と束縛と


- 第27話(2) -


 憔悴しきった自分の姿を取り繕う余裕すら、和彦にはなかった。そんな和彦を、座卓についた賢吾がじっと見つめてくる。
「――……千尋からの電話で聞いてはいたが、ひどい顔色だ、先生。できることなら、さっさと休ませてやりたいが、その前に、何があったのかを知っておかねーとな」
 わかっていると、和彦は浅く頷く。話し始めようと一度は唇を開いたが、震えを帯びた吐息が洩れ、声が出なかった。
 賢吾は急かすことなく、ただ見つめてくる。過度の優しさも気遣いもうかがわせることのない、だからこそこちらに精神的負担を与えてこない、不思議な眼差しだ。マンションから本宅に向かう車中、動揺して震える和彦の肩を抱きながら、千尋も同じような眼差しを向けてくれたのだ。
 和彦はぎこちなく深呼吸をしてから、やっと言葉を発した。
「あんたが、里見さんとの連絡用に持たせてくれている携帯に、兄さんから電話がかかってきた。里見さんの携帯を盗み見して、そこにあった怪しい番号にかけたら、ぼくが出たんだそうだ」
「と、言われたか?」
 揶揄するような賢吾の口調が気になり、ちらりと視線を上げる。賢吾は、口元に柔らかな微苦笑を浮かべていた。
「……どういう意味だ」
「震え上がるほど苦手にしている兄貴から言われたことを、すんなり信じるなんて、先生は人がいい」
 数十秒近くかけて、賢吾の言葉を頭の中で反芻する。そして和彦は、あっ、と声を洩らした。目を見開き、賢吾を凝視する。
「俺は悪党だから、まずはこう考えるんだ。先生の兄貴と、先生の初めての男が手を組んだんじゃないかってな。先生が信用した頃を見計らって――」
「里見さんはそんなことはしないっ」
 感情的に声を荒らげた和彦だが、次の瞬間には、自分が今誰と向き合い、話しているのかを思い出し、我に返る。
 賢吾の口元にはすでにもう笑みはなかった。無表情となり、大蛇を潜ませた目でまっすぐこちらを見据えてくる。戦慄した和彦は、自分の失言を噛み締める。しかし賢吾は怒りや不快さを表には出さなかった。
「いまだに信頼しているんだな、里見を。やっぱり、特別か?」
「――……本当は、兄さんから電話があったとき、一瞬疑った。だけど……あの人は特別だ。前にも言ったけど、あの人がぼくを騙すはずがない」
 今度こそ賢吾を怒らせることを覚悟したが、ウソや誤魔化しは口にできない。わずかに目を細めた賢吾は指先で座卓を一度だけ叩くと、短く息を吐き出した。
「そこまで言われると、バカらしくて妬く気にもならねーもんだな、先生」
 意外な賢吾の反応に、和彦は目を丸くする。
「妬くって……」
「ちょっとした意地悪で言ってみただけだ。そもそも二人が手を組んでいるなら、まずは里見が先生を誘い出すはずだ。そのうえで、先生の兄貴と引き合わせる。そうしたほうが手っ取り早い。だが、先生の兄貴は自分から電話をかけてきた」
 和彦は、自分がいかに冷静さとは程遠い状態にあったのかを痛感する。賢吾に言われたようなことを、一切考えもしなかった。
 ここで、ゾッとして身を震わせる。どうしても会いたいと里見に懇願され、断れずに出かけた先で英俊が現れた状況を想像していた。自分とよく似た顔に冷たい表情を浮かべ、冷たい口調で罵倒されると、きっと和彦は抗弁らしいこともできないまま、実家に連れ戻されていただろう。
「そういう小細工を弄しもしなかったということは、よほど里見が抗っていて、そして、佐伯家が焦っているのかもな」
 不思議なもので、賢吾の分析を聞いているうちに次第に気持ちが落ち着いてくる。自分がどれだけ取り乱そうが、この男が守ってくれるのだと実感も湧いていた。
