥は、物欲しげにその指を締め付けていた。
「本当に、お前はいいオンナだ……」
 指が引き抜かれ、まだ硬さを失っていない賢吾の欲望が、閉じきっていない内奥の入り口に押し当てられる。すぐにまた挿入されるのだと思って喉を鳴らした和彦に、怜悧な笑みを浮かべた賢吾はこう囁いた。
「欲しかったら、俺の見ている前で――漏らしてみろ」
 ハッとして和彦は顔を強張らせる。〈何を〉漏らしてみろと言っているのか、問い返すまでもない。求められるのは初めてではないが、だからといって慣れることはない行為だ。
「……ここ、で……?」
「心配するな。二人分の浴衣があれば、吸い取ってくれるだろ。お前一人の――」
 耳元に露骨な単語を注ぎ込まれ、和彦は羞恥と屈辱を覚えると同時に、異常な高ぶりを感じていた。
 賢吾に両足を広げた格好を取らされ、手慰みのように柔らかな膨らみを揉まれる。ときおり弱みを指先で刺激され、早くしろと無言で急かされる。
 何度目かの攻めで、和彦の理性は陥落した。
 賢吾が見ている前で『漏らした』のだ。
「うっ、あっ、あっ、ああっ――」
 腰の辺りが濡れる感触に本能的な拒絶感を覚えたが、唇をついて出たのは、まるで絶頂を迎えている最中のような、艶を帯びた嬌声だ。
 最後の一滴まで漏らす和彦の姿を、賢吾は瞬きもせず見つめていた。和彦は、そんな賢吾の顔に見入ってしまう。
 目が合うと、満足げに賢吾は笑い、濡れて汚れた和彦の下肢を気にかけた様子もなく、腰を密着させてくる。
「――俺を興奮させたご褒美だ、先生」
 そう言って賢吾は、逞しい欲望を再び内奥に挿入してくる。このときになって和彦はやっと、賢吾の背に両腕を回し、大蛇の刺青に触れることができた。
 これが和彦にとっては何よりの、褒美だったかもしれない。




