土曜日の午前中、自宅マンションで一人過ごしていた和彦は、突然の連絡を受け、急遽出かけることになった。こちらの予定も聞かず、自分につき合えと言うのは、口調の違いはあれど、長嶺の男に共通する特徴だ。
後部座席のシートに身を預けた和彦は、ウィンドーの外を流れる景色を眺めつつ、守光からかかってきた電話でのやり取りを思い返す。
美味い山魚を食べさせる店があるので、これから出てきなさいと、まず言われたのだ。面食らう和彦に、さらに守光は言葉を続けた。
一昨日の南郷の無礼について、詫びがしたい、と。
こう言われては、和彦には断る術はない。もとより、守光からの誘いを断られるはずもない。
マンション前に停まっていた車に乗り込んだのだが、肝心の守光の姿はなかった。運転手を務めている男によると、守光は昨日からある旅館に宿泊しており、そこに和彦はこれから向かうのだ。
一体何を言われるのだろうかと考えて、心がざわつく。
和彦を騙して呼び出した南郷の行為は、総和会と長嶺組に何かしらの波紋を起こしたようだ。
呼び出された当事者である和彦のもとには、情報がほとんどもたらされない中、唯一、中嶋から送られてきたメールのおかげで、自分の知らないところで事態が動いていることを知ったのだ。
それまで和彦はずっと、長嶺組の男たちに気遣われていた。南郷のせいで、和彦が激怒したままだと思われているためだ。それは事実ではないが、自分の精神状態を詳細に語ることを和彦は避けていた。
実は激怒どころか、南郷がもう一つの〈行為〉を明らかにすることを恐れていたとは、口が裂けても言えない。
自ら動きようがない中で、守光が連絡をくれたことに身構えつつも、正直和彦は安堵していた。
シートから身を乗り出して、ウィンドーに顔を近づける。道路の傍らを川が流れており、陽射しを反射してキラキラと輝いていた。しかし和彦が何より目を奪われたのは、川の向こうに広がる景色だった。
山の傾斜を利用して芝桜が植えられているのだ。まだ盛りを過ぎていないらしく、白や濃いピンクの花が満開となっており、あまりの鮮やかさに思わずため息が洩れる。たまたま通りかかったのか、それともこれが目的で訪れたのか、車から降りて写真を撮っている人たちもいる。
せっかくの機会なので、立ち寄ってもらって間近で見てみたかったが、和彦がちらりと運転席に視線を向けると、気配を察したように言われた。
「もう十分ほどで、旅館に到着します。昼食にちょうどいい時間です」
つまり、余計な観光をする時間はないということだ。和彦は微苦笑を浮かべて、わかった、と応じる。
守光が宿泊しているという旅館は、川の畔に建っていた。かつて、守光と旅行に出かけた先で、立派な旅館に宿泊したことがあるが、似た風情を持っていると感じた。建物そのものは比較にならないほどこじんまりとしているが、周囲の自然との調和を壊さない趣きがあり、隠れ家的な雰囲気も漂っている。
促され、門をくぐったところで、川のせせらぎが聞こえてくることに気づく。髪を揺らす風はひんやりとしており、清澄だ。和彦は大きく深呼吸をしてから、玄関に足を踏み入れた。
仲居ではなく、運転手を務めた男に案内され、三階へと上がる。ただし、一番奥まった部屋に入るのは、和彦一人だ。
一声かけ、ゆっくりと引き戸を開ける。途端に、さきほど外でも感じた風に頬を撫でられた。窓が開いているのかと、風が吹いてくるほうに視線を向けようとしたが、その前に、賢吾によく似た太く艶のある声をかけられた。
「――よく来てくれた、先生」
守光は、和服姿で寛いだ様子で座卓についていた。目が合うなり穏やかに笑いかけられるが、和彦の全身にはピリッとするような緊張感が駆け抜ける。
「誘っていただいて、ありがとうござ――」
「すまなかったな。クリニックが休みで寛いでいる中、強引に連れ出すようなことをして」
「……いえ。本音を言えば、ほっとしています」
和彦の言外に含ませた意味を正確に読み取ったのだろう。守光は再び笑みを浮かべた。ただし今度は、怜悧で冴え冴えとした笑みだ。
やはりこの人は怖い。和彦は心の中でそっと洩らすと、手招きされるまま座卓に歩み寄った。
