と束縛と


- 第28話(1) -


 こういう表現は変なのだろうが、南郷の土下座は美しかった。
 ダークスーツに包まれた大きな体を畳に擦りつけるように折り曲げ、これ以上なく深く頭を下げるという屈辱的な姿勢を取っていながら、どこか誇らしげにさえ見え、そんな南郷の姿に和彦は、ただ圧倒されていた。
 初めて目の当たりにした土下座が、よりにもよってヤクザによるものなのだ。しかも、ただのヤクザではない。十一の組で成り立っている総和会の、その頂点に立つ人物の側近だ。
 自分は、そんな男を跪かせてしまったのかと、座布団の上に正座をした和彦は、空恐ろしさに小さく身を震わせる。
 あくまで和彦と南郷の間に生じた〈些細な諍い〉は、南郷がこうして土下座をすることで、一応の和解となる。正確には、そう公言できるだけの手順を踏んだということだ。
 和彦の気持ちとしては、そもそも事を大げさにするつもりはなかったし、頭を下げている南郷にしても、腹の内は煮えくり返っているかもしれない。それでも、和解は和解だ。
「――……もう、頭を上げてもらえませんか? 十分ですから……」
 こちらから声をかけなければ、南郷の行為を制止する人間はいない。なんといっても、和解のために用意された和室には、和彦と南郷の二人しかいないのだ。総和会と長嶺組双方からの立会い人の同席を求められたが、和彦自身が断ったためだ。その代わり、部屋の外で待機してもらっている。
 本当はそれすら断りたかったが、さすがに二つの組織の面子のためにと言われると、無碍にもできなかった。
 守光の居城ともいうべき総和会本部の中にいて、何かあるはずもないのだが――。
 ようやく南郷がわずかに頭を上げ、鋭い上目遣いで和彦を見つめてくる。
「この場に、俺とあんたの二人しかいないが、これでも立派な手打ち式だ。俺が頭を下げて終わりじゃない。あんたが、終わらせるんだ」
「……ぼくに、どうしろと?」
「簡単だ。ただ一言、許す、と」
 ニヤリと南郷に笑いかけられ、数秒の間を置いて和彦は、敵意を込めた眼差しを向けていた。
『許す』という言葉が、どれだけの行為に対してのものなのか、知っているのは和彦と南郷だけだ。外で待機している男たちは何も知らない。ただ、なんの問題もなく、和彦が南郷の謝罪を受け入れて、円満に解決すると思っているのだ。
「それは――」
「先生からその一言をもらえなければ、俺は何時間だろうが、土下座を続ける。俺みたいな不遜な男の土下座なんて、滅多に拝めるものじゃないから、この機会にじっくり堪能してみるか、先生?」
 まさに、不遜な表情でそう言われると、それはもう恫喝に近かった。そして和彦は、目の前で土下座をする男に対して、抗う術を持たない。とにかく一刻も早く、この空間から解放されたかった。
「――……許します。だから早く、頭を上げてくださいっ……」
 声を抑えながら、半ば哀願に近い口調で訴える。南郷は、勿体ぶるかのようにゆっくりと頭を上げ、目が合うなり、歯を剥くようにして笑いかけてきた。威嚇の表情だ。
「これで、遺恨はなしだ」
 そう嘯いた南郷を、はっきりと和彦は睨みつける。もちろん、南郷の頑丈な体と神経に、痛痒すら与えられなかっただろう。
「品のいい、優しげな色男が、そんな顔をするもんじゃない。――俺が土下座をして、あんたが許すと言ったということは、つまりそういうことだ。俺は別に構わないが、あんたはこれ以上のごたごたはご免なんだろ。言いたいことは、ぐっと胸に仕舞い込んでおくことだ」
「……あなたに、言われなくても……」
「もっとも、あんたはやれやれと思っているかもしれないが、周囲は……特に総和会の連中は、ますますあんたに一目置くことになる。会長以外には従わないと言われている南郷に、土下座をさせたとして。この場合、オンナを上げたと言ったほうがいいか?」
 口を開きかけた和彦だが、これではキリがないと思い直し、高ぶった感情を必死に抑えつける。何事もなかった顔をしてスッと立ち上がった。
「これで遺恨はありません。ただしぼくは、あなたを警戒し続けます。……二度と近づかないでください」