 和彦はゆっくりと息を吐き出すと、出されたお茶を啜る。緊張と動揺のせいで、口内が渇ききっていた。
「……前にあんたに撮られた画像のことで、兄さんに罵倒された。なのに、ぼくに手伝ってほしいと言ったんだ。佐伯家の人間として」
「何を手伝えと?」
「さあ……。出馬のことを意識しているようだったから、それと関係あるのかもしれない。ぼくは不肖の次男で、しかも性質のよくない連中とつき合いがあって、スキャンダル性十分の画像も握られている。目の届かないところで動かれると困るのかもしれない。だから実家に呼び戻して――」
「性質のよくない連中、か」
 和彦の話を遮るように呟いた賢吾が、低く笑い声を洩らす。和彦は、自分が無意識のうちに毒を洩らしていたことに気づき、つい強弁していた。
「本当のことだろっ。……自分がどんな手段を使ってぼくを引き込んだか、忘れたとは言わせないからな」
「落ち着け、先生。誰も、忘れたとは言ってないだろ」
「落ち着いている。――兄さんのことを考えたくなくて、あんたに八つ当たりしているんだ」
「八つ当たりどころか、先生には俺を責める真っ当な権利があると思うが」
 本当にそうしようと思えば、いくら時間があっても足りない。心の中で応じた和彦は、賢吾を睨みつける。そんな和彦の視線を受け、平然とした顔で賢吾が問いかけてきた。
「――家族が恋しくなったか?」
 一瞬うろたえた和彦だが、すぐに首を横に振る。
「それは……、ない。ぼくにとっての家族は、一緒にいて心安らげる存在じゃなかった。一人暮らしを始めたときは、ほっとしたぐらいだ」
「先生がそう感じていることと、過剰なぐらい痛みを苦手にしていることは、関係あるのか? 誰だって痛い思いはしたくないだろうが、先生の場合は様子が違う」
 確信を得ているような賢吾の口調だった。これまでの和彦の言動から、感じるものがあったのだろう。
 これは佐伯家に対するささやかな報復だと思いながら、和彦は口を開いた。
「……物心ついた頃から、ぼくは痛みを与えられていた」
「虐待か?」
 わずかに眉をひそめた和彦は曖昧に頭を振る。
「そういうものとは違う……とぼく自身は思っていた。兄さんも、弟を虐待しているなんて意識はなかっただろうな。そうする権利が自分にはあると、信じていたんだ。多分、今も」
「その口ぶりだと、先生を痛めつけていたのは、兄貴だけなのか」
「親には手を上げられたことはない。そんなことをするほど、ぼくに興味がなかったんだ」
 腕組みをした賢吾が、じっと和彦の顔を見つめてくる。和彦は静かに見つめ返していた。賢吾を見つめながら、その内に潜んでいる大蛇の姿を捉えようとしていたのかもしれない。反対に賢吾のほうは、和彦の内に何かを感じたようだった。
「――……前にも似たようなことを言ったはずだが、先生は身の内に、冷たい体温の生き物を飼っているようだ。誰も捕まえられない、触れさせることすらしない、大蛇よりも硬い鱗で体を守りながら、とんでもなく臆病で神経質な、そんな生き物だ」
「ずいぶん詩的な表現をするんだな。残念だが、ぼくはそんなに繊細じゃない。……兄さんがあんなことをした理由について、ぼくなりに納得している部分もあるんだ」
 英俊の暴力は、理性をなくした見境のないものではなかった。他人の目につかない部分に、効果的な痛みを与えてくるのだ。ひどい怪我は負わせないが、和彦の肌に残った打撲や傷跡を見て、英俊もやはり納得しているようだった。弟をこんな目に遭わせても許されるであろう正当性が、自分にあることを。
「兄さんは、ぼくを憎んでいる」
「その理由を聞いていいか?」
「言ったら、ぼくはますます兄さんから――佐伯家の人間から憎まれそうだ」