昼食として出された山魚料理は、見た目は素朴ながら、味は文句なく素晴らしかった。それに、すぐ近くの山で採ったという山菜も、和彦にはあまり馴染みがないものだったが、一口食べて気に入った。
食事の合間に、勧められるまま日本酒も口にする。どことなく果実のような香りがする日本酒で、非常に飲みやすい。目を丸くして守光を見ると、こう言われた。
「ここでその酒を飲んで、あんたなら気に入ってくれるんじゃないかと思ってな。出してもらったんだ。その様子なら……」
「ええ、すごく美味しいです。普段は無難に、日本酒よりワインを選んでしまうんですが、どうやらぼくが、口に合う日本酒を知らなかっただけのようですね」
喉の奥がじんわりと熱くなり、和彦はそっと吐息を洩らす。猪口一杯でこれでは、すぐに酔ってしまいそうだ。
食事が進み、器の大半が空いた頃になって、ようやく守光がこう切り出した。
「南郷のことだが――」
和彦は反射的に背筋を伸ばした。
「あんたには迷惑をかけた」
守光が頭を下げたため、慌てて制止する。
「やめてくださいっ。会長が頭を下げられるなんてっ……」
「そういうわけにもいかん。これはケジメだ。〈あれ〉は、わしの子飼いの部下だ。今の地位を与えた責任がある」
激しくうろたえ、困惑した和彦だが、思いきって守光に問いかけた。
「……会長は、どこまでご存知なのですか?」
頭を上げた守光が一瞬見せた眼差しの鋭さに、息を呑む。しかし次の瞬間には、守光は穏やかな表情へと戻っていた。猪口を取り上げたので、和彦は酒を注ぐ。
「賢吾が把握している程度のことは」
「それは――……」
すべてを明け透けに打ち明けるかどうか、守光は自分を試しているのかもしれない。和彦は急にそんな不安に襲われる。同時に、耐え難いほどの羞恥にも。
「南郷は今、自宅で謹慎させている。第二遊撃隊も、総本部に詰めさせて、外での活動を禁止している。――処分が決まるまで」
「処分?」
「処分は今日、あんたと相談して決めるつもりだ」
和彦は絶句して、ただ守光の顔を凝視する。沈黙している間、耳に心地いい水音が室内に響き渡る。窓のすぐ下を川が流れているのだろう。
感情の乱れをようやく抑えて発した言葉は、微かに震えを帯びていた。
「……どうして、ぼくが……」
「あんたが外部の人間なら、なかったことにするのは容易だ。だが、そうじゃないだろう。あんたは、長嶺組にとっても、総和会にとっても大事な身内だ。そのあんたに南郷は無礼を働き、奴を引き立ててきたわしの顔に泥を塗った。あんたの気が済むよう、南郷を処断すべき――と、わしが判断した」
和彦は、長嶺の男たちの〈オンナ〉であって、ヤクザではない。こういうときにヤクザのやり方を求められても、どうすればいいのかわからないのだ。困惑して何も言えない和彦に、まるで悪戯でも提案するように守光が言う。
「指を詰めさせるかね? 南郷は、荒事が日常茶飯事という生き方をしてきて、体には派手な傷跡がいくつもあるが、指は揃っている。そんな男が初めて指を詰める原因が、総和会会長のオンナだというのも、なかなかおもしろかろう」
わずかな反感を覚えて、つい守光にきつい眼差しを向けてしまった和彦だが、すぐにそんな自分に気づいて視線を伏せる。
「ぼくは……治療する側の人間です。人の体に傷をつける行為は、望みません」
「血を見すぎて、血には飽いている、と澄ました顔で言えるようになったら、立派な悪女だがな、先生」
揶揄されたと感じ、カッと和彦の顔は熱くなる。辱めのような言葉を受けたくなくて、仕方なくこちらから水を向けた。
「……わからないんです。どうして南郷さんは、あんなことを? あの人なら、あなたに迷惑をかけないことをまず第一に考えるはずです。ぼくが沈黙を保つと過信していた――というタイプでもないでしょう。迂闊な行動というより、わざと騒動にするために行動したように感じます」
ちらりと視線を上げた和彦は、このとき、守光の表情の微かな変化を見逃さなかった。唇の端がほんのわずかに上がったのだ。笑んだようにも見えたが、それよりも、守光が内に飼っている狡知な生き物の気配を強烈に感じ、和彦は無意識に小さく身を震わせていた。