「さあ、それはどうだろうな」
 楽しげな南郷の口調に不吉なものを感じつつも、和彦は会釈をして部屋を出た。


 心底疲れて自宅マンションに戻った和彦を出迎えたのは、いつもと変わらない悠然とした笑みを浮かべた賢吾だった。
 そんな表情が癪に障るのは、自分が今巻き込まれているあらゆる厄介事の元凶が、この男にあるという意識があるからだ。八つ当たり半分、事実半分といったところか。
「――忌々しいヤクザが面を見せるな、と言いたげな顔だな、先生」
 ジャケットのボタンを外しながら移動する和彦に、揶揄するように賢吾が話しかけてくる。和彦は素っ気なく応じた。
「そんなひどいことは思わないが、否定はしない」
「ふむ。機嫌が悪そうだ」
「……あんなものを見せられて、機嫌がいいわけないだろう」
「総和会と縁がありながら、南郷の土下座を『あんなもの』呼ばわりできるのは、多分先生ぐらいのものだろうな」
 いつもであれば、苦々しく感じながらも受け流せるのであろうが、事実今の和彦は機嫌が悪かった。ついカッとして、脱いだジャケットを賢吾に投げつける。
「手打ち式ってなんだ? まるでぼくが、ヤクザになったみたいだ。長嶺の男に大事にされている立場を利用して、大層な詫びを求めたと思われたはずだ」
「傲慢なオンナだと思われるのは嫌か?」
 澄ました顔で賢吾に問われ、返事に詰まった和彦は、きつい眼差しを向ける。ささやかに持っているプライドや恥というものを嘲笑われた気がしたのだ。
「もう、いい……。今日は誰とも話したくない」
 賢吾の足元に落ちたジャケットを拾い上げ、傍らを通り過ぎようとする。次の瞬間、腰に賢吾の片腕が回される。何事かと思ったときには和彦の体は浮き上がり、爪先が廊下から離れていた。
「おいっ……」
 反射的に身を捩ろうとしたが、まるで荷物のように賢吾の肩に担ぎ上げられる。バランスを崩しかけて、咄嗟に賢吾の着ているワイシャツを握り締める。わけがわからないまま、もう一度身を捩ろうとして、賢吾に尻を叩かれた。
「おとなしくしてろ。落とすぞ」
「だったら下ろしてくれっ。一体なんのつもりだ」
 賢吾の背を逆さまに見ているうちに頭に血がのぼり、さらに声を荒らげると、眩暈までしてくる。たまらず和彦は、広い背を拳で殴りつけたが、まったく堪えていないらしく、賢吾の足取りが乱れることはない。
 寝室に入ってから、和彦の体はベッドに転がされる。すぐに起き上がって抗議をしようとしたが、素っ気なく賢吾に肩を押され、また仰向けで転がった。
「怒りを露わにしている先生は、艶やかだな。この世界の男たちの怒り方とは、まったく違う。女のヒステリーのようでもあるが、理性的であろうと努めている様子が健気で、ずっと眺めていたくなる」
 そんなことを言いながら賢吾がのしかかってきて、真上から見下ろされる。和彦は必死に睨みつけていたが、賢吾に髪を撫でられただけでうろたえてしまい、頬を包み込むように触れられたときには、視線を逸らしていた。
「……どうしようもなく、悔しい」
 ぽつりと和彦が洩らすと、賢吾が顔を寄せてくる。
「何が?」
「南郷さんにあんな形で土下座をされて、なぜだか屈辱的だった。こちらの意思なんて関係なく、謝罪を受け入れろと、脅迫されているように感じた。だけどぼくは、それを受け入れるしかなかった」
「自分のオンナに、そんな惨めな気持ちを味わわせたということは、俺にとっても屈辱的だ」
 賢吾の言葉にハッとして、和彦は目を見開く。うかがうように見上げた先で、賢吾は遠いどこかを見つめるような眼差しをしていた。
「長嶺組組長のオンナに悪さをしたんなら、俺が南郷にカタをつけさせるのが、本来の流儀だ。だが先生は、総和会会長のオンナでもある。その総和会会長が、組織の調和のために、今回の問題を個人間の〈諍い〉にしたんなら、俺は口出しできない。――長嶺組長の力も男気もその程度かと、見下げるか?」