 和彦が言外に込めた意味を理解したのだろう。賢吾は唇の端を持ち上げるようにして、鋭い笑みを浮かべた。
「俺が今、冷たい体温の生き物、と先生を表現したのは、そういうところだ。品がよくて優しげで、淫奔で愛情深く、どんな男でも甘やかすくせに、先生自身は甘くない。妙に冷めた部分で他人を分析して、分類している。俺は先生にとって、絶対に心を許しちゃならない相手ってところか」
「……あんたが佐伯家を脅迫するかもしれないと、正直危惧している。怒るか?」
「いいや。俺は自分が何者で、他人からどう思われるか知っている。怒りゃしない。ただ、疑問には感じる。先生を虐げた兄貴と、愛情を注いでくれたとも思えない両親に対して、長嶺組の力を使って多少の仕返しをしたくないのだろうかってな」
 率直すぎる意見に、和彦は驚きを隠すことができなかった。その和彦の反応に、賢吾は苦笑した。
「先生は、甘くはないが、善良な人間だ」
「やめてくれ。……関わりたくないと考え続けていたから、そんなこと、考えもしなかった」
「だったら、今日の出来事をきっかけに、雲隠れするか? 例えば、先生に渡してある里見との連絡用の携帯を解約すれば、それだけで向こうは先生を追えなくなる。簡単だろ」
 和彦は返事ができなかった。すると賢吾が、ゾクリとするような優しい声音で続けた。
「――里見とは繋がっていたいか?」
「そういうわけじゃない。もともと里見さんとは、大学入学を機に一度は関係が切れていたんだ。むしろ、こちらの事情に巻き込まないためには、ぼくと連絡が取れなくなるほうがいい。ただ、家族のほうは……」
「連絡が取れなくなったところで、切れる関係じゃない。世の中には、肉親とどうしてもソリが合わなくて、縁を切る人間だっている。そこまでしなくても、物理的に疎遠になるのは難しくはない」
「現にぼくがそうだった。大学に入ってからは、実家に顔を出す必要もなくなったし、向こうからもそれを求められなかった。ごくたまに、大事な行事には出席して、佐伯家の一員として振る舞っていたぐらいだ。それ以外では、連絡すら取り合っていなかった。……兄さんの出馬の件で、事情が変わったんだ。それがなければ、ぼくがどんな相手と寝ていようが、知らん顔をしていたはずだ」
 話すべきことを話し終え、ここまで張り詰めていたものがふっと切れる。和彦はしばらく黙り込むが、その間、賢吾もまた口を開かなかった。和彦に対して助言どころか、命令することすら可能なはずだが、そうしないということは、こちらが出す答えを待っているのだろう。
 自分はどうすべきなのか、まだ結論が出せない和彦は、心に溜まる澱を取り留めない言葉として吐き出した。
「……あんたたちと知り合ってなかったら、ぼくは今ごろ、どうしていただろうな。とっくに佐伯家と縁を切っていたか――いや、そんなことはしないな。抗えない力に逆らわず、子供の頃から変わらない、無害な存在として家族とつき合っていたはずだ。そして、兄さんにいいように使われて……」
 自分で言って、和彦は自己嫌悪に陥る。物騒な男たちに囲まれて生活している、今の信じられないような状況にあっても、自分と佐伯家との関係は何一つ変わっていないと痛感したのだ。
 和彦の気持ちを掬い上げるようなタイミングで、賢吾が切り出した。
「先生は今、〈力〉を持っている。物騒で危険きわまりないが、先生を守るためにある力だ。そのうえで、自分がどうしたいか考えるといい」
「ぼくは――……」
「先生のためなら、どんな汚い仕事でもしてやる」
 そう言った賢吾の表情は穏やかだった。だからこそ、本心を読み取ることはできない。和彦を怖がらせないための配慮なのかもしれないが、それすら知ることはできない。
