と束縛と


- 第28話(4) -


 普段の言動のせいですっかり忘れてしまいそうになるが、長嶺千尋の本質は決して、可愛い犬っころなどではない。
 したたかでありながら激しい気性を持つ〈何か〉だ。それは、祖父の守光のような老獪な化け狐かもしれないし、父親の賢吾のような冷酷な大蛇かもしれない。もしくは、まったく別の獣か――。
 クリニックを一歩出た和彦は、目の前に立つ千尋を一目見た瞬間、総毛立つような感覚に襲われた。明らかに千尋の様子が尋常ではなかったからだ。
 細身のスーツにナロータイという、オシャレな若手ビジネスマンのような格好は、恵まれた容姿を持つ千尋を、育ちのいい青年に見せる道具としては効果的だ。だが、まるで炎をまとったように、激しい怒りを全身に漲らせている今の千尋は、ジャケットの前を開き、ナロータイを緩めているだけなのに、筋者らしい凶暴さを感じさせる。
 こんな千尋に声をかけたくないが、まさか無視をするわけにもいかない。和彦はできるだけ、いつもの調子で声をかけた。
「お前、こんなところで何をしてるんだ……」
 千尋に歩み寄りながら、周囲に視線を向ける。通りを行き交う人たちが、この青年が長嶺組の跡目だとわかるとは思えない。しかしそれを抜きにしても、千尋の存在は人目を惹く。クリニックが入るビルの前で、目立ちたくなかった。
「先生を待ってた」
「それはわかるが……、せめて車で待つぐらいできるだろ。もし、お前の素性を知っている人間に見つかったらどうするんだ」
「いいよ。そのときは、そのときだ」
 低く抑えた声に、自暴自棄な響きを感じ取り、和彦は眉をひそめる。
「お前――」
「先生に話があるんだ」
 そう言って千尋に腕を掴まれたが、反射的に振り払う。カッとしたように睨みつけてきた千尋を、和彦は睨み返す。
「どうして、そんなに怒ってるんだ」
「……先生に心当たりはあるはずだよ」
「心当たりって……」
「来週、会うんだろ。あんなに怖がってた、自分の兄貴に」
 あっ、と声を洩らした和彦は、この瞬間、自分が大きな思い違いをしていたことに気づいた。
 和彦の反応を見て、千尋は不機嫌そうに唇を曲げる。
「俺のことなんて、すっかり忘れてたって顔だ」
「違うっ。そうじゃなくて――」
「話は、車の中で」
 短く言い放った千尋に再び腕を掴まれ、今度こそ否とは言わせない強引さで引っ張られる。いつにない千尋の迫力に圧され、和彦は従うしかなかった。
 駐車場に待機していたのは、千尋がいつも利用している車だった。どうやら和彦の護衛は帰らせてしまったようだ。大きくため息をついて、千尋に続いて車に乗り込む。
 車が発進するとすぐ、千尋は口を開いた。
「俺は、今日知った。それで組の人間に聞いて回ったら……、みんな知ってたんだ。それどころか、総和会も一枚噛んでるって。――俺だけ、先生に関する大事なことを教えてもらえてなかったわけだ」
 千尋の声音は不安定で、子供が拗ねているようだと思えば、今にも爆発しそうな強い苛立ちを滲ませ、聞いている和彦はハラハラしてくる。反射的に千尋の腕に手をかけると、反対にその手を握り締められた。
「俺になんて言う必要はないと思った?」
 千尋にズバリと言葉で切り込まれ、咄嗟に返事に詰まる。和彦は逡巡した挙げ句、正直に答えるしかなかった。
「……最初は、大げさにするつもりはなかったんだ。組長にさえ許可をもらえれば、それだけでいいと……。だけど、総和会にも報告することになって、ぼくの周囲にいる人間たちにも知らせていって――。お前には、組長か会長が知らせてくれると思っていたんだ」
「残念。俺に教えてくれたのは、組員の一人だ。つまり俺は、オヤジにもじいちゃんにも忘れられてたってことか」
「そうじゃないだろ。連絡の行き違い……、いや、ぼくのせいだな。慌しい中で、お前の存在を後回しにしていた」
 正確には、軽んじていたのかもしれない。そう、和彦は心の中で呟く。
 長嶺の男ではあるが、祖父や父親に比べて千尋は、組織や人に対しても影響力が限られている。二人が許可をしたのなら、千尋にあえて話す必要がないと、無意識のうちに和彦はそう判断していたのだ。もちろん、それだけではない。
「悪かった。ぼくの個人的なことで、お前を煩わせたくないという気持ちもあったんだ。……兄さんから電話がかかってきただけで、あれだけの醜態をお前に晒して、心配をかけたせいもあるし……」