 淡々とした賢吾の口調の下から、ゾクリとするような凄みを感じる。ごくわずかな関係者以外は、今回の件はあくまで南郷が和彦に対して、少々の無礼を働いた程度だと認識している。しかし、そのわずかな関係者の一人である賢吾としては、守光と南郷の対応で組織が円滑に動くとわかってはいても、思うところはあるだろう。
 いや、そうであってほしいと、和彦が願ってしまう。
 組のためという大義名分で、賢吾に割り切ってほしくないのだ。
 数日前、電話で三田村が言っていた通りだ。和彦は、自分のことで感情的になる賢吾の姿を見たかった。そうすることで、自分の存在の重さを確認したかった。
「……そんなことは、しない。揉めないでほしいと頼んだのは、ぼく自身だ。何よりあんたには、組や組員を守る責任がある」
「聞き分けがよすぎると、後々えらいことになるぞ。それこそ、手前勝手な都合で男たちに振り回されて、ヤクザすべてを憎みたくなるかもしれない」
「これまでは、振り回してないと言うのか?」
 虚をつかれたように目を丸くした賢吾だが、すぐに鋭い笑みを唇の端に刻む。惚れ惚れとするほど魅力的だが、寒気がするほど怖くもある笑みだった。
「そうだったな。俺は先生から堅気の生活を奪った。挙げ句が、長嶺の男三人の〈オンナ〉という立場……いや、役目を押し付けている。とっくに腹を刺されていても、不思議じゃない。なのに、こうして俺がピンピンしているのは――どうしてだ?」
 賢吾に顔を覗き込まれ、和彦はスッと視線を逸らす。長嶺の男は、いつも和彦から欲しい答えをもぎ取ろうとするのだ。
 低く喉を鳴らして笑った賢吾の指に、あごの下をくすぐられる。
「先生は俺にとって、大事で可愛い、特別なオンナだ。逃がさないために、何重にも鎖を巻きつけて、この世界に留めておきたくなる。先生にどれだけつらい思いをさせようがな」
「まだ……、そこまで、つらい思いはしていない。それどころか、ひどく甘やかされているようだ」
「甘い地獄だ。品がよくて優しい一方で、したたかで多淫な先生は、繊細だ。壊さないように大事にしながら、抜け出せないよう深い場所にまで引きずり込む」
「……ぼくがそこまで堕ちたら、本性を見せるんだろ」
「もう見せているとは、考えないのか?」
 返事に詰まった和彦の反応をおもしろがるように、賢吾は目元を和らげ、そして、額に唇を押し当ててきた。
 暴発寸前だった怒りが消えてなくなっていくようで、そんな自分の現金さに和彦はうろたえ、視線をさまよわせる。
「――ぼくの機嫌を取っているつもりなのか?」
 こめかみに唇を這わせる賢吾の息遣いが笑った。
「取ってほしいか?」
 カッとした和彦は賢吾の肩を押し上げようとしたが、簡単にあしらわれ、強引に唇を塞がれる。喉の奥から呻き声を洩らした和彦は、なんとか賢吾の顔を押しのけようとするが、反対にがっちりと頭を押さえ込まれていた。
 食らいつくような勢いで唇を吸われたかと思うと、熱い舌を口腔深くまでねじ込まれ、犯される。あまりの口づけの激しさに息苦しくなり、必死に身を捩ろうとするが、覆い被さっている体はびくともしない。
 このまま窒息させられるのではないかと、本気で怯え、動揺した和彦の抵抗をすべて受け止めながら、賢吾は口づけを続ける。
 ようやく一度唇が離されたとき、意識が朦朧とした和彦はぐったりとしていた。傲慢で憎たらしい男を睨みつける気力もなく、とにかく空気を体内に取り込むことを優先する。
「……死ぬかと、思った……」
 ようやく恨みがましい一言を洩らすと、賢吾はバリトンの魅力を最大限に発揮して、耳元でこう囁いてきた。
「口づけで殺す、か」
 声による鼓膜への愛撫に、和彦の全身に甘い震えが走る。この一言で、賢吾のすべてを受け入れてしまいそうな危惧を覚え、必死に強がる。
「何、キザなことを言ってるんだっ……」
「一瞬本気で、実行しようかと考えた。……が、俺は先生の憎まれ口が、たまらなく好きなんでな。それが聞けなくなるのは、死ぬほどつらい」
 冗談とも本気とも取れる賢吾の言葉は、非常に甘美だ。そのうえで唇の端を優しく吸われ、悔しいが和彦は、降参するしかなかった。