 このとき和彦は、自分はすっかりこの物騒な世界に染まってしまったのだろうかと、つい考えていた。
 賢吾の怖い台詞を聞いて、胸の奥がじわりと熱くなったからだ。




「――俺のことを忘れたんじゃないかと思って、ヒヤヒヤしたぜ、佐伯先生」
 非常階段に通じるドアを開けた和彦に対して、開口一番に鷹津がぶつけてきたのは皮肉だった。
 クリニックの仕事を終えたばかりで疲れているせいもあり、律儀に皮肉で応じる気にもならなかった和彦は、大きくため息をつくと、鷹津が羽織っているブルゾンの襟元を掴んで、乱暴に中に引っ張り込む。
 すぐに処置室に一緒に入り、鷹津をイスに座らせた。
「お前がたっぷりと連休を楽しんでいる間、放っておかれた俺は、手の傷が悪化するんじゃないかと気が気じゃなかった」
 ブルゾンを脱ぎながら、まだ鷹津は皮肉を続ける。処置に必要な道具を準備していた和彦は、多少の後ろめたさを噛み締めつつ、横目で睨みつけた。
「もう傷は塞がってるだろ。あとは抜糸をするだけだ」
「その抜糸を、連休中にすると言ってなかったか。――佐伯先生」
「……抜糸が遅れたぐらいで、ビクついてたのか、あんた。見た目によらず肝が小さいんだな」
 ささやかな皮肉で返すと、鷹津が何か言いたげな顔をしたが、結局、忌々しげに唇を歪めただけだった。和彦も、追い討ちをかけるのはやめておく。実際、自分の都合のために、鷹津への処置を遅らせたのは事実なのだ。
 上肢台を挟んで鷹津の向かいに座る。差し出された鷹津の右手にはすでに包帯は巻かれておらず、ガーゼを貼ってあるだけだった。そのガーゼを剥がすと、傷口はきれいに塞がっており、化膿した様子もない。
「悪化どころか、順調に治っている。無茶はしなかったようだな」
「利き手が使いにくいと不便だからな」
 上肢台にのせた手を鷹津が動かそうとしたので、和彦は素っ気なく押さえつける。
「抜糸したからといって油断はするなよ。せっかくきれいに縫ったのに、皮膚が引き攣れるかもしれない」
 そう言いながら和彦は、外科用のハサミで縫合糸を切っていく。すると、鷹津が小さく洩らした。
「おい、痛いぞ……」
「大げさだ。刃物で切りつけられた男が何言ってる」
「命の恩人に対して、冷たい奴だ」
「この間も言ったが、恩着せがましい」
「――せっかくお前に恩が売れたんだ。せいぜい利用させてもらう」
 和彦は思いきり眉をひそめると、処置に集中することにする。和彦の気を逸らせたところで、自分が痛い目に遭うだけだというのに、ここぞとばかりに鷹津は続ける。
「連休中はマンションにもいないし、携帯にも連絡してくるなと言ったな。どこに行ってたんだ。長嶺の本宅にも立ち寄ってなかったようだし」
 鷹津は油断ならない。長嶺組と手を組んでいる一方で、しっかりと動向は探っているのだ。
 一瞬手を止めかけた和彦だが、鷹津に心の内を悟られたくなくて、何事もないふりをする。
「どうしてそんなことが気になる。ぼくが、長嶺組の都合に振り回されるのは、珍しいことじゃない」
「朝、お前が慌てた様子で電話をかけてきたから、何事かと思うだろ。いままで、少なくとも携帯に連絡してくるなと言ったことはなかったしな」
 話す義理はないと突っぱねたかったが、それでは鷹津が引かないだろうと予測できた。和彦は手を動かしながら簡潔に答える。
「……連休の間、三田村と一緒だった」
 鷹津は軽く鼻を鳴らしたものの、それ以上は何も言わなかった。おかげで、処置室の静けさを意識してしまい、和彦も声を発することができなくなる。
 抜糸を終え、傷跡を覆うようにテープを貼ると、鷹津が慎重に手を動かす。物言いたげな視線を向けられたので、立ち上がった和彦は片付けをしながら説明する。