「煩わせてるのは、俺たちのほうだろ。先生をさんざん、こっちの世界の理屈で振り回してるのに、何言ってるんだよ」
「千尋……」
 千尋の口調がいくらか和らいだのを感じ、和彦は緊張を解こうとしたが、甘かった。シートから身を乗り出した千尋が強い光を放つ目で見据えてきながら、恫喝するようにこう囁いてきたのだ。
「だから――、俺たち以外の奴が、先生を振り回すのは許さない。特に、先生を怯えさせるような奴は」
「誰のことを、言ってるんだ」
「とぼけないでよ。先生、電話越しでも、あんなに自分の兄貴のことを怖がってただろ。その理由をオヤジは教えてくれなかったけど、でもなんとなく、あのときの先生を見たら、察したよ。……どうして、先生にひどいことしてた奴に会う必要がある? 何かあったらどうするんだよ」
「そうならないよう、気をつけるつもりだ」
 ダメだ、と言うように千尋が緩く首を振る。千尋がときどき発揮する頑迷さを、和彦はよく知っている。子供じみており、突拍子もない行動に出るのだ。だからこそ、ここで対応を誤り、千尋を暴走させるわけにはいかない。
 賢吾に連絡して説得してもらおうかと思っていると、和彦の困惑を読み取ったように、千尋がこう言った。
「オヤジに相談するつもりなら、残念。今日は泊まりで会合に出かけていて、電話も繋がらない。まあ、オヤジが何言ったところで、俺は意見を変えるつもりはないけど」
「意見って……?」
「――先生を、どこにも行かせない」
 長嶺の男――というより、千尋の情は強い。改めてそのことを痛感しながら、和彦は懸命に頭を働かせる。和彦としても、家族恋しさで英俊に会うわけではないのだ。ただ、こちらの言い分を伝え、佐伯家の事情を把握しておきたいだけだ。
「無理だ。ぼくはもう決めたし、いろいろと人に動いてもらっている」
「先生の初めての男にも?」
 その物言いが癇に障り、千尋を睨みつける。
「ああ。段取りをつけてもらった。……来週、兄さんと会う」
 カッとしたように千尋が口を開きかけたが、すぐに何かに思い当たったように思案顔となる。その隙に和彦は、掴まれたままだった手をそっと抜き取る。それを咎めるでもなく、千尋は自分の携帯電話を取り出してどこかにかける。
 砕けた調子で千尋が名乗り、少しの間沈黙したのは、電話を取り次いでもらっているためだろう。
 一体どこにかけているのか、という和彦の疑問は、千尋が次に発した言葉で氷解した。
「あっ、じいちゃん――」


 総和会本部のエントランスホールに足を踏み入れた和彦は、男たちの姿を見かけて、無意識に身を固くする。敵意のこもった視線を一斉に向けられるのでは、と思ったのだが、予想に反して男たちは、恭しく頭を下げた。
〈手打ち式〉で南郷に土下座をさせたことで、自分は総和会の人間たちにとって敵になったのではないかと恐れていたのだが、どうやら、あまり喜ばしいことではないが、南郷が言っていた通りの事態になったらしい。
 関わった者たちに思惑はあるにせよ、和彦が南郷を従わせたという事実によって、総和会から一目置かれる存在になったのだ。それはひどく、和彦にとっては気が重くなる現実だ。
 次に総和会本部を訪れるとき、自分はどれだけの覚悟を必要とするのだろうかと、漠然と想像していたのだが、千尋の突拍子のない行動のせいで、覚悟どころか、身構える余裕すら与えられなかった。突然現れた嵐にさらわれたようなものだ。
 数メートル先を歩いていた千尋が、自動ドアの前で立ち止まり、こちらを振り返る。和彦は思わず恨みがましい視線を向けたが、涼しい顔で受け流された。総和会のテリトリーに入った途端、長嶺組の跡目として、総和会会長の孫としての存在感が、より強くなったようだ。自身はなんの力も持たない青年としては、総和会という組織の重さに耐えるため、何かしらの支えを欲するのかもしれない。
 こうすることで、誰も千尋には逆らえないし、軽んじることもできない。千尋は、自分という存在の利用の仕方をよく心得ているともいえる。卑屈になるどころか、堂々と胸を張っているのだ。
 エレベーターに二人で乗り込むと、守光の住居がある四階へと上がる。いつものように人気はなく、静かだった。