「ぼくの機嫌を取るのは簡単だと、心の中で笑ってるだろ」
「まさか。傷つけないよう、神経を逆撫でしないよう、細心の注意を払っている。俺にここまで気をつかわせるのは、お前だけだ。――その分、しっかりと見返りはもらうがな」
 舌先でちろりと唇を舐められて、和彦は小さく喘ぐ。おずおずと自ら舌を差し出し、賢吾の口腔に招き入れられる。きつく舌を吸われたあと、味わうように何度も歯を立てられ、甘噛みされる。そのたびに狂おしい肉欲が沸き起こり、和彦は熱い吐息をこぼしていたが、それすら、賢吾に貪られていた。
「――ありえないとわかってはいるが、先生が俺のもとに帰ってこないんじゃないかと、少しだけ考えた」
 甘やかすような口づけの合間に賢吾に囁かれる。和彦は間近にある男の顔をまじまじと凝視してから、憎まれ口で応じた。
「いつ、あんたのもとが、ぼくの帰る場所になるんだ」
「おう、いつもの調子が出てきたな、先生」
 からかわれ、ついきつい眼差しを向けた和彦だが、思いがけず優しい表情で見つめ返され、毒気を抜かれた。急に照れくさくなり、ふいっと視線を逸らす。すると、賢吾の唇が目元に押し当てられた。
「俺から、欲しい返事を聞き出そうとしているだろ?」
 そう囁かれた瞬間、全身が燃え上がりそうなほど熱くなる。いつも長嶺の男たちに対して、和彦が心の中で思っていることを、よりによって賢吾にズバリと言われたからだ。そして、賢吾の言う通りだったからだ。
「可愛いな、先生。それに、性質の悪いオンナだ。そうやって、まだ俺を骨抜きにしようとする」
「違っ――」
 反論は唇に吸い取られ、そのまま舌を絡め合う。賢吾の指が器用に動き、ネクタイを解かれ、ワイシャツのボタンを外されていく。賢吾の指がわずかに肌を掠めるだけで、鳥肌が立ちそうなほど感じてしまい、浅ましく愛撫をねだってしまいそうになる自分が忌々しい。
「……そんな、気分じゃ、ない……」
 ほんの一時間ほど前に会った南郷の顔がちらつき、情欲のうねりとは裏腹に、拒否感がチクリと胸の奥を刺激する。嫌でも、あの男に触れられたときのことを思い出していた。
 そして、賢吾に申し訳ないと感じてしまうのだ。
「生憎だが、俺は、そんな気分だ。――他の男の毒気にあてられたオンナを、さっさと正気に戻してやらねーとな」
 大蛇が潜む目でじっと見据えられ、危うく息が止まりそうになる。一見、普段と変わらない――むしろ機嫌がよさそうにすら見えた賢吾だが、胸の内では激しいものが吹き荒れているのだと、この瞬間、思い知らされた。
 怯えた和彦が何も言えなくなった間に、賢吾にワイシャツのボタンをすべて外され、ベルトも緩められる。
「うっ……」
 賢吾の熱い体が覆い被さってきて、首筋に唇が押し当てられる。所有の証を刻み付けるように、強く肌を吸い上げられた。さらに舌で舐め上げられ、このとき和彦は、首筋に牙を突き立てる大蛇の姿を想像し、恐怖で竦み上がる。
 和彦の体の強張りを感じ取ったのだろう。皮肉げな口調で指摘される。
「俺が怖いか?」
「……ぼくはいつでも、あんたが怖い」
「あんたじゃない。賢吾さんだろ。今は」
 再び首筋に唇を這わされながらワイシャツを脱がされ、腹部から胸元へとてのひらが這わされる。愛しげに丹念に肌を撫で回されているうちに、寸前の会話を忘れ、簡単に身を任せてしまいそうになっていた。
 期待と興奮で硬く凝った胸の突起を、焦らすように指の腹でくすぐられてから、摘まみ上げられる。小さく声を洩らした和彦は、無意識のうちに賢吾の頭に手をかけていた。
 和彦の求めがわかったらしく、賢吾の唇が首筋から移動し、胸元に押し当てられる。
「ふっ……」
 胸の突起を唇に捉えられ、和彦はきつく目を閉じる。全身の神経が鋭敏に研ぎ澄まされ、たとえ直視しなくても、賢吾が愛撫を加える様を鮮明に映像として脳裏に映し出していた。
 優しく突起を吸われたかと思うと、熱い舌先に舐められ、転がされる。そして、歯を立てられた。和彦は胸を反らし、吐息を洩らす。賢吾は勢いを得たように、露骨に濡れた音を立てながら突起を嬲り、もう片方の突起も乱暴に抓るようにして刺激し始める。