「さあ、わからんよ。ただ、わしが把握しているのは、賢吾が特別な〈オンナ〉に骨抜きになっていると知ってから、南郷が妙に浮き立った様子だということだ」
すべてを知ったような口調でそう言った守光に、和彦は怪訝な顔をするしかない。今の話をどう解釈すればいいのかと戸惑うが、和彦のこの反応を守光は予期していたようだ。
「今回の不始末は、あんたが納得のいく形でケリをつける。賢吾にはそれで納得させた。総和会と長嶺組をそれぞれ治める長嶺の男二人が、今直接顔を合わせては、つまらん勘繰りを生むだけだ。わしらが乗り出さねばならぬほど大事なのか、父と息子の関係が悪化しているのではないか、とな。だから、あんたと南郷の間でケリをつけねばならん」
南郷に対して怒りはあるが、自ら罰を与えようと考えたことはなかった。守光が最善の手段へと導いてくれると、心のどこかで期待をしていた。しかし、これは――。
和彦の返事次第では、二つの組織だけではなく、父子関係の不和すら生みかねないと、言外に仄めかされているようだった。守光は、和彦から欲しい返事をもぎ取ろうとしているのだ。この場にはいない賢吾も。
ぐっと奥歯を噛み締めた和彦は、いまさらながら、自分がどれほど怖い男たちの〈オンナ〉であるのか、痛感していた。大事にしてくれてはいるが、一方で、自分たちが背負う組織のために、どこまでも傲慢で容赦なく振舞う。
それでも和彦は身を委ねるしかないのだ。
「――……助言を、いただけないでしょうか。どうすれば、影響を最小限に抑えて、なおかつ、誰にも口出しをさせないほど、きちんとケリをつけられるのか。そんな方法があるのでしょうか?」
「簡単だ。南郷を跪かせるといい」
事も無げに告げられ、静かな衝撃が胸に広がる。
「ひざま、ずかせる……?」
「あの男の土下座は、価値がある。――南郷が小さな組の組長代行を務めていた頃、その土下座で揉めに揉めてな。南郷は、親ともいえる組長の面子を潰した挙げ句、結局総和会が介入する話にまでなった。結果が、今の立場だ」
その今の立場を守るために、南郷は和彦の要求を呑むか否か、試せというのだ。しかし守光には確信があるのだろう。南郷は、和彦に詫びるために跪くと。それで、すべてケリがつくと。
頭が、考えることを放棄したがっていた。南郷にそこまでさせてしまうことで、どういう結果が生まれるのか、想像するのが怖かったのだ。不穏なものを感じながらも、しかし他に手段も思いつかない。
和彦は、守光に頭を下げた。
「すべて、お任せします。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「あんたが頭を下げる必要はない。今回の件は、こちらの不始末だ。それを円満に解決するために、あんたの手を借りる。面倒だと思うかもしれんが、この世界で円滑に物事を進めるには、取り繕うべき形が必要なんだ」
「……そのことを、少しは理解しているつもりです」
守光は満足げに頷いたあと、さらりと提案してきた。
「堅苦しい話はここまでだ。――湯の準備ができている。入ってきなさい」
湯上がりで火照った体の熱を冷ます間もなく、部屋に戻る。すでに座卓の上は片付けられており、何事もなかったように整然とした佇まいを取り戻していた。そして、守光の姿もない。
室内の変化はそれだけではなかった。食事の最中は閉まっていた襖が開いており、誘われるように和彦は歩み寄る。
外から差し込む陽射しを嫌うように、雨戸すら閉められた部屋は、スタンド照明の控えめな明かりによってぼんやりと照らされている。この一室にだけ、夜が訪れたようだ。部屋の中央に敷かれた一組の布団がやけにはっきりと浮かび上がり、その錯覚をより強くする。
「――襖を閉めてくれるか」
突然、守光の声がして、ビクリと肩を震わせる。ハッとして声のほうを見ると、浴衣に着替えた守光が、窓際に置かれた籐椅子に腰掛けていた。
守光に言われるまま襖を閉めると、途端に室内の空気が艶かしさを帯びる。それにあえて気づかないふりをした和彦は、手招きされて守光の傍らに立った。
外の様子が見えない窓に視線を向けながら、守光が話す。