 千尋に腕を取られて守光の部屋に向かう。孫だからこその遠慮のなさを発揮してリビングまで入っていき、そこに守光の姿がないと知ると、千尋は声を張り上げた。
「じいちゃん、来たよっ。先生も一緒」
 少しの間を置いて、悠然とした様子で和服姿の守光が姿を現す。和彦は慌てて頭を下げた。
「こんな時間に申し訳ありません」
「かまわんよ。ここには、本宅と同じように気軽に訪ねてもらいたいと思っていたところだ。千尋のようにな」
 薄い笑みを浮かべた守光に、千尋がきつい眼差しを向ける。守光は、そんな千尋の頭を軽く撫でた。
「電話の声から察してはいたが、機嫌が悪そうだな」
「……悪いよ。オヤジだけじゃなく、じいちゃんまで、先生のことで俺を除け者にしてたんだから」
「なんだ。拗ねているのか」
 千尋がムキになって言い返そうとしたが、さすがに守光のほうが遥かに上手だ。千尋の怒りをあっさりと躱すと、和彦に向き直る。
「先生、夕食はとったかね?」
「いえ、まだです……」
「だったら、すぐに準備をさせよう。わしは早めにとったし、千尋は――あとでよかろう。一刻も早く、わしと話をしたいようだからな」
 自分も同席すると和彦は訴えたが、意外なことに、世代の違う長嶺の男二人の意見は一致した。
〈オンナ〉を巻き込む話ではない、と。
 言い方は違えど、和彦の意思は関係なく、千尋と守光、どちらかが決定したことに従えばいいと言いたいのだ。それは傲慢だと、腹を立てる過程はとっくに過ぎている。和彦はずっと、長嶺の男たちのオンナとして、執着心や独占欲というものに揉まれ、または守られてきた。
「あんたはここで寛いでいるといい。――自分の部屋だと思って」
 千尋とともに玄関に向かう守光にそう言われ、和彦は返事に困る。二人は別室で話をするそうだが、だとしたら、自分の役割はと思ったのだ。英俊と会うという結論はすでに出ており、千尋がどれだけ拗ねて、不満を漏らそうが無駄なのだ。
 千尋の扱い方を心得ている一人である守光に、何の考えもないとは思えないが。
「先生、絶対帰らないでよね」
 不機嫌そうな千尋に念を押され、和彦は観念する。
「わかっている。……気に食わないからといって、暴れるなよ」
「じいちゃん相手に、そんな命知らずなこと、するわけないじゃん」
 千尋なりの冗談なのだろうが、口元に薄い笑みを湛えている守光の佇まいを見ていると、とても気軽に応じる気にはなれない。
 曖昧な表情で返す和彦を一人残し、守光と千尋が出て行く。
 少しの間その場に立ち尽くし、ぼうっとドアを見つめていたが、我に返ると、急に居心地の悪さに襲われる。本来なら今頃、外で夕食を済ませ、そろそろ自宅マンションに戻っていたはずなのだ。
 どうしようかと逡巡したものの、この建物から出ることなどできるはずもなく、仕方なくダイニングへと移動する。
 イスに腰掛けてもやはり落ち着かなくて、手持ち無沙汰ということもあり、携帯電話を取り出す。千尋の言葉を信じないわけではないが、賢吾に連絡を取ってみようと思ったのだ。
 だがやはり、賢吾の携帯電話はすぐに留守電のメッセージへと切り替わる。さすがに、賢吾の護衛についている組員とは連絡が取れるだろうが、そこまでする気にはなれなかった。なんといっても、危険な目に遭っているわけではなく、長嶺の男二人とともに、堅固な要塞の中にいるような状況だ。危険のほうから避けていくだろう。
 ため息をついた携帯電話をテーブルに置いた途端、背後に気配を感じる。飛び上がらんばかりに驚いて振り返ると、守光の生活全般の世話をしている男が立っていた。この本部に詰めている男たちの中では年配の部類に入るだろう。物腰は柔らかいが、まったく隙のない所作で、ここに滞在する和彦の世話もしてくれている。
「お待たせして申し訳ありません。すぐに夕食をお運びしますから」
「あっ、いえ……、こちらこそ突然、押しかけてしまって……」
 動揺を押し殺しつつ和彦が答えると、珍しく男がふっと表情を和らげる。
「長嶺組長と千尋さんにだけ許された特権ですよ。それと、佐伯先生と。こういう突然の事態を、会長は喜ばれています。昔から、波乱を好まれる性質の方ですから」
 そんなに昔から守光の仕えているのかと尋ねたかったが、男はあっという間に表情を消して言葉を続けた。