「縫い跡を固定するためだ。あんた絶対、抜糸してすぐに無茶をするだろ。特に手なんだから、注意しないと」
「お優しいことで。――お前、ヤクザなんかと関わらなきゃ、まともな医者をやってたんだろうな」
「余計なお世話だ。やることはやったんだから、さっさと出て行ってくれ。あんたが来るということで、長嶺組の人間にずっと駐車場で待ってもらっているんだ。ぼくも早く帰りたい――」
 ここでふとあることが脳裏を過り、反射的に背後を振り返る。ブルゾンを掴んだ鷹津が、軽く首を傾げた。
「どうした?」
「いや……」
 一度は口ごもった和彦だが、前に鷹津が言っていたことが気になり、それが今の自分にとっては大事だということもあって、切り出す。
「――前にあんた、ぼくの兄の国政出馬の話を、昔馴染みの新聞記者から聞いたと言ってたな」
「それがどうした」
「まだ、ぼくの実家の情報を集めているのか?」
 怪訝そうな顔をした鷹津だが、和彦の真剣な様子から察するものがあったらしい。次の瞬間、ニヤリと笑った。
「何かあったみたいだな」
「……嬉しそうだな」
「お前に対する貸しが増えるのかと思ったら、こういう顔にもなる」
 嫌な男だと、はっきりと声に出して呟いたが、すでに鷹津にとっては挨拶よりも聞き馴染んだ言葉になったようだ。簡単に聞き流された挙げ句、和彦は腕を掴まれた。
「おいっ――」
「話ならじっくり聞いてやる。どうせ俺は、長嶺やお前の動向を探ってないときは、暇だからな」
 それが冗談なのか事実なのか判断がつかないうちに、鷹津に引きずられるようにして待合室へと連れて行かれる。突き飛ばされるようにしてソファに座り込むと、鷹津がドカッと隣に腰を下ろした。さらに、肩に腕を回してくる。
 鷹津を睨みつけた和彦だが、腕を押し退けるまでには至らない。鷹津の腕の感触を意識して体を硬くしつつも、里見との連絡用に持っている携帯電話に、英俊から電話があったことと、言われた内容を端的に説明した。
「明らかに面倒な事態に巻き込まれているぼくを、実家に呼び戻そうとするんだ。出馬を公にする前に監視下に置きたいんだろう……と思うが、ぼくに手伝ってもらうと言ったんだ。佐伯家の人間として。あの家の人間が、ぼくにそんなことを言うなんて、いままでなかった」
「いないもの扱いにしていた次男を当てにするなんて、何かトラブルがあるんじゃないかと、お前は心配しているわけか」
 鷹津の皮肉に満ちた物言いに、いまさら腹が立ったりはしない。
「……実家の心配はしていない。こちらの生活が心配なんだ」
「ヤクザの囲われものとしての生活か」
「皮肉が言いたいだけなら、もういい。あんたには頼らない――」
 立ち上がろうとした和彦だが、鷹津にしっかりと肩を掴まれ動けない。さらにぐいっと引き寄せられ、耳に唇が押し当てられた。
「俺を、頼ろうとしているのか?」
「勢いで言っただけだ。深い意味はない」
 顔を背けようとして、今度はあごを掴まれ、強引に鷹津のほうを向かされる。鷹津は、食い入るように和彦を見つめていた。普段であればドロドロとした感情の澱が透けて見える目は、すでにもう興奮の色を湛えている。
「――俺に何を頼みたいか、言えよ。お前のために、動いてやる」
 そう言って鷹津が、抑えが利かなくなったように和彦の唇を塞いでくる。噛みつくような口づけを与えられ、勢いに圧倒されそうになりながら、なんとか鷹津を押し退けようとするが、それ以上の力で押さえ込まれる。
「んっ……、んうっ」
 激しく唇を吸われ、苦しさに和彦が喘いだ瞬間を見逃さず、口腔に舌が押し入ってくる。あとはなし崩しだ。