「すぐ目の前を、水のきれいな川が流れているんだ。もう少し気温が高くなってくると、蛍が飛び始める。それを眺めながら美味い酒を飲むというのは、時間を忘れるほどいいものだ」
ゆっくりと守光が立ち上がり、自然な動作で和彦の肩を抱いた。
「できることなら、その頃にまた、あんたにつき合ってもらいたいが、どうだろうな。わしだけでなく、あんたも忙しい身だ。予定が合うかどうか……」
賢吾同様、和彦の予定などどうとでもできる男の言葉を、指摘するだけ野暮だろう。何度交わされたかわからない一連の会話の流れに、奇妙なことに和彦は安堵すら感じるようになっていた。
「誘っていただけるのでしたら、ぼくはいつでもご一緒します」
「賢吾の誘いを蹴ってでも?」
笑いを含んだ口調での、守光の意地の悪い問いかけに、思わず苦笑を洩らしてしまう。すると、肩に回された守光の腕に力が込められる。察するものがあって守光のほうを見ると、距離の近さを意識する間もなく、唇を塞がれた。
二度、三度と柔らかく唇を啄ばまれながら、さきほどまでの隣室での会話を懸命に頭から追い払い、守光への恐れをなんとか和らげようとする。差し出された生贄のように身を硬くして、守光の機嫌を損ねたくなかった。
守光とようやく唇を吸い合うようになり、舌先を触れ合わせる。引き出された舌を柔らかく吸われ、軽く歯を立てられた瞬間、和彦の中に無視できない疼きが生まれて、呼吸が弾む。守光の目元が笑みを滲ませた気がするが、何が潜んでいるかわからない両目を覗き込むこともできず、視線を伏せる。それが合図のように、守光の舌が口腔に入り込んできた。
口づけは情熱的で、官能的だった。緩やかに舌を絡めながら、同時に守光の唾液を与えられ、微かに喉を鳴らした和彦は、無意識のうちに鼻にかかった声を洩らす。そんな自分の姿に気づき、燃えそうなほど全身を熱くしたところで、守光に促されるまま布団の上へと移動し、押し倒された。
浴衣の帯を解かれ、下着を脱がされる。湯上がりのせいばかりではない熱を帯びた肌を、守光が両てのひらで撫でてくる。和彦は顔を背け、ゆっくりと深い呼吸を繰り返していた。
守光の片手が両足の間に入り込み、和彦の欲望をそっと握り締める。さらに、首筋には唇が這わされていた。穏やかな愛撫に晒されながら、和彦は目を閉じる。心地いいと思った次の瞬間には、その愛撫を加えているのが守光だという現実にすぐに我に返り、心が揺れる。そんな和彦の反応すら見透かしているかのように、唐突に守光が両膝を掴み、足を思いきり左右に開かされた。
「あっ」
動揺した和彦は反射的に目を開け、声を上げる。その拍子に、守光と目が合った。ここでもう、守光の行動すべてを目で追わずにはいられなくなる。
守光は、開いた両足の間に頭を伏せる。さきほどまで、てのひらに包み込まれて扱かれていた和彦の欲望に熱い息遣いがかかった。
「んうっ……」
守光の口腔に欲望を含まれた瞬間、強烈な感覚が背筋を駆け抜ける。和彦は布団の上で大きく背を反らし、息を詰める。
守光の愛撫は激しさとは無縁だった。和彦の欲望を優しく吸引し、舌を絡ませながら、じっくりと口腔で育てていくのだ。和彦は速い呼吸を繰り返しながら、次第に下肢から力を抜き、望まれるまま自ら大きく足を開く。
感じやすい先端にくすぐるように舌先が触れ、そのたびに下腹部を震わせる。和彦の欲望は、守光の口腔で熟しきっていた。
「――この味が、恋しかったんだ。あんたの垂らす、この蜜が……」
和彦の欲望を口腔から出した守光が低い声で囁き、先端に唇を寄せる。
「うっ、うっ」
微かに濡れた音を立てて先端を吸われ、和彦は愛撫に溶ける。顔を上げた守光が、片手で和彦の欲望を緩やかに扱きながら、布団の傍らに手を伸ばす。漆塗りの立派な文箱のようなものを視界の隅で捉えたが、蓋を開けた守光が手にしたものをはっきりと目にして、慌てて顔を背ける。
守光の愛撫は、和彦の熟しきった欲望から、内奥へと移った。潤滑剤の滑りを借りて、長い指が一気に挿入される。下肢に感じた不快さに鳥肌が立ったが、それもわずかな間だ。内奥から指を出し入れしながら、あえて聞かせるように淫靡な湿った音を立て、守光は確実に和彦の官能を刺激してくるのだ。
「はっ……あ、あっ、あっ、はあっ――……」