 和彦は控えめに声を上げながら、煩悶していた。
「――南郷にも、ここを可愛がられたか?」
 前触れもなく発せられた言葉は、氷の針のような鋭さで、和彦の鼓膜に突き刺さった。目を開いた和彦を、上目遣いの賢吾がじっと見つめていた。
 和彦はようやく声を絞り出す。
「言いたく、ない……」
「触れる前から、物欲しげに反応している部分だ。まったく無視はできんだろうな」
 まるで和彦に見せつけるように、賢吾が舌先で突起を転がす。卑猥な舌の動きに和彦は見入り、肌に賢吾の熱い吐息が触れるだけで、体中に強烈な疼きが駆け抜ける。
「何より、美味い」
 突起を口腔に含まれ、痛いほどきつく吸われる。和彦は間欠的に声を上げ、体を震わせる。思い出したくないのに、賢吾の言葉によって、南郷の愛撫が蘇っていた。同時に、そのとき味わった恐怖と不快さも。だが今、情熱的な愛撫を与えてくれているのは、賢吾だ。
 和彦の中でささやかな混乱と困惑が生まれ、咄嗟に賢吾の肩に掴まる。かまわず賢吾は、愛撫を続けながら、こう問いかけてきた。
「南郷に触れられて、感じたか?」
 一度は唇を引き結んだ和彦だが、ウソはつけない。和彦の体を誰よりも知っているのは、今自分に触れている賢吾なのだ。
「……ああ」
「鷹津のときもそうだったが、求めてくる男には、とことん甘い体だ。忌々しいが、愛しくて仕方ない。ここも、ここも――」
 賢吾の片手が両足の間に入り込み、スラックスの上から敏感なものに触れられる。和彦は反射的にその手を押しのけようとするが、ぐっと力を込められると、怯えて動けなくなる。乱暴にスラックスと下着を引き下ろされ、身につけていたものすべてを奪い取られていた。
「うっ」
 感じやすいものを直接握り締められる。荒々しく上下に扱かれたとき、和彦の全身を恐怖が駆け抜けたが、それを上回って被虐的な悦びが湧き起こっていた。
「ここも、触れられたな?」
 念を押すように賢吾に問われ、顔を背けながら和彦は頷く。ここで一旦賢吾が体を起こし、ベッドに沈められそうな圧迫感から解放される。だが、ほっとはできなかった。顔を背けたままの和彦の耳には、しっかりと衣擦れの音が届いていたからだ。
 再びのしかかられ、今度はしっかりと素肌同士が重なる。全身で感じる賢吾の体の重みと熱さに和彦は、一気に高まった高揚感から眩暈に襲われる。その間にも膝を掴まれて両足を広げられると、逞しい腰が割り込まされる。擦りつけられた賢吾の欲望は、すでに猛っていた。
「先生、俺を見ろ」
 傲慢に命令され、和彦はおずおずと従う。見上げた先で、賢吾は唇に薄い笑みを浮かべていた。かつては酷薄そうに見えていた笑みだが、今は違う。ひどく官能を刺激される魅力的な表情だと思った。
「あっ……」
 こちらの求めがわかったように、賢吾に唇を吸われる。和彦は箍が外れたように賢吾の唇を吸い返しながら、夢中で両腕を広い背へと回し、てのひらで存分に大蛇を撫で回す。口づけの合間に賢吾に問われた。
「――こいつが愛しいか?」
 和彦は息を喘がせながら、賢吾の目を覗き込む。背だけではなく、この男は身の内にも大蛇を棲まわせている。残酷で獰猛なくせに、蕩かしそうなほどオンナを甘やかしながら、底知れない強い執着心と独占欲を持つ生き物だ。だからこそ、己の手から離れると知ったとき、この生き物は容赦なく、オンナの首をへし折ってしまうだろう。他人の手に渡るぐらいなら、と。
「そんなわけ……ない。こんな、怖いもの……」
「だが、欲しいだろ?」
 甘く優しい声で囁かれ、和彦は賢吾を睨みつける。しかし賢吾の唇が瞼に押し当てられると、もう抗えなかった。
「……欲し、い」
 指にたっぷりの唾液を絡めた賢吾が身じろぐ。予期したとおり、濡れた指が内奥の入り口をまさぐり始め、和彦は反射的に腰を揺らしていた。内奥をこじ開けるようにして指を挿入され、堪えきれず呻き声を洩らしていたが、賢吾は冷静に和彦の内を探る。