 淫らに下品に蠢く舌に粘膜を舐め回され、歯列を擦られながら、唾液を流し込まれる。逃げ惑う和彦の舌は搦め取られてしまい、引き出されて、痛いほど吸われてから、歯を立てられる。その頃には和彦の体は熱くなっていた。
 鷹津は、和彦の変化に敏感だった。突然、甘やかすように上唇と下唇を交互に吸い、それを何回も繰り返されながら片腕できつく抱き寄せられ、和彦もぎこちなく鷹津の唇を吸い返す。まるで互いを欲しているように唇を交互に吸い、その合間に舌先を触れ合わせ、擦りつける。欲望の高まりとともに、緩やかに絡めていた。
 鷹津の舌を、口腔に迎え入れる。和彦は柔らかく舌を吸い、そっと歯を立ててやる。興奮したのか、獣のように鷹津がブルッと身震いした。
 鷹津の両手が体を這い回り、ベルトを緩められる。スラックスからワイシャツの裾を引っ張り出されていた。ここでようやく、唇が離される。鷹津の荒い息遣いが唇に触れ、ゾクリとするような強烈な疼きが和彦の背筋を駆け抜けていた。
「佐伯家を探るのに、ヤクザどもは使いたくないんだろ。いいぜ、俺が動いてやる。ツテを最大限に利用して、お前のために情報を取ってきてやる」
「……その、恩着せがましい言い方……」
「俺は、よく働く番犬だろ?」
 実家の件で賢吾に頼りたくないのは、ある種の権力を持つ家同士が接触を持ったとき、何かとてつもない不幸を生み出すのではないかと危惧しているからだ。それに、社会的害悪という立場にある長嶺組の名を、表沙汰にしたくない。陰では力を持つ存在も、陽の下に晒されれば、圧倒的に不利だ。
 その点、過去の所業はともかく、刑事の肩書きを持っている鷹津は、使いやすい。
「――俺を利用してやろうって、企んでるだろ」
 和彦の顔を覗き込み、鷹津がニヤリと笑う。
「ああ……」
「いいぜ。利用されてやる。俺はお前から餌をもらう、番犬だからな」
 ここで鷹津に乱暴に後ろ髪を掴まれて引っ張られた。そのままソファの上に押し倒され、乱暴にスラックスと下着を引き下ろされそうになり、和彦は慌てて鷹津の手を止めた。殺気立った目で睨みつけられたが、猛獣の調教師の心境で語りかけた。
「もう一つ、頼みたいことがある」
「……早く言え」
「あんたが今やっていることも継続してもらいたい」
 どういう意味だと、鷹津が表情で問いかけてくる。和彦は囁くような声で答えた。
「長嶺組の動きにも、目を配ってくれ。……もし、組の人間が佐伯家の周辺で不穏な動きをするようなら、ぼくに連絡してほしいんだ」
「お前の目的が、読めねーな。長嶺を心配しているのか、それとも、実家の心配をしているのか。それとも単に、長嶺を信用していないのか」
「組長自身は、よくわかっている。ぼくの存在を盾に、長嶺組が佐伯家を脅迫するんじゃないか――と、ぼくが警戒していることを」
 鷹津は、和彦の真意を探るようなきつい眼差しで見下ろしてきてから、覆い被さってきた。熱い唇を首筋に押し当てられ、和彦は小さく身じろぐ。
「――怖いオンナだ」
「ぼくの周囲にいる男たちは、もっと怖い……」
「俺も含まれているか?」
 さあ、と和彦は答えをはぐらかす。鷹津も心底聞きたいわけではないらしく、自分のした質問など忘れたように、和彦を本格的に貪りにかかる。
 さすがに、場所を考えろと抗議した和彦だが、鷹津は聞く耳を持っておらず、もどかしげに靴を脱がされ、あっという間に下肢を剥かれてしまった。
 一度上体を起こした鷹津がジーンズの前を寛げる。片足を抱え上げられ、すでに高ぶった熱い欲望を内奥の入り口に押し当てられる。和彦は痛みを予期して顔を強張らせ、鷹津を見上げた。
「組員を待たせてるなら、手っ取り早く済ませないとな」
「……痛いのは、嫌だ」
「贅沢なオンナだ」