指が動くたびに、内奥の襞と粘膜に潤滑剤が擦り込まれる。媚薬が含まれているのだろうかと疑ってしまうほど感覚がざわつき、熱くなってくる。何より、気持ちよかった。
和彦は身を捩り、媚びるように腰を揺らしてしまう。この状況で貞淑さを装ったところで仕方ないのだが、いつもの、快感に対する貪欲ぶりを晒すことだけはしたくないのに、守光の指の動きは、和彦のささやかな矜持すら容易く突き崩した。
さらにたっぷりの潤滑剤を施され、濡れ綻んだ内奥の入り口を、満足げな様子で守光が眺めている。和彦はぼんやりと、そんな守光を見つめる。相変わらず守光は、一方的に和彦を乱れさせはするものの、自分は端然とした姿を保ったままだ。
汗ばんだ肌を優しく撫でられながら、守光に口移しで日本酒を与えられる。食事の間にも勧められ、すぐに酔ってしまいそうな危惧を覚えて、量は控えめにしていたのだが、これで意味はなくなった。少しずつ流し込まれる日本酒を、和彦は微かに喉を鳴らして飲む。それを繰り返していくうちに、守光との口づけは深くなる。口腔の粘膜を隈なく舐め回され、溶け合いそうなほど淫らに舌を絡めて、唾液を交わす。
そしてとうとう、ひくつく内奥の入り口に、張り詰めた欲望を擦りつけられた。
「うあっ」
逞しい感触に、内奥の襞と粘膜を強く擦り上げられながら、傲慢に押し広げられる。苦痛を苦痛と認識することなく、和彦の体は肉の悦びを引きずり出されていた。守光に唇を吸われ、喘ぎながら言葉を洩らす。
「い、ぃ……。気持ち、いいです……」
「ああ、言わんでもわかる。あんたの中が、よく動いている。それに――」
守光の片手に、すでに精を放った欲望を掴まれる。緩く上下に扱かれただけで、和彦は放埓に声を上げて、守光に貫かれながら奔放に乱れていた。酔いのせいで箍が外れたと言う気はない。体が、守光に馴染み始めたのだ。
両足をしっかりと抱え上げられ、内奥深くまで守光の欲望を挿入される。大きくゆっくりと突き上げられて、和彦は上体を捩って悶える。他の男たちであれば、欲情をぶつけるように激しい律動を繰り返すのに、守光は違う。時間をかけ、責め苦のように快感で和彦を狂わせる。
浴衣を完全に脱がされ、胸元に愛撫の跡を散らされる。胸の突起を吸われて喉を震わせると、何度目かの口づけとともに、日本酒を流し込まれる。さらには今度は、柔らかな膨らみを、思いがけず手荒な手つきで揉みしだかれる。
「ひっ……、あっ、あぁっ――」
刺激の強さに腰が跳ねそうになるが、体の奥深くまでしっかりと欲望を埋め込まれているためそれが叶わず、空しく震わせる。そこを容赦なく、守光に腰を揺すられ攻められていた。
「よほどここが、いいようだ。あんたの尻が、しゃぶりつくように締まる。〈これ〉を仕込んだ男は、この具合が気に入ったんだろう」
守光の指に弱みをまさぐられ、弄られる。優しいが、残酷でもある手つきは、賢吾とそっくりだった。
「うっ、うっ、もう、許し、て、ください……、そこは……」
「だが、あんたは悦んでいる」
子供のように首を振る和彦の仕草に心惹かれたように、守光がじっと見下ろしてくる。眼差しの強さに羞恥した和彦だが、追い討ちをかけるように問われた。
「ここがいいのか、先生?」
守光の指が妖しく蠢き、和彦の意識は危うく飛びかける。なんとか繋ぎ止めはしたものの、代わりに理性は蕩けきっていた。
「は、い……」
「もっと弄ってほしいか?」
「……お願い、します」
守光の唇が緩み、感嘆するように言葉を洩らした。
「賢吾や千尋が、あんたに骨抜きになるはずだ。見た目は品のいい青年が、こうも容易く体を開いて、淫奔ぶりを晒け出すんだ。本当に、あんたに触れるのは楽しい。年甲斐もなく、猛々しい気持ちにさせられる」
口調は穏やかだが、ふいに守光の手つきが一変して、その猛々しさを表すように柔らかな膨らみを手荒く揉まれる。和彦は悲鳴に近い声を上げ――よがり狂っていた。
和彦の浅ましい姿を堪能したあと、ようやく守光は律動を再開する。
熱い精を内奥深くに受け止めたとき、和彦は快感と日本酒のせいで、酩酊状態に陥っていた。そのため、守光が次に何をしようとしているか、まったく予期できなかった。