 診察室のイスに腰掛けた和彦は、何かしていないと落ち着かないため、デスクの上の小物の位置を変えたりしていたが、それだけでは足りず、引き出しの中も整理をする。しかし、すぐにやることがなくなり、結局立ち上がっていた。
 クリニックはとっくに終業時間を迎えており、和彦一人しか残っていない。いつもであれば和彦もクリニックを閉め、そろそろマンションに帰り着く時間なのだが、今日は特別だ。これから、人目につくとマズイ患者を診なければならない。
 窓に歩み寄り、下ろしたブラインドの間から外を眺める。すでに周辺のオフィスや店も電気が消えているところが多い。クリニックが入っているこのビルも、他のフロアはほとんど電気が消えているはずだ。
 しかし、気をつけるのに越したことはなく――。
 静かなクリニック内にドアが叩かれる音が響き、和彦は慌てて診察室を出る。廊下の突き当たりにある、非常階段に通じるドアを開けると、闇に紛れるようにしてスーツ姿の鷹津が立っていた。
「ビルに人も残ってないんだから、エレベーターを使わせろ」
 中に入ってきた鷹津が不満を口にする。ドアを閉めた和彦はしっかりと施錠をすると、処置室に向かいながら鷹津に応じる。
「たまに、残業で遅くまで残っている人がいるんだ。善良な会社員が、エレベーターであんたみたいな男と出くわしたら、何事かと思うだろ」
「どこから見ても、有能な刑事に見えるだろ」
「それならそれで、刑事がこのビルになんの用だと思う」
 鷹津を処置室に押し込むと、イスに座らせる。ジャケットを脱がせてワイシャツの右袖を捲くり上げると、包帯を解く。ガーゼを取って傷口を診た。
「……自分できちんと消毒をして、ガーゼも取り替えていたようだな。傷が塞がりかけている」
「不便で痛い思いをするのは、俺だからな。とっとと治ってもらわないと困る」
「この調子なら、連休中にでも抜糸できそうだ」
 連休、と小声で呟いた鷹津が、傷口の消毒を始めた和彦に問いかけてくる。
「このクリニックも、連休があるのか?」
「一週間ほど休むことになっている。ぼくはカレンダー通り開けていてもいいんだが、組長に言われると、何も言えない」
「ヤクザは優雅なものだな。そのオンナも」
 鷹津が左手を伸ばし、頬に触れてこようとしたので、咄嗟に払い除ける。触れられることが嫌だというより、賢吾から言われた言葉が蘇ったのだ。
 鷹津に情を移すなと、賢吾は言った。それがどういうことなのか和彦にはよくわからない。鷹津は相変わらず嫌な男だし、好意的な感情を抱いていないつもりだ。だが、それだけで鷹津との関係は割り切れない。そう、単純なものではないのだ。
「……治療中だ。邪魔するな」
 あえて鷹津の顔を見ないで注意すると、和彦は黙々と手を動かす。治療とは言っても、傷の様子を診たかっただけで、あとは消毒をして、ガーゼと包帯を取り替えるだけだ。
 手早く包帯を巻き終え、立ち上がった和彦は片付けを始める。
「また何日かしたら連絡をする。そのとき、傷が化膿していなかったら抜糸をする。――用は済んだから帰ってくれ」
 鷹津に背を向けて素っ気なく告げると、突然、肩に手がかかる。驚いて振り返ると、いつの間にか鷹津が目の前に立っていた。怖いほど真剣な顔で見つめられ、察するものがあった和彦は後退ろうとしたが、うなじに手がかかって反対に引き寄せられる。
「おいっ――」
「長嶺に、何か言われたか? えらくピリピリしているな」
 和彦は思わず視線を逸らしたが、肯定したも同然だ。鷹津は鼻先で笑い、顔を寄せてきた。
「〈あれ〉で、餌を食わせ終えたなんて思ってないだろうな? 俺はお前の命を助けたんだぜ。せめて、この怪我が治るまで、好きなだけ食わせてもらうぞ」
「そこまで恩着せがましいことを言うと、せっかくの善行も価値がなくなるぞ。助けられたほうも、うんざりしてくる」
 睨みつけながら和彦が言うと、鷹津は意外なほどあっさりと身を引いた。
「腹が減った。これからメシを食いにいくぞ」
「その口ぶりだと……、ぼくも一緒に、ということか?」
「ファミレスでいいなら、奢ってやる」
 なんだか妙なことになったなと思いながらも、二人きりのクリニックで〈餌〉を食わせろと迫られるよりはいい。そうでないと――流されそうになる。
「奢りということは、ぼくについている護衛の組員の分もだな。有能な刑事は太っ腹だ」
 聞こえよがしに和彦が独り言を洩らすと、鷹津は露骨に顔をしかめた。


 護衛の組員がついていながら、鷹津の運転する車でマンションまで送られるという状況に、和彦は戸惑っていた。ファミリーレストランを出ると、その場で鷹津と別れようとしたのだが、腕を取られて車に押し込まれた。
 助手席で身じろいでから、思いきって後ろを振り返る。鷹津の車のあとを、長嶺組の車がぴったりとついてきていた。
 どうしてこんなことを、とハンドルを握る鷹津の横顔に視線を移す。鷹津は何も言わないため、あくまで和彦の推測でしかないが、おそらく賢吾を挑発しようとしているのだ。
「――……あんたは、命知らずだ」
 和彦がぽつりと洩らすと、鷹津は皮肉っぽい笑みを口元に湛える。
「お前にだけは、言われたくないな。自分がどんな男たちのオンナなのか、自覚はないのか」
「だけどぼくは、その男たちに守られている」
「そして、抜け出せない深い場所まで引きずり込まれている」
「……好きに言えばいい」
 ここで会話が一旦途切れたが、マンション近くまで来たところで、何かに気づいた鷹津が小さく舌打ちし、忌々しげに呟いた。
「どうして、あいつがいるんだ……」
 鷹津の視線を追い、和彦も正面を向く。マンションの前に、スーツ姿の大柄な男が立っていた。しかも、花束を持って。
 車のライトがはっきりと男を照らし出す。
 男は、南郷だった。









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