 憎々しげな口調とは裏腹に、鷹津が再び情熱的な口づけを与えてくる。それと同時に、ワイシャツのボタンを外され、高い体温を持つてのひらに脇腹を撫で上げられる。和彦がピクリと腰を震わせると、すかさず両足の間に片手が差し込まれていた。
「うっ」
 欲望を握り締められ、手荒く上下に扱かれる。さらに、露わになった胸元に顔を埋めた鷹津は、最初から狙っていたらしく、すでにもう硬く凝った胸の突起にしゃぶりついた。
「あっ、あっ……」
 狭いソファの上で和彦はもどかしく身を捩り、鷹津の愛撫を受け入れる。すると、唇に鷹津の指が擦りつけられ、割り開くようにして口腔に押し込まれる。鷹津の強い眼差しを受け、求められていることを察した和彦は、羞恥とそれ以外のものから全身を熱くしながら、口腔で蠢く指に舌を絡め、吸い付く。鷹津の欲望を情熱的に愛撫してやったように。
 口腔からゆっくりと指を出し入れしながら、鷹津は和彦の欲望を同じリズムで扱く。
「興奮してるのか? もう、こんなに涎を垂らし始めたぞ。……胸糞が悪くなるほど、性質の悪いオンナだ。気を抜くと、骨までしゃぶり尽くしたくなる」
 ふいに口腔から指が引き抜かれる。その指をどうするか、目で追うまでもなかった。
 やや性急に内奥の入り口をまさぐられて、和彦は小さく呻き声を洩らす。つい非難がましく鷹津を見上げると、薄い笑みで返された。
「いきなり突っ込まれるほうがよかったか?」
「下品な、男だ……」
「お上品なお前にそう言われると、ゾクゾクする」
 和彦の唾液で濡れた指が内奥に侵入し、妖しく蠢く。異物感と鈍い痛みに最初は息を詰めていたが、鷹津の熱い体に押さえつけられながら、唇を吸われているうちに、被虐的な悦びが生まれてくる。
「――それでお前は、自分の実家に対してどうしたいんだ?」
 内奥への愛撫の合間に鷹津に問われる。和彦は正直に答えた。
「わからない。それでなくても考えたいことがあるのに、そこに実家のことまで……。先送りできることならそうしたいし、関わりたくもない。だけどそれだと、里見さんが困る」
「あちこちの男にいい顔をしていると、身動きが取れなくなるぞ。いや……、もうすでに、そうなってるか」
 内奥から指が引き抜かれ、片足をしっかりと抱え上げられる。わずかに綻んだ内奥の入り口に、再び鷹津の欲望が押し当てられた。
 きつい収縮を味わうようにゆっくりと、内奥をこじ開けられる。和彦は反射的に鷹津の腕に手をかけていた。
「うっ、あっ、あぁっ」
「どいつもこいつも、お前に甘い顔しか見せないから忘れてるかもしれないが、お前を囲い込んでいるのは、所詮ヤクザだ。いざとなると、お前が警戒している通り、お前を佐伯家に売りつけるかもしれないぞ」
 和彦は下肢に押し寄せてくる強烈な感覚と、不安を刺激する鷹津の言葉によって、少しの間言葉が出なかった。そんな和彦を攻め立てるように鷹津が軽く腰を揺らした。
「……事態がそこまでに至ったら、諦めがつく」
「諦め?」
「ぼくは結局、佐伯家が求めるように生きていくしかない」
 胸糞が悪い、と毒づいた鷹津が、顔を近づけてくる。間近で互いの目を見つめ合いながら唇を重ね、舌を絡め合う。和彦は鷹津の腰に両腕を回し、勢いを得たように鷹津が律動を刻み始める。
 乱暴に腰を揺すられているうちに、和彦の内奥は鷹津の欲望に馴染み、受け入れ、甘やかす。襞と粘膜を擦り上げられるたびに痛みが溶け、代わって、痺れるような愉悦が広がっていくのだ。熱い吐息をこぼすと、内奥深くで鷹津の欲望が一際大きくなり、力強く脈打つ。
「お前とこうして楽しめるなら、佐伯家に戻ろうがどうだろうが、俺はどうでもいいがな」