繋がりを解かれてすぐに、体をうつ伏せにされる。汗で濡れた背を優しく撫でながら守光が言った。
「――体は、わしに馴染んできた。次は、わしのやり方に順応するんだ。難しいことじゃない。感じるままに反応してくれたらいい。いままでと同じように」
守光の言葉に一瞬恐怖を感じ、反射的に和彦は頭を上げようとしたが、それより早く守光の手が後頭部にかかり、湿った髪をまさぐられる。それだけで動けなくなる。
「大事で可愛い〈オンナ〉に手ひどいことはせん。ただ、もっと奔放に乱れる姿を見たいだけだ」
背後で守光が動く気配がしたあと、和彦は両手首を掴まれて後ろでひとまとめにされる。手首にひんやりとした滑らかな感触が絡みつき、鋭い衣擦れの音と同時に縛められた。このとき体の中を駆け抜けたのは、淫らな衝動だ。布で拘束されたというより、布による愛撫を与えられたように感じて、体が反応していた。
和彦の些細な変化に気づいたのか、柔らかな笑いを含んだ声で守光に指摘される。
「やはり嫌ではないようだな、こうされるのは。これも誰かに仕込まれたか、それとも、もともとこういう癖があるのか――」
和彦の羞恥を煽るように、守光に腰を抱え上げられ、尻を突き出した卑猥な姿を取らされる。注ぎ込まれたばかりの精が、潤滑剤とともに内奥の入り口から滴り落ち、不快さに和彦は腰を揺らしたが、すぐにその動きすら封じ込められる。
「うっ、ううっ……」
内奥の入り口に、覚えのある滑らかな感触が押し当てられ、まだ閉じきらない淫らな肉を割り開き始めた。おそろしく敏感になっている内奥の襞と粘膜を強く擦り上げられ、今度こそ数瞬意識が飛んでしまう。
内奥を犯しているのが卑猥な道具だと、体で知る。守光は、和彦を嬲るための道具を、さきほど目にした箱にすべて収めていたのだ。他にも何か用意してあるのだろうかと、さすがに危機感が芽生えたが、道具をわずかに蠢かされただけで、呆気なく霧散する。
「よくひくついて、美味そうに咥え込んでいる。熱い肉とはまた違って、これの味もいいだろう」
内奥深くにまで道具を突き込まれ、腰から下が甘く痺れる。自分でもわかるほど必死に、道具を締め付けていた。和彦は呻き声を洩らしながら、道具の蠢きに合わせて、妖しく腰をくねらせる。本当は何かにしがみつきたいが、両手首をしっかりと縛められているためそれができない。もどかしいが、そのもどかしさにすら、感じてしまう。
「あっ、あっ、んうっ……、うあっ」
「もう少し、武骨な形のオモチャも作らせよう。もう少し太く、もう少し長く――。それを味わうあんたを見てみたい」
ここで一度、内奥から道具が引き抜かれる。和彦は再び仰向けにされるが、両手首の縛めを解かれることはない。体の下に敷き込んだことでより拘束感が増し、和彦は半ば恐れながら守光を見上げる。当の守光は、端整な顔に笑みを浮かべ、上気して汗で濡れた和彦の体を眺めていた。しどけない和彦の姿とは対照的に、守光は浴衣の乱れすらすでに正している。和彦に、快感という責め苦を与える準備ができているということだ。
両足を広げられ、反り返って濡れそぼった欲望の形を確かめられる。先端を指の腹でそっと撫でられただけで、和彦は短く悲鳴を上げて感じていた。
「この蜜は、あとでまた味わうとしよう。今は、オモチャ遊びだ」
和彦の欲望を緩く二度、三度と扱いた守光は、箱から鮮やかな朱色の組み紐を取り出した。一目見ただけで、その組み紐を何に使うか、和彦にはわかった。『オモチャ遊び』と守光は言ったが、漆塗りの箱は、さながらオモチャ箱だ。和彦を淫らに攻めるための道具が揃っている。
「ふっ……」
興奮して震える欲望に組み紐が幾重にも巻きつき、根元をしっかりと締め上げられる。苦痛のため足掻こうとするが、肝心の両手は拘束されており、体を起こすのもままならない。そんな和彦の体を、守光は愛しげに撫で回し、唇を這わせてくる。
「うっ、くうっ――ん」
柔らかな膨らみを片手で揉みしだかれながら、胸の突起を優しく吸い上げられる。和彦は甘い嗚咽を洩らして身悶えていた。これ以上ない痴態を守光に晒していると自覚はあるが、すでにもう自制がきかない。そもそも、和彦がそういう状態になることが、守光の望みだったはずだ。