 きつい収縮を繰り返す内奥から指を出し入れし、確実に入り口を解していく。二本目の指を挿入してからは、円を描くように内奥を掻き回しながら、繊細な襞と粘膜を撫でる。和彦の呼吸が弾み始めると、賢吾は戯れのように唇を啄ばんできた。
 最初は戸惑っていた和彦だが、内から加えられる愛撫によって、いつものように自分が反応し始めていることを感じ取っていた。
「だらしない顔になってきた」
 ふいに賢吾に囁かれ、我に返った和彦は慌てて自分の頬をてのひらで擦る。そんな和彦を見下ろしながら、賢吾が低く声を洩らして笑った。
「いまさら恥ずかしがるもんでもねーだろ」
「うるさ――」
 上体を起こした賢吾に膝裏を掴まれて、片足をしっかり抱え上げられる。指を咥え込んだ内奥の入り口を観察されていると知り、和彦は身を捩ろうとするが、ささやかな抵抗を賢吾はものともしない。執拗に内奥を愛撫しながら、視線を逸らさないのだ。
「――ここも、触られたな?」
 指が付け根まで突き込まれ、すっかり発情した和彦の内奥は、きつく締め付けてしまう。その感触を堪能するように賢吾が妖しく指を蠢かし、肉の愉悦が生まれる。南郷との間にあったことを知られたくないのに、賢吾は巧みに和彦から反応を引き出してしまう。
 言葉ではなく、和彦の体から答えを得た賢吾は、皮肉っぽく唇の端を動かす。
「ちょっと機嫌を取られたら、どんな男も咥え込もうとする、性質の悪い尻だ」
「そんな言い方、するなっ……」
「わかっている。痛い思いをしたくない先生は、怖い男に逆らえない。しかも、その怖い男たちは、本能的に感じ取るのか、先生を大事に扱う。怯えさせるより、感じさせて、艶やかな姿を眺めるほうが楽しいしな。――さて、南郷は楽しめたんだろうか」
 話しながら賢吾が内奥から指を引き抜き、代わって、さきほどから猛っている欲望を、和彦の尻に擦りつけてきた。この瞬間、和彦の中で、南郷に強いられた行為が蘇る。あの男は、欲望を和彦に握らせ、扱かせたのだ。
 和彦はぎこちなく片手を伸ばし、賢吾の欲望に触れる。和彦の意図がわかったのだろう。賢吾は和彦の手を取り、しっかりと欲望を握らせた。
 欲望の逞しさを確かめるように、和彦はゆっくりと手を動かす。力強く脈打つそれは、和彦に恐怖もおぞましさも与えてはこない。それどころか――。
「うっ、あぁっ……」
 和彦の愛撫に応えるように、賢吾の片手が再び両足の間に這わされた。柔らかな膨らみをてのひらで包み込むように揉みしだかれると、和彦はビクビクと腰を震わせながら、強烈な愛撫を受け入れるしかない。
 和彦がぎこちなく手を動かしているのとは対照的に、賢吾の指の動きは巧みだ。確実に和彦の弱みを探り当て、弄んでくる。すべてを賢吾に委ねた証として、無意識のうちに力が抜け、自ら大きく足を開いて愛撫を求めてしまう。そんな和彦を見下ろしながら、賢吾はそっと目を細めた。
 オンナの従順ぶりを愛でているようでもあり、そのオンナに、同じような愛撫を施した男の動きを追っているようでもある。
「どの男に対しても、こんなにいやらしい蜜を垂らして悦んで見せているんなら、少し仕込みすぎたかもしれねーな」
 ゾッとするほど優しい声で囁いた賢吾の片手が、反り返り、先端から尽きることなく透明なしずくを垂らしている和彦の欲望にかかる。唇を噛んで声を堪えたが、反応そのものを堪えることはできない。賢吾の手が動くたびに腰を揺らし、熱くなったものを震わせる。
「ふっ……」
 凶暴な熱の塊が、ひくつく内奥の入り口に擦りつけられる。それだけで和彦の背筋に、痺れるような疼きが駆け抜けていた。指で解されたとはいえ、まだ狭い場所をゆっくりとこじ開けられ、痛みと異物感が生まれはするものの、大蛇の化身のような男に内から食らわれるという高揚感の前には、あまりに淡い感覚だ。
 和彦はすがるように賢吾を見上げながら、逞しい腕に懸命にしがみつく。そんな和彦を見下ろしながら、賢吾が残酷な質問をぶつけてきた。
「――こんなふうに、南郷を受け入れたか?」
 瞬間的に怯えた和彦だが、欲望の太い部分を内奥に呑み込まされ、強い刺激に気を取られてしまう。さらに追い討ちをかけるように、賢吾が緩く腰を揺する。