「今夜はお泊まりになるとうかがいましたので、着替えは脱衣所に準備しておきます。食事をとられたら、湯をお使いください」
 いつの間にそんなことになったのかと思ったが、一礼して立ち去る男に疑問をぶつけることはできなかった。
 再びダイニングに一人となった和彦は、今度は慎重に廊下のほうの気配をうかがってから、改めてため息をつく。
 車中での千尋の台詞ではないが、自分は体よく長嶺の男たちに振り回されているなと、いまさらなことを痛感させられていた。
 だからといって逃げ出す気は毛頭ないのだが、そのことを千尋に理解させられるか、和彦には自信がなかった。普段は物分りがよい顔をしている千尋だが、胸の内に抱え持つ独占欲や執着心は、子供のように純粋で、強烈だ。一旦ある考えに囚われてしまうと、他人の言葉など聞こえないし、感情に抑制が利かない。
 それを、一途とも呼ぶのかもしれないが。


 守光の部屋の床の間には、涼しげな紫陽花の掛け軸が飾られていた。守光の腰を揉みながら和彦は、なんとなくその掛け軸から目が離せなくなる。ただの絵のはずなのに、床の間にあるだけで、部屋の空気が清澄なものに感じられるから不思議だ。それとも、この部屋の主のせいなのか。
「――いよいよ、来週かね」
 唐突に守光に切り出され、ドキリとした和彦は数秒ほど返事ができなかった。一体なんのことかと考えるには、それだけあれば十分だ。
「はい……。クリニックのほうは、午後から休診にすることを、もうスタッフや患者さんにも知らせてあります。あとは、兄の予定が変わらなければ……」
「あえて、金曜に会うことにしたというところに、あんたの悲愴な覚悟がうかがえる。土日の間に、気持ちを立て直しておきたいというところかね」
 守光の鋭さに和彦は、目を丸くしたあと、微苦笑を洩らす。
「何もかも、お見通しですね。そんなにぼくの行動は、わかりやすいですか」
「したたかでタフだが、一方で、実家のことになると、途端に脆くなる――と、話していたのは、賢吾だったか、千尋だったか。あるいは、両方か」
「二人には、動揺してみっともない姿を見せてしまいました」
「それでいい。だから二人とも、あんたのために動く。大事なオンナを守りたくて。もっとも千尋の場合は、少々頭に血が上りすぎているな」
 その千尋は、しばらく経ってから守光とともに部屋に戻ってきたあと、猛烈な食欲を発揮して夕食を平らげ、今は風呂に入っている。守光とどういった話をしたのか、和彦はまだ一切聞かされていなかった。ただ、拗ねた素振りも、不機嫌な顔も見せていなかったことは、安心していいのかもしれない。
「……会う必要がないのなら、会いたくはないんです。ぼく個人の問題なのに、長嶺組どころか、総和会も巻き込んでしまったようで……」
「長嶺の男は過保護だと思っているだろう」
 返事の代わりにちらりと笑みをこぼした和彦は、腰を揉む手にわずかに力を込める。会話を交わしていると、つい気が逸れて力が緩んでしまうのだ。
「そのおかげで、会う決心がついたとも言えます。そもそも会いにくい状況になった元凶も、長嶺の男たちにあるのですが」
 うつ伏せの状態である守光の顔を見ることはできないが、肩が微かに揺れている。どうやら和彦の発言に気を悪くするどころか、笑ってくれたらしい。
「とにかく、一度会わないと、ぼくの家の人間は納得しないと思います。不肖の次男の存在など放っておいてくれればと、少しだけ期待していましたが、甘かったようです」
「――確かに、甘い」
 そう言い切った守光の口調は、子供を窘めるかのように柔らかい。
「そういう家ではないだろう。あんたの家は。問題を片付けるためなら、わしらのようなヤクザ者すら使う、ある意味、腹が据わった名門だ。あんたは、その家の血を引いている。そう易々と手放しはせんはずだ」
「でもこれまで、必要とはされていませんでした」
 自分で言った言葉に自虐の響きを感じ取り、和彦はドキリとする。これではまるで、守光に泣き言をこぼしているようだ。
 動揺を抑えようとして、守光の腰を揉む手に不自然に力が加わる。
「……血は、大事だ。長嶺のような家だと特に、それを強く実感する。若い頃はわずらわしいと思ったものだが、今では、何より大事だと思うようになる。そのために、どこまでも利己的に振る舞うようにすらなるんだ。おそらくあんたの父親も、同じようなものだろう」