組み紐が食い込みながらも、反り返ったまま空しく震える欲望を、戯れのように指で弾かれる。被虐的な刺激に耐えていると、守光に唇を塞がれ、水代わりに日本酒を与えられていた。慎重に喉に流し込んでから、守光との濃厚な口づけを受け入れる。内奥には、卑猥な道具を。
物欲しげに内奥がきつく収縮し、道具を締め付ける。一層深く道具が押し込まれた瞬間、和彦の中で何かが弾け、波のように法悦が全身へと広がる。
「あっ、あっ、あぁっ――……」
爪先を布団の上に突っ張らせ、和彦は悦びの声を溢れさせる。頭の芯がドロドロと溶けていくと思った。
守光は、和彦がどこまで奔放に乱れるのか確かめるように、冷静に道具を操り、さらに内奥深くを攻め立ててくる。和彦は浅ましく腰を揺すって反応していた。
「どこもかしこも、いやらしくて素直なオンナだ。本当に、わし好みの――」
内奥で円を描くように大胆に道具を動かされ、再び和彦の中で法悦の波が生まれ、広がる。
「時間はたっぷりある。しっかりとわしの遊びにつき合ってもらおう」
賢吾によく似た声でそう囁かれる。期待と恐れから、和彦の肌は粟立っていた。
ビクリと大きく体を震わせて、和彦は目を開く。少しの間、自分が今どこにいるのかと混乱してしまったが、すっかり見慣れた天井を眺めているうちに、ここが自宅マンションの寝室であることに確信が持てた。
まだ意識が、川のせせらぎが聞こえていた旅館の一室に引き留められているようだ。
思わず洩らしたため息は、熱っぽさを帯びている。守光から念入りに快感を与えられた体からは、容易に情欲の余韻は消え去らないようだ。それに、日本酒による酔いも残っていた。
夕方過ぎまでともに過ごしたあと、帰りは守光の車に同乗し、マンションまで送ってもらったが、そこからは何もする気力も湧かず、賢吾に連絡すら入れないままベッドに潜り込んだのだ。
和彦は緩慢な動作でサイドテーブルに片手を伸ばし、卓上時計で時間を確認する。何時間も眠っていた感覚だが、まだ深夜といえる時間帯だ。
こんな中途半端な時間に目が覚めたのは、夢を見たせいだ。もう一度ため息を洩らした和彦は、前髪に指を差し込む。胸に広がる重苦しさは、逃れられない責務のせいだ。今の生活を送るためには、必ず果たさなければならない。
その責務は決して一つだけではないのだと、今しがた見たばかりの夢のせいで思い出してしまった。
南郷のことがあり、じっくりと考える余裕がなかったが、それは言い訳にしか過ぎない。本当は、あえて避けていたのだ。
英俊からの連絡に対して、どう対応すべきかという答えを出すことを。
いくら疎遠になろうが、夢に出てくる佐伯家の光景はいつでも鮮明だ。物心ついたときから感じていた疎外感すら、生々しく心に蘇っている。
もういい大人なのだから、実家と縁を切って生きていくことはできる。実際いままでも、似たようなものだったのだ。それが、こうして不安感に晒されるのは、現在、自分を大事にしてくれている男たちに何かしらの迷惑をかけるのではないかと危惧するからだ。世間からすれば、迷惑を被るのは佐伯家のほうだと、口を揃えて言うだろうが。
やっぱり、あの家のことは考えたくない――。
体を丸くした和彦は小さく呻き声を洩らしてから、再びサイドテーブルに手を伸ばす。携帯電話を取り上げると、救いを求めるように、誰よりも自分に優しい男に電話をかけていた。
『――こんな時間にどうかしたのか、先生』
電話越しに聞こえてきたハスキーな声が、鼓膜に溶けていく。その心地よい感触にそっと吐息を洩らして、和彦は応じた。
「今、大丈夫か?」
『ああ、ちょうど部屋で一人で飲んでいたところだから、気にしないでくれ』
「よかった、と言っていいのかな。ぼくのつまらない話につき合わせる気満々なんだが」
『俺は、嬉しい。思いがけず、こうして先生の声を聞きながら、酒が飲めるんだから』
自分も、長嶺の男たちのことは言えないと、和彦は笑みをこぼす。三田村から、欲しい返事をもぎ取ったのだ。
「……今日は、会長に呼ばれてちょっと遠出したから疲れたんだ。早めに寝たけど、夢見が悪くて、こんな変な時間に起きてしまった」