 そう言って鷹津が、反り返って震える和彦の欲望を握り締めてくる。指の腹で先端を強く擦られ、大きく息を吸い込んで喉を反らす。露わにした喉元に、鷹津はもう片方の手をかけてきた。
「だがまあ、今はお前の事情を優先してやる。忌々しいが、ヤクザに囲まれているお前のオンナっぷりを、俺は気に入っているからな」
「――……悪徳刑事らしい、台詞だな」
「せいぜい大事にしろよ。俺はお前にとって、数少ない手駒だろ」
 喉元にかかった手が退けられ、鷹津の熱い舌にベロリと舐め上げられる。不快さに眉をひそめた和彦だが、覆い被さってきた鷹津の体を受け止め、耳元に荒い息遣いを注ぎ込まれながら、内奥に逞しい欲望を打ち込まれているうちに、甘い陶酔感に襲われていた。
「はっ……、あっ、んうっ、うっ、くうぅっ――」
 鷹津の欲望がますます膨らみ、内から和彦の官能を刺激してくる。
「奥、ひくつきまくってるぞ。……いいか?」
 露骨な台詞を囁かれ、瞬間的に感じた羞恥から顔を背けるが、追いかけてきた鷹津の舌が口腔に差し込まれる。所有の証のように唾液を流し込まれ、和彦は喉を鳴らして受け入れながら、自分でもわかるほど内奥を淫らに蠕動させる。体と心の区別を必要としないほど、鷹津を求めていた。
 和彦の激しい反応に気づいたのか、体を起こした鷹津に両足を抱え上げられる。打ち付けるように力強く内奥を突き上げられ、その勢いで和彦の頭が肘掛にぶつかる。すかさず鷹津に体を引き戻されたが、すぐにまた突き上げられた。
 和彦は鷹津の肩にすがりつきながら、片手で頭を庇ってもらう。
「……手っ……、抜糸したばかりで……」
「うるせえっ。〈こっち〉に集中しろ」
 獣が唸るように声を上げた鷹津に驚き、和彦は目を丸くする。舌打ちした鷹津が、和彦に何も言わせまいとするかのように、唇を塞いできた。
 濃厚な口づけを交わしながら、内奥と欲望を擦り合う行為に耽る。鷹津の望み通りに。
 和彦が放った精で二人の下腹部が濡れるが、気にかける様子もなく――むしろさらに高ぶった様子で、鷹津の動きが激しくなる。察するものがあり、和彦は鷹津の肩を押し上げようとする。
「中は、嫌だ。ここでは――……」
「ダメだ。お前のために働く俺が、お前の中にたっぷり出したいんだ。嫌という権利は、お前にはないぞ」
 和彦は必死に、鷹津を睨みつける。そんな和彦の眼差しにすら快感を得たかのように、鷹津の欲望がさらに膨らむ。些細な変化にすら気づいてしまう自分の浅ましさに、いまさらながら羞恥を刺激され、和彦は顔を背けようとしたが、その前に何度目かの口づけを鷹津に与えられた。
 舌で口腔を犯され、唾液を注ぎ込まれながら、内奥は逞しい欲望で犯される。
「出して、いいな?」
 口づけの合間に囁かれ、あえなく和彦は陥落する。小さく頷くと、それでは不満らしく、鷹津に内奥を乱暴に突き上げられた。
「あうっ、うっ」
「口に出して言え。お前の中は、これだけ感じて、興奮しまくってるんだ。――欲しいんだろ?」
「……欲し、い……、中に」
 鷹津の律動が激しさを増し、和彦は簡単に翻弄される。だがそれも、長い時間ではない。
 熱い精をたっぷりと注ぎ込まれ、歓喜するように内奥が鷹津の欲望を締め付ける。震える鷹津の欲望は、まだ硬かった。
 喘ぐ和彦の顔を覗き込み、鷹津が緩く腰を揺らす。
「いやらしい口だ。俺のものを咥え込んだまま、まだ締まりまくっている」
「うるさ、い……」
 鷹津はニヤリと笑い、和彦の唇を啄ばんでくる。
「こっちの口もいやらしい。憎まれ口を叩くがな」
 和彦は鷹津の唇に噛みついたが、すぐに激しく吸い返され、そのまま舌を絡め合っていた。









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