「んあっ、あっ、あうっ……」
「どうだ」
 反り返った欲望を、賢吾の下腹部に擦り上げられながら、唇の端を軽く吸われる。吐息をこぼした和彦は、ようやく言葉を発することができた。
「……な、い……。受け入れて、ないっ……」
「本当か?」
 賢吾の口調が穏やかだからこそ、腹の内に滾っているものを想像して恐怖する。和彦は恥らう余裕もなく、事実を答えていた。
「触れただけだ……。擦り、つけられて――、それだけだ」
「その気になれば南郷は、易々と先生を抱けたというわけだな」
 ビクリと体を震わせた和彦は、怯えながら賢吾を見上げる。自分のオンナだと言いながら、和彦が複数の男と関係を持つことを許している賢吾だが、南郷のことを口にするときだけは、何かが違う。普段は見せない激しい感情が透けて見えそうなのだ。
 瞬きも忘れて見上げている和彦に気づいたのか、賢吾が薄い笑みを向けてくる。
「本当に忌々しいほど、性質の悪い尻だ。だが俺は、その尻に包み込まれて、甘やかされるのが、たまらなく好きなんだ」
 そう言って賢吾の大きな手に尻の肉を掴まれ、荒々しく揉まれる。同時にゆっくりと腰を突き上げられ、有無を言わせず太いものを内奥に捩じ込まれていく。
「うっ、うっ、うっ――」
 容赦なく肉を押し開かれる痛みに呻き声を洩らしながらも、無意識のうちに和彦の腰は、追いすがるように賢吾の動きに同調していた。もっと深く、よりしっかりと繋がれるように。
 賢吾が乱暴に腰を突き上げ、和彦は声にならない悲鳴を上げて喉を反らす。さきほどから反り返り、震えていた和彦の欲望が精を噴き上げていた。
「相変わらず、尻を開かれる瞬間に弱いな、先生。怯えるように窄まって、ひどいことをしているんじゃねーかと、罪悪感を抱きそうになるが、すぐに様子が変わる。物欲しげにひくついて、熱くなった肉がねっとりと絡みついてくる。そして、これだ」
 まだ力を失っていない和彦のものに、優しく慰撫するように賢吾の指が触れてくる。
「先生が男でよかったと、つくづく思う。――愛しくて仕方ない」
 もっと俺を喜ばせろと言いたげに、欲望を柔らかく握り込まれて扱かれる。呻き声を洩らした和彦が上体を捩ろうとすると、緩慢な動作で腰を突き上げられ、内奥深くを攻められる。
「あっ……ぅ、んっ、んうっ、あっ……」
「あとでたっぷり舐めてやる。まずは、俺を満足させろ」
 傲慢な物言いに官能を刺激され、喉を鳴らした和彦は賢吾の背に両腕を回す。両てのひらで大蛇の刺青をまさぐると、勢いを得たように賢吾の律動が大きく力強いものとになる。
「あっ、あんっ、けっ……、賢、吾っ――」
 息が弾み、声が途切れる。思いがけず賢吾を呼び捨てにすることになったが、当の賢吾は気を悪くするどころか、和彦の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。
「興奮するな。先生に呼び捨てにされると。そろそろ、他人行儀な『さん』付けはやめるか」
「……あんたとは、他人だろ」
「何度も言ってるだろ。お前は、俺にとって大事で可愛いオンナだと。それは、他人とは言わない。恋人でもない。こっちの世界じゃ……、いや、長嶺の男にとってそれはもう、家族と呼ぶんだ」
 不覚にも、胸が詰まった。ヤクザの口先だけの言葉など、と返すことすらできなかった。
 賢吾に唇を吸われてから、魅力的なバリトンで囁かれる。
「もう一度呼んでみろ」
 反射的に顔を背けた和彦だが、反応を促すように賢吾に腰を揺らされ、内奥深くまで埋め込まれた欲望の興奮を知らされる。今すぐにでも引き抜かれそうで、はしたなく締め付け、襞と粘膜で奉仕する。
「ほら、早く呼べ」
 和彦は、賢吾を軽く睨みつけてから、ぎこちなく呼びかけた。
「――……賢、吾」
「もう一度」
「……賢吾」
 何度も賢吾に求められ、そのたびに和彦は応じる。まるで、甘い睦言のようなやり取りだった。その間も律動は繰り返され、内奥から否応なく肉の悦びを引きずり出される。賢吾の下で煩悶しながら和彦は、抑え切れない嬌声を上げていた。