「その血のために、ぼくは実家に振り回されるんですね……」
「長嶺の家にも振り回されている」
『長嶺の男たち』ではなく、『長嶺の家』という表現から、守光の価値観の一旦が垣間見えるようだ。佐伯家から距離を置いている和彦には理解できないが、もしかすると父親なら、守光に共通する何かを感じるかもしれない。
 唐突に、不吉な感覚に襲われる。その感覚が一体何を知らせるものなのかわからないが、とにかく悪寒がした和彦は大きく身震いしていた。
 和彦の異変に気づいたように、守光が頭を起こそうとしたので、何事もなかったふりをして会話を続ける。
「――……今は振り回され、同じぐらい大事にされていても、結局は、長嶺の家にとってぼくは他人です。切り捨てようと思えば、いつでも切り捨てられる存在です」
 意図せず拗ねた子供のような発言になってしまい、和彦の顔が熱くなってくる。そんな和彦を笑うどころか、守光は強烈な言葉で返してきた。
「あんたの体の中を、長嶺の血で満たすことは叶わんから、長嶺の男たちは奔走している。自分のオンナにして、クリニックを持たせて、関わりのある男たちと関係を持たせて――。切り捨てるなんてとんでもない。それもこれも、あんたを逃がさんためだ」
 和彦の視線は吸い寄せられるように、守光の背に向けられていた。浴衣に隠れてはいるが、この下には、毒々しい黄金色の体を持つ九尾の狐が潜んでいる。大蛇も怖いが、この狐はそれ以上に怖い。どうやって獲物を狙うのか、その手口すら和彦は想像がつかないのだ。
 そんな狐の刺青を背負った男に『逃がさん』と言われれば、それは言霊となって和彦の心と体を縛りつけそうだった。
 和彦の中に芽生えた怯えを読み取ったのか、守光がこう付け加える。
「――……あんたは振り回されていると感じているだろうが、長嶺の男たちも、あんたに振り回されている。これは、情だよ。あんたとわしらは、情を交わし合っている」
「情を、交わし合っている……」
「そう感じているのは、わしの勘違いかな?」
 肯定も否定もできず口ごもる和彦に、首を回らせた守光がわずかに目を細める。
「わしの〈オンナ〉は慎み深い」
 守光がゆっくりと体を起こし、布団の上に座る。手招きされて側に寄った和彦は、強い力で肩を抱かれた勢いで、守光にもたれかかった。
 反射的に身をすくめたが、それ以上の反応はできない。凄みを帯びていながら、非常に静かな眼差しで見つめられると、怯えると同時に、奇妙な熱が体の奥で高まり始める。このことを自覚した瞬間にはもう、和彦の体は守光に支配されているのだ。
「さあ、わしと情を交わしてくれ」
 賢吾に似た太く艶のある声で囁かれ、唇を塞がれそうになる。いつもなら、逆らえないまま身を任せてしまうのだが、今夜は事情が違う。寸前のところでわずかに頭を後ろを引き、和彦は抑えた声で訴えた。
「今夜は、千尋を刺激したくありません。それでなくても、ぼくが兄と会うことを知らされて、気が高ぶっているのに、こんなところを見られたら――」
「刺激すればいい。あれも、なかなか厄介な獣を背負うことにしたようだ。刺激して、高ぶらせて、そうやって成長させる。わしや賢吾、オンナであるあんたの役目だ」
 千尋が入れようとしている刺青のことを指しているのだろう。守光の口ぶりに興味を惹かれた和彦だが、すぐにそれどころではなくなる。
「あっ……」
 再び顔を寄せてきた守光が触れてきたのは唇ではなく、首筋だった。ひんやりとした唇を押し当てられ、生理的な反応から鳥肌が立つが、同時に、腰から疼きが這い上がってきた。
 和彦の首筋や喉元に唇を這わせながら、守光の片手が浴衣の合わせから入り込んでくる。丁寧な手つきで胸元を撫でられたが、すぐに手を引いてしまう。一瞬、和彦は安堵しかけたが、守光は甘くなかった。
 次に守光の手が這わされたのは、両足の間だった。和彦は反射的に逃れようとしたが、深く差し込まれた守光の手に、下着の上から敏感なものを掴まれる。腰が砕けたような状態となった和彦は、そのまま動けなくなった。
 腰を抱き寄せられて下着を脱がされる。守光に背後から抱き締められる格好となると、両足を立てて開かされた。正面には、襖がある。もし誰かが守光の部屋に入ってきたら、まっさきに和彦のあられもない姿を目にすることになるのだ。