『先生が、総和会の用事で出かけたことは、組にも報告は入っていたが、そうか、会長と……』
三田村の口調はあくまで優しいが、意識して感情を排しているようにも感じられる。
「ああ……。何かしら、聞いてはいるだろう。南郷さんのこと」
『組を騙す形で連れ出された先生の居場所が、一時掴めなくなって、騒動になりかけた。南郷本人から連絡が入らなかったら、もっと大事になっていたはずだ』
さすがに、南郷が和彦の体に触れた件は、三田村には知らされていないらしい。三田村に余計な気苦労をかけないで済むことに安堵する反面、罪悪感が疼く。
「そのことで、南郷さんに対する処分を、ぼくと会長で相談して決めた。……総和会と長嶺組の問題にしないために、そうすることが最善の形だと、会長から説明された。もっともだと、ぼくも思う」
だけど、と続けた言葉を、三田村が引き継ぐ。
『気持ちとして割り切れない部分がある、という口振りだ』
「不服だとか、そうはっきりとしたものじゃないんだ。ただ――」
ここで和彦は、この寝室にはまだ盗聴器は仕掛けられているのだろうかと思い至り、布団に頭まで潜り込む。いつでも意識するのは、賢吾の存在だ。
「少し引っかかっている。穏便に済ませたいという気持ちは、確かにあるんだ。だけど、当事者のぼくに相談する前に、穏便に済ませるためのお膳立てが、会長と組長の間ですでにできていているようだった。ぼくは、上手く誘導されて頷いただけのようで――違うな。そうじゃない。こういうやり方で回っている世界だと知っているし、理解もしているんだ」
そもそも、自分のことで揉めないでほしいと望んでいたのは、和彦だ。長嶺の男たちの行動は、組織同士の無用な対立を避けるためであるだろうが、和彦の望みも叶えてくれている。それでも釈然としないのは、きっと自分のわがままなのだろう。
「組長が何を考えているか、まったくわからない。南郷さんのことで、ぼくのことを迂闊だとか、隙がありすぎるとか、そんなふうに責められてもないんだ。……仕事の一つとして、南郷さんとのことを淡々と処理されたように感じる」
ここまで話したところで三田村は、和彦自身ですら輪郭を掴みかねている気持ちを、しっかりと言葉で掬い上げてくれた。
『――先生は、組長の感情的な姿を見たかったんだな』
「えっ」
『俺の〈オンナ〉に何をしやがる、と言ってほしかったと、今の先生の言葉を聞いていたら、そんな心の声も聞こえてきた。……もしかして俺は、自分が思っているより酔っているのかもしれないから、そんなことと、笑ってくれてもいい』
真っ暗な布団の中で、和彦はゆっくりと目を瞬く。三田村の指摘に、自分でも驚くほど納得していた。
「……そう、なんだろうな。ぼくは、自分でも呆れるほど、図太い神経をしているかもしれない。人を脅迫して、職場どころか、普通の生活まで奪った男に、そういうことを望むなんて」
『組長は本当は、激情家なんじゃないかと、感じるときがある。背負うものがあって、危険な立場に身を置いているから、常に感情を律しているが。先生に直接意見を求めなかったのは、組長なりに危惧したからじゃないか』
「危惧?」
『先生が怯えるほど責めることを』
物騒な世界で、物騒な組織を背負って立つ男が、そんな生ぬるいことを危惧したりしないだろうと、和彦にもわかっている。だが、三田村の言葉に、胸に巣食う重苦しさがいくらか和らいでいた。
三田村の優しさに、遠退きかけていた眠気が引き寄せられる。
布団からやっと顔を出した和彦は、囁くような声でわがままを言ってみた。
「三田村、ぼくが寝るまで、何か話していてくれないか」
『それは……難題だな。先生に話して聞かせられるようなものは、俺には――』
「子守唄を歌ってくれてもいいぞ」
和彦の冗談は通じたらしく、電話の向こうから抑えた笑い声が聞こえてくる。その声すら、耳に心地よかった。
「なんでも、いいんだ。あんたの声が聞けるなら……」
数十秒ほど不自然な沈黙が続いたあと、ようやく三田村は話し始める。
なんとも三田村らしいというべきか、組に入ったばかりの頃の苦労話を。
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