「うあっ、あっ、あっ、い、い……。気持ち、いいっ――」
「ああ、俺もだ。俺をこんなに感じさせてくれるのは、お前だけだ」
 嬉しいと、率直に思った。和彦は意識しないまま笑みをこぼし、誘われるように顔を寄せた賢吾と、激しい口づけを交わす。
 それだけでは満足できない和彦は、言葉にならない強い求めを知らせるため、筋肉が張り詰めている逞しい肩にぐっと爪を立てる。和彦の求めがわかったのだろう。賢吾は猛々しい鋭い目つきで和彦を見下ろしてきながら、内奥深くに熱い精をたっぷりと注ぎ込んできた。


 賢吾とのセックスはいつでも激しく濃厚だが、今日は特別だったと和彦は思う。
 剥き出しの肩先を撫でられて、それだけで淫らな衝動が胸の奥で蠢く。暴れ出さないよう、慎重に息を吐き出した和彦は、賢吾の肩にのしかかるように描かれた刺青に触れる。
「――そうやって先生に触れられるだけで、まだ興奮する」
 本音半分、からかい半分といった口調で賢吾に言われ、つい体が熱くなる。和彦は、枕にしていた賢吾の腕の付け根から頭を上げ、間近にある端整な顔にきつい眼差しを向ける。
「何、言ってるんだ……」
「俺はまだまだ平気だが、気をつけねーと、先生を壊しかねないからな」
 和彦は慌てて体を離そうとしたが、しっかりと肩を掴まれてしまうと、身動きが取れない。諦めて、今度は賢吾の胸にそっと頭をのせた。我ながら度し難いと思うが、力強い鼓動にすら、官能を刺激されてしまう。
「こうしていると、俺の特別なオンナを、このままこの部屋に閉じ込めておきたくなる。俺の主義じゃないが、まったくこのオンナは、外を出歩くと、クセのある男ばかりを引き寄せて、骨抜きにするからな」
「……誰のことを言ってるんだ」
「品がよくて優しげな顔をして、そういうことを言えるあたりが、性質が悪い」
 賢吾の指にうなじをくすぐられる。声を洩らして笑った和彦は、分厚い胸に唇を押し当てる。賢吾の指が移動し、髪の付け根をまさぐり始めた。
 気だるいが、心地よくもある触れ合いを続けているうちに、ここまでおぼろげだったある考えが、しっかりとした輪郭を持ち始める。これは、決心というものだ。
「――兄さんに、会おうと思っている。……あんたが許してくれるなら、だが」
「俺は、先生の決断を尊重する。ただし先生の兄貴が、先生を無理やり実家に連れ戻そうとするなら、そうも言ってられんがな」
「無理やり連れ戻される事態にならないよう、話をするんだ。――ぼくは、ここにいたい」
 賢吾の指の動きが一旦止まる。和彦が顔を上げると、射抜かれそうなほど鋭い視線とぶつかった。
「『ここ』とは、どこのことを言ってるんだ?」
 和彦は顔が熱くなっていくのを感じながら、賢吾を睨みつけた。この男は意地が悪い。
「この部屋のことだっ」
「ほお、部屋のことか」
「そうだ。今のぼくには、住める場所はここしかないからな」
「……見かけによらず、先生は強情だ」
 ちらりと苦笑めいた表情を浮かべた賢吾だが、次の瞬間には思案げな顔となる。
「先生がそう決めたんなら、俺は少し忙しくなるな」
「どうしてだ」
「先生は、俺だけのものじゃない。長嶺の男たちにとって大事で可愛いオンナということは、長嶺組と総和会にとって大事な存在だということだ。その先生を、堅気の世界で、堅気ではあるが特殊な人間に接触させるってことは、あちこちに話を通さなきゃならない。準備のためにな」
 何か大事な響きを感じ取り、和彦は眉をひそめる。自分はとんでもないわがままを言ったのだろうかと心配したが、賢吾はそれ以上は語らず、和彦の体を再びベッドに押し付け、覆い被さってきた。
「――先生にもう一度、名前を呼んでもらいたくなった」
 耳元で囁かれ、それだけで高揚感に襲われる。和彦は操られるように大蛇の刺青をてのひらで撫で回しながら、賢吾の求めに従順に応じた。何度も。









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