 守光の手に直に、欲望を握り締められて、ビクリと背をしならせる。握られたものを緩やかに上下に扱かれ、和彦を身を震わせて愛撫を受け入れるしかない。浴衣の前を広げられ、胸元も撫でられる。
「興奮しているな。素直な体だ」
 耳元でそう囁いた守光の息遣いが笑う。和彦のものは、扱かれるたびに熱を増し、しなり始めていた。先端を指の腹でくすぐられ、たまらず喉を鳴らす。
 そのタイミングで、襖の向こうから声をかけられた。
「じいちゃん、先生を部屋に連れ込んでるだろ」
 ハッと身を固くした和彦が応じる前に、襖が開く。スウェットパンツにTシャツ姿の千尋が姿を現した。髪をよく拭いていないらしく、滴る水滴が頬や首筋を濡らしている。
 和彦がそこまで認識したとき、千尋もまた、和彦がどういう状況にあるのか認識したのか、まるで火が放たれたように切れ上がった目に激情が走る。
 千尋が暴走すると、咄嗟に和彦は危惧する。しかし、守光は違った。
「――お前が大人になったところを見せてくれ」
 そう千尋を言葉で煽り、見せつけるように和彦の体を撫で回す。和彦は、千尋から目が離せなかった。千尋もまた、和彦を射竦めるように見つめてくる。
 息苦しいほどの緊迫感に、心臓が痛くなってくる。このまま気を失ってしまいたいと和彦が願ったとき、突然千尋が動いた。部屋に入ってきて後ろ手で襖を閉めると、荒々しい気配を振り撒きながら歩み寄ってきたのだ。そしてTシャツを脱ぎ捨てた。
「千尋……」
 千尋の思いがけない行動に、意識しないまま和彦は声を発する。屈み込んだ千尋に乱暴に腕を掴まれて引き寄せられる。和彦の体は、今度は千尋の両腕の中に捕らえられていた。
「この人は、俺のだっ。俺が最初に見つけたっ」
 唸るように言い放った千尋に唇を塞がれる。和彦は身じろぎ、逃れようとしたが、千尋の腕は力強い。和彦の抵抗などねじ伏せるように、千尋の舌が強引に口腔に押し入ってくる。粘膜を舐め回され、唾液を注ぎ込まれ、搦め捕られた舌を引き出されて貪られる。
 されるがままになっていた和彦だが、布団の上に座り込んだ千尋に、守光がしていたように背後からしっかりと抱き込まれる。肌の熱さを浴衣越しに感じているうちに、眩暈がするような高揚感に襲われる。
「んうっ」
 頬を撫でられてから、髪を乱雑に掻き乱される。それすら愛撫のような心地よさを覚え、思わず和彦は、千尋の剥き出しの腕に手をかける。一方的だった口づけも変化していき、千尋に求められるまま唇を吸い合い、自然な成り行きで情熱的に舌を絡めていく。
 そうしているうちに、足の間に手が差し込まれ、身を起こして熱くなったままの欲望を柔らかく握り締められる。一瞬、和彦の頭は混乱する。千尋かと思ったが、髪をまさぐる手と、腰にかかった手は確かに千尋のものだ。だとしたら――。
 和彦は正面を向こうとしたが、千尋がそれを許してくれない。その間にも守光に両足を立てて左右に大きく開かされる。
 慣れた手つきで柔らかな膨らみを揉みしだかれ、和彦は腰を震わせながら声を上げる。しかしすべて、千尋の唇に吸い尽くされる。
 長嶺の男二人から同時に求められ、快楽を貪り合う経験はこれまでもあった。だが今の状況は、これまでの経験とはまったく異質だ。何が、と明確に表現はできないが、ただこれだけは言える。
 これは、長嶺守光が進めている儀式なのだと。
「うっ、くうっ……ん」
 異常な状況でも高ぶり続ける欲望を、千尋に掴まれ手荒く扱かれたところで、長い口づけから解放される。和彦は鼻にかかった甘ったるい呻き声を洩らし、次の瞬間には二人の男の耳を気にして、羞恥で全身を熱くする。
「先生、いい声」
 掠れた声で千尋に囁かれたが、応じる余裕は和彦にはない。相変わらず、端然とした佇まいを崩さない守光が、薄い笑みを浮かべたまま和彦の胸元に顔を寄せてくる。興奮のため硬く凝った胸の突起を口腔に含まれ、優しく吸い上げられた。和彦は小さく声を洩らし、そんな自分の反応に逃げ出したくなりながらも、それが叶わず、すがるように千尋を振り返る。待ちかねていたように、再び唇を塞がれた。
 口腔を千尋の熱い舌でまさぐられながら、守光に片足を抱え上げられる。内奥の入り口を軽くくすぐられた途端、鳥肌が立った。だが、長嶺の男二人の手に囚われている体は、たっぷりの蜜を与えられたかのように重い。わずかに腰を揺すっただけで、唾液で濡れた守光の指を内奥に受け入れていた。
「艶やかだな。擦っただけで色づいて、指を入れると、もう真っ赤に熟れた」
 そう言いながら、守光の指が内奥で妖しく蠢く。繊細な襞と粘膜を軽く引っ掻かれて、腰が痺れた。緩やかに内奥から指を出し入れされるようになると、抑えようとしても喉の奥から声が洩れる。そんな和彦の変化を、千尋は強い輝きを放つ目で、間近からじっと見つめていた。激しい欲情と嫉妬と苛立ちと――とにかく、さまざまな感情が吹き荒れている。
 和彦が知る長嶺の男の中で、もっとも直情的で素直で、純粋な目だった。
「――先生、俺が欲しい?」
 唇を啄ばみながら千尋に問われ、和彦は言葉に詰まる。すると、和彦の反応を促すように、内奥に埋め込まれた守光の指に、浅い部分を強く押し上げられる。短く悲鳴を上げた和彦は、腰を揺らしながら守光の指をはしたなく締め付けていた。中からの刺激が、決して不快なものではないと知らしめるように、反り返ったまま震える欲望の先端から、透明なしずくが垂れる。芝居がかった表情で舌なめずりした千尋が、今度は悪戯っぽい口調で問いかけてくる。
「美味そう……。舐めてあげようか?」
 和彦は必死の虚勢で睨みつけたが、それは千尋が望んだ通りの反応だったらしい。嬉しそうに顔を綻ばせた。
「先生、挑発的」
 千尋がちらりと守光に視線を向ける。それで何かを理解したらしく守光が身を引き、和彦はほっと息を吐き出す。だが次の瞬間、布団の上に転がされた。何事かと混乱しているうちにうつ伏せにされてしまう。
「千尋っ……」
 和彦は慌てて前に逃れようとしたが、腰をがっちりと抱え込まれ、浴衣の裾を乱暴をたくし上げられる。背後で千尋が身じろぐ気配がしたあと、守光の指で解された内奥の入り口に、熱く硬い感触が擦りつけられた。
 荒々しい気配とは裏腹に、千尋の動きは慎重だ。ゆっくりと内奥をこじ開けながら、猛る欲望を確実に挿入してくる。
「先生、感じる? 俺とじいちゃんが、先生と一つになっているところを、じっと見てるの。先生のここ、すげー、いやらしい。真っ赤になって、ヒクヒクして、俺のを必死に締め付けて、呑み込んでいってる。もう何度も見てるのに、飽きないんだよ。先生が精一杯、俺を甘やかしてくれてるんだと思ったら。……ずっと見ていたい。でもそれ以上に、もっと気持ちよくなりたい。こうして――先生の奥まで入って」
 千尋に一度だけ腰を突き上げられ、和彦は苦しさに声を洩らす。今にも暴れ出しそうな凶暴なものを、それでも和彦の内奥は懸命に締め付け、甘やかす。背後で千尋がため息を洩らし、腰や腿を余裕なく撫で回してくる。そして、両足の間に片手を差し込み、熱くなったまま震えている和彦の欲望を握り締めた。
「あっ、いや――……」
 性急に欲望を扱かれて、和彦は腰を揺らす。その瞬間を見逃さず、内奥深くを突き上げられ、思いがけず体中に痺れにも似た心地よさが駆け抜ける。それを数回繰り返されたところで、和彦は千尋に完全に支配されていた。
 千尋の力強い律動に、浅ましく腰を同調させる。布団の端を握り締め、悦びの声を上げていた。
「中、蕩けちゃったね」
 行為の激しさとは対照的に、どこか子供っぽい口調で千尋が洩らす。その言葉にすら感じてしまい、ゾクゾクとするような感覚が鼓膜から広がる。千尋の手に促され、和彦は布団の上に精を飛び散らせていた。
「うあっ、あっ――、んっ、んうっ」
 乱暴に腰を引き寄せられ、これ以上なくしっかりと千尋と繋がる。律動を一度止めた千尋にとっくに解けた帯と浴衣を剥ぎ取られ、露わになった汗ばんだ背を、愛しげにてのひらで撫でられる。和彦は荒い呼吸を繰り返しながら、心地よい感触にそっと目を細めていた。
 和彦と千尋の交歓を、ずっと傍らで眺めていたのだろう。わずかな熱を帯びた守光の言葉が耳に届く。
「力に溢れる若い獣そのものだな。長嶺は、いい跡目を得た。その跡目のおかげで――いいオンナを得た」
 守光の言葉で滾るものがあったのか、千尋の欲望が内奥でさらに膨らむ。官能を刺激された和彦は上擦った声を洩らし、背をしならせた。その動きに誘われたように、千尋が再び力強い律動を刻み始める。
「あっ、あっ、千、尋っ……、千尋っ」
「いいよ、先生。すぐに、中にいっぱい出してあげる」
 その言葉通り、千尋の欲望が内奥深くで爆ぜ、熱い精を注ぎ込まれる。意識しないまま内奥がきつく収縮し、千尋を呻かせる。内奥でビクビクと震える存在が、ただ愛しかった。
「じいちゃん、これが、俺の大事で可愛いオンナだよ。――将来、絶対俺だけのものにする」
 そう語りながら千尋が、ゆっくりと繋がりを解く。与えられた快感に陶然としている和彦には、千尋の行動を止めることはできなかった。尻の肉を掴まれて左右に割られると、注ぎ込まれたばかりの精が溢れ出してくる。
 千尋が、自分が所有しているという証を守光に見せているのだと理解し、和彦は強い羞恥に身じろぐ。体を起こそうとして、反対に布団に押さえつけられ、仰向けにひっくり返される。真上から和彦の顔を見下ろしてきたのは、守光だった。
 そして、さきほどの千尋の言葉を引き継ぐように、こう続けた。
「――だが今は、長嶺の男〈たち〉の、大事で可愛いオンナだ」
 力が入らない片足を抱え上げられ、千尋の精が垂れている蕩けた内奥の入り口に、今度は守光の高ぶりを擦りつけられる。
「あっ」
 和彦が声を洩らしたときには、内奥を押し広げられていた。千尋に愛されたばかりの内奥の襞と粘膜は、熱く発情したまま、新たな侵入者を嬉々として呑み込み、締め付ける。和彦の体の歓喜に、守光はすぐに応えてくれた。
「うっ、くうっ……ん」
 和彦の体を悦ばせる術を知っている守光は、一息に欲望を内奥深くまで突き込むと、達したばかりの欲望を片手で扱き始める。和彦は声にならない声を上げて上体をくねらせ、乱れていた。千尋の見ている前で。
「ひっ……、あっ、あぁっ、ひあっ――」
 無意識に手を伸ばすと、その手を強く握り締めてくれたのは、傍らから顔を覗き込んできた千尋だった。強い執着心や独占欲を感じさせる発言をしたばかりだというのに、千尋は落ち着いていた。
「このオンナには、長嶺の男に骨の髄まで愛される姿がよく似合う。お前は今は、その姿を堪能すればいい。いずれは、お前だけのものになるオンナだ。それぐらいの度量は、若いお前にもあるだろう」
 和彦を犯しながら、守光は千尋に語りかける。内奥で息づく欲望は熱く逞しいというのに、やはり守光は少しも乱れない。
 快感を与えられながら、世代のまったく違う長嶺の男二人のやり取りを聞き、姿を交互に見ているうちに、和彦は混乱してくる。いや、惑乱していた。思考が正常に働くことを、放棄したがっていた。
 追い討ちをかけるように、守光が薄い笑みを浮かべて言った。
「さっきも言ったが、あんたの体の中を長嶺の血で満たすことはできん。だが、どんな男も甘やかして、蕩けさせる場所を、長嶺の男の精で満たすことはできる。――いままで、ここまでしたオンナはいない。あんたが、唯一の存在だ」
 囁きかけてきながら、守光が深く力強い律動を繰り返す。まるで、和彦の体の奥深くに、自分の刻印を刻み付けるように。実際、そのつもりなのだろう。
 これはやはり、儀式なのだ。和彦が、長嶺の男たちの手の届かない場所に逃げ出さないよう、見えない鎖で体と心を縛り付けてくる。
 自ら両足を大きく開き、守光を受け入れ、奔放に乱れる。長嶺の二人の男から与えられる濃厚な情が、息苦しいのに、眩暈がするほど心地よかった。
「うあっ、あっ、あっ、も、う……、ダメですっ……」
「かまわんから、また出すといい。苦しそうだ」
 開いた足の間で、和彦のものは再び反り返り、先端から透明なしずくを垂らしている。守光の手で軽く扱かれると、呆気なく二度目の精を噴き上げていた。嗚咽を洩らすと、甘えるように千尋に唇を吸われ、和彦は必死に千尋の肩に掴まる。
「……先生、たまんない……。また、したくなった」
 荒い息の下、そう洩らした千尋が、熱い舌を和彦の口腔に押し込んでくる。同時に内奥深くを、守光の欲望に強く突き上げられた。
 口腔に千尋の唾液が流し込まれ、内奥には守光の精が注ぎ込まれる。
 言葉はなくとも、このとき長嶺の男二人が何を考えているか、和彦にはわかった気がした。
 このオンナを、絶対に逃がしたりはしない、と